旭区 (大阪市)

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あさひく
旭区
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
団体コード 27117-9
面積 6.32km²
総人口 91,567
推計人口、2016年8月1日)
人口密度 14,490人/km²
隣接自治体
隣接行政区
大阪市都島区東淀川区
城東区鶴見区
守口市
区の花 ハナショウブ
区のキャラクター しょうぶちゃん
旭区役所
所在地 535-8501
大阪府大阪市旭区大宮一丁目1番17号
北緯34度43分16.4秒東経135度32分39.3秒座標: 北緯34度43分16.4秒 東経135度32分39.3秒
Asahi ward-office Osaka.jpg
外部リンク 旭区

旭区 (大阪市)位置図

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旭区千林商店街(2007年5月撮影)

旭区(あさひく)は、大阪市を構成する24のうちのひとつ。

概要[編集]

大阪市の北東部で淀川左岸側に位置し、北に淀川、西に城東貨物線、南に国道163号都島通が隣接している。大半は住宅地として形成されているが、千林・森小路は大阪有数の千林商店街を中心に多くの商店街が連なっており、商業地も形成されている。大宮北部は大阪工業大学があるため学生が多く住んでいる。公共施設等は大宮南部・中宮南部に東の国道1号から西の城北筋まで東西に設置されている。淀川右岸側へは豊里大橋菅原城北大橋赤川鉄橋2013年に歩行者通路使用停止)が架かっている。

人口は1960年(昭和35年)には14万人を超えていたが、それ以降から2015年(平成27年)までは年々減少している[1]。 全人口の内65歳以上の割合は28.9%と大阪市内の区で4番目に高い。[2] 木造建築物が比較的多く、重点密集市街地が存在する市町村の1980年(昭和55年)以前木造住宅密度は、全国の自治体の中で上位5位である[3]。また、周辺地域と比べて戦時の被害を受けていないため戦前の建築物が多く、特に1937年千林に建てられた2階建の長屋は、2010年に大阪市都市景観資源に指定され、現在も根強く残っている。

区名の由来[編集]

「日の出ずる東部」を意味するとともに、文字通り「旭日昇天」の勢いで将来の発展が約束されるということに由来。

歴史[編集]

大阪市編入以前の生い立ち[編集]

森小路・新森付近は淀川と大和川から運ばれた土砂による堆積地であったため、ムラが確立され人が住み始めていた。そこでは、弥生土器・類似の土師器を使用して焼いた須恵器・製塩土器が発掘され、出土品は現在旭区民センターの郷土資料室で保管されている。また、新森中央公園内にある森小路遺跡1931年に発見され、そこに石碑が建てられている。大阪平野のかなりの部分が淀川と大和川の土砂で埋まっていき、出来上がった土地でも稲作が始まり、焼けた米粒・木製の石包丁が採掘されていたため水田があると推測されているが、2016年現在発見されてない。しかし、森小路村落の北側の淀川は氾濫がよく起こったため農作物に大きな被害を及ぼしていた。

古墳時代では、長雨が続くと、淀川や大和川の氾濫や大阪湾からの海水が逆流し、大きな被害を受けることがあった。当時、災害に対する備えを持たなかったため、仁徳天皇治水工事を開始した。堤(茨田の堤)を建設するとともに、河の神に生贄を捧げることを決め、神のお告げによって武蔵国の強頸(こわくび)と河内国の茨田連衫子(まむたのむらじころもこ)の2人が選ばれた。強頸は生贄として淀川に沈められたが、茨田連衫子は川にヒョウタンを投げ込み沈まなかったことからこの生贄が神の意志によるものでないとして、生贄をまぬがれた。また、強頸が没した場所は現在の千林周辺で、強頸絶間(こわくびたえま)として石碑が建てられている。

大阪市編入後[編集]

  • 1925年(大正14年) 旭区域が東成区として大阪市に編入。
  • 1928年(昭和3年) 旭区内で大阪市営バスの運行を開始。
  • 1931年(昭和6年) 森小路遺跡を発見。
  • 1932年(昭和7年) 10月1日 東成区から分離し誕生。
  • 1941年(昭和16年) 旭警察署・旭税務署開設。
  • 1943年(昭和18年) 大阪市22区制となり、4月1日に南部を城東区へ、西部を都島区へ分離。鴫野町弁天島(現在の中央区城見)を東区へ編入。
  • 1957年(昭和32年)4月1日 トロリーバスの運行を開始
  • 1964年(昭和39年) 城北公園菖蒲園開園。
  • 1968年(昭和43年) 旭消防署新庁舎落成。
  • 1970年(昭和45年)6月15日 トロリーバスを廃止
  • 1994年(平成6年) 旭スポーツセンター開設。
  • 2000年(平成12年) 旭区民センター・芸術創造館開設 旭図書館移設。
  • 2002年(平成14年) 城北市民学習センター・旭屋内プール開設。
  • 2005年(平成17年)3月27日 赤バス旭ループの運行を開始。
  • 2012年(平成24年) 旭区マスコットキャラクターのしょうぶちゃん誕生。
  • 2013年(平成25年)4月1日 赤バス廃止に伴い「あさひあったかバス」の運用を開始。
  • 2014年(平成26年) 城北市民学習センターを廃止(ただし、旭屋内プールは存続している)

区域[編集]

  • 赤川一 - 四丁目
  • 生江一 - 三丁目
  • 今市一・二丁目
  • 大宮一 - 五丁目
  • 清水一 - 五丁目
  • 新森一 - 七丁目
  • 千林一・二丁目
  • 太子橋一 - 三丁目
  • 高殿一 - 七丁目
  • 中宮一 - 五丁目
  • 森小路一・二丁目

区域名の由来[編集]

  • 赤川
赤川村の地域に赤川寺とよばれる大寺院があり、その寺名にちなんだことに由来し、天台宗の巨刹であった[4]
  • 生江
なぎ(荒生)と呼ばれた大字の中を、南北に流れる江が存在したことに由来し、「荒生江」の「荒」を除いて生江とした[4]
  • 中宮
1925年の大阪市編入の際、隣の大字江野との関係からその地に存在する大宮八幡宮に対し、中宮としたことに由来[4]
  • 大宮
昭和初期まで町域内の旧南島町に所在し、南島・森小路・今市・千林・貝脇・江野・中宮・生江・友渕・内代の各町を氏地とした大宮八幡宮の社名に由来[4]
  • 森小路
古来からこの地域一帯に榎樹などが繁茂し森を成し、小路が通っていたことに由来[4]
  • 千林
森小路や森口(守口)に隣接する樹林地帯で千林村に由来[4]
  • 清水
産土神清水神社(八幡大神宮)の社名に由来[4]
  • 太子橋
1971年(昭和46年)の住居表示実施以前、この地は豊里町・橋寺町と呼ばれており、豊里町はかつて聖徳太子(豊里太子)が寺院を建てるためここで休息され、「聖徳太子」の命名に由来[4]
  • 今市
東成郡古市郷のうちにあり、本郷古市に対し京街道沿いの物資集散の要衝として今市の名を冠せられたことに由来[4]

隣接する自治体・行政区[編集]

大阪市の行政区
自治体

マスコットキャラクター[編集]

マスコットキャラクターの「しょうぶちゃん」は、2012年(平成24年)10月に旭区80周年記念として公募により決定された。旭区の花のハナショウブをモチーフで、首に巻いているマフラーは淀川をイメージし、胸に「あさひ」のマークをつけている。

交通[編集]

旅客鉄道路線(大阪市営地下鉄谷町線今里筋線京阪電気鉄道京阪本線)は中央・東部に通過し、西部は城北公園通大阪市交通局大阪市営バス34系統が走行しており、西端に城東貨物線が通過しているが(住所上は都島区)、貨物路線で鉄道空白地帯であるため終日本数も多く、市バスの中で平成22年度の全日利用客は最多の系統でもある[5]

鉄道[編集]

太子橋今市駅の所在地は旭区とされているが、守口市に跨っており、谷町線ホームの大部分と今里筋線ホーム全体が守口市内にあるなど、大部分の施設が守口市側に設けられている。

バス[編集]

「あさひあったかバス」は2013年4月1日から大阪市交通局赤バス旭ループの代替として北港観光バスにより委託されて運行している[7]。赤バスの全系統廃止後、現在も代替として運行しているのは旭ループが唯一である。

道路[編集]

公共施設等[編集]

教育[編集]

大学[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

特別支援学校[編集]

観光地・施設[編集]

商店街[編集]

  • 千林商店街
  • 千三商店会
  • 千林駅前あじな商店会
  • 千林大宮商店
  • 今市商店街
  • 森小路京かい道商店会
  • 森小路商店会
  • 新森商店会
  • 赤川商店会
  • 城北商店街

旭区に本社を置く企業[編集]

かつて旭区に本社を置いていた企業
旭区を発祥とする企業
  • ダイエー(1957年9月23日、千林駅前に一号店を開店)。
  • 「赤のれん」(岡本商店) (マイカルの前身の一つ)。

出身有名人[編集]

旭区が主催する主なイベント[編集]

  • 旭区民音楽祭
    旭区役所と旭区民センター、有志による実行委員会が主催する音楽イベント
  • 旭リリオコンサート
    旭区民合唱団リリオの定期演奏会
  • 城北公園フェア

脚注[編集]

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外部リンク[編集]