山本譲二

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山本譲二
出生名 山本譲二
別名 琴五郎(筆名)
伊達春樹(旧名)
生誕 (1950-02-01) 1950年2月1日(68歳)
出身地 日本の旗 日本 山口県下関市
学歴 早鞆高等学校
ジャンル 演歌
職業 演歌歌手俳優
担当楽器
活動期間 1974年 -
レーベル ポニーキャニオン
1980年 - 1999年
テイチクエンタテインメント
2000年 - )
事務所 北島音楽事務所→ジョージ・プロモーション
共同作業者 北島三郎
小金沢昇司
公式サイト 山本譲二公式サイト

山本 譲二(やまもと じょうじ、1950年2月1日 - )は、日本演歌歌手である。本名同じ。山口県下関市出身。所属事務所はジョージ・プロモーション、現在の所属レコード会社はテイチクエンタテインメントである。筆名「琴五郎」名義で、楽曲の作詞作曲も行っている。

なお、歌手としてのラテン文字表記はGeorge Yamamotoである。娘は歌手の山本琴乃[1][2]

来歴・人物[編集]

夏の甲子園大会に出場[編集]

早鞆高等学校在学中3年生時の1967年夏、山口県(当時・西中国)代表として第49回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に出場。1回戦で松商学園長野県代表)に0-3で初戦敗退に終わったが、代打出場としてヒット(内野安打)を放って1塁に出塁した。

不遇の下積み時代[編集]

演歌歌手になりたくて上京。多くの職を転々とする。クラブのボーイ時代、お客の飲み残しのビールを飲み干す。中にはタバコの吸い殻がたくさん入っていた。肝臓を壊しやむなく帰郷、ひっそりと療養生活を送る。母親の叱咤で強い決意を持ち22歳で再び上京。再び職を変えながらスナックでギターを手に2年間弾き語りを続ける。たまたま店に来た浜圭介に誘われ芸能界入りした。1974年映画ダーティハリー」にかけて、「伊達春樹」という芸名でビクターからシングル「夜霧のあなた」でデビューしたが、パッとせず、崖っぷちに立たされた。

北島三郎との出会い[編集]

最後の決意で北島三郎の仕事場に何度も足を運び頭を下げ、十数回繰り返したときに北島から突然、鞄(かばん)を渡された。即ち「鞄持ちになれ」という意味であり、以降2年間北島の付き人を務める(当時の北島はまだ30代前半と若く、筋骨隆々としていたため、甘え容赦ない修行の毎日をすごした)。25歳だった。これを契機に1976年読売テレビ制作の歌謡オーディション番組「全日本歌謡選手権」(当時は浜村淳が司会)に出場、「おもいで岬」や「中の島ブルース」などを歌って見事10週勝ち抜いた。本名でもある「山本譲二」名義でポニーキャニオンから再デビュー。またも鳴かず飛ばずが続く。

「みちのくひとり旅」で大ヒット[編集]

1980年、30歳の時に『みちのくひとり旅』をリリース。北島等からは「この曲で駄目(売れない)なら、もう(歌手を)諦めろ」と言われていたと言う。しかしこの曲も発売当初は売れずヒットには更に10ヶ月を要した。年を越し1年近くが経過。1981年フジテレビの「夜のヒットスタジオ」に注目曲として出演すると大きな反響を呼び大ヒットし、演歌スター歌手への仲間入りをようやく果たす。当時31歳の時だった。

この『みちのくひとり旅』で1981年末の「第23回日本レコード大賞」ロング・セラー賞を受賞、さらに「第32回NHK紅白歌合戦」の初出場も果たす。最終的なレコード売上は130万枚[3]を記録した。なお同曲がヒットしていた頃、あるテレビ番組の企画で無人の甲子園球場のマウンドでこの曲を独唱したり、さらにTBSテレビの「ザ・ベストテン」では、上半身裸で一丁の姿をさらけ出しながら歌唱したこともあった。

こうした経緯から北島を親父と慕い、北島ファミリーの旗頭的存在となった。代表的な歌曲に『みちのくひとり旅』のほか、『旅の終りはお前』『奥入瀬』『花も嵐も』『名もない花に乾杯を』『浪漫-ROMAN-(「憲三郎&ジョージ山本」として)』など(もちろん長年の修行が実った上で初めて親父と呼ぶことを許された。それまでは先生という呼び方をしないと厳しく叱責された)。

時代劇に出演[編集]

1997年テレビ朝日の『暴れん坊将軍』では、め組の頭長次郎役を演じる。VIIIシリーズから800回スペシャルまで長次郎を演じた。

他にも、松平健田村亮北島三郎高島忠夫松金よね子生稲晃子名古屋章中村あずさ松下恵が出演していた。また北島が暴れん坊将軍に準レギュラーで出演する時には、北島が演じていた辰五郎を親父さんと呼んでいた。

また北島がめ組の頭時代に辰五郎に恨みを持つ役、め組の頭降板後は萩藩毛利吉元役でゲスト出演している。

テイチクエンタテインメントへ移籍[編集]

平成に入ると演歌が急速に衰退、1999年には所属していたポニーキャニオンが演歌・歌謡曲部門の廃止を決定。このためテイチクエンタテインメントへ移籍、2000年には移籍第1弾シングル「花も嵐も」を発売する。

野球への情熱[編集]

2005年、故郷・山口県に社会人野球クラブチームを設立する計画を表明した。チーム名は「山口きららマウントG」で、自ら総監督に就任。また池永正明を監督として招聘したため話題性もあり高い注目を集めている。都市対抗野球大会の出場を目指すという。

2012年の第84回選抜高等学校野球大会に母校の早鞆高等学校の出場が決まった際には自らのブログで「俺の時以来だもんな、ぶちうれしいけ!」と喜びのコメントを発し[4]、母校を援助するべく寄付金を募り、かつ自ら応援団長を買って出る意気込みを見せている[5]

事務所から独立[編集]

2007年1月1日から北島音楽事務所を独立して個人事務所ジョージ・プロモーションを立ち上げた。暖簾分けという形であり、今も北島音楽事務所とは業務提携という形で強いつながりを持つ。

病気告白[編集]

2009年7月、右耳内部に良性腫瘍ができていることが明らかになったものの、除去手術を行った場合顔面麻痺が残る可能性があることから、手術するかどうか迷う胸中をブログに綴った。

7月23日福岡放送めんたいワイド』に出演。もともとキャンペーンの一環として出演が決まっていたものの、病気を受けて急きょ内容が変更され、山本が経緯と今後の決意を語った。番組では、左耳に聴覚補助イヤホンをつけてやっと普通に聞こえる状態であったが、「ファンの励ましのメッセージが力になった」旨発言している。

2017年6月30日、フジテレビの「訂正させください」に出演した際、右耳の聴力を失ってから8年が経過し、左耳も聞こえなくなっていることを明かした[6]

師匠の後追い地デジのPR[編集]

2010年、“関門ジョージ”の名で「関門地デジすすめ隊」隊長に任命された。任命権者は不明だが、全国で著名人などが任命されている「地デジ化応援隊」の一種である。師匠・北島が既にその前年からデジタル放送推進協会(Dpa)の要請で「地デジで元気!音頭」を作曲・歌唱してテレビのデジタル化に貢献し、総務省から同じく「地デジ化応援隊」隊員に指名されたという経緯がある。

地元下関では長らく北九州市皿倉山から発射される電波をアンテナで直接拾う世帯がほとんどであったが、完全デジタル化により、その視聴エリアが狭まる。NHK山口放送局などではこれを地元に視聴者を奪い返すチャンスととらえており、アンテナの方向転換などの呼びかけを行っている。同局大使・牛田茉友が出演した同年7月24日放送のPR番組はそのことを周知徹底するために、わざわざ北九州局の総合アナログ波(6chで送信)まで使って放送され、[7]その番組に於いて山本が“関門ジョージ”として登場し、県西部地域における地デジ化に貢献する旨の挨拶を行った。[8]

このキャンペーンは現段階ではNHK単独で進められているものの、実質的には「デジサポ山口」[9]がNHKに委託実施している形態である。これは、

  • 山口・福岡両県とも民放は県単位の放送となっており、山口県内で特によく見られている福岡の民放が山口県内に系列の無いフジテレビ系テレビ西日本。北九州アナログ10ch)が中心となっていること
  • 県域放送のため福岡の民放で告知CMを打てないこと
  • NHKは先述の通り北九州市にも放送局があり、福岡局と別の編成が可能であること

以上の理由による。8月9日からは、北九州局でも「関門海峡」をBGMに使用した“関門ジョージ”のスポット放送が始まった。

交友関係にまつわるエピソード[編集]

酒に酔って前川清の家でウォシュレットを使い、便所を水浸しにしたというエピソードがある。その前川や吉幾三は親友である。

鳥羽一郎と二人で10分で1升の日本酒をあけたと云う話もある。これはウチくる!?[10]出演時の発言であるが、このときは1軒目からビール、焼酎などを飲み続け、番組の途中から完全に酔っ払っていた。

2011年3月28日 KRY(山口)ラジオで、震災の支援活動をしたいが、他からのストップがかかっていると嘆いた。

音楽[編集]

シングル[編集]

  • 1と2のみ伊達春樹名義でリリースしている。
# 発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲
1970年代
1 1974年
7月25日
夜霧のあなた -
2 1975年
2月25日
帰っておいで -
3 1976年
7月25日
そばにおいでよ 山口洋子 鈴木淳 竜崎孝路
4 1978年
9月21日
北ものがたり 中山大三郎 若草恵
5 1979年
7月21日
眉子 高田ひろお 遠藤実 斉藤恒夫
1980年代
6 1980年
8月5日
みちのくひとり旅 市場馨 三島大輔 斉藤恒夫
7 1982年
1月1日
旅の終りはお前 市場馨 三島大輔 斉藤恒夫
8 1982年
6月21日
からたちのふるさと 市場馨 杉本真人 斉藤恒夫
9 1982年
10月21日
ごめんよ 山田孝雄 浜圭介 竜崎孝路
10 1983年
5月21日
湘南哀歌 阿久悠 宇崎竜童 馬飼野俊一
11 1983年
9月5日
海鳴り 吉田旺 三島大輔 斉藤恒夫
12 1983年
12月5日
ローリング・ストーン[11] 秋元康 後藤次利
13 1984年
3月21日
夢おんな 広田文男 叶弦大 竜崎孝路
14 1984年
6月5日
小樽発・利尻行き 木村まさゆき 工藤よしひで 高見弘
15 1984年
8月5日
奥州路 石原信一 三島大輔 斉藤恒夫
16 1985年
4月21日
北情歌 山田孝雄 幸耕平 竜崎孝路
17 1985年
10月21日
男詩 阿久悠 円広志 馬飼野俊一
18 1986年
5月21日
長州の男 星野哲郎 原譲二 斉藤恒夫
19 1986年
9月21日
望郷しぐれ 水木れいじ 円広志 山崎稔
20 1987年
5月21日
夜叉のように 阿久悠 幸耕平 馬飼野俊一
21 1988年
2月21日
夕陽 荒木とよひさ 平尾昌晃 馬飼野俊一
22 1989年
3月21日
えくぼ 星野哲郎 原譲二 斉藤恒夫
23 1989年
11月21日
ひとりで泣くなよ さいとう大三 馬飼野俊一
1990年代
24 1990年
4月21日
時は流れても 吉岡治 岡千秋 桜庭伸幸
25 1990年
10月21日
ワッショイまつりっこ[12] 高田ひろお 佐瀬寿一 小林信吾
26 1992年
5月21日
揚子江 吉幾三 京建輔
27 1992年
6月21日
奥入瀬 北川文化 桜庭伸幸
28 1993年
6月2日
…夢・想・人…
MUSOUJIN
北川文化 武野良 桜庭伸幸
29 1993年
9月17日
七夕月
(萩の花咲く頃)
星野哲郎 三島大輔 前田俊明
30 1994年
2月18日
花 染められて 麻こよみ 美樹克彦 川村栄二
31 1994年
7月21日
関門海峡 琴五郎 桜庭伸幸
32 1994年
10月21日
棒の哀しみ[13] 藤波研介 大野弘也 桜庭伸幸
33 1995年
3月1日
きらめく風の中で 松本礼児 山本譲二 槌田靖識
34 1995年
7月5日
夢街道 琴五郎
原譲二
琴五郎 桜庭伸幸
35 1995年
7月21日
星空の鎮魂歌
津田恒美投手に捧げる〜
丹古晴己 山本譲二 槌田靖識
36 1996年
3月6日
だから…そうね[14] 荒木とよひさ 浜圭介 今泉敏郎
37 1996年
5月17日
浪漫
-ROMAN-
[15]
原譲二 川村栄二
38 1996年
10月18日
美しい大地よ[16] 一倉宏 ジェイムス下地
39 1997年
4月18日
あなたしかいらない 大津あきら 浜圭介 今泉敏郎
40 1997年
9月19日
君の歌になろう やしろよう 浜圭介 川村栄二
41 1998年
4月1日
外は雨が… 大津あきら 浜圭介 今泉敏郎
42 1998年
5月20日
俺がいるじゃないか 建石一 徳久広司 南郷達也
43 1998年
6月17日
放浪う…ままに 田久保真見 浜圭介 今泉敏郎
44 1999年
3月17日
いつまでも…沖縄 吉幾三 若草恵
2000年代
45 2000年
2月1日
花も嵐も たかたかし 弦哲也 前田俊明
46 2001年
2月1日
おまえにありがとう たかたかし 弦哲也 前田俊明
47 2001年
8月1日
しあわせの青い鳥 たかたかし 弦哲也 前田俊明
48 2002年
2月1日
都会の子守歌 たかたかし 弦哲也 前田俊明
49 2002年
8月1日
おまえと生きる 悠木圭子 鈴木淳 前田俊明
50 2002年
12月18日
めぐり逢い…東京[17] たかたかし 弦哲也 前田俊明
51 2003年
2月1日
生きる 星野哲郎 原譲二 丸山雅仁
52 2003年
7月9日
放浪
〜さすらい〜
たかたかし 弦哲也 前田俊明
53 2004年
2月1日
ふるさとのはなしをしよう[18] 伊野上のぼる キダ・タロー 前田俊明
54 2004年
7月22日
倖せあげたい 仁井谷俊也 弦哲也 前田俊明
55 2005年
2月1日
名もない花に乾杯を 城岡れい 弦哲也 前田俊明
56 2006年
2月1日
風鈴 津島一郎 逸見良造
末吉時雄
57 2006年
8月2日
新宿の月 城岡れい 弦哲也 前田俊明
58 2006年
9月27日
二度惚れの女[19] 所ジョージ 岩瀬聡志
59 2006年
12月20日
ねっこ君[20] 里乃塚玲央 小杉保夫
60 2007年
1月24日
高杉晋作 津島一郎 末吉時雄
61 2007年
7月25日
惚れたおまえと たかたかし 弦哲也 前田俊明
62 2008年
3月26日
泣いたらいいさ 城岡れい 弦哲也 南郷達也
63 2009年
2月1日
俺たちの春 山本譲二 伊戸のりお
64 2009年
10月21日
千里の道も 仁井谷俊也 弦哲也 前田俊明
2010年代
65 2010年
7月14日
哀愁運河 かず翼 弦哲也 前田俊明
66 2010年
11月24日
仁川エアポート[21] たかたかし 弦哲也 南郷達也
67 2011年
3月30日
旅路の果ての… 市場馨 三島大輔 伊戸のりお
68 2012年
2月1日
こころの絆 たかたかし 弦哲也 前田俊明
69 2012年
7月25日
渋谷川[22] 喜多條忠 弦哲也 前田俊明
70 2012年
11月21日
蓬莱橋 さわだすずこ 弦哲也 前田俊明
71 2013年
8月21日
忘れるもんか[23] 喜多條忠 弦哲也 南郷達也
72 2014年
2月5日
放浪酒 田久保真見 弦哲也 南郷達也
73 2014年
10月22日
北の孤愁 たかたかし 弦哲也 前田俊明
74 2015年
8月19日
夜桜哀歌 田久保真見 浜圭介 矢野立美
75 2016年
8月24日
ふたりで一つの人生を たかたかし 弦哲也 前田俊明
76 2017年
8月16日
大人の玉入れ[24] 吉幾三 武井正信
77 2017年
11月15日
ふたりでよかった たかたかし 弦哲也 前田俊明

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 対戦相手 備考
1981年(昭和56年)/第32回 みちのくひとり旅 松村和子
1982年(昭和57年)/第33回 2 旅の終りはお前 榊原郁恵
1983年(昭和58年)/第34回 3 海鳴り 高田みづえ
1984年(昭和59年)/第35回 4 奥州路 研ナオコ
1985年(昭和60年)/第36回 5 男詩 岩崎宏美
1987年(昭和62年)/第38回 6 夜叉のように 川中美幸
1994年(平成6年)/第45回 7 関門海峡 長保有紀
1996年(平成8年)/第47回 番外 浪漫-ROMAN- 瀬川瑛子 憲三郎&ジョージ山本で出演
1998年(平成10年)/第49回 8 俺がいるじゃないか JUDY AND MARY
2000年(平成12年)/第51回 9 花も嵐も 藤あや子
2001年(平成13年)/第52回 10 しあわせの青い鳥 藤あや子(2)
2002年(平成14年)/第53回 11 おまえと生きる 田川寿美
2003年(平成15年)/第54回 12 みちのくひとり旅(2回目) 長山洋子
2004年(平成16年)/第55回 13 ふるさとのはなしをしよう 水森かおり
  • 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

出演[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

映画[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 山本琴乃 Official Site
  2. ^ 父の譲二も応援!山本琴乃デビューライブ - SANSPO.com 2011年4月21日、同26日閲覧
  3. ^ 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、221頁。ISBN 4390116495
  4. ^ 早鞆高校センバツ出場決定!! 山本譲二オフィシャルブログ 2012年1月27日閲覧
  5. ^ 早鞆高OBの山本譲二「5000万円集める」 サンケイスポーツ 2012年2月6日閲覧
  6. ^ 山本譲二のオフィシャルブログのフジテレビ“訂正させてください”より。
  7. ^ ちなみに、北九州局の総合デジタル波では福岡局制作『地デジ侍 再び「画面の忍者 ビル影参上!」』を放送した。
  8. ^ 当日はこれとは別に下関市や宇部市で牛田ら山口県内の地デジ大使がパレードを行い、この問題について注意喚起を行っている。
  9. ^ 総務省山口県テレビ受信者支援センター。社団法人デジタル放送推進協会事業受託
  10. ^ フジテレビ、2009年6月21日放映分
  11. ^ 東映映画「唐獅子株式会社」の主題歌として使用された。
  12. ^ フジテレビ系子供向け番組「ひらけ!ポンキッキ」の挿入歌として使用された。
  13. ^ 映画「棒の哀しみ」の主題歌として使用された。
  14. ^ ややとのデュエット。
  15. ^ 木梨憲武とのデュエット。「憲三郎 & ジョージ山本」名義。
  16. ^ サントリー「大地と水の恵み」のCMソングとして使用された。
  17. ^ 朝丘雪路とのデュエット。
  18. ^ 北原謙二の同名曲のカバー。
  19. ^ 所ジョージとのデュエット。「譲二さんと所さん」名義。
  20. ^ NHKの音楽番組「みんなのうた」で使用された。
  21. ^ 川中美幸とのデュエット。
  22. ^ 城之内早苗とのデュエット。
  23. ^ 城之内早苗とのデュエット。
  24. ^ 吉幾三とのデュエット。「GEORGE & YOSHI」名義。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]