コンテンツにスキップ

阪神百貨店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社阪神百貨店
The Hanshin Department Store, Ltd.
本店が置かれている大阪梅田ツインタワーズ・サウス
エイチ・ツー・オーリテイリング及び阪急阪神百貨店の本社がオフィス部分に移転した。
種類 株式会社
市場情報
大証1部(廃止) 8241
1967年(昭和42年)10月30日 - 2005年(平成17年)9月27日
本社所在地 日本の旗 日本
530-0001
大阪府大阪市北区梅田1丁目13-13
設立 1947年昭和22年)6月30日
業種 小売業
事業内容 百貨店業
代表者 代表取締役社長 西川 秀郎
資本金 43億5877万9876円(2006年(平成18年)3月31日現在)
売上高 1126億4500万円(2006年(平成18年)3月期)
総資産 488億7000万円(2006年(平成18年)9月30日現在)
従業員数 1027人(2006年(平成18年)9月30日現在)
決算期 3月31日
主要株主 エイチ・ツー・オー リテイリング 100%[1]
主要子会社 阪神商事株式会社
関係する人物 河西計介(元社長)
三枝輝行(元社長、会長)
外部リンク 公式ウェブサイト
特記事項:1966年(昭和41年)12月に株式額面変更のため、同日以前の(2代目)株式会社阪神百貨店(1957年(昭和32年)4月17日設立)を吸収合併し現商号に変更。
2008年10月1日付で株式会社阪急百貨店と合併し、株式会社阪急阪神百貨店となり解散。
テンプレートを表示

阪神百貨店(はんしんひゃっかてん)は、エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社(阪急阪神東宝グループ)傘下の株式会社阪急阪神百貨店が運営する日本の百貨店[2]

また、株式会社阪神百貨店英語: The Hanshin Department Store, Ltd.)は、2008年9月30日までこれを運営していた企業である(法人としては解散)[3]2006年の「阪急・阪神経営統合」を契機として、もともとライバルであった阪急百貨店と経営統合を行い、阪急阪神百貨店による運営となった。

歴史・概要

[編集]

ターミナルデパート設立への序章

[編集]

1925年4月に阪神急行電鉄梅田停留場(現在の阪急大阪梅田駅)構内にあった(後の阪急百貨店うめだ本店へと繋がる)白木屋出張所を契約満了を理由に退去した白木屋の代替の店舗として1926年10月1日に当時の阪神電気鉄道梅田停留場(現在の阪神大阪梅田駅)構内に白木屋阪神出張店を開業[4]させたのが阪神によるターミナルデパート(=ターミナル駅直結の百貨店)の始まりである。

大正時代の終わり頃から大阪市高速電気軌道第1号線(現在のOsaka Metro御堂筋線)の新設計画に合わせて現在地付近への延伸と駅の移転を含む大阪市の構想への対応を求められていた阪神電気鉄道は、その延伸費用の回収のために1929年に大阪市に百貨店用地の分譲を求め[5]、そのテナントとして南海鉄道難波停車場に進出していた髙島屋[6]1930年にビルの賃貸の予約の覚書を交わし[5]、直営ではなくテナントの招致によるターミナルデパートの開設を当初は計画し[5]、その計画に基いて1931年12月には建物の設計まで終えた[6]

その後、1933年3月には阪神電気鉄道梅田停留場構内の店舗を直営の阪神マートを開業して直営によるターミナルデパート経営の第一歩に踏み出し[7]1937年1月22日に阪神電気鉄道の役員会で「阪神ビルの百貨店は資本金2百万円の株式会社阪神百貨店を新設し阪神傍系の別会社として経営する」と決定し、その日のうちに創立総会を開いて株式会社阪神百貨店を新設し、一般から公募せずに全株式を阪神電気鉄道が引き受ける完全子会社とすることで事実上直営化する方向へ方針転換をした[6]

そして同年3月に計画地のうち御堂筋沿いの角地を取得したが[6]、1月の百貨店新設の発表に猛反発した阪神急行電鉄が一日平均1.8万人の乗客で混雑する梅田駅の混雑緩和を目的に昭和初期から計画していた南側への新駅開設に必要だとして[6]、ビルの建設予定地の西半分に当たる約2,000坪を地主から密かに買収してしまった[6][8]ため、大阪市や中央政界・中央官庁などを巻き込んでその土地の取得を巡って阪神急行電鉄と激しい紛争を繰り広げることになったが、1938年5月19日に大阪市の決定で無事構想通りの用地取得に成功した[6]

しかし、この間に戦時体制の一環として鉄材の節約を理由に同年7月に百貨店などの高層建築の中止命令が出され[9]、百貨店法による許可も受けていなかった[9]ため構想の実現が不可能になり、1940年5月26日[10]に地上8階の予定が縮小されて地上4階地下2階として建設された梅田阪神ビルディング(後の大阪神ビルの東側部分)の地下1階に[11]阪神マートを移転させて規模を大幅に縮小して開業する[10]ことを余儀なくされた。

中央が阪神百貨店 大阪駅ホームより
1955年(昭和30年)頃

拡張工事と百貨店の開業

[編集]

第二次世界大戦後に再び構想の実現に取り組み、その一環として梅田阪神ビル(当時)北側地下道の両側に1951年全国名菓名物街を開業し[5]、11月1日に売り場を1階まで拡張した際に屋号を阪神百貨店と改め[11]1952年には1階に京阪神の甘辛の一流店を集めて阪神甘辛のれん街を開設する[11]など、この頃から専門店を誘致した委託部門優先をしていた[11]

そして1957年4月に改めて2代目の株式会社阪神百貨店を設立し[5]、同年6月1日に念願の百貨店の開業[10]に漕ぎ着けた際にも、阪神電気鉄道梅田停留場から直接入店できる出入り口を設置[5]してターミナルデパートの強みをフル活用しつつ、取引先のノウハウを活用する委託優先・専門店招致の方針を掲げて後発によるノウハウの不足を補う方針で営業を開始した[11]

その後、拡張工事を開始し、1958年3月に梅田阪神ビルディング(当時)の5階から8階を増床して東側部分が完成[7]。更に、西側部分を増築して、1963年6月に、約23年の歳月をかけて、第二次世界大戦前の当初構想の店舗面積へ拡大し[5]、現在の規模の店舗となった。この時にビル名称を「大阪神ビルディング」と改称している。

阪神百貨店(1979年)

2002年10月、梅田本店の外壁のリニューアル工事が完成した。

食品販売の強さ

[編集]

百貨店化する以前の1951年全国名菓名物街1952年阪神甘辛のれん街など個性と伝統のある店を集める名店街や各地の名物食品を集めて販売した[11]伝統から発展し、2005年3月期で売上高1,095.06億円のうち食料品が415.23億円と40%弱を占めた[7]ほど梅田本店の食品売場の人気は高く、「日本一のデパ地下」(地下食品売り場)と呼ばれることもある。

小型店の出店による多店化

[編集]

長らく梅田本店のみの営業を続ける堅実経営で知られていたが、親会社の阪神電気鉄道が阪神西宮駅高架下に2003年3月18日に開業したエビスタ西宮内に売場面積4,998m2阪神・にしのみやを開業[12]したのを皮切りに多店化に乗り出し、2006年10月4日には三宮駅前の神戸新聞本社ビルであるミント神戸の地下1階に食品売場のみで売場面積1,276m2さんのみや・阪神食品館[13]2008年3月20日には阪神電気鉄道御影駅前の御影クラッセ内に売場面積5,900m2阪神・御影[14]2009年10月20日にはJR尼崎駅前のあまがさきキューズモール内[15]に売場面積5,329m2あまがさき阪神を相次いで開業し、グループの地盤である阪神間で小規模店による多店化を進めた。

しかし、阪神・にしのみやは初年度に目標を上回る年間売上約57億円を達成した[16]が、阪神・御影2009年3月期で年間売上約29.56億円[17]と目標の50億円[18]を大きく下回ったため、開業から1年半弱の2009年8月5日に不振だった食品売り場の75%にあたる2080m2を兄弟会社の食品スーパー阪急オアシスの経営に切替えて縮小し[19]2010年3月期で年間売上約12.01億円[20]と低迷して赤字になっていたさんのみや・阪神食品館[21]をその期末で一旦休業して同年12月末に営業を再開させずにそのまま正式に閉店[22]2011年7月24日には阪神・御影の2階売場を閉鎖して2度目の規模縮小を行って売場面積804m2まで縮小し[2]あまがさき阪神も赤字でこそないものの2011年3月期で年間売上約36.33億円、2012年3月期で年間売上約37.27億円と初年度の売上高目標40億円を下回り続けており、2016年には2階売場を閉鎖するなど、多店化は必ずしも成功していない。

また、阪神間以外にも2006年7月26日に奈良県大和郡山市イオンモール大和郡山に売場面積約1万m2で出店する計画が発表された[23]が、阪急百貨店との業務提携に向けた経営方針の見直しの一環で出店地域を京阪神地区に注力するとして、同年11月10日に出店計画を撤回している[24][25]

京王百貨店との提携

[編集]

2000年から同様にグループの鉄道沿線のターミナルデパートのみを展開し、全国展開していない京王電鉄傘下の京王百貨店東京都新宿区)と業務提携し、紳士服の共同企画や質流れバザールや全国駅弁うまいもの市などの催事情報の交換を行うようになった[26]

2002年7月からは京王百貨店も「阪神タイガースショップ」を新宿店に開設し[26]2003年阪神タイガース優勝セールを共催した[27]

株式会社阪急阪神百貨店へ

[編集]

1937年1月22日に設立された初代株式会社阪神百貨店[6]は戦時体制の強化に伴って百貨店の開業が出来なかった[9]為消滅し、1957年4月17日に2代目の株式会社阪神百貨店が改めて設立し直され[7]、本格的な百貨店を開業している。

1966年12月に株式額面変更のため、1947年6月30日設立の企業[誰?]が存続企業となって2代目の株式会社阪神百貨店を吸収合併して3代目の株式会社阪神百貨店となり[7]1967年10月30日に大阪証券取引所第二部に上場し[7]1969年2月からは第一部に上場していた[7]が、グループの再編に伴い、2005年10月1日[28][29]付けで阪神百貨店株1に対し阪神電気鉄道株1.80が割り当てられた株式交換によって阪神電気鉄道の完全子会社化される[28]ことになり、2005年9月27日に上場廃止された[29]。(従来は電鉄が発行済み株式の52.4%を保有)

阪神百貨店(2014年)

この上場廃止日に村上世彰が率いるM&Aコンサルティング(村上ファンド)が阪神百貨店の株式18.19%を保有していることが判明し、他の株式と同様に阪神電気鉄道株式に交換されて村上ファンドがもつ阪神電気鉄道の持ち株比率が38.1%となった[28]ため、阪急ホールディングス(現・阪急阪神ホールディングス)がホワイトナイトとして村上ファンドが所有していた阪神電気鉄道の全株を取得し、一般の株主から買収した分を合わせると、電鉄の発行済株式の64.76%を保有することとなり、電鉄は阪急ホールディングスの子会社となった。

そのため、同じ阪急阪神東宝グループ阪急百貨店と提携の検討が阪急阪神ホールディングスの統合後[30]からされて、2007年10月1日に阪急百貨店と経営統合してエイチ・ツー・オー リテイリングの完全子会社へ移行した[1]

そして、百貨店の運営会社を1社に統合するため2008年10月1日に株式会社阪急百貨店が株式会社阪神百貨店を吸収合併して商号を株式会社阪急阪神百貨店へ変更し、株式会社阪神百貨店は消滅した[3]

梅田本店の建替え計画

[編集]

2006年8月に当時の親会社阪急ホールディングスの社長が「統合を象徴する事業」として梅田本店の建替えの検討を発表し[31]2007年3月に2012年度竣工を目途に南隣の新阪急ビルと一体化して全面建て替えを行うとなり(朝日新聞2007年3月22日付)、2008年9月22日には2012年梅田阪急ビルの完成後に現在の新阪急ビルのテナントをそこに移転させて建て替えを行い、建替え後の新阪急ビルに梅田本店を移転させ、その後に現在の梅田本店のビルを建替える2段階の構想となり[32]2013年に新阪急ビルの工事を始めるとされていた[33]。 しかし、2011年2月に「容積率の緩和に関係する法律の改正も見通せない状況に加えて、オフィスビル市況の悪化もある」「当初描いていたスケジュールをペースダウンし、着工時期を遅らせる方向だ」として延期する方向となっていた[34]

しかし、2013年1月、阪急阪神ホールディングスは阪神百貨店梅田本店の建て替えの方針を固め、具体的な手続きに入ったと報じられた[35]。これによると事業費は最大1千億円規模を見込み、地下で直結している阪神大阪梅田駅の改修も同時に行い、完成には10年を要する一大事業となるとした。これを受けて持株会社のエイチ・ツー・オー リテイリングは阪神梅田本店の建て替えを正式に発表[36]。阪神電気鉄道と合意に達し、建て替えの為の具体的な検討に入るとした。 そして、2014年3月、阪神電気鉄道阪急電鉄は阪神百貨店梅田本店が入居する大阪神ビルと隣接する新阪急ビルを建て替え、2018年春頃に百貨店を一部先行開業させ、2021年秋頃の全面開業を目指すとした。2014年秋頃から西側の百貨店の営業を続けながら東側の解体を始め、東側建て替え後に西側を建て替える。売り場面積は工事前と同程度の53000平方メートルになる[37]

新装開店へ

[編集]
建て替え1期工事が完成した阪神梅田本店

第一期棟は2018年4月27日に竣工し、6月1日には阪神梅田本店が移転した。また、ビルの名称は「大阪梅田ツインタワーズ・サウス」となる[38]。 全体竣工は2022年春頃を予定[39]阪急うめだ本店が入居する梅田阪急ビルも2022年の本ビルの全体竣工と共に「大阪梅田ツインタワーズ・ノース」と名称変更し、両ビルを「大阪梅田ツインタワーズ」と総称する[40]。 第二期棟は2021年10月8日に先行開店。これにより、当初の構想から約15年の歳月をかけて、梅田本店の建て替えと全面開店が達成されることとなった。その後、2022年4月6日(水)には、第二期棟が全面開店し、グランドオープンとなった。

阪神タイガースの優勝・応援セールの扱い

[編集]

阪急阪神東宝グループ(旧・阪神グループ)である同百貨店では、阪神タイガースが優勝・日本一となる場合、優勝記念セールが行われることが慣例となっている。

阪急・阪神経営統合前

[編集]

旧大阪神ビルが全面完成したのは、1963年(昭和38年)のことなので、このビルで行われたはじめての優勝記念セールは、翌1964年(昭和39年)である。しかしながらこの時はセール時期が東京オリンピックの直前だったため、オリンピックのロゴが大変目立つように装飾されており、優勝記念セールは脇役となってしまったという。また当時は優勝記念セールとはいわずに、「阪神タイガース優勝カーニバル」と表現されていたのも大変特徴的である[41]

その後、 1985年(昭和60年)、2003年(平成15年)、2005年(平成17年)に、同球団がセントラル・リーグ優勝を決めた際は「阪神タイガース(西暦)セ・リーグ優勝記念セール」が開催された。加えて日本一となった 1985年(昭和60年)には、日本一のセールも開催されているが、旧大阪神ビルにおける日本一のセールは、同ビルの長い歴史の中でこの時が唯一となった。またこの時、ザ・ベストテンの中継で、当時人気絶頂期にあった中森明菜が閉店後のセール会場をバックに「SOLITUDE」を歌っている。この映像史料によると、日本一のセールの折にも、セ・リーグ優勝時のセールに使われた旗やポスター等が使いまわしされていたようである(日本シリーズで確実に日本一になる保証はできないため、予め「日本一」と書いたものは用意しにくい事情がある)。

阪急・阪神経営統合後

[編集]

優勝セールではないが、 2008年(平成20年)10月には、前年2007年(平成19年)10月に経営統合した持株会社の「エイチ・ツー・オーリテイリング」傘下の百貨店事業会社が合併し「阪急阪神百貨店」が発足したことで、その合併記念セールとあわせて、「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(セントラルリーグ・クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪神百貨店・阪急百貨店の各店で開催された。また、2010年(平成22年)にも阪神タイガースが、同年度のセントラルリーグの公式戦での順位が2位に確定したことにより、同年10月9日から12日まで「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で行われた。

2023年9月14日、同球団がセントラル・リーグ優勝したが、優勝セール自体は阪神百貨店とエイチ・ツー・オー リテイリング傘下のスーパーマーケット阪急オアシスイズミヤカナート関西スーパーマーケット)のみが対象となり、阪急百貨店については阪神百貨店との店舗ブランドごとの差別化と、過去の阪急による阪急ブレーブスの保有や優勝セールの実施とその直系の後身であるオリックス・バファローズとの関係などを考慮し、懸垂幕の掲出のみとなった[42][43]。なお、同じ関西を営業エリアとしている近鉄百貨店でも大阪近鉄バファローズ(球団としては消滅)の傍系の後身ともいえるオリックス・バファローズのパシフィック・リーグ優勝に伴う優勝セールが行われており、史上初めて阪神と近鉄両百貨店による優勝セールが同時期に行われることになった[44][45]。また、同球団が日本シリーズ優勝(日本一)になった事に伴い、同年11月6日から5日間、前述のセ・リーグ優勝時と同じ店舗でセールを行う[46]

沿革

[編集]
  • 1933年(昭和8年)3月 - 阪神電気鉄道の旧梅田停留場に白木屋阪神出張店を開業[4]
  • 1933年(昭和8年)3月 - 阪神電気鉄道の付帯事業として旧梅田停留場に阪神マートを開業[7]
  • 1940年(昭和15年)5月26日 - 梅田阪神ビル(後の大阪神ビル)が地上4階地下2階で暫定竣工、阪神マートを同ビル内に移転[10]。戦時は政府から敵性語禁止通達により阪神地下大店と改称されていた。
  • 1951年(昭和26年)11月1日 - 売り場を1階まで拡張し、屋号を阪神百貨店と改称[11]
  • 1957年(昭和32年)4月17日 - 阪神電気鉄道から百貨店事業を分離独立するため、2代目の株式会社阪神百貨店を設立[5]
    • 6月1日 - 阪神電気鉄道より営業譲渡を受け、本格的な百貨店を開業[10]
  • 1958年(昭和33年)3月13日 - 梅田阪神ビルの5階から8階までを増床[7]
  • 1962年(昭和37年)5月12日 - 労働組合によるストライキを実施[47]
  • 1963年(昭和38年)6月 - 梅田阪神ビルの西側拡張工事が完了、同ビル名を「大阪神ビル」と改称。なお当時、阪神百貨店が使用する床面積は同ビル全体の約3分の2に過ぎなかった[5]
  • 1964年(昭和39年) - 阪神タイガース優勝カーニバル開催。
  • 1967年(昭和42年)10月30日 - 大阪証券取引所第二部に上場[7]
  • 1969年(昭和44年)2月 - 大阪証券取引所第一部に上場[7]
  • 1974年(昭和49年)11月 - 「大阪神ビル」を全館阪神百貨店化。
  • 1978年(昭和53年)10月5日 - 第1次ストア・リフレッシュ。これを機にアルファベットの「H」と「S」、四つ葉のクローバーをモチーフにした草刈順デザインの現行ロゴに変更。
  • 1980年(昭和55年) - 第2次ストア・リフレッシュ。
  • 1983年(昭和58年) - 第3次ストア・リフレッシュ。
  • 1985年(昭和60年) - 阪神タイガース1985セ・リーグ優勝記念セール開催。日本一のセールも行われた。なお「大阪神ビル」における日本一のセールは、この時が唯一の開催となった。
  • 1995年(平成7年)5月 - 台湾高雄市に漢神百貨を開業[48]
  • 2000年(平成12年) - 京王百貨店東京都新宿区)と提携[26]
  • 2002年(平成14年)10月 - 外壁リニューアル工事完了。
  • 2003年(平成15年)2月23日 - 熊本県熊本市にくまもと阪神を開業[49]
  • 2005年(平成17年)9月27日 - 上場廃止[29]
  • 2006年(平成18年)7月26日 - 奈良県大和郡山市イオンモール大和郡山への出店計画発表[23]するも、同年11月10日に出店計画を撤回[24]
  • 2006年(平成18年)10月4日 - 三宮駅前のミント神戸にさんのみや・阪神食品館を開業[13]
  • 2007年(平成19年)10月1日 - 株式交換によりエイチ・ツー・オー リテイリング株式会社の完全子会社となり、阪急百貨店と経営統合[1]
  • 2008年(平成20年)3月20日 - 阪神電気鉄道御影駅前の御影クラッセに阪神・御影を開業[14]
    • 10月1日 - 運営会社合併により、株式会社阪急阪神百貨店の運営となる[3]
  • 2009年(平成21年)8月5日 - 阪神・御影の食品売り場の75%を阪急オアシスの経営に切替[19]
  • 2010年(平成22年)4月1日 - さんのみや・阪神食品館を休業[22]
    • 12月末 - さんのみや・阪神食品館を正式に閉店[22]
  • 2011年(平成23年)2月23日 - 熊本・県民百貨店との業務支援契約満了に伴い、熊本から撤退。なお同百貨店は、その約2年後に閉店。
    • 7月24日 - 阪神・御影の2階売場を閉鎖して売場面積804m2に縮小[2]
  • 2014年(平成26年)3月29日 - 梅田本店で営業していた「ふるさと名産」閉店。
  • 2015年(平成27年)2月17日 - 大阪梅田ツインタワーズ・サウス(I期棟)建設に伴い、この日限りで大阪神ビル東側部分を閉鎖。
  • 2016年(平成28年)1月11日 - あまがさき阪神の2階売場を閉鎖[50]、売場面積を2,855m2に縮小[51]
  • 2018年(平成30年)5月27日 - 大阪梅田ツインタワーズ・サウス(I期棟)竣工、及び同Ⅱ期棟建設に伴い、この日限りで大阪神ビル西側部分を閉鎖(旧店舗での営業終了)。
    • 6月1日 - 梅田本店が大阪梅田ツインタワーズ・サウス(I期棟)において新装開業[38]
  • 2022年(令和4年)4月6日 - 大阪梅田ツインタワーズ・サウス(II期棟)グランドオープン。
  • 2023年(令和5年)1月10日 - 梅田DTタワー地下2階「ディアモール フィオレ」の閉館に伴い、出店していた「阪神百貨店 リラクシア」も営業を終了[52]。順次梅田本店に移転[53]

直営店舗

[編集]

梅田本店・尼崎・西宮・御影の4店であるが、フルラインの百貨店としての機能を有するのは、梅田本店のみである。

梅田本店

[編集]
阪神百貨店梅田本店
HANSHIN UMEDA
改築後の阪神百貨店梅田本店の様子
店舗概要
所在地 大阪府大阪市北区梅田1丁目13-13
座標 北緯34度42分4.1秒 東経135度29分51.8秒 / 北緯34.701139度 東経135.497722度 / 34.701139; 135.497722 (阪神百貨店梅田本店)
開業日 1940年(昭和15年)5月26日(阪神マートの現在地での開業)
施設所有者 阪神電気鉄道
商業施設面積 53,000 m²
前身 阪神マート
最寄駅 阪神電気鉄道阪神本線大阪梅田駅直結
HANSHIN
テンプレートを表示

阪神百貨店の4店舗のうち、売上の約90%を稼ぎ出す圧倒的な主力店舗である。大阪ステーションシティなどの開業に伴う競合激化で売上高は2011年(平成23年)3月期の約960.45億円[54]から2012年(平成24年)3月期は約923.5億円[2]に減少したものの、2010年(平成22年)3月期の約921.85億円[20]を上回り、エイチ・ツー・オー リテイリング全体でも阪急百貨店うめだ本店に次ぐ売上と売場面積[2]であった。

2018年6月1日に大阪梅田ツインタワーズ・サウス(I期棟)にて新装開業し、売り場面積を約2割減らして営業を開始している[55][56]。また地下1階売り場の一部は大阪市道南北線の下にあり、地下2階が阪神電気鉄道大阪梅田駅になっている。

大阪梅田ツインタワーズ・サウス(Ⅱ期棟)の完成に伴い、2021年10月8日に先行オープン。2022年4月6日にはII期棟の完成に伴いグランドオープン。

阪急うめだ本店とは異なり、「梅田」は漢字表記される。

アクセス

[編集]

阪神電車大阪梅田駅の直上にあり、改札口から地下1階と直結している。また、地下鉄西梅田駅梅田駅にもほぼ隣接しており、東梅田駅からもそう遠くない。大阪駅中央南口からは道路の真向かい側に店舗があるため、歩道橋を渡って行くことも可能である。

逆に、阪急電車大阪梅田駅からは歩道橋が少ないため移動距離が長くなるものの、地下街を経由するルートの方が案内板などがあるので分かりやすい。

車の場合は、駅前第2ビルなどの駐車場を利用することになる。

売場の特徴

[編集]
地下1階 食料品売り場※旧店舗
音楽・音声外部リンク
CMソングの試聴
【いずみたく作曲】グリーンのクローバー 阪神百貨店CM フルバージョン - YouTube(株式会社オールスタッフ

梅田本店は、コマーシャル・ソング「グリーンのクローバー」(1962年制作。作詞:野坂昭如、作曲:いずみたく)が流れていた頃は、「おおさか・うめだ・いちばんち(大阪市北区梅田一番地)」に所在していたが、当該地区の住居表示実施に伴い梅田一丁目13番13号となり、歌入りのバージョンはCMでは使われなくなり、歌を省略したインスト版に差し替えられた。2006年(平成18年)現在でも不動産登記上の地番は1番地であるので、土地としては大阪市北区梅田一丁目1番地の地番の土地上に建っている。

地下食料品売り場(デパ地下)は充実しており、梅田本店の売り上げの半数近くを占め、「食の阪神」と評される。2015年から行われた建て替えの際にも食の強化が目指されており、新店舗では売上の6割を食品販売と飲食で獲得する目標が立てられた。このことから、梅田界隈では高級派の阪急百貨店庶民派の阪神百貨店に二分されている。ファッションに強みを持ち、高級路線の阪急百貨店との違いを打ち出すことで同じグループの隣接する店舗同士の棲み分けが図られている[57]。なお、阪神百貨店で有名な鮮魚コーナーと「さかな屋の寿司」コーナーを経営している会社は、株式会社阪神髭定である。

旧店舗時代の2011年に、30-40歳代の女性向けのブランドを新規導入するなど衣料・雑貨売場の改装を行い、OL向けの売上確保や新たな顧客層の開拓も目指している[58]

かつて、5階には百貨店としては珍しい高級オーディオ専門コーナー「オーディオファイル」が設けられていたが、2009年(平成21年)3月3日に閉鎖された。6階には一時期、松下電器がショールーム「アクセス」(後の「梅田阪神ナショナルショウルーム」)を1テナントとして構えており、深夜ラジオ番組『ハロー!ナショナルショウルーム』(MBSラジオ、後に『文珍のアクセス塾』へタイトル変更)の公開録音が行われていたが、2000年9月14日に閉館された[59]

建て替え後の店内には、株式会社セントカンパニーのフレグランスディレクターが手掛けた香りが漂っている。2022年6月11日に歌手の近藤夏子がこの香りについて知りたいとツイートしたところ、7月13日には自身のレギュラー番組『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』(朝日放送ラジオ)に先述のフレグランスディレクターがサプライズ出演して年内の商品化へ動きだし[60]、12月にルームディフューザーとして販売されることになった[61]

スナックパークとフードテリア
梅田本店地下1階の「スナックパーク」は、1957年の百貨店開店当時、「おやつセンター」としてスタート。
開店当時から広く知られたいか焼き[62]をはじめ、ちょぼ焼き(たこ焼きの元祖といわれている)、野菜焼(キャベツ焼き)えきそば(姫路駅名物の黄そば)カレーライス寿司、麺類などを販売している。
早い・安い・旨いをコンセプトにしたフードコートで、立ち食い席とセルフサービスがスナックパークの特徴であり、着席とテーブルサービスが特徴のレストラン街とは開店当初から棲み分けが図られている。新装開店後も根強い人気がある。
梅田本店の建て替え工事に伴い、2015年(平成27年)2月17日にスナックパークは一旦営業を終了したが、いか焼きなど一部店舗は食料品売り場内へ移転し、持ち帰り専門店として営業を継続していた。
2018年(平成30年)6月1日の大阪梅田ツインタワーズ・サウス(I期棟)開業に伴い、スナックパークは新阪急ビルがあった場所の地下1階にて復活した。
他に地下2階の阪神梅田駅コンコース脇には、各種飲食店が並ぶ「フードテリア」(PiTaPaiDが利用可能)もあった。梅田本店の建て替え工事に伴い、2014年(平成26年)3月31日にフードテリアが営業を終了した。
阪神タイガースショップ
8階 阪神タイガースショップ 球団マスコットのトラッキーの人形が来店客を出迎えてくれる※旧店舗
梅田本店8階には阪神タイガースショップがあり、阪神タイガース公認のグッズなどが販売されている。
年始には選手直筆サイン入りグッズが入ったタイガース福袋を販売している。新店舗でも阪神タイガースショップは設けられてはいるが、店舗面積は旧店舗よりも縮小されている。
ふるさと名産コーナー
かつて、梅田本店の地下通路では全国各地の名産販売店を集めたコーナー「ふるさと名産」が営業していた。実際に現地を訪れていなくても現地の土産を購入できたことから、「アリバイ横丁」の愛称で呼ばれていた。
戦後の混乱状況を変えるため、1951年に「全国銘菓名物街」として開店したが、従業員の高齢化などによって閉店が相次いだほか、梅田本店の建て替えによる地下通路拡幅工事に伴い、2014年3月29日には全店舗が閉店し、63年の歴史に幕を閉じた[63][64]
円形ホール
梅田阪神ビルディング(後の大阪神ビルの東側部分)の完成当初から存在していた、円形の施設。1階と2階にあり、壁や床にはアンモナイトなどの化石も含む大理石が設置されていた。
1階と2階には梅田本店の入り口やテナント店舗があり、両階は階段(後にエスカレーターが設置された)で行き来する。歩道橋が設置された1964年(昭和39年)以降は、直接2階から円形ホールに入ることも可能になった。
1階の中央階段を降りると地下1階に阪神梅田駅の改札口と梅田本店地下1階入り口があり、入り口にはスナックパークが存在していた。2015年(平成27年)2月17日をもって大阪神ビル東側部分は閉鎖され、梅田本店の建て替えにより、円形ホールは取り壊された。
屋上遊園地と屋上庭園
12階屋上遊園地※旧店舗・現在は解体済
旧店舗では以前からの屋上遊園地が存在していた[65]ほか、建築家の安藤忠雄などが参画して[65]2006年(平成18年)4月に造られた枝垂れ桜シマトネリコオリーブユーカリなど50種類以上を植えた約1,500平方メートルの屋上庭園[66]があった。
夏季には屋外テレビで阪神戦の中継も行われるビアガーデンが開かれ、タイガースファンが集まることでも知られていた[65]
屋上遊園地は9階と12階の2か所に分かれており、直接行き来するには東側部分に存在していた「らせん状階段」を使う必要があった。
建て替え工事の準備のため、12階部分については2014年2月に閉鎖され、残る9階部分も2015年には閉鎖された。

ライバル関係

[編集]

御堂筋を挟んだ向かい側の阪急百貨店うめだ本店は、食料品・衣料品の両面において最大の競争相手であったが、2007年(平成19年)10月1日には持株会社「エイチ・ツー・オー リテイリング」のもとで経営統合し、さらに翌年2008年(平成20年)10月に運営会社が合併し、「阪急阪神百貨店」が発足してからは、兄弟店舗の関係にもなっている。

経営統合・合併以降は、共存共栄できるように、相互の戦略的差別化の一方、相互の協力関係が必須になると考えられ、2007年(平成19年)4月1日には経営統合に先行し、お互いが発行したカードで相手の百貨店での使用の際も優待を行うようになったほか、2009年(平成21年)8月の改装では建て替え工事に伴って売り場面積が縮小する阪急百貨店梅田本店から婦人服の一部売場を移し、ヤング向けの品ぞろえを拡充させて補完しあい[67]2011年(平成23年)5月11日からは初めて阪急百貨店梅田本店との大規模な共同催事「初夏の阪急・阪神大食品祭」を開催するなど協力を深めている[68]

同店周辺においては、北側のJR大阪駅ビル(大阪ステーションシティ・サウスゲートビルディング)内の大丸梅田店が、2011年(平成23年)4月19日に増床リニューアルオープンしたことで、店舗面積では大丸の後塵を拝することになった。また同じ2011年(平成23年)5月4日には、JR大阪駅北口のノースゲートビルディングに、JR西日本グループと三越伊勢丹ホールディングスの合弁となる、「JR大阪三越伊勢丹」が開業したが、競合店の多い梅田で同店は不振続きとなり、2015年にはファッションビルの「ルクア1100」に衣替えする結果に終わっている。

ハービスOSAKAや、阪急・阪神経営統合を機に同じグループとなったHEPファイブHEPナビオ(阪急メンズ大阪)などの高級衣料品・ブランド店の入居する各ショッピングセンターは、競争相手というより、百貨店を補完する存在である。これら商業施設は百貨店とともに、Sポイントサービルも利用できる。また、家電量販店ヨドバシカメラマルチメディア梅田については、商品面での競合は少なく、梅田への集客手段のひとつとして捉えている[69]

にしのみや店

[編集]
阪神百貨店にしのみや店
HANSHIN NISHINOMIYA
店舗概要
所在地 662-0973
兵庫県西宮市田中町1-6
座標 北緯34度44分13.1秒 東経135度20分12.9秒 / 北緯34.736972度 東経135.336917度 / 34.736972; 135.336917 (阪神百貨店にしのみや店)
開業日 2003年(平成15年)3月18日
施設所有者 阪神電気鉄道
商業施設面積 4,998 m²[51]
最寄駅 阪神電気鉄道本線西宮駅直結
HANSHIN
テンプレートを表示

阪神電気鉄道が西宮駅高架下に2003年(平成15年)3月18日に駅直結で開業したエビスタ西宮[12]内に売場面積4,998m2[2]で開業。

店内で作る「できたて総菜」や和洋菓子など阪神百貨店が得意とする食品売場いわゆるデパ地下を強みとし[70]阪神・淡路大震災で従来あった総合スーパーや市場が潰れて大型店の競合が少ない地域性[70]をバックに順調に売上を伸ばし、初年度に目標を上回る年間売上約57億円を達成した[16]が、2008年(平成20年)3月期は約52.54億円[71]2009年(平成21年)3月期は約50.25億円[17]2010年(平成22年)3月期は約47.36億円[20]2011年(平成23年)3月期は約46.60億円[54]2012年(平成24年)3月期は約45.79億円[2]と売上が減少が続いているが、阪神百貨店の支店の中ではトップの売上を維持している。

あまがさき阪神

[編集]
あまがさき阪神
AMAGASAKI HANSHIN
店舗概要
所在地 661-0976
兵庫県尼崎市潮江1丁目3番1号
座標 北緯34度44分0.8秒 東経135度25分50.5秒 / 北緯34.733556度 東経135.430694度 / 34.733556; 135.430694 (あまがさき阪神(COCOE))
開業日 2009年(平成21年)10月20日
施設所有者 東急不動産[74]
商業施設面積 2,855 m²[51]
前身 キリンビール尼崎(神崎[72])工場[73]
最寄駅 JR尼崎駅[73]
HANSHIN
テンプレートを表示

JR尼崎駅前の麒麟麦酒工場の跡地に建設された「あまがさきキューズモール[75]の核テナントとして[73]2009年(平成21年)10月14日にプレオープンし[76]、10月20日に「“おいしいフードマルシェ”と“キッズママのおしゃれカジュアルストア”」というコンセプトを掲げて正式に開業した[77]

梅田本店から近いため周辺5キロの小商圏と見込み[78]、若いファミリー層が多い地域性を考慮して子育て中の母親世代と子どもをターゲットとしている[15]

リーマンショック後の景気低迷下での開業となったため、既存店より低価格商品を拡充した商品構成とし[78]、売上の70%を稼ぐことを目標とした1階の食品売場[78]は梅田本店の食品売場の強さを生かし[79]つつ、105円均一パン店や500円以下の弁当など低価格商品も拡充し[78]、2階も2000円前後の子ども衣料など低価格商品もそろえた衣料品売場を設けながらも、売場からガラス越しに授業風景を見ることが出来る子どもに人気のダンススタジオやダンスファッション売場や阪神タイガースショップ、子供向けメニューの充実したカフェなどを導入して[78]、カジュアルだがお洒落で楽しい売場作りを目指した。

しかし、2011年(平成23年)3月期で年間売上約36.33億円[54]と初年度の売上高目標40億円[77]を下回ったため、婦人服売り場の拡張などのてこ入れを行い[80]2012年(平成24年)3月期には年間売上約37.27億円[80][2]と少し伸ばした。

それでもなお、梅田本店との近接から苦戦が続き、2016年(平成28年)1月11日をもって2階売場の営業を終了[50] 。跡地はキューズモールの専門店ゾーンとなった[81]

阪神とはいえ、阪神尼崎駅前ではないので注意が必要である。

御影店

[編集]
阪神・御影[14]
HANSHIN Mikage
店舗概要
所在地 兵庫県神戸市東灘区御影中町3丁目2-1
座標 北緯34度42分56.1秒 東経135度15分18.5秒 / 北緯34.715583度 東経135.255139度 / 34.715583; 135.255139 (御影クラッセ)
開業日 2008年(平成20年)3月20日[14]
施設所有者 特定目的会社阪神御影インベストメント[14]
施設管理者 住商アーバン開発株式会社
敷地面積 11,000 m²
延床面積 41,000 m² 
商業施設面積 804 m²[51]
店舗数 約70店
最寄駅 阪神電鉄御影駅[18]
HANSHIN
テンプレートを表示

神戸市立御影工業高校跡地に建設された商業施設「御影クラッセ」の核店舗として1・2F部分に2008年(平成20年)3月20日に売場面積5,900m2で開店した[14]

地元の人が「毎日通える百貨店」をコンセプトに団塊世代の主婦を主なターゲット[18]としてがんこフードサービスの新業態1号店を含む総菜[82]、菓子、生鮮食品などの揃う[18]梅田本店と同様のいわゆるデパ地下形式[19]の食品売場を1階に置き、食品に強い阪神百貨店らしさをアピールし[82]、2階は婦人服や生活雑貨を中心とした売場構成[18]として開業したが、肝心の食品売場の不振が深刻で2009年(平成21年)3月期で年間売上約29.56億円[17]と目標の50億円を大きく下回ったため、開業から1年半弱の2009年(平成21年)8月5日に不振だった食品売り場の75%にあたる2,080m2を兄弟会社の食品スーパー阪急オアシスの経営に切替えて縮小する[19]大規模なてこ入れが早くも行われることになった。

しかし、2010年(平成22年)3月期は約17.88億円[20]2011年(平成23年)3月期は約13.53億円[54]と低迷して赤字が続いたため、2011年(平成23年)7月24日には阪神・御影の2階売場を閉鎖して2度目の規模縮小を行って売場面積804m2[2]となって百貨店とはいえない規模にまで縮小し、「御影クラッセ」の核店舗でなくなった。

こうした売場縮小の影響もあり、2016年(平成28年)3月期の年間売上は約5.59億円[51]となっている。

提携して阪神の商標を使った百貨店

[編集]

1989年(平成元年)に漢陽建設などの地場資本と提携して台湾高雄市に5%を出資して現地の読みで「はんしん」となる漢神百貨を設立し[48]1995年(平成7年、民国84年)5月に開業させたほか、地元財界が中心となって出資して設立した県民百貨店(熊本市)が岩田屋撤退後の施設と人員を引継いだ際には営業支援契約を結んで7.5%を出資し[49]、当時の社長三枝輝行が非常勤取締役に就任する[83]と共に3人の幹部社員を派遣して業務支援をし[84]2003年(平成15年)2月23日にくまもと阪神として開業[49]させるなど、マイナー出資付きの業務提携で阪神の商標を使った百貨店を開業させた。

漢神百貨店

[編集]

業務・資本提携を行っている台湾高雄市の百貨店[48]。英字ロゴは「阪神」と同様の「HANSHIN」。出資比率は5%[48]のみで持分法の適用対象外である。

高雄市前金区と高雄市左営区(アリーナショッピングプラザ)、中国陝西省西安市(漢神購物広場)に店舗を構える。

なお、高雄市内には阪急百貨店も出店していたが、2016年に提携を解消した。詳細は統一時代百貨を参照。

県民百貨店

[編集]
旧くまもと阪神(県民百貨店)※現在は閉店・解体済

地元財界が中心となって出資して設立した県民百貨店熊本市)が岩田屋[注釈 1]撤退後の施設と人員を引継いだ際には営業支援契約を結んで7.5%を出資し[49]、当時の社長三枝輝行が非常勤取締役に就任する[83]と共に3人の幹部社員を派遣して業務支援をし、2003年(平成15年)2月23日にくまもと阪神として開業[49]

当初5年だったものを県民百貨店側の要望で3年間延長していたが[84]2011年(平成23年)2月23日からは営業支援契約の満了に伴い、法人名と同じ県民百貨店へ改称し、阪神の商標の使用を終了した[49]

なお、引き続き7.5%を出資している[49]が、高島屋「ハイランドグループ」に加盟する[84]など阪神の系列から事実上離脱している。

その後、2015年2月28日をもって、所在する熊本交通センター再開発に伴い移転を模索したものの断念し閉店・廃業することが決まった[85][86]

過去にあった店舗

[編集]

さんのみや・阪神食品館

[編集]
さんのみや・阪神食品館[13]
HANSHIN SAN-NOMIYA
店舗概要
所在地 兵庫県神戸市中央区雲井通7-1-1[13]
開業日 2006年(平成18年)10月4日[13]
閉業日 2010年(平成22年)3月31日(12月31日正式に閉店[13])
施設所有者 株式会社神戸新聞会館[13]
施設管理者 株式会社神戸新聞会館
商業施設面積 1,276 m²[13]
最寄駅 三宮駅三ノ宮駅
HANSHIN
テンプレートを表示

2006年(平成18年)10月4日[71]三ノ宮駅前の商業施設・ミント神戸の地下1階[22]の全フロア[87]を使用して食にこだわる主婦層や通勤、通学客をターゲットにデパ地下のノウハウを生かして[16]パン、洋菓子、総菜など[88]百貨店らしい高級食材をそろえ[16]て開業した。

しかし、2008年(平成20年)3月期は約14.63億円[71]2009年(平成21年)3月期は約13.34億円[17]2010年(平成22年)3月期で年間売上約12.01億円[20]と低迷して赤字になりながら年々売上が減少していたため、2010年(平成22年)4月1日から一時休業[22][88]して、改装や賃料引き下げ交渉などを行ったが黒字化の目処が立たず[89]、同年12月31日にそのまま正式に閉店した[54][22][89]

その後2011年(平成23年)9月22日に、後継店舗としてKOHYO三宮店が開業した。


また、同じ三宮で、阪神電気鉄道が保有する「三宮阪神ビル」などの建物に入居していたそごう神戸店がエイチ・ツー・オーリテイリング傘下になり、2019年(令和元年)10月5日から神戸阪急として営業している。阪急百貨店ではあるものの、食品売場を中心に、梅田では阪神百貨店にのみ出店するブランドも入居している。

実現しなかった店舗

[編集]
国鉄吹田駅前再開発ビルの核店舗として出店が内定していたが、1975年(昭和50年)9月29日に梅田本店増床後の業績の伸び悩みや社会情勢の急激な変化を理由として、出店を断念した[91]
1976年(昭和51年)7月に代替の核店舗としてダイエーの出店が決定され[91]、1979年(昭和54年)10月に「吹田さんくす」として完成した[92]。その後についてはイオン吹田店を参照のこと。

過去の関連会社

[編集]

かつては大阪ダイヤモンド地下街ディアモール大阪)の株式の40.0%を保有して持分法適用関連会社としていた[7](阪神電気鉄道20.0%を保有し、合計60.0%する阪神電気鉄道の連結子会社[93])が、2005年(平成17年)10月1日に阪神電気鉄道の完全子会社化後の再編で全株式を親会社に譲渡したため、阪神電気鉄道の完全子会社となっている[94]

関連項目

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1973年に開店時は伊勢丹と提携した「岩田屋伊勢丹」、のちに伊勢丹撤退で熊本岩田屋。
  2. ^ 親会社だった南海電気鉄道は高島屋と関係が深かった。

出典

[編集]
  1. ^ a b c “阪急・阪神百貨店が「H2O」に 1日発足”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2007年10月1日) 
  2. ^ a b c d e f g h i エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 平成24年3月期 決算発表 補助資料 (Report). エイチ・ツー・オー リテイリング. 10 May 2012.
  3. ^ a b c “阪急と阪神が合併、10月1日「阪急阪神百貨店」に”. 読売新聞 (読売新聞社). (2008年3月27日) 
  4. ^ a b 『白木屋三百年史』白木屋、1957年。 
  5. ^ a b c d e f g h i 阪神電気鉄道八十年史編集室『阪神電気鉄道八十年史』阪神電気鉄道、1985年。 
  6. ^ a b c d e f g h 谷内正往. “戦前、 阪神の百貨店構想 ‐大阪駅前の土地争いを中心として”. 梅信 No.568 (近畿大学 通信教育部) (2012-1-1). 
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 阪神百貨店 第66期有価証券報告書 (Report). 阪神百貨店. 29 June 2006.
  8. ^ “「阪神」に「阪急」挑戦ビル予定地の隣地を買占め、地下乗入へも車止め”. 大阪朝日新聞 (朝日新聞社). (1937年6月20日) 
  9. ^ a b c “百貨店の増新築全部に“工事中止”物心総動員へ商工省の方針決る”. 大阪朝日新聞 (朝日新聞社). (1938年7月5日) 
  10. ^ a b c d e 阪神電気鉄道開業百周年史編集室『阪神電気鉄道百年』阪神電気鉄道、2005年12月27日。 
  11. ^ a b c d e f g 栗本智代. “大阪再発見VOL2 大阪ターミナルものがたり 梅田と駅のアイデンティティ”. 季刊誌CEL 60号 (大阪ガスエネルギー・文化研究所) (2002-3). 
  12. ^ a b c “阪神、阪神西宮駅高架下に商業施設3月18日にオープン”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2003年1月31日) 
  13. ^ a b c d e f g h 株式会社阪急阪神百貨店「さんのみや・阪神食品館」閉店について (Report). 阪急阪神百貨店. 29 December 2010.
  14. ^ a b c d e f “SC「御影クラッセ」オープン 核テナントに阪神百貨店 “地域密着”目指した店づくり”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年3月28日) 
  15. ^ a b c “母親と子に照準 10月開業の尼崎・阪神百貨店”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2009年9月18日) 
  16. ^ a b c d “阪神百貨店が三宮進出 神戸新聞会館に食のフロア”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2005年5月24日) 
  17. ^ a b c d エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第90期営業報告書 (Report). エイチ・ツー・オー リテイリング. 25 June 2009.
  18. ^ a b c d e “広がるちっちゃな百貨店、阪神百貨店が御影に3店目”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2008年2月21日) 
  19. ^ a b c d “阪神百貨店に阪急オアシス 初の店舗連携”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2009年8月1日) 
  20. ^ a b c d e エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第91期営業報告書 (Report). エイチ・ツー・オー リテイリング. 25 June 2010.
  21. ^ “阪神阪急の県内3店赤字 現段階での撤退は否定”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2010年1月29日) 
  22. ^ a b c d e f “月末で閉店 三宮の阪神食品館”. 産経新聞 (産経新聞社). (2010年12月29日) 
  23. ^ a b “阪神百貨店、神戸などに中規模店出店”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2006年7月27日) 
  24. ^ a b “阪神百貨店、「イオン大和郡山SC」への出店を中止”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2006年11月10日) 
  25. ^ “阪神百貨店、大和郡山市のイオンSCへの出店を中止”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2006年11月10日) 
  26. ^ a b c “京王百貨店、阪神タイガース食品コーナー常設 優勝セールも検討”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年8月25日) 
  27. ^ 親会社の京王電鉄よみうりランドに出資している関係上、読売ジャイアンツと親密である。
  28. ^ a b c “村上ファンド、阪神電鉄株の38%取得”. 読売新聞 (読売新聞社). (2005年10月3日) 
  29. ^ a b c d “阪神百、本店専門家へ大ナタ 分野絞り、品ぞろえ徹底”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2005年8月11日) 
  30. ^ “阪神社長「百貨店再編、年度内に結論」”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2006年7月21日) 
  31. ^ “阪急HD社長、阪神百貨店本店建て替えに意欲─改装方針「白紙に」”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2006年8月8日) 
  32. ^ “阪神百貨店:建て替え 2段階で-22年秋、新阪急ビル先行”. 産経新聞 (産経新聞社). (2008年9月23日) 
  33. ^ “阪神百貨店立て替え、新阪急ビルも高層化…ツインタワー連結”. 読売新聞 (読売新聞社). (2011年1月18日) 
  34. ^ “阪神百貨店梅田本店、13年の建て替え延期”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2011年2月19日) 
  35. ^ “阪神百貨店梅田本店建て替えへ 完成まで10年程度”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2013年1月4日) 
  36. ^ 株式会社阪急阪神百貨店 阪神梅田本店の建て替えについて (Report). エイチ・ツー・オー リテイリング. 31 January 2013.
  37. ^ “阪神百貨店建て替え、平成30年に先行開業 新ビル完成は34年に前倒し”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2014年3月26日) 
  38. ^ a b 梅田1丁目1番地計画(大阪神ビルディング及び新阪急ビル建替計画) 2018年4月27日(金)にⅠ期棟が竣工、6月1日(金)には阪神百貨店が部分開業 ~ビル名称を「大阪梅田ツインタワーズ・サウス」に決定 - 阪神電気鉄道・阪急電鉄・阪急阪神不動産 2018年4月9日(2018年4月9日閲覧)
  39. ^ 梅田1丁目1番地計画(大阪神ビルディング及び新阪急ビル建替計画) 2014年10月1日(水)に事業着手します ~2022年春頃の全体竣工を目指します~ - 阪神電気鉄道・阪急電鉄 2014年9月25日
  40. ^ “[https://www.hanshin.co.jp/company/press/detail/2233 梅田1丁目1番地計画 (大阪神ビルディング及び新阪急ビル建替計画) 2018年4月27日(金)にⅠ期棟が竣工、6月1日(金)には阪神百貨店が部分開業 ~ビル名称を「大阪梅田ツインタワーズ・サウス」に決定~]”. 阪神電気鉄道株式会社. 2020年10月26日閲覧。
  41. ^ 『昭和の大阪 昭和20~50年』産経新聞社
  42. ^ 牛島要平 (2023年9月14日). “阪神「アレ」で阪神百貨店など感謝セール 阪急百貨店はセールなし”. 産経新聞. 2023年9月16日閲覧。
  43. ^ 牛島要平、清水更沙 (2023年11月3日). “阪神優勝でも阪急百貨店がセールをやらないのはなぜ 「2つの商売」カギ”. 産経新聞. 2023年11月7日閲覧。
  44. ^ 宇都宮裕一 (2023年9月20日). “オリックス優勝、近鉄百貨店でも祝賀セール 阪神と「競演」”. 毎日新聞. 2023年9月21日閲覧。
  45. ^ オリックスV3の記念セール盛況…近鉄百貨店”. 読売新聞 (2023年9月21日). 2023年9月21日閲覧。
  46. ^ 阪神日本一、セール開催 百貨店やスーパー”. 共同通信 (2023年11月6日). 2023年11月6日閲覧。
  47. ^ 道永竜命 (2023年8月31日). “61年前の百貨店スト 当時の新聞見出し「お客さん、めんくらう」”. 毎日新聞. 2023年8月31日閲覧。
  48. ^ a b c d 柳純. “台湾における小売業の進展と課題”. 福岡女子短大紀要 第67号 (福岡女子短期大学) (2005-12). 
  49. ^ a b c d e f g “くまもと阪神「県民百貨店」に、地域密着で生き残り、店名変更。1階にはオープンデッキ を設けるなど集客力向上を図る。”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2011年2月23日) 
  50. ^ a b あまがさき阪神、食品館を残し撤退-開業から僅か6年”. 都市商業研究所 (2016年1月10日). 2016年7月2日閲覧。
  51. ^ a b c d e エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 平成28年3月期 決算発表 補助資料”. エイチ・ツー・オー リテイリング (2016年5月12日). 2016年7月2日閲覧。
  52. ^ ディアモールフィオレ閉館に伴う 各店営業終了のお知らせ” (PDF). 2023年3月24日閲覧。
  53. ^ 「阪神百貨店 リラクシア」 リニューアルオープンのお知らせ” (PDF). 2023年3月24日閲覧。
  54. ^ a b c d e エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第92期営業報告書 (Report). エイチ・ツー・オー リテイリング. 23 June 2011.
  55. ^ 樋口尚平 (2018年6月20日). “老舗の阪神梅田本店、第I期棟がオープン―食にフォーカス、ファッションフロアもひと工夫”. アパレルウェブ. 2019年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月30日閲覧。
  56. ^ 阪神百貨店梅田本店 建て替え第Ⅰ期棟オープン、「食の阪神」前面に、“日常”に特化”. 食品産業新聞社ニュースWEB (2018年6月4日). 2019年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月30日閲覧。
  57. ^ 橋長初代. “日経ビジネス電子版”. 日経ビジネス電子版. 2020年2月19日閲覧。
  58. ^ ““食品の阪神百貨店”改装、OL向け婦人服も強化”. 産経新聞 (産経新聞社). (2011年3月9日) 
  59. ^ 梅田阪神ナショナルショウルームのご案内インターネットアーカイブのキャッシュ)
  60. ^ ドキハキ日記 2022年7月
  61. ^ 「阪神百貨店」2階フロアの香り、反響を呼び商品化へ - Lmaga.jp、2022年11月30日配信記事
  62. ^ “阪神百貨店にメガ「いか焼き」登場 阪急との合併記念”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2008年9月17日) 
  63. ^ “アリバイはどこで作れば…梅田地下街「ふるさと名産」閉鎖へ”. 産経WEST. (2014年2月25日). オリジナルの2015年6月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150620012618/https://www.sankei.com/west/news/140225/wst1402250012-n1.html 2023年9月8日閲覧。 
  64. ^ 大阪・梅田の「アリバイ横丁」 60年の歴史に幕 - 日本経済新聞
  65. ^ a b c “観光案内的梅田・堂島 阪神百貨店屋上遊園・屋上庭園”. リージョン日経堂島 通巻第14号 (日経大阪中央販売 コーポレート部) (2007-3-20). 
  66. ^ “阪神百貨店、本店屋上に緑の庭園 4月に植物50種以上”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2006年2月18日) 
  67. ^ “阪神百貨店が改装オープン 近接の阪急から売り場移設も”. 四国新聞 (四国新聞社). (2009年8月26日) 
  68. ^ “阪急・阪神百貨店「食い倒れ」初タッグ”. 産経新聞 (産経新聞社). (2011年5月12日) 
  69. ^ “ヨドバシ梅田、22日開業 大阪・キタの商店街や百貨店、集客力に大きな期待”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 30. (2001年11月16日) 
  70. ^ a b “阪神西宮駅に3月、商業施設「エビスタ西宮」”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2003年3月2日) 
  71. ^ a b c エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第89期営業報告書 (Report). エイチ・ツー・オー リテイリング. 25 June 2009.
  72. ^ 麒麟麦酒株式会社五十年史編集委員会『麒麟麦酒株式会社五十年史』麒麟麦酒、1957年4月。 
  73. ^ a b c “尼崎駅前の複合商業施設、10月20日開業 キリンHD”. 産経新聞 (産経新聞社). (2009年8月6日) 
  74. ^ “キリンHD:JR尼崎の「ココエ」、東急不動産に売却”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2011年11月11日) 
  75. ^ 開業時はココエあまがさき
  76. ^ “ココエあす開業 阪神間ひしめくライバル店”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2008年9月17日) 
  77. ^ a b “阪急阪神百貨店、「COCOE」核テナント「あまがさき阪神」オープン 阪急ベーカリー新業態も”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年10月30日) 
  78. ^ a b c d e “H2O、新店にダンス教室、あまがさき阪神、来月開業。”. 日経MJ (日本経済新聞社). (2009年9月21日) 
  79. ^ “JR尼崎駅前に阪神百貨店 「食のの強み」で07年秋開業”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2005年3月29日) 
  80. ^ a b “新店効果で3年ぶり増収 阪急、阪神百貨店の親会社”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2012年5月11日) 
  81. ^ あべのキューズモール・あまがさきキューズモール 開業後初の大規模リニューアル!! 全体の約4割にあたる合計約160店舗対象”. 東急不動産、東急不動産SCマネジメント (2015年11月4日). 2016年6月23日閲覧。
  82. ^ a b “御影グラッセ内「阪神・御影」の食品売場 地元色強く打ち出す がんこ新業態・洋惣菜店も”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年3月28日) 
  83. ^ a b “クローズアップ熊本2007 熊本のトップ群像 くまもと阪神 県民百貨店 丸本文紀(まるもとふみのり)”. くまもと経済 2007年2月号 (地域経済センター) (2007-2-28). 
  84. ^ a b c “「県民百貨店」に店名変更へ くまもと阪神”. 熊本日日新聞 (熊本日日新聞社). (2010年12月) 
  85. ^ 熊本の県民百貨店、15年2月に閉店へ 市の再開発で立ち退き - 日本経済新聞電子版 2014年8月13日
  86. ^ 県民百貨店閉店のお知らせ (PDF, 県民百貨店2014年8月12日)
  87. ^ “阪神百貨店が三宮に食料品店 JR駅南側に来秋開業”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2005年5月24日) 
  88. ^ a b “阪神食品館が一時休業 ミント神戸”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2010年3月17日) 
  89. ^ a b “阪急阪神百貨店、神戸三宮の小型店「さんのみや阪神食品館」を閉店”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2010年12月28日) 
  90. ^ “塗り変わる近畿商圏地図 史上空前といわれる不況が続くが、関西小売り業界の勢力も大きく変化”. 実業界 1975年2月15日号 (実業界) (1975年2月15日).pp60-65
  91. ^ a b 大石良部 “都市の開発と再開発-2-国鉄吹田駅前再開発とその特色”. 都市問題研究 1977年2月号 (都市問題研究会) (1977年2月20日).pp108
  92. ^ 里宗一郎 “都市再開発事例紹介 国鉄吹田駅前”. ひろば 1983年5月号 (近畿建築士会協議会) (1983年5月).pp66-67
  93. ^ 阪神電気鉄道 第185期有価証券報告書 (Report). 阪神電気鉄道. 30 June 2006.
  94. ^ 阪神電気鉄道 第190期有価証券報告書 (Report). 阪神電気鉄道. 30 June 2011.

外部リンク

[編集]