森昌子

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森昌子
出生名 森田昌子
生誕 (1958-10-13) 1958年10月13日(59歳)
出身地 日本の旗 日本栃木県宇都宮市
学歴 堀越高等学校卒業
ジャンル 演歌歌謡曲
職業 演歌歌手女優
担当楽器
活動期間 1972年 - 1986年
2006年 -
レーベル 徳間音楽工業
(1972年 - 1979年)
ポニーキャニオン[1]
(1979年 - 2008年)
おんがく工房
(2009年 - 2011年)
キングレコード
(2012年 - )
事務所 ホリプロ(1971年 - 1986年 / 2006年 - 2008年3月)
おんがく工房(2008年4月 - )
公式サイト morimasako.jp
美空ひばり島倉千代子都はるみ園まり西田佐知子

森 昌子(もり まさこ、1958年10月13日 - )は、日本アイドル演歌歌手女優。本名、森田 昌子(もりた まさこ)。栃木県宇都宮市出身。

前夫は森進一。長男はロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリストであるTakaこと森内貴寛。次男はテレビ東京に勤務するサラリーマン[2]、三男はロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカリストであるHiroこと森内寛樹

来歴[編集]

生い立ちと学歴[編集]

芸能界デビュー[編集]

  • 1971年(昭和46年) 同年10月開始の日本テレビスター誕生!』(1971)に13歳で出場。初代グランドチャンピオンとなる。同番組には、昌子本人ではなく、激しい人見知りを克服してほしい母親が内緒で申し込んだもの。オーディション当日は、「洋服を買ってあげるついでだから」という口実で歌を歌わせた。
    • グランドチャンピオンになった結果、家に色々な芸能プロダクションが来て、昌子を芸能界に勧誘するようになった。父親は猛反対だったものの、家が貧しかったこと、母親の体が弱かったことから、家計の助けになるであろうと、昌子本人が父を説得して芸能界デビューした。ホリプロダクション(現ホリプロ)に所属。ホリプロに決めたのは、学業と両立させてくれるからだった。
  • 1972年(昭和47年)7月1日、徳間音工から『せんせい』で歌手デビュー。当時のキャッチフレーズは、「あなたのクラスメート」と称された。その翌年デビューした同学年の山口百恵桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれる。
  • 1973年第24回NHK紅白歌合戦に出演。なお、この中三トリオで最初にNHK紅白歌合戦に初出場を果たしたのは森であり、当時女性最年少の15歳での出場だった。なお、現在の女性最年少記録は芦田愛菜の7歳。
  • 1973年(昭和48年)、松竹の『男じゃないか・闘志満々』で映画デビュー。同年、『としごろ』で主演に抜擢された。この年から開催された『ものまね王座決定戦』の初代チャンピオンとなる。
  • 1975年(昭和50年)、『花の高2トリオ・初恋時代』で初めて山口・桜田と共演。また、この年3〜4月に開催された、春の選抜高等学校野球大会第47回)に『おかあさん』が入場行進曲に選ばれ、森もセンバツ大会の開会式にゲスト出演した。
  • 1977年(昭和52年)、堀越高校を卒業。同期卒業生には岩崎宏美岡田奈々池上季実子らがいる。

演歌歌手へ[編集]

  • 1977年(昭和52年)の『なみだの桟橋』以降、本格的な演歌歌手への道を歩み始め、『津和野ひとり』『彼岸花』(1978年・昭和53年)など、難易度の高い曲を歌いこなせる実力派へと成長。
  • 1979年(昭和54年)、新宿コマ劇場で史上最年少女座長として『森昌子公演』を行う。
  • 1981年(昭和56年)、第32回NHK紅白歌合戦では『哀しみ本線日本海』で出場9回目、23歳にして初の紅組トリを務める。
  • 1983年(昭和58年)、『越冬つばめ』で第25回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。感激の余り受賞時に嬉し涙を流しながら歌い、その後の第34回NHK紅白歌合戦でも泣きながらの歌唱となる。このほか、TBSの金曜ドラマ『想い出づくり』などドラマにも出演、女優としても活躍した。
  • 1984年(昭和59年)、NHKみんなのうた』で、『海へ来て』を歌う。放送期間は、1984年(昭和59年)8月1日 - 9月30日(再放送は5回)。
  • 1985年(昭和60年)、第36回NHK紅白歌合戦で初の紅組司会を、歌手出番では2度目の紅組トリをそれぞれ務める『愛傷歌』の歌唱前から感極まって号泣したため、途中で歌えなくなった。

結婚と引退[編集]

  • 1986年(昭和61年)10月1日、森進一と結婚。これに先立ち8月、引退コンサートおよび引退記念曲『〜さようなら〜』を発表し歌手業を引退。
  • 進一との結婚式はテレビで生中継され、視聴率45.3%を叩き出すなど、日本中の注目を集めた。ただ、その裏では自宅に空き巣が入ったという。昌子は「結婚式の間に、ウチに泥棒が入った。生放送しているので、ウチには誰もいないだろうということで泥棒が…」と生放送がアダとなったと話した。「ドレスのまま、家に帰ったらセコムとパトカーがいて、どうしたんだろうと思ったら泥棒だった」と語る。貴金属一式が盗まれ、「ウエディングドレスを着たままソファに座って…」警察官の聴取を受けたという[3]
  • 1996年4月、長男・貴寛の小学校入学式の模様を一部マスコミに撮影され、昌子が激怒するという事態が発生[4]
  • 2001年12月31日、第52回NHK紅白歌合戦へ16年ぶりに出場。これを機に、夫婦共演形式でのコンサートツアーおよびCD吹き込みのみと限定的ながら復帰。ただし、この以前にもテレビ朝日『徹子の部屋』に出演するなど、芸能活動を稀に行うことがあった。
  • これまで進一との夫婦関係は良好だったが、夫婦共演形式での『ジョイントコンサート』の継続は、主婦業と仕事を両立させようとする昌子にとって心身ともに大変な負担であり、夫婦の溝が深まる大きな原因となった[5]

離婚[編集]

  • 2005年2月、自宅で過呼吸の発作を起こし、意識を失って倒れ緊急入院した。薬物中毒と診断され、集中治療室にて胃洗浄を受けた。過換気症候群とも呼ばれる一種のパニック障害だった。集中治療室から一般病棟に移って間もなく、夫の進一が医師に退院を要請し、本人の同意の上で、わずか1日で退院した。このことが様々な憶測を呼び、ワイドショー週刊誌に不仲説が取り上げられて、後の離婚騒動に発展した。3月、進一と別居。4月19日、離婚を発表。親権を長男が昌子側、次男と三男が進一側で持ち、養育権は3人とも昌子側とすることを進一が提案し、昌子が同意した。養育費は1人につき13万円として進一が負担した[5]

芸能界復帰後[編集]

  • 2006年3月27日、旧所属事務所のホリプロから歌手として復帰することを正式発表。4月、幻冬舎から初エッセー集『明日へ』を刊行。その後、和田アキ子・片平なぎさ榊原郁恵らにより、『おかえり! 昌子 激励の会』が開かれ、関係者700人が詰め掛けた。5月、『NHK歌謡コンサート』でテレビに復帰。『哀しみ本線日本海』『越冬つばめ』『父娘草』を涙ながらに熱唱した。以後意欲的にテレビ出演などの活動を行う。6月7日、古巣のポニーキャニオンから20年ぶりの新曲『バラ色の未来』をリリース(初登場14位で、初登場としては過去最高の順位。ジャケットタイトルは森大衛揮毫)。この年の暮れには、同曲で第57回NHK紅白歌合戦に5年ぶりに出場した。元夫・進一との競演が注目されたが、結局順序をずらしての出演となり、2人が同じステージに出演する場面は一度も無かった。なお、2007年(平成19年)以降、紅白には出場していない。
  • 2007年 上期のNHK連続テレビ小説どんど晴れ』で女優業を本格再開。7月13日には22年ぶりのドラマ主演となる金曜プレステージお母さん ぼくが生まれてごめんなさい』放送。
  • 同年9月26日、体調不良を訴え、急性肺炎により急遽入院。同日予定していた熊本のコンサートを始め、同年内のツアーの中止を発表。
  • 2008年2月5日、『NHK歌謡コンサート』で『越冬つばめ』を歌い、芸能活動を再開した。
  • 同年3月31日、ホリプロを退社。4月1日に個人事務所おんがく工房を設立。
  • 2009年2月28日個人事務所、おんがく工房より通販による新曲『子供たちの桜』リリース。
  • 同年5月、子宮筋腫の手術を受ける。
  • 同年12月31日、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』大晦日年越しSP『絶対に笑ってはいけないホテルマン24時』の中で、デビュー当時の髪型、衣装で『せんせい』を熱唱した。
  • このころから更年期障害貧血、デビュー当時の歌唱力を失った自信喪失などからうつ状態に陥る。
  • 2010年5月17日、子宮頸癌治療のため、子宮を全摘出手術[6]。癌と知って一時的に自殺願望が生まれたことを告白、退院時の記者会見の模様も放送された。
  • 2011年3月23日、レコード会社をホリデージャパンに移籍。新レーベル、ハートソングレコーズから『洗濯日和』をリリース。
  • 2012年11月21日 レコード会社をキングレコードに移籍し「人生に乾杯」を発売
  • 2016年7月1日 デビュー45周年を迎えた、同日、記念シングル「百年の恋歌」 アルバム「百年の恋歌~時を終えて』を発売。当日は自身初のクラブでの記念ライブショーが東京丸の内の「コットンclub」で開催された。

特記事項[編集]

親交
  • 美空ひばりに大変可愛がられていた。ひばりがテレビ局に共演を持ちかけ、昌子を楽屋に呼んだことが最初の対面である。そのときひばりの歌を歌って気に入られ、自宅に招かれて、直接歌を習ったりすることもたびたびあった。ひばりは自らを「オネエチャマ」と呼ばせ、レッスンが遅くなると彼女を自宅に泊めたりもした[7]
  • 美空ひばりからはプライベートで「マチャコ」と呼ばれていたが、初対面での印象「まあ、ちっちゃい子」から「マチャコ」と呼ぶようになった。ひばりはプライベート以外TV・ラジオなど公の場では絶対に「マチャコ」と呼ぶことはなかった。愛川欽也が「マチャコ」と呼んだとき、ひばりさんから「森昌子」って名があるのよと注意されている。
カバー
物まね
  • 南沙織や あべ静江、小柳ルミ子 の歌マネは絶品で最近売れてる本職のモノマネ芸人よりも完成度が高く、声だけ聴いてたら当人と聴き分けが困難なほど上手い物真似で清水ミチコやコロッケも脱帽した。
  • 先述の通りものまねが上手かったため、ある生放送番組でアグネス・チャンといたずらをしかけた。自分の手番にアグネスがこっそり音声をオフにし、舞台裏から昌子が別のマイクで彼女の歌をあてた。スタッフ一同誰もそのことに気づかず、昌子がばらしたときは怒られるどころか、ものまねの上手さに驚かれ賞賛されたという。[8]
  • その他、八代亜紀など歌マネのレパートリーの幅は本職のモノマネ芸人よりも多いくらい幅がひろい。
いたずら
  • 若い時はかなりのやんちゃで、八代亜紀がよくいたずらのターゲットになった。髪の毛をかためるスプレーを缶一本使い切る程ふりかけたり、八代が綺麗なヒラヒラのドレスを着ていた時、中身がどうなっているか確認するためめくったりした(本人いわく「ビラ〜ンとまくったら足だった」)。八代が1977年(昭和52年)第28回NHK紅白歌合戦の紅組トリで「おんな港町」を歌い出す時、昌子がマイクのコードを知らずに踏んでいて、あやうくステージ中央に間に合わないところだった(実際の映像) ことを、30数年の時を経て本人に謝罪した。ただし昌子は、それが『舟歌』の時だと記憶違いをしていた。
中三トリオ
  • 中三トリオと呼ばれた昌子、百恵、桜田の三人は、生放送本番直前まで一緒にトイレに隠れたりして、スタッフをよく困らせていた。2006年の昌子の著書『明日へ』では、三人はそれほど親しくはなく、ハワイに行った時も同室で気まずい空気になった、と述べているが、一方で自伝的エッセイ『それはじんせい』(2011年)の付属写真では、昌子が桜田の頬にキスする程親しい仲である、と書いており、内容が矛盾している。
  • デビュー前の山口百恵は昌子の付き人であり、昌子の家に下宿していた。
家族
  • 子煩悩で子育てに厳しく、挨拶は徹底し、偏食しないよう気を遣い、兄弟間でも長幼有序を守らせた。成人後も弟は兄に敬語で話すという。また、テレビに自身の映像が映りそうになると素早く察知して電源を消すようにし、国民のアイドルではなく子供達だけの母親であるように努めたという。
その他
  • 2005年頃より通信カラオケシステムDAMの機種改良に伴い、同機種で配信する森の代表曲で背景映像に森本人が出演する映像が多く採用されている。主な作品は以下の通りである。
    • あなたを待って三年三月
    • 哀しみ本線日本海
    • 立待岬
  • 19歳の時に、単身でアメリカのロサンゼルスへ旅行。友人宅に泊めてもらい逗留しつつ、アメリカの若者を観察して、アイドルとして輝いているはずの自分がアメリカの若者に見られるような輝きを持っていないのはなぜか、と考えたという。

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1973年(昭和48年)/第24回 せんせい 03/22 野口五郎
1974年(昭和49年)/第25回 2 おかあさん 09/25 菅原洋一
1975年(昭和50年)/第26回 3 あなたを待って三年三月 09/24 にしきのあきら
1976年(昭和51年)/第27回 4 恋ひとつ雪景色 13/24 三橋美智也
1977年(昭和52年)/第28回 5 なみだの桟橋[9] 22/24 春日八郎
1978年(昭和53年)/第29回 6 彼岸花 20/24 三波春夫
1979年(昭和54年)/第30回 7 ためいき橋 20/23 森進一(1)
1980年(昭和55年)/第31回 8 波止場通りなみだ町 20/23 千昌夫
1981年(昭和56年)/第32回 9 哀しみ本線日本海 22/22 北島三郎 トリ(1)
1982年(昭和57年)/第33回 10 立待岬 18/22 細川たかし
1983年(昭和58年)/第34回 11 越冬つばめ 19/21 五木ひろし
1984年(昭和59年)/第35回 12 涙雪 16/20 大川栄策
1985年(昭和60年)/第36回 13 愛傷歌 20/20 森進一 (2) トリ(2)
2001年(平成13年)/第52回 14 森昌子メモリアルスペシャル
(せんせい〜哀しみ本線日本海〜越冬つばめ)
23/27 美川憲一
2006年(平成18年)/第57回 15 バラ色の未来 12/27 前川清

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。

音楽[編集]

シングル[編集]

# 発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲
1970年代
1 1972年
7月1日
せんせい 阿久悠 遠藤実 只野通泰
2 1972年
10月25日
同級生 阿久悠 遠藤実 只野通泰
3 1973年
2月5日
中学三年生 阿久悠 遠藤実 只野通泰
4 1973年
5月5日
夕顔の雨 阿久悠 遠藤実 只野通泰
5 1973年
8月25日
白樺日記 阿久悠 遠藤実 斉藤恒夫
6 1973年
10月31日
記念樹 阿久悠 森田公一 馬飼野俊一
7 1974年
2月10日
若草の季節 阿久悠 森田公一 高田弘
8 1974年
4月20日
下町の青い空 横井弘 遠藤実 斉藤恒夫
9 1974年
7月1日
今日も笑顔でこんにちわ 藤田まさと 新井利昌 高田弘
10 1974年
9月1日
おかあさん 神坂薫 遠藤実 斉藤恒夫
11 1974年
12月1日
北風の朝 阿久悠 新井利昌 斉藤恒夫
12 1975年
3月1日
春のめざめ 阿久悠 平尾昌晃 竜崎孝路
13 1975年
6月1日
面影の君 阿久悠 平尾昌晃 馬飼野俊一
14 1975年
9月1日
あなたを待って三年三月 阿久悠 新井利昌 小杉仁三
15 1975年
12月1日
あの人の船行っちゃった 山口あかり 遠藤実 斉藤恒夫
16 1976年
3月1日
おばさん 浜口庫之助 高田弘
17 1976年
6月1日
夕笛の丘 山口あかり 新井利昌 小杉仁三
18 1976年
8月1日
どんぐりッ子[10] 横井弘 高田弘
19 1976年
9月1日
少年時代 阿久悠 遠藤実 小六禮次郎
20 1976年
10月10日
恋ひとつ雪景色 阿久悠 井上忠夫 馬飼野俊一
- 1977年
-
八千代ふるさと音頭[11] 金子千恵子
山口あかり
新井利昌 斉藤恒夫
21 1977年
1月25日
小雨の下宿屋 山口あかり 高田弘
22 1977年
5月1日
港のまつり わたなべ研一 沖田宗丸 馬飼野俊一
23 1977年
8月1日
なみだの桟橋 杉紀彦 市川昭介 馬飼野俊一
24 1977年
12月1日
春の岬 杉紀彦 市川昭介 竜崎孝路
25 1978年
3月1日
父娘草 山口あかり 八角朋子 馬飼野俊一
26 1978年
6月1日
津和野ひとり 山上路夫 新井利昌 竜崎孝路
27 1978年
9月5日
彼岸花 阿久悠 出門英 小六禮次郎
28 1978年
10月25日
晴れたり降ったり曇ったり[12] 山上路夫 佐々木勉 高田弘
29 1979年
1月21日
夕子の四季 阿久悠 出門英 小六禮次郎
30 1979年
3月5日
翔んでけ青春 藤田まさと 新井利昌 高田弘
31 1979年
6月5日
銀のライター 阿久悠 猪俣公章 斉藤恒夫
32 1979年
10月21日
ためいき橋[13] 杉紀彦 市川昭介 小杉仁三
1980年代
33 1980年
2月21日
故郷ごころ 山田孝雄 市川昭介 小杉仁三
34 1980年
6月21日
信濃路梓川 いではく 遠藤実 斉藤恒夫
35 1980年
9月21日
波止場通りなみだ町 西沢爽 遠藤実 斉藤恒夫
36 1981年
1月21日
北寒港 さいとう大三 浜圭介 竜崎孝路
37 1981年
7月10日
哀しみ本線日本海 荒木とよひさ 浜圭介 竜崎孝路
38 1982年
3月21日
鷗唄 高田ひろお 小林亜星 竜崎孝路
39 1982年
8月10日
立待岬 吉田旺 浜圭介 馬飼野俊一
40 1983年
4月5日
ふるさと日和 杉紀彦 森田公一 竜崎孝路
41 1983年
8月21日
越冬つばめ 石原信一 篠原義彦 竜崎孝路
42 1984年
4月21日
寒椿 中山大三郎 船村徹 丸山雅仁
43 1984年
10月5日
ほお紅 SHOW 小杉保夫 小六禮次郎
44 1985年
2月21日
恋は女の命の華よ たかたかし 浜圭介 薗広昭
45 1985年
7月21日
愛傷歌 石本美由起 三木たかし
46 1986年
5月2日
孤愁人 石本美由起 三木たかし
47 1986年
8月21日
いつまでも
〜愛彩川〜
石本美由起 三木たかし
48 1986年
8月21日
ありがとう
〜雛ものがたり〜
石原信一 篠原義彦 竜崎孝路
49 1986年
8月21日
そして、今
…悲しみの終着駅…
荒木とよひさ 浜圭介 竜崎孝路
50 1986年
8月21日
〜さようなら〜 阿久悠 遠藤実 薗広昭
2000年代
51 2006年
6月7日
バラ色の未来[14] なかにし礼 浜圭介 萩田光雄
52 2007年
1月17日
こころ雪 なかにし礼 浜圭介 萩田光雄
53 2007年
10月3日
綺麗 石原信一 円広志 竜崎孝路
54 2009年
2月28日
子供たちの桜 荒木とよひさ 都志見隆
2010年代
55 2011年
3月23日
洗濯日和 荒木とよひさ 松本俊明 林有三
56 2011年
11月9日
愛は流れる なかにし礼 浜圭介 若草恵
57 2012年
11月21日
人生に乾杯[15] 浜圭介 竜崎孝路
58 2013年
6月26日
はぐれどり さわだすずこ 浜圭介 蔦将包
59 2014年
4月16日
花魁 阿木燿子 宇崎竜童 桜庭伸幸
60 2015年
3月4日
惚れさせ上手 阿木燿子 宇崎竜童 萩田光雄
61 2015年
10月21日
心は哀しいものですね 松井五郎 浜圭介 若草恵
62 2016年
7月1日
百年の恋歌 加藤登紀子 若草恵
63 2017年
1月25日
みぞれ酒 田久保真見 岡千秋 伊戸のりお
64 2017年
8月9日
哀しみの終着駅 荒木とよひさ 浜圭介 矢野立美
65 2018年
1月24日
好きかもしれない
〜大阪物語〜[16]
紙中礼子 円広志 矢野立美

アルバム[編集]

  • 「せんせい/同級生」 発売元 徳間ジャパン 1972年11月25日発売
  • 「中学三年生」 発売元 徳間ジャパン 1973年3月25日発売
  • 「マコ想い出の歌」 発売元 徳間ジャパン 1973年6月25日発売
  • 「白樺日記〜マコ初恋へのあこがれ」 発売元 徳間ジャパン 1973年10月1日発売
  • 「若草の季節〜マコの好きなヒット曲」 発売元 徳間ジャパン 1974年4月1日発売
  • 「森昌子ショウ〜下町の青い空」 発売元 徳間ジャパン 1974年6月1日発売
  • 「おかあさんに捧げる詩」 発売元 徳間ジャパン 1974年12月1日発売
  • 「十六歳の演歌〜他人船」 発売元 徳間ジャパン 1975年2月1日発売
  • 「森昌子ショウ〜北風の朝」 発売元 徳間ジャパン 1975年3月1日発売
  • 「森昌子民謡集〜北海盆唄」 発売元 徳間ジャパン 1975年9月10日発売
  • 「あの人の船行っちゃった」 発売元 徳間ジャパン 1975年12月1日発売
  • 「五周年森昌子ショウ-初姿-」 発売元 徳間ジャパン 1976年3月1日発売
  • 「森昌子十七才の演歌〜別れの一本杉」 発売元 徳間ジャパン 1976年7月1日発売
  • 「青春の日記 森昌子五周年記念アルバム」 発売元 徳間ジャパン 1976年9月1日発売
  • 「森昌子歌舞伎座特別公演 青春の熱唱」 発売元 徳間ジャパン 1976年11月10日発売
  • 「森昌子傑作民謡第二集」 発売元 徳間ジャパン 1977年1月21日発売
  • 「新春特別公演森昌子ショー“演歌に涙と青春を”1977年1月18日 浅草国際劇場」 発売元 徳間ジャパン 1977年3月1日発売
  • 「森昌子十八歳の演歌 南国土佐を後にして/長崎物語」 発売元 徳間ジャパン 1977年7月1日発売
  • 「新歌舞伎座特別講演ライブ 涙の熱唱」 発売元 徳間ジャパン 1977年11月1日発売
  • 「すぐに消えそうな愛なら」 発売元 徳間ジャパン 1978年4月1日発売
  • 「十九歳の演歌 港・桟橋・別れ唄」 発売元 徳間ジャパン 1978年7月1日発売
  • 「お嫁にゆきます 森昌子デビュー7周年記念東宝映画 サウンドトラック盤」 発売元 徳間ジャパン 1978年9月5日発売
  • 「森昌子デビュー7周年記念リサイタル 〜熱唱ひとり舞台〜 1978年9月21日 帝国劇場」 発売元 徳間ジャパン 1978年11月1日発売
  • 「昌子哀愁」 発売元 徳間ジャパン 1979年7月1日発売
  • 「二十歳の演歌 銀のライター/みちづれ」 発売元 徳間ジャパン 1979年8月1日発売
  • 「旅立ち」 発売元 ポニーキャニオン 1980年3月21日発売
  • 「森昌子古賀メロディーを唄う 〜二十一歳の演歌〜」 発売元 ポニーキャニオン 1980年7月21日発売
  • 「そしてひとり」 発売元 ポニーキャニオン 1980年11月21日発売
  • 「北寒港」 発売元 ポニーキャニオン 1981年4月21日発売
  • 「森昌子十周年記念リサイタル 1981年9月26日 大阪厚生年金ホール」 発売元 ポニーキャニオン 1981年11月21日発売
  • 「北のおんな」 発売元 ポニーキャニオン 1982年5月21日発売
  • 「立待岬…愛しき人へ」 発売元 ポニーキャニオン 1982年11月21日発売
  • 「北風は暖かい〜今、故郷は…〜」 発売元 ポニーキャニオン 1983年8月21日発売
  • 「森昌子 艶華12」 発売元 ポニーキャニオン 1984年3月21日発売
  • 「女の暦〜ゆれる想い〜」 発売元 ポニーキャニオン 1984年12月5日発売
  • 「愛傷歌〜やがて秋から冬へ〜」 発売元 ポニーキャニオン 1985年10月21日発売
  • 「日本のうた〜森昌子15周年記念」 発売元 ポニーキャニオン 1986年1月21日発売
  • 「おぼえていますか、あの時を…」 発売元 ポニーキャニオン 1986年8月5日発売
  • 「いつまでも ありがとう そして、今…さようなら」 発売元 ポニーキャニオン 1986年8月21日発売
  • 「あのころ」 発売元 ポニーキャニオン 2007年8月22日発売
  • 「時の過ぎゆくまま〜心のスクリーン〜」 発売元 キングレコード 2014年3月5日発売
  • 「森昌子ベスト15 今、あなたへ」 発売元 キングレコード 2014年9月17日発売
  • 「ゴールデン☆アイドル」森昌子 「せんせい」〜「さよなら」までシングルAB面全99曲を収録 発売元 ポニーキャニオン 2015年2月11日
  • 「百年の恋歌~時を超えて~」45周年記念アルバム プロデューサー:加藤登紀子 発売元 キングレコード 2016年7月1日発売

主な出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

バラエティ番組等[編集]

当時芸能人のものまね番組の常連であった。

ラジオ・有線 番組[編集]

現在ONエアー中

舞台[編集]

  • 西川きよし芸能生活50周年を記念「コメディ 水戸黄門」
    千代役で友情特別出演 なんばグランド花月 2013年9月6日(金)初日 - 28日(土)
    音楽喜劇「のど自慢」~上を向いて歩こう~2017年6月29日~

主な受賞歴[編集]

CM[編集]

主著[編集]

  • 森昌子 『明日へ』 幻冬舎、2006年、149頁。ISBN 4-344-01154-6
  • 森昌子 『それはじんせい』主婦と生活社 週刊女性2010年7月 - 2011年5月連載 再編集2012年

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ただし1979年 - 1987年9月まではキャニオン・レコード名義。
  2. ^ とんねるず、テレ東初出演“裏話”も披露 サンケイスポーツ 2012年8月16日閲覧
  3. ^ 森昌子、森進一との結婚披露宴の裏でハプニング!テレビ生中継で自宅に空き巣が…,スポーツ報知,2016年11月6日
  4. ^ 1996年4月9日放送のテレビ朝日スーパーモーニング』より。
  5. ^ a b 森昌子明日へ』 舘野晴彦(編集)、菊地朱雅子(編集)、斉藤さゆり(構成)、幻冬舎、東京都渋谷区千駄ケ谷四丁目9番7号、2006年4月15日、初版(日本語)。ISBN 4-344-01154-6
  6. ^ テレビ朝日『徹子の部屋』2011年11月21日放映。
  7. ^ BSフジ『歌人伝説』2012年3月24日放映
  8. ^ 関西テレビ『雨上がり食楽部』2011年11月19日放送より
  9. ^ それから10年後の1987年第38回NHK紅白歌合戦でも、松原のぶえが当曲を歌唱している。
  10. ^ 東宝映画「どんぐりッ子」の主題歌として使用された。
  11. ^ 八千代市・市民のうた。八千代市市制10周年記念として依頼を受けて歌唱した。
  12. ^ テレビ朝日系テレビドラマ「おはなちゃん繁昌記」の主題歌として使用された。
  13. ^ ポニーキャニオン移籍後、初のシングル。
  14. ^ 歌手復帰後、初のシングル。
  15. ^ キングレコード移籍後、初のシングル。
  16. ^ 円広志とのデュエット。

外部リンク[編集]