安藤忠雄

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安藤 忠雄
あんどう ただお
Tadao Ando 2004.jpg
2004年撮影
人物情報
国籍 日本の旗 日本
生誕 1941年9月13日(73歳)
日本の旗 日本 大阪府大阪市港区
母校 大阪府立城東工業高等学校
所属組織 安藤忠雄建築研究所
業績
建築物 住吉の長屋
光の教会
地中美術館
受賞 日本建築学会賞(1979年)
毎日芸術賞(1987年)
日本芸術大賞(1994年)
プリツカー賞(1995年)
高松宮殿下記念世界文化賞(1996年)
王立英国建築家協会RIBAゴールドメダル(1997年)
アメリカ建築家協会AIAゴールドメダル(2002年)
文化功労者(2003年)
国際建築家連合UIAゴールドメダル(2005年)
文化勲章(2010年)
ジョン・F・ケネディセンター芸術金賞(2010年)
第四回後藤新平賞(2010年)

安藤 忠雄(あんどう ただお、1941年昭和16年9月13日 - )は、建築家 大阪府大阪市港区生まれ、同市旭区出身。一級建築士(登録番号第79912号)。大阪府立城東工業高校卒業。東京大学名誉教授21世紀臨調特別顧問、東日本大震災復興構想会議議長代理、大阪府・大阪市特別顧問新国立競技場 審査委員長。

略歴[編集]

双子の兄で、さらに弟がいる三人兄弟である。双子の弟は東京で北山創造研究所(都市コンサルタント業/商品デザイン業)を主宰している北山孝雄。下の弟は建築家の北山孝二郎ピーター・アイゼンマンとのコラボレーションで名を馳せた)。一人娘だった母親の実家を継ぐために、生前からの約束にしたがって大阪市旭区の祖父母安藤彦一・キクエの養子となる。大阪の下町にある間口2間、奥行き8間の長屋で育つ。

大阪府立城東工業高等学校卒業後に、前衛的な美術を志向する具体美術協会に興味を持ち、関わったこともあるが、大学での専門的な建築教育は受けておらず、関西の建築家・都市計画家の水谷頴介などの建築設計事務所でのアルバイト経験と独学で建築士試験に合格したという。

木工家具の製作で得た資金を手に、24歳の時から4年間アメリカヨーロッパアフリカアジアへ放浪の旅に出る。ヨーロッパからの帰路、マルセイユで数週間待たされた後、帰国の船に乗り、象牙海岸ケープタウンマダガスカルに立ち寄り、インドムンバイ(当時のボンベイ)で下船する。安藤は”何かに導かれるように”汽車に乗り、ベナレスに向かった。ガンジス川が泳ぎ、死者荼毘に付される傍らで多くの人々が沐浴するさまや、強烈な太陽の下、異様な臭気に包まれた果てしなく続く大地が渾然一体となり人間の生がむき出しにされた混沌世界に強烈な印象を受け、逃げ出したい気持ちを必死にこらえながらガンジス川の岸辺に座り込み、「生きることはどういうことか」を自問し続けた。「人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。闘いであるからには、いつか必ず敗れるときが来る。その時は、自然に淘汰されるに任せよう」と考え、ゲリラとしての生き方を決心する。1965年、24歳のときである。この放浪中に安藤が撮影した写真は、ルイス・I・カーンの作品集などで使われている。また、過去にはプロボクサーでもあった。ファイティング原田の練習風景を見て、その才能に圧倒され、ボクサーとしてやっていくのを諦めた(男子ボクサー一覧)。

1977年のローズガーデン(神戸市生田区)等初期の作品のいくつかは、弟の孝雄の所属していた、セツ・モードセミナー出身の浜野安宏が代表を務める浜野商品研究所(1992年、浜野総合研究所と改名)と共に実現した。

1970年代には個人住宅などの小規模建築、1980年代には商業施設、寺院・教会などの中小規模の建築の設計が多かった。1990年代以降は、公共建築、美術館建築、また全国や海外の仕事も増えている。

年表[編集]

社会活動[編集]

  • 大阪市毛馬桜之宮公園から中之島公園を結ぶルートに桜を植樹する運動を提唱し、「桜の会・平成の通り抜け」実行委員長。三千本を植樹し、"造幣局の通り抜け"とともに「平成の通り抜け」として大阪の桜の名所をつくろうとするもの。
  • 石原都知事が推進する2016年東京オリンピック招致委員会の理事に任命され、東京オリンピックデザイナー総監督をも務めることとなった。
  • 東京都のプロジェクト「緑の東京募金実行委員会」の委員長に任命され、東京湾の埋め立て地に植樹するという「海の森」プロジェクトを呼びかけ人の一人として推進している。
  • 東日本大震災で親を亡くした子どもたちの学びを支援する為、文化人ら7名と共に遺児育英資金「桃・柿育英会」を発足し、実行委員長を務める。少なくとも10年間は子どもたちの成長を見守り、良好な教育環境の中で学んでいく意欲を支え続けることを主旨として、一口一万円を10年間寄付する支援者を募り、被災地の遺児・孤児へと支給していく。

人物・エピソード[編集]

  • 野武士世代と伝えられている(建築家槇文彦が命名。)。
  • 阪神タイガースファンである。
  • 安藤に保護され、事務所で飼っていた迷子の子犬を、ル・コルビュジエに肖り、コルと名付けた。
  • 東大教授時代の助手は建築家千葉学である。
  • 水都大阪2009総合アドバイザー
  • 過保護に育てられているとして「1980年以降に生まれた人たちはダメだ」と大学の講演などで発言し、気概があるのは高齢者ばかりで今の若者はダメ、高齢者が亡くなったあと日本は相当困ると指摘している[1]
  • 事務所は自分のデザインした建築であるが、本人は一般のマンションに住んでいる[2]
  • 梅田スカイビルを建築した積水ハウス2013年6月17日に、安藤の発案で、同ビル内に高さ9メートル、長さ78メートルに亘って約50種の草木を植樹する内容の「緑の壁」計画を発表した[3]。ビル緑化の取り組みの一つとされていたが、同日にビルの庭園の設計を担当した造園家吉村元男が、当該計画は庭園のデザインの統一性を損ね、かつ著作権侵害しているとして、同月19日に同社に対し、工事中止を求める仮処分大阪地裁に申請した[4]
  • 2014年7月にすい臓がんが発見され、膵臓脾臓を全て摘出する手術を受けたことを明らかにしている[5]

作品[編集]

竣工年 名称 所在地 備考
1969年 JR大阪駅前プロジェクト 大阪市 日本 計画案
1971年 スワン商会ビル 小林邸 大阪市 日本 計画案
1972年 ゲリラ 加藤邸 大阪市 日本 計画案
1973年 富島邸 大阪市北区 日本 現存せず
立見邸 大阪市 日本 現存せず
1974年 平岡邸 兵庫県宝塚市 日本
芝田邸 兵庫県芦屋市 日本
内田邸 日本
宇野邸 京都市 日本
1975年 双生観 兵庫県宝塚市 日本
高橋邸 兵庫県芦屋市 日本
松村邸 神戸市 日本
Twin Wall 日本 計画案
四軒長屋 大阪市 日本 計画案
1976年 住吉の長屋 大阪市住吉区 日本
貫入 平林邸 大阪府吹田市 日本
番匠邸 愛知県みよし市 日本
帝塚山タワープラザ 大阪市住吉区 日本
1977年 領壁の家 兵庫県芦屋市 日本
ローズガーデン 神戸市中央区 日本
帝塚山の家 真鍋邸 大阪市住吉区 日本
北野アレイ 神戸市中央区 日本
1978年 甲東アレイ 兵庫県西宮市 日本
大楠邸 東京都世田谷区 日本
ガラスブロックの家 石原邸 大阪市生野区 日本
Sunny Garden 兵庫県西宮市 日本
1979年 ガラスブロックの家 堀内邸 大阪市住吉区 日本
片山ハウス 兵庫県西宮市 日本 現存せず
大西邸 大阪市住吉区 日本
松谷邸 京都市 日本
上田邸 岡山県総社市 日本
1980年 松本邸 和歌山県和歌山市 日本
STEP 香川県高松市 日本 現存せず
福邸 和歌山県和歌山市 日本
1981年 番匠邸増築 愛知県みよし市 日本
小篠邸 兵庫県芦屋市 日本
大淀のアトリエⅠ 大阪市北区 日本
リンズギャラリー 神戸市中央区 日本
児島の共同住宅 岡山県倉敷市 日本
1982年 サンプレイス(香川相互銀行南新町支店) 香川県高松市 日本
大淀のアトリエ(2期) 大阪市北区 日本
石井邸 静岡県浜松市 日本
双生観の茶室 兵庫県宝塚市 日本
赤羽邸 東京都世田谷区 日本
九条の町屋 大阪市西区 日本
1983年 梅宮邸 兵庫県神戸市 日本
ビギ・アトリエ 東京都渋谷区 日本
六甲の集合住宅Ⅰ 神戸市灘区 日本
金子邸 東京都渋谷区 日本
茂木邸 兵庫県神戸市 日本
1984年 小篠邸増築 兵庫県芦屋市 日本
植条邸 大阪府吹田市 日本
若佐邸 兵庫県芦屋市 日本
畑邸 兵庫県西宮市 日本
南林邸 奈良県生駒市 日本
Festival 沖縄県那覇市 日本
TIME'S 京都市中京区 日本
心斎橋TO 大阪市中央区 日本
太田邸 岡山県高梁市 日本
メルローズ 東京都目黒区 日本
1985年 青葉台のアトリエ 東京都目黒区 日本 現存せず
青山TO 東京都渋谷区 日本
アトリエ・ヨシエ・イナバ 東京都渋谷区 日本 現存せず
モン・プティ・シュ 京都市 日本
中山邸 奈良県奈良市 日本
ジュン・ポートアイランドビル 神戸市中央区 日本
大淀の茶室(ベニヤの茶室) 大阪市北区 日本 現存せず
服部邸ゲストルーム 大阪市 日本
田中山荘 山梨県南都留郡 日本
吉本邸 大阪市 日本
1986年 風の教会(六甲の教会) 神戸市灘区 日本
孫邸 大阪市天王寺区 日本
大淀のアトリエ(3期) 大阪市北区 日本
細工谷の家 大阪市天王寺区 日本
佐々木邸 東京都港区 日本 現存せず
TSビル 大阪市北区 日本
太陽セメント本社ビル 大阪市福島区 日本
沖辺邸 大阪市 日本
城戸崎邸 東京都世田谷区 日本
BIGI 3rd 大阪市中央区 日本
TKビル 東京都港区 日本
大淀の茶室(ブロックの茶室) 大阪市北区 日本 現存せず
ゲストハウスOLD/NEW六甲 神戸市灘区 日本
福原病院 東京都世田谷区 日本
Riran's Gate 神戸市中央区 日本
北野TO 神戸市中央区 日本
OXY北野 神戸市中央区 日本
1987年 天王寺博覧会テーマ館 大阪市天王寺区 日本
上田邸増築 岡山県総社市 日本
神宮前のアトリエ 東京都渋谷区 日本
OXY鰻谷 大阪市中央区 日本 現存せず
J ROOM 名古屋市中区 日本
1988年 小倉邸 名古屋市 日本
吉田邸 大阪府富田林市 日本
唐座 東京都台東区 日本 現存せず
B-Lock 神楽岡 京都市左京区 日本
ガレリア・アッカ 大阪市中央区 日本
大淀の茶室(テントの茶室) 大阪市北区 日本 現存せず
水の教会 北海道占冠村 日本
1989年 城尾邸 東京都渋谷区 日本
光の教会 大阪府茨木市 日本
モロゾフ P&P スタジオ 神戸市中央区 日本
兵庫県立こどもの館 兵庫県姫路市 日本
コレッツィオーネ 東京都港区 日本
近江高等学校夏川記念会館 滋賀県彦根市 日本
ライカ本社ビル 大阪市住之江区 日本 現存せず
矢尾クリニック 大阪府寝屋川市 日本
1990年 B-Lock北山 京都市北区 日本
国際花と緑の博覧会「名画の庭」 大阪市 日本
十文字美信仮設劇場 東京都新宿区 日本
松谷邸増築 京都市 日本
岩佐邸増築 兵庫県芦屋市 日本
伊東邸 東京都世田谷区 日本
シーズビル 大阪市北区 日本
1991年 姫路文学館 兵庫県姫路市 日本
大淀のアトリエⅡ 大阪市北区 日本
ロック・フィールド静岡ファクトリー 静岡県磐田市 日本
石河邸 大阪府高槻市 日本
播磨ヘリポート 兵庫県上郡町 日本
佐用ハウジング 兵庫県佐用町 日本
本福寺水御堂 兵庫県淡路市 日本
ミノルタセミナーハウス 神戸市西区 日本
TIME'S Ⅱ 京都市中京区 日本
1992年 セビリア万国博覧会 日本政府館 セビリア スペイン 現存せず
大手前女子大学アートセンター 兵庫県西宮市 日本
熊本県立装飾古墳館 熊本県山鹿市 日本
ベネッセハウス ミュージアム 香川県直島町 日本
姫路市立星の子館 兵庫県姫路市 日本
宮下邸 神戸市 日本
シカゴ美術館 屏風ギャラリー シカゴ アメリカ
1993年 ギャラリー野田 神戸市灘区 日本
YKKセミナーハウス 千葉県習志野市 日本
兵庫県立看護大学 兵庫県明石市 日本
六甲の集合住宅Ⅱ 神戸市灘区 日本
垂水の教会 西須磨福音ルーテル教会 神戸市垂水区 日本
ヴィトラセミナーハウス ヴァイルアムライン ドイツ
李邸 千葉県船橋市 日本
1994年 大阪府立近つ飛鳥博物館 大阪府河南町 日本
京都府立陶板名画の庭 京都市左京区 日本
兵庫県立木の殿堂 兵庫県香美町 日本
サントリーミュージアム 天保山 大阪市港区 日本
紀陽銀行堺支店 大阪府堺市 日本
マックスレイ本社ビル 大阪市城東区 日本
日本橋の家 大阪市中央区 日本
鹿児島大学稲盛会館 鹿児島県鹿児島市 日本
成羽町美術館 岡山県高梁市 日本
1995年 大淀のアトリエ・アネックス 大阪市北区 日本
播磨高原東小学校 兵庫県たつの市 日本
綾部工業団地・交流プラザ 京都府綾部市 日本
市立五條文化博物館 奈良県五條市 日本
ベネッセハウス オーバル 香川県直島町 日本
長良川国際会議場 岐阜県岐阜市 日本
アサヒビール大山崎山荘美術館 京都府大山崎町 日本
かほく市立金津小学校 石川県かほく市 日本
ユネスコ本部 瞑想の空間 パリ フランス
1996年 白井邸 京都府八幡市 日本
大阪港国際フェリーターミナル 大阪市住之江区 日本
姫路文学館南館 兵庫県姫路市 日本
ギャラリー小さい芽 兵庫県西宮市 日本
平野区の町屋 大阪市平野区 日本
1997年 青木の集合住宅 神戸市灘区 日本
播磨高原東中学校 兵庫県たつの市 日本
モンテンルパ社会復帰センター モンテンルパ フィリピン
小海町高原美術館 長野県小海町 日本
八木邸 兵庫県西宮市 日本
越知町立横倉山自然の森博物館 高知県越知町 日本
TOTOセミナーハウス 兵庫県淡路市 日本
シカゴの住宅 シカゴ アメリカ
1998年 渡辺淳一記念館 札幌市中央区 日本
ダイコク電機本部ビル 愛知県春日井市 日本
赤い帽子 織田廣喜ミュージアム 滋賀県日野町 日本
朝日新聞岡山支局 岡山市北区 日本
エリエールスクエア松山 エリエール美術館 愛媛県松山市 日本
ネパール子ども病院 ブトワール ネパール
1999年 六甲の集合住宅Ⅲ 神戸市灘区 日本
南寺(直島・家プロジェクト 香川県直島町 日本
西宮市貝類館 兵庫県西宮市 日本
2000年 FABRICA(ベネトン・アートスクール) トレヴィゾ イタリア
南岳山光明寺 愛媛県西条市 日本
ミュゼふくおかカメラ館 富山県高岡市 日本
新潟市立豊栄図書館 新潟市北区 日本
淡路夢舞台 兵庫県淡路市 日本
2001年 大阪府立狭山池博物館 大阪府大阪狭山市 日本
ピューリッツァー美術館 セントルイス アメリカ
アルマーニ・テアトロ ミラノ イタリア
神戸市水際広場 - なぎさ公園 神戸市中央区 日本
兵庫県立美術館 芸術の館 神戸市中央区 日本
司馬遼太郎記念館 大阪府東大阪市 日本
国際芸術センター青森 青森県青森市 日本
宝塚温泉 兵庫県宝塚市 日本
フォレストプラザ表参道 東京都渋谷区 日本
四国村ギャラリー 香川県高松市 日本
2002年 国際子ども図書館 東京都台東区 日本
アウディ・ジャパン本社 東京都世田谷区 日本
石川県西田幾多郎記念哲学館 石川県かほく市 日本
COCUEオフィスビル 東京都渋谷区 日本
灘浜ガーデンバーデン 神戸市灘区 日本
アサヒビール神奈川工場ゲストハウス 神奈川県南足柄市 日本
マンチェスター市ピカデリー公園 マンチェスター イギリス
尾道市立美術館 広島県尾道市 日本
フォートワース現代美術館 フォートワース アメリカ
加賀市立錦城中学校 石川県加賀市 日本
2003年 野間自由幼稚園 静岡県伊東市 日本
4m×4mの家 神戸市垂水区 日本
CUE NISHIAZABU(西麻布の集合住宅) 東京都港区 日本
ロック・フィールド玉川ファクトリー 川崎市高津区 日本
一戸南小学校 岩手県一戸町 日本
2004年 ホンブロイッヒ・ランゲン美術館 ノイス ドイツ
加子母村ふれあいコミュニティセンター 岐阜県中津川市 日本
見えない家 トレヴィゾ イタリア
シティハウス仙川 東京都調布市 日本
地中美術館 香川県直島町 日本
ロック・フィールド 神戸ヘッドオフィス
/神戸ファクトリー
神戸市 日本
県立ぐんま昆虫の森 群馬県桐生市 日本
東京アートミュージアム 東京都調布市 日本
仙川アベニュー アネックスⅡ 東京都調布市 日本
絵本美術館 まどのそとのそのまたむこう 福島県いわき市 日本
2005年 hhstyle.com/casa 東京都渋谷区 日本
4m×4mの家Ⅱ 神戸市垂水区 日本 現存せず
高槻の住宅 大阪府高槻市 日本
2006年 表参道ヒルズ 東京都渋谷区 日本
パラッツォ・グラッシ再生計画 ヴェネチア イタリア
さくら広場(幕張) 千葉市美浜区 日本
さくら広場(門真) 大阪府門真市 日本
滋賀の住宅 滋賀県大津市 日本
ベネッセハウス ビーチ/パーク 香川県直島町 日本
米子東病院 鳥取県米子市 日本
坂の上の雲ミュージアム 愛媛県松山市 日本
新桜宮橋 大阪市 日本
MORIMOTO ニューヨーク アメリカ
2007年 21_21 DESIGN SIGHT 東京都港区 日本
仙川デルタスタジオ 東京都調布市 日本
調布市 音楽・芝居小屋 東京都調布市 日本
曹洞宗太岳院 神奈川県秦野市 日本
深井邸 大阪市 日本
堺の住宅 大阪府堺市 日本
2008年 東京大学大学院情報学環 福武ホール 東京都文京区 日本
JR竜王駅 山梨県甲斐市 日本
さくら広場(豊中) 大阪府豊中市 日本
東京地下鉄副都心線東京急行電鉄東横線渋谷駅 東京都渋谷区 日本
済州島 石の門 風の門 済州島 韓国
クラーク美術館 ストーン・ヒル・センター マサチューセッツ州 アメリカ
京阪電鉄中之島線 なにわ橋駅 大阪市北区 日本
聖心女子学院創立100周年記念ホール 東京都渋谷区 日本
砂漠の家 乗馬施設 ニューメキシコ州 アメリカ
2009年 横浜地方気象台 横浜市中区 日本
俄ビル 京都市中京区 日本
プンタ・デラ・ドガーナ再生計画 ヴェネチア イタリア
環太平洋大学アスリート・ホール TOP GUN 岡山市東区 日本
スリランカの住宅 ミリッサ スリランカ
2010年 チャスカ茶屋町 大阪市北区 日本
李禹煥美術館 香川県直島町 日本
靱公園の住宅 大阪市西区 日本
ストーン・スカルプチュア・ミュージアム バート・クロイツナハ ドイツ
ノバルティス研究施設棟 バーゼル スイス
名古屋の住宅 名古屋市 日本
石原邸 滋賀県大津市 日本
光の教会 牧師館 大阪府茨木市 日本
2011年 東急大井町線上野毛駅 東京都世田谷区 日本
光の美術館 CLAVE GALERIE 山梨県北杜市 日本
シャトー・ラ・コスト アート・センター エクサンプロヴァンス フランス
モンテレイの住宅 モンテレイ メキシコ
カルロス・プレイス "サイレンス" ロンドン イギリス
2012年 仙川の集合住宅Ⅱ 東京都調布市 日本
上方落語協会会館 大阪市北区 日本
秋田県立美術館 平野政吉コレクション 秋田県秋田市 日本
老木レディースクリニック 大阪府和泉市 日本
モンテレイ大学RGSセンター モンテレイ メキシコ
ミュージアム・サン 原州市 韓国
bONTE MUSEUM 済州島 韓国
震旦美術館 上海市 中国
2013年 環太平洋大学 PHILOSOPHIA 岡山県東区 日本
ANDO MUSEUM 香川県直島町 日本
おかやま信用金庫 内山下スクエア 岡山県北区 日本
上海保利大劇場 上海市 中国
2014年 21世紀キリスト教会広尾チャペル 東京都渋谷区 日本
進行中
主な作品画像
住吉の長屋
六甲の集合住宅 I・II(1984年・1992年)
六甲の集合住宅 I・II(1984年・1992年)
タイムズ I ・II(1984年・1994年)
タイムズ I ・II(1984年・1994年)
六甲の教会(1987年)
六甲の教会(1987年)
兵庫県立こどもの館(1990年)
兵庫県立こどもの館(1990年)
姫路文学館(1992年)
姫路文学館(1992年)
本福寺水御堂(1992年)
本福寺水御堂(1992年)
セビリア万博日本館(1992年)
セビリア万博日本館(1992年)
ベネッセハウス ミュージアム(1992年)
ベネッセハウス ミュージアム(1992年)
ギャラリー野田(1993年)
ギャラリー野田(1993年)
大阪府立近つ飛鳥博物館(1995年)
大阪府立近つ飛鳥博物館(1995年)
サントリーミュージアム(1995年)
サントリーミュージアム(1995年)
淡路夢舞台 百段苑(2001年)
淡路夢舞台 百段苑(2001年)
淡路夢舞台(2001年)
淡路夢舞台(2001年)
兵庫県立美術館(2001年)
兵庫県立美術館(2001年)
フォートワース現代美術館(2001年)
フォートワース現代美術館(2001年)
国際子ども図書館増築(2003年)
国際子ども図書館増築(2003年)
東京アートミュージアム、調布市せんがわ劇場(2005年)
hhstyle.com/casa(2005年)
hhstyle.com/casa(2005年)
表参道ヒルズ(2006年)
表参道ヒルズ(2006年)
21_21 DESIGN SIGHT(2007年)
21_21 DESIGN SIGHT(2007年)
竜王駅(2008年)
竜王駅(2008年)
副都心線渋谷駅(2008年)
副都心線渋谷駅(2008年)
李禹煥美術館(2010年)
李禹煥美術館(2010年)
秋田県立美術館 平野政吉コレクション(2012年)
秋田県立美術館 平野政吉コレクション(2012年)

新国立競技場関連[編集]

前段階・2016年五輪[編集]

2009年10月の第121次IOC総会ブラジルリオに敗れ、幻に終わった2016年オリンピック構想の「東京オリンピックスタジアム」(想定は都立[6]・国の施設[7]それぞれの説がある)。当時の都知事石原慎太郎は、招致委員会の理事でもあった[8]安藤にメインスタジアムを含めた建設計画を依頼した[9]

そして安藤(ゼネラルマネジャーとなった[10])がスタジアム建設地に晴海を選び[9]日建設計日本設計山下設計の協力の下[11]、その全体計画をまとめた[12]。2007年11月時点で安藤は、メインスタジアムの(実際の)設計はコンクール(国際コンペ)を開くべきだと思うとも提案していた[13]。2009年には、「オリンピックは、心のレガシー(遺産)だ」ということも訴えた[11]

2020年五輪(コンペ審査)[編集]

変わって2012年ラグビーワールドカップ2019の日本開催が2009年7月に決定していたことや、翌2013年に決まる2020年夏期五輪東京の再立候補を見据え、日本スポーツ振興センター(JSC)らが国立霞ヶ丘陸上競技場新国立競技場に建替えることを決定。

安藤は前述2016年五輪招致の経験や実績などが考慮されて[14]国立競技場将来構想有識者会議」メンバーに選出されると共に、「新国立競技場国際デザイン・コンクール」の審査委員長も務めることとなった。応募期間(7月20日 - 9月25日)が短かったため海外の著名建築家らに、安藤自身が直接メールを送ってコンクールを知らせるなど尽力した[15]。募集要項を詰めていた時点の2012年4月10日、「有識者会議」傘下「施設建築ワーキンググループ」第1回の場では、収容人員8万人確保のための70m容認案に対し、「相当な大きさです。(略)景観上の課題がある」と、安藤は難色を示していたという情報もある[15]

同年11月7日の最終審査(安藤を含め8人が参加)では、3つの案が拮抗していた[16]。安藤は当初「34番[17]」と、中心があり選手・観客が集中できると考えた「17番のザハ案」(ただし構造フレームが落とす影には懸念)[18][19]との2つで悩み、それを打ち明けた[20]。その後の議論で「34番」の屋根の技術的不安を安藤自身が指摘し、コンサートに用いたい委員からは音漏れを心配する意見も出た[21]

3つを対象に決選投票を実施したが、またも拮抗。休憩後の議論で安藤は理由を示さずに(当初自身が1位としていた34番を除外し)、「17番」と「2番」の2択に持っていった[22]。そして、誰かから「議論で決まらないなら委員長の判断で決定でしょうか」「委員長を2票としていいのでは」など、委ねるような発言があり、安藤は「日本の技術力のチャレンジ」という精神から17番がいいと思いますと表明。他の審査委員から賛成の声が上がったこともあり、河野理事長が締めた[23]。審査委員長メッセージとして、新国立競技場のあり方を「つくるべきは地球人の未来へと向かう灯台、希望の象徴となれる場所」[24][25]と表現していた。なお、その後の「有識者会議」で安藤から、デザイン決定がどのように伝えられたかは不明(民主党政権下の有識者会議資料は未公開となっているため)。

2020年五輪(2015年7月の会見)[編集]

2013年9月の第125次IOC総会にて、2020年五輪の開催地に東京が選ばれた。

巨額な新国立建設費に関する問題が世間を賑わせてからマスコミの取材が押し寄せたが、安藤はそれを拒否し続けた。最終的に2520億円の予算が承認された2015年7月7日開催の「有識者会議」にも欠席した(後述の会見で「大阪で講演会があったので欠席した」ことを明かした[26][27]

知り合い[28]であるキャスターの辛坊治郎には「何でこんなに増えてるのか、分からへんねん!」と語っていたという[29]。また、別の友人によると安藤は、文科省と日本スポーツ振興センター(JSC)に対して何度も責任をもって当初案を進めるように水面下で主張してきたという[25][28]

下村博文文科相は2015年7月10日に、新国立のデザイン選定理由など「何らかの形で発言してほしい」と述べた[30]。それとの因果は不明だが、7月15日にJSCが発表したとおり[31]、翌16日に都内で記者会見(安藤本人からJSCへの要望で実施)に出席し、記者からの質問に回答した[32]。会見で安藤は「徹底的なコストの議論にはなっていないと思いますよ」とコンペを振り返ったが[33]、一部の委員はコスト面も踏まえて真摯に審査していた[34]

交友関係者[編集]


交流企業・団体・政党[編集]

受賞・顕彰[編集]

文献[編集]

著書[編集]

  • 『建築を語る』 東京大学出版会、1999年、ISBN 4130638009
  • 『連戦連敗』 東京大学出版会、2001年、ISBN 4130638041
  • 『建築に夢をみた』 日本放送出版協会(NHKライブラリー149)、2002年、ISBN 4140841494
  • 『ル・コルビュジエの勇気ある住宅』 新潮社、2004年、ISBN 4106021196
  • 『安藤忠雄 建築手法』 二川幸夫企画・編集・インタヴュー
    エーディーエー・エディタ・トーキョー、2005年、ISBN 4871406636
  • 『悪戦苦闘 2006年の現場 - 21_21 DESIGN SIGHT』安藤忠雄建築展実行委員会、2007年、ISBN 9784990354503
  • 『建築家 安藤忠雄』 新潮社、2008年、ISBN 4103090510、自伝
  • 『安藤忠雄 住宅』 二川幸夫企画・編集・インタヴュー
    エーディーエー・エディタ・トーキョー、2011年、ISBN 9784871406727
  • 『安藤忠雄 都市と建築』 二川幸夫企画・編集・インタヴュー
    エーディーエー・エディタ・トーキョー、2011年、ISBN 9784871406758
  • 『安藤忠雄 仕事をつくる―私の履歴書』 日本経済新聞出版社、2012年、ISBN 4532168163

その他[編集]

  • 日本経済新聞の『私の履歴書』に自伝が掲載。2011年3月1日-3月31日。

作品集、その他[編集]

テレビ出演[編集]

など多数。

安藤忠雄建築研究所出身の建築家[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ 安藤忠雄 若者はダメと指摘し、高齢者死んだ後の日本を心配 - NEWSポストセブン
  2. ^ テレビ『コージ魂』安藤による発言
  3. ^ 梅田スカイビルに緑の壁…安藤忠雄さん発案 読売新聞 2013年6月18日
  4. ^ 安藤忠雄さん発案「希望の壁」巡り、著作権論争 読売新聞 2013年6月17日
  5. ^ 安藤忠雄と日本再建築 大手術から最前線復帰 BSフジプライムニュース 2014年12月12日放送テキスト
  6. ^ 【連載】2016年夏季五輪メインスタジアム建設は晴海に 東京オリンピック招致委員会 - 住宅新報web 社説「住宅新報社の提言」、2007年5月30日
  7. ^ 2 施設整備費(概算)等の公表 - 2016年オリンピック・パラリンピック競技大会 招致活動報告書 第一部
  8. ^ 【招致】1,600人が結集!「オリンピックを日本に,2016年!」招致決起集会を開催 - JOC、2007年11月22日
  9. ^ a b 【新国立競技場】石原慎太郎氏が言いたい放題「IOCの白人は傲慢」「安藤忠雄さんに責任ない」「遠藤五輪相は小者すぎ…」 - 産経ニュース、2015年7月13日
  10. ^ 2016年五輪招致の国内立候補都市、東京都に決定 - K STYLE WEBSITE::BLOG
  11. ^ a b 世界が驚く東京オリンピック 安藤忠雄(建築家・東京大学名誉教授) 日本人に未来への希望をもたせたい - PHPオンライン 衆知 2009年6月15日公開
  12. ^ 五輪誘致なるか 国立競技場「建て替え案」公募の目算 開閉式の屋根を装備、2019年3月の完成目指す - 日本経済新聞、2012年7月27日
  13. ^ 東京五輪招致へ都が決起集会 安藤忠雄氏、メーン競技場に国際コンペ提案 20071120 建設工業
  14. ^ 国立競技場改築検討有識者会議が発足/施設計画検討チーム座長に安藤忠雄氏 20120308建設工業
  15. ^ a b 東京新聞新国立競技場を考える 「施設建築ワーキンググループ」議事録検証 東京新聞 2014年10月5日
  16. ^ 新国立競技場、「ザハ」なぜ選ばれた 審査激論の中身 日本経済新聞 日経アーキテクチュア ケンプラッツ2014年6月4日付の記事を基に再構成
  17. ^ 1頁 資料3
  18. ^ 『SANAA 建築の冒険』 NHK 2013年1月19日 放送
  19. ^ 2頁 資料3
  20. ^ 7頁 新国立競技場基本構想国際デザイン競技(第3回)審査委員会 議事録
  21. ^ 9頁 新国立競技場基本構想国際デザイン競技(第3回)審査委員会 議事録
  22. ^ 「新国立」選考の経緯判明 3作同点から委員長一任 東京新聞、2014年7月9日
  23. ^ 21頁 新国立競技場基本構想国際デザイン競技(第3回)審査委員会 議事録
  24. ^ 112頁 審査委員長メッセージ 地球人の未来へ向かう灯台 VII 募集要項・質疑応答等
  25. ^ a b 建設費どこ吹く風…新国立「当初案」進めさせた巨匠・安藤忠雄 Infoseekニュース(日刊ゲンダイ)2015年7月10日
  26. ^ 安藤忠雄氏「我々、選んだ責任はある」/会見(上) - 日刊スポーツ
  27. ^ 新国立競技場、なぜ2520億円に? 責任者の安藤忠雄氏は会議欠席 ハフィントンポスト 2015年7月7日
  28. ^ a b c 2015年06月29日(月) 難波和彦+界工作舎
  29. ^ 安藤忠雄氏「何でこんなに(費用が)増えてるのか、分からへんねん」…新国立問題で初コメント スポーツ報知 2015年7月11日
  30. ^ 【新国立競技場問題】下村文科相、欠席の安藤忠雄氏に注文「何らかの形で発言して」 - 産経ニュース、2015年7月10日
  31. ^ 新国立競技場デザイン決めた安藤忠雄氏、会見へ 読売新聞(YOMIURI ONLINE)2015年7月15日
  32. ^ <新国立競技場>安藤忠雄氏「プロセス承知していない」「説明が求められる」(全文) 弁護士ドットコムニュース 2015年7月16日
  33. ^ 【新国立・安藤忠雄氏会見】(2)「ゼネコンの人たちも、もうからなくても『日本の国のために頑張る』と言ってほしい」「徹底的なコストの議論にはなっていない」 - 産経ニュース、2015年7月16日
  34. ^ 11頁 新国立競技場基本構想国際デザイン競技(第3回)審査委員会 議事録

外部リンク[編集]