奈良屋 (百貨店)

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奈良屋(ならや)は、1930年昭和5年)11月1日から1972年(昭和47年)まで千葉県千葉市にあった日本の百貨店である。

歴史・概要[編集]

奈良屋を設立した杉本家初代・新右衛門(1704年宝永元年) - 1776年安永5年)9月21日)、初名・新八)は伊勢国松坂領粥見村に生まれ、14歳の時に京都・四条高倉の奈良屋勘兵衛のもとで奉公を始めたが、後に勘兵衛の廃業に伴って奈良屋安兵衛のもとに移って奉公した。後に安兵衛が武蔵国騎西に持っていた店を任され、38歳の時一旦騎西で独立したこともあったが、安兵衛の店の経営不振を知って京都に戻った[1]

1743年(寛保3年)8月5日に初代杉本新右衛門は奈良屋安兵衛から独立し、京呉服を仕入れて下総国(現在の千葉県)で販売する「他国店持京商人」とよばれる形式の呉服店奈良屋京都府京都市の京都四条烏丸付近に開いたのが始まりである[2][3]

当初は年2回程度の行商で販売[4][5]していたが、二代杉本新右衛門(初代の実姉の子で初代の養子[6])が1764年(明和元年)11月3日、下総国佐原(現在の香取市)に店舗を開設[4][5]し、1767年(明和4年)に本店を京都府京都市下京区綾小路通新町西入る矢田町の現在の杉本家住宅に移転し、三代杉本新左衛門が1807年(文化4年)12月7日、佐倉新町に店舗を開設[4][5]するなど営業基盤を整えていった[7]。奈良屋は京都で仕入れた呉服を直接関東へ運び、佐原・佐倉の店において販売した他、佐原・佐倉両店でも江戸の十組問屋と関係を持って漆器や陶磁器・和紙・木綿など他の生活必需品を販売していた[8]。明治政府の成立直後には、当時の六代杉本新左衛門は2000両を献上し、杉本家は本拠地のあった京都では明治・大正期を通じて高額納税者として知られていた[9]

1909年(明治42年)9月10日に七代目杉本新左衛門為一が千葉市横町に店舗を開設して木綿類や茶などの販売を始め[4]11月3日には佐倉店を改装してショーウインドーを持ち、通路の両側に並べられた商品を自由に品定めできる[10]陳列式で販売する店舗に改装し[5]、呉服を主としながらも楽器玩具なども扱うようになり[4][5]、百貨店化への第一歩を踏み出した。

1909年(明治42年)9月10日に千葉市吾妻町の川崎銀行(現三菱東京UFJ銀行)横にも出店[4]して千葉での営業活動を強化し、1930年昭和5年)11月1日には百貨店の奈良屋千葉店を開設[2][4]し、1931年(昭和6年)8月25日に法人化して株式会社奈良屋を千葉を本店として設立した[4]

1930年(昭和5年)11月1日に千葉市吾妻町に1,500m2の別館を開設するなどしたが、第二次世界大戦の空襲で店舗が焼失した。

戦後すぐに復旧に着手し、1945年(昭和20年)11月1日に営業を再開[4]し、1951年(昭和26年)には総工費5000万円で増床して売場面積1,800m2の百貨店として復活[4](後の東館[2])。1951年(昭和26年)に売場面積2,743m2[11](後の中央館[2])、1962年(昭和37年)11月に売場面積5,879m2の西館を開設[2]するなど拡張を行い、1965年(昭和40年)に売場面積9,903m2で35億円を売上げて30億円の扇屋を上回り[12]、千葉県でトップの百貨店に成長した。

JR千葉駅前に進出した千葉そごうに対抗するため、1972年(昭和47年)に千葉そごうの隣に三越と合弁でニューナラヤを開業[13]させて百貨店機能を引継ぎ、従来の店舗をファッションビルセントラルプラザに改装したため、この年をもって株式会社奈良屋としては百貨店を廃業している。奈良屋と三越の関係については、杉本家八代である杉本郁太郎が若い時に三越大阪支店で修業したのちに、奈良屋に入ってその社長になったことから関係が深まり、提携するに至った[14]

1984年(昭和59年)10月にはニューナラヤ千葉三越に改称して経営権を三越側に譲渡[15]し百貨店事業から事実上撤退、2001年平成13年)10月31日にファッションビルセントラルプラザも営業を終了して株式会社奈良屋の事業も事実上終焉し、約260年に及ぶ歴史に幕を閉じた。

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 賀川、2012年、P249・256-257
  2. ^ a b c d e 杉本歌子他. “杉本家における防災の備え”. 歴史都市防災論文集 Vol.4 (立命館大学歴史都市防災研究センター) (2010-07-03). [要ページ番号]
  3. ^ 賀川、2012年、P257。ただし、賀川論文では二代目が記した「相続記」を典拠として、初代の新右衛門が寛保3年に最初の店を設けた場所は常陸国玉造(現在の茨城県行方市)で、しばらくの間は玉造と京都の自宅との間を往来する生活を送り、二代目が佐原に店を設けた明和元年に京都に戻って四条烏丸の店を設けたとする。
  4. ^ a b c d e f g h i j 杉本郁太郎 『奈良屋弐百年』 奈良屋、1952年[要ページ番号]
  5. ^ a b c d e “杉本家と奈良屋佐倉店”. 佐倉図書館通信 仲町つれづれNO.176 (佐倉市立図書館) (2008-12). [要ページ番号]
  6. ^ 賀川、2012年、P252所引「(二代目新右衛門)相続記」(奈良屋記念杉本家保存会所蔵)
  7. ^ 賀川、2012年、P257。ただし、賀川論文は文政5年作成の「佐倉新町二番町店仕切帳」を典拠として、外商による佐倉への進出は安永9年、店の設置を文化3年のこととする。また、寛政年間に佐倉郊外の太田にも店を設置したものの文化5年には閉店したという。
  8. ^ 賀川、2012年、P259-263
  9. ^ 賀川、2012年、P248-249・301
  10. ^ 新佐倉真佐子を作る会 『新佐倉真佐子 佐倉お茶の間風土記』 新佐倉真佐子を作る会、1979年3月[要ページ番号]
  11. ^ 杉本郁太郎 『奈良屋弐百弐拾年』 奈良屋、1962年[要ページ番号]
  12. ^ デパート新聞社編 『全国百貨店年鑑 昭和42年版』 デパート新聞社1967年[要ページ番号]
  13. ^ 報道されなかった事件の真相の裏側2 三越デパート千葉市進出の裏話. 稲毛新聞社. (2006-8-5). [要ページ番号]
  14. ^ 賀川、2012年、P250
  15. ^ 株式会社三越 2006年3月1日-2007年2月28日期 有価証券報告書 (Report). 三越. (2007). [要ページ番号]
  • 千葉県史料研究財団編 『千葉県の歴史 通史編 近現代 1』 千葉県、2002年[要ページ番号]
  • 千葉県史料研究財団編 『千葉県の歴史 資料編 近現代5(産業・経済2)』 千葉県、2001年[要ページ番号]
  • 千葉敬愛経済大学経済研究所編 『千葉県商業史談 第一集』 千葉敬愛経済大学経済研究所、1967年[要ページ番号]
  • 賀川隆行「関東呉服問屋奈良屋の経営」(初出:『三井文庫論叢』34号(2002年)/所収:賀川『近世江戸商業史の研究』(大阪大学出版会、2012年) ISBN 978-4-87259-392-1 P247-303)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]