笑福亭鶴光

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笑福亭 鶴光(しょうふくてい つるこ)は、上方落語名跡。当代は2代目。

  • 初代 笑福亭鶴光1892年 - 没年不詳)は、4代目笑福亭松鶴門下で、後に4代目笑福亭松竹を襲名。5代目笑福亭松鶴主催の「楽語荘」同人。本名は瀬尾伝治郎(昌平の諸説あり)。享年不詳だが、没年は昭和中期頃であると推測される。
なお、当代の鶴光は著書の中で、2代目三遊亭百生が「笑福亭鶴光」を名乗った時期があるという伝聞を記している(それが「初代」と書いている)[1]が、事実関係は不明である。

2代目 笑福亭 鶴光しょうふくてい つるこ/つるこう
2代目 笑福亭 鶴光
五枚笹は、笑福亭一門定紋である。
本名 小林 幸男
生年月日 (1948-01-18) 1948年1月18日(71歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府中河内郡長吉村(後の大阪市東住吉区、現:平野区域)
師匠 6代目笑福亭松鶴
弟子 笑福亭學光
笑福亭笑光など
出囃子 春はうれしや
活動期間 1968年 -
活動内容 上方落語
漫談
所属 松竹芸能
公式サイト 笑福亭鶴光のブログ つるこうでおま!
受賞歴
ゴールデンアロー芸能新人賞
夜のレコード大賞最優秀新人賞
ギャラクシー個人撰賞
全国人気DJ第1位
備考
上方落語協会顧問
落語芸術協会会員

2代目笑福亭 鶴光(しょうふくてい つるこ / つるこう[2]1948年1月18日 - )は、大阪府中河内郡長吉村川辺(現:大阪市平野区)出身の上方落語家ラジオパーソナリティ上方落語協会顧問、落語芸術協会上方真打松竹芸能所属。本名、小林 幸男(こばやし ゆきお)。

血液型はO型。出囃子は『春はうれしや』。桂三枝(現:6代目桂文枝)、桂春之輔(現:4代目桂春団治)と同期。別名は「エロカマキリ」「Mr.オールナイトニッポン」。弟子には笑福亭学光(しょうふくてい がっこ)らがいる。

高座名の読み方が「しょうふくていつるこ」なのは、師匠である6代目笑福亭松鶴の前々名である光鶴(こかく)の順序を逆にしたものが命名由来のためで読み方もそれに倣った。上方落語協会公式ホームページの会員プロフィールではこの読みの通りだが、落語芸術協会公式ホームページでは「しょうふくていつるこう」となっており、また自身のブログでもタイトルを「つるこうでおま!」としている。また、自身の弟子については、上方の弟子である学光は「がっこ」、里光以下東京の弟子はいずれも(「光」が入らない竹三を除く)「~こう」と読ませている。

来歴[編集]

高校卒業まで[編集]

生まれた時点で、母は実父と別れていた[3]。母親は働いていたため、5歳まで平野区[4]に住む母方の祖父に預けられて育つ[3][5]。この祖父に、新世界にあった温泉演芸場(のちの新花月)に頻繁に連れられたという[6]。6歳の時に母が歳の離れた植木職人の男性(成人した連れ子が3人いた)と再婚するが、商売気の薄い義父にはほとんど稼ぎがなく、母が内職で家計を支えていた[7]。中学に入ると新聞配達のアルバイトを始めるも、父の過去の新聞料金未払いが発覚し、給料から返済分を差し引かれる苦労を味わう[8]。また兄が鉄工所を始めると、夏休みは昼間そこで働いた[8]。一方、中学時代にラジオで落語を聞き覚えるようになり、学校のホームルームなどで演じた[9]。学業成績はよかったため高校進学を勧められたが、父の連れ子である3人の兄が高校(に当たる上級学校)を出ていないという事情から、1963年に定時制である大阪市立天王寺第二商業高等学校に進学する[10]

昼間はいくつかの職を変えながら働き、学校では演劇部に入る[9]。演劇部の同級生に4代目林家小染がいた[9]。小染とは2人だけで落語研究会も立ち上げたが、1年生の冬に小染は高校を中退して3代目林家染丸に弟子入りする[9]。小染から染丸門下への誘いがあったものの、弟弟子になるのがいやで断念する[9]。また、落語家に必要な教養を身につけるべきで学業での3年程度の「まわり道」は「どうということはない」と考えており[9]、中退はしなかった。

在学中に毎日放送の『素人名人会』で「寄合酒」を演じて「名人賞」を獲得、さらに複数の素人参加番組で「常連」となる[11]。卒業間際に再度『素人名人会』の「名人賞」を獲得したことで、本格的に落語家になることを決意する[11]

落語家として[編集]

高校卒業後、6代目笑福亭松鶴に入門。松鶴を選んだ理由は、(染丸以外の)松鶴・3代目桂米朝3代目桂春団治3代目桂小文枝の中で「名前の字数が一番多い」ことに加え、母から「顔の怖い人ほど心根は優しい」と言われたことにあった[12][13]2013年現在では3代目笑福亭仁鶴に次ぐ2番弟子である[14]

入門の際、松鶴の許を直接訪問せずに、「弟子にするなら○、弟子にしないなら×で返事をください」との内容を記した往復はがきを郵送したエピソードが知られる[12][13][15]。結局返信されなかったため、直接道頓堀角座に出ていた松鶴の元に訪れ弟子入りを直訴した[12][13]。松鶴からははがきを送ったことに加えて宛名を「福亭松鶴」と誤記した点を「なんちゅう失礼なやつ」「ナショナルの会社へ行って、東芝と言うてるようなもんや」と激怒される[12][13]。偶然そのとき持ち込まれた独演会のチラシに同じ誤記があったことで松鶴は「プロが間違うなら、素人が間違っても仕方がない」と大声を出すよう命じて鶴光が叫ぶと、近くでそれを聞いた砂川捨丸が「大きな声を出せるということは芸人に向いてる」と弟子に取ることを勧め、松鶴は誤字の件を「水に流そう」と入門を認めた[12][13]

正式な入門は1967年4月、入門当日からいきなり稽古が始まった[12][16]。高座名は松鶴から「鶴之(つるゆき)」と「鶴光」のどちらかを選ぶように指示され、「鶴光」を選んだという[17]

初舞台は1968年2月の新花月[18]。入門時点で自動車運転免許を持っていたため、やはり免許を持っていた6代目笑福亭松喬が入門するまで松鶴の運転手をする[19]。松鶴からはしばしば無茶な運転を強要され、急停止などで「意趣返し」をしていたという[19]。また、松鶴からは7回破門されたと著書に記している[19]

1970年代前半にはラジオのパーソナリティーとして人気を集め、1974年には在京局であるニッポン放送の『オールナイトニッポン』に起用されて(笑福亭鶴光のオールナイトニッポン)その知名度を高める(詳細後述)。『オールナイトニッポン』からは書籍(『かやくごはん』)やレコード(うぐいすだにミュージックホール)も出し、いずれもヒットした。だが、松鶴からタレント活動に苦言を呈されたこともあり、落語にも本腰を入れて取り組むようになる[20]

上方落語協会、関西演芸協会のほか、5代目春風亭柳昇の口添えで1990年より落語芸術協会(芸協)にも上方真打として参加、通常は東京寄席に出演している。これは鶴光が1987年から2003年の間、東京のニッポン放送で平日帯のレギュラー番組(後述)を持っていたというスケジュール上の事情が背景にある[21]。最初に東京の寄席(新宿末廣亭)に出たのは1989年9月で、当初より定席に組まれたがそれに対する風当たりを感じて代演という体裁に変えてもらい、約半年後に芸協側から「準会員としてちゃんと出てもらおう」という形になった[21]。また、江戸落語では三味線長唄日本舞踊の素養が必須と聞いてすべて習得している(上方落語では三味線の囃子方は職分として落語家とは別にいる[22][21]

「師匠の松鶴の世話になったから」(東京の落語家の来阪時にもてなした)と、東京の落語家に便宜を図ってもらう機会が何度もあり、鶴光は師匠への感謝の念を著書に記している[23]

上方落語協会に籍を置いて東京の寄席でトリを取る資格を持つのは鶴光のみ(弟子の笑福亭里光と笑福亭和光が芸協の真打のため「唯一の上方落語家」ではないが、里光と和光は上方落語協会の正会員ではない)。NHK教育テレビの演芸番組『日本の話芸』にもしばしば出演する。

ラジオパーソナリティ[編集]

松鶴に入門するや否や「まずは顔と名前を売らなアカン!」と考えた鶴光は「兄弟子の仁鶴、同期の三枝(現:文枝)」をライバルとして、修業時代から関西ローカルのテレビ番組ラジオ番組に出演した。折りしも時代は演芸ブームであり、長髪という落語家らしからぬ風貌と機転の利いた喋りはすぐに注目され、ラジオのレギュラーだけで13本を抱える売れっ子になった。

1971年4月より関西の人気深夜番組『MBSヤングタウン』のパーソナリティに抜擢。局アナ角淳一とのコンビで人気を博し、三枝とともに同番組の看板パーソナリティとなる。

ニッポン放送亀渕昭信(後に同社社長)が、全国ツアーで『あのねのねのオールナイトニッポン』を3か月間休むことになっていたあのねのねのピンチヒッター要員を選ぶ際に、候補を尋ねた部下のディレクターとラジオ大阪のプロデューサーが揃って名を挙げたことから、1973年11月に鶴光にオーディションを受けさせた[24]。亀渕は、最初のオーディションに間違って桂朝丸(現:桂ざこば)を呼んでしまったという逸話がある[25]。オーディションに合格した鶴光は、1974年1月から『オールナイトニッポン』土曜日パーソナリティを3か月間担当する[26]。初回放送前にはリスナーからのハガキも数枚しかなく、しかもその内容で初めて3か月間の代役と知って「好きにやらせてもらおうか」と開き直ったという[26]。初回は持ち時間すべて小咄を演じて評判となるが、亀渕からは「セックスアピールが足りない」と言われて「どうせ3か月で終わるから」と下ネタを前面に押し出した[26]。これにより一気にブレイクし、全国区への足がかりとなった。1974年4月からは水曜日枠でレギュラーに昇格、その後同年7月にあのねのねがツアーのため再度『オールナイトニッポン』を休むと土曜日に担当が変わり、最終的には11年9か月という当時の歴代最長パーソナリティ記録を樹立した[27](現在の最長パーソナリティはナインティナイン)。鶴光は「自分の代わりなど掃いて捨てるほどいる」という考えから、土曜の枠を死守するため極力休まないように心がけ、一度体調不良で休んだ次の週には、台風の中を自家用車でニッポン放送まで駆けつけて出演したという[28]。鶴光の成功により、以降明石家さんまをはじめ多くの上方芸人が東京のラジオで活躍することになる。

笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』は「この歌はこんな風に聞こえる」「ミッドナイトストーリー」「驚き桃の木ピンク話」「その時、君は・・」などエッチ系のコーナーが満載で、まだAVが存在しない時代でもあったので、若い男性にとってはこの番組は福音でもあった。ただし、「公序良俗に反する」というクレームが来たため、1か月だけ下ネタを完全に排除したことがある[29]。これが功を奏して抗議が収まったため徐々に元の路線に戻した[29]

タモリとともに「なんちゃっておじさん」ブームも巻き起こした[30]

初期に、家が火事になるとのギャグネタを盛んにやり、実際に鶴光の家が火事になった事もある(ただし、その当時は鶴光の家が火事にあった事は、洒落にならないとして緘口令が敷かれた)。その後、火事の事実が明らかになり、鶴光も放送内でそれを認めた(ペットとして飼っていた猿(アカゲザルの三吉)がストーブを倒して小火を起こした)。 放送当時は「身内ネタ」をする落語家は少なかったが、鶴光は息子である「新之助」ネタを盛んに使った(息子の「新之助」は、後に落語家となるも廃業した)。娘の「ありさ」も一時ネタとして使ったが、嫁に怒られたため止めた。

長期間に渡り番組を担当したため、番組内でのエピソードも多い。

  • 生放送中に地震が発生し怖じ気づいた鶴光は、真夏の放送にも拘わらず「ストーブの火を消してください」とマニュアル通りにアナウンスした。リスナーから「こんなクソ暑い季節にストーブをつけてる家庭がどこにあるか!!アホ!!」と抗議された。これに対し鶴光は、抗議したリスナーに対し「マニュアル通りに読めと言われたんじゃ、アホ!、今が夏だって知ってるわ、ボケ!」とラジオ放送で言い返した。
  • 連続企業爆破事件が起きた時期に、「鶴光死ね」という手紙とともに目覚まし時計が何度も送りつけられ、時限爆弾の疑いがあったため、丸の内警察署から捜査員が来たり、警察官が立ち会って放送する事態になった[31]
  • ニッポン放送のポッドキャスト番組で地震関連の放送をした時に注意喚起のアナウンスの後で「あー怖わ!!」とコメントした。
  • 長丁場の番組中空腹を催し、屋台のおでんを食べに行こうということで、ミキサー1人を残してスタジオを離れ、場つなぎとして「河内音頭」のレコードをフルコーラス(およそ30分)放送した[32]。亀渕(当時:編成部長)がこれを聴いて異変に気付き、スタジオに出向いて戻ってきた鶴光たちを叱責した[32]。亀渕から「俺の分はないのか?」と聞かれた鶴光が「ない」と答えると、亀渕はさらに怒ったという[32]

当時の女性アイドルもアシスタントとして出演しており(深夜4時台にアシスタント単独のコーナーもあった)、芦川よしみ日高のり子榊みちこ川島なお美松本明子坂上とし恵浜田朱里アイドルとして売れなかった時代に『鶴光のオールナイトニッポン』でアシスタントを務めた(同時期にアシスタントを務めた、日高のり子、坂上とし恵、浜田朱里は「崖っぷちトリオ」と名付けられた)。

1985年の『オールナイトニッポン』降板後は、東京と大阪を行き来しながら『鶴光の代打逆転サヨナラ満塁ホームラン』『かけこみワイド・鶴光のまかせなさい』を担当したが、1987年3月にABCラジオポップ対歌謡曲』を除くすべての在阪レギュラー番組を降板。東京に単身赴任して『鶴光の噂のゴールデンアワー』のパーソナリティを16年間務めた。「乳頭(ニュートゥー)の色は?」「ダンナのアソコに小鳥は何羽止まりますか?」などの変わらぬトークぶりを展開し、主婦のアイドルとして不動の地位を築いた。

その後は冬期限定レギュラーパーソナリティとして数々の番組などを担当したが、2009年3月をもってニッポン放送でのレギュラー番組は消滅した。

なお、鶴光の中では落語とラジオは「別物」として厳密に分類しており、著書では「落語は本職、DJは趣味と実益を兼ねた天職のようなもの」と記している[28]

コミックソング[編集]

鶴光は多数のレコードをリリースしたが、ヒットしたのは約20万枚を売り上げた『うぐいすだにミュージックホール』(作詞・作曲:山本正之)のみである。しかし、この曲のヒットが原因で、師匠の松鶴が「ろくに落語もできんくせに流行歌手かい!」「ストリップの歌うたいやがって」と激怒し、それを契機に「落語もしっかり」やることを決意したという[33]

映画[編集]

映画にも数多く出演している。代表作はレギュラー出演した『トラック野郎シリーズ』で、ビニ本屋の店長役などで持ち味のエロを存分に発揮した。五月みどり主演の『奥様はお固いのがお好き』などのポルノ映画にも出演。また、Vシネマミナミの帝王シリーズ』の3作品にも友情出演している。

テレビCM[編集]

2005年リクルートの「フロム・エー(FROM A)関東版/関西版」のテレビCMに出演する。様々なシチュエーションで「ええか?、ええか?」と語りかけるCMが人気を博した。「ええか?、ええか?」は『鶴光のオールナイトニッポン時代』からのギャグフレーズであるが、当時の流行を知らない若者の間でもこのフレーズが再度ブレイクし、このフレーズの着メロダウンロードは急激に増加した。

落語[編集]

売れ始めた頃にはテレビなどで新作落語や小噺などを披露し放送時間を繋いでいたが、円熟味を増してからは師匠譲りの豪快な話芸で『三十石夢の通い路』『相撲場風景』『三人旅』『阿弥陀池』『ぜんざい公社』『竹の水仙』などを得意にしている。

また、『木津の勘助』『荒茶』『鼓ヶ滝』『竹の水仙』などの講談種や『掛川の宿』などの浪曲種、『袈裟御前』『紀州』といった地噺なども得意としており、落語家・鶴光の顕著な特徴として認められる。講談のネタは旭堂南鱗からの伝授である。講談(講釈)種については「物語の進行の骨格がきっちりできていて」、そこにひねりを加えられる部分が適度にあることから好きであると述べている[34]

2008年の著書では『らくだ』『三十石』『高津の富』『一人酒盛』『天王寺詣り』を「笑福亭一門」の「いわば必修科目」と記しながら[35]、『らくだ』については師匠の6代目松鶴の口演を見た経験から「『らくだ』だけはやらない。どう考えたってこのネタは絶対できない。無理。」としていた[36]。その後、2010年代になってからは演じるようになっている[37]

ラジオでは「エロ」を売りの一つとするが、落語では「直球勝負を続けていきたい」という理由から艶笑噺は「あえて演じない」と述べている[20]

自己のツイッターでは時折自らの落語論、演芸論を真面目に述べる等、テレビ、ラジオ出演時の軽薄なキャラクターとは違う一面も見せている。

高座はもっぱら都内の定席や国立演芸場関東圏の市民ホールなどが中心であるが、学校寄席にも精力的に取り組んでいる。地元大阪で2006年に開場した天満天神繁昌亭の定席では、大トリも務めることもある。また、横浜にぎわい座で年2回「鶴光一門会」を開いている。松竹芸能が新宿にオープンした寄席「新宿角座」では月に1度「角座深夜寄席 - 特選真打ちの会 -」をプロデュースし、鶴光一門と落語芸術協会所属の落語家が出演している。

人物[編集]

苦労して育ててくれた母親への思いは強く、落語家・タレントとして成功すると、旅行に何度も連れていった[38]。母親に末期の直腸癌が発見されて余命幾ばくもないと知らされると、点滴しか受けられない母にもう一度だけ食事をさせたいと担当医に相談し、特別な手術で3日間だけ食事可能にしてもらい、その間に寿司を食べさせて、ほどなく死去したという[38]

新世界に馴染んで育ったこともあり、東京でも下町(浅草下谷入谷谷中目黒)を好み、飲み屋も庶民的な店が好きだと記している[39]

弟子[編集]

  • 笑福亭學光上方落語協会
  • 笑福亭笑光(廃業後、嘉門達夫(現・嘉門タツオ)としてタレントに転向)
  • 笑福亭迷光(廃業)
  • 笑福亭大五郎(廃業)
  • 笑福亭扇光(廃業)
  • 笑福亭真光(廃業)
  • 笑福亭久光(廃業)
  • 笑福亭新之介(鶴光の長男。廃業)
  • 笑福亭光壱(廃業)
  • 笑福亭里光落語芸術協会真打
  • 笑福亭つぐみ(女流、廃業)
  • 笑福亭和光(落語芸術協会真打)
  • 笑福亭典光(廃業)
  • 笑福亭乃光(廃業)
  • 笑福亭羽光(落語芸術協会二ツ目、元お笑いユニット「爆烈Q」)
  • 笑福亭竹三(落語芸術協会二つ目)
  • 笑福亭希光(落語芸術協会二つ目)
  • 笑福亭茶光(落語芸術協会二つ目、元お笑いコンビ「ヒカリゴケ」)

落語以外の弟子[編集]

  • ナオユキ(スタンダップコメディ芸人・松竹芸能)
  • 小林ありさ(鶴光の長女。元漫才師
  • 海野たら(元「鶴光劇団」。廃業)
  • 海野いわし(元「鶴光劇団」。廃業後、大衆演劇 劇団さむらい座長 皐月竜馬)
  • 海野かつお(元「鶴光劇団」。廃業)
  • 畑野とまと(元「鶴光劇団」。廃業)
  • 畑野ふき(元「鶴光劇団」。廃業)
  • 畑野いちご(元「鶴光劇団」。廃業)

影響を与えた人物[編集]

主なギャグ[編集]

※ただし落語の登場人物関連のものは除く。

  • 「鶴光でおま」
  • 「わんばんこ」
  • 「ええか~ええのんか~」
  • 「明日の幸せより目の前のゼニ」
  • 「乳頭の色は?」

出演番組[編集]

近年[いつ?]は落語活動に力を入れているため、マスコミの露出は少ないが、バラいろダンディやニッポン放送の番組に時折ゲスト出演しているほか、関西地区ではj:comの特別番組「鶴光の寄合酒でおま」でその姿を見ることができる。

ラジオ[編集]

ニッポン放送[編集]

特別番組

ラジオ大阪[編集]

ラジオ関西[編集]

  • ナマナマ大放送(1970年5月 - 1972年3月)
  • さんちかサテライトジョッキー
  • 大人の子守唄ラジオ版
  • サテスタであいましょう
  • ポケットジャーナル
  • ジュエルコーナー

毎日放送[編集]

  • MBSヤングタウン(1971年4月 - 1972年9月、1973年4月 - 1975年3月、1975年10月 - 1984年3月)
  • ごきげんさん!3時は鶴光です
  • ジャンボサタデー
  • 歌謡ゴーゴーファイブ
  • やる気満々藤本永治です
  • ミュージックハイウェイ
  • 歌うハイウェイ

朝日放送[編集]

近畿放送(現・KBS京都)[編集]

  • 丸物わいわいカーニバル(1972年 - 1974年)
  • KBSワイドスコープ
  • オールナイト電話リクエスト

その他[編集]

テレビ[編集]

TBS[編集]

日本テレビ[編集]

フジテレビ[編集]

テレビ朝日[編集]

テレビ東京[編集]

朝日放送[編集]

毎日放送[編集]

読売テレビ[編集]

関西テレビ[編集]

サンテレビ[編集]

名古屋テレビ[編集]

その他[編集]

ウェブテレビ[編集]

CM[編集]

映画[編集]

DVD・セルビデオ[編集]

  • 鶴光のオールナイトニッポンDELUX・鶴光でおま(ビクターエンタテインメント)
  • ワザオギ落語会vol.3(ワザオギ
  • 鶴光のおとなの子守唄
  • 平成紅梅亭特選落語会/特選!噺家の会8(ポニーキャニオン)
  • 繁昌亭らいぶシリーズ6 ?笑福亭鶴光?(テイチクエンターテインメント)
  • 電車男(ポニーキャニオン) ※舞台版/声の出演

著書[編集]

  • 『かやくごはん 鶴光のむちゃくちゃハンセー記』(ペップ出版)1975 のち角川文庫 「鶴光のかやくごはん 女はカオ、男はゼニで勝負」
  • 『続かやくごはん 「鶴光自身」 むちゃくちゃ特大号』ペップ出版、1975 のち角川文庫
  • 『午前1時のひまつぶし』(ペップ出版)1975
  • 午前2時のひまつぶし(ペップ出版)
  • 『新かやくごはん』ペップ出版、1976
  • 『ニューかやくごはん』ペップ出版 1977
  • 『元祖ナンチャッテおじさん』(ペップ出版)1977
  • 『お子様ランチ』ペップ出版 1978
  • 『驚き桃の木ビックリ話』(サンケイ出版)1979
  • 『鶴光の新かやくごはん』第1-5集 (ワニの豆本) ベストセラーズ 1980-81
  • 『あの子はだあれ?』 (ワニの豆本)ベストセラーズ 1980
  • 『驚き桃の木ピンク話』(サンケイ出版)1980
  • 『笑福亭鶴光の金魚鉢の青春』ニッポン放送オールナイト・ニッポン共編 サンケイ出版 1983
  • 『笑福亭鶴光のセクシーなぞなぞ』 (ワニ文庫) ベストセラーズ 2001
  • 『鶴光のなじょなじょ512発!!―出して快感!出されて悶絶!』(ニッポン放送出版)2002*『つるこうでおま! 』白夜書房 2008

レコード・CD[編集]

コミックソングほか[編集]

  • 男心の番外地/鶴光小唄(1972年4月、キング)
  • 鶴光の大阪小唄/鶴光の浪速の子守唄(1974年2月、東芝EMI)
  • うぐいすだにミュージックホール/ももえちゃん(1975年5月、ワーナーパイオニア)
  • 鶴光のかやくごはん LP(1975年7月、ワーナーパイオニア)
  • イザベル =関西篇=/買わなきゃ、Song!Song!(1975年11月、ワーナーパイオニア)※シャルル・アズナヴール「Isabelle」の日本語(関西弁)カバー。
  • 鶴光のかやくごはん2 LP(1975年11月、ワーナーパイオニア)
  • 星のふる夜/ア!なんだなるほど節(1976年4月、ワーナーパイオニア)
  • スイタラ・タンゴ/Mr.ツルコー(1977年5月、ワーナーパイオニア)
  • なんちゃって行進曲/なんちゃって人生(1978年4月発売予定だったが、レコード会社の判断により発売中止) ※A面曲は植木等のヒット曲のメドレー。
  • 鶴光の新説SOS/ナンチャッテ一代男(1978年12月、日本コロムビア) ※A面曲は岡林信康のカバー。B面曲は、発売中止となった「なんちゃって行進曲」のB面曲に予定されていた「なんちゃって人生」の改題。
  • レコード版かやくごはん総集篇・ベスト・オブ・ツルコウ(キャニオン)(1979年12月)
  • すんまへ?ん!「あっごめん!」サラリーマン編/人気的英雄 スーパーヒーロー(1980年12月、ポニーキャニオン)
  • ええかええかのテーマ(MBSヤングタウン・木曜日の歌)」(1983年、CBSソニー/福武書店) ※角淳一と共演
  • オール・ザット・おもろない/ええかええかのテーマ(1983年、クラウン)
  • ええんやったら/クリスマスやったね(1990年12月、ポニーキャニオン) ※田中美和子と共演
  • 涙の綱取物語(1994年7月、ポニーキャニオン)
  • うぐいすだにミュージックホール2000(2000年2月、日本クラウン)
  • 宝船だよ!! 七福神/夢色の人生(2001年2月、テイチク) ※田中美和子と共演
  • いっしょに歌お!CBCラジオ 今月の歌セレクション Vol.4鶴光&まな「ほんまにええのんか」(サークルKサンクス)
  • 未来無きロマンス/そう、さよなら(2013年1月) ※加藤リナと共演

落語[編集]

  • 上方落語大全集・朝日放送1080分落語会実況録音盤(テイチク)
  • やんぐ寄席・松竹編(クラウン)
  • 島之内寄席ライブ第一集(キング)
  • ライブ上方艶笑落語集5(日本コロムビア)
  • 上方艶笑落語(エヌ・ジー・シー)
  • 上方落語名人選・珍品抱腹上方お色気噺(ビクター)
  • 笑福亭鶴光集成 1(落語のワザオギ)

ゲーム[編集]

連載[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 笑福亭鶴光 2008, p. 39.
  2. ^ [1]
  3. ^ a b 笑福亭鶴光 2008, p. 10.
  4. ^ 鶴光が居住した当時は長吉村
  5. ^ 弟弟子の笑福亭鶴瓶も同じ平野区(旧長吉村)出身である。
  6. ^ 笑福亭鶴光 2008, p. 12.
  7. ^ 笑福亭鶴光 2008, pp. 15-16.
  8. ^ a b 笑福亭鶴光 2008, pp. 17-19.
  9. ^ a b c d e f 笑福亭鶴光 2008, pp. 22-25.
  10. ^ 笑福亭鶴光 2008, pp. 20-21.
  11. ^ a b 笑福亭鶴光 2008, pp. 26-30.
  12. ^ a b c d e f 戸田 2014, pp. 292 - 294.
  13. ^ a b c d e 笑福亭鶴光 2008, pp. 34-35.
  14. ^ 入門当時は2番弟子ではなかったが、兄弟子の死去や廃業が相次いだため2番弟子に昇格している
  15. ^ のちに弟弟子の笑福亭松葉も同様の往復ハガキを送ったがこちらは返事を受け取っている(ただし、「即答できないので道頓堀角座まで来い」という内容)(戸田、2014年、pp.348 - 349)。
  16. ^ 笑福亭鶴光 2008, p. 37.
  17. ^ 小佐田定雄(編)『青春の上方落語』NHK出版<NHK新書>、2013年、p.30(笑福亭鶴瓶からの聞き書き。鶴瓶も「鶴之」と「鶴瓶」から選ぶよう指示された)
  18. ^ 笑福亭鶴光 2008, p. 42.
  19. ^ a b c 笑福亭鶴光 2008, pp. 75 - 79.
  20. ^ a b 笑福亭鶴光 2008, p. 116.
  21. ^ a b c 笑福亭鶴光 2008, pp. 196-197.
  22. ^ 小佐田定雄『青春の上方落語』NHK出版<NHK出版新書>、2013年、p.25
  23. ^ 笑福亭鶴光 2008, pp. 70、205.
  24. ^ 笑福亭鶴光 2008, pp. 96-97.
  25. ^ 笑福亭鶴光 2008, p. 98.
  26. ^ a b c 笑福亭鶴光 2008, pp. 100-102.
  27. ^ この結果、あのねのねは土曜担当に戻ることができなくなり、かつて鶴光が担当した水曜(1部)担当で復帰することになる。
  28. ^ a b 笑福亭鶴光 2008, pp. 117-118.
  29. ^ a b 笑福亭鶴光 2008, p. 134.
  30. ^ 笑福亭鶴光 2008, p. 126.
  31. ^ 笑福亭鶴光 2008, p. 132.
  32. ^ a b c 笑福亭鶴光 2008, p. 131.
  33. ^ 笑福亭鶴光 2008, pp. 116、208.
  34. ^ 笑福亭鶴光 2008, p. 144.
  35. ^ 笑福亭鶴光 2008, p. 150.
  36. ^ 笑福亭鶴光 2008, p. 170.
  37. ^ らくだやりました - 笑福亭鶴光オフィシャルブログ「つるこうでおま!」(2013年4月27日)
  38. ^ a b 笑福亭鶴光 2008, pp. 137-139.
  39. ^ 笑福亭鶴光 2008, pp. 240-241.

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]