岡川恵美子

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岡川恵美子 Tennis pictogram.svg
基本情報
ラテン文字名 Emiko Okagawa
愛称 リキ丸
国籍 日本の旗 日本
出身地 同・東京都杉並区
生年月日 (1964-12-26) 1964年12月26日(52歳)
身長 163cm
体重 58kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1983年
引退年 1992年
ツアー通算 0勝
シングルス 0勝
ダブルス 0勝
生涯通算成績 187勝201敗
シングルス 140勝135敗
ダブルス 47勝66敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(1988)
全仏 1回戦(1984・85・87)
全英 1回戦(1985)
全米 本戦出場なし
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(1988・90)
全仏 1回戦(1985)
全英 1回戦(1985)
全米 1回戦(1985)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 120位
ダブルス 138位

岡川 恵美子おかがわ えみこ, 1964年12月26日 - )は、東京都杉並区出身の女子プロテニス選手。神奈川県立市ヶ尾高等学校卒業。1980年代の日本女子テニス界をリードした選手の1人で、同学年の井上悦子岡本久美子とともに“3人娘”と呼ばれた。「リキ丸」というニックネームは、強力なフォアハンド・ストロークと丸型の体型からつけられたものである。1993年に結婚して「坂口恵美子」という名前になった。

人物[編集]

岡川は東京都杉並区生まれだが、父親の転勤により1歳から9歳までを大阪で過ごした。7歳の時から「帝塚山ローンテニスクラブ」でテニスを始め、根来康夫(ねごろ・やすお)コーチの指導を受けた。同じクラブに通っていた岡本久美子とは、テニスを始めた時からの幼なじみであった。9歳の時に東京都文京区へ移ったが、1年後に根来コーチが帝塚山クラブと掛け持ちで経営していた「青葉台ローンテニスクラブ」で練習を続けるため、横浜市緑区(現在の青葉区)へ引っ越した。中学1年生の時に「全日本ジュニアテニス選手権」の14歳以下の部で優勝し、2年生で同選手権の16歳以下の部、3年生で「全国中学生選手権」に優勝を果たす。こうして全国レベルのジュニア選手になった岡川は、中学3年生の時(1979年昭和54年)には同学年の井上悦子岡本久美子と並んで“中3トリオ”と呼ばれるようになり(当時の歌謡界で「高3トリオ」と呼ばれた山口百恵桜田淳子森昌子にひっかけた呼び名である)、高校進学後は「高校3羽カラス」という呼び名に変わった。1982年全日本テニス選手権で、岡川は女子シングルス決勝で柳昌子を 7-6, 6-1 で破り、当時の最年少記録で初優勝を飾った。全日本選手権の優勝後、岡川は当時の日本で初めての「高校生プロテニス選手」になった。1983年には女子テニス国別対抗戦「フェデレーション・カップ」(現在の名称はフェドカップ)の日本代表選手にも選出された。

岡川の4大大会初挑戦は、1984年全仏オープンであった。この時は予選3試合を勝ち抜き、本戦1回戦でロリ・マクニールアメリカ)に挑戦している。同年の全米オープン全豪オープン(当時は年末開催)では予選1回戦で敗退した。2度目の出場となった1985年全仏オープンで、岡川は予選3回戦で敗れたが、「ラッキー・ルーザー」の資格で本戦1回戦の出場権を得た。(ラッキー・ルーザー:Lucky Loser, テニスの略語では LL と書く。トーナメントに出場資格のある選手が直前に棄権した時、予選敗退選手の中から定められた順番にしたがい、資格のある選手が繰り上げ出場権を得ること)その1回戦で岡川が対戦した相手は、第11シードのシュテフィ・グラフ(当時西ドイツ)であった。当時16歳の少女だったグラフは、予想外の苦戦(スコア:グラフの 7-6, 6-4)にいらだって試合中に「癇癪を起こした」という。岡川とグラフはこれが唯一の対戦で、その後の顔合わせはなかった。岡川の4大大会成績は1988年全豪オープンの3回戦進出が最高で、ラドカ・ズルバコワ(当時チェコスロバキア)に 0-6, 0-6 で完敗している。全仏オープンは1987年、全米オープンは1988年で断念したが(全米オープンはすべて予選敗退、本戦出場なし)、1991年ウィンブルドン1992年全豪オープンまで予選会に挑戦を続けた。

1988年の夏に「右足首剥離骨折」の故障を起こし、しばらく低迷が続いたが、1990年全日本テニス選手権で復活優勝を果たす。その過程で、岡川は4回戦で神尾米、準々決勝で伊達公子、準決勝で岡本久美子を破って勝ち進んだ。雉子牟田明子との決勝戦は雨のため3日間を要したが、岡本は雉子牟田を 1-6, 6-3, 6-2 の逆転で破り、8年ぶり2度目の全日本優勝を飾った。その後1991年1993年の2度全日本選手権の決勝に進出したが、1991年伊達公子1993年遠藤愛にストレートで敗れている。1993年に結婚して「坂口恵美子」の名前になる。その後2人の子供が生まれ、坂口恵美子は“ママさんプロ”として日本国内の試合に出場した。2001年、自伝『リキ丸のテニスがくれた贈り物』が新日本出版社から出版された。

岡川恵美子は最近でも、日本国内トーナメントの40歳以上の部で好成績を挙げており、「毎日テニス選手権」の「ベテラン女子シングルス・ダブルス」の「40歳-50歳以上」の部において、2004年-2008年に女子シングルス5連覇を果たしている。[1]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]