三越

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株式会社三越
Mitsukoshi, Limited
Mitsukoshi03s3200.jpg
日本橋三越本店
種類 株式会社
市場情報
東証1部 2779 2003年9月1日 - 2008年3月26日
大証1部(廃止) 2779 2003年9月1日 - 2007年12月21日
名証1部 2779 2003年9月1日 - 2008年3月26日
東証1部 8231(旧法人) 1953年8月24日 - 2003年8月26日
本社所在地 日本の旗 日本
103-8001
東京都中央区日本橋室町一丁目4番1号
設立 2003年(平成15年)9月1日
創業は1673年(延宝元年)
業種 小売業
事業内容 百貨店業ほか
代表者 代表取締役会長・中村胤夫
代表取締役社長兼営業企画本部長・石塚邦雄
資本金 374億404万円(2008年2月28日現在)
売上高 単体7,293億円
連結7,739億円
(2008年2月期)
総資産 単体5,042億円
連結5,707億円
(2008年2月期)
従業員数 単体6,713人
連結9,405人
(2007年8月31日現在)
決算期 毎年2月末
主要株主 三越伊勢丹ホールディングス 100%
主要子会社 株式会社二幸 100%
株式会社スタジオアルタ
株式会社三越友の会
関係する人物 三井高利(越後屋創業)
日比翁助(三越百貨店創業)
外部リンク www.mitsukoshi.co.jp
特記事項:現在の法人は、2003年9月1日に旧三越と系列会社による新設合併で設立
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三越(みつこし、英称:Mitsukoshi)は、株式会社三越伊勢丹ホールディングス傘下の株式会社三越伊勢丹が運営する日本の百貨店。また、株式会社三越は、かつてこれを運営していた企業で、次の2つが存在した。

  1. 初代(1928年 - 2003年8月31日)
  2. 2代目(2003年1月1日 - 2011年3月31日) - 1.と株式会社名古屋三越・株式会社千葉三越・株式会社鹿児島三越・株式会社福岡三越が新設合併して発足。現在の株式会社三越伊勢丹の直接の前身。

日本で初めて「デパートメントストア」を宣言[1]したことで有名で、そのため日本初の百貨店(デパートメントストア)と見る向きもあるが、実際の店舗の百貨店化では必ずしも三越が最初ではなく、この点については議論が分かれている[2]

三井財閥(現三井グループ)のルーツとなった「越後屋」の呉服店事業を引継いだため、「三井財閥(現三井グループ)の礎を築いた企業である」とされることも多いが、企業としての三越としてみるならば、三井の事業から呉服店部門のみを「合名会社三井呉服店」として分離したのが始まりである。

概説[編集]

江戸時代1673年延宝元年)に「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせた、呉服店の「越後屋」(ゑちごや)として創業。現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現し、当時富裕層だけのものだった呉服を、ひろく一般市民のものにした。

現在の商号「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったもので、1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ改称した際からのものである。この改称の案内の際に「デパートメントストア宣言」を行い、そのことを以て日本での百貨店の歴史が始まりすることが多い[1]。(実際の百貨店化の動きなどの日本の百貨店の始まりについての詳細は日本の百貨店の歴史参照)

1928年には「株式会社三越」となった。1935年に竣工した日本橋本店は、東京都選定歴史的建造物に選定されている。

2003年(平成15年)9月1日に、当時の「株式会社三越」とその子会社である「株式会社名古屋三越」「株式会社千葉三越」「株式会社鹿児島三越」「株式会社福岡三越」の百貨店5社が新設合併し、新「株式会社三越」が設立された。

売上高営業利益率は、グループ連結で1.09%、百貨店事業単独で0.799%と百貨店業界の中でも不振が続いていたため、2008年9月に百貨店4店舗・小売店2店舗の閉鎖を発表し、店舗の整理を始めた。また、経営統合後の再編方針により、2010年4月1日付で関東以外の店舗を分離した。

残った店舗については、2011年4月1日に伊勢丹と合併して発足した(存続会社は三越)「株式会社三越伊勢丹」の運営となった。また、同日には、札幌丸井今井札幌三越の両社も統合し(存続会社は札幌丸井今井)、「株式会社札幌丸井三越」が発足している。

現在の同店のキャッチフレーズは、「飾る日も 飾らない日も 三越と」である。

沿革[編集]

ゑちご屋チラシ
ゑちご屋チラシ
越後屋 復元看板(三井越後屋ステーションにて撮影)
越後屋 復元看板(三井越後屋ステーションにて撮影)
名所江戸百景 駿河町(歌川広重)越後屋の暖簾を見ることができる。
名所江戸百景 駿河町(歌川広重
越後屋の暖簾を見ることができる。
三越絵葉書明治大正時代
日本橋三越本店新館
日本橋三越本店新館
三越百貨店創業者・日比翁助
三越百貨店創業者・日比翁助

越後屋・三井呉服店時代[編集]

  • 1673年 伊勢商人三井家三井高利江戸本町一丁目(現在の日本銀行辺り)に、呉服店「越後屋」を開業(間口9尺の小さな借り店舗)。
  • 1683年 大火にあい、本町から駿河町に移転し、両替店(現在の三井住友銀行)を併置。
  • 1691年 大阪・高麗橋一丁目に越後屋大阪店と両替店を開設。
  • 1837年 大塩平八郎の乱で大阪店が襲撃され全焼。
  • 1872年 三井大元方(三井家全事業の統括機関)から分離して、新たに名目上の一家「三越家」名義で経営。
  • 1875年 大阪店が規模を縮小し高麗橋三丁目に移転。
  • 1888年 駿河町に「三越洋服店」開店。
  • 1893年 越後屋を「合名会社三井呉服店」に改組。
  • 1894年 大阪店が高麗橋二丁目堺筋角に復帰。
  • 1895年 高橋義雄が理事に就任。経営の大改革に着手。11月には土蔵造り2階の大広間を打ち抜き陳列場として帳場座売りを廃止。
  • 1900年 座売りを全廃。階下の座売場も陳列場となり全館開場。開店から客が流れ込み午前10時には表戸を閉切りにする程の盛況。女子社員の採用開始。

株式会社三越呉服店時代[編集]

顧客や取引先に三井・三越の連名で、三越呉服店が三井呉服店の営業をすべて引き継いだ案内と、今後の方針として「デパートメントストア宣言」を行い、日本初の百貨店となる。
  • 1905年 年に主要新聞や雑誌等に「デパートメントストア宣言」広告掲載。
    • 日本初の自動車(配達用)を導入。
    • 店頭に大イルミネーションが設置。
    • 化粧品、帽子の販売を開始。
    • 「光琳遺品展覧会」を開催。
  • 1907年 日本橋本店内に食堂と写真室を開設。
    • 鞄、履物、洋傘等の取扱品目を追加。
    • 旧越後屋跡地に大阪店開店。
    • 「新美術部」を開設(大阪店9/15、日本橋店12/1)。
  • 1909年 少年音楽隊、メッセンジャーボーイが編成される。
  • 1911年 ポスターの図案を懸賞公募。
    • 写真室にカラー写真導入。
    • 電話による注文受付開始。
    • 大阪店 木造30mの飾り窓付き2階建新館が落成。
  • 1913年 帝国劇場のパンフレットに広告。「今日は帝劇、明日は三越」のコピーが流行。
  • 1914年 日本橋本店 ルネッサンス様式の新館 落成。鉄筋地上5階・地下1階建てで「スエズ運河以東最大の建築」と称され、建築史上に残る傑作といわれた。
  • 1916年 金字塔に天気予報信号旗を掲揚。テレスコープ設置。
  • 1917年 大阪店新館が開店し地下1階地上7階の大阪最大のルネッサンス式建物となる。
    • 日本橋本店の中央ホールに巨大扇風機が設置される。
  • 1920年 大阪店が東館完成により全館開店。
  • 1921年 大阪店、西日本の百貨店では初の下足預かり廃止。
  • 1923年 8月5日 日本橋店にて日本初のデパートのバーゲンセール開催。
  • 1925年 大阪店屋上にて大阪放送局(現NHK大阪放送局)が仮放送開始。
  • 1927年 日本橋本店に三越ホール(現三越劇場)を開設。
    • 日本初のファッションショー開催。美容室設置。

(初代)株式会社三越時代[編集]

銀座四丁目交差点で向かい合う服部時計店(現・和光)と三越銀座店(1933年10月)
  • 1928年 商号を「株式会社三越」に改める。
  • 1929年 新宿店開店。
  • 1930年 銀座店開店。
    • 本店食堂に「お子様洋食」登場。
    • 京城支店開店。
  • 1931年 高松店開店。
  • 1932年 三越が建設資金を負担し東京地下鉄道三越前駅」が開業。日本橋本店地下売場と連絡。
    • 札幌店開店。
  • 1933年 仙台店開店。
  • 1935年 日本橋本館の増築改修工事が完了。中央ホールが完成。地上7階地下2階建て。完成した中央ホールにパイプオルガンが設置される。
  • 1937年 大阪店改修工事が完成し新式冷房装置を新設。
  • 1944年 本店に結婚式場開設。
  • 1946年 戦後初の出店となる松山店開店。
  • 1947年 財団法人三越診療所(現・三越厚生事業団)設立。
  • 1950年 日本橋本店で、戦後初のファッションショー開催。同年、《マッカーサー元帥胸像》の除幕式を行う。
  • 1951年 猪熊弦一郎のデザインによる包装紙「華ひらく」を全店で使用開始。
    • 12月18日 日本の百貨店で初のストライキ。「三越にはストもございます」と話題になる。[3][4]
  • 1954年 「第一回無形文化財日本伝統工芸展」を開催。
  • 1956年 日本橋本店で、パリー展開催。
  • 1958年 日本橋本店の第2期増改築工事が完成、全国一の規模となる。
  • 1960年 4月19日 三越創立50周年を記念して、日本橋本店中央ホールに、佐藤玄々製作の「天女像(まごころ)」設置。当日は、除幕式には各界名士、報道関係者など500人が招かれた。
  • 1967年 高松店 戦災による改築のため一時閉店。
  • 1968年 銀座店新築開店。枚方店開店。高松店が営業再開。
  • 1970年 「大越百貨店」グループ入りにより、「沖縄三越」に社名変更
  • 1971年 日本の小売業として初めて売上高が1,000億円を突破。
    • 海外第一号店、パリ三越開店。
    • 銀座店内にマクドナルドの日本1号店が開店。
    • 札幌店新築オープン。
    • 「奈良屋」(千葉)と合弁にて「ニューナラヤ」を設立。
    • 「丸屋」(鹿児島)と業務提携。
  • 1973年 広島店開店。
  • 1974年 大阪店新館増築完成。
  • 1975年オリエンタル中村百貨店」(名古屋)と業務提携。
    • ローマ三越開店。
  • 1976年 大阪店全館改装オープン。
  • 1978年 「小林百貨店」(新潟)と業務提携。
  • 1979年 ロンドン三越、デュッセルドルフ三越、ニューヨーク三越、ハワイ三越開店。
  • 1980年 倉敷店開店。
    • 「オリエンタル中村百貨店」を「名古屋三越百貨店」、「小林百貨店」を「新潟三越百貨店」へ改称。
  • 1981年 香港三越開店、フランクフルト三越、サンシャインシティ三越開店。
  • 1982年 三越事件発生。取締役会で岡田茂社長(当時)の代表取締役および社長解任を決定。
    • フロリダ・ディズニーワールド三越開店。
  • 1983年 テレビショッピング新番組「レディス4」開始。
  • 1984年 「ニューナラヤ」を「千葉三越」に、「丸屋」を「鹿児島三越」へ改称。
    • 香港三越九龍店開店。
  • 1986年 英国のチャールズ皇太子・ダイアナ妃(当時)が日本橋本店に来店。
  • 1988年 三越洋服100年記念舞踏会開催。
  • 1991年 台湾の新光集団と新光三越を設立。第一号店が台北に開店。
  • 1992年 パリ三越エトワール美術館を開館。
  • 1994年 恵比寿店開店。
  • 1995年 大阪店が阪神・淡路大震災により被災。被災した旧館部分を取り壊す。
  • 1996年 三井住友カードとの提携により「三越カード」(旧・三越カード)誕生。
    • インターネット上に三越のホームページを開設。阪神大震災で被災した旧館跡地に新館をオープン。
  • 1997年 福岡三越開店。
  • 1998年 「顧客第一主義」の実現をめざし、営業本部制を導入。
  • 2000年 読売ジャイアンツ優勝記念セールを初めて全店で開催。
  • 2002年 札幌アルタと恵比寿店「グラススクエア」が開店。

(2代目)株式会社三越時代[編集]

  • 2003年 子会社4社(千葉三越、名古屋三越、福岡三越、鹿児島三越)と合併(新設合併)により、(2代目)株式会社三越が誕生。
  • 2004年 デパートメントストア宣言から100年。日本橋本店に新・新館が完成。
  • 2005年 名古屋栄店の隣接地に専門館「ラシック」開店。
    • 5月、「メセナアワード2005」メセナ大賞を受賞。
    • 5月5日 三越大阪店閉店
  • 2006年 初の郊外型店舗、武蔵村山店開店。
  • 2007年 鹿児島店ナムコとの共同プロデュースで百貨店初のフードテーマパーク「三越スイーツ庭園 in Kagoshima」を7階にオープン。
    • 2011年の大阪駅ビル内の出店に向けて、新梅田シティに「新店準備室大阪事務所」と「大阪ギフトサロン」(2011年1月10日に閉店)を開設。
  • 2008年 伊勢丹との共同持株会社三越伊勢丹ホールディングス」を設立。同社の完全子会社となる。
    • 11月24日 8月24日に閉店した仙台店隣の旧ファッションドーム141跡地の改装を行い、新たに定禅寺通り館としてオープン。これにより仙台店は仙台本館へと名称を変更。
  • 2009年 猪熊弦一郎画伯デザインの紙袋が全店で使用終了し、新デザインへ移行完了。
  • 2010年 4月1日 地方直営店の大半を分社化。
    • 4月 エムアイカード発行の「三越 M CARD」、「MI CARD」(新・三越カード)が誕生。
    • 9月11日 銀座店増床オープン。
  • 2011年4月1日 運営会社の株式会社三越が、株式会社伊勢丹を吸収合併し、「株式会社三越伊勢丹」となる。

三井高利と越後屋[編集]

三井家三井財閥)の元祖である三井高利によって1673年延宝元年)江戸本町一丁目の借店(かりだな)に「越後屋三井八郎右衛門」を創業。1683年天和3年)には、駿河町(現在の日本橋三越本店所在地)へさらに営業を拡大させ移転。同時に両替店を開設し、この両替店は現在の「三井住友銀行」へと発展することになる。 そして駿河町に店を構えると江戸中に札(広告)を配り、下記のような当時では画期的な商法を次々と打ち出し、当時富裕層だけのものだった呉服を、ひろく一般市民のものにした。

店前現銀売り(たなさきげんきんうり)
現金をたてまえとした店頭販売の実現。当時、あらゆる商売は、得意先に行って注文を聞き、あとから品物を持って行く「見世物商い(みせものあきない)」か、直接商品を得意先に持って行く「屋敷売り」が普通だった。得意先は大名、武家、大きな商家で、支払いは年に一度の「極月払い」か、年に二回の「節季払い」だった。資金の回転がなく、回収不能など危険負担が大変大きかった。
現銀掛値無し(げんきんかけねなし)
当時、値切られることを考慮して客に最初に提示する値段を実際の売値より高く提示し、客によって値段を上げ下げするのが慣習だったが、「正札販売」、つまり値段を札に書いて商品につけて実際のその価格で販売。「正札付き現銀掛値なし」として定価販売を世界で初めて実現した。
小裂何程にても売ります(切り売り)
呉服屋では、反物単位の販売しか行なわなかったが、客の需要に応じての切り売りは一般庶民から大好評を博し「日本永代蔵」で「ビロウド一寸四方でも売っている〜一寸四方も商売の種〜」と描写される。

歴史に残る広告[編集]

呉服店から百貨店への移行期の三越の広告は、時代の最先端なものとして 広告史上忘れてはならないものとして語り継がれている。

  • 1905年「デパートメントストアズ宣言」は 元旦の全国主要新聞に掲載した全面広告。
    • 当店販売の商品は今後一層その種類を増加し、およそ衣服装飾に関する品目は 一棟御用弁相成り候 設備致し、結局 米国に行はるるデパートメント、ストアの一部を実現致すべく候
    • 従来の呉服屋を廃して、何でも揃うアメリカン・スタイルの百貨店を目指すことを宣言したもの。従来、老舗呉服店は、極限られた富裕層を対象にしたものだったのに対し、広く一般大衆に向けて、百貨店での買い物は遊園地のように楽しく「消費は美徳である」というイメージを植えつけていく戦略をとっていった。
  • 1911年「春の売り出し用ポスター図案懸賞募集」実施。1等賞金は当時としては破格の1,000円。300人応募の中から橋口五葉の「此美人」が選ばれた。
  • 1913年「今日は帝劇、明日は三越」 東宝が日本初の西洋式の劇場として帝国劇場を開設。来場客に無料で配付した一枚刷りの「筋書き」(プログラム)に掲載された広告のキャッチ・フレーズ。「帝劇での観劇」と「三越でのお買い物」は 当時の有閑富裕階級の女性を象徴する一般庶民の憧れだと鮮烈に印象付けた。コピーライターは浜田四郎(三越の広告担当)。ポスター用の婦人画は竹久夢二だった。
  • 1915年「春の売り出し」ポスター杉浦非水の「エンゼル」を採用。大胆な色彩と蝶の羽をつけた女性のイラストで、アール・ヌーヴォー風の画風が話題になった。非水は1934年まで三越の広告宣伝物の図案に携わっている。
  • 1927年9月 日本初のファッションショーを開催。水谷八重子 (初代)、東日出子、小林延子の当時人気の三女優を「染織逸品会」の新衣装で登場させた。[5]
  • しかし、1970年代以降、斬新な広告は伊勢丹丸井パルコといったより若い層にターゲットにした店に取って代わられるようになる。三越はCMキャラクターに 当時、東宝の看板女優だった栗原小巻を使用。「贈り物は、やっぱり三越」と謳っていた。これは、「他の新しい百貨店とかスーパーなどではなく、ステータスの高い三越の包み紙で中元歳暮は贈りましょう」というメッセージである。

海外デザイナーとの提携[編集]

大丸ディオール・サロンに対抗して 三越もパリのオートクチュール・メゾンと提携した。

  • 1963年 ギィ・ラロッシュ(イブ・サンローラン、ピエール・カルダンと並ぶディオールの弟子3プリンス)- 型を輸入して自社サロンで製造する方式だったが一着15万円前後と高価なものだった。
  • 1977年 アンドレ・クレージュ -プレタポルテを直輸入して販売するスタイルとしたが、やはり10万円前後と、一般大衆には手の届かないものだった。
  • 同時期にアメリカンカジュアルとも提携。オスカー・デラレンタビル・カイザーマンなどニューヨーク・ファッションを取り入れた。これらは 女性の社会進出に伴って、急増するニーズに応えるためのブランドだった。[6]

通信販売[編集]

  • 1899年 郵便為替制度が制定されたのに対応し、地方の顧客からの手紙による注文を取り扱う「外売り係り通信部」を開始。これは高島屋に続いて日本の百貨店として2番目の取り組み。
  • 1903年 カタログ誌「時好」発行。
  • 1910年 「時好」を「三越タイムズ」に改称。カタログ配布先名簿に登録された顧客数30万人、毎日の発送は1,000件を超え三越は通信販売業界1位となった。発送先には朝鮮台湾も含まれていた。
  • 1911年 電話注文を開始。
  • 1924年「三越カタログ」(総合)発行を開始。[7] 同カタログの他 現在、「定番物語」「美味通信」「快適生活人」などをテーマを絞った種類のものを多数出している。
  • 1999年の歳暮期からコンビニエンスストアファミリーマートと提携しギフトの受付を開始。[8] 定番カタログの他、「ハロッズ」、「ケーファー」、「ペニンシュラホテル」など三越独占取り扱いブランド商品が含まれており、三越のギフトセンターまで出かけなくとも 近所のコンビにで申し込めるようになった。[9] 2013年現在の 取り扱い品目330品目。ファミリーマート店舗は9,500。これによりギフトショップ・スタイルの小型店を自前で展開する必然性・意義も少なくなることになった。
  • 2011年 通信販売事業部は「株式会社三越伊勢丹通信販売」として独立した。新事業として 食品宅配事業「エムアイデリ」を開始。年配者の世帯。育児世代に加え、40-50代のミセスをコア・ターゲットにしている。[10]
    • この会社とは別にノベルティや香典返し、輸入ブランド品などのカタログ販売を行う「株式会社 三越伊勢丹ギフト・ソリューションズ」(2012年「レオドール貿易」から社名変更)も存在。同社では日本郵便との提携で国内郵便局からギフトの申し込みができる他、中国でも事業を展開している。
    • ※注)両社ともかつて通販事業を営んでいた「二光」(現.西友リテールサポート)とは無関係。(三越系食料品小売業の「二幸」は「三越伊勢丹フードサービス」に改称)

テレショップ[編集]

1970年 日本初の通販番組フジテレビの「東京ホームジョッキー」(運営はディノス。1972年から「リビング11」に改称)開始。この番組は1983年に終了するが、スタッフ、キャストがテレビ東京で、三越一社提供番組「レディス4」を開始することになった。同番組は2012年から「L4 YOU!」と改題している。近年L4 YOU!紹介商品はインターネットでも注文ができるようになった。 当初は 全国ネットだったが、三越の小型店店舗撤退とリンクして放送を打ち切った地域もある。 この番組の他 ミニ番組「三越テレショップ」もある。 現在放送中のテレビ局は以下の通り。[11]

オンライン・ショッピングは、三越と伊勢丹(I On Line)が別々にあり、提携サイトとしてティファニーのサイトも独立してある。

大塚家具と協調販売[編集]

三越と大塚家具は、商品開発やホテルの内装を手掛ける建装事業などで、協力する方向性を打ち出した。

その手始めとして、年間20億円の赤字を出していた新宿店南館を1999年7月に閉館し、同年9月10日「IDC大塚家具新宿ショールーム」を賃貸入居させた。

その際、三越が大塚家具にお帳場客(上得意客)を紹介し、その客が大塚家具で家具を購入すれば、紹介手数料を受けるという契約も結んだ。ただし、この紹介制度は一定期間しか有効ではない。また、大塚家具は会員制を取っているので、一度目は「三越の紹介」扱いだったとしても、次からは「大塚家具」会員扱いになるため 紹介手数料は入らなくなる。

協調出店は、吉祥寺店や多摩センター店でも試みられたが、あまり芳しい実績とはならず、吉祥寺店は両社とも撤退、多摩センター店は大塚家具が立川高島屋への移転という形で終了している。現在は 新宿店南館で家賃収入を得るだけの関係だが、赤字店舗をそのまま抱えるよりは良いという状況になっている。[12]

読売ジャイアンツの優勝セール[編集]

2000年より 「ジャイアンツフェスタ」を実施している。「読売ジャイアンツ」の商標を使用してのセールには、読売新聞社への商標使用の許諾料を支払う契約に基づいており、期間中はおたのしみ袋やジャイアンツグッズの販売する権利を得ている。

また、優勝パレードも、日本橋本店前が起点で、銀座店を経由して銀座8丁目 博品館前までとなっており、開催に当たっては日本テレビなどで告知するため、当日 多くのファンが集り、売上に貢献している。

従来、巨人軍優勝セール実施店は、そごうと相場が決まっていた。これは そごう東京店が1957年から有楽町の読売会館に入居していたためだが、同社が2000年に経営破綻し、読売会館から撤退。読売新聞社が代わりの協賛企業を募集した結果、三越が引き継ぐことになったもの。その縁で 三越は読売新聞社からプランタン銀座の株式の30%の譲渡を受けることにもなった。プランタン銀座も、読売新聞社が筆頭株主で、読売銀座ビルに入居しているので 「ジャイアンツセール」を実施する。

三越の実施店舗は 日本橋本店、銀座店の他、全国展開で、小型店(ギフトショップ)や海外店、提携店の沖縄三越まで含まれている。ただし、名古屋三越、広島三越等、他球団のホームにある店舗では 他の催しに差し替えられることもある。

2008年「三越伊勢丹ホールディングス」設立以降、実施店は伊勢丹直営店にも拡大した(静岡や関西では実施していない)。 なお、協賛企業は、三越伊勢丹だけではない。

ビックカメラは、そごう撤退後の2001年から読売会館に入居したため、2002年からセールを実施(関東・甲信越地区限定)。

セブン&アイ・ホールディングスは、スーパーのイトーヨーカ堂及びコンビニのセブン-イレブン(一部の店舗を除く)でも2005年から実施しているが、百貨店のそごう・西武では実施していない(現在のそごう・西武と西武鉄道には資本関係が全くないが西武百貨店が埼玉西武ライオンズのスポンサーのためライオンズセールが通例となっている。またイトーヨーカ堂とセブン-イレブンはジャイアンツとライオンズの両方のセールを実施している)。

2012年度は 銀座:マロニエ ゲート(三菱地所)、栃木:福田屋百貨店、宮崎:ボンベルタ橘でも セールは開催されたが、これらの各社は、読売新聞社との契約で実施しているもので、三越伊勢丹と提携関係があるからではない。[13]

トリビア[編集]

東京ヤサカ観光バス 「三越プレミアムクルーザー」
ケイエム観光 「三越プレミアムクルーザー」

2008年に高級観光バス「三越プレミアムクルーザー」を導入し(実際の車両管理・運行は東京ヤサカ観光バスが担当。ナンバープレートは希望ナンバーで「三越」である32-54)、三越トラベルセンター主催の旅行などで使用する。この車両は2007年に開催された東京モーターショー日野自動車が展示した参考出品車、セレガプレミアムを営業に供しているものである。個別にテレビモニターも備えた革張りのリクライニングシートを備え、前後5列・横2席、乗客定員わずか10名、さらに後部にはトイレ・洗面所も備える、贅沢なつくりの車である。好評のため、2012年にも追加で導入され、こちらはケイエム観光バスが担当する。2009年には通常の2-2レイアウトを採用する「三越グランドクルーザー」も登場している。

日本橋三越の屋上には、三井家の守り神である三囲神社が祀られている。

包装紙と紙袋[編集]

三越では1910年(明治43年)ころから、店章や新館完成予想図、支店・分店や取り扱い商品などをあしらった包装紙を使用してきた。百貨店の包装紙は、どこも地味なもので紙質も良いものではなかった。そこで1950年(昭和25年)に「クリスマス用に明るい包装紙を」と猪熊弦一郎にデザインを依頼して誕生したのが、現在の包装紙「華ひらく」と「三色」の紙袋である。当時、三越の社員で宣伝部に所属していたやなせたかしが猪熊から作品を受け取り、社へ持ち帰って「mitsukoshi」のレタリングを入れ完成した。当時、破格の報酬でも話題となった。

この画期的な包装紙「華ひらく」と「三色」の紙袋は大変好評となり、翌年の中元からは三越全店で使用されるようになった。紙袋は2008年(平成20年)に伊勢丹との経営統合を機にデザインが変更されたが、「華ひらく」は現在でも全国の三越で使用されている。

日本初のエスカレーターと、エレベーターの設置[編集]

1914年 日本橋本店新館の建設に当たって、日本の商業施設として初めてのエスカレーターが導入。アメリカ・オーチス社製 45m/分、20馬力(15kw)電動機式で5機設置された。初号機は木製だったため関東大震災によって焼失したが、現在は三菱電機が同スタイル(金色・丸ボディ・完全照明型)の金属製で復刻したものが使用されている。
同時に、エレベーターもオーチス社のものを採用。今も、スケルトンタイプの扉でノスタルジックな雰囲気をかもし出しているが、これは日本初ではない。日本初のエレベーターは 1875年王子製紙十条工場の荷物運搬用。人が乗るものとしては、1890年11月10日浅草凌雲閣(関東大震災により倒壊)。百貨店では、1911年11月の白木屋日本橋店で、運転はエレベーターボーイが行った(扉の開閉等が手動式で運転技術を必要としたため)。[14]
またエレベーターガールを最初に採用したのは 1929年の松坂屋上野店だった。エレベーターの技術革新と人件費削減等の理由により、現在では日本全国ほとんどの百貨店でエレベーターガールは廃止されている。日本橋三越では、今もエレベーターガールが常時配置されているが、6台のうち、中央2台のみと限定的な運用となっている。[15] 比較的遅くまで残っていた名古屋三越栄店でも 2009年10月でエレベーターガールは廃止された。一方、高松三越では1996年に廃止したが、2011年3月「開店80周年記念」の期間限定企画として復活した。[16]

ライオン像[編集]

ライオン像(写真は日本橋本店正面入口のもの)

1914年に本店玄関に設置されたライオン像は、戦火を逃れ現在も日本橋本店正面玄関に設置されている。ロンドントラファルガー広場にあるホレーショ・ネルソン提督像を囲むライオン像がモデルとされ、英国の彫刻家メリフィールドが型どり、バルトンが鋳造したもので青銅製。完成まで3年の歳月を要し、イギリスの彫刻界でも相当な話題となる。なお、全国各地の三越主要店舗にも日本橋本店のものを模したライオン像が設置されている。誰も見ていないときに受験生がライオン像にまたがる[17]、または触ると志望校に合格するという験かつぎも知られている。閉店した店舗の像は倉庫に保管されているが、池袋三越(2009年閉店)の像は、三越と縁の深い三囲神社に奉納された。

御子様洋食[編集]

1930年(昭和5年)日本橋三越本店の大食堂に、子供の好きなメニューをひとつの皿に盛った「御子様洋食」が登場した。そのメニューは富士山に型どったライスにイチゴジャムと卵のサンドイッチ、スパゲティー、ハム、コロッケ、金平糖であった。御子様ランチの象徴でもある三越の旗を立てたのも日本橋三越本店の大食堂が最初であった。現在でも日本橋三越本店の新館5階にある大食堂「ランドマーク」で「お子様ランチ」として提供されている。また、三越本店が発祥のため三越「ランドマーク」では年齢制限は設定されておらず、誰でも注文することができる。

パイプオルガン[編集]

現在、日本橋三越本店の中央ホール2階バルコニーにあるパイプオルガンは、1930年(昭和5年)に米国マイテー・ウェルリッツァー社製の最新式を輸入し7階ギャラリーに設置されていたものである。電力によって奏する大仕掛けなものでメインとソロの2種からなり、全体の間口は8.2m。日本で唯一現存する演奏可能な昭和初期製造のシアターオルガンでもあり、貴重な歴史資料として2009年(平成21年)には中央区民有形文化財に登録された。

このパイプオルガンは、教会に設置されているものとは異なり、主に無声映画や演劇の伴奏などに使用されたシアターオルガンという種類に属するもので、ポピュラーでもクラシックでも幅広いジャンルの音楽を弾くことができるのを特徴としている。1930年当時の金額で350,000ドル、今の貨幣価値に換算すると約2億円。まだ本格的なパイプオルガンが日本に数台しかない時代だったため大変な評判となり、NHKでは演奏を聞かせるレギュラー番組が組まれ、NHKと三越の間には専用回線まで引かれたという。1935年(昭和10年)の本館全館完成時に、現在の中央ホール2階バルコニーに移設された。パイプボックスには、パイプ以外の音源も装備されており、チューブラ、ベルや鈴、ウッドブロック、大太鼓や小太鼓、さらには鳥の声なども出る。オルガンやパイプには、元々美しい金属装飾が施されていたが、太平洋戦争中に供出されてしまった。

現在でも金曜、土曜、日曜の午前10時・正午・午後3時の3回、オルガン奏者による生演奏が行われ、その荘重な調べは日本橋三越本店独自の雰囲気をつくるうえで欠くことのできない重要な役割を果たしている。

お江戸日本橋[編集]

日本橋三越本店のパイプオルガンで、開店時に「お江戸日本橋」が演奏されており、三越のテーマ曲のような存在となっている。かつては同曲のオーケストラによるアレンジ版が、テレビCMなどで流れていたこともある。このオーケストラ版は1951年12月31日、ラジオ東京(現・TBSラジオ)で開始された番組『三越文学サロン』の宣伝用に制作されたもので、地方では1954年7月13日より、聴取エリア内に仙台店がある東北放送ラジオの『朝の百貨店案内』の中で流され、それ以来1989年12月末までの約35年間、同番組内で流れ続けた。三越広報資料室によると、これは同曲のテレビ・ラジオにおける使用期間としては最長記録である[18]

店舗[編集]

直営店舗[編集]

2008年2月期・店別売上高[19]も付記。

日本橋三越本店本館
日本橋三越本店本館
日本橋三越本店新館
日本橋三越本店新館
銀座三越
銀座三越
銀座三越新館
銀座三越新館
千葉三越
千葉三越

百貨店[編集]

2010年度から直営は関東だけになった。さらに2011年4月1日には、株式会社三越が株式会社伊勢丹を吸収合併して発足した、「株式会社三越伊勢丹」の運営になった。

日本橋本店(通称:日本橋三越)
東京都中央区日本橋室町1-4-1(東京メトロ銀座線「三越前」駅直結)基幹店。本館49,000㎡+新館15,000㎡=64,000㎡ :2729億円 (恵比寿店、外商などを含む) 三越の売上の33%を占める。[20]
東京において江戸時代から現在まで同一の場所で続く百貨店は、当店と松坂屋上野店だけである。
銀座店(銀座三越)
東京都中央区銀座4-6-16(東京メトロ「銀座」駅9番出口)1930年開店(43,111㎡)。2010年81,476㎡に増床。:537億円 銀座 三越の売上の7%を占める3位の基幹店。
千葉店(千葉三越)
千葉市中央区富士見2-6-1(JR「千葉」駅前)中規模店。27,177㎡: 283億円
※1972年奈良屋 (百貨店)と合弁で「ニューナラヤ」を設立。1984年「株式会社千葉三越」に改称。2003年直営化された。

専門館事業部[編集]

ラシック
都市型ファッションビル
名古屋市中区栄3-6-1 
新宿アルタ
ヤングファッション特化タイプ
東京都新宿区新宿3-24-3 (JR線・東京メトロ丸の内線他「新宿」駅東口)
サンシャインシティ・アルタ
東京都豊島区東池袋3-1-3 池袋サンシャインシティ (東京メトロ有楽町線「東池袋」駅前) 1981年「サンシャインシティ三越」として開店。
新潟アルタ
新潟市中央区万代1-3-30 万代シティ シルバーホテルビル地下1~地上2階 (新潟交通「万代バスセンター」前)
旧.三越エレガンス。「三越万代店」改称後、ターゲットを若年層に変更し「アルタ」に業態転換した。
ネイバーフッドタイプ
恵比寿店(恵比寿三越)
東京都渋谷区恵比寿4-20-7 恵比寿ガーデンプレイス内(JR山手線・東京メトロ日比谷線「恵比寿」駅前)1994年開店。
多摩センター店(多摩センター三越)
東京都多摩市落合1-46-1 ココリア多摩センター (京王・小田急・多摩都市モノレール「多摩センター」駅前) 2000年11月開店。多摩そごうの閉店跡に出店した。当初は「大塚家具」との共同出店だったが、大塚家具は2010年12月に移転した。

小型店舗事業部[編集]

2013年度から 中央(三越伊勢丹HDS)による企画・統制に変更された。これは、都市部では生活行動圏が狭くなり、一方 地方部では百貨店空白エリアが広がった現状に対応して市場開拓を行うためで、情報・ノウハウの共有化を図る狙いがある。中期目標では、店舗面積50〜200坪クラスの店を 新規出店数150〜200店、売上高500億円規模、営業利益25億円以上を目指している。店舗のタイプは 3種類で 外商拠点を兼ねた従来型のサテライト=三越○○、中分類切り出し型=イセタンミラー、アウトレット店などとなっている。[21][22]

  • 北海道:三越苫小牧、三越帯広、三越北見、三越釧路  
  • 宮城県:三越大河原、三越石巻 
  • 福島県:三越いわき
  • 茨城県:三越水戸、三越つくば、三越牛久、三越古河、三越鹿島(神栖市) 
  • 栃木県:三越小山
  • 群馬県:三越高崎、三越伊勢崎、三越館林、三越桐生
  • 埼玉県:三越川口、三越浦和、三越川越、三越新所沢、三越春日部、三越久喜、三越羽生、三越深谷
  • 千葉県:三越五井(市原市)、三越ユーカリが丘(佐倉市)、三越臼井(佐倉市)、三越成田、三越東金、三越旭、三越木更津、三越茂原、三越館山
  • 東京都:三越馬事公苑(世田谷区)
  • 神奈川県:三越厚木
  • 香川県:高松空港三越売店、三越坂出、三越丸亀、三越観音寺、三越三本松(東かがわ市)
  • 愛媛県:三越今治

グループ企業店舗[編集]

国内店舗[編集]

HDS傘下の三越系列

株式会社札幌丸井三越 (札幌三越
北海道札幌市中央区南1条西3-8 (札幌市営地下鉄 大通駅)1932年5月1日 三越札幌店として開店。 31,336㎡ : 390億円。三越の売上の6%を占める4位の基幹店。
※ 2011年4月1日に札幌丸井今井と経営統合。
株式会社仙台三越 (仙台三越
宮城県仙台市青葉区一番町4-8-15(仙台市営地下鉄 勾当台公園駅)1933年4月1日 三越仙台店として開店。2009年「定禅寺通り館」増床。33,582㎡: 388億円。三越の売上の5%を占める6位の基幹店。
株式会社新潟三越伊勢丹 (新潟三越)
新潟市中央区西堀通5番町866 (新潟交通 古町バス停前)中規模店。24,007㎡: 198億円。
※ 1978年小林百貨店に資本参加。1980年株式会社新潟三越に改称。名古屋三越に併合後、直営化されたが、2010年4月1日地域別再編のため分離し新潟伊勢丹と経営統合した。
株式会社名古屋三越 (名古屋三越)
※ 1977年オリエンタル中村百貨店に資本参加。1980年名古屋三越に改称(一旦直営化したが、再び分離)。
  • 栄店(名古屋栄三越)名古屋市中区栄3-5-1(名古屋市営地下鉄東山線・名城線 駅)78,484㎡: 896億円。三越の売上の10%を占める2位の基幹店。
  • 星ヶ丘店(星ヶ丘三越)名古屋市千種区星が丘元町14-14(名古屋市営地下鉄東山線 星ヶ丘駅)21,798㎡: 210億円。
 
株式会社広島三越 (広島三越
広島市中区胡町5-11中国新聞文化事業社ビル(広島電鉄 胡町電停前) 1973年4月8日開店。中規模店。15,851㎡: 176億円。
株式会社高松三越 (高松三越
香川県高松市内町7-1(高松琴平電鉄 片原町駅)1931年3月17日開店。中規模店。27,085㎡: 267億円。
株式会社松山三越 (松山三越
愛媛県松山市一番町3-1-1 (伊予鉄道城南線 大街道電停前)1946年開店。 中規模店。22,045㎡: 226億円。
株式会社岩田屋三越 (福岡三越
福岡市中央区天神2-1-1 ソラリアターミナルビル(「西鉄福岡(天神)」駅ビル)1997年10月1日開店。38,031㎡: 447億円。三越の売上の6%を占める5位の基幹店。
三越初のターミナルデパート。西日本鉄道が駅の再開発を行うパートナーとして三越を選定し、合弁会社を設立した(三越8:西鉄2)。一旦直営化された後、2010年10月1日より、HDS地域分社の方針の則り岩田屋と経営統合した(岩田屋再建がセット)。
株式会社ジェイアール西日本伊勢丹 (JR大阪三越伊勢丹
JR大阪駅ビル大阪ステーションシティノースゲートビルディング)内
2011年5月4日開店。JR西日本グループと三越伊勢丹HDSの合弁会社。2005年に閉店した「北浜三越」の代替として単独で出店する計画だったが、三越と伊勢丹が経営統合したため、京都での実績のある伊勢丹とのコラボレーション形に変更された。

海外店舗[編集]

新光三越百貨株式会社(台湾
1991年 新光グループとの合弁により設立。日本スタイルの百貨店として現地の人たちに支持され 最も成功している事例。
台北桃園新竹台中嘉義台南高雄など。
花園飯店(上海)三越ショップ(業務受託店)
中国 上海市茂名南路58号 花園飯店(オークラガーデンホテル)上海1F。地下鉄1号線 陜西南路駅 徒歩3分。
1989年10月15日 ソフトオープン、1990年3月20日 グランドオープン
1998年、2000年、2007年に リニューアルを実施。
ギフトショップ・スタイルの小型店で、「シルク絨毯」「中国伝統工芸品」「シノワズリ雑貨」「キオスク」「日本ファッション」「欧州インポート雑貨」の全6ショップで構成されている。キヨスクでは 清涼飲料やスナック菓子から新聞雑誌、薬といったコンビアイテムも販売している。 
花園飯店は1920年代に建てられた租界時代の象徴ともいえる旧フランス倶楽部の由緒ある建物で「優秀歴史建築」に指定されている。
ロンドン三越
英国現地法人:Mitsukoshi (uk) Ltd.
ロンドンの中心地 地下鉄ピカデリー・サーカス駅ロウワー・リージェント・ストリート出口のまん前に立地。日本で言えば銀座三丁目に相当する場所で、現地路線バスの起終点になっている。
1979年 開業。当初、オールバニー・アパートへの出店を計画を発表したところ住人団体に反対された。元駐日大使フレッド・ワーナーが住民に「英国のハロッズに相当する日本の最高級百貨店」であること等を説明し、1年越しで理解を得られたという経緯がある。[23]
ギフトショップ・スタイルの小型店で バーバリーダンヒルアクアスキュータムウェッジウッドピーターラビットグッズ他 日本未発売の欧州ブランド商品を多数取り揃えている。日本人観光客向けに 免税手続きや、荷物の一時預かりなどを行っている。[24] ヨーロッパでは加盟店が殆どないJCBカードも取り扱い、JTBのデスクもあり、店頭が日本人向けのツアー・バスの集合場所になっている。また、日本人の他に台湾人店員もいる。
1985年 地階に「レストラン三越」を併設。和食、ラーメンや焼酎が楽しめる。
尚、三越のシンボルであるライオン像は、ピカデリーのトラファルガー広場にあるランドシィーア作ライオン像を模したもの。
5年間の黒字継続と経営状態は良好であったが、2013年9月7日をもって、入居するビルの再開発のため、閉店。移転後再開の予定だが、2013年9月現在移転先は決まっていない[25]
ローマ三越
イタリア現地法人:Mitsukoshi Italia s.p.a.
ローマ 地下鉄A線 レプブリカ(共和国広場)駅すぐ。
開業1975年。1階と地下フロアのみ。フェラガモフェンディブルガリ、ミッソーニ等高級な欧州ブランド商品を中心に取り扱う、エレガンス・スタイルの小型店。クロネコ・ヤマトのカウンターがある。
オーランド三越
アメリカ合衆国現地法人:Mitsukoshi (U.S.A.) Inc.(オフィスはニューヨーク
1982年 フロリダ州オーランドウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート エプコットワールド・ショーケース日本館内に出店。

提携百貨店[編集]

株式会社沖縄三越 (沖縄三越
沖縄県那覇市牧志2-2-30(ゆいレール:「牧志」駅徒歩5分。国際通り)11,784㎡:91億円。
1957年「大越百貨店」として開店。1970年提携により「沖縄三越」に改称。名前は子会社のようだが業務提携のみの店。いわばフランチャイジー。※注)沖縄返還は1972年。

資本提携店[編集]

株式会社プランタン銀座 (プランタン銀座
中央区銀座3-2-1 読売銀座ビル
1984年 オ・プランタン(フランス)とダイエーの合弁により開店。ダイエーの業績悪化に伴い、全株式を読売新聞東京本社に売却。内30%を三越が入手(70%は読売が保有)。株式会社三越伊勢丹の持分法適用関連会社。

過去に存在した店舗[編集]

国内百貨店[編集]

池袋三越
池袋三越
吉祥寺三越
吉祥寺三越
横浜三越
横浜三越
新宿店 ・新宿アルコット店
新宿区新宿3-29-1 自社ビル 1929年開店。
  • 本館: 2005年 ファッションビル「新宿アルコット店」に業態転換。2012年3月31日 閉店。2012年7月 ビックカメラが10年賃貸契約で入居。現在「ビックロ」。[26] 
  • 南館: 1991年増設。最上階は三越美術館。本館閉店に先立って1999年8月閉館(美術館も同時)。[27]「IDC大塚家具新宿ショールーム」」に賃貸。※詳細は「大塚家具と協調販売」の項を参照。
池袋店
豊島区東池袋1-5-7
1957年開店-2009年5月6日閉店。シンプレクス・リート投資法人へ約750億円で売却。2009年10月30日「ヤマダ電機LABI1日本総本店池袋」開店。
吉祥寺店
武蔵野市吉祥寺本町1-19-1 近鉄百貨店東京店ビル
2001年開店-2006年5月7日閉店。東京近鉄百貨店の閉店後 賃貸入居するも、営業期間わずか5年での撤退。3番目の短命店舗。共同出店した大塚家具を増床する計画を 近鉄側が拒否しため白紙撤回、全館閉館した。建物は売却され、改修。2007年6月29日「ヨドバシ吉祥寺」開店。
横浜店
横浜市西区北幸1-2-7 横浜駅西口 岩崎学園ビル
1973年開店-2005年5月5日閉店。2005年11月18日 ヨドバシ横浜 開店。
上大岡三越エレガンス ・三越上大岡店
横浜市港南区上大岡西1-18-3 
  • 旧館: 1980年「上大岡三越エレガンス」として、東急ストア跡地に開店。(長田ビル=現.ミオカ)。後に、「三越サン*プラザ」、「三越ガーデンスクエア」に改称。
  • 新館: 1996年 隣地「リストガーデンスクエア(現:ミオカ・リスト館)」に拡張移転し「三越上大岡店」3,401㎡ となる。2003年12月31日閉店。三越撤退後、専門店ビル化。2010年4月4月16日 旧館新館が一体化リニューアルされた。
金沢店 ・名古屋三越金沢店
  • 初代: 金沢市武蔵町15-1 武蔵ヶ辻。1930年 「三越金沢店」開店。1935年閉店。閉店後、ビル所有者が「丸越」(現:めいてつ・エムザ)を開業。
  • 2代目: 金沢市昭和町540 金沢駅前 ヴィサージュ(株式会社第一ビルディング)。1990年5月開店。1999年10月31日閉店。2フロアの小型店だった。撤退後のテナントは様々。
大阪店(北浜)
大阪市中央区高麗橋1-7-5
1691年 越後屋の出店として開設。1917年本館開店。2005年5月5日閉店。
北浜阪急の入居計画もあった複合ビル「The Kitahama」建設、商業ゾーンに京都府本社のスーパーマーケットフレスコを核とする「ザ・北浜プラザ」が開設された。
枚方店
大阪府枚方市岡東町18-20 枚方中央ビル 。
1968年7月13日開店-2005年5月5日閉店。閉店後 1-2階には「TSUTAYA枚方駅前本店物販館」が入居。
神戸店 ・パルパローレ三越神戸元町
  • 初代: 神戸市中央区元町通6-2-12
1926年「元町デパート」を買収して開店。1984年2月閉店後解体。跡地にはセントラルシティがマンション「グランドールプラザ神戸レジデンス」を建設。[28]。 
  • 2代目: 神戸市中央区元町通3-9-8 パルパローレ元町
    1984年「パルパローレ三越」 1,049㎡ 開店。2004年1月31日閉店。[29]2004年9月 マスヤ株式会社・本社ビル「パルパローレ」リニューアル。4Fに マスヤ・ユニファーム自社売り場もあるファッションビルとなった。[30]
倉敷店
岡山県倉敷市阿知1-7-1 倉敷駅前 倉敷開発ビル。16.211㎡[31]
1980年開店-2005年5月5日閉店。2008年3月29日 天満屋倉敷店が移転入居。
鹿児島店(旧:丸屋)
鹿児島市呉服町33 天文館地区
丸屋(呉服太物商)1892年創業。1961年「丸屋デパート」開店。1983年7月 資本提携により商号変更「株式会社鹿児島三越」。1984年「株式会社丸屋本社」発足。2003年 鹿児島三越を吸収合併し「三越鹿児島店」となる。2009年閉店。2010年 ビルを所有していた丸屋本社がテナントビル「マルヤガーデンズ」を開業。[32]

専門館[編集]

二幸食品店
「海の幸、山の幸」から命名された東京新宿の食料品専門店。その後、現在の新宿アルタになった。
札幌アルタ
2010年8月に閉店し、跡地の一部は丸ヨ池内となった。
中洲三越エレガンス ・三越福岡天神 ティファニー館
  • 初代 福岡市博多区中洲2-6-7。1982年「中洲三越エレガンス」開店。1986年閉鎖。[33]
  • 2代目 福岡県福岡市中央区天神2-7-8。1992年「三越福岡天神 ティファニー館」開店。1997年 現在の福岡三越(岩田屋三越)開店に伴い閉店。

小型店舗[編集]

武蔵村山三越
武蔵村山市榎1-1-3 ダイヤモンドシティ・ミュー ノースタワー
2006年11月18日開店-2009年3月1日閉店。三越初の郊外型SCへの出店。新しいビジネス・モデルとして 郊外への店舗展開を模索していた三越にとって、イオンとの連携は、時間短縮やコスト面での利点が多いと考え、ストアコンセプトを『Hand In Hand -手に手をとって』とした。同じスタイルで宮城県名取市でも共同出店を試みた。しかし、売上は目標を大きく下回り、7億円の赤字が発生したため、わずか2年半で営業終了。名取店ともども短命に終った。撤退にあたっては、本来 三越はイオンに対して莫大な違約金を支払う必用があったが、話し合いの結果 当初契約期間の賃貸料と原状回復費用の支払いのみで折り合いをつけることができた。閉店後ノースタワーはフロアごとに フラクサス、ヴィクトリア、ノジマ が入居した。
名取三越
宮城県名取市杜せきのした5-3-1「ダイヤモンドシティ・エアリ」内
2007年2月28日開店-2009年3月1日閉店。営業期間わずか2年という最短命店舗となってしまった。
駒沢三越エレガンス 三越迎賓館シルバーハウス
世田谷区深沢6-8-18
1972年 創業300年記念事業として建築。近代数寄屋造りの巨匠吉田五十八設計。江戸時代からの三越関連資料を扱う2層の展示室、ロビーやサロン、食堂といった迎賓関係諸室から構成され 日本庭園もあった。
1999年 閉店。2005年解体され、2006年 駒澤大学深沢校舎が建設された。
洗足三越バラエティストア・洗足三越エレガンス
目黒区洗足2-1446-7 配送所跡を利用して出店した生活密着型サテライト・ショップ1号店。
1F食料品、2F衣料とギフト。 2005年閉店。店舗解体後、マンション「プラウド目黒洗足」が建設された。
滝山三越エレガンス
東久留米市滝山4-1-32 滝山団地中央
1960年代に造成されたマンモス団地内 生活密着型店舗。1F食料品、2F寝具・インテリア売場。
2001年閉店。後継「マツモトキヨシ滝山団地店」も閉店。2012年現在空き店舗。
習志野台三越エレガンス
船橋市習志野台3-2-1 UR習志野台団地内 きたならエール 新京成・東葉高速北習志野駅前 793㎡。
1967年12月 開店。生活密着型店舗。千葉店より歴史が古い、日本橋本店のサテライト。
2003年8月31日閉店。後継は「新鮮館魚次」が入居。[34]
花見川三越エレガンス
千葉市花見川区花見川3-18-101 UR花見川団地内 577㎡ 
1968年9月開店。生活密着型店舗。千葉店より歴史が古い、日本橋本店のサテライト。
2003年8月31日閉店。後継は「TESCO花見川店」を経て現在は「アコレ花見川店」および「オリジン弁当花見川店」。
大船三越ファニチャーセンター ・大船三越エレガンス ・鎌倉三越
神奈川県鎌倉市大船6-1-1 松竹ショッピングセンター(松竹大船撮影所跡)
1974年 B棟に「三越ファニチャーセンター」として賃貸入居。(A棟はイトーヨーカドー大船店)
1981年 「大船三越エレガンス」に業態転換。衣料品や食料品も扱った。「鎌倉三越」改称後は所得の高い高齢者層に絞った品揃えをしてきた。
2009年3月1日閉店。9月からは、B棟 1FにBOOK OFFスーパーバザー鎌倉大船店、2Fにザ・ダイソーサイゼリアなどが入居。[35]
三越丸の内売店
新丸の内ビルヂング)73㎡。1953年3月開店。2004年1月31日閉店。
三越お台場
アクアシティ) 112㎡。2000年4月開店。2004年2月閉店。
三越羽田空港売店
2005年閉店。
三越成田空港第一ビル売店
195㎡ 1978年5月開店。2004年1月閉店。。
三越成田空港第二ビル売店
18㎡ 2010年3月閉店。
三越昭島 ・三越秦野 ・三越狭山 ・三越飯能 ・三越栃木
2007年1月閉店。
三越君津
97㎡ 2010年3月閉店。
三越銚子
181㎡ 2010年3月閉店。
'三越四街道
320㎡ 2010年3月閉店。
三越長野
長野市南千歳町1-12-7 新正和ビル 887㎡ 
1991年10月開店。2004年2月一旦閉店。その後同一場所で復活するも 2007年1月14日閉店。
三越小田原ギフトサロン
小田原市栄町1-1-9 JR小田原駅ビルラスカ5F 159㎡。 2005年6月開店。2010年3月閉店。
三越大阪ギフトサロン
大阪市北区大淀中1-1-88 新梅田シティ スカイビル1F 
2007年5月開店。2011年1月10日閉店。旧大阪店(北浜)から引き継いだ外商のお得意様へのサービス拠点であると共に「新店(JR大阪三越伊勢丹)準備室大阪事務所」を併設し、情報発信もしていた期間限定ショップ。
ニューヨークランウェイ・バイ・ミツコシ
神戸市北区上津台7-3 215区 神戸三田プレミアム・アウトレット内 201㎡。
2007年7月6日開店。インポート・カジュアルウェア扱う三越内自主運営セレクトショップの最終販売ルートとしてオープン。2010年3月閉店。
三越函館
430㎡ 1986年7月開店。2005年2月28日閉店。食料品、婦人服とギフトを扱っていた。外商事務所のみ「五稜郭フコク生命ビル」に移転。[36]
三越苫小牧
320㎡ 2010年2月21日閉店。外商出張所へ転換。
三越新千歳空港売店
210㎡ 2011年5月31日閉店。年商は10億円で 土産物店としてはトップクラスだったが、ターミナルビル増築後の賃料値上げにより撤退を決意。新千歳空港には丸井今井も出店しているため経営統合後の競合を避けることにした。[37]
三越盛岡ギフトショップ
1981年開店。1990年移転。2009年3月閉店。
三越秋田
198㎡ 1979年開店。2010年3月閉店。婦人服やギフト商品などを取り扱った。[38]
三越柏崎
73㎡ 2010年2月閉店。長岡外商出張所 2010年3月営業終了。
三越明石
305㎡ 1986年10月開店。2004年1月閉店。
高松三越エレガンス 高松YOU三越
高松市田町1-1 高松東宝会館 761㎡ 
1978年12月「三越エレガンス」開店。若者にターゲットを絞ったファッション・モール「YOU三越」に業態転換。
2004年2月29日閉店。
三越小豆島ギフトショップ
299㎡ 1991年2月開店。2005年2月閉店。食料品、婦人服とギフトを扱った
三越伊予三島 ・三越宇和島 ・大洲外商出張所
214㎡ 194㎡ 2010年3月閉鎖。
三越西条 ・三越枕崎
2005年閉店。

海外店舗[編集]

京城支店(けいじょうしてん)
韓国(大韓帝国 - 韓国併合時代)京城府本町1-52(ソウル特別市中区忠武路52) 韓国を代表する繁華街明洞(ミョンドン)と南大門市場の中間に位置した。
1906年 本町通り 鐘紡売店所在地に「京城出張所」として開店。
1908年 隣接する三井物産跡地を買収し建物を併合。2階建て50坪。
1916年 3階建て200坪の建物を増設。店員も50人に増員し、百貨店形式を整えた。
1928年 「京城支店」に昇格
1930年 鉄筋コンクリート造 4階建てに改築。設計:三越建築事務所 施工:多田工務店。朝鮮半島各地の物産を集めて販売。現地在住者に人気の店となった。この時代、京城には丁子屋百貨店、和信百貨店三中井百貨店、平田百貨店の5大百貨店で競い合っていた。
1941年 東京、大阪についで3位の売り上げとなった。
1945年 終戦により撤退。その後、建物はそのままに韓国資本の「東和百貨店」(トンファペッケジョン)となる。
1963年 サムスングループ傘下となり(1997年離脱)、一般公募により「新世界百貨店」(シンセゲ・ペッケジョン)と改称。2007年 本館をリニューアルしたが 外観は三越当時の雰囲気をそのまま残している。
大連支店
満州国大連常磐町(中国 遼寧省大連市中山区中山路108号) 大連駅前 青泥窪橋商業区。
1937年開店。鉄筋コンクリート造5階建て塔屋つき。1,000㎡ 設計:西村大塚聯絡建築事務所 施工:高岡組。
1945年 終戦により撤退。その後、ロシア系の百貨店として使用されていた。
1998年10月29日 「大連秋林女店」(ターリエ・チューリン Lady's Shop)という美容室やレストランを併設した女性のためのファッション専門店ビルになった。建物はそのままだが、ピンクに塗られて使用されている。
2011年リニューアル。
香港三越 銅鑼湾店
香港現地法人:三越企業有限公司(100%子会社) 
銅鑼灣(コーズウェイベイ)店 興利中心(ヘネシーセンター)1981年8月26日開店。2006年9月17日閉店。12,000㎡。
尖沙嘴(チムサアチョイ)店 九龍地区広東道太陽広場(サニー・プラザ)7,800㎡。
2006年2月決算では77億円の売上を記録。これは日本の小売企業の海外店舗総売上の約40%を占めていた。
現地における不動産価格の高騰に伴い、家賃が急上昇、存続が困難になり、移転先も見つからなかったため撤退した。
香港では、伊勢丹松坂屋が1996年、大丸が1998年、東急百貨店1999年、そごうが2001年に撤退し、三越は最後の日系百貨店だった。※スーパーのイオンユニー(アピタ)は存続している。[39]
現地在住者にも人気が高かったため、再出店の噂(根拠なし)が度々取り沙汰されることがある。
パリ三越
フランス現地法人:Mitsukoshi France, s.a.s.
1971年開店。2010年9月30日閉店。
日本の百貨店として初の欧州進出店舗。オペラ座に近く日本人観光向けバスの発着場して有名だった。
1996年には年間売上高57億円を記録したが、2001年の米中枢同時多発テロやユーロ高などで旅行客が減少。リピーターも ブランド店に直接足を運ぶようになり、赤字が続いていた。[40]
パリの日系百貨店は 大丸が1998年、松坂屋が2005年に閉店。最後に残った高島屋も2011年に撤退した。
三越エトワール(美術館)
1992年6月開館。2011年3月25日閉館。
エトワール凱旋門広場の一角「元帥の館」に立地。日本の伝統美術や工芸を中心に質の高い作品群を紹介してきた。
デュッセルドルフ三越
ドイツ現地法人:Mitsukoshi Deutschland GmbH
1979年 日本企業連合によるデュッセルドルフ中央駅前インマーマン通り 再開発で誕生。ホテルニッコー・デュッセルドルフ内にあった。隣地の独日センターには、日本国総領事館、日本商工会議所等があり日本人街を形成していた。
2009年6月30日閉店。会社は清算された。ユーロ高[41]による日本人渡航者激減などが原因。
支店としてフランクフルト三越(1981年開店)、ミュンヘン三越 もあったが、デュッセルドルフに先立って2008年12月31日で閉店。ベルリン三越は1990年代にごく短い期間の出店だった。
マドリード三越
スペイン現地法人:Mitsukoshi espana s.a.
1979年開店。 2009年12月31日閉店。支店としてバルセロナ三越もあった。
ハワイ三越
 Mitsukoshi (U.S.A.) Inc. 
1979年開店。2006年に閉店。
観光のメッカハワイ州ホノルル ワイキキ・ビーチのメインストリートであるカラカウアアベニューに立地していた。
ハワイの日系百貨店は横浜岡田屋がやはり2004年に閉店しているが、白木屋アラモアナセンター内)は現地法人によって今も営業を続けている。

系列店政策[編集]

本来、日本の百貨店チェーンストアとー異なり、本部集中仕入はせず、各店舗が独立して運営する形態のものだった。 1970年代、総合スーパーの台頭に対抗し、三越も中央仕入機構「三越ジョイントバイイングダループ[42]を主催、一般向けには単純に「三越グループ」もしくは「三越提携店」と呼ばれていた。。

業務提携内容は 以下の3本を柱としていた。 

  • 三越ライセンス・ブランド品の供給
  • 中元・歳暮期ギフトの共同企画・共同配送
  • グループ内共通商品券・ワイシャツ券等の発行

三越の系列店政策は、同じ市場で競合しないための紳氏協定的(他百貨店グループと重複加盟をしない排他的)な要素が強く、三越は札幌、仙台、高松、松山には古くから直営店を出店していたため、これらの都市を本拠とする地方百貨店の参加はなかった。

戦略的拠点と位置づけられた一部の地域では、資本を注入し直営化を図った例もあるが、基本的には 加盟店の自立を支援し、従来からの「のれん」を残したケースの方が多い。このスタンスは、ネットワーク拡大を優先しM&Aを仕掛けたダイエーセゾングループとは大きく異なるものだった。

しかし、1990年代には日本百貨店協会の「全国百貨店共通商品券」が登場し、協会加盟百貨店であればどこでも商品券が使えるようになり、グループに加盟する意義の一角が崩れていくことになる。

また、三越自身が1995年に大丸と上記にあげた3本の業務提携を行ったり、2000年には高島屋と物流・情報システムや用度品の共同購入を行ったり(現在はどちらも提携解消)[43]したことによりグループの再編は加速した。

2008年の三越・伊勢丹の経営統合により、伊勢丹が中心になって主催してきたA・D・Oに加盟する企業もあったが、「三越提携(の地方)百貨店」という概念は「沖縄三越」以外に存在しなくなり、呼称も使用されなくなった。

1970年 - 1980年代の三越グループ加盟店は、以下の各店。

直営化店
資本参加店
  • 岡島(甲府):1960年代頃から業務提携。2002年業績不振からの再建のため役員の派遣など、救済的に提携を強化した。A・D・Oには非加盟。
  • 一畑百貨店(松江市):1958年、一畑電気鉄道と三越が出資して設立。A・D・Oには非加盟。
A・D・O移籍店
  • さいか屋(川崎・横須賀・藤沢):1974年、藤沢再開発ビル出店に際して合弁会社「藤沢さいか屋」を設立するも、その後三越の出資は減少。藤沢は本体に吸収合併。筆頭株主は京浜急行電鉄京急百貨店もA・D・O加盟店)。
  • 井筒屋(小倉・若松・博多・久留米・大牟田・飯塚他)/ちまきや(現:山口井筒屋):2003年、伊勢丹の小倉進出に際し合弁会社「小倉伊勢丹」を設立し、伊勢丹系列に変更。現在は伊勢丹資本も入ってはいない。筆頭株主は西鉄
グループ離脱店
  • 棒二森屋(函館):1981年、ダイエーと提携。
  • 近鉄百貨店(阿倍野・上本町・奈良・四日市他)/京都近鉄百貨店(旧:丸物。京都・岐阜・枚方◇2012年までに全店閉店)[44]和歌山近鉄百貨店(2011年閉店)/近鉄松下百貨店(周南◇2013年閉店)/別府近鉄百貨店(旧:中村百貨店◇1994年閉店)/東京近鉄百貨店(後の三越吉祥寺店)/三交百貨店(松阪・伊勢◇2006年までに閉店)
    :旧三越大阪店(北浜)が集客に不利なビジネス街に立地していたため、大阪ミナミのターミナルに立地し、京都など近畿一円にネットワークを持つ近鉄百貨店グループは最も有力な提携先だった。1995年、三越が大丸と提携した際に提携関係が解消された。翌年の1996年、伊勢丹が阪急と提携(2007年解消)したためA・D・O移籍という選択肢も無かった。
倒産により消滅
  • 前三百貨店(前橋):1985年に閉店。後継としてスズラン百貨店が加盟(A・D・Oにも重複加盟)。
  • 大洋(熊本・八代):1973年倒産。
    1980年代以降、上野百貨店(宇都宮)、矢尾百貨店(秩父◇旧:JMA)、梅屋(平塚◇旧:JMA)、松菱(浜松◇旧:A・D・O加盟店)、津松菱(旧:A・D・O加盟店)など、従来他系列と考えられた店も一時的に加入した。
救済支援店
業績悪化により破綻した企業の再生パートナーとして、従来系列外だった以下の各店とも資本提携や経営者の派遣などを行っている。
  • うすい百貨店(郡山◇無系列):2003年資本提携。2005年産業再生機構から株式の譲渡を受け、持分法適用会社となった。A・D・Oには非加盟。 
  • まるみつ百貨店(旧:諏訪丸光◇旧:A・D・O加盟店):2004年三越が支援するも、2011年閉店。
イオン系百貨店とのコラボレーション
ジャスコ(現:イオン)傘下となった百貨店と中元・歳暮期のギフト商品を「共同企画」と銘打って販売促進も行っているが、「三越グループ店」としてはカウントしていない。近年、イオンは百貨店からの撤退する意向でもある。 
  •  ボンベルタ百貨店(成田) :1990年に設立。百貨店協会非加盟店。
  •  ボンベルタ伊勢甚(水戸・日立):ボンベルタの母体となった企業だが、2005年までに全店閉店し百貨店業を廃業した。
  •  ボンベルタ橘百貨店(宮崎)は2007年、中三(青森他)は2011年にそれぞれイオングループを離脱。

出店中止[編集]

POSシステム[編集]

  • POSシステムは現在、大半は日本NCR製に切り替わっているが、一部で富士通製を併用。
  • 2010年3月31日に通常よりも早く閉店したのは、POSシステムを富士通製からNCR製に入れ替える作業を全国一斉に行ったためである。

関連項目[編集]

補足[編集]

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  1. ^ a b 1904年12月20日顧客らに送った書状。のちに「デパートメントストア宣言」と呼ばれるこの文書「米国に行はるるデパートメント・ストーアの一部を実現致すべく候」翌日の12月21日、三越呉服店は日本初のデパートとして営業を開始した。「あの日から 日本経済の転機」 1904年12月20日 デパートメントストア宣言 近代百貨店の産声 東京新聞2007年平成19年)12月19日
  2. ^ 「近代的な洋館を建設して本格的な百貨店を開設する動きとしては、1903年明治36年)に白木屋が和洋折衷でショーウィンドウや食堂のある店舗を造ったのが始まり」 詳細は日本の百貨店の歴史参照
  3. ^ 日本労働年鑑第25集「三越の争議」 法政大学大原社会問題研究所
  4. ^ 昭和26年12月18日 三越でスト 百貨店で初 - 昭和毎日
  5. ^ women on town 三越とパルコ、花開く消費文化
  6. ^ 中小企業基盤整備機構
  7. ^ 通信販売に関する 考察
  8. ^ 三越・ファミリーマート ギフト商品販売提携のお知らせ1999.09.02
  9. ^ マイライフ手帳@ニュース 2009.06.09
  10. ^ 三井後方委員会
  11. ^ テレビ王国
  12. ^ 日経BPnet1999.9.28
  13. ^ 読売ジャイアンツ・オフィシャル・サイト 他
  14. ^ ロープ式エレベーター技術の発展と系統化調査(国立科学博物館産業技術史資料)
  15. ^ 河北Bizナビ2010年4月20日
  16. ^ 四国新聞2011/03/06
  17. ^ 「読売新聞」1994年3月20日 東京朝刊25面
  18. ^ 出典:「懐かしのせんだいCM大百科」付属ブックレット
  19. ^ 決算情報(三越伊勢丹ホールディングス)
  20. ^ 三越平成16年2月事業報告書
  21. ^ 流通ニュースWWD JAPAN 2012.11.13
  22. ^ 三越伊勢丹HDS報道関係資料2013.3.7 
  23. ^ 共同通信2008/12/30
  24. ^ F&I Internationalロンドン観光ガイド2013
  25. ^ 34年の歴史に幕=ロンドン三越閉店-再出店検討時事通信社 2013/9/8 17:00)
  26. ^ Fashion News 
  27. ^ 日経BP1999.3.10
  28. ^ ホテルシェレナグランドールプラザ神戸レジデンス
  29. ^ 小型店2店舗の閉鎖を決定
  30. ^ マスヤ株式会社 会社概要
  31. ^ 国土交通省中国地方整備局
  32. ^ 株式会社丸屋本社 会社概要
  33. ^ 岩田屋三越会社概要
  34. ^ 小型店舗5店の閉鎖について(2003)}
  35. ^ 湘南経済新聞 2008/10/3
  36. ^ 函館新聞2005/2/26
  37. ^ 日本経済新聞2010/7/10
  38. ^ 秋田経済新聞2009/10/10
  39. ^ NNA.Asia2005年10大ニュース:香港
  40. ^ 共同ニュース2010/10/01
  41. ^ 対ユーロ為替レートの推移
  42. ^ 百貨店戦国時代: 塗り替えられる業界地図、教育社新書 産業界シリーズ
  43. ^ 日経BP
  44. ^ 枚方のみバッティングした唯一の例外。これは既に三越のあった枚方に、後から丸物が出店し、近鉄百貨店が買収したためで、最終的には三越の方が先に撤退している。

外部リンク[編集]