イズミヤ
![]() | |
![]() | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
![]() 〒532-0022 大阪府大阪市淀川区野中南2丁目8番10号[1] |
本店所在地 |
〒557-0015 大阪府大阪市西成区花園南1丁目4番4号 |
設立 |
2016年7月1日 (創業は1921年5月) |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 1120001199488 |
事業内容 | 衣料品、食料品、電器、家具、レジャー用品、日用雑貨等の総合小売業のチェーンストア |
代表者 | 梅本友之(代表取締役社長) |
資本金 | 1億円(2021年3月末現在) |
売上高 | 1,446億円(2021年3月期) |
純資産 | 2億円(2021年3月末現在) |
総資産 | 381億円(2021年3月末現在) |
従業員数 | 953名(2021年3月末現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
関西フードマーケット 100% (2022年2月1日現在) |
関係する人物 | 和田源三郎 |
外部リンク | https://www.izumiya.co.jp/ |
特記事項:※イズミヤ株式会社(初代)は1970年9月に当時休眠会社であった「株式会社いづみや商店」が旧事業会社(旧いづみや株式会社。1952年4月15日設立)を吸収合併(いわゆる株式額面変更目的の合併)。 2016年7月1日、イズミヤ株式会社(初代)は株式会社エイチ・ツー・オーアセットマネジメントに商号を変更し、会社分割によりイズミヤ株式会社(2代)を設立。 |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
![]() 〒557-0015 大阪府大阪市西成区花園南1丁目4番4号 |
設立 | 2019年10月4日 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 7120001224348 |
事業内容 | 商業施設の管理および運営、衣料品や住居関連品の販売 |
代表者 | 今井康博(代表取締役社長) |
資本金 | 1000万円 |
発行済株式総数 | 200株 |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | エイチ・ツー・オー リテイリング 100% |
イズミヤ(英: Izumiya)は、イズミヤ・阪急オアシス株式会社が近畿地方で展開するスーパーマーケットチェーン。エイチ・ツー・オー リテイリンググループで、関西フードマーケットの子会社。阪急阪神東宝グループ(旧阪急東宝グループ)に属する。
本項では、株式会社エイチ・ツー・オー商業開発、ならびに株式会社エイチ・ツー・オーアセットマネジメントについても扱う。
概要
近畿地方一円を地場とする。以前は九州地方、中部地方、中国地方、関東地方でも展開していたが、2009年1月31日の真正店の閉店をもって中部地方から、2016年8月21日の津高店の閉店をもって中国地方から、2017年5月10日の検見川浜店の閉店をもって関東地方から、2020年2月20日の宮崎店の閉店をもって九州地方から撤退した。
かつては総合スーパー(GMS)業態での出店が主力であったが、近年は食品スーパー「デイリーカナート」での出店に力を入れており、さらに低コスト運営に注力した『まるとく市場』という業態も展開している。当該業態による、既存の小型・不採算店舗の再生にも取り組んでいる。
社名について
社名の由来は「ヤコブの泉」として知られる聖書箇所(ヨハネによる福音書4章13-14節)より[2]。創業者、和田源三郎はクリスチャンだったことにちなむ[3]。ちなみに、主力業態の一つであるデイリーカナートの「カナート」もアラビア語で「オアシス」の意味であり、「泉」にちなんだものとなっている。中国・九州地区を地盤とする同業の株式会社イズミ(本社・広島市)をはじめ、全国各地に類似した名称の企業が少なからずあるが、それらとの関係はない[注 1]。
歴史
いづみや呉服店
創業者の和田源三郎は体が弱かったため、小学5年生だった1907年に大阪市内の老舗呉服店へ見習いとして出された。1918年に実家へ戻り、家業だったいづみや石ケンの製造・卸売を行い、自転車で行商した。その際に安売りして繁盛している店を見たことから、薄利多売が肝要だと考えるようになる。また、行商をしながらも大阪市川口にあるキリスト教聖公会の付属商業高等学校で学び、キリスト教を厚く信仰するようになった。
商売方法を巡る父との対立から、翌年には東京の呉服店へ勤務するようになるが、呉服店の方法も源三郎の理想と離れていた。その店の経営も傾いたため、1920年には取引先の協力を得て自ら行商を始めた。商売は軌道に乗ったが、1921年(大正10年)、けがをした父親から大阪へ戻るよう言われ、帰阪した。同年5月3日、西成郡今宮町の公設市場横にあった私設市場へ父親が借りた物件で、いづみや呉服店を開業した。父親の出した資金と自分の手持ち資金を合わせた開業資金3000円では店舗開設を行うと仕入れに使える金額がわずかだった。このことからいづみやの信条を店に掲げて安売りを行い、初年度に3万円を売り上げるなど、繁盛するようになった[4]。
人口増加などを受けて、1926年(大正15年)秋には同じ西成区に玉出支店を開設し、家族で移住する。しかし、1933年(昭和8年)に日曜学校の知り合いのため自分名義で銀行から融資を受けたところ、知り合いから偽造証券を渡されたことが判明。銀行に打ち明けると借金返済を求められたので、資金のほとんどを失ってしまい、1934年(昭和9年)4月に花園町の創業地へ戻った。これまでは源三郎がクリスチャンであるため、日曜定休としていたが、定休日に店の商品を持ち出す従業員がいると判明したので日曜定休をやめた。また、売掛金の回収を兼ねた東京訪問の際に繁盛店として有名だった深川の扇屋で陳列方式を学んだが、同社が導入したばかりの複式簿記について学ばなかった。簿記について無知だったため、戦後の混乱期に法人税の追徴金を課せられた。
薄利多売を旨としていた源三郎だったが、いづみやよりも髙島屋の初売りのほうが同じ商品は安く販売されていたのを目の当たりにした。
このことで、他人への過信と帳簿不備への反省、大量仕入れの必要性を感じるようになった[4]。
GMSへの発展
1959年には久々の支店開設として、阪神電気鉄道尼崎駅前の中央商店街に尼崎店を出店し、衣料品のセルフサービス販売のチェーン展開を始めた[5]。花園店より大型の支店となったが、翌年には花園店の増築、売上高10億円超えを達成したことで全国から見学者が相次いだ。1964年(昭和39年)から大学卒の男子従業員の採用を始め、1966年(昭和41年)には神戸デパートの一部に出店するなど、衣料品販売チェーンを拡大した。
食料品販売に関しても、1965年(昭和40年)には源三郎の親族が株式会社ダイワを設立し、大阪府能勢町でイズミストアを開設し、翌年には鳳店、翌々年には我孫子店を開設した。1968年(昭和43年)にはいづみやがこれを吸収合併し、食品部門の発展を図った[4]。
2代目社長時代
1972年(昭和47年)にはチェーン展開や百舌鳥へのショッピングセンター開設を推進した専務の和田満治が社長に、源三郎は取締役会長に就任した。翌年の株式上場を控えての動きだった。1974年(昭和49年)、源三郎は亡くなった。同年に物価上昇などから赤字決算となり、当社の要請を受けてメインバンクの三井銀行や住友銀行(いずれも現在の三井住友銀行)から常務取締役が出向した。このため、新規出店は増えなかったが、1974年から1989年(平成元年)にかけて従業員数や店舗数がほぼ横ばいながら、売上高は3.7倍、利益は100倍以上となった。ただし、この間に大阪周辺の不採算店の閉鎖の一方、ナショナルチェーン化を図り、宮崎店を皮切りに関東、中部、中国地方への出店を行っている[4]。
ところが、不動産会社秀和による忠実屋・いなげや事件に関し、同年秋の中間決算で当社幹部が不用意な発言を行った[6]。このため、当社も、伊勢丹、松坂屋といった百貨店や長崎屋、東京スタイルと共に秀和による株の買い占めの対象となった[4]。自社株買いのほか、住友銀行の協力で1991年(平成3年)に当社株の買い占め問題は決着した。
経営悪化
株の買い占め問題は決着したが、和田満治は1991年秋に社長在任のまま急逝した[6]。社長となった和田昭男のもとで数年間は年商4000億円を維持したが、1995年に4000億円を割り込み、源三郎の長男で関西学院大学教授の和田繁が社長、住友銀行出身の林紀男が副社長になった[4]。2001年に林紀男が社長に就任したが、それ以前、満治が死去して以降は住友銀行の管理下に置かれていたとみられている[6]。経営が不安定なため、首都圏の大型店舗についてはカルフールが取得に動いたが、当社は無視し続けた[6]。
阪急西宮ガーデンズへの出店などを除いて積極策もなく、売上高が減少を続けていたところ、スーパー業界の営業利益率はリーマン・ショック後の安売り競争で下がった。特に当社の店舗が多い大阪は値段競争が激しいものの、同じ近畿地方が地盤の平和堂、ライフコーポレーション、オークワをも下回るほどとなった。
当社は呉服店として創業した経緯から、利益率が低いもののGMSでも主力商品となっていた食品の売上比率が他社の7 - 8割より低い6割ほどにとどまり、衣料品の売上比率が高かった。このため、ファストファッションなどとの競争にさらされ、2013年度まで売上は5年間で2割減少した[7]。
阪急阪神東宝グループ入り
ジャスコ(現・イオン)、ユニー、フジなどと個別に提携したのみで、長年、他社との経営統合に否定的だった。しかし、消費者の節約志向の中で、ドラッグストアやコンビニエンスストアも交えた競争に追い込まれていった。2013年3~11月期の売上高は前年同期比0.6%減の2546億円、営業利益も約4割減の9億円にとどまった。
一方、阪急阪神東宝グループ(阪急阪神グループ)で小売業を手掛けるエイチ・ツー・オー リテイリング(H2O)は、食品スーパーの阪急オアシスやそば店の家族亭も経営していたが、阪急百貨店や阪神百貨店を運営する阪急阪神百貨店が利益の7割と大半を稼いでいた。阪急阪神百貨店では高級品の販売は好調なものの、商業施設の過当競争から、阪急百貨店うめだ本店の建て替え後の売上目標も引き下げざるを得なかった。H2Oの会長だった椙岡俊一は、新たな収益の柱として食品スーパー事業を拡大し、近畿地方での存在感を高めることを望んだ。イズミヤとしても近畿地方の店舗の大量閉鎖や人員削減ではなく、仕入れ先や総菜の製造の一本化によるコスト削減、H2Oが阪急阪神ホールディングスと取り組むSTACIAポイント(現在のSポイント)会員の拡大と囲い込みを目指す方向性に関して一致し、経営統合に至った[8]。
なお、これ以前の2008年、阪急阪神ホールディングス傘下の阪急電鉄は複合商業施設の阪急西宮ガーデンズを開業した。この核店舗として、阪急百貨店の西宮阪急やTOHOシネマズ西宮OSに加え、イズミヤ西宮ガーデンズ店が入居している[8]。
エイチ・ツー・オー リテイリングでは当社との経営統合以前から阪急阪神百貨店が博多阪急や阪急メンズ東京を展開しているが、関西ドミナント戦略を経営の柱としているため、遠隔地のイズミヤの店舗は2020年の宮崎店閉鎖をもってすべて撤退した。
売場再編
H2O社長の鈴木篤は約120店の売場や顧客を見直し、改善策を練り、2015年度から店舗の建て替えや改装、統廃合に着手すると述べた[9]。当社のような総合スーパーは人口減少、インターネット通販の拡大などの脅威もあって将来性は危ういため、大胆に改革する必要があるという。鈴木の述べた理由に加え、ユニクロなど専門小売店との競争にもさらされていた[10]。
2020年度に、事業会社のイズミヤをスーパーマーケットを運営するイズミヤ、ドラッグストア大手のココカラファインと連携した日用品販売のCFIZ(店舗名:ココカラファイン×イズミヤ)[11]、商業施設運営のエイチ・ツー・オー 商業開発の3社に分社化した。イズミヤは食品販売に特化し、日用品販売はココカラファインの美容や健康関連の商品を扱って顧客満足度を上げる。そのほか、家電や家具、衣料品などの売場はエイチ・ツー・オー 商業開発としてテナント誘致(リーシング)する。
沿革
イズミヤ株式会社(初代)→株式会社エイチ・ツー・オーアセットマネジメント
![]() 建て替え前のイズミヤ花園店 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 |
大証1部(廃止) 8266 1974年7月1日上場 大証2部(廃止) 8266 1973年9月14日 - 1974年6月30日 |
本社所在地 |
![]() 〒530-0012 大阪府大阪市北区芝田2丁目6番27号 |
本店所在地 | 大阪府大阪市西成区花園南1丁目4番4号 |
設立 |
1949年12月 (株式会社いづみや商店) |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 2120001002972 |
事業内容 | 不動産の管理・開発 |
代表者 | 黒松弘育(代表取締役社長) |
資本金 | 1億円 |
発行済株式総数 | 85,177,804株 |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | エイチ・ツー・オー リテイリング 100% |
外部リンク | https://www.h2o-retailing.co.jp/asset/ |
特記事項:2021年4月1日に株式会社阪急阪神百貨店に吸収合併され解散。 |
- 1921年(大正10年)5月 - 和田源三郎が、いづみや呉服店として大阪府西成郡今宮町大字今宮(現・大阪市西成区花園南)で創業。
- 1952年(昭和27年)4月 - 衣料品の販売を主とする(旧)いづみや株式会社設立。
- 1959年(昭和34年)8月 - 第2号店舗として兵庫県尼崎市に尼崎店を開店。チェーンストア展開開始。
- 1968年(昭和43年)4月 - 日本初のショッピングセンターとして大阪府岸和田市に岸和田店を開店。
- 1970年(昭和45年)9月 - 当時休眠会社の株式会社いづみや商店が(旧)いづみや株式会社を吸収合併しいづみや株式会社に商号変更(いわゆる株式額面変更目的の合併)。
- 1973年(昭和48年)
- 1978年(昭和53年)9月 - 東京証券取引所に上場。
- 1979年(昭和54年)9月 - イズミヤ株式会社に社名変更。
- 1987年(昭和62年)3月 - 関東進出1号店舗として茨城県牛久市に牛久店を開店。
- 2003年(平成15年)
- 2007年(平成19年)3月 - 新業態の食品スーパー「まるとく市場」1号店を大阪府茨木市に開店(デイリーカナートから業態転換)。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)8月 - ユニー、フジ(愛媛県)と組んだ3社共同のプライベートブランド「スタイルワン」の販売を開始。2年掛かりで「good-i」ブランドから「スタイルワン」に全面的に切り替える。
- 2010年(平成22年)2月 - 伊藤忠商事と資本・業務提携することを発表。
- 2011年(平成23年)11月1日 - 同社グループの中国進出1号店として、蘇州泉屋百貨有限公司(本社:蘇州市)が運営する『泉屋百貨』が開業。
- 2014年(平成26年)
- 2016年(平成28年)
- 6月1日 - 子会社であったサンローリー、デリカ・アイフーズ、カナートの株式を株式会社エイチ・ツー・オー食品グループに譲渡[14]。
- 7月1日 - イズミヤ株式会社(初代)が商号を株式会社エイチ・ツー・オーアセットマネジメントに変更。新設分割により設立したイズミヤ株式会社(2代)の全株式を株式会社エイチ・ツー・オー食品グループに譲渡[15]。
- 2017年(平成29年)
- 2019年(令和元年)
- 2021年(令和3年)4月1日 - イズミヤに関する資産を株式会社エイチ・ツー・オー商業開発へ吸収分割により承継。百貨店(神戸阪急と高槻阪急)に関する資産を残した株式会社エイチ・ツー・オーアセットマネジメントは、株式会社阪急阪神百貨店が吸収合併[21]。
イズミヤ株式会社(2代)→イズミヤ・阪急オアシス
- 2016年(平成28年)
- 2020年(令和2年)4月1日 - 商業施設運営事業と衣料品・住居関連品販売事業を、株式会社エイチ・ツー・オー商業開発へ承継。
- 2021年(令和3年)4月1日 - 株式会社エイチ・ツー・オー食品グループの子会社株式管理事業がエイチ・ツー・オー リテイリングへ会社分割され、エイチ・ツー・オー リテイリングの直接の子会社となる[21]。
- 2021年(令和3年)12月15日 - 株式交換により関西スーパーマーケットの子会社となる。
- 2023年(令和5年)4月1日 - 同じ関西スーパーマーケットの子会社である阪急オアシスへ吸収合併され、イズミヤ株式会社(2代)は解散。阪急オアシスは同日付でイズミヤ・阪急オアシス株式会社へ商号変更される[22]。
株式会社エイチ・ツー・オー商業開発
- 2019年(令和元年)10月4日 - 設立。
- 2020年(令和2年)4月1日 - 商業施設運営事業と衣料品・住居関連品販売事業を、イズミヤ株式会社(2代)から継承。
- 2021年(令和3年)4月1日 - イズミヤに関する資産を株式会社エイチ・ツー・オーアセットマネジメントから吸収分割により継承[21]。
業態
現在の業態
イズミヤのうち八尾店、八幡店、堅田店、神戸玉津店、紀伊川辺店、くずはモール店の6店舗は、2020年4月よりエイチ・ツー・オー商業開発が運営。
- イズミヤ:総合スーパー(GMS)形態の店舗で、衣料・食品・住居用品を幅広く揃える。駅前立地が多い。
- スーパーセンター:スーパーセンター形態の店舗。ワンフロアで食料品、衣料品、住居関連品の全てが揃う。工場跡地や埋め立て地を活用した広大な敷地に立地している。
- カナート:ショッピングセンター形態の店舗。2015年時点ではカナート洛北のみだったが、2018年7月21日(土)にイズミヤ住道店を建て替えQANAT MALL(カナートモール) 住道として、2018年12月13日(木)にイズミヤ伏見店を建て替えQANAT MALL(カナートモール) 伏見として、オープン。
- デイリーカナート:スーパーマーケット(SM)形態の店舗で、食料品を中心とした生活必需品を揃える小型の店舗。同業他社の店舗を、買収により転換した店もある。
- まるとく市場:まるとく市場参照。
過去に存在した業態
- FISMY:ターゲットをピュアヤング(16歳から22歳)に絞った衣料専門大型店。京都(京都アバンティ)・心斎橋の2店舗を展開していたが、心斎橋店は2009年8月に閉店。京都店についても店舗運営をOPAに全面委託した際にFISMYの名称を外し、この業態から撤退した。
ロゴマーク
1973年(昭和48年)、それまで○の中に「泉」だったロゴマークを大きく変更。太陽をモチーフにしたもので、右側の橙色は太陽のコロナを指し、左側の黄緑色は草を指す。景観条例がある京都市や奈良市の店舗では青色に統一されている。まるとく市場ではこの太陽のロゴマークを使用していない。なお、○の中に「泉」のロゴマークは現在も正式な社章として、株券や社員バッジなどで使われている。
このロゴマークは、かつての「忠実屋」(1994年(平成6年)にダイエーに吸収合併)のマーガレットをイメージしたロゴマークと酷似するが、製作者は別である。
テーマソング
店舗
スーパーマーケット
商業施設
エイチ・ツー・オー リテイリング傘下に入る前から営業していたのは以下の2施設であるが、旧・阪急百貨店系列の阪急商業開発に移管された。現在は、エイチ・ツー・オー 商業開発が カナートモールなどの施設を運営している。
- 京都アバンティ(京都府京都市南区)
- 京都駅八条口、子会社だったアバンティブックセンターが出店
- 洛北阪急スクエア(旧・カナート洛北、京都市左京区)
- 高野橋東詰バス停または茶山駅最寄り、デイリーカナートイズミヤが核店舗
過去に存在したイズミヤの店舗
関東地区
- 「協同組合江戸崎ショッピングセンター」と共に開発した江戸崎ショッピングセンターパンプ(売場面積12,252m2、43店舗)の核店舗として出店していた[24]
- のちの売り場跡にはエコス(2016年5月閉店)→カスミ(2016年8月開店)、ツルハ、ダイソーがある。[要出典]
- 閉店後、ビルの所有権を小山市に無償譲渡[27]。一部商業施設、小山市立生涯学習センター、シネマロブレは閉店後もビル内で存続。
- 閉店後、MEGAドン・キホーテ八千代16号店が同年11月19日に開店。[要出典]
- 牛久店(茨城県牛久市、2017年(平成29年)2月1日閉店)
- 跡地には、TAIRAYAエスカード牛久店が入店。[要出典]
- 「検見川浜ベイサイドモールフェリア」の核テナントとして営業。
- 同店の閉店により、関東地方から撤退した。閉店後のテナントとして同年11月23日に「イオンスタイル検見川浜」が再オープンした[29]。
中部地区
- リオワールド(現・LCワールド本巣)のキーテナントとして営業するも撤退。なお、真正店の閉店により岐阜県のみならず中部地区からは全面撤退となった。
- 衣料品店舗。
- 衣料品店舗。跡地はフィール堀田店[要出典]。
近畿地区
大阪市
- 梅田店(北区堂山町117[34]、(1963年(昭和38年)3月31日開店[34]-1972年(昭和47年)閉店)
- 売場面積1,287m2[34]。
- 京橋店(都島区、1970年(昭和45年)4月15日開店-1975年(昭和50年)閉店)
- 喜連店(平野区喜連町989-1[35]、 1969年(昭和44年)3月15日開店[35]-1971年(昭和46年)閉店)
- 売場面積1,282m2[35]。
- 駒川店(東住吉区駒川町6[36]、1968年(昭和43年)8月24日開店[35]-2001年(平成13年)5月20日閉店)
- 売場面積2,970m2[36]。
- 近隣には『QANAT MALL(カナートモール)南田辺』が開店している。
大阪府(大阪市以外)
- 東大阪店(東大阪市、1971年(昭和46年)10月17日開店-1975年(昭和50年)閉店)
- 瓢箪山店(東大阪市、1969年(昭和44年)4月18日開店[35]-1975年(昭和50年)閉店)
- 売場面積1,240m2[35]。
- 若江岩田店(東大阪市瓜生堂1-207[35]、1969年(昭和44年)5月2日開店[35]-2019年(令和元年)末閉店)[42][43]
- 売場面積4,684m2[36]。
- 高槻駅前店(高槻市芥川町1-8-11[44]、1969年(昭和44年)3月1日開店[44]-1981年(昭和56年)閉店)
- 売場面積2,806m2[44]。
- 茨木店(茨木市、 本館=1970年(昭和45年)3月開店-2020年(令和2年)8月2日閉店・別館=1974年(昭和49年)8月31日開店-2001年(平成13年)9月30日閉店)
- 堺東店(堺市堺区北瓦町1-37[36]、1965年(昭和40年)6月開店[36]-1997年(平成9年)閉店)
- 売場面積1,204m2[36]。
- 鳳店(堺市西区東之町2-163[35]、1966年(昭和41年)4月4日開店[35]-?閉店)
- 売場面積1,006m2[36]。
- 岸和田店(岸和田市沼町334[36])
- 売場面積3,587m2[36]。
- 西岸和田店に統合。[要出典]
- 岸和田旧港再開発事業[45]の一環として建設された岸和田カンカンベイサイドモールの核店舗であった。
- 閉店後もカンカンベイサイドモール専門店は営業中。旧イズミヤの区画にはラ・ムーなどが出店している。
- 尾崎店(阪南市、2001年(平成13年)12月閉店)
- 建物老朽化に伴う建替のため、一時休業としての形で閉鎖。2018年(平成30年)7月21日より『QANAT MALL 住道』として業態転換し再オープン[46]。
- 大東店(大東市、2018年(平成30年)6月5日閉店)
- 食料品売場のみ建替えた住道店に実質移転。イズミヤ閉店後も営業していた大東サンメイツ一番館専門店街は2021年6月5日閉店[要出典]。
- 東寝屋川店(寝屋川市、2019年(令和元年)5月6日閉店)
- 跡地はマンションを建設予定。
兵庫県
- 伊丹店(伊丹市伊丹字山の上471-1[48]、1966年(昭和41年)3月18日開店-1976年(昭和51年)1月18日閉店)
- 神戸デパート店[48] → 神戸店[35] → 西神戸店(神戸市長田区腕塚町5-2[48][35]、1966年(昭和41年)10月1日開店[48]-震災により閉店)
- 売場面積2,017m2[48]。
- 西宮店(西宮市 西宮市津門大塚町)
- 阪神・淡路大震災により被災。1〜3Fが店舗、上層はマンションであった。解体後、タワーマンションが建てられた。[要出典] 2008年(平成20年)、約1km北側の阪急西宮ガーデンズ(西宮市高松町、阪急西宮スタジアム跡地)に核テナントの1つとして再進出している。
- 年間5億円の赤字が解消できる見込みが立たなかったため閉店となった(神戸新聞リンク切れ)。
- 神戸ハーバーランドumieノースモールのB1〜1Fに出店していた。閉店後のテナントとして、2017年(平成29年)7月14日に『イオンスタイルumie』がオープンした[49]。
京都府
奈良県
- 現在はマンション[要出典]
和歌山県
- 紀伊田辺店(田辺市、2001年(平成13年)4月閉店)
滋賀県
- 堅田店(大津市、2005年12月17日開店、2023年(令和5年)1月9日閉店[53])
滋賀県唯一の店舗であり、この店舗を持ってイズミヤは滋賀県から撤退する。
中国・九州地区
島根県
- 木次店(雲南市、2015年(平成27年)4月12日閉店)
- 商業施設「SCサン・チェリヴァ」の中核テナントとして入居していたが、売上げ不振とイズミヤの業務見直しにより閉店。現在は施設の名称を「マルシェリーズ」に改め、地場スーパーのマルマンなどが入居。
- ショッピングタウン グリーンモール(江津市、 2017年(平成29年)1月3日閉店)
- 厳密にはイズミヤの店舗ではないものの商品供給面で提携をしており、阪急百貨店のギフト商品なども取り扱っていた[54]。
- 人口減少や経営ノウハウ・有力テナントの不足などで経営が悪化し、イズミヤの中国地方からの撤退が重なり閉店[54][55]。同店の閉店をもって完全に中国地方から撤退した。
- 跡地はイズミが取得し[54][55]、2017年(平成29年)5月2日にゆめタウン江津として開業[56]。
岡山県
- この店の閉店により、中国地方から直営店が撤退。閉店後、2017年(平成29年)3月28日より中国地方でスーパーマーケット事業を展開しているエブリイ初の大型商業施設『エブリイOkanaka津高』として営業[57]。
宮崎県
- 『みやざきショッピングセンター』(売場面積9,268m2、38店舗、駐車場約500台)の核店舗として開業した[58]。
- 九州地方で唯一のイズミヤ店舗で、『レマンショッピングセンター』の中核テナントとして営業していた。同ショッピングセンター隣には『宮崎レマンホテル』が存在したが、ホテルの営業は2013年(平成25年)9月末を以て終了した。[要出典]
グループ企業
- カンソー - 総合ビルメンテナンス業を運営。
- 蘇州泉屋百貨有限公司 - 中国における百貨店の経営。
- イズミヤカード - 保険代理店事業・クレジットカード事業・旅行代理店(レマントラベルサービス)等を展開していた。
- 現在は保険代理店事業、旅行業、電子マネー事業を株式会社ペルソナに移管し、貸金業、割賦販売業を廃業している[59]。
かつてのグループ企業
- 宮崎レマンホテル - 宮崎県宮崎市(イズミヤ宮崎店隣)でホテルを運営していた。ホテルは2013年9月末に営業終了。
- 木次リテイル・サービス - 島根県雲南市木次町のショッピングセンター「サン・チェリヴァ」を運営していた。
- アバンティブックセンター - 書籍・雑誌の販売。「アバンティブックセンター」「アミーゴ書店」を運営。2015年度第3四半期に保有株式を売却[60]。
- サン・フレッシュ - 鮮魚・寿司の販売。2016年度に会社清算。
- はやし - 大阪市を基盤とする食品スーパーマーケット。2017年3月1日にカンソーが吸収合併。
- フォード関西(旧オートラマファミリー関西) - フォード車の自動車ディーラー。1982年設立。1996年にはオートラマが大阪府・奈良県で直営していたディーラー「フォードウイング」の運営を引き継ぐ。しかし事業整理のため2000年10月をもって撤退。全店舗の営業をフォード・ジャパン直営の販売会社「フォード・ジャパン・ディーラー・リミテッド」に移管する。
- ユーノスアーバン - マツダ・ユーノス車の自動車ディーラー。ユーノス販売網に加入していたJR西日本が1993年に事業撤退するのに伴い、大阪市阿倍野区天王寺で運営していた店舗を引き継ぎ「ユーノスアーバン」として営業していた。ユーノス店廃止とともにマツダアンフィニ店に転換し「マツダアンフィニアーバン」として営業していたが1997年8月31日にて閉店[61]。建物は「ホンダカーズ大阪天王寺店」として存続中。
- 大阪デリカ・花園食品工業 - ジャスコと合弁の惣菜・弁当・寿司・和菓子などの加工食品の製造・販売。2003年7月完全子会社化、2008年3月デリカ・アイフーズを経て2016年12月1日に阪急デリカと合併。(現在の阪急デリカアイ)
- 友隣 - ジャスコと合弁の物流企業。後に完全子会社化、サン・ロジ・サービスを経て2014年12月1日に吸収合併。
- アイク - ジャスコ・ユニー・忠実屋・ユニードの5社合弁の開発輸入商社。(現在のイオントップバリュ)
- イズミヤ総研 - マーケットリサーチ、情報提供サービス業(シンクタンク)を運営。2020年度に会社清算。
- ペリカン - グループ時代の企業名は「ビーユー」。玩具、ファンシーグッズの販売を行っていた。2021年、ヘルスケア事業を展開するアトラグループに売却[62]。
- かつてはアパレル・スポーツ用品事業も展開していたが、2017年に株式会社アクトに会社分割し、先に撤退した[63]。
備考
- エイチ・ツー・オー リテイリンググループ入りした2014年6月1日から、イズミヤ直営の店舗で阪急百貨店と阪神百貨店がそれぞれ発行した商品券および全国百貨店共通商品券が利用できるようになった(全国百貨店共通商品券は株式会社阪急阪神百貨店以外で発行されたものも利用可能)。なお、まるとく市場各店とイズミヤグループの一部店舗(はやし、カナートなど)では商品券は利用できない。
- 中元と歳暮のギフトに関しては、エイチ・ツー・オー リテイリング傘下になってからは、阪急百貨店と共通の物(一部商品除く)をイズミヤ各店(まるとく市場と食品を取り扱わない店舗除く)で扱う形に移行している。
- 中国の現地法人では高級路線を取っている。上記の蘇州泉屋百貨有限公司による百貨店運営のほか、阪急百貨店ベースで、エイチ・ツー・オー リテイリング系列の百貨店・ショッピングモール複合施設「寧波阪急」でもデパ地下の一部に食品スーパーを出店している[64]。
関連項目
- ネットショッピング - エイチ・ツー・オー 商業開発が楽天市場上にアイ・クローゼット(旧・アイウィル)を運営している。
- かつては食品を扱うイズミヤ楽楽マーケットも出店していたが、グループ内の事業見直しで2022年に撤退した。
- 阪急オアシス - エイチ・ツー・オー リテイリンググループが運営するスーパーマーケット。
- 関西スーパーマーケット - 同様にエイチ・ツー・オー リテイリンググループに入ったスーパーマーケット。
- 神戸阪急(旧そごう神戸店)・高槻阪急(旧西武高槻店) - そごう・西武からの移管当初、エイチ・ツー・オー アセットマネジメントが運営していた。
脚注
注釈
- ^ 但し、イズミの店舗のいくつかには、イズミヤのグループ企業だった玩具店のペリカンが出店している。
出典
- ^ イズミヤ 会社概要
- ^ イズミヤの理念 イズミヤ公式ウェブサイト
- ^ 季刊 イズミヤ総研 Vol.86(2011年4月)39ページ 株式会社イズミヤ総研
- ^ a b c d e f 伊貝武臣『第1次流通革命の担い手 イズミヤの100年: 21世紀の流通業 2』夢叶舎 2020年3月13日
- ^ 毎日新聞 2013年6月24日 夕刊
- ^ a b c d “イズミヤ、H2O傘下に――息殺し20年これで安心?(底流を読む)”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 3. (2014年2月10日)
- ^ “イズミヤ、生き残りへ統合 H2O傘下利益率改善めざす 【大阪】”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 9. (2014年4月9日)
- ^ a b “共通ポイント、囲い込み H2O・イズミヤ、生き残りへ業態超え統合”. 朝日新聞 (朝日新聞大阪本社): p. 9. (2014年2月1日)
- ^ “H2O、3事業強化へ スーパー・宅配・専門店 鈴木社長「10年で柱に」”. 朝日新聞 (朝日新聞大阪本社): p. 7. (2014年7月12日)
- ^ “イズミヤ、食料品販売に集中 日用品売り場はココカラファインと連携”. 京都新聞 (京都新聞社). (2020年2月24日)
- ^ (PDF)『エイチ・ツー・オーリテイリング株式会社との合弁会社設立及び業務提携の基本合意に関するお知らせ』(プレスリリース)株式会社ココカラファイン、2019年5月14日 。2022年4月4日閲覧。
- ^ 旧法人。後のユニーグループ・ホールディングス。
- ^ エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社とイズミヤ株式会社の株式交換による経営統合のお知らせ イズミヤ公式ウェブサイト 2014年1月31日
- ^ エイチ・ツー・オー リテイリンググループの再編に関するお知らせ
- ^ a b c エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社第98期第2四半期報告書
- ^ “セブン&アイ、H2Oリテイへの百貨店2店譲渡を正式発表”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2017年5月11日) 2017年5月21日閲覧。
- ^ “そごう神戸店H2O譲渡 店長「魅力向上の好機」”. 神戸新聞. (2017年10月1日) 2017年5月21日閲覧。
- ^ 株式会社そごう・西武のそごう神戸店及び西武高槻店に関する事業の譲受についての契約書締結のお知らせ (PDF) エイチ・ツー・オーリテイリング 2017年8月3日(2018年2月18日閲覧)
- ^ a b 『そごう神戸店及び西武高槻店に関するグループ内事業再編及び再編に伴う屋号の変更に関するお知らせ』(プレスリリース)エイチ・ツー・オーリテイリング、2018年9月27日 。2018年11月13日閲覧。
- ^ “新生 神戸阪急について” (PDF). 2019年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月15日閲覧。
- ^ a b c 当社連結子会社との会社分割(簡易吸収分割)並びに当社グループの再編に関するお知らせ
- ^ “「イズミヤ・阪急オアシス」誕生へ スーパーマーケットの阪急オアシスとイズミヤが2023年4月に合併”. 神戸新聞 (2022年11月1日). 2022年11月2日閲覧。
- ^ a b c “ええもんキー|イズミヤ|デイリーカナート|スーパーセンター|スーパーマーケット”. イズミヤ|デイリーカナート|スーパーセンター|スーパーマーケット. 2021年3月6日閲覧。
- ^ a b “’95年開店SC一覧”. ショッピングセンター 1995年12月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年12月1日).pp55
- ^ 変わることを楽しむ 11月21日「イオンスタイル板橋前野町」誕生 - イオンリテール・ニュースリリース 2015年11月9日
- ^ “’94年開店SC一覧”. ショッピングセンター 1994年12月1日号 (日本ショッピングセンター協会) (1994年12月1日).pp72
- ^ ロブレビル再生に向けて(おしらせ) - 小山市、2015年8月2日閲覧。
- ^ 今秋イオンスタイルに 旧イズミヤ検見川浜店 - 千葉日報、2017年6月10日閲覧。
- ^ イオンスタイル検見川浜/目標客数400万人、旧イズミヤをシニア対応店舗に 流通ニュース 2017年11月20日 2018年1月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “名古屋第1部市場に上場したいづみやの戦略”. 中部財界 1974年8月号 (中部財界社) (1974年8月).
- ^ 『商業界二十年 : 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp227
- ^ 建野堅誠 『日本ス-パ-発達史年表-5-』 長崎県立国際経済大学論集 21号(4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1988年3月)。pp72
- ^ a b c “「あなたの暮らしのパートナー」――イズミヤ各務原店7月3日オープン”. 中部財界 1981年7月号 (中部財界社) (1981年7月).
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp200
- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp403
- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp404
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp182
- ^ イズミヤ、創業地の花園店建て替え 19年春に改装開業 老朽化、耐震基準満たさず - 日本経済新聞(2017年5月16日)2019年12月7日閲覧。
- ^ デイリーカナートイズミヤ花園店 開店について 2019年12月7日閲覧。
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp183
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp201
- ^ “【東大阪市】令和元年12月末閉店!ついに『イズミヤ若江岩田店』の閉店売り尽くしセールがスタート!”. 号外NET 東大阪市 (2019年9月10日). 2020年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月8日閲覧。
- ^ “【東大阪市】12月31日完全閉店!『イズミヤ若江岩田店』最終営業日の詳細をまとめてみました”. 号外NET 東大阪市 (2019年12月29日). 2020年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月8日閲覧。
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp405
- ^ 岸和田旧港再開発事業 - 岸和田市公式ウェブサイト 2019年9月22日閲覧。
- ^ イズミヤ/「カナートモール住道」開業、GMS「住道店」スーパーに転換 - 流通ニュース(2018年7月17日)2019年5月14日閲覧。
- ^ 泉佐野店閉店のお知らせ - イズミヤ(2019年8月26日)2019年12月24日閲覧。
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1967年版』 商業界、1967年。pp124
- ^ 神戸ハーバーランドumie/ノースモール、7月14日リニューアルオープン - 流通ニュース(2017年6月6日)2019年5月14日閲覧。
- ^ カナートモール伏見 2018年12月13日(木)開業!全テナント14店舗一覧! - 出店ウォッチ(2019年2月7日)2019年5月14日閲覧。
- ^ イズミヤ/京都に「カナートモール伏見」出店「しまむら」「セリア」も - 流通ニュース(2018年11月30日)2019年5月14日閲覧。
- ^ “昭和50年 スーパー「いずみや」 - ここ何処?たかだ今昔(いまむかし) - 大和高田市って?|奈良県大和高田市”. www.city.yamatotakada.nara.jp. 2020年7月3日閲覧。
- ^ “スーパーセンターイズミヤ堅田店よりお知らせ” (2022年7月6日). 2022年12月18日閲覧。
- ^ a b c “ゆめタウン江津、2017年5月開業-「グリーンモール」経営再建で”. 都市商業研究所 (2016年10月29日). 2021年9月9日閲覧。
- ^ a b “イズミ、島根で商業モール再生 経営権取得し出店”. 日本経済新聞社 (2016年9月3日). 2021年9月9日閲覧。
- ^ “長らくご愛顧いただいた「グリーンモール」が「ゆめタウン」として生まれ変わりました 『ゆめタウン江津』オープンのお知らせ 5月2日(火)あさ9時グランドオープン” (PDF). 株式会社イズミ. 2021年9月9日閲覧。
- ^ エブリイ/旧イズミヤ津高店をコミュニティ型商業施設に一新 - 流通ニュース(2017年11月29日)2019年5月14日閲覧。
- ^ a b “第8回国内研修〈九州〉報告 都心型SCと郊外型SCの商圏の重層性を激戦地九州にみる”. ショッピングセンター 1977年10月号 (日本ショッピングセンター協会) (1977年10月1日).pp44
- ^ 会社沿革|会社情報|イズミヤカード株式会社
- ^ エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第97期第3四半期四半期報告書
- ^ 「日刊自動車新聞」1997年8月14日号より
- ^ http://ke.kabupro.jp/tsp/20210930/140120210929404203.pdf
- ^ 会社概要・沿革 株式会社ビーユー
- ^ https://twitter.com/H2oScd/status/1388138544422547458
外部リンク
- イズミヤ 公式サイト
- イズミヤ (izumiya.co.jp) - Facebook 公式アカウント
- エイチ・ツー・オーアセットマネジメント
- イズミヤショッピングセンター☀️【公式】 (@H2oScd) - Twitter 公式アカウント - エイチ・ツー・オー商業開発のアカウントだが、イズミヤに関しても発信する。