佐世保玉屋

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玉屋 (百貨店) > 佐世保玉屋
株式会社佐世保玉屋[1]
Sasebo Tamaya Department Store Inc.
The Sasebo Tamaya.JPG
佐世保玉屋 アーケード口(2008年4月)
種類 株式会社[1]
略称 玉屋、タマヤ
本社所在地 日本の旗 日本
長崎県佐世保市栄町2番1号[1]
設立 1918年大正7年)10月30日[1]
業種 小売業
法人番号 7310001005316
代表者 代表取締役 田中丸弘子
資本金 8,764万円
売上高 134 億円
主要子会社 (株)マルタマストア
外部リンク 佐世保玉屋
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佐世保玉屋の「大規模小売店舗」表示板(2014年4月)

株式会社佐世保玉屋(させぼたまや、英称Sasebo Tamaya Department Store Inc.)は、長崎県佐世保市に店舗を置く百貨店佐賀市佐賀玉屋は、ルーツを同じくする玉屋グループの兄弟会社である。

九州における高島屋ハイランドグループの重要拠点である。

県都・長崎市でも営業していたが、店舗老朽化と地域全体の再開発計画のため、2014年(平成26年)2月で閉店[2]。仮店舗による営業に移行した。

また子会社の株式会社伊万里玉屋(いまりたまや)が佐賀県伊万里市で百貨店を営業していたが、2016年(平成28年)1月31日をもって閉店[3]

沿革[編集]

  • 1806年(文化3年) 田中丸善吉が、肥前国小城郡牛津村(現・佐賀県小城市牛津町牛津)西町に荒物店「田中丸商店」として創業[1]
  • 1894年明治27年) 日清戦争を機として佐世保市松浦町に進出。
  • 1911年(明治44年) 田中丸合名会社(資本金20万円)設立。
  • 1918年大正7年)10月30日株式会社田中丸呉服店」に改組し、百貨店を開業[1]
  • 1920年(大正9年) 佐世保市栄町に鉄筋4階建てで開業。その後田中丸一族が分かれて、福岡市佐賀市小倉市(現・北九州市小倉北区)にも会社を作り進出。
  • 1925年(大正14年) 佐世保で初めてのラジオが、食堂に設置される。
  • 1928年昭和3年) 座売販売から土間式販売へ移行。
  • 1929年(昭和4年) マネキンガールを大阪から招く。
  • 1931年(昭和6年) 商号を玉屋へ改称。同年、1~5階までのエレベーターを新設。
  • 1935年(昭和10年) 女性店員制服洋装制定モガ(モダンガール)で話題を集める。
  • 1939年(昭和14年) 軍用機3機(玉屋報国号)を献納。
  • 1941年(昭和16年) 株式会社佐世保玉屋へ改称[1]
  • 1942年(昭和17年) 福岡玉屋香港店開業[4]
  • 1943年(昭和18年) 戦時体制の為、販売業務を縮小、一部が海軍及び海軍工廠関係の使用する所となる。
  • 1948年(昭和23年) 大水害、1階が浸水。
  • 1950年(昭和25年) レストラン・タマヤ開店(佐世保駐留の国連軍対象のレストランとしてオープン)。
  • 1965年(昭和40年) 長崎市スーパーマーケット形式の「マルタマ住吉店」を開業。
  • 1966年(昭和41年) 伊万里市に子会社を作り、「伊万里玉屋」を開業[1]
  • 1969年(昭和44年) 長崎市新大工町に「長崎玉屋」を開業[1]
  • 1973年(昭和48年) 佐世保市高天町に「玉屋家具サロン」を開業[1]1991年、LIVING MUSEUM LIM(リビングミュージアム・リム)へ改称)。
  • 1978年(昭和53年) 長崎市のベッドタウンとして発展する諫早市西諫早ニュータウンに「諫早玉屋」を開業[1](2006年閉店)。
  • 1980年(昭和55年)
    • 3月 「佐世保玉屋」の食品壳り場を改装[5]
    • 9月 「佐世保玉屋」の婦人雑貨壳り場を改装[5]
  • 1987年(昭和62年) 百貨店開業70周年記念として、佐世保市へ1,000万円寄贈(市は玉屋文化体育振興基金設立)。
  • 2006年(平成18年) 玉屋創業200周年を迎える。
  • 2009年(平成21年) 田中丸弘子が社長に就任。
  • 2014年(平成26年)2月 「長崎玉屋」が閉店[2]
  • 2016年(平成28年)1月31日 「伊万里玉屋」が閉店[3]

店舗[編集]

佐世保玉屋[編集]

  • 所在地:長崎県佐世保市栄町2番1号
  • フロアガイドなどは佐世保玉屋フロアガイドを参照。
  • 食品は1階で販売しており、また現在では珍しくなった屋上遊園地がある[6]

佐世保玉屋 長崎支店[編集]

長崎玉屋
長崎玉屋(2008年12月)
長崎玉屋(2008年12月)
店舗概要
所在地 850-0017[7]
長崎県長崎市新大工町5番35号[7]
開業日 1969年(昭和44年)5月[7]
閉業日 2014年(平成26年)2月[2]
建物名称 長崎玉屋,長崎市新大工町市場[7]
施設所有者 玉屋不動産
延床面積 16,769[7]
商業施設面積 10,482[7]
中核店舗 佐世保玉屋:8,932m2[7]
フロア概要
RF 屋上
展望施設・ペットコーナー・祐徳稲荷分社・社旗掲揚台
7F 茶室のフロア
玉屋茶室「玉昇庵」・店舗事務所
6F レストラン・催事のフロア
玉屋ファミリーレストラン、喫茶ローゼ、催事場、玉屋ホール
5F 閉鎖
4F フィットネスクラブ
カーブス(フィットネスクラブ)
3F 婦人服・紳士服・呉服・寝装具・リビングのフロア
婦人服(フォーマル、レリアンなど)、呉服、紳士服、眼鏡、補聴器、時計、宝石、タオル、寝装具、健康・介護用品、リフォームコーナー、お客様サロン
2F 婦人服と婦人雑貨銘店・家庭用品のフロア
化粧品、靴、バッグ、婦人雑貨、生活雑貨、ダイニング、食器、陶磁器、婦人服(カジュアル)、HAVE A NICE TRIP
1F 食品のフロア
総合案内所、食品、酒、銘店、生活雑貨、コダマ健康食品、新大工市場商店街(食品専門店32店舗)
  • 営業時間は1階・4階:10:00 - 19:00、他フロアは18:30閉店。
  • 1階は新大工市場と一体になっている。その為か1階に関しては、百貨店というよりスーパーマーケットの雰囲気に近い。
  • 佐世保玉屋はホームページが存在するが、長崎玉屋に関してはイベント情報のみで、サービス案内やフロアガイドは紹介されていなかった。
  • 正式名称は、「佐世保玉屋 長崎支店」だが、「長崎玉屋」の呼称が多く用いられた。
  • 一旦閉店後は近隣や系列会社に仮店舗を設けて営業を続ける。新大工市場商店街は再開発ビル建設決定まで営業を継続。
  • 過去には大村市にギフトサロン(所在地:長崎県大村市東三城町7−9)を運営していた。(現在は撤退済み。)

マルタマ長崎住吉店[編集]

  • 所在地:長崎県長崎市若葉町4番23号
  • 佐世保玉屋の子会社である「株式会社滑石玉屋百貨店」(長崎マルタマストア)の運営する食品スーパー。現在は住吉店のみ。かつては滑石店などがあった。
  • 佐世保玉屋ウェブサイトでは店舗に関して殆ど触れられていない。
  • かつては福岡県内において福岡玉屋の子会社運営による「マルタマ」も存在したが、経営悪化により寿屋マルタマとなった後に寿屋に経営譲渡されている。
  • 長崎玉屋一時閉店中は一部売り場がその仮店舗として運営される。

関連事業[編集]

  • 玉屋グループの旗艦店が消滅した福岡県内の穴を埋める事業は佐賀玉屋とも“連携”して行っているが、佐世保玉屋ではアミュプラザ博多に乳幼児・子供用の服を扱った「Little House」のテナントを開設している。
  • 「オレンジライフ」の経営再建に際し阪急キッチンエールと提携、「玉屋キッチンエール」の名で長崎・佐世保における事業をフランチャイジーとして展開する。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 31 
  2. ^ a b c 八尋紀子 (2014年6月25日). “再開発、年内に計画書 「長崎玉屋」一帯の地権者 時代に合う施設、目標”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 長崎版 
  3. ^ a b 菅原普 (2016年2月1日). “伊万里玉屋が閉店 50年の歴史に幕 惜しむ客、県内外から”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 佐賀全県版 
  4. ^ 川端基夫. “戦前・戦中期における百貨店の海外進出とその要因”. 龍谷大学経営学論集Vol.49 No.1 (龍谷大学) (2009-06): 1-22. 
  5. ^ a b 流通会社年鑑 1981年版, 日本経済新聞社, (1980-11-17), pp. 46 
  6. ^ 佐世保に現存した天空の楽園 デイリーポータルZ:@nifty
  7. ^ a b c d e f g 週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版, 東洋経済新報社, (2009), pp. 1786 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]