ルマン (企業)

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株式会社ルマン
Le Mans Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
150-0012
東京都渋谷区広尾3-2-15
設立 1967年4月
法人番号 1011001025281
事業内容 自動車及び自動車部品の輸入・輸出 他
代表者 代表取締役 松永史郎
資本金 1,500万円
従業員数 16名
主要子会社 株式会社チームルマン
外部リンク http://www.lemans.co.jp/
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Team Le Mans
SUPER GTに参戦するENEOS SUSTINA RC F(2014年)
SUPER GTに参戦するENEOS SUSTINA
RC F(2014年)
国籍 日本の旗 日本
本拠地 静岡県御殿場市
チーム代表 土沼広芳
関係者 黒澤琢弥
服部尚貴ほか
活動期間 1969年 - 現在
カテゴリ 全日本F2000全日本F2全日本F3000FNSF全日本F3
富士GC
JSPC
JGTCSUPER GT
チームズ
タイトル
FN 2(1996,1999)
JGTC 1(2002)
ドライバーズ
タイトル
全日本F2 1(1979)
FN 2(1996,1998)
全日本F3 1(1986)
富士GC 3(1983,1988,1989)
JGTC 1(2002)
公式サイト チームルマン
2017年のスーパーフォーミュラ
エントリー名 SUNOCO TEAM LEMANS
レーサー 7. スウェーデンの旗フェリックス・ローゼンクビスト
8. 日本の旗 大嶋和也
マシン SUNOCO TEAM LEMANS SF14トヨタ
タイヤ 横浜ゴム
2017年のSUPER GT (GT500)
エントリー名 LEXUS TEAM LeMans WAKO'S
レーサー 日本の旗 大嶋和也
イタリアの旗 アンドレア・カルダレッリ
マシン 6. WAKO'S 4CR LC500
タイヤ ブリヂストン
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ENEOS SUSTINA SC430(2011年)

株式会社ルマン: Le mans Co., Ltd.)は、東京都渋谷区に本社を置く自動車部品メーカー。1967年設立。当初の社名はルマン商会。主にレース用のチューニングパーツの開発・販売や、海外のレーシングカーの輸入販売等を手がける。またガレージルマンとしてレーシングカーコンストラクター業務も行ったことがある。

レース参戦時はチームルマンを名乗る(2000年にレース部門を株式会社チームルマンとして子会社化)。チーム名の由来はル・マン24時間レースから。

チームルマン[編集]

1969年にルマン商会のレース部門として設立。1970年代より日本のトップチームのひとつとして多様なカテゴリーで活動している。

フォーミュラレースでは、1976年以降に全日本F2000からスーパーフォーミュラへと続く国内トップカテゴリーに継続して参戦している。特に2002年以前はレイナードの国内総代理店を務めており、全日本F3000やフォーミュラ・ニッポンにおいてレイナードの事実上のワークスとして強さを誇った。1991年にはF1デビュー前のミハエル・シューマッハ全日本F3000にスポット参戦し、1996年には弟のラルフ・シューマッハフォーミュラ・ニッポンの初代チャンピオンになっている。

グループCでは自社マシンを開発。また、日産系チームとしてル・マン24時間レースなどにも参戦した経験がある(その際、チーム名が「チームルマン」だったため、海外のエントランスに名前をすぐ覚えてもらえたという)。

2000年代以降はトヨタとの関係が深く、全日本GT選手権及びSUPER GTではスープラSC430RC Fを走らせている。

2012年野田英樹が設立した「NODAレーシングアカデミー高等学院」と協力関係にあり、チーム代表の土沼広芳など数人のエンジニアが同学院の講師を務めている[1]

レース参戦実績[編集]

全日本F2000選手権・全日本F2選手権[編集]

全日本F2000には松本恵二を擁して1976年より参戦。松本は1978年に全日本F2のチャンピオンを獲得し、1987年までチームに在籍した。また、海外からジャック・ラフィーケケ・ロズベルグパトリック・タンベイリカルド・パトレーゼらF1ドライバーがスポット参戦し、パトレーゼは1977年のJAFグランプリで優勝した。

1980年代にもステファン・ヨハンソンテオ・ファビクリスチャン・ダナーなどのF1予備軍の外国人ドライバーが参戦した。

全日本F3000選手権[編集]

ジェフ・リース(1988-89所属)、エマニュエル・ピロ(1988-89所属)、ジョニー・ハーバート(1990-91所属)、服部尚貴などが在籍。ロス・チーバー(1991-94所属)はレイナード勢のエースとしてチャンピオン争いを展開した。1991年の第6戦菅生には当時メルセデス・ジュニアチームに所属していたミハエル・シューマッハが参戦し、チーバーに次ぐ2位表彰台を獲得した。シューマッハは引き続き全日本F3000に参戦予定だったがすぐにF1から声がかかったためこの1戦のみの参戦となった。

フォーミュラ・ニッポン[編集]

1996年はロックバンドX JAPANがスポンサーとなり話題を呼ぶ。初年度は、ラルフ・シューマッハと服部尚貴がチームメイト同士でタイトルを争い、ラルフが初代チャンピオンを獲得。チームもランキング1位となった。

1997年 ドライバーは、ノルベルト・フォンタナとエスティバン・トゥエロのアルゼンチンコンビとなったが、チーム ノバペドロ・デ・ラ・ロサの前に太刀打ちできず、フォンタナが第7戦美祢で勝利するに留まった。第8戦ではトゥエロに変わってミハエル・クルムがドライブし、終盤2戦は立川祐路がドライブした。

1998年はX JAPANメンバーであるhideのレーベル「LEMONed(レモネード)」がスポンサーとなり、新加入の本山哲がシリーズチャンピオンを獲得し、チームランキングも再び1位に返り咲いた。

1999年 ドライバーは本山に加えて山西康司が加入した。本山はトム・コロネルとシリーズタイトルを争ったが、最終戦鈴鹿でスタートで接触し、2年連続タイトルを逃した。チームランキング2位。

2000年はマレーシア政府がスポンサーになり、チーム体制も2チーム3台に補充。ドライバーもチーム ルマンに野田英樹五十嵐勇大、チーム マレーシアにアレックス・ユーンとなった。しかし予選では速さを見せるものの決勝では不安定なレースが続き、未勝利に終わった。チームランキングも5位に終わった。

2001年 再び1チーム2台体制に戻し、ドライバーも五十嵐勇大とアレックス・ユーンとなったが、昨年同様予選では速さを見せるものの決勝ではリタイアが目立ち、今期は優勝はおろかポイントも取れない展開が続いた。第7戦からはユーンのF1参戦に伴い山西康司が復帰したものの、第8戦美祢での山西の5位が唯一の入賞に終わり、ランキング9位に低迷。

2002年はドライバーラインナップを一新し、ベテランの影山正美とルーキーの土屋武士のコンビとなった。第3戦からは影山に変わってドミニク・シュワガーが3年ぶりに復帰。土屋はドライバーズランキング4位と健闘を見せた。

2002年 当時シアトル・マリナーズに在籍していた佐々木主浩をオーナーとする「TEAM 22」のメンテナンス(実質的なチーム運営)を担当。脇阪寿一をドライバーに起用し2勝を挙げた。

2008年は本山哲が10年ぶりに復帰して古豪復権を目指すも結果は出なかった。

長らくフォーラムエンジニアリングがメインスポンサーを務めていたが、2008年からキグナス石油日本サン石油がメインスポンサーとなり、2011年から2年間は、加入した大嶋和也が別のオイルメーカーとスポンサー契約を結んでいたため、この2社をスポンサーとする側は「Team KYGNUS SUNOCO」として分離独立することになった(大嶋を放出した2013年からは再び一つのチームに戻っている)。

スーパーフォーミュラ[編集]

2013年から名称が変更されたスーパーフォーミュラへも引き続き参戦。ロイック・デュバルに加えて、前年の全日本F3チャンピオンの平川亮を起用。2013年・2014年には2年続けてチームランキング2位になるなど古豪復活を果たした。2015年には平川亮のチームメイトに、前年までF1で戦っていた小林可夢偉を起用。

名称 開催年 ドライバー チームランキング
フォーミュラ・ニッポン 1996年 #24 服部尚貴
#25 ラルフ・シューマッハ
1位
1997年 #1 ノルベルト・フォンタナ
#2 エスティバン・トゥエロ→ミハエル・クルム立川祐路
3位
1998年 #7 ノルベルト・フォンタナ
#8 本山哲
2位
1999年 #1 本山哲
#2 山西康司
1位
2000年 #7 野田英樹
#8 五十嵐勇大

#21アレックス・ユーン

5位
2001年 #7 アレックス・ユーン→山西康司
#8 五十嵐勇大
9位
2002年 #7 影山正美ドミニク・シュワガー
#8 土屋武士
5位
2003年 #7 金石年弘
#8 土屋武士
4位
2004年 #7 脇坂寿一
#8 土屋武士
#25 片岡龍也
4位
2005年 #7 片岡龍也
#8 土屋武士
5位
2006年 #7 片岡龍也
#8 高木虎之介
6位
2007年 #7 片岡龍也
#8 高木虎之介
8位
2008年 #7 本山哲
#8 石浦宏明
7位
2009年 #7 国本京佑
#8 石浦宏明
5位
2010年 #7 ケイ・コッツォリーノ
#8 石浦宏明
5位
2011年 #7(Team LeMans) 大嶋和也
#8(Team KYGNUS SUNOCO) 石浦宏明
4位(Team LeMans)
8位(Team KYGNUS SUNOCO)
スーパーフォーミュラ 2012年 #7(Team LeMans) 大嶋和也
#8(Team KYGNUS SUNOCO) ロイック・デュバル
5位(Team LeMans)
4位(Team KYGNUS SUNOCO)
2013年 #7 平川亮
#8 ロイック・デュバル(Rd.2-6,FSC) アンドレア・カルダレッリ(Rd1,7)
2位
2014年 #7 平川亮
#8 ロイック・デュバル(Rd.1,2,4-) アンドレア・カルダレッリ(Rd.3)
2位
2015年 #7 平川亮
#8 小林可夢偉
4位
2016年 #7 ナレイン・カーティケヤン
#8 小林可夢偉
10位
2017年 #7 フェリックス・ローゼンクビスト
#8 大嶋和也
4位

富士GC[編集]

富士グランチャンピオンレース(富士GC)では1983年に松本恵二がチャンピオンを獲得。1988年と1989年にはジェフ・リースが2年連続チャンピオンとなった(富士GCは1989年で終了)。

全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権[編集]

全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権には、株式会社ユーピー(パナスポーツブランド)をスポンサーとして、1984年に自製のLM04Cで参戦を開始した。1985年シーズン途中にLM05Cに車両を変更し、WEC-JAPANでは2位入賞を果たした。1986年シーズンには日産からV6のVG30エンジンが供給されるが、LMシャシーではパワーを受け止めることができず、マーチ製の86Gにマシンを変更した。LMシャシーにはトヨタエンジンが供給され、日産、トヨタエンジンでの2カーエントリーとなる。2台体制は翌87年も続き、WEC-JAPANでは和田孝夫に手によりポールポジションを獲得した。日産のCカーによる参戦は1991年まで続いた。1993年の鈴鹿1000kmではニスモとジョイントで日産・R92CPで優勝を果たした。

参戦歴[編集]

開催年 ドライバー マシン
1984年 高橋健二/中子修/鈴木利男 LM・04C/日産
1985年 松本恵二/中子修/森本晃生 LM・04C/日産
LM・05C/日産
1986年 松本恵二/鈴木亜久里 マーチ・86G/日産
森本晃生/F・コンラッド LM・06/トヨタ
1987年 和田孝夫/A・オロフソン マーチ・86G/日産
中子修/M・S・サラ/佐藤浩二 LM・07/トヨタ
1988年 和田孝夫/A・オロフソン マーチ・87G/日産
マーチ・88G/日産
鈴木利男/森本晃生 マーチ・86G/日産
1989年 和田孝夫/森本晃生 マーチ・88G/日産
1990年 和田孝夫/中子修 日産・R89C
1991年 和田孝夫/岡田秀樹/影山正彦 日産・R89C
日産・R90CP

ル・マン24時間レース[編集]

ル・マン24時間レースには、1987年にマーチ・86G/日産で初出場した。翌1988年には2カー体制で参戦した。以降日産のサテライトチームとして1990年まで参戦を続けるが、一度も完走を果たすことができなかった。

参戦歴[編集]

開催年 ドライバー マシン
1987年 A・オロフソン/A・フェルテ/P・ゴナン マーチ・86G/日産 R
1988年 D・オンガイス/M・トローレ/鈴木利男 マーチ・86G/日産 R
A・オロフソン/L・レオーニ/森本晃生 マーチ・88G/日産 R
1989年 和田孝夫/A・オロフソン/森本晃生 マーチ・88G/日産 R
1990年 和田孝夫/A・オロフソン/M・S・サラ 日産・R89C R

全日本GT選手権・SUPER GT[編集]

エッソウルトラフロースープラ(2002年)

1999年より土沼広芳を監督に、野田英樹ワイン・ガードナーとをドライバーに起用し、スープラで参戦。当初はエッソタイガースープラを名乗り、虎をイメージさせたカラーリングをしていた。

2000年は前年同様の体制ながら、マシン名をエッソウルトロンタイガースープラに変更。

2001年に童夢から脇阪寿一が移籍し、その年よりマシン名がエッソウルトラフロースープラになった。この年は脇阪と野田英樹がドライブ。

2002年は野田に代わって飯田章がドライブし、シリーズチャンピオンに輝く。

2003年は2勝を挙げるなど活躍するが、最終戦では惜しくも日産勢に敗れた。

2006年は脇阪にかわって片岡龍也がドライブすることになった。また、ベースマシンがSC430、スポンサーがエクソンモービルのままだが、マシン名がMobil 1 SCとなった。

2007年は飯田がGT300クラスのRACING PROJECT BANDOHへ移籍し、代わってビヨン・ビルドハイムが加入、スポンサーもフォーラムエンジニアリングへ変更され、マシン名はForum Eng. SC430に変更された。

2008年は2007年GT500チャンピオンの伊藤大輔ARTAより移籍し、2010年までビヨン・ビルドハイムと共に参戦。スポンサーがENEOSに変更され、マシン名もENEOS SC430になりオレンジと赤のカラーリングになった。

2011年はビルドハイムに代わって大嶋和也が移籍した。

2013年は伊藤がTOM'Sに移籍することになり、代わりにトレードのような形で同じKRAFTから国本雄資が移籍、大嶋和也とコンビを組む。

2014年からは、ベースマシンがRC Fに変更した。

2016年はGT500を勇退した脇阪寿一が監督に就任。ドライバーラインナップは国本雄資がRACING PROJECT BANDOHに移籍。TOM'Sから移籍してきたアンドレア・カルダレッリが大嶋和也とコンビを組む。スポンサーもWAKO'Sへ変更され、マシン名はWAKO'S 4CR RC Fに変更された。

活躍[編集]

トヨタのワークスチームの中でもエース的存在で、チーム、ドライバーとも人気の高いチームである。2002年には、脇阪寿一・飯田章組がチャンピオンを獲得した。翌年の2003年は、チャンピオン争いで優位に立っていたものの最終戦で失速、惜しくも3ポイント差でザナヴィ ニスモ GT-Rに敗れる。2004年も最終戦までチャンピオン争いを展開するがシーズン未勝利に終わる。

2005年には前半戦は新型のスープラの熟成に苦しみ不調、後半戦でなんとか調子を取り戻したものの、最終戦までチャンピオンの権利は得ていない。

2006年からエースドライバーだった脇阪がトムスに移籍。エースドライバーを失ったチームは徐々に低迷。第3戦・富士ではリストリクターの救済により2位を得たもののその他は予選・決勝を通じてチームは低迷した。

2007年も3位表彰台を2回獲得するもトヨタワークスとしては下位でシーズンを終えている。

2008年には伊藤を据え復活に注目されたが第4戦後に事故で重傷を負ってしまい、代役として飯田がチームに復帰した。なお伊藤は最終戦に復帰した。結果的にチームとしては3位表彰台1回に終わるなど低調なシーズンに終わった。

2009年は表彰台すらなく、厳しいシーズンに終始した。

2010年は勝利こそなかったものの堅実に上位入賞するレースを続け、第4戦を終えてポイントランキング首位に立っており、最終戦までチャンピオン争いの中にいたが、ビルドハイムが予選アタック時にピットシグナルを無視したために、決勝レース時での20秒のピットストップペナルティを受けたなどの要因もあってノーポイントに終わり、チャンピオンも逃した。

2011年は開幕戦となった第2戦富士(第1戦岡山東日本大震災の影響で延期したため)で2位表彰台に立って幸先の良いスタートを切ったが、その後は上位争いに絡めずに終わった。

2012年は開幕2戦こそ不調だったが、第3戦セパンにて3位表彰台に立つと、続く第4戦SUGOにて、まず予選でチームにとって8年ぶりのポールポジションを獲得。決勝ではスタートにて2台のGT-R勢のコースアウトに巻き込まれそうになるも首位をキープ、終盤に大嶋がトムスの中嶋一貴に追い上げられるも凌ぎきり、チームにとって2003年第3戦SUGO以来9年ぶりの勝利を獲得した。

2013年は第2戦岡山で3位、そして最終戦もてぎでポールポジションから逃げ切って勝利し、このレースでシリーズチャンピオンとなったセルモと共に、SC430の有終の美を飾った。

2014年は、開幕2戦で2位・3位と好調だったもののそれ以降は不調に終わった。

過去の参戦歴[編集]

名称 開催年 ドライバー チームランキング
全日本GT選手権 1999年 野田英樹/ワイン・ガードナー 12位
2000年 野田英樹/ワイン・ガードナー 9位
2001年 脇阪寿一/野田英樹 7位
2002年 脇阪寿一/飯田章 チャンピオン
2003年 脇阪寿一/飯田章 2位
2004年 脇阪寿一/飯田章 3位
SUPER GT 2005年 脇阪寿一/飯田章 6位
2006年 飯田章/片岡龍也 12位
2007年 片岡龍也/ビヨン・ビルドハイム 9位
2008年 伊藤大輔(Rd.1-4,9) 飯田章(Rd.5-8)/ビヨン・ビルドハイム 8位
2009年 伊藤大輔/ビヨン・ビルドハイム 11位
2010年 伊藤大輔/ビヨン・ビルドハイム 4位
2011年 伊藤大輔/大嶋和也 10位
2012年 伊藤大輔/大嶋和也 10位
2013年 大嶋和也/国本雄資 5位
2014年 大嶋和也/国本雄資 6位
2015年 大嶋和也/国本雄資 9位
2016年 大嶋和也/アンドレア・カルダレッリ 2位
2017年 大嶋和也/アンドレア・カルダレッリ 3位

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 講師紹介 - NODAレーシングアカデミー高等学院

外部リンク[編集]