時代劇

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時代劇(じだいげき)とは、、日本の演劇映画テレビドラマ等で現代劇と大別されるジャンルとして主に明治維新以前の時代の日本を舞台とした作品の総称である[1][2]。または俗に髷物(まげもの)、丁髷物(ちょんまげもの)ともいう[2]。英語では「Samurai drama」と表記される[3]

概要[編集]

時代劇というジャンルは、それを形成する作品数から、主に平安時代から明治維新までを扱った作品が「時代劇」とも解釈[4]されて、特に江戸時代を設定した作品は数多く製作されており、江戸時代の町並みのオープンセットもあった。[5][6]

時代劇に対して「歴史劇史劇)」というものも存在するが、フィクションに近いかノンフィクションに近いかで区別する時代小説歴史小説とは違い、日本国内のものを「時代劇」、日本以外のものを「歴史劇」と呼び分ける。英語圏では、日本の時代劇に相当する史劇を period piece または period drama と呼ぶ。剣劇を中心とする日本の時代劇は、 jidaigeki と呼んで区別する。

また一方でチャンバラとも呼ばれる。これはクライマックスに剣戟シーンがある時代劇を指し、時代劇のサブジャンルでもある。語源は新国劇からの剣劇[7]の影響を受けた剣戟映画で、立ち回り(殺陣)で両者の刀がぶつかった時に、刀の発する音を擬音で「ちゃんちゃんばらばら」と表現したことからそれを略して使われた言葉である[8]

歴史上に実際にあった日本の事件や日本史の人物を登場させることも多いが、その人物像を始め、その時代の慣習、風俗、効果音、台詞、などが大胆にフィクション化され、それを見る時代の大衆に受け入れやすいように常に変わり積み重ねてきたのが時代劇の歴史である。古い時代劇では、細かい所作や口上は歌舞伎の影響が強く、前近代の身分差別や女性差別を反映した描写も多いが、近年の時代劇では時代考証よりも現代の観客に違和感を与えないようにストーリーの展開が変更されたり、女性が活躍するストーリーとなったり、現代から見て今の価値観に合致するように登場人物の性格や考え方が改変されたり、新たな視点から歴史上の人物の行動に新しい解釈をして描かれることが多い。このことは、時代劇には避けられないことであり、一般論として時代劇で描かれる歴史はあくまでフィクションであり、常に歴史的事象との比較対照が必要であることを示している[9]

時代劇の発祥[編集]

「時代劇」という用語はもともと活動写真が発祥であり、名付け親は映画監督であった伊藤大輔である。1923年(大正12年)に公開された『女と海賊』で、伊藤大輔はそれまで「旧劇」と呼称されていた髷物映画を、「時代劇」と名付けて公開した[10]。これが「時代劇」と称する始まりである[11]

歌舞伎の分野では、江戸時代にすでに過去の時代を扱った台本を時代物と呼び、江戸時代当時の現代劇である生世話に対し、時代世話と呼んだ[12]鶴屋南北らの「生世話」も、江戸時代のものである以上、現代の映画・テレビドラマにおいては時代劇である。

明治維新以降の日本の演劇は、1888年(明治21年)、自由党の壮士角藤定憲らが大阪で創始、川上音二郎らが発展させた壮士芝居を、1890年代後半(明治30年代)の日本のジャーナリズムが、歌舞伎との差別化を図るため、便宜的に歌舞伎を旧派劇、壮士芝居を新派劇と呼んだ[13]。さらに、1906年(明治39年)に坪内逍遥島村抱月らの文芸協会、1909年(明治42年)に小山内薫二代目市川左團次らの自由劇場のヨーロッパ近代劇の影響下にある演劇を、歌舞伎(旧派)、新派との差別化を図り、新劇を名乗った[14]

新劇出身の澤田正二郎が1917年(大正6年)に劇団「新国劇」を結成し、新派でも新劇でも旧派でもない大衆演劇を目指し[15]、歌舞伎から導入した「剣劇」[7]を創設し、人気を博した。新国劇の主な演目である『月形半平太』と『国定忠治』は、好まれて映画化された。⇒ 月形半平太#フィルモグラフィ

このようにして、現在の「時代劇」と「現代劇」の二分法は、江戸時代の時代世話/生世話を源流にもち、明治時代に演劇の発展とともに「旧劇」「新劇」とされ、大正時代に「時代劇」と呼ばれたものである。そしてこの「時代劇」と呼ばれるジャンルは、「明治維新以前の時代」を扱ったものである以上、演劇は明治維新以降、映画は「日本映画の父」こと牧野省三(マキノ省三)が日本初の時代劇映画『本能寺合戦』を撮った1908年(明治41年)以降(当時は旧派劇と呼ばれた)、テレビドラマに関してはテレビが誕生した1953年(昭和28年)以降にその歴史が始まった。ただし一般に最初から歌舞伎の影響を強く受けていた映画などは時代劇と呼ばれ、新国劇やいわゆる大衆演劇の世界でも時代劇と呼ばれるが、歌舞伎は時代劇とは呼ばれていない。

時代劇映画[編集]

映画における時代劇は、前述の通り1908年(明治41年)にマキノ省三が「本能寺合戦」を撮ったのが最初である。この当時マキノ省三が京都の横田商会で「旧派劇映画」を撮っていた時代には、旧派・旧劇と呼ばれた歌舞伎の影響下にあり、女性の役柄は女形が演じていた。日活向島撮影所だけで東猛夫、小栗武雄、衣笠貞之助立花貞二郎木藤茂、土方勝三郎、五月操、大井吉弥といった女形がいて、時代劇映画を支えていたのである。

この時代の活動写真はズームの技法もなく、歌舞伎の演目芝居をそのまま野外で撮ったものを小屋で見せる、というのが上映形態であり、「桧の舞台で芝居をする」歌舞伎役者は、活動写真の役者を「泥の上で芝居をする連中」として格下に見ていた[16]。そして帰山教正が1919年(大正8年)に新劇を映画に導入して現代劇『生の輝き』、『深山の乙女』を発表し、新劇の小山内薫が、1920年(大正9年)松竹キネマに招かれて映画を撮り始めるまでは、映画自体が旧派の影響下にあった。

1922年(大正11年)に横田商会等が合併し、日活が設立されて以降も、現代を扱ったものは新派劇の影響でやはり女形であったが、1923年(大正12年)の関東大震災を前後して、新劇的な現代劇を製作し始める。そのときの日活における名称が、時代劇は「日活旧劇部」、現代劇が「日活新劇部」であった。東京でも、巣鴨の国際活映(国活)等で時代劇映画は盛んに製作されていたが、新劇の発展と映画への導入が東京主導で行なわれ、やがて国活が倒産し、人材が京都に流出したことで現在の「時代劇」と「現代劇」の東京と京都での棲み分けの源流となった。

大正時代の時代劇[編集]

時代劇映画の最初のスターは、尾上松之助である。1909年(明治42年)にマキノ省三と組んで「碁盤忠信 源氏礎」で映画デビューを果たし、以後1926年(大正15年)に「侠骨三日月」(この映画の撮影中に倒れて死去)まで18年間で1003本の時代劇映画に出演した。「目玉の松ちゃん」と愛称された彼は特撮の先駆けであるトリック撮影による「忍術映画」が十八番だった[17]。松之助映画は当初女形を使っていて、女優は使っていなかったが、1923年(大正12年)に浦辺粂子を相手役に、女優起用に踏み切っている[18]

1920年(大正9年)、松竹が松竹キネマを興し、活動写真の製作を始めるが、松竹は初めから女形を使わず、栗島すみ子川田芳子柳さく子五月信子、東栄子、英百合子沢村春子高尾光子三村千代子といった舞台出身の女優を自作の時代劇映画に起用した。

日活向島撮影所でも松竹に刺激され女優の採用を始めるが、にわかに女形廃止ともいかず、「第三部」というセクションを設け、女優起用の映画を製作した。この年の『朝日さす前』がその第一作で、これは現代劇だが、その後日活時代劇の大スター酒井米子を輩出している。1923年(大正12年)、東京を関東大震災が襲い、日活向島撮影所は閉鎖。女優やスタッフは日活京都に移り、以後、京都が時代劇映画の本場となった。

マキノ時代劇[編集]

マキノ省三が1921年(大正10年)日活から独立し、牧野教育映画製作所からマキノ・プロダクションへと移り変わり、阪東妻三郎[19]嵐寛寿郎月形龍之介片岡千恵蔵らのスターを生み出した。彼らは時代劇に「剣戟」の見せ場を持ち込んだ「チャンバラスター」であり、以後「チャンバラ映画」は時代劇の主流となる。またマキノが去った後に日活に大河内傅次郎が登場し「忠治旅日記」そして「丹下左膳」シリーズがヒットした。

1925年(大正14年)に設立された阪東妻三郎プロダクション(妻プロ)を筆頭に、彼ら「チャンバラスター」は次々と独立してスタープロダクションを設立し、チャンバラのスター映画を量産した。阪東妻三郎は、竹薮だった京都郊外の太秦村の地に初めて撮影所を建設した人物であり、この撮影所はその後東映京都撮影所となり太秦映画村となった。

1927年(昭和2年)、松竹が林長二郎(長谷川一夫)を時代劇スターとして売り出し、女形出身の林の美貌は日本全国の女性を虜とする。翌年には林長二郎の人気は社会現象となり、1928年(昭和3年)正月、林が挨拶のため上京すると、東京駅では一万人余りの女性ファンが詰めかけ、雪崩を打ってもみ合い黄色い声援を送った[20]。林長二郎の登場は、時代劇映画に女性ファンを呼び込むエポックとなったのである[21]

1930年代半ばからは、トーキーが導入され、時代劇にも、映画館ごとの活動弁士と生演奏ではない、俳優のセリフと音楽がもたらされ、マキノ正博監督の『鴛鴦歌合戦[22]等の時代劇ミュージカルまでが生まれた。

戦前の時代劇[編集]

1934年(昭和9年)、京都鳴滝に山中貞雄ら有志が8人が集まり共同ペンネーム「梶原金八」を使い、時代劇映画に現代語を採り入れて新風を巻き起こし、一大勢力となる[23][24]。これらの時代劇はその明るさとセリフの分かりやすさ、そのテンポの良さで「髷をつけた現代劇」と言われた[25]

トーキー以後もサイレント映画による剣戟にこだわる俳優やスタッフ、観客は存在し、1935年(昭和10年)に西宮東亜キネマ跡地に設立された極東映画、翌1936年(昭和11年)に奈良市川右太衛門プロダクション跡地に設立された全勝キネマは、それぞれが解散するまでサイレントの剣戟映画を量産しつづけた[26]

この昭和初期の時代劇映画の製作会社は、日活、帝国キネマ、松竹、東亜キネマ、右太衛門プロ、知恵蔵プロ、阪妻プロ、マキノプロ、大都(河合)などで、年間で各社10本前後から100本前後の製作本数を記録して、特に大都映画は1933年(昭和8年)から1939年(昭和14年)まで年間100本を超える本数を製作していた[27]

1935年(昭和10年)、日活の『街の入墨者』(山中貞雄監督)で、久しぶりに女形(河原崎國太郎)が「女優」を務めている。しかしすでに女優を見慣れた観客に女形の不自然さは如何ともしがたく、以降女形の主演は無くなってしまう。

敗戦までの日本映画では流血や博打、接吻などの場面は当局によって禁止された。時代劇も例外ではなく、チャンバラでいくら人が斬られても、また切腹の場面でも流血があると検閲でカットされた。阪東妻三郎は相手を斬る際に、刃を当てた後もう一回引く「二段引き」という殺陣を使ったが、これも「骨まで斬った感じが出るから」とカットされたことがある。全般に「リアルな殺陣」はすべて検閲でカットされたのである。

また、剣戟で人を斬る際の効果音を初めて使ったのは1935年(昭和10年)の『大菩薩峠』で、稲垣浩監督のアイディアで、カチンコの音を逆回転した効果音が使われた。しかしこの効果音も「検閲保留」扱いにされている [28]

終戦後[編集]

1945年(昭和20年)の終戦後、日本が連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の占領下に置かれると、占領政策により、日本刀を振り回す剣劇(チャンバラ時代劇)は軍国主義的であり、敵討ちなど復讐の賛美がアメリカ合衆国に対する敵対心を喚起する要素があるとして一時製作が制限された。チャンバラ場面が禁止されたため、阪東妻三郎や片岡知恵蔵などの時代劇スターは現代劇に主演[29]し、戦前「鞍馬天狗」をヒットさせた嵐寛寿郎の場合は剣戟の無い推理物の時代劇『右門捕物帳』でしか、舞台も映画もできなかったと語っている[30]。しかしそんな時代でも黒澤明は異色の「羅生門」を撮りベネチア映画祭でグランプリを獲得した。1952年(昭和27年)に占領体制が終わると、どっと時代劇映画の量産が始まった。溝口健二の「西鶴一代女」「雨月物語」「山椒大夫」「近松物語」、黒澤明の「七人の侍」、衣笠貞之助の「地獄門」が製作されて時代劇映画の黄金時代の幕開けであった。嵐寛寿郎は再び「鞍馬天狗」に出演していく。

戦後の時代劇映画の製作会社は、松竹、東宝、大映、東映、新東宝、日活、宝塚(配給は東宝)などがあったが、その多くは東映と大映が量産していった。

東映時代劇の勃興[編集]

そしてこの時期から二本立て興行で日本映画界のトップに躍り出た東映による時代劇を中心としたプログラムピクチャーによって、娯楽映画の中心が時代劇になった時代でもあった。東映は、1951年(昭和26年)に設立し、マキノ雅弘「次郎長三国志[31]、内田吐夢「血槍富士」、松田定次「赤穂浪士」などが製作されて、やがて時代劇スター中心のプログラムを組んで多数の時代劇映画を量産し、片岡知恵蔵、市川右太衛門の両ベテランを重役にして、月形龍之介大友柳太朗中村錦之助東千代之介大川橋蔵が育ち、煌びやかな東映時代劇を築いていく。片岡知恵蔵と市川右太衛門は御大と呼ばれ、それぞれ知恵蔵が「いれずみ判官」(遠山の金さん)、右太衛門が「旗本退屈男」のシリーズを持ち、月形龍之介は「水戸黄門」、大友柳太朗は「快傑黒頭巾」「丹下左膳」「右門捕物帖」、中村錦之助は「一心太助」「宮本武蔵」、東千代之介は「鞍馬天狗」「雪之丞変化」、大川橋蔵は「若さま侍捕物手帖」「新吾十番勝負」のシリーズを製作して、しかもお盆と正月には「忠臣蔵」など歌舞伎の顔見世のようにオールスターキャストの時代劇を製作して、1950年代後半(昭和30年代前半)は東映時代劇の黄金期であった。

一方大映は戦前からの大スターで戦後も「近松物語」「地獄門」で主演した長谷川一夫の「銭形平次捕物控」シリーズを中心にして、市川雷蔵、勝新太郎が育って、雷蔵は「新・平家物語」からやがて「眠狂四郎」シリーズを自身の代表作とし、勝新は「座頭市」シリーズで長く日本映画界を牽引することとなった。東映時代劇の華やかさと優雅さとは全く無縁で全く異質な「眠狂四郎」「座頭市」というダーティーなヒーローを二人が演じて独自の大映時代劇を築いていく。

また日活は、戦後の製作再開と同時に時代劇で、新国劇の辰巳柳太郎主演で「国定忠治」「平手造酒」を製作したが、石原裕次郎の人気沸騰で現代劇の活劇路線を中心として時代劇は少なかった。しかし当時の自社のスターを総出演させた川島雄三の「幕末太陽伝」という異色時代劇を製作している。

東映時代劇の衰退[編集]

文藝路線の松竹は時代劇が少なく、大船での現代劇が主で京都では思うようには時代劇の製作は出来なかった。松竹は歌舞伎を持っていたので歌舞伎役者の出演で大作「花の生涯」を作ったりしたが結局高田浩吉主演の「伝七捕物帳」シリーズぐらいであった。しかし1962年に小林正樹監督の異色作「切腹」を出している。一方喜劇路線の東宝には黒澤明監督がいて「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」を作り、やがて「用心棒」「椿三十郎」を製作した。この2つの映画で、黒澤監督がそれまでの、様式美にこだわり、あくまでスター俳優を中心にカッコ良く決めるスタイルを取り、その美しさを前面に出す東映時代劇の殺陣とは違って、リアルで迫力のある、そして残酷な描写を厭わない斬り合いを表現して話題となった。そのリアルな殺陣が、東映時代劇の華やかさと所作の優雅さとが次第に観客に飽きられていき、また「第二東映」の出現で多数の時代劇を粗製乱造したことから、東映時代劇の衰退を招くこととなった。東宝には他に稲垣弘監督で「佐々木小次郎」三部作、そして「宮本武蔵」三部作を、またマキノ雅弘で「次郎長三国志」全9作を製作している。

1962年の正月映画で東宝「椿三十郎」が東映「東海道のつむぎ風」[32]を圧倒して、東映の華麗な様式美の世界から時代劇は生々しい迫力の世界へと変わっていった[33]。これ以降東映は時代劇の不振に悩まされて、その後に集団抗争時代劇として「十七人の忍者」「十三人の刺客」「大殺陣」を製作したが時代劇の退潮を食い止められず、やがて任侠路線に転換してヤクザ映画が主流を占めて東映から時代劇は消えていった。

テレビ時代劇[編集]

1953年(昭和28年)、日本でのTV放送スタートと同時にテレビ時代劇の製作もはじまる。ただし当時はテレビカメラによる30分のスタジオドラマで生放送であった。1954年にNTVが放送した「エノケンの水戸黄門漫遊記」が民放初の時代劇とされている[34]。初期には子ども向け時代劇として夕方に「赤胴鈴之助」[35]「猿飛佐助」「孫悟空」などの番組が放送された。

テレビ創成期の最初の時代劇スターは中村竹弥で最初の「江戸の影法師」で認められて当時のKRT(現在のTBS)と専属契約を結び、「半七捕物帳」「右門捕物帳」「又四郎行状記」そして「旗本退屈男」から「新選組始末記」などに出演した。この他に大人にも楽しめる時代劇として「鞍馬天狗」[36]「快傑黒頭巾」[37]「丹下左膳」[38]「銭形平次捕物控」[39]「眠狂四郎」[40]「鳴門秘帖」[41]「新吾十番勝負」[42]などが放送された。

またテレビ局の開局と同時にその局に資本参加している映画会社が独自に製作した時代劇を放映している。代表作が「風小僧」「白馬童子」[43]「若さま侍捕物帳」[44]そして1962年秋から4年前に「月光仮面」をヒットさせた宣弘社が、同じ船床定男監督で主演も同じ大瀬康一で「隠密剣士」が登場しヒットした。この番組で初めて忍者の世界を描き、その忍者の殺陣のディティールは以後の時代劇作品の忍者の描写の元になっている。

そして1963年4月から、満を持してNHKが現在まで続く長寿時代劇シリーズとなる大河ドラマの放送を開始して第1作「花の生涯」を放送し井伊大老役に歌舞伎界から尾上松緑、長野主膳役に映画界から佐田啓二(中井貴一の父)を起用した。2作目の「赤穂浪士」には映画界から長谷川一夫を始め当時豪華な顔ぶれが揃い、テレビ時代劇の1つのエポックとなった。3作目は「太閤記」で新国劇から緒方拳が主演、4作目が「源義経」で歌舞伎界から尾上菊之助(現尾上菊五郎)が主演。毎年1作ずつ膨大な時代劇[45]が制作されている。

その後も映画の世界では時代劇が衰退していく中で、テレビ界では各局とも時代劇を制作して、「三匹の侍」「新選組血風録」「素浪人月影兵庫」「水戸黄門」「大岡越前」「遠山の金さん」「木枯らし紋次郎」「必殺仕掛人」「子連れ狼」「影の軍団」「鬼平犯科帳」などのシリーズを生み、今日に至っている。

テレビ用時代劇は他のテレビ番組が急速にビデオ撮影による収録に切り替わっていく中、1990年代後半までは映画用フィルムによる撮影を主流とし、「ドラマ」というよりは「映画」的なコンテンツとして特異な地位を確立していた。これはテレビ時代劇と刑事ドラマと特撮ヒーロー番組に言える特徴であった[46]

1990年以降[編集]

1990年代平成時代)のトレンディドラマの出現以降、若者層の視聴率が取りにくい事や現代劇に比べ制作費がかかる(時代考証、およびそのための資料引用に関する許諾、大道具小道具等の制作や調達、化粧・鬘・衣装等の製作費用や手間…等)、開発による風致の破壊が進み国内ではロケ地の確保が難しくなってきたこと[47]、製作関係者の後継者不足や人材育成の不足、作品がマンネリズムに陥っているなどの理由によりテレビ向けに製作・放映されることは敬遠されるようになった。しかし映像コンテンツとしての需要は高く、再放送枠やCS系有料放送、DVDビデオ販売の分野においては今なお重宝されている[48]

2010年代以降[編集]

新作テレビ時代劇の制作低減傾向は続く(現状については(#主なテレビ時代劇放送枠の各項目などを参照)。2011年12月19日、長らく月曜20時の時代劇として親しまれてきた『水戸黄門』(TBS系)が最終回スペシャルを迎え、42年の歴史に幕を閉じるという出来事もあった。

翌年(2012年)3月にはテレビ東京で深夜帯に1クール放送された『逃亡者おりん2』の放送終了後、民放では2012年10月からTBS系で放送の『金曜ドラマ大奥〜誕生[有功・家光篇]』まで半年間、新作テレビ時代劇のレギュラー放送が途絶えた[49][50]。2014年には、フジテレビが開局55周年プロジェクトの一つとして、月9枠で初の時代劇作品『信長協奏曲』を放送しその後映画化の予定である[51]

時代劇存亡の危機が囁かれる中、CS放送・スカパー!日本映画衛星放送と共同でCS初の完全新作時代劇・『鬼平外伝 夜兎の角右衛門』が2011年の正月に放送され好評を博したことにより、2012年2月には企画第2弾となる『鬼平外伝 熊五郎の顔』を放映した。また、製作関係者からは日本独自の映像文化や技術が途絶えるとの危機感や現場における製作技術の維持継承の観点から、東映京都撮影所の契約社員組合などで作られた「時代劇復興委員会」が立ち上げられ、有名ではない時代劇俳優(いわゆる“大部屋俳優”)たちは太秦映画村で殺陣アトラクションを行ったりするなど、様々な方法で時代劇生存の道を探っている。

時代劇映画については、2000年代中期から2010年代以降、時代劇映画の製作・公開が往年とは及ぶべくもないが微増傾向にあり、新作時代劇はテレビから映画へと再びシフトしつつある。2010年には映画会社5社による共同企画“サムライ・シネマ キャンペーン”が行われ、同年同時期に公開される5作品(『十三人の刺客』・『桜田門外ノ変』・『雷桜』・『武士の家計簿』・『最後の忠臣蔵』)が連携してプロモーションキャンペーンを実施した。

なお、本稿ではもっぱら実写時代劇を扱っているが,日本では古くから時代劇アニメも多数制作されている。映像表現やロケ地等の制約がなく、若年層への訴求力が期待できるとあって、近年はアニメによる時代劇の制作がむしろ盛んである。

しかし、中心的視聴者層であるシニア世代に対しては、実写時代劇は今なお強力な訴求力を持ったコンテンツであり、日本の文化である時代劇を守っていこうと各方面が頑張っている。

時代考証[編集]

時代考証については、多くの時代劇作品で専門のスタッフが配置されるものの、年を経る毎に様々な事情から省略されたり、本来のものと異なる部分が増えており、それは文学的要素の色濃い作品であっても例外ではない。

1960年代までは相当する役柄にお歯黒引眉を行う場合が多かったが、すでに明治時代に廃れた遠い過去の習慣であり、また、お歯黒、引眉が不気味と思われる、等、現代人に受け入れられにくいことから、現在ではお歯黒、引眉に該当する役柄でもお歯黒、引眉をすることは一部の役を除きないといって良い。また、本来ならふんどしであるべき男性の下着が猿股になったり、元禄年間の物語なのに服装や髪型が幕末仕様だったりするなど、雑な部分も多い。その一方で、女性の日本髪は以前は全鬘が一般的だったがハイビジョン収録の一般化に伴い生え際が自然に見える部分鬘を使うようになった。また代官目明し同心小者などの端役の服飾や、屋台・建築物などの部分については、撮影現場で使い回しがなされたりセット・道具類にまつわる事情から厳密な考証が省略されているものが多い。

日本刀打刀では斬撃、抜刀、納刀など元来ほとんど音がしないため、当初のそれは無音であったものが、60年代に『用心棒』と『三匹の侍』の登場により徐々に様々な効果音が入れられるようになった。

最も異なるものの1つが乗馬のシーンで、実際には江戸期以前の日本では皆無に等しかったはずのサラブレッドクォーターホースなど西洋で品種改良がなされた体高160cm以上の現代日本で主流の乗用馬で代用されている。時代考証を厳密に行うならば体高(肩までの高さ)130-135cm程度の日本在来馬を使用するべきところであるが、大型化した現代の日本人俳優の体格に日本在来馬では釣り合いが取れず映像的な見栄えに劣ること、そして、乗用馬に比べ頭数が少なくまとまった数を確保することが困難を極めることなどが要因となっている。時代考証の厳格さで定評のある黒沢明監督でさえ、馬に関しては西洋馬を用いている[52][53]

また、陶器・漆器類を始めとする日用品や調度品も、当時の実物やかつての技法のまま現代の職人が創りだした工芸品的な物を使うことや、その撮影のために当時の技法で現在に必要量だけ製造することは予算面などから難しいことが多く、江戸時代のそれに近い表現技法を再現した現代の製品などを限られた時間と予算の中で探してきて代用した結果として、技巧・表現・流行などの面において時代設定と合わないことが多々起きている。

時代劇の分類[編集]

メディアによる分類[編集]

内容・定型による分類[編集]

  • 剣劇[54]チャンバラ時代劇) 
    • 剣術及び武士道
      • 「宮本武蔵」「佐々木小次郎」「柳生十兵衛」「荒木又衛門」「新吾十番勝負」「侍ニッポン」「隠し砦の三悪人」「武士の一分」など
    • 剣客
      • 「月形半平太」「剣客商売」「国士無双」「天保水滸伝」「秘剣」「斬る」「薄桜記」など
    • 忠義
      • 切腹」「十三人の刺客」「下郎の首」「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」「風の果て」「武士の家計簿」など
    • 任侠
      • 「清水次郎長」「次郎長三国志」「国定忠治」「一本刀土俵入り」「沓掛時次郎」「新門辰五郎」「瞼の母」「関の彌太っぺ」「木枯らし紋次郎」など
    • 股旅
      • 「水戸黄門」「弥次喜多道中」「股旅」など
    • 捕物帖、岡っ引同心十手目明し
      • 「銭形平次捕物控」「半七捕物帳」「人形左七捕物帖」「伝七捕物帳」「弐十手物語」「文五捕物絵図」「神谷玄次郎捕物控」「影同心」「茂七の事件簿」「御宿かわせみ」など
    • 奉行
      • 鬼平犯科帳」「大岡越前」「遠山の金さん」「右門捕物帖」「若さま侍捕物手帖」「着ながし奉行」など
    • 義賊
      • 「鞍馬天狗」「快傑黒頭巾」「紫頭巾」「鼠小僧次郎吉」など
    • 隠密
      • 「柳生一族の陰謀」「隠密剣士」「大江戸捜査網」など
    • 浪人
      • 「丹下左膳」「椿三十郎」「三匹の侍」「素浪人月影兵庫」「人斬り」「腕におぼえあり」「居眠り磐音江戸双紙(陽炎の辻)」など
    • 将軍
      • 「暴れん坊将軍」「八代将軍吉宗」「葵徳川三代」「徳川慶喜」ほか
    • 幕藩体制
      • 「反逆児」「忠直卿行状記」「花の生涯」など
    • 忍者[55]
      • 「忍びの者」「柳生武芸帳」「忍者狩り」「影の軍団」「無宿侍」「風神の門」「十七人の忍者」など
    • アウトロー
      • 「眠狂四郎」「座頭市」「雲霧仁左衛門」「用心棒」「子連れ狼」「必殺」など
    • 僧侶
      • 「親鸞」「かくて神風は吹く」「日蓮」「日蓮と蒙古襲来」「空海」など
    • 仇討ち
      • 「曽我兄弟」「鍵屋の辻」「血煙高田馬場」「仇討」「仇討崇禅寺馬場」「赤穂浪士」など
    • 合戦
      • 影武者」「乱」「関ヶ原」「桶狭間」「天と地と」「風林火山」など
  • 歴史もの
    • 歴史上の事件やお家騒動をモチーフにしたもの
      • 「池田屋騒動」「桜田門外」「伊達騒動」「忠直卿行状記」「高田馬場」「大塩平八郎」「忠臣蔵」「天一坊」「白虎隊」など
    • 歴史上の人物をモチーフにしたもの
      • 「源義経」「弁慶」「太閤記」「秀吉」「織田信長」「徳川家康」「真田太平記」「独眼竜政宗」「武田信玄」「利休」「由井正雪」「天草四郎時貞」「中山安兵衛」「平手造酒」「大塩平八郎」「井伊大老」「近藤勇」「沖田総司」など
    • 伊達騒動
      • 「伊達騒動」「危うし伊達六十二万石」「樅の木は残った」「赤西蠣太」など
    • 元禄赤穂事件
      • 「実録忠臣蔵」「忠臣蔵 天の巻 地の巻」「忠臣蔵 花の巻 雪の巻」「大忠臣蔵」「忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻」「赤穂浪士 天の巻 地の巻」「赤穂浪士」「赤穂城断絶」「四十七人の刺客」「忠臣蔵外伝・四谷怪談」など
    • 桜田門外の変
      • 「侍ニッポン」「侍」「花の生涯」「桜田門外ノ変」
    • 新選組
      • 「新選組」「新選組始末記」「新選組血風録」「幕末残酷物語」「壬生義士伝」「壬生の恋歌」「燃えよ剣」など
    • 幕末
      • 「江戸最後の日」「最後の攘夷党」「六人の暗殺者」「江戸一寸の虫」など
  • 文芸もの小説などの文学作品を脚色したもの。
    • 江戸時代の文学
    • 江戸市井もの
      • 「一心太助」「雪之丞変化」「紀伊国屋文左衛門」「赤ひげ」「破れ傘刀舟」「天下御免」など
    • 明治以降の文学
      • 「新・平家物語」「天と地と」「宮本武蔵」「大菩薩峠」「鳴門秘帖」「花の生涯」「赤穂浪士」「阿部一族」「龍馬がゆく」「国盗り物語」など
    • 江戸時代以外を舞台とするもの。
      • 「花の乱」「太平記」「源義経」「羅生門」「源氏物語」「雨月物語」「山椒大夫」「楢山節考」「大仏開眼」「卑弥呼」「日本誕生」など
  • 女性を主役としたもの
    • 女性の生き方
      • 「徳川の夫人たち」「三姉妹」「女人平家」「女たちの忠臣蔵」
    • 市井もの
      • 「八百屋お七」「五辨の椿」「浮世絵おんな鼠小僧」「旅がらすくれないお仙」
    • 姫もの
      • 「千姫御殿」「琴姫七変化」「照姫七変化」「あんみつ姫」
    • 大奥もの
      • 「大奥」「絵島生島」「篤姫」など
    • セクシー時代劇
      • 「大奥㊙物語」「尼寺㊙物語」「徳川女系図」「元禄女刑罰史」など
  • 活劇もの
  • その他

製作者や風潮による分類[編集]

主要な時代劇作品[編集]

映画作品[編集]

テレビドラマ作品[編集]

他多数

漫画・アニメ作品[編集]

漫画には上記の映画やテレビドラマ作品の原作となり、実写化された作品が多いが、ここではそうした形で実写映像化していないものを主に挙げる。実写映画化やドラマ化された作品でも、主となる読者・視聴者が低年齢層となる作品はここに含む。

主なテレビ時代劇放送枠[編集]

通年本放送されているもの[編集]

例年1回・単発で放送されているもの[編集]

主な再放送枠[編集]

過去に放送されていたもの[編集]

NHK

日本テレビ系

テレビ朝日系

TBS系

テレビ東京系

フジテレビ系

時代劇監督[編集]

映画[編集]

テレビ[編集]

時代劇スタジオ[編集]

現行[編集]

時代劇の撮影が可能なパーマネントセットを有するスタジオ、その他の場所。

かつて存在したスタジオ[編集]

戦前
戦後

代表的な時代劇俳優[編集]

戦前からのスター[編集]

戦後のスター(物故者)[編集]

戦後のスター(現役)[編集]

関連項目[編集]

出典[編集]

  • 『時代劇ここにあり』川本三郎 著平凡社 ISBN 4582832695
  • 『時代劇(チャンバラ)への招待』 逢坂剛、川本三郎、菊地秀行永田哲朗縄田一男、宮本昌孝 著 PHPエル新書 PHP研究所 ISBN 456963270X
  • 『圧巻!無頼派時代劇 - ハードボイルド・ヒーローを斬る! 』歴史群像シリーズ 学研 ISBN 4056032688
  • 『時代劇映画の思想~ノスタルジーのゆくえ~』 筒井清忠 著 PHP新書 2000年11月発行
  • 『時代劇ベスト100』春日太一 著 光文社新書 2014年10月発行
  • 『なぜ時代劇は滅びるか』春日太一 著 新潮新書 2014年9月発行
  • 『日本映画史110年』 四方田犬彦 著 集英社新書 2014年8月発行
  • 『幻のB級 大都映画がゆく』本庄彗一郎 著 集英社新書 2009年1月発行 

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  1. ^ 時代劇コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  2. ^ a b 時代劇映画コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  3. ^ 英字新聞のテレビ欄における表示に基づく。
  4. ^ あくまで解釈であって、厳密に定義があるわけではない。奈良時代以前の古代も含まれるという解釈も当然存在する。
  5. ^ 京都太秦映画村は、かつてのオープンセットを有効利用したものである
  6. ^ 「明治維新以前の江戸時代、あるいはそれ以前の時代」といっても、神代卑弥呼を扱った弥生時代など、逆にあまりにも時代を遡ったテーマであると、衣装・大道具・小道具の様式やストーリーにおいて、一般的な「時代劇」の様式とは大きく外れて異なる内容が含まれてくる。しかしCS放送の時代劇専門チャンネルではこうした時代を扱った作品も放送している。
  7. ^ a b 剣劇コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  8. ^ ちゃんばらコトバンク、2009年10月24日閲覧。
  9. ^ 伊達騒動の原田甲斐の描き方は、歌舞伎の世界では逆臣で戦前の映画も逆臣の悪役だが、戦後の「樅の木は残った」では正反対に忠臣として主役となった。また忠臣蔵や赤穂浪士は史実としての元禄赤穂事件とは「刃傷」「討ち入り」は同じでも、それ以外のエピソードは後世の創作である。
  10. ^ この映画の監督は野村芳亭。伊藤大輔は脚本を書いている。松竹蒲田作品。
  11. ^ 『ひげとちょんまげ』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
  12. ^ 時代物コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  13. ^ 新派劇コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  14. ^ 新劇コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  15. ^ 新国劇コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  16. ^ 『あゝ活動大写真 グラフ日本映画史 戦前篇』(朝日新聞社)
  17. ^ 松之助は愛人の芸者を女優に仕立てて相手役にしたことがあったが、まだまだ歌舞伎の影響の強かった時代であり、館主の反対でとりやめている。『日本映画の若き日々』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
  18. ^ 『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)
  19. ^ 剣戟映画の大スターであり、サイレント期に「雄呂血」で激しい立ち回りを演じ、それまでの歌舞伎調の優雅さとは全く違うリアルな殺陣を見せて時代劇映画に新風を吹き込んだ。
  20. ^ この過熱ぶりに、「ミーハー」(女性の好きなつまめとやしをかけた言葉)という用語までが生まれることとなった『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)
  21. ^ 林長次郎以外のスターは圧倒的に男性ファンが多かった。
  22. ^ 片岡知恵蔵の急病から急遽製作されたもので殆ど数日で完成させたと言われている。
  23. ^ このグループを鳴滝組と呼ばれている。山中貞雄、稲垣弘、三村伸太郎、八尋不二らが集まり、片岡知恵蔵の知恵プロの流れを受けて、ユーモアのある明るい時代劇を製作していった。「時代劇映画の思想」31P参照 筒井清忠著 PHP新書 PHP研究所 2000年11月発行
  24. ^ この鳴滝組が製作した映画の代表作が山中貞雄監督、大河内傅次郎主演の「丹下左膳余話 百万両の壺」1935年 日活配給 である。
  25. ^ 「時代劇映画の思想」33P参照。
  26. ^ 『チャンバラ王国極東』、赤井祐男・円尾敏郎編、ワイズ出版、1998年 ISBN 4948735914.
  27. ^ 昭和の初め頃は日活、松竹、帝国キネマも年間100本を超えていた。「幻のB級 大都映画がゆく」77P参照
  28. ^ 『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)
  29. ^ この時期には、阪東妻三郎には「王将」、片岡知恵蔵いは「多羅尾伴内」シリーズが製作された。
  30. ^ 『聞書アラカン一代 - 鞍馬天狗のおじさんは』(竹中労、白川書院)
  31. ^ 1950年代に東宝で全9作、1960年代に東映で同じ監督で全4作が製作された。
  32. ^ 中村錦之介主演で清水次郎長を主人公の東海道シリーズの1作。この時に「椿三十郎」は配給収入18億円、対するこの錦之介主演のオールスター時代劇は11億円で倍近くの差がついた。
  33. ^ 「椿三十郎」を見て、ある東映関係者は「これは敵わん」と言い、鈴木則文は「ラストの仲代の身体から血がパーッと噴き出た時に東映の時代劇の様式美が音を立てて崩れていった。」と語っている。
  34. ^ しかし内容はミュージカル調講談でバラエティー番組でもあった。
  35. ^ 1957年にKRラジオからラジオ番組として始まり、その後KRTよりテレビ番組となった。主演者の名は忘れられたが、共演者にはラジオで吉永さゆり、藤田弓子、山東昭子(ナレーション)、テレビでは同じ役で吉永さゆり、他に五月みどりが出演していた。また当時ほぼ同時に大阪の大阪テレビ(後に朝日放送と毎日放送に分かれる)が同じ番組を別に製作している。
  36. ^ KRT系で何度か主演を変えて放送されており、1956年11月から始まったも最初の放送には市川高麗蔵、その後市川団子(後の市川猿之助)、中村竹弥が倉田典膳に扮している。
  37. ^ NTV系で外山高士主演。共演で松島トモ子
  38. ^ NTV系で丹波哲郎が主演。
  39. ^ KRT系で若山富三郎主演。その後フジテレビ系で大川橋蔵主演のシリーズがスタートしている。
  40. ^ NTV系で江見俊太郎主演。柴田錬三郎原作の初のテレビドラマ化であった。
  41. ^ KRT系で水島道太郎主演。
  42. ^ NTV系で江見俊太郎主演。その後「新吾二十番勝負」がフジテレビ系で夏目俊二主演で放送された。
  43. ^ 東映製作で当時資本参加していたNET(現テレビ朝日)系。主演は山城新吾。
  44. ^ 関西テレビ系で夏目俊二主演。製作は関西テレビに資本参加していた東宝系の宝塚映画。劇場用映画では大川橋蔵主演のシリーズがある。
  45. ^ 1994年と1995年は1年間ではなく「琉球の風」「炎立つ」「」花の乱」の3作品が半年と9か月間の放送であった。
  46. ^ 現在でもテレビ時代劇ドラマにおいては、ビデオ映像に、あえて映画フィルム風の映像補正をかけることが良く行われている。これはVTR撮影が常識となった時代においても、言葉では非常に説明しにくい、フィルム画像ならではの“味”を愛好する人が製作者にも視聴者にも多いためであるといわれている。また、東映が制作し、テレビ朝日系で放送するテレビ時代劇は今でも映画フィルム(スーパー16mmフィルム)で撮影されている。
  47. ^ ただしCGの利用の可能性により(たとえば、電信柱や現代の建築物を画面上から消すことが可能である)必ずしもロケ地の確保が困難になったとは言えない側面はある。
  48. ^ 2009年4月9日の水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)の再放送は同日放送されたTBSの番組のうち、最高視聴率を出している[1]
  49. ^ 鈴木嘉一 (2012年10月16日). “TVウォッチング:テレビ時代劇に「新しい酒」を”. YOMIURI ONLINE. 読売新聞社. 2012年11月2日閲覧。
  50. ^ それ以外の時代劇ドラマはNHKの『大河ドラマ』と時代劇枠一つ(『BS時代劇』)の計2枠。民放では前述した通り、時代劇の放送自体が年数回 - 数年に一回・単発での放送に縮小されている。
  51. ^ キムタクからバトン!小栗「信長」×ミスチルで月9初時代劇!!”. サンケイスポーツ (2014年9月5日). 2014年9月4日閲覧。
  52. ^ 「日本在来馬と西洋馬---—獣医療の進展と日欧獣医学交流史」(日本獣医師会)
  53. ^ 「大作に町全体協力「長篠の合戦」再現・北海道新聞
  54. ^ クライマックスは剣(日本刀)による殺陣を主軸とするもの。時代劇の大多数を占めるもので、多くは興行的な観点から文学的要素よりも娯楽性が重んじられた内容になっている。テレビドラマの現代劇では刀剣類を使った殺傷場面を直接描くことは視聴者に対し犯罪を助長するとの判断から自粛されつつあるのに対し、時代劇では剣劇は非常に形式的な身体技法と、制作者と視聴者側の“暗黙の了解”たとえば黒澤明の作品などに代表される映像文学的要素や写実性などを追求した劇場作品では、斬殺の瞬間、殺害された側の衣類が裂けて肌が露出し、血液が数メートルにわたって迸ったり、腕が切り落とされ血が噴き出す場面を設定することがある。対して、娯楽性が重視されるお茶の間に向けて放送されるテレビの時代劇ではそのようなリアルで直接的な殺害描写は殆ど無く、主人公の優美かつ華麗な立ち回りの挙措と、一定のストーリー定型の元で最終的に悪者をばったばったと斬って捨てて断罪するカタルシスの昇華に重きが置かれた、ある種の様式美によって作品自体が構成されている。この暗黙の了解によって表現されており、このため短時間に多数の人間が刃物によって殺傷されている場面にもかかわらず批判の対象とされることはない。
  55. ^ 忍者映画(忍者もの)を時代劇に含めるかどうかで、基本的には分けて扱うことが多いという向きがあるが、もともと時代劇が始まった時から忍者は1つのジャンルであり(歌舞伎の演目でも入っている)、尾上松之助の映画からいつの時代でも人気のあるジャンルであった。広義の解釈では入るということではなく、映画そのものの面白さを追求すれば非現実的な内容を入れることは至極当然であり、時代劇はあくまで舞台設定が日本が近代化する以前であることで成り立っている。
  56. ^ 1922年製作。尾上松之助主演。全編64分のサイレント映画で「目玉の松ちゃん」の映画では唯一全編のフィルムが残っている映画と言われる。渋川伴五郎は実在の人物で江戸時代前期の柔術家。映画では力自慢のヒーローとして松之助が演じて妖怪と父の仇を討つストーリーである。監督はマキノ省三ではなく築山幸吉である。
  57. ^ 1962年製作。東映。内田吐夢監督、大川橋蔵主演。人形浄瑠璃の「芦屋道満大内鑑」、清元の古典「保名狂乱」をもとに宮廷陰陽師の安部保名を主人公にした平安時代のファンタジー時代劇。他の時代劇には見られない独特の映像表現の異色作である。因みに主人公は陰陽師安部清明の父であり、この映画のラストシーンは清明の誕生で終わっている。
  58. ^ 文化風俗・服飾をはじめとする設定について厳密な時代考証や再現性は重要視せず、西部劇SFなど、あらゆるジャンルの要素をミックスしたアバンギャルドな内容。上記の“活劇もの”にも通じる要素の色濃い作品も含む。
  59. ^ 最近はこの枠に現代劇が割り当てられる場合がある。かつては「時代劇の殿堂」という再放送枠を名乗っていた。
  60. ^ 1985年から1993年にかけて、12月30日・31日の2夜連続(1991年以降は31日のみ)で放送された。1993年を最後に制作は停止。
  61. ^ シリーズ終了後も単発で放送されたほか、2009年に久々の連続作品として必殺仕事人2009を放送。
  62. ^ 2009年1月開始の必殺仕事人2009が該当。
  63. ^ 月曜20時-20時54分,1969年-2001年迄は原則時代劇、それ以降は水戸黄門と現代劇を交互に放送。
  64. ^ 時代劇。関西テレビ放送で1973年10月-1975年3月の1年半日曜21時で放送。終了後、「関西テレビ制作連続時代劇」へ受け継ぐ。

外部リンク[編集]