オリエンタル中村百貨店

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(消滅)株式会社オリエンタル中村百貨店[1][2]
本社と栄店が入居していたオリエンタルビルと後継店の名古屋三越
本社と栄店が入居していたオリエンタルビルと後継店の名古屋三越
種類 株式会社[1]
本社所在地 日本の旗 日本
愛知県名古屋市中区三丁目5番1号[1]
設立 1954年昭和29年)2月16日[1]
業種 小売業[1]
事業内容 百貨店の運営など[1]
資本金 6000万円[1]

7億5000万円[1]
決算期 2月[1]
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星ヶ丘三越(かつてのオリエンタル中村星ヶ丘店)
名古屋三越栄店 屋上観覧車

オリエンタル中村百貨店(おりえんたるなかむらひゃっかてん)は、1954年昭和29年)から1980年(昭和55年)まで存在した愛知県名古屋市中区にあった日本の百貨店、およびその運営会社である。運営会社の法人としてのオリエンタル中村百貨店は、社名を名古屋三越百貨店、名古屋三越と変遷して2003年平成15年)まで存続した。

通称「オリエンタル中村」。広告などで使用されたキャッチフレーズは「天に星 地に花 人に愛」。

概要[編集]

前身の中村呉服店が第二次大戦後、本町角にあった旧店舗を東海銀行に売却し、栄交差点に新築されたオリエンタルビルに入居し、1954年(昭和29年)にオリエンタル中村百貨店に改称し、百貨店業態となった。松坂屋丸栄名鉄百貨店とともに、名古屋の4大百貨店と並び称されていた。

1969年(昭和44年)に三越と業務提携[3]1974年(昭和49年)に千種区星が丘元町 に星ヶ丘店[注釈 1]を開店するものの、事業不振から、1977年(昭和52年)5月に[2] 三越が中村呉服店の持ち株を買収して三越傘下に入るが、オーナーの中村家とオリエンタルビルは14%の株式を保持した[4]1980年(昭和55年)10月に社名を名古屋三越百貨店に変更し、それとともに店名もオリエンタル中村から三越になった[2]。松坂屋、丸栄、名鉄百貨店とともに頭文字がMだったことから、以後は併せて4Mの愛称で親しまれる[5][注釈 2]

さらに1991年(平成3年)には社名が(初代)名古屋三越と改められる[3][6]

2003年(平成15年)、株式会社三越に合併され、運営会社の名古屋三越の法人格は消滅。店舗は三越伊勢丹ホールディングス傘下の名古屋三越栄店および星ヶ丘店(星ヶ丘三越)となっている。

なお、2010年(平成22年)4月1日以降、栄店および星ヶ丘店の運営を行っている(2代目)株式会社名古屋三越は、2009年(平成21年)10月1日に三越から新設分割により設立された法人であり、旧法人とはまったく別法人である。

「オリエンタル」の名は入居したビルがオリエンタルビルであったことから名乗っただけで、カレーなどの食品メーカーで同じ地元企業のオリエンタル、およびかつて北海道釧路市に存在したオリエンタルデパートとは関係がない。

沿革[編集]

  • 1869年明治2年)- 中村嘉兵衛により、中村呉服店として、広小路本町角(現在の三菱UFJ銀行名古屋ビル所在地)で創業。
  • 1930年昭和5年)- 株式会社化。
  • 1943年(昭和18年)- 3階建て500坪に増床。
  • 1951年(昭和26年)- 1000坪に増床。
  • 1954年(昭和29年)
    • 2月16日 - 資本金6000万円で株式会社オリエンタル中村百貨店を設立[1]
    • 5月 - (現在の栄店所在地)に移転し、オリエンタル中村百貨店を開店[1]。日本初の屋上観覧車設置。
  • 1956年(昭和31年) - 本店を3階建てから7階建てに増床。
  • 1971年(昭和46年)11月 - 本店外壁に岡本太郎の光るレリーフ大壁画設置。同図案は、ショッピングバッグ、パッケージなどにも採用。
  • 1974年(昭和49年) - 星ヶ丘店(名古屋市千種区)開業。
  • 1977年(昭和52年)5月 - 三越の傘下入り[1]
  • 1980年(昭和55年)10月 - 名古屋三越百貨店に改称[2]
  • 1987年(昭和62年)3月 - 新潟三越百貨店、併合[2]
  • 1990年平成2年)5月 - 金沢店が開業。
  • 1991年(平成3年) - 名古屋三越に改称。
  • 1999年(平成11年)10月31日 - 金沢店閉店。
  • 2003年(平成15年)9月1日 - 三越の関連会社の整理統合で、関連4社とともに、株式会社三越新設合併し、法人格消滅。
  • 2009年(平成21年)10月1日 - 三越伊勢丹ホールディングスの地方支店8店舗の経営合理化政策の一環で「株式会社名古屋三越」として分社化。
    • 会社設立は2009年(平成21年)10月1日 - 名古屋栄店と名古屋栄店専門館ラシック、星ヶ丘店を継承。

※ 2代目名古屋三越については、名古屋三越を参照のこと。

施設[編集]

本店正面玄関前には、カンガルーの像がおかれ、栄の待ち合わせスポットとして有名であった。三越の傘下入り後、カンガルー像はライオン像に置き換えられた。カンガルー像は現在屋上遊園地内に移設、保存されている[6]

1971年(昭和46年)頃より本店外壁に14メートル、幅32メートルの岡本太郎による光るレリーフ大壁画が設置されていた。三越傘下入り後、岡本太郎に撤去することの了承を得て壁画は完全に取り壊され、三越の丸越マークが代わりに取り付けられた[6]

本店屋上遊園地の観覧車1954年(昭和29年)5月に設置され、屋上観覧車としては、日本で最初に設置されたものであった。現存する観覧車は、昭和鉄工製、高さ12メートル、直径10メートル、ゴンドラが9基で、1956年(昭和31年)12月の増床工事完成時に設置された2代目で、現存する“屋上観覧車としては”、日本国内最古のものである。2005年(平成17年)7月20日営業運転を終了したが、2007年(平成19年)には、国の登録有形文化財に登録されている[7]2012年(平成24年)8月22日、7年ぶりに人を乗せない形で毎週日曜日に運転を再開した[8]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 栄店・星ヶ丘店ともに名古屋市営地下鉄東山線ならびに愛知県道60号名古屋長久手線広小路通東山通)沿線にある。
  2. ^ ジェイアール名古屋タカシマヤ開店後は愛称が「4M1T」となっている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 流通会社年鑑 1978年版, 日本経済新聞社, (1977-10-25), pp. 46-47 
  2. ^ a b c d e 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 62 
  3. ^ a b 中日新聞』2000年10月7日付
  4. ^ 『中日新聞』2003年2月6日付
  5. ^ 【なごやデパート情報】丸栄、百貨店業撤退も 中日新聞 2011年5月14日
  6. ^ a b c 【なごや特走隊】カンガルー像と壁画のその後は 栄の交差点で輝いた名古屋の顔 中日新聞 2006年6月19日。
  7. ^ 文化財ナビ愛知 オリエンタルビル屋上観覧車 愛知県公式サイト 内。
  8. ^ 観覧車:屋上で7年ぶり運転 名古屋三越栄店 毎日新聞 2012年8月22日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度10分6.78秒 東経136度54分21.38秒 / 北緯35.1685500度 東経136.9059389度 / 35.1685500; 136.9059389