ニッポン放送
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本社(2007年撮影) | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 略称 | LF |
| 本社所在地 |
〒100-8439 東京都千代田区有楽町1丁目9番3号 糖業会館・ニッポン放送本社ビル |
| 設立 |
2006年4月1日 (新設分割のため) |
| 業種 | 情報・通信業 |
| 法人番号 | 3010001098550 |
| 事業内容 | 放送法に基づく中波放送事業ほか |
| 代表者 |
代表取締役会長:重村一 代表取締役社長:岩崎正幸 |
| 資本金 | 1億0000万円 |
| 売上高 |
144億円 (2018年3月期) |
| 従業員数 |
134名 (2018年6月22日時点) |
| 主要株主 |
株式会社フジ・メディア・ホールディングス:100% (同社の連結子会社) |
| 主要子会社 |
株式会社ニッポン放送プロジェクト 株式会社フジサンケイエージェンシー 株式会社ミックスゾーン 株式会社グレイプ |
| 関係する人物 |
植村甲午郎 鹿内信隆 亀渕昭信 堀江貴文 |
| 外部リンク | https://www.jolf.co.jp/ |
| 特記事項:旧法人設立は1954年4月13日[注 1] | |
| ニッポン放送 Nippon Broadcasting System, Inc. | |
|---|---|
| 種別 | AMラジオ放送 |
| 放送対象地域 | 関東広域圏 |
| 系列 | NRN系 |
| 愛称 | ニッポン放送 |
| コールサイン | JOLF |
| 開局日 | 1954年7月15日 |
| 本社 |
〒100-8439 東京都千代田区有楽町1丁目9番3号 糖業会館・ニッポン放送ビル 北緯35度40分30.69秒 東経139度45分38.33秒座標: 北緯35度40分30.69秒 東経139度45分38.33秒 |
| 演奏所 | 本社と同じ |
| 親局 / 出力 | 東京(千葉県木更津送信所) 1242kHz / 100kW |
| 主な中継局 | 墨田FM補完中継局(東京スカイツリー)93.0MHz / 7kW |
| 公式サイト | https://www.jolf.co.jp/ |
特記事項:* AMステレオ放送を実施
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株式会社ニッポン放送(ニッポンほうそう、Nippon Broadcasting System, Inc.)は、関東広域圏を放送対象地域とする中波放送(AM放送)の特定地上基幹放送事業者である。
フジテレビジョンなどとともにフジサンケイグループに属する[1]。また、ニッポン放送グループ(全5社)の中核企業でもある[1]。
コールサイン「JOLF」から、俗にLF。旧法人設立から1967年(昭和42年)9月30日までの略称はNBS[注 2]。
なお、本記事では1954年(昭和29年)4月13日から2006年(平成18年)3月31日までの旧会社(フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)に吸収合併)および2006年(平成18年)4月1日に分割新設された現行会社について述べる。
2018年4月からのキャッチフレーズは「あなたにショウアップ!ニッポン放送」。
目次
概要[編集]
東京地区で1950年代初頭に開局した民放のラジオ東京(現・TBSラジオ)・文化放送に続き、1954年に財界を中心とした約200社の出資で開局[注 3]。当時の役員は財界人で構成され、会長には稲垣平太郎(日本貿易会会長)、社長には植村甲午郎(経済団体連合会副会長)、専務には鹿内信隆(日本経営者団体連盟専務理事)、取締役に櫻田武(日本経営者団体連盟会長、日清紡績社長)が就任した。このような後押しがあったため、当時としては珍しく開局2年目で経常収支が黒字となった[2]。
産経新聞・夕刊フジ・サンケイスポーツなどを発行する産業経済新聞社(産経新聞社)やフジテレビとともにフジサンケイグループを構成する中核企業である。文化放送[注 4] と長く提携関係にあり、文化放送とともにラジオネットワーク「NRN」のキー局を務めている。
社章・社旗は、フジサンケイグループ各社で使用している統一シンボルマークである「目玉マーク」を使用(開局から目玉マーク制定前は、ニッポンの"N"とコールサインの“LF”を電波型にデフォルメしたマークを使用していた)。
元々フジテレビの親会社的な存在であったが、2005年(平成17年)1月17日よりフジテレビによる子会社化を目的に株式公開買い付け(TOB)が実施される。同時期にインターネット関連会社ライブドアが、経営権奪取を目的として大量のニッポン放送株式を取得したが、同社との間で4月18日和解が成立し、9月1日にフジテレビの完全子会社になった。この件は様々な問題提起を残した。詳しくはニッポン放送の経営権問題を参照のこと。
「オールナイトニッポン」等のキーステーションとして全国的には知られているが、ラジオ関東が1981年10月にアール・エフ・ラジオ日本(通称「ラジオ日本」)と改称以来、混同されて「ラジオ日本放送」と誤記されたり、郵便物の誤送・間違い電話などのトラブルが起き、「アール・エフ・ラジオ日本」の商号の使用停止を求めて提訴した。判決は請求棄却・ニッポン放送の敗訴で確定している[3][4]。このため全国ネットの番組でハガキの宛先を言う際は「カタカナでニッポン、漢字で放送」と呼びかけることがある。一方、ラジオ日本の方は頭に「1422」(いちよんにーにー)と冠する。
1997年(平成9年)3月24日 - 2004年(平成16年)9月5日の期間は、本社として使用していたビルの建て替えに伴い、東京都港区台場のFCGビル(通称フジテレビ本社ビル)にあった[5]。
レコード・CDの所有枚数は約23万枚(2012年現在)[注 5]。これはNHK浜松支局(所有枚数34万枚)に次いで多く、民放では最多の枚数を誇る[6]。
社員の給与は、ラジオ単営局の中では高い方であった[7]。
設立に財界が関与したこともあり、長らく労働組合が存在しないラジオ局であったが[8]、ライブドアによる買収問題が契機となり、2005年3月に労使の話し合いの場になっていた「いちご会」と呼ばれる30代以下の若手社員の有志組織が母体となって労組結成の準備を始め[9]、同年9月12日までに労働組合が結成された[10]。
時報[編集]
時報音は、「ピポ、ピポ、ピポ、ポーン」という鳩時計を模した特徴的な音を使用している[11][12]。AMステレオ放送を実施していた頃は「ピポ」の部分のうち「ピ」を左音声、「ポ」を右音声で流していた。radikoを利用して聴取する場合は別の効果音に差し替えられている。時報CMが無い場合はスポットCMからそのまま時報に続いているが、90年代まではスポットCMと時報の間にアナウンサーが時報明けの番組案内などと共に「○時をお知らせします」などとアナウンスしていた(LF+Rでも同様のアナウンスを行っていた)。次の番組と担当者によっては番組内でいじられることもあった(『ビートたけしのオールナイトニッポン』での塚越孝など)。
放送局概要[編集]
演奏所[編集]
- 本社演奏所 〒100-8439 東京都千代田区有楽町1丁目9番3号 糖業会館・ニッポン放送本社ビル
送信所[編集]
木更津送信所[編集]
- 所在地 千葉県木更津市椿318番地[13](約15,000坪[14])
- 送信アンテナ 支線式基部絶縁型指向性アンテナ(主アンテナ 122.4m支線式トラス鉄柱、副アンテナ 62.9m支線式トラス鉄柱、ラジアルアース 120本(半径 約110m)、施工 電気興業)[13][14][15]
- 旧送信機(1994年春まで) BN-7252V(日本電気)、MB-136C(日本電気)いずれも終段真空管蒸発冷却式[14]
- 現送信機(1994年3月本格運用)MBT-9050A 50kWデジタル振幅変調方式(全固体化)(NEC)×2台で100kW、設置工事NEC、鹿島建設 MBT9100A(NEC)
- 送信局舎 鉄筋コンクリート、高床式 一部2階建て(約147坪、施工 鹿島建設)[14]
- 非常時用自家発電機(350kVA)設置[13]
- 備考
周波数変更・出力増力(1240kc、100 kW)に伴い、1971年6月より使用。当地はかつて小櫃川の一部で、河川改修により河川敷となった場所に設置。また敷地内には「ニッポン放送木更津太陽光発電所」が設置され、2013年3月着工、10月1日より稼働。設計・運営はNTTファシリティーズ、施工は電気興業、ソーラーパネルは三菱電機の太陽電池モジュール(250W×7634枚)、パワーコンディショナーは東芝三菱電機産業システム(500 kW×3台)で構成。発電能力は約1.908MW、年間発電量は2300~2500MWh(2016年までの実績)、推定年間CO2削減量は1,175tとなり、発生した電力は電力事業者に販売される[16][17]。非常用電源としては使用されていない。[13]
足立予備送信所[編集]
- 出力1kW[18]。1971年6月に木更津送信所に移転するまで、当地を送信所として使用していた。
なお敷地内にポニーキャニオンエンタープライズ足立営業所、隣接地にニッポン放送足立野球場があったが2011年に取り壊され、野球場跡地は売却されて住宅地「パレットコート六町」になっている。
墨田FM補完中継局(放送呼称:「ワイドFM」)[編集]
| 周波数 | 空中線電力 | 最大実効 輻射電力 |
所在地 |
|---|---|---|---|
| 93.0 MHz | 7 kW | 57 kW[19] | 東京都墨田区押上1丁目1番13号 (東京スカイツリー) |
木更津送信所が災害発生時に放送ができなくなった時の対策や、都心部での難聴取や雑音などの解消を目的とする、FM放送で補完放送を行う中継局として、2014年9月3日に予備免許が付与され、東京スカイツリーにニッポン放送、TBSラジオ、文化放送の3社が共同でアンテナを設置、2015年10月5日に試験放送を開始し、同年12月7日 13:00に本放送を開始した[20][21][22][23][24]。あくまでもAMの補完目的で放送されるため、AMとFMのサイマル放送が行われる[22][25]。
2015年3月30日より、在京3局FM補完放送の通称を、もっと親しみを込める意味で「ワイドFM」とした。これは3局共通で、他のエリアの放送局やラジオ受信機メーカー、家電量販店でも、PRや販促にこの愛称を使用している。また、ニッポン放送の補完中継局の愛称は、当初は「+FM93」(プラスエフエムきゅうじゅうさん)という局名を付けていた[22] が、「ワイドFM」の愛称導入と同時に「Happy FM 93」(ハッピーエフエムきゅうじゅうさん)に改めた。これはニッポン放送2015年春のキャンペーンコピーにかけたものである[26]。
また、日本記念日協会に申請したところ、9月30日を「HAPPY FM93の日」にすることが承認された。認定式の模様は公開生放送で行われた『大谷ノブ彦 キキマス!』のなかで生中継された[27]。
J:COMケーブルネットワーク[編集]
2014年5月27日から、関東地区のJ:COM各局ではTBSラジオ・文化放送とともにJ:COMテレビのデータ放送を通じてのAMラジオ音声の再送信が行われている。これは従来のAM・FMラジオではなく、テレビで音声を聴取する形をとっている[28][29]。
radiko[編集]
『radiko』とはパソコン・スマートフォン向けに地上波放送と同じ番組やCMをサイマル配信するサービス。2010年3月15日の試験配信開始より参加しており、当初は南関東1都3県(東京・神奈川・埼玉・千葉)が配信エリアだったが、同年12月1日の本サービス以降は北関東3県(群馬・栃木・茨城)でも配信されている。音声は地上波同様にステレオで実施。
- radikoタイムフリー聴取[30]
2016年10月11日開始。ニッポン放送で放送された番組を放送日から1週間に限り後から聴くことができたり、SNSを通じて共有できるサービス。ニッポン放送の番組表もこれに合わせてリニューアルされた。基本的にほとんどの番組を聴取できるが、以下の番組は対応していない。
- テレフォン人生相談(平日 11:00 - 11:20)
なお、2018年4月1日5時をもって、『タッキーの滝沢電波城』『中居正広 ON&ON AIR』『オールナイトニッポンサタデースペシャル 大倉くんと高橋くん』のradikoプレミアム(エリアフリー聴取)[注 6] の規制が解除[注 7] されたため、これらの番組は7日土曜付の放送からエリアフリーに対応するほか、タイムフリーにも対応する。これにより、エリアフリー未対応番組は全廃となる[注 8][注 9]。
新聞番組表[編集]
フジサンケイグループの一員ということで、産経新聞東京本社版のラテ欄では、番組タイトル部分をゴシック体で表記している[31]。また、フジメディアホールディングスの最上位企業であるフジテレビの番組欄は、黄色で網かけと今日のみどころが補足されている。
また、多くの地方新聞では、夜間から早朝に電波が全国で届きやすいことも配慮し、朝刊のラジオ番組欄に文化放送、TBSラジオとともに深夜から翌朝の番組のみ掲載することが多いが、鳥取県の地方新聞である日本海新聞では関東のラジオ局で唯一当局を取り上げ、それを早朝からの全日分掲載しているが、現地では通常昼間は電波が届かない。
資本構成[編集]
企業・団体は当時の名称。出典:[32][33][34][35]
2008年10月1日以降[編集]
| 株主 | 比率 |
|---|---|
| フジ・メディア・ホールディングス | 100% |
過去の資本構成[編集]
| 資本金 | 授権資本 | 1株 | 発行済株式総数 |
|---|---|---|---|
| 5億円 | 10億円 | 500円 | 1,000,000株 |
| 株主 | 株式数 | 比率 |
|---|---|---|
| 新日本製鐵 | 34,166株 | 3.41% |
| 第一勧業銀行 | 27,466株 | 2.74% |
| 第一生命保険 | 22,999株 | 2.29% |
| 日本電気 | 18,332株 | 1.83% |
| 朝日生命保険 | 16,666株 | 1.66% |
| 明治生命保険 | 16,666株 | 1.66% |
| 日本生命保険 | 16,633株 | 1.66% |
| 三井銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 日本興業銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 富士銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 三菱銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 三和銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 住友銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 協和銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 資本金 | 授権資本 | 1株 | 発行済株式総数 | 株主数 |
|---|---|---|---|---|
| 5億円 | 10億円 | 500円 | 1,000,000株 | 279 |
| 株主 | 株式数 | 比率 |
|---|---|---|
| 産業経済新聞社 | 90,584株 | 9.05% |
| 新日本製鐵 | 34,166株 | 3.41% |
| 第一勧業銀行 | 27,466株 | 2.74% |
| さくら銀行 | 23,333株 | 2.33% |
| 第一生命保険 | 22,999株 | 2.29% |
| 日本電気 | 18,332株 | 1.83% |
| 朝日生命保険 | 16,666株 | 1.66% |
| 明治生命保険 | 16,666株 | 1.66% |
| 日本生命保険 | 16,633株 | 1.66% |
| 日本興業銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 富士銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 三菱銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 三和銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 住友銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 協和埼玉銀行 | 13,333株 | 1.33% |
| 資本金 | 発行済株式総数 | 株主数 |
|---|---|---|
| 41億5000万円 | 32,800,000株 | 900 |
| 株主 | 株式数 | 比率 |
|---|---|---|
| 鹿内宏明 | 3,226,000株 | 9.83% |
| Boston Safe Deposit & Trust Company Treaty Clients Omnibus | 1,831,600株 | 5.58% |
| 日本マスタートラスト信託銀行 | 1,460,200株 | 4.45% |
| みずほコーポレート銀行 | 1,459,980株 | 4.45% |
| エム・エー・シー | 1,249,300株 | 3.80% |
| 東京三菱銀行 | 1,231,980株 | 3.75% |
| 日本トラスティ・サービス信託銀行 | 1,184,400株 | 3.61% |
| 三井住友銀行 | 1,106,960株 | 3.37% |
| ステート・ストリート信託銀行 | 1,032,500株 | 3.14% |
| サンケイビル | 768,000株 | 2.34% |
| みずほ信託銀行 | 593,000株 | 1.80% |
| 三井アセット信託銀行 | 554,500株 | 1.69% |
| チェース・マンハッタン銀行(在ロンドン) | 552,000株 | 1.68% |
| 第一生命保険 | 551,500株 | 1.68% |
| 日本電気 | 440,360株 | 1.34% |
| 株主 | 比率 |
|---|---|
| フジテレビジョン | 100% |
沿革[編集]
1950年代 - 1990年代[編集]
- 1953年(昭和28年)12月23日 - 日本放送株式会社として予備免許取得。
- 1954年(昭和29年)
- 1月21日 - 日本放送株式会社を「株式会社ニッポン放送」に改称。
- 4月23日 - 設立総会を経て正式に「株式会社ニッポン放送」設立。
- 7月7日 - 本免許取得(コールサイン JOLF、周波数 1310kc[36]、出力 50kW)。
- 7月14日 - 6:30から、開局記念番組を放送。様々なイベント、ライブの模様を放送
- 7月15日午前5時 - 全国36番目、東京で3番目の本放送開始(ラジオ東京(KRT。現・TBSラジオ)、日本文化放送協会(NCB。現・文化放送)に続く3番目)。略称NBS。最初の番組は「お早うさん」[注 10]。アナウンサーは檜山信彦、ディレクターは糸居五郎、最初にかかった曲はムソルグスキー作曲「禿山の一夜」。
- 1955年(昭和30年) - ポニーキャニオンの前身となる関連会社 株式会社ニッポン放送事業社を設立。その後、1966年(昭和41年)10月1日に株式会社ニッポン放送サービスへと発展。
- 1957年(昭和32年)11月 - 東京地区のテレビ免許割り当てで、文化放送と共同でフジテレビジョン(以下フジテレビ)を設立。
- 1958年(昭和33年) - 文化放送と共同でステレオ実験放送を実施。
- 1959年(昭和34年)3月
- 株式会社深夜放送(後に催事企画及び保険代理店の株式会社フジサンケイエージェンシーとなる)を設立。
- 24時間放送開始。
- 1962年(昭和37年)11月3日 - 国内初のサテライトスタジオを新宿小田急百貨店店内に開設。
- 1965年(昭和40年)5月3日 - 文化放送と共同で全国民放ラジオ31社を結ぶ全国ラジオネットワーク(NRN)を発足。
- 1967年(昭和42年)10月2日 - 深夜放送の長寿番組『オールナイトニッポン』が放送開始。また、この頃略称を「LF」に変更。(NBSの略称は、現在長野放送が使用)
- 1971年(昭和46年)
- 6月 - 増力のため、東京都足立区六月町921番地[38](現 足立予備送信所)から千葉県木更津市椿318番地へ送信所を移転。
- 11月1日 - 周波数を1240kcに変更、出力を100kWに増力。
- この周波数変更前後(10月29日の朝8時半から11月2日正午まで)、出力100kW拡大にちなんで「100時間マラソンラジオ」と題した特別番組を開催。
- 周波数変更直前から新周波数(1240kc)では鐘の音を鳴らしながら「このシグナルは1240kc・100 kW、ニッポン放送木更津送信所から送信しています。周波数をおあわせ下さい」という試験電波のアナウンス・音源が放送された。そして午前3時の時報と同時に「ニッポン放送です。ニッポン放送はただいまから周波数1240kc、出力100kWで放送します」というアナウンスが行われ、「第2の開局」と称して周波数変更と出力拡大が行われた。この当時のアナウンスは高岡尞一郎によるものである。
- 1973年(昭和48年) - 『銀座音楽祭』開始(フジテレビ共催。歌手の新人賞の一つ)。
- 1975年(昭和50年) - 視覚障害者のために音響装置付信号機その他を贈るべく、毎年12月24日から翌日12月25日にかけて24時間放送しているチャリティー番組『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』を開始。
- 1977年(昭和52年)10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』放送開始10周年。
- 1978年(昭和53年)
- 11月23日 - ITU(国際電気通信連合)の取り決めで、周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、午前5時をもって、周波数を1242kHzに変更(5:00 - 9:01は試験放送。『玉置宏の笑顔でこんにちは』(アシスタント:宮崎文子)がちょうど変更の時間を跨いだ。9:00からの1分間は玉置が喋り、NTTの時報を跨いで改めてオープニングを流した。当日は俵孝太郎が「FNNニュースレポート6:00」のカメラを回していた[39])。
- - 月 - 堤義明(当時の「国土計画(現・プリンスホテル)」オーナー)よりプロ野球球団「横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)」運営会社の株式約30%を取得。
- 1981年(昭和56年)12月 - 大型多目的公開スタジオ「ラジオハウス銀河」(第1スタジオを改装)完成。
- 1982年(昭和57年)2月16日 - プリエンファシスを導入。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - フジサンケイグループ統一CI導入に伴い、ロゴ・マークを現在の「目玉マーク」に変更。
- 1987年(昭和62年)10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』放送開始20周年。
- 1991年(平成3年)10月 - 『オールナイトニッポン』25年目突入を記念して、中島みゆき、タモリ、ビートたけし、笑福亭鶴光の各オールナイトニッポンが、一夜限りの復活放送特別番組を放送した。
- 1992年(平成4年)
- 1994年(平成6年)3月 - 国産初の全固体化大電力デジタル振幅変調方式の送信機(日本電気製 MBT-9050A)を導入。
- 1996年(平成8年)12月2日 - 東京証券取引所第二部に株式を上場。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- インターネット公式サイトを、フジサンケイグループのサイト内(www.fujisankei-g.co.jp/jolf/)に開設。
- 1999年(平成11年)
2000年代[編集]
- 2000年(平成12年)
- 3月25日 - ニュース、交通情報のジングルを変更(塩塚博作曲 2011年7月まで使用)。
- 12月1日 - BSフジの超短波放送チャンネルの一つとして「LFX488」の放送開始。『ブロードバンド!ニッポン』はじめ一部の番組はインターネットラジオとしても送信。BSデジタルラジオ用サイトlfx488.com開設。
- 2001年(平成13年)
- 2003年
- 2004年
- 2005年
- (ここからの事象はニッポン放送の経営権問題も参照のこと。)
- 1月17日 - フジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)がニッポン放送発行済み株式の公開買付 (TOB) を発表(これにより両社の資本関係が逆転し、フジテレビの子会社になる予定だった)。
- 2月8日 - インターネット関係会社ライブドア(現:LDH)が子会社のライブドア・パートナーズと合わせて株式の35%を取得、ライブドアグループが筆頭株主となる。
- 2月10日 - フジテレビがニッポン放送株式TOBでの株式保有比率目標を「50%超」から「25%超」に引き下げ、買い付けの期限を3月2日まで延長すると発表。
- 2月23日 - フジテレビに対し4720万株分の新株予約権を割り当てると発表。
- 2月25日 - ライブドアがフジテレビを対象とした新株予約権発行を不服として東京地裁に発行差し止めの仮処分申請。
- 3月8日 - フジテレビによるニッポン放送株式TOBが成立、同社発行済み株式総数(3280万株)の36.47%を取得したと発表。
- 3月11日 - ライブドアの差止請求が認められ上記の新株予約権発行は無効に。ニッポン放送は東京高裁に対して即日抗告。
- 3月23日 - 上記の新株予約権発行差し止めの仮処分を不服としたニッポン放送の東京高裁に対する抗告が棄却された。同社は新株予約権発行を断念。
- 3月24日 - ニッポン放送はソフトバンク・インベストメント (SBI) に対して、ニッポン放送が現在所有するフジテレビ株を5年間の期限付きで貸し与えた。
- 3月27日 - 1955年以来、50年間続いた長寿番組『新日鉄コンサート』が終了。
- 4月18日 - ライブドアとフジテレビが和解、ライブドアグループが所有するニッポン放送株式全てをフジテレビに譲渡すると発表。フジテレビによる完全子会社化に目途が立つ。
- 4月22日 - ライブドアが「ニッポン放送株式をフジテレビと“共同保有している”」とした「大量保有報告書」を関東財務局に提出。
- 5月23日 - フジテレビがライブドア・パートナーズを買収し同社の商号を「LFホールディングス」(2006年4月に存在した「ニッポン放送ホールディングス」とは別の会社で、2005年7月12日にフジテレビと合併)に変更、フジテレビ保有のニッポン放送株式が合わせて68.87%となる。フジテレビによるニッポン放送の子会社化を円滑に進めるため、産業活力再生特別措置法の適用認定を申請。
- 5月24日 - ニッポン放送株式を東京証券取引所が監理ポストに割り当てる。
- 5月25日 - ニッポン放送が自社株式のTOBを開始。
- 6月10日 - 総務省が産業活力再生特別措置法の適用を認定。
- 6月16日 - ニッポン放送による自社株式のTOBが完了。ライブドアが保有する株式の大半を含む964万株を取得。これに伴いライブドアは主要株主から外れる。
- 6月22日 - フジテレビの深夜ドラマ枠『ディビジョン1』で、ニッポン放送(主にオールナイトニッポンの制作現場)を舞台としたドラマ『1242kHz こちらニッポン放送』放送開始(全4回)。22日深夜(23日未明)放送の『松浦亜弥のオールナイトニッポン』で松浦がこのドラマの模様を解説。
- 6月24日 - 磯原裕専務が社長に就任、亀渕昭信社長は退任し相談役に。
- 6月28日 - ニッポン放送株式が東京証券取引所の整理ポストに移行。
- 6月30日 - SBIに貸し出されていたフジテレビ株式がニッポン放送に返却される。これによりニッポン放送がフジテレビの筆頭株主に復活。
- 7月28日 - ニッポン放送株式が東京証券取引所の上場廃止。
- 9月1日 - フジテレビとの間で株式交換を実施、フジテレビによるニッポン放送の完全子会社化完了。
- 10月3日 - 「ニッポン放送Podcasting STATION」を開設、ポッドキャスティングによるインターネットラジオ配信を開始。
- 12月25日 - フジテレビ系列にて「松任谷由実のオールナイトニッポンTV」が放送。
- 2006年
- 1月19日 - 総務省がニッポン放送のラジオ事業部門の会社分割に伴う免許承継を認可。
- 3月31日 - BSフジの超短波放送チャンネル撤退に伴い「LFX488」の放送を終了し、4月1日付けでインターネットラジオ「LFX BB」と統合してステーション名を「LFX mudigi」に改称。
- 4月1日(休日につき、登記は4月3日に実施)
- (旧)「株式会社ニッポン放送」保有の資産をフジテレビに吸収させるため会社分割を実施、社名を「株式会社ニッポン放送ホールディングス」に商号変更すると共に、中波放送局免許及び中波ラジオ放送事業を、新たに設立した(新)「株式会社ニッポン放送」に承継。ロゴマークも新会社がそのまま承継した。
- 「ニッポン放送ホールディングス」をフジテレビが吸収合併。これにより、フジテレビは(旧)ニッポン放送が保有していたフジテレビ株式(20.80%)とニッポン放送子会社(ポニーキャニオンなど)株式を取得し、ニッポン放送保有のフジテレビ株式がなくなるとともに、ニッポン放送の子会社がフジテレビの直接子会社となりフジテレビが事業持株会社化した。
- アナウンサー11人を含めた、全社員の約2割の47人を除いた全ての社員が事実上はニッポン放送に残留のため、(新)「ニッポン放送」に転籍し、47人はニッポン放送ホールディングスのフジテレビへの合併により事実上のフジテレビへの転籍となり、フジテレビの社員になった[40][41]。
- 9月30日 - 4月の会社再編でフジテレビの社員になっていた元ニッポン放送アナウンサー全てが番組から降板、もしくは番組終了。
- 10月1日 - 地上デジタルラジオ実用化試験放送のチャンネルが、9501チャンネル(愛称mudigi)に移動し、1セグメント放送のみに変更。
- 2007年
- 3月中旬 - Suono Dolce専用サイト開設(suono.jp)。
- 4月2日 - LFX mudigiを地上デジタルラジオ実用化試験放送及びインターネット放送を行うデジタルステーションSuono Dolceとしてリニューアル。地上デジタルラジオのチャンネル名をD-JOLFに変更し、サブチャンネルのJOLF+を創設。
- 10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』放送開始40周年。
- 2008年
- 1月29、30日 - 2008年北京オリンピックハンドボールアジア地区最終予選の再試合を行うにあたり、日本で行われる国際試合としてラジオ史上初のハンドボール実況生中継を放送(ハンドボールのラジオ実況は1997年世界男子ハンドボール選手権の熊本放送以来)。
- 2月18日 - 番組が受け付けるFAX番号を一般電話番号からナビダイヤルに変更。
- 2月23日13:00 - 2月24日29:00 まで 『オールナイトニッポン』40周年の特別番組として、『俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル』を放送。ビートたけし・笑福亭鶴光・タモリ・松任谷由実・ウッチャンナンチャンなどの歴代パーソナリティーが久々に放送し、福山雅治・ナインティナインと現在のパーソナリティも放送した。
- 9月29日 - 地上デジタルラジオ「D-JOLF」のサブチャンネル「JOLF+」を、「ニッポン放送DIGITAL」に改称。地上波ニッポン放送のサイマル放送を開始。
- 10月1日 - フジテレビの持株会社化により、フジ・メディア・ホールディングスの完全子会社となる。
2010年代[編集]
- 2010年
- 3月15日 - 他の在京ラジオ6局と共同で、インターネットのIPサイマル放送「radiko」の試験配信を開始(南関東-1都3県限定)[42][43]。
- 6月22日 - 協同廣告会長の村山創太郎が、社長に就任。磯原裕社長が相談役に就任。
- 6月28日 - 7月期大幅改編と同時に「1242.com」をリニューアル。
- 10月4日 - 1年間をかけて行う、ステーションキャンペーン「人生を豊かに! ニッポンをもっと楽しもう計画」始動。毎月テーマを設けて、各ワイド番組[44] がテーマと番組カラーに特化した話題を届けていく(2011年3月11日発生の東日本大震災のため、キャンペーン展開を打ち切られた。以降、LF+Rと同様に関係者の間では語らなくなった)。
- 12月1日 - 他の在京ラジオ6局と同時に、インターネットのIPサイマル放送「radiko」の正式配信を開始。同時に、それまでの南関東-1都3県から、サービスエリアを、群馬県・栃木県・茨城県を含む、関東地方全域-1都6県に拡大[46][47]。
- 2011年
- 1月1日 - CS放送専門チャンネルゴルフネットワーク「ジャンボ尾崎世界ゴルフ殿堂入り記念特番 新世紀ゴルフ伝説 ジャンボ尾崎と若武者の挑戦」(1月2日夜放送分)の50分編集版特別番組「新世紀ゴルフ伝説 ジャンボと若武者の挑戦」[48] がLFをキー局にNRN系列で放送(LFでは同日19:00 - 19:50に放送)。パーソナリティは師岡正雄。
- 2月28日 - mobageにて「オールナイトニッポンを作ろう!」をリリースし、ゲーム事業に参入[49]。
- 本作と「美少女競泳メドレーバトル」の2タイトルをリリースしたが、2013年までに全てサービスを終了した[50]。
- 3月11日 - 『上柳昌彦 ごごばん!』放送中の午後2時46分、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)発生。「災害特別放送」に移行[51]、終日震災関連の情報を提供。
- 地震発生時から18:00まで、番組担当の上柳昌彦が地震注意を呼びかける中、14:47に23区でも震度5強を記録(断層の連続破壊により、S波は1分にわたって続いたことになる)。地震の第一報(最大震度・津波情報)を宮崎裕子が伝え、程なく森田耕次報道部長(当時。現:解説委員)に変わり上柳と担当。このあとも14日5:00まで断続的にアナウンサー・報道部デスク持ち回りで実施。また土曜日は『とくモリ!』の徳光和夫・石川みゆきや『ラジオサーキット』の小倉智昭が出演するなど、通常番組ではあるが内容を大幅変更して放送されたケースも存在する(この場合も徳光・石川・小倉はフリーアナウンサーではあるが、情報キャスターの役割でニッポン放送のアナウンサーと報道部デスクが必ず付いた)。また13日5:00までは時報、音楽、CMをすべてカットして報道に専念(その後もCMカットは続くが時報と一部音楽のみ13日5:00の時報で解禁)。これ以降も18日までは番組ジングルなどは基本的にカットされた。
- J-WAVEの主導により他の在京5局と共に、史上初の「ラジオ災害情報交差点」[52]、またニッポン放送独自のネットワークによる「首都圏学校安否情報」「首都圏お勤め先安否情報」発動。
- 当日19:00から2時間など、一部時間帯は大阪・朝日放送(ABC)へも同時ネットされた。なお、全国ネット対応枠(『オールナイトニッポン』の枠など)は首都圏ローカル情報枠とネット局向け枠の二重制作の上で後者を裏送りした。この裏送り分は大阪ではラジオ大阪が主にネットしていたため、大阪地区では二重制作分を両方聴取することが可能であった。
- この時のメールアドレスは「lf@1242.com」、「koe@allnightnippon.com」だった。
- これ以降、各アナウンサー持ち回りで担当する「防災ひとくちメモ」をスポット枠で流している。その他、防災への取り組みは ニッポン放送 防災ナビ に掲載されている。
- 同時に夏場は「暑さ対策ワンポイント」をスポット枠で流す。こちらは飯田アナウンサーと新保アナウンサーのものが流れる。
- 東北放送を通じて携帯ラジオ1000台を被災者に配布。(初登場)
- 3月29日 - この日行われた「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!SAMURAI BLUE(日本代表) vs Jリーグ選抜 TEAM AS ONE」(19:00 - 21:50)の生中継を19:20以降、宮城県のコミュニティFMである仙台シティエフエム RADIO3(仙台市青葉区)とエフエムたいはく(仙台市太白区)へ向けてネットされた。また、在阪NRN加盟局がいずれも放送しなかったため、独立局のラジオ関西へもネットされた。実況は煙山光紀アナウンサー。
- 3月31日 - 地上デジタル音声放送実用化試験放送終了に伴い、95チャンネル「D-JOLF」、9501チャンネル「Suono Dolce」・9502チャンネル「ニッポン放送DIGITAL」閉局。
- 4月9日 - 午後1時から24時間、福山雅治をメインパーソナリティに「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン スペシャル 『I'm with U キミと、24時間ラジオ』」を生放送。ミュージックソンの特別版は今回が初。また、今回は普段と異なり、深夜早朝に問わず全国の放送局が任意の時間に番組をネットできる体制をとり、企画ネットで放送されない地域でもニッポン放送の番組が入中される。
- 6月22日 - 8月31日にかけて自主的にライトダウンの呼びかけを行う「昼も。夜も。節電ライトダウン2011」に参加。
- 8月1日
- ニュース、交通情報のジングルを変更(中塚武作曲)し、当日の『高嶋ひでたけのあさラジ!』より使用開始。
- 26日までの間、「Summer Time HAPPY HOUR 編成」と題して期間限定で2本番組を放送する。月-金曜朝の起点を30分繰り上げて4:30 - 5:00に「新保友映のもうすぐ あさラジ!」を編成。また夕方は、22日からの1週間はスペシャルウィークとの連動で16:00 - 17:40に「ごごばん!スペシャル ザ・ニュースショー〜そこまで言うか!〜」を編成する。
- 2012年
- 2月20日 - 26日 - ニッポン放送スペシャルウィーク。この週はシンガーソングライターの松任谷由実が、〝春よ来い! 元気をリリースニッポン放送〟をキーワードに特別編成局長を務める。著名人が特別編成局長に就任するのは開局以来初。松任谷は期間中、「上柳昌彦 ごごばん!」に生出演、「笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ」に出演、その他各番組にコメント出演、飛び入り出演した[53]。
- 5月22日 - 東京スカイツリー開業記念の特別番組を、J-WAVEと合同で企画、サイマル放送で放送。ニッポン放送は垣花正、吉田尚記、東貴博が、J-WAVEは宮本絢子、杉山ハリー、DJ TARO、Saschaが担当。
- 6月27日 - 元ニッポン放送アナウンサーでフジテレビクリエイティブ事業部所属の「つかちゃん」こと塚越孝が同社のトイレの個室で自殺。享年57。
- 2013年
- 2月22日 - オールナイトニッポンが放送45周年を迎えるに当たり、24日まで「たけし みゆき 千春も登場! 伝説のパーソナリティが今を語る オールナイトニッポン45時間スペシャル」を、各番組連動で、文字通り45時間にわたって放送。ちなみに聴取率調査週間。
- 3月12日 - 記者会見でデジタルラジオへの参入を見合わせ、AM、FMによる同時放送を検討していると発表した[54]。
- 6月26日 - 2014年7月15日に開局60周年を迎えることを記念して2013年10月 - 2014年12月まで「開局60周年キャンペーン」を展開することが発表された。キャッチフレーズは「NEXT STAGE with U」である[55]。
- 2014年
- 2015年
- 2016年
- 2018年
設備[編集]
- 糖業会館・ニッポン放送本社ビル
- 2004年4月竣工、設計:三菱地所設計、施工:大成建設・鹿島建設・東急建設共同企業体、敷地面積:1,314.93㎡、延床面積:12,419.86㎡、階数:地上9階・地下4階・塔屋1階 塔屋には「情報発信拠点」の象徴として、モノポールアンテナを模したステンレス製の避雷針が2本立てられている[60]。
- 建て替え前の「糖業会館ビル」は社団法人糖業協会が所有しており、第2次世界大戦前の1939年に建てられた建物で、1954年のニッポン放送開局に伴い増築を施して入居していた[61][62]。現在の「糖業会館・ニッポン放送本社ビル」は、糖業協会・ニッポン放送の共同所有となっており、エレベーター(東芝エレベータ製[63])も別入口となっている
- フロア
- 地下4階 - レコード室(レコード盤、8cmCD、効果音用小道具等が保管されている)[64]
- 地下3階 - (糖業協会)
- 地下2階 -
- imagineSTUDIO[65] - 第1スタジオ。大型多目的公開スタジオである。ジョン・レノンの楽曲「イマジン」に由来。壁面ガラスにジョン・レノンのサインが刻まれたプレートが埋め込まれている。公開番組や『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』、ニッポン放送主催イベントで使われる。かつての「ラジオハウス銀河」の系譜を受け継ぐもの。
- 倉庫[66]
- 地下1階 - (ニユートーキヨー 綴 TSUZURI[注 12])
- 1階 - 受付・車両室(車庫)・防災センター・応接室※受付が付設されてる正面玄関[67]と、3台駐車可能な平置きと機械式駐車場[68]が設置されているペニンシュラホテル側の通用口[69][70][71]と2つ設置されている
- 2・3階 - (糖業協会)
- 4階 - 旧社屋の第6スタジオ(通称:ブルースカイスタジオ)と第7スタジオ(通称:レッドスカイスタジオ)を継承した第2スタジオと第3スタジオを交互で使用しており、各スタジオに使用スケジュールが貼り出されている[72]。また、エレベーターロビーに提供スポンサー企業のサンプル商品が鎮座する冷蔵庫やスタッフが居る場合がある[73][74][75][76]
- 放送センター、技術局フロア
- 報道部[77] - 第3スタジオ隣に設置されており[75]、報道部の隅に即アナウンス出来る簡易ブース[78]が設けられている
- スポーツ部[79][80] - 第2スタジオ隣に設置されている[81]
- 放送技術部[79]
- デジタル技術推進室
- マスター(東芝 社会インフラシステム社製) - マスター専用の放送ブース・手動送出卓がある
- CDルーム[79][82]
- 第2スタジオ[83][84] - 生放送用スタジオ。スタジオの窓からはザ・ペニンシュラ東京や日比谷公園が見える。
- 第3スタジオ[85] - 生放送用スタジオ。スタジオの窓からDNタワー21が見える。また、再移転後しばらくは通称レトロスタジオとして、昭和30年代をイメージした家具や雑貨が置かれていたが、2006年に撤去
- オレンジブース - 生活情報報道で緊急情報を伝える時に使用するブース[86]
- テレフォンセンター[87][88]
- 5階 - 営業局、編成局
- 6階 - 準放送フロア
- エンターテイメント開発局、ビジネス開発センター※サウンドマン合併、新会社設立前は分室が存在していた
- 7階
- 管理部門フロア※エル・ファクトリー合併、新会社設立前は同フロアに所在していた
- 8階
- 役員室
- 秘書室
- 9階 - 会議室、NRN事務局
サテライトスタジオ[編集]
ニッポン放送は1960年代前半、当時テレビに押され気味だったラジオの媒体価値を高めるべく、ラジオがより身近な存在である事をアピール。局舎以外に公開スタジオを設置する事となり、これをサテライトスタジオ(通称・サテスタ)と呼んだ。このサテスタ作戦は成功し、文化放送は追従したが、TBSラジオは街頭中継に力を入れた(=ラジオカーの増強)こともあり追従はしなかった。
現在ではニッポン放送も含め、同様の施策はAM局よりはむしろFM局の方が力を入れている(例:TOKYO FMのスペイン坂スタジオ)が、全国各局で採用されている。
- 過去に設置されたニッポン放送のサテライトスタジオ所在地
- 新宿(小田急百貨店2階。現在は三菱東京UFJ銀行の一部 1962年 - 不明)
- 新宿(伊勢丹内)
- 雷門サテライトスタジオ(浅草 常盤堂雷おこし本舗本店1階 現在は店舗の一部)
- 秋葉原(シントクエコー[注 13])1階。跡地は建物の守衛室に流用されている 1970年以降 - 1993年以前)
- 池袋(西武百貨店2階。現在は百貨店のディスプレイ)
- 銀座(三愛ドリームセンター内)
- 西銀座サテライトスタジオ(西銀座デパート1階 現在は隣接していた宝くじチャンスセンターが増床 サテライトスタジオのさきがけ)
- 有楽町Radio Town(有楽町 読売会館2階南側(ビックカメラ有楽町店内) 現在はビックカメラ有楽町店の一部 2001年6月-2004年3月)
中継車[編集]
- 4年毎に車両更新され、ラジオカーの最大出力は50W。中継は、霞が関ビルディング・筑波山・双子山に設置された基地局に送られ、そこから専用回線を使って本社に送られる。
2018年時点の車両には、車体正面と側面にニッポン放送のロゴとフジサンケイグループの目玉マークが描かれている。但し、FMカーの側面にはワイドFMのコールサインである「FM93」のロゴが描かれている。ロゴナンバープレートは希望番号制度導入以降、全車AM放送周波数の「12-42」にて登録されている
歴史[編集]
1959年(昭和34年)に日本のラジオ局で初めての交通情報番組「ハイウエーニュース」を放送開始し、1960年頃に主要13交差点の混雑状況を報じる「交通ニュース」も放送開始。その後アメリカのラジオ局にならい「ニッポン放送ヘリ情報」と題してヘリコプターから交通情報や報道を行っていたが、日本道路交通情報センターが設置されたためヘリコプターを廃止。その後1970年(昭和45年)3月2日に街角からのリポート・報道中継を目的として、中波民放ラジオ局としては初めてラジオカーを導入。その後、各局が追随した。当初は2台(セダン型の車両を使用 愛称:ニッポン1号・ニッポン2号 塗装は、緑と白の塗り分け)で、JAFのロードサービス隊員が乗車していた。
ラジオカー[編集]
- 1号車 トヨタ・アルファード[105]
- 3号車 スズキ・エスクード[105]
FMカー[編集]
- ラジオカーの電波が受信基地に届かない場合に、ラジオカーの電波を受信基地まで2段中継するために使われる。他の車に比べ出力の大きい送信機を搭載。
その他[編集]
- ウェザーカー - 車体側面に青空をモチーフにした絵と番組名が塗装され、代々トヨタ自動車のトヨタ・エスティマが使用されていた。2台所有。TOYOTA ハッピータウンサーキット専用。1999年(平成11年)に前身番組の「TOYOTA 飛び出せ街かど天気予報」の放送開始に伴い導入。車両は番組の単独スポンサーであるトヨタ自動車より提供されたもの。番組終了に伴い運用終了。
- マイクロバス - 別途機材を積んでラジオカーとして使用することがあり、『ニッポン放送社屋移転特別番組 有楽町から台場へ 1242人夢のマイクリレー』等で使用されている。トヨタ・コースターを使用。
ID[編集]
開局当時から、民間放送では唯一、君が代が演奏されている。1998年(平成10年)3月までは毎日の放送開始=24時間放送に移行後は1日の起点時間に毎日演奏されていたが、同年4月以後は月曜日と土曜日の早朝の開始(起点)時間に演奏されるのみとなり、火 - 金曜日と日曜日の早朝のジャンクションは、フランク・ミルズの「街角のカフェ(from a sidewalk cafe)」の演奏と共にアナウンスが行われていた。2015年12月現在、基本的にIDの放送は日曜の早朝と月曜の早朝のみとなった。
【日曜の早朝】 4:28頃に『オールナイトニッポンR』のCM枠内で、「ニッポン放送今週の推薦曲」のあとに増山さやかと飯田浩司によるものが週替わりで[注 14] 流される。4:29.40から4:30.00まではCM枠を再びフェードインさせてつないでいる。なお、起点である5:00のところは以前は前番組から1分間のステブレを挟んだが、現在は時報を挟んだステブレレスである。
【月曜の早朝】 以下の通り、試験放送後に那須恵理子によるコールサインチェック[注 15]、緊急警報放送試験信号の発信、5:00の時報となって、『上柳昌彦 あさぼらけ』へつなぐ。なお、終夜特別編成になる場合はコールサインチェック・緊急警報放送試験信号は放送されない。なお、かつては火曜 - 土曜の早朝も緊急警報放送試験信号を省略した以外はこの内容だった[注 16]。
【火曜 - 土曜の早朝】 火曜 - 金曜は4:30、土曜は5:00が起点。月-金曜については『オールナイトニッポン0(ZERO)』からステブレレスで朝一番の番組へつなぐ。土曜は従来通り番宣CM(だいたいが『とくモリ!』、『LOVE&MELODY』で、その前後をジングルで挟む)でつなぐ[注 17]。
かつては、「ニッポン放送行進曲」(作曲:古関裕而)なる曲が毎朝放送されており、現在も入社式で使用されている[106]。
終了時は増山さやか(2000年代 - )のアナウンス。アナウンスに関してはワイドFM開始時に墨田放送局が追加されたのを除けば変更はなされていないが、昭和天皇の病状が悪化していた1988年冬頃は「…これから暫くの間お休みさせて頂き、午前5時から再び放送を開始致します。」の後に、「なお、天皇陛下のご病状に関する新しいニュースは入り次第お伝えいたします。」という内容のアナウンスが追加されていた。
1980年代から1990年代には、「朝もやの渚(Sleepy Shores)」の後にも、朝の局名告知で使用されるフランク・ミルズの「街角のカフェ(from a sidewalk cafe)」が、続いて1分15秒ほど流れていた。
一日中放送内でCM明けにコールサインが放送され、また1時間ごとに、IDコールが行われる(無線局運用規則第138条第2項の毎時最低1回の局名告知義務に基づくもの)。広告入りの物もある。
月曜日の早朝はメンテナンスが行われるが、4:45から試験放送が行われる(2007年9月から2010年6月までは、小倉淳の早起きGoodDay!(4:30開始)が放送されていたため、4:15からであった[注 18])。その際流れるのはエンヤの「Amarantine」「It's In The Rain」「Long Long Journey」の順に流される(2008年度(平成20年度)- [107](試験電波発射中のアナウンスは東島衣里(2016年3月28日〜。それ以前は新保友映、2015年12月14日から翌年3月14日までは箱崎みどりがアナウンス)。そのあとコールサインチェック(ここから那須恵理子が最後まで担当)、君が代の演奏、緊急警報放送システムの試験信号放送が行われ、通常放送がスタートする。なお、この緊急警報放送システムの試験信号放送は、自動的に信号で動作することが出来るラジオの電源をOFFにする信号であるため、ラジオの周波数を1242に合わせてあって、この信号を仮に受信したとしても急に電源が入る心配はない。ただ、対応ラジオで聞いていた場合には電源が切れる。
2013年12月23日の木更津送信所からの試験電波では、エンヤの代わりにクリスマスソングをかけていた。また、通常担当のアナウンサーとは別のアナウンサーが対応していた。ただし、オープニングのコールサインからは通常の那須恵理子の放送が使用された。[108]
足立予備送信所からの試験放送についても同様のスタイルで行われるが、木更津での試験電波のセットリストの「Amarantine」「It's In The Rain」「Long Long Journey」のパターンとは別となっており、エンヤの別の曲が用いられたり、[注 19] 別のアーティストが使われたり[注 20]、放送が年によって異なる(この際は通常「周波数、1242 kHz。出力、100kWで、ただ今試験電波を…」のアナウンスが「周波数、1242 kHz。出力、1 kWで、ただ今試験電波を…」に変わる)。
FM補完放送開始後もオープニング、クロージングで使用している曲は変更がない。なお、「周波数、1242 kHz。出力、100 kW、墨田放送局、周波数、93.0 MHz、出力、7 kWで…」とFM補完放送の部分が追加されているが、AMの木更津送信所の名称については触れていない。緊急警報システムの試験信号放送は以前は日曜深夜の放送休止のアナウンスが入る前に行なわれていた。
1999年(平成11年)7月から2001年3月にかけて、学研が終了時の枠を買い取り、突如終了時にノイズが入り(終わったかのように思わせて)、オカルト怪談のラジオドラマを約10分近く放送していた。本編のあとには雑誌ムーの宣伝という構成であった。当時のタイムテーブルには「日曜の夜に何かがおこる」とあり、番組名は記されていなかった。一方、新聞の番組欄では「1:28 ムー」記載がとあった。当然ではあるがそのあとに本当のクロージングは放送している。内容としては、通常のクロージングのように「JOLF JOLF お聴きの放送は皆さまのニッポン放送です」(ただし担当は別人)と入れたのちに「朝もや」を流すが唐突にホラー音楽が流れ、先程のコメントに不気味なエフェクトをかけて怪談のラジオドラマを流していた。
ニッポン放送で流される局名告知の短いIDは、後述のキャッチフレーズを使用したジングルと、アナウンサーが読み上げるものが存在する。2015年12月6日までは以下の通りで、那須・山本・新保友映・飯田浩司によるものが流されていた。
- JOLF、 お聴きの放送はニッポン放送、周波数は1242kHzです。
- JOLF、 お聴きのラジオは、1242、ニッポン放送です。
- お聴きの放送はAM1242、ニッポン放送です。
- 「暑中お見舞い申し上げます、ニッポン放送」 - 梅雨明け後から。増山
2015年12月7日からは以下を、増山・飯田によるもので流している。
- JOLF、FM93・AM1242、 ニッポン放送です。
番組[編集]
- ニッポン放送タイムテーブル(※オールナイトニッポンも含む)
- ニッポン放送番組一覧
アナウンサー[編集]
- アナウンサーの所属は、生活情報・音楽・バラエティなどが中心の制作部と、スポーツ専門のスポーツ部に分かれていたが、2011年6月に編成局アナウンサー室に集約されたのち、2012年7月1日付の組織変更により「編成局制作部アナウンサールーム」となったが、2018年4月時点で「制作部」が廃止された事で、再び「編成局アナウンス室」に改組された。
また、2015年入社以降のアナウンサーの所属は子会社であるエル・ファクトリー(現:ミックスゾーン)となっているが、採用作業はニッポン放送の側で行っている[109]
なお、ニュース専門の報道部はアナウンサーでは無く報道部デスクと呼称され、所属は報道部で記者という扱いのためプロフィールも公開されていない。また契約アナウンサーは、報道部の宿直勤務を中心に局アナ業務のフォローを担っている。
尚、各番組に出演する際は「ニッポン放送の[注 21]○○です」と呼称している
情報・バラエティ番組担当[編集]
- 男性
- 女性
スポーツ中継担当[編集]
- 煙山光紀(ラジオたんぱ→1994年、テレビ北海道より移籍) - 編成局スポーツ部アナウンス室副部長
- 山内宏明(1992年入社) - 主任
- 洗川雄司(2001年入社) - 主任
- 大泉健斗(2017年入社)※一般企業から第2新卒にて入社
- 小永井一歩[110][111](2018年入社)
報道部記者[編集]
- 大久保太郎(報道部部長)
- 畑中秀哉(報道部副部長、元アナウンサー)
- 遠藤竜也(報道部副部長、ディレクター)
- 森田耕次(解説委員、1991年、TOKYO FMより移籍、元報道部部長)
- 山本剛士(1990年、ラジオ日本より移籍、報道部アナウンサー、記者、元アナウンス部室長、報道部担当副部長)
- 早渕大輔
- 後藤誠一郎
- 饗庭佑奈
- 勝山達志(嘱託[注 22]、旧姓:田畑、1974年 - 1977年 元・アナウンサー→報道部デスク業務)
- 上村貢聖(嘱託、元解説委員、アナウンサー、プロデューサー、報道部部長、アナウンス部室長)
- 井𡈽厚(嘱託)[114]
- 岡宏(嘱託、元報道部副部長)[注 23]
契約アナウンサー[編集]
- 同社OB・OGの那須、栗村、上柳、師岡、松本及び子会社兼任所属のひろたはニッポン放送の公式Webサイトにプロフィールがあり、肩書きも同社所属が付与される
- 宮田統樹(1964年 - 2001年同局アナウンサー、以降オフィスカノン) - スポーツ部所属
- 胡口和雄(1972年 - 2008年同局アナウンサー、以降ミックスゾーン) - スポーツ部所属
- 山田透(RFラジオ日本から移籍、1983年 - 1996年同局アナウンサー、以降キャスト・プラス) - スポーツ部所属
- 那須恵理子(1974年 - 2016年同局アナウンサー、以降フリー) - 制作部所属
- 栗村智(1977年入社、2006年4月にフジテレビに転籍するが、同年7月に復帰、2018年8月同局アナウンサー、以降オフィス栗好み) - スポーツ部所属
- 上柳昌彦(1981年 - 2017年8月同局アナウンサー、以降ミックスゾーン) - 制作部所属
- 師岡正雄(九州朝日放送より移籍、1993年 - 2018年1月同局アナウンサー以降ボイスワークス) - スポーツ部所属
- 松本秀夫(1985年 - 2017年3月同局アナウンサー、以降株式会社チェンジアップ) - スポーツ部所属
- ひろたみゆ紀(2016年10月入社、ミックスゾーンとの兼任)
- 柿崎元子(元青森放送、テレビ東京、ブルームバーグ→オフィスサッキー) - 報道部所属※2018年8月1日付から
- 河内孝博(元北陸放送→青二プロダクション) - 報道部所属
- 渡辺一宏(元北日本放送、テレビ埼玉→シー・フォルダ) - 報道部所属
- 小笠原聖(元秋田朝日放送→エス・オー・プロモーション→フリー) - 制作部所属
- 清水久嗣(元TOKYO FM→フリー) - スポーツ部所属
支局アナウンサー[編集]
- すべてフリーアナウンサー。交通情報(昼・夕方 2010年3月より各県警からの交通情報を休止)や、地域情報番組「ハロー埼玉」(2008年度から休止)・「ハロー千葉」・「ハロー神奈川」を担当。なお東京都内の交通情報は日本道路交通情報センター[注 24] が担当[115]
かつては静岡支局も存在していたが、営業拠点であり地域情報や交通情報の枠はなく、1990年代に神奈川支局に統合し、閉鎖されている。
- 千葉支局
- はやしまりい(月・火 不明-2010年3月)- 2009年以降は交通情報のみの担当となる
- 屋木綾伊子(水-金 不明-2010年3月) - 2009年以降は交通情報のみの担当となる
- 松井華織(2009年1月 - 不明、『ハロー千葉』のみ担当)
- 平塚アミ(2010年3月 - 2011年12月)
- おだりょうこ(漢字表記不詳 2010年11月 - 2011年12月)
- 横浜支局
- 久米千絵(月、火曜) - 2010年4月 -
- 田中久恵(水 - 金曜)
- 三宅和美 - 不明 - 2008年
- 東日本支局(通称 埼玉支局) - 2012年頃に支局が閉鎖された模様。2012年度新卒採用情報[116]には記載があるが、2013年度新卒採用情報[117]以降は東日本支局の記載がない。しかし交通情報の枠は現存する。
- 酒井美穂(月、火曜) - 不明 - 2010年3月
- 久米千絵(水 - 金曜日) - 不明 - 2010年3月
制作スタッフ[編集]
- 2018年の組織改編にて、制作部は廃止。ディレクションの多くは子会社のミックスゾーンのスタッフが務め、制作部所属だったスタッフの1部は編成局に異動している
- 森谷和郎(元ディレクター、プロデューサー、現・同社専務取締役、株式会社radiko取締役兼務[118])
- 松浦大介(元ディレクター、プロデューサー、現・常務取締役兼編成局長)
- 鳥谷規(元プロデューサー、ディレクター、現・編成局シニアマネージャー、マンガ大賞実行委員)
- 宅野淳(元ディレクター、現・編成局スポーツ部デスク)
- 勅使川原昭(元ディレクター、プロデューサー、エンターテインメント開発局長、現・ニッポン放送プロジェクト常務取締役兼小説家の志駕晃)
- 節丸雅矛(元プロデューサー、ディレクター、現・ビジネス開発センター長)
- 瀬尾伊知郎(元プロデューサー、ディレクター、スポーツ部長、編成部長、営業部長、営業戦略室長、現・編成局長)
- 桜井達也(元ディレクター、現・ニッポン放送編成局報道部長)
- 石田誠(編成局ディレクター)
- 桐畑行良
- 高田陽平(元ディレクター、現・エンターテインメント開発局)
- 丹羽一弘(ディレクター)
- 松岡敦司(元ディレクター、現・営業局メディアプロデュース部兼2020戦略情報委員会主任)
- 長浜純(元ディレクター、現・プロデューサー)
- 柿崎竜也
- 三宅正希(元ディレクター、制作部制作部長、現・株式会社grape取締役)
- 松尾紀明
- 福田大介
- 藤原悠佑(編成局ディレクター)
- 五戸勝徳(元ディレクター、現・メディア開発局デジタルソリューション部「しゃべる」編集長)
- 青木潤現(元ディレクター、現・メディア開発局デジタルソリューション部所属)
- 冨山雄一(元ディレクター、現・編成局編成部主任)
- 林佑介(編成局スポーツ部ディレクター、元制作部ディレクター)
- 野上大貴(編成局ディレクター、元・アマチュアお笑いタレント)
- 高柳良一(総務部長)
- 橋内慎一(元ディレクター、プロデューサー、編成局スポーツ部副部長、現・エル・ファクトリー制作本部長 兼 第一制作部長→ミックスゾーン制作本部執行役員本部長)
- 早崎一郎
晴れ晴れキャスターズ[編集]
1994年(平成6年)10月 - 2006年(平成18年)9月まで放送されていたTOYOTA 飛び出せ街かど天気予報のウェザーキャスター。
過去の在籍者[編集]
フジテレビ転籍者[編集]
アナウンサー[編集]
- 塚越孝(1977年入社、クリエイティブ事業局クリエイティブ事業推進センタークリエイティブ事業営業部プロデューサー、2012年没)
- 小野浩慈(1979年入社、2015年5月の定年退職以後、現・東京フイルム・メート所属)
- 桜庭亮平(1983年入社、2017年10月退職以後、一般企業に転職)
- 田代優美(1991年入社、総務局法務室兼適正業務推進室、2018年3月31日付退職)
- 鈴木芳彦(2003年入社)
- 岩下方彦(栃木放送より移籍、1991年、現・フジテレビ記者)
- 松元真一郎(福島放送→1992年中京テレビより移籍、2012年末退職以後、現・ザ・ユニバース所属)
- 川野良子(1993年入社)
- 福永一茂(1998年入社、現・営業局[119])
- 山本麻祐子(1999年入社、 現・編成局広報センター)
- 冨田憲子(2001年入社、現・報道局企画取材部総務省担当記者)
ディレクター[編集]
- 金井尚史(元・制作部ディレクター、現・フジテレビへ移籍、2017年2月没)
- 神田比呂志(元・制作部ディレクター、現・フジテレビプロデューサー)
- 高橋博(元NHK、1954年 - 1968年、初代アナウンス室長、後にフジテレビ出向→芸能評論家、話芸家)
- 曽我部哲弥(1987年入社、元・アナウンサー、ディレクター、現・フジテレビ情報制作センターディレクター)
- 松島宏(元・制作部ディレクター、現・フジテレビ報道局社員[注 25])
通常退職者[編集]
アナウンサー[編集]
- 阿部宏美(1991年 - 1993年、元・アナウンサー、現・昭和プロダクション所属)
- 石川みゆき(1981年 - 1989年、元・アナウンサー、現・シグマ・セブン所属、ミックスゾーン業務提携)
- 石黒新平(2004年 - 2006年、元・アナウンサー、元・東北放送→圭三プロダクションに3度所属後、一般企業への転職を経て、2011年1月に広島ホームテレビ転籍後、同年12月に退職以後フリー)
- 糸居五郎(1954年 - 1981年、元・アナウンサー、近畿放送から移籍、1984年没)
- 岩上和代(1987年 - 1990年、元・アナウンサー、婚姻後退職)
- 岩附孝(元・報道部記者)
- 今仁哲夫(1961年 - 不明、元・アナウンサー)
- 大沢牧子(元・アナウンサー、高岡寮一郎と婚姻後退職)
- 大平透(1954年 - 1955年、開局当時のアナウンサー兼プロデューサー、声優、2016年没)
- 小口絵理子(1998年 - 2003年、元・アナウンサー、フリーアナウンサー、2013年没)
- 小倉秀夫(後に岩手競馬の専属実況アナウンサー。2003年まで)
- 海野尾順子(1981年 - 1989年、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー)
- 梶幹雄(1965年 - 1992年、元・アナウンサー、現・オフィス梶所属)
- 加藤久雄(元・スポーツ部アナウンサー、後にスポーツ部長、報道部長)
- 木藤隆雄(1971年 - 1974年、現・フリーアナウンサー)
- 木村篤(1987年 - 1995年、元アナウンサー、制作部ディレクター、報道部記者、ニュースデスク)
- くり万太郎(1974年 - 2015年、本名:高橋良一、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー、ディレクター)
- 小林達彦(1969年 - 2000年、元・アナウンサー、RKB毎日放送から移籍、現・サッカージャーナリスト)
- 五戸美樹(2009年 - 2015年10月、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー)
- 斉藤安弘(1964年 - 1986年、2003年 - 2009年、元・アナウンサー。1992年 - 2003年の間株式会社彫刻の森へ出向、現・フリーアナウンサー)
- 柴田かおる(元・アナウンサー、FCIニューヨーク特派員、フリーランスにてメキシコ在住し帰国後、聖徳大学講師)
- 下角陽子(1992年 - 1998年、元・アナウンサー、現・相撲ジャーナリスト)
- 東海林のり子(1957年 - 1971年、元・アナウンサー 現・フリーのリポーター)
- 勝呂智子(1981年 - 1985年、元・アナウンサー)
- 新保友映(2003年 - 2018年5月31日、元・アナウンサー、現・一般社団法人IWA JAPAN所属)
- 瀬戸将男(元スポーツ部アナウンサー、2017年5月10日没)
- 鈴木智子(以前同名で活動していた静岡第一テレビのアナウンサー〔現・小岩智子〕とは別人)
- 荘口彰久(1992年 - 2004年、元・アナウンサー 現・アミューズ所属のフリーアナウンサー)
- 高嶋秀武(1965年 - 1990年、元・アナウンサー 現・オフィスR&M所属)
- 高崎一郎(不明 - 1966年、『オールナイトニッポン』初代パーソナリティ、元・プロデューサー。その後テレビ東京系『レディス4』司会者、三越顧問を歴任、2013年没)
- 高橋尚代(1987年 - 1991年、入社前、元アイドルグループラジオっ娘の高橋めぐみとして活動。現性:菊池。結婚退職以後、英語教員、フリーアナウンサーを経て、現・青山学院大学地球社会共生学部空間情報クラスター准教授)
- 高岡尞一郎(不明 - 1970年、元・アナウンサー)
- 田中千恵(1979年 - 1983年、元・アナウンサー、以後渉外(1993年)等を担当し退職。2002年1月18日(有)サウンドデザイン・ジャパンを立上げ、取締役就任)
- 常木建男(1967年 - 1986年、元・アナウンサー、1986年没)
- 手島里華(1997年 - 2006年、その後、TOKYO FM、J-WAVEへ移籍、 現・フリーアナウンサー)
- 寺内壮(1987年 - 1991年、その後日本テレビに移籍。音楽番組担当プロデューサーを経て現在は編成局編成部企画担当チーフ)
- 堂尾弘子(1977年 - 1986年、元・アナウンサー、現・プラステン所属)
- 中山千彰(元・ディレクター、現・イースト・エンタテインメントプロデューサー)
- 仲佐かおり(1992年 - 2000年3月、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー)
- 西尾安裕(西尾末広の孫、現・デジタルハリウッド大学客員教授、ラブリバー多摩川を愛する会代表[120])
- 西村知江子(1973年 - 1981年、元・アナウンサー、大橋巨泉事務所〈現:オーケープロダクション〉→エル・ファクトリー→現・フリーアナウンサー)
- 根岸紀子(1992年 - 、元・アナウンサー、退職後引退)
- 能勢裕子(1981年 - 1983年、元・アナウンサー)
- はたえ金次郎(1978年 - 2011年、琉球放送から移籍、エル・ファクトリー→現・リベルタ所属)
- 馬場直子(元・アナウンサー、現・くり万太郎夫人)
- 枇杷阪明(1957年 - 1992年、元・アナウンサー)
- 比嘉憲雄(1967 - 2001年、元・アナウンサー、退職以後、タレントユニオン→エル・ファクトリー所属、J-WAVE契約報道キャスター兼任、2014年没)
- 檜山信彦(1954年[121] - 1980年、元・アナウンサー)
- 深澤弘(1964年 - 1994年、東北放送から移籍、元・アナウンサー、現・新潟県民エフエム放送[FM PORT]東京支社長)
- 古谷崇洋(2016年4月 - 12月、元・アナウンサー、現・南海放送アナウンサー)
- 増田みのり(2000年 - 2016年、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー)
- 宮崎文子(1972年 - 2008年、ラジオたんぱから移籍、元・アナウンサー→報道部デスク、エル・ファクトリー→現・フリーアナウンサー)
- 深山計(1989年 - 2002年、中国放送から移籍、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー、スポーツマネジメント会社「ライツ」取締役、2018年没)
- 村上正行(NHK松山支局から転籍)
- 村上真由子(1990年 - 2000年、元・アナウンサー 現・フリーアナウンサー・タレント)
- 山岡和美(1995年 - 2002年、元・アナウンサー、現・ナレーター)
- 山田祐嗣(1957年 - 1962年、元・アナウンサー 1959年よりフジテレビと兼務、1962年にフジテレビへ正式移籍)
- 湯浅明(1971年 - 2006年8月、元・アナウンサー、ディレクター、1996年 - 1999年の間産経新聞へ出向し、東京本社文化部編集委員、現・音楽ジャーナリスト、国際弁護士の湯浅誠)
ディレクター等[編集]
- 浅野啓児(フォークグループ「グリーメン」メンバーからディレクターに転進)
- 天井邦夫(元・プロデューサー→副社長→顧問、2009年没[122])
- 石原捷彦(元・編成部長、扶桑社常務を経てFM802へ。現・同局相談役)
- 今井彬(1957年 - 1959年、元・アナウンサー 1959年にフジテレビへ移籍)
- 入江たのし(元・ディレクター、現・スタジオビーバ代表取締役)
- 岡部豊(1994年 - 2005年、元・制作部ディレクター、現・アンビッシュ代表取締役社長)
- 角銅秀人(元・制作部ディレクター、2014年没)
- 木村仁士(元・制作部ディレクター、退社後はニコニコ生放送の制作に関わる仕事をしていた)
- 倉本聰(ニッポン放送時代から脚本家)
- 金子ひろみ(元・制作部ディレクター[注 26])
- 菅沼尚宏(1989年 - 2014年10月、元・制作部ディレクター、現・ファイナンシャルプランナー・不動産投資家、投資セミナー講師、劇団主宰、仲佐かおりの夫)
- 館野美欧(2005年 - 2014年3月、元・スポーツ部ディレクター、報道部記者、現・武蔵野大学職員)
- 田所健太郎(1994年 - 1999年7月、元・ディレクター、現・フリーラジオディレクター、山岡和美の夫)
- 土屋夏彦(1980年 - 2002年、元・プロデューサー、現・So-netポータル事業部門部門長・エグゼクティブプロデューサー)
- 坪内悟(1998年 - 2001年、元・制作部ディレクター、現・俳優・放送作家)
- 松村有希子(1999年 - 2002年、元・ディレクター、婚姻後退職)
- 宗岡芳樹(2002年 - 2016年、元・ディレクター、退職以後、主にTBSラジオのディレクションを担当)
- 安岡喜郎(元・ディレクター、現・日本テレビ制作局チーフプロデューサー)
- 吉村達也(元・ディレクター、小説家として独立)
LF+R[編集]
- LF+Rを参照。
オーディエンス・セグメンテーション[編集]
「オーディエンス・セグメンテーション」(Audience Segmentation)は、ニッポン放送が提唱したラジオ番組編成理論。時間帯によって主たる聴取者を選択し、その聴取者層に合わせて番組を編成する(例:朝・夕方―通勤者、昼―自営業者、車両で外回りする人、夜―若者 これは大まかな分け方で、実際には更に細分化している)。
元々は1960年代前半に広告業界でテレビへの大規模なシフトが起き、ラジオ広告費が大きく減少したことに対応して抜本的な編成方針の見直しを迫られたことから導入したものである(ラジオ離れ#1960年代も参照)。厳密な市場調査を重ね、1964年(昭和39年)4月編成より導入した当初は各方面から無謀ととらえられたが、ニッポン放送の成功により文化放送も追従。MBSラジオなど全国各局もこれを取り入れた。TBSラジオは当初これに対抗してあらゆる層の聴取者を対象とした総合番組(「オーナー」等)を制作・編成する方針を打ち出したものの、結局は導入した。
この理論は長らく民放中波ラジオ編成の基本とされてきたが、近年では聴取者の高年齢化や若年層のラジオ離れ、働き方の多様さなどの要素が作用し、理論が当てはまらなくなりつつある。
特徴[編集]
- 送信所の位置関係から、TBSラジオと文化放送は北関東の企業・自治体のCMが多い(文化放送は埼玉県、TBSは埼玉県に加え、群馬県関係のCMが多い)のに対し、ニッポン放送は、在京ラジオ局では神奈川県と千葉県等南関東の企業・自治体のCMが多く放送されている。また、かつては静岡支局があり、静岡方面にもリスナーがいることもあり、伊豆地方や静岡名産品のCMも多い。
- 同じく送信所の位置関係から、静岡県東部、静岡県中部では他の在京局よりもクリアに受信できる。東名高速道路の日本坂トンネル(静岡市と焼津市の境)以東の全トンネルでは、在京民放AMラジオ(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)が受信できるようになっているが、国道150号の新日本坂トンネル、大井川以東の国道1号、静岡県道29号梅ケ島温泉昭和線、国道362号、国道473号、静岡県道・山梨県道10号富士川身延線 、および静岡県道64号島田川根線 の各トンネルでは、在京民放局で唯一ニッポン放送が受信可能となっている。つまり、同県中部地区でラジオ再送信を行っているトンネルすべてにおいて、ニッポン放送が受信できる。ニッポン放送が企画する書籍が首都圏以外に静岡県のコンビニでも販売されるのは、このような理由からである。ちなみに送信所からの直線距離を比較すると、同局を再送信しているトンネルの北限である関越トンネルまでと、静岡県大井川流域までは、ほぼ同じ距離となる。
- 17時頃より関西、その他各地でも受信可能である。特に冬場は15時頃から受信可能である。
- ニッポン放送のアナウンサーはスポーツ中継などで観衆を表現するときに、伝統的に「お客様」という表現をしている。この表現は、アナウンサーがフジテレビに転籍したりフリー転向後も概ね踏襲しており、ニッポン放送出身アナウンサーの特徴となっている。
- 「ニッポン放送では電話番号やファクス番号の『0』は『ゼロ』と読むよう指導されている。対してライバル局のTBSラジオでは『れい』と読むように指導されている。」という。これは両局でパーソナリティの経験がある伊集院光が「伊集院光 日曜日の秘密基地」(TBSラジオ)内で語っている。ただし、局内で統一されているわけではなく、「秘密基地」のリスナーであることを公言している上柳昌彦アナウンサーはこれを意識してか「0」を「れい」と読んでいる。
- アナウンサーによっても読み方はまちまちである。また、FAX番号は「れい」と読み上げても、その他の場合は「ゼロ」と読み上げる場合もあるなど完全統一されているわけではないようである。
- なおニッポン放送の郵便番号「100-8439」の読み方は「いちまるまるのはちよんさんきゅう」で統一している(局内では基本的にこの読みとなっているが、外部からのパーソナリティは違う読みをすることもある[注 27])。ちなみに、旧有楽町社屋時代の郵便番号は5桁の「100-87」であったが、ほとんどの番組では「ひゃくのはちじゅうなな」と読んでおり、まれに「いちまるまるのはちなな」と読む番組もあった。
- 他の放送局に比べて、流行りのものをいち早く番組に取り入れたり、話題の人物を番組に起用する姿勢が見受けられる。時代の流れに敏感ともいえるが、それに対する揶揄として「いいときだけのニッポン放送」という言葉がある。ニッポン放送番組一覧も参照。
- 2009年からは『週刊フジテレビラジオ』、『私の正論』を放送するなどフジサンケイグループの一員の強調ぶりが目立つ。また、月曜朝のニュースではフジテレビ『新報道2001』→『報道プライムサンデー』からの音声を引用することが多い。またその場合も「フジテレビの『報道プライムサンデー』で…」とニュース原稿を読み上げるが、その他の番組(テレビ朝日『サンデーステーション』など)の場合は「民放の番組で」という原稿となっている。
- そのこともあり、報道スタンスは産経新聞同様保守寄りである。同じNRNでグループにいるとはいえ文化放送はリベラル色が目立つ。
その他[編集]
紙媒体[編集]
放送波[編集]
- LFX488: BSデジタルラジオ局。2000年12月1日開局、2006年3月31日閉局。
- Digital Radio 98 The Voice: 地上波デジタルラジオ実用化試験放送局のチャンネル。東京地区9801チャンネル 2003年10月10日の実用化試験放送局開局から2006年9月30日まで、エフエム東京・ジャパンエフエムネットワークと共同運営していた。デジタルラジオの構成社再編に伴い、10月1日にmudigiへ移動。
- mudigi: 地上波デジタルラジオ実用化試験放送局のチャンネル。東京地区9501チャンネル。2003年10月10日に9801チャンネルで開局し、2006年10月1日より現在のチャンネルに移動。割り当てチャンネル枠自体は伊藤忠商事と共同運営。
- ニッポン放送DIGITAL: 地上デジタルラジオD-JOLFのサブチャンネルとして、2007年4月2日に特別番組専用のチャンネルとして開局し、2008年9月29日にニッポン放送DIGITALに改称。2011年3月31日閉局。地上波ニッポン放送のサイマル放送を行う。
- HappyFM93(墨田FM補完中継局、93.0 MHz 7 kW): 都市型難聴・災害[注 28] 対策で設置。2015年12月7日13時開局。AMのサイマル放送。
Web配信[編集]
インターネットラジオ[編集]
- LFX BB: インターネットラジオ局。LFX488の一部番組のサイマル放送と、ブロードバンドニッポン!の一部コーナーのオンデマンド配信のみを行っていた。2001年9月24日開設。2006年4月1日よりLFX mudigiに改称。
- LFX mudigi: 旧LFX BB。インターネットラジオ局。2006年4月1日に改称し、2007年4月2日よりSuono Dolceに改称。
- Suono Dolce(D-JOLF): 旧mudigi。デジタルラジオ・インターネットラジオ局。2007年4月2日に現在の名称に改称。デジタルラジオでは2011年3月31日をもって閉局し、2018年1月26日までインターネットラジオ局として運営 。
- ニッポン放送 ポッドキャスティングステーション: ポッドキャスティングによるインターネットラジオ局。2005年10月開設。
- Radital - インターネットラジオ配信サイト。2012年開設。過去に放送した地上波の番組・携帯電話専用の番組(オールナイトニッポンモバイル)と、オリジナル番組を配信。一部の番組は有料。Apache Struts2の脆弱性を利用した不正アクセスにより、2017年3月11日からサービスを休止していたが、サービス再開を断念し2017年8月2日にサービス終了。
Webサイト[編集]
- ニッポン放送 - 公式YouTubeチャンネル
- ニッポン放送TV - 公式YouTubeチャンネル
- オールナイトニッポン公式チャンネル - 公式YouTubeチャンネル
- 193t - アニメのデザインTシャツを中心とした、オリジナルアパレル販売サイト。2013年6月27日開設[123]。2017年7月31日販売終了。
- 9129 スッポン放送 - ニンテンドー3DS用ソフト『大合奏!バンドブラザーズP』との連動サイト。2013年開設。オリジナルラジオ番組「オールナイトスッポン」をゲーム上・Raditalで配信。エンターテインメント開発部が運営。
歴代キャッチコピー[編集]
※カッコ内はイメージキャラクター等に起用されたタレント
- 1974年 - 1975年 「ハッピーラジオ」(1974年:研ナオコ、1975年:林寛子)
- 1976年 「ハッピーラジオ・健康作り」(秋野暢子)
- 1977年 「フレッシュラジオ」(木之内みどり、松本ちえこ、岡田奈々)
- 1978年 「フレッシュラジオ・笑顔でファイト」(荒木由美子)
- 1979年 - 1980年 「笑顔がきこえる」(1979年:能瀬慶子)
- 1981年 - 1982年 「いまラジオ時代」
- 1983年 「ボクハキミノココロノナカニイル」
- 1984年 「いますぐ逢いたい」(THE ALFEE)
- 1985年 「また、おまえか!」(チェッカーズ)
- 1986年 「もお!たーいへん!」(とんねるず)
- 1987年 「まかせてチョンマゲ!夢工場」(デーモン小暮閣下、南野陽子)
- 1988年 「トンデモはねてる!」(光GENJI)
- 1989年 「かぼちゃ計画 もも計画」(B21スペシャル、ジングル歌唱:久保田利伸)
- 1990年 「オモスルドロイカ!?」
- 1991年 「みんなのラジオ - ごはんとおふろとニッポン放送 - 」
- 1992年 「そこまでいうか!そこまでやるか!」
- 1993年 「あっけら、感動(CAN DO)。」[注 29]
- 1994年 「みんなでやんちゃ ラジオはおもちゃ おちゃめでニッコリ!」
- 1995年 「未来(みら)くるラジオ」(トータルプロデューサー:テリー伊藤)
- 1996年 「笑ってチョーナイ!」
- 1997年 「青春花吹雪!」(テリー伊藤)
- 1998年 「がんばれ!ニッポン放送」
- 1999年 「ゆずとだんごとニッポン放送」(ゆず)
- 2000年 「ビビッと!夢見る」(コブクロ)
- 2001年 - 2002年 なし
- 2003年 「あなたがいるから」(矢口真里)
- 2004年 「メジャーなラジオ」(松井秀喜)
- 2005年 なし
- 2006年 「だったらラジオ!」(4月 - 6月:オリエンタルラジオ、7月 - 12月:いきものがかり)
- 2007年 「ニッポン放送があるじゃないか!」[注 30]
- 2008年 「ビビッとくる!」[注 31][注 32]
- 2009年 「55&GOES ON」(開局55周年、糸居五郎のフレーズから)
- 2010年上半期 「情報タップリ!! オモシロ万博」(AKB48 - 6月27日)
- 2010年下半期 「声出していこー。」(高嶋ひでたけ・上柳昌彦・徳光和夫・テリー伊藤・柳原可奈子 6月28日から)
- 2011年上半期 「ひとつになろう!ニッポン」(4月 - 9月)[注 33]
- 2011年下半期 「みんな、つながる。 今、聴かなくちゃ。」(10月 - 3月)
- 2012年度 「有楽町からスマイル♪ どんなときもニッポン放送」(※メイン広告は剛力彩芽)
- 2013年度上半期 「-Something's gonna start!- 何かが始まる!」(※メイン広告はシシド・カフカ)
- 2013年度下半期 「NEXT STAGE with U」<開局60周年>
- 2014年度下半期 「大人(オトナ)には大人の人生の楽しみ方がある!大人パラダイス!」
- 2015年度上半期 「Happy Tuning! ラジオへようこそ」(大原櫻子)
- 2015年度下半期 「笑顔が聴こえる!HAPPY STATION」
- 2016年度上半期 「ワクワクいっぱい!ニッポン放送」
- 2016年度下半期 「秋の新番組情報!きもちをワイドにあなたとシェア ニッポン放送!!」
- 2017年度 「スマイル~君に耳キュン!ニッポン放送」(松田聖子)
- 2018年度上半期 「あなたにショウアップ!ニッポン放送」[124](※メインとなる者はおらず)
TBSラジオの「聞けば、見えてくる。」、文化放送の「QRソング」といったステーションソングは導入実績がない。
大型イベント[編集]
- ニッポン放送 うまいもん祭り
- NRNネットワークの協力の元、全国の「おいしいもの=うまいもん」が集まるイベント。一部の商品はアナウンサーのイチオシとなっている。また、イベントステージでは、オリジナルイベントや公開生放送、中継が行われる。
- ニッポン放送 THEラジオパーク in 日比谷
- ラジオで安心 みんなの防災
- 東日本大震災以降、防災におけるラジオの重要性が見直されたことを受け、東京消防庁などと共同で行う防災啓発運動。防災の日を挟んで1週間行われ、土曜の午後に公開生放送を編成する。
関連企業[編集]
- フジ・メディア・ホールディングス(フジサンケイグループの持株会社。現在の完全親会社。)
- ニッポン放送グループ
- 株式会社ニッポン放送プロジェクト - ラジオリビング運営、フジサンケイグループを対象としたリース事業など
- 株式会社フジサンケイエージェンシー - フジサンケイグループ従業員を対象とした各種保険の仲介
- 株式会社ミックスゾーン - ラジオ番組制作会社、芸能プロダクション・アナウンサー派遣会社、イベント運営 2018年4月にサウンドマンとエル・ファクトリーが合併し、新会社設立
- 株式会社グレイプ - ソーシャルメディアコンテンツ制作会社 「grape」・「ニッポン放送ニュース しゃベル」・「カルチャー情報サイト yoppy」などを運営 2016年2月に完全子会社化
- 株式会社トーンコネクト - アドリブとニッポン放送の共同出資によるスマートフォンアプリ開発会社。
ニッポン放送の子会社だった企業[編集]
- 株式会社フジパシフィックミュージック - 1966年、パシフィック音楽出版として設立、1985年フジ音楽出版と合併、フジパシフィック音楽出版となる。
- 株式会社ポニーキャニオン - 1966年設立のポニー(設立時ニッポン放送サービス)と1970年設立のキャニオンレコードが1987年合併。
- 株式会社サウンドマン - 多くの番組にディレクター・ミキサーを派遣 かつてはポニーキャニオングループ傘下 2017年11月1日にエル・ファクトリーと合併、ミックスゾーンを設立
- 株式会社エル・ファクトリー - ラジオ番組制作会社、フリーアナウンサー・タレント・放送作家のマネジメント 本社はニッポン放送本社ビル内所在していた 2017年11月1日にサウンドマンと合併、ミックスゾーンを設立
- 株式会社ディノス(現:ディノス・セシール) - 1971年設立(1973年にフジサンケイリビングサービスに社名変更)。1991年に設立された同名の新会社(2004年ディノスに再度社名変更)に事業承継されるまでニッポン放送の子会社だった。
- 株式会社ビッグショット - フジサンケイグループ内の広告代理店再編に伴い、フジサンケイアドワーク・ティーコムコーポレーション・富士アドシステムと合併し、株式会社クオラスとなり、フジテレビグループに移動。
- 株式会社彫刻の森 - 箱根 彫刻の森美術館内のテナント・フジテレビ本社内のアンテナショップ運営。2006年株式会社フジランドに合併。
- 株式会社一口坂スタジオ - スタジオレンタル、音響・映像制作。2012年1月12日付けで営業を終了し、3月7日に特別清算を開始、消滅。
関連放送事業者[編集]
- フジテレビジョン(フジサンケイグループ、元子会社で現在は兄弟会社[注 34])
- 文化放送(フジサンケイグループ、フジ・メディア・ホールディングスに出資)
- 東海ラジオ放送(東海テレビ放送・中日新聞社と関連)
- 大阪放送(ラジオ大阪、フジサンケイグループ)
出資先放送事業者[編集]
ニッポン放送が出資している主な放送事業者は以下の通り。発行済株式総数に対する出資比率を記し、放送局名が太字のものは筆頭株主であることを表す(2010年3月31日時点[125])。 括弧内は放送対象地域、加盟ネットワークの順。
AM局[編集]
FM局[編集]
- FM802(大阪府、JFL) - 10.0%
- ベイエフエム(千葉県、独立局) - 6.0%
- 横浜エフエム放送(神奈川県、独立局) - 5.89%
- エフエムナックファイブ(埼玉県、独立局) - 5.0%
- J-WAVE(東京都、JFL) - 4.85%
- エフエム徳島(徳島県、JFN) - 4.8%
- エフエム熊本(熊本県、JFN) - 4.34%
- エフエム山形(山形県、JFN) - 4.2%
- エフエム石川(石川県、JFN) - 4.0%
- 長野エフエム放送(長野県、JFN) - 3.5%
- エフエム高知(高知県、JFN) - 3.0%
- エフエム京都(京都府、独立局) - 2.37%
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 設立日に株式会社ニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送、現在はフジ・メディア・ホールディングスに吸収合併)より放送免許を継承。会社分割(フジテレビの完全子会社となる手続)により、現在の法人を設立
- ^ この略称は後に長野放送(フジテレビの系列局)が使用するようになった。なお、長野放送の「S」は「Systems」(ニッポン放送は単数形、長野放送は複数形)。
- ^ 当時の日本を代表する企業・金融機関と、中京・関西地区を地盤とする企業が出資。
- ^ 文化放送の略称「QR」はニッポン放送同様、文化放送のコールサイン(JOQR)の下2文字である。
- ^ 2017年8月現在、『垣花正 あなたとハッピー!』の「ようこそ有楽町レコード室へ」の冒頭ナレーションでは、23万5千枚と称している。
- ^ 2014年4月1日開始。radiko公式サイトのプレミアム会員登録(有料)を行う事で、前述の通常配信対象地域である関東1都6県外の日本国内でもradikoを利用した聴取を可能にするもの。
- ^ これまではジャニーズ事務所側(高橋優以外は同事務所所属)からエリアフリー配信許諾が下りておらず、1都6県外での聴取を遮断、休止していた。
- ^ これまでナイターシーズン中、『ニッポン放送ショウアップナイター』が放送される他の曜日は試合終了まで放送されるが土曜日に限り編成の影響で22:30で打ち切られていた。
- ^ なお、ジャニーズ事務所所属者出演番組はニッポン放送に限らず、どの局であれど配信が休止されていた。また、各番組にゲスト出演する場合、出演部分及びその前後の配信を休止していた例が多いが、ニッポン放送の場合はそのまま配信された(後述の『ミュージックソン』に絡んで三宅健と坂本昌行が出演したことがある)。また2015年度の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』は同事務所所属のV6が担当したが、長時間編成となることとチャリティー番組であることを考慮して特例配信された。
- ^ 歳時記的な話題と音楽をお送りする生放送
- ^ これらのサテライトスタジオは、1980年代には全て姿を消している[37]。
- ^ 旧 糖業会館ビル時代から入居。
- ^ 東京都千代田区外神田1-16-9 朝風二号館ビル1階 左側
- ^ 2015年12月6日までは山本剛士。
- ^ アナウンスに関してはワイドFM開始時に墨田放送局が追加されたのを除けば変更はなされていない。アナウンスの最後は「JOLF JOLF お聴きの放送は皆さまのニッポン放送です。」というアナウンスである。
- ^ アナウンスに関しては技術情報の最後が「お送りします」ではなく「お送りしています」になっている以外は同じ。
- ^ 月-金曜深夜の『オールナイトニッポン0(ZERO)』が120分で5:00起点だった時期、後にチェックはせず、時報まではCMとジングルを流すのみ。なお、朝一番の番組が『小倉淳の早起きGoodDay!』だった時代は、4:29.47から那須の「JOLF こちらはニッポン放送」という多く流されているパターンのものや「ニッポン放送 55 & Goes on!」や「情報タップリ!! オモシロ万博」と歌うものジングル、スペシャルウィーク期間中は番組宣伝ミニスポットだったりしたを挿入していた。また、かつて土曜の起点が4:30だった時代にも特に流されることはなく、『オールナイトニッポンR』からはステブレレスで『ラジオアーカイブ 発掘!ラジオ天国』へとつないでいた(ラ・テ欄上は前日深夜扱いだったが、ニッポン放送の編成上では土曜起点の番組)
- ^ 2011年以降の8月の30分繰り上げ編成の時も同様に行われていた。
- ^ かつて使用した「Orinoco Flow」「Caribbean Blue」「Book of Days」「Anywhere Is」が用いられた時もある。[1]
- ^ 一例では木村カエラが使用された年もある。[2]
- ^ 飯田、新行、吉田、箱崎は「アナウンサー」を付与し、呼称している
- ^ 2018年11月17日、高嶋ひでたけが自身の番組ニュース原稿を土曜担当だった勝山に確認済[出典無効]
- ^ 2017年12月にて定年後、嘱託にて再契約。2018年8月9日、台風情報の電話レポートにて出演[出典無効]
- ^ 東京都内の情報は東京センター(警視庁交通管制センター内にあるため、呼びかけでは「警視庁」と呼ばれる)、「首都高速ルート情報」(旧「首都高速MEX-i情報」)は首都高速センター(呼びかけでは「首都高」と呼ばれる)、夜間・早朝・土 日曜日・祝日と東日本地域全体の情報は九段センター(呼びかけでは「九段センター」と呼ばれる)が担当
- ^ 1989年4月に現在まで25年以上にわたり続く平日昼「文夫と明子のラジオビバリー昼ズ」を立ち上げた初代スタッフの一人で、月曜日などを担当。
- ^ 1992年2月当時「鶴光の噂のゴールデンアワー」月曜日などを担当。同月放送の日本テレビ「DAISUKI!」でも顔と名前が出ている。
- ^ ex:『オールナイトニッポンR』パーソナリティのスフィア各メンバーや『オールナイトニッポン火曜日』の星野源は「いちれいれいのはちよんさんきゅう」と読む。
また、『オールナイトニッポン月イチ』担当の中島みゆきは「いちぜろぜろのはちよんさんきゅう」と読む(加えて「サンキュー」とかけた独特の抑揚で読む)。 - ^ 中波放送は波長が長いため高さ110m前後の大規模な送信アンテナ、そしてラジアルアース確保のために半径150m程度の広大な土地が必要となることから川沿いに設置されることが多く、河川の氾濫で送信所が停止した際に旧送信所を利用した足立予備送信所で代替するには小出力(1kW)であり、また住宅密集地にあるため増力も困難。
- ^ 「あっけらkan-no 菅野美穂」に似ているが、その番組は1995年から放送していたもの。
- ^ イメージキャラクターを設けず、ニッポン放送の各番組のパーソナリティがコールした。
- ^ 2000年のキャッチコピーにタイトルが似ているが、リメイクである。
- ^ 上柳が2008年3月21日のNHKラジオの特番の発言・ニッポン放送デジタルタイムテーブル 2008年9月号 より
- ^ フジテレビを中心とするFNSのキャッチコピーと同様のもの。
- ^ 設立時はニッポン放送・文化放送の出資により設立され、その後文化放送が出資比率を下げたため長らくニッポン放送の子会社であったが、資本関係のねじれの是正に伴い旧ニッポン放送を吸収合併して親会社となり、さらに旧フジテレビジョンの持株会社化に伴い新しくフジテレビジョンが設立された。このため現在のフジテレビジョンは兄弟会社になる。
出典[編集]
- ^ a b フジサンケイグループ一覧 フジサンケイグループ[リンク切れ]
- ^ 境政郎『テレビショッピング事始め』扶桑社、2008年、第1部 フジサンケイグループの形成とリビング路線 「ニッポン放送の生い立ち」。ISBN 978-4-594-05565-3。
- ^ 東京地方裁判所判決 1990年8月31日 、昭和57(ワ)11358、『「ラジオ日本」対「ニッポン放送」事件』。 事件名は、「判例時報 No.1358」判例時報社、1990年11月 より
- ^ フィクションではあるが、ニッポン放送を舞台とした田原俊彦主演のドラマ「ラジオびんびん物語」で、主人公が接待のため予約した船宿が誤って日本テレビに確認電話を入れ、いたずら予約と勘違いしてキャンセルしてしまったエピソードがある。
- ^ 『SD別冊29号「フジテレビ本社ビルの記録 高度情報化社会の大規模複合建築の原点を求めて」』 月刊SD編集部、鹿島出版会、東京、1996年。
- ^ 福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ 2012年7月2日「福山雅治の棚つかnight☆」
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- ^ 花輪如一『ラジオの教科書』データハウスより。
- ^ ニッポン放送、労組結成へ・ライブドア対抗鮮明に(2005/3/16 日本経済新聞 朝刊)
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- ^ a b c d 日経BPクリーンテック研究所 金子憲治「メガソーラー探訪 120mのアンテナ下に設置した木更津のメガソーラー」『日経テクノロジーオンライン』、日経BP、2017年4月25日
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- ^ 1310kcは前年8月まで文化放送が使用していた。
- ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1988年4月号 ラジパラレトロ写真館「第3回・僕らの知らないニッポン放送編」p.22
- ^ 出典:『民間放送十年史』第2部・各社史録388頁「ニッポン放送」の項。これに当時の送信所の住所の記載がある。
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- ^ オールナイトニッポンシリーズも含む。
- ^ アルコールを取り扱うテーマだったため、一部の番組は対象外。3月4日の『AKB48のオールナイトニッポン』ではその日に出演したメンバー全員が成人に達していた。
- ^ 新会社radikoを12月1日に設立、IPサイマルラジオ放送が本格始動 - 朝日新聞 2010年11月25日
- ^ 株式会社radikoが12月1日発足、区域の拡大や新局の参加を2011年春までに - NIKKEI BP 2010年11月25日
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- ^ NHKが行う「安否情報」と同一の趣旨。東京や首都圏で震度5強以上の地震が発生し、大きな被害が起きた場合に移行する。『ラジオ災害情報交差点』『首都圏学校安否情報』『首都圏お勤め先安否情報』を含めて情報を発信するもの(2011年9月1日「あなたとハッピー!」より)。このうち『首都圏学校安否情報』については9月1日の午前9時と午前10時に8分程度の模擬放送を行う。またその旨は夏期休業に入る前に各学校に連絡される。
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- ^ 『日本民間放送年鑑2010』 - 日本民間放送連盟編
参考文献[編集]
関連項目[編集]
- フジサンケイグループ
- フジ・メディア・ホールディングス
- フジテレビ
- オールナイトニッポン
- オールナイトニッポンi - Webラジオ
- 通信と放送の融合
- ラジオびんびん物語
- フジテレビ深夜ドラマ
- ニッポン放送の経営権問題
- ニッポン放送 ポッドキャスティングステーション
- ニッポン放送番組一覧
- 横浜DeNAベイスターズ(1978年以降第2位株主)
- 東京ヤクルトスワローズ
- SBIホールディングス
- 新内眞衣(乃木坂46)- 2014年4月から2018年3月までOL兼任でニッポン放送の関連会社に就職していた。
外部リンク[編集]
- ニッポン放送のサイト一覧(企業トップページ)
- AMラジオ 1242 ニッポン放送(昼の番組のウェブサイト)
- オールナイトニッポン(夜の番組のウェブサイト)
- ニッポン放送広報部 (@1242_pr) - Twitter(各種番組情報を発信している。)
- ニッポン放送 Nippon Broadcasting System, Inc. - Facebook
- インターネットラジオ(デジタル・インターネットラジオ Suono Dolceのウェブサイト)
- ニッポン放送EVENT(イベント情報のウェブサイト イベント部運営)
- FUJISANKEI COMMUNICATIONS GROUP
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