河内長野市

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かわちながのし ウィキデータを編集
河内長野市
河内長野市旗 河内長野市章
河内長野市旗 河内長野市章
1954年8月1日制定
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
市町村コード 27216-7
法人番号 6000020272167 ウィキデータを編集
面積 109.63km2
総人口 97,215[編集]
推計人口、2024年2月1日)
人口密度 887人/km2
隣接自治体 堺市和泉市大阪狭山市富田林市南河内郡千早赤阪村
奈良県五條市
和歌山県橋本市伊都郡かつらぎ町
市の木 クスノキ
市の花 キク
市の日 4月14日
河内長野市役所
市長 島田智明
所在地 586-8501
大阪府河内長野市原町一丁目1番1号
北緯34度27分29秒 東経135度33分51秒 / 北緯34.45808度 東経135.56414度 / 34.45808; 135.56414座標: 北緯34度27分29秒 東経135度33分51秒 / 北緯34.45808度 東経135.56414度 / 34.45808; 135.56414
河内長野市役所庁舎
河内長野市役所庁舎
外部リンク 公式ウェブサイト

河内長野市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

地図
市庁舎位置
ウィキプロジェクト

河内長野市(かわちながのし)は、大阪府南河内地域に位置する

概略

1954年(昭和29年)に長野町など6町村の合併によって誕生した市で、市の中心部に対しては旧町名を用いて長野と呼称される[1]。南部の山麓地域では奥河内という観光名称が使われ、滝畑四十八滝岩湧山などの大自然、観心寺金剛寺高野街道などの歴史的価値のある史跡や建造物が残る。楠木氏ゆかりの地としても知られており国宝重要文化財数に関しては全国の市町村のうち日光市に次いで12番目に多い自治体であることから「文化財のまち 河内長野」と称される[2]

大阪都心難波まで約40分、関西国際空港へは約1時間の所要時間だが、市を囲む山並みは壮観で、市内に居ながらにして大自然を満喫できることなどから、市制施行以降、市内各地にニュータウン(新興住宅地)が造成され、衛星都市として発展してきた。『週刊東洋経済』の「日本のいい街ランキング」では、2012年発表の総合ランキングで全国788市中149位(大阪府内33市中8位)と、前回(2010年発表分)の288位から大きく順位を上げた。市内の年間犯罪発生率(人口10万人あたりの全刑法犯認知件数)についても、2000年代の中盤以降は、大阪府内の33市の中で最も低い水準を維持[3]。同誌の「安全・安心な街ランキング」においても、大阪府内で第1位を記録している。

新型コロナウイルスへの感染が拡大している2020年・2021年を除く)毎年10月(主に第2週末)には、市内全域でだんじり祭を開催。ぶんまわし(全地区)、曳き歌(市町東、向野町、三日市地区)、やりまわし(三日市地区)など、さまざまな形態の祭りが盛んに執り行われている。爪楊枝(つまようじ)の産地としても有名で、販売や生産などを含めて、日本国内の自治体で最も多くの取扱量を記録している[4]

地理

河内長野市中心部周辺の空中写真。1985年撮影の3枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

南に和泉山脈がある。和泉山脈の向こう側は奈良県和歌山県で、奈良県側は五條市、和歌山県側は橋本市伊都郡かつらぎ町にそれぞれ接している。河内長野市は、北を頂点とした三角形の市域を形づくっている。大阪府内で3番目に広い面積を持っている。(面積:109.61km²(東西16.3km 南北15.8km) その面積の7割は森林で、石川や石見川など河川沿いに平野が開け、北に向かって河内平野に続いている。市域の大部分は砂岩地帯、肥沃な土壌と内陸性の湿潤温暖な気候があいまって、稲や野菜、果樹の栽培に適していると言われている。 また標高差が激しく坂も多い。 ある程度の高台にある住宅街が多く造られており、あらゆるところから市内、大阪都心部などを違う風景で観賞することが可能である

隣接している自治体・行政区

大阪府

奈良県

和歌山県

※河内長野市と和歌山県を直接結ぶ道路として河内長野〜橋本間には、「国道371号線」が、また河内長野〜かつらぎ間には、「大阪府道・和歌山県道61号堺かつらぎ線」がある。なお「大阪府道・和歌山県道61号堺かつらぎ線」については、途中の府県境で蔵王峠(ざおうとうげ)というを経由する事になっている。

自然

市域では、2002年に身近な自然環境(生物種)の調査が実施されている。その結果によると環境省レッドデータブック等に貴重種に指定されているものも生息している。また、1981年にはオオサンショウウオが発見されている。市域の昆虫についても、ホタルカブトムシをはじめ多くの種類が生息している。以下の表は、市域に生息する貴重な脊椎動物の一覧である。

河内長野市域に生息する貴重な生き物(2007年度調査・脊椎動物)[5]
分類 種名 カテゴリ 分類 種名 カテゴリ 分類 種名 カテゴリ
哺乳類 ニホンリス 要注目 鳥類 カワウ 要注目 鳥類 ハイタカ 要注目
ムササビ 準絶滅危惧種 ササゴイ 準絶滅危惧種 ノスリ 要注目
カヤネズミ 要注目 チュウサギ 要注目 サシバ 準絶滅危惧種
キツネ 準絶滅危惧種 オシドリ 要注目 クマタカ 絶滅危惧種I類
爬虫類 イシガメ 要注目 タシギ 準絶滅危惧種 ハヤブサ 要注目
アオダイショウ 要注目 アオバト 要注目 ヤマドリ 準絶滅危惧種
ヒバカリ 絶滅危惧種II類 ツツドリ 準絶滅危惧種 コチドリ 絶滅危惧種II類
両生類 カスミサンショウウオ 絶滅危惧種I類 ホトトギス 準絶滅危惧種 イカルチドリ 絶滅危惧種II類
ブチサンショウウオ 準絶滅危惧種 フクロウ 絶滅危惧種II類 ケリ 要注目
イモリ 要注目 カワセミ 準絶滅危惧種 クサシギ 準絶滅危惧種
ニホンヒキガエル 要注目 アオゲラ 準絶滅危惧種 イソシギ 準絶滅危惧種
ヤマアカガエル 準絶滅危惧種 アカゲラ 要注目 ヤマシギ 準絶滅危惧種
シュレーゲルアオガエル 要注目 オオアカゲラ 絶滅危惧種II類 サンショウクイ 絶滅危惧種II類
カジカガエル 要注目 センダイムシクイ 準絶滅危惧種 カワガラス 準絶滅危惧種
魚類 タカハヤ 要注目 セッカ 準絶滅危惧種 ミソサザイ 絶滅危惧種II類
ドジョウ 絶滅危惧種II類 キビタキ 準絶滅危惧種 コルリ 要注目
シマドジョウ 要注目 オオルリ 準絶滅危惧種 クロツグミ 絶滅危惧種II類
メダカ 絶滅危惧種II類 コサメビタキ 情報不足 トラツグミ 絶滅危惧種II類
ミサゴ 要注目 サンコウチョウ 準絶滅危惧種
ハチクマ 絶滅危惧種II類 コガラ 準絶滅危惧種
オオタカ 絶滅危惧種II類 ゴジュウカラ 絶滅危惧種II類
ツミ 絶滅危惧種II類 クロジ 準絶滅危惧種

歴史

古くから渡来人などが居住した場所でも知られ、遣隋使として中国に渡った高向玄理の出身地でもある。律令制において河内国(河州とも言われる)に含まれ、錦部郡を中心に編成されており、南河内地方にあたる。各地に空海の伝承が残るほか、楠木正成天誅組で登場する地域でもあり、北朝・南朝の行在所にもなった。幕藩時には河内狭山藩近江膳所藩(河内西代藩)、伊勢神戸藩の所領であった。

旧石器・縄文・弥生時代
  • 2万年前頃 - 三日市遺跡や高向遺跡から、この時期の国府型ナイフ形石器が出土した。
  • 9000年前頃 - 三日市遺跡や小塩遺跡から、この時期の押型文土器が出土した。
  • 3000年前頃 - 宮山遺跡でこの時期の竪穴建物、三日市北遺跡でこの時期の大型竪穴建物が検出された。
  • 1000年前頃 - 三日市遺跡から、この時期の船橋式土器が出土した。
  • 紀元前元年頃 - 三日市北遺跡で、この時期の円形型竪穴建物30棟以上のムラの存在が確認された。
  • 3世紀頃 - 大師山遺跡では高地性集落が営まれていた。
古墳時代
  • 4世紀頃 - 大師山古墳が築かれる。三日市北遺跡で、この時期の方形竪穴建物が検出された。
  • 5世紀頃 - 三日市一号墳が築かれる。三日市北遺跡で、この時期の須恵器カマドをもつ竪穴建物が検出された。
  • 6世紀頃 - この時期の三日市三号墳から鳥や人物、盾などの形象埴輪が出土している。三日市遺跡では、この時期の炭窯が検出された。高向遺跡で大型の掘立柱建物群が検出された。
飛鳥・奈良時代
  • 699年文武天皇3年) - 錦部郡鳩原の犬養広麻呂、白鳩献上。鳩原村の名の由来となる。
  • (寺伝)701年〜704年(大宝年間) - 役小角が雲心寺(のちの観心寺)を創建したとされる。
  • (寺伝)729年749年天平年間) - 行基が金剛寺を創建したとされる。
平安時代
  • (寺伝)815年弘仁6年) - 空海が雲心寺の寺号を観心寺と改め、本尊如意輪観音坐像を刻んだとされる。観心寺に現存する如意輪観音像は作者は不明だが、様式的に平安時代前期の作とされる。
  • 827年天長4年) - 真紹が観心寺伽藍を整備する。
  • 854年斉衡元年) - この年から実恵弟子真紹が観心寺で毘廬遮那仏を造立しはじめる。
  • 883年元慶7年) - 観心寺が「観心寺縁起資財帳」(国宝)を勘録する。
  • 1054年天喜2年) - 蟹井神社が創建される。
  • 1132年天承2年) - 観心寺が鳥羽院の御祈願所となる。
  • 1158年保元3年) - 内大臣藤原忠雅・忠親が高野街道(長野)を通り、高野山へ参詣する。
  • 1165年永万元年) - 和泉国大鳥郡出身の僧阿観が、金剛寺の再建を志し、後白河院に奏上する。
  • 1172年承安2年) - 阿観が弘法大師の御影供を始める。また高野山より丹生・高野両明神を勧請する(金剛寺の中興開山)。
鎌倉時代
  • 1180年治承4年) - 金剛寺が八篠女院(鳥羽天皇皇女)の祈願所となる。
  • 1207年建永2年) - 金剛寺開山阿観上人没
  • 1222年貞応元年) - 金剛寺領和田庄が成立する。
  • 1232年貞永元年)- 和田助盛が金剛寺領和田庄を春日社に寄進する。
  • 1254年建長6年) - 金剛寺五代学等阿鑁が番匠美野則元に木造高座を2基を作れらせる。
  • 1279年弘安2年) - 金剛寺楼門の二天像(重要文化財)が造立される(胎内銘)。
  • 1280年(弘安3年) - 「高野山満衆評議々定」に天野酒の記述が残される。
  • 1314年正和3年) - 金剛寺大門落慶法要
  • 1323年元亨3年) - 金剛寺法会に茶と茶菓子が準備される(近畿でも早期の飲茶・茶産に関する記録)
  • 1332年元弘2年・正慶元年) - 楠木正成が金剛寺からの戦勝祈祷の巻数贈呈に答礼する。河合寺城・石仏城・紀見峠砦・国見城などが築城されたとされる。
南北朝・室町時代
  • 1334年建武元年) - 楠木正成が従五位下に昇叙し、河内・和泉の守護職となる。
  • 1340年興国3年・暦応5年) - 後村上天皇が観心寺僧中へ領家職を安堵する。
  • 1342年正平2年・貞和3年) - 高師直・師泰が河内に進軍を開始する。
  • 1348年(正平3年・貞和4年) - 高師泰が天野仁王山城で和田助氏と合戦する。
  • 1349年(正平4年・貞和5年) - 高師直が畠山国清を河内・和泉両守護に推挙する。
  • 1354年(正平9年・文和3年) - 北朝三上皇らが金剛寺に遷り、観蔵院を御座所とする。後村上天皇が金剛寺に入る。御座所は摩尼院。
  • 1360年(正平15年・延文5年) - 畠山国清軍が金剛寺に襲来する。
  • 1382年弘和2年・永徳2年) - 畠山基国が楠木正儀討伐のため河内に進撃する。また、河内守護に補任される。
  • 1383年(弘和3年・永徳3年) - 楠木正儀が長慶天皇の観心寺七ヶ村の預所職を観心寺に施入の綸旨を施行する。
  • 1435年応永8年) - 日野観音寺の大般若経六百巻写経が完成する。
  • 1435年永享7年) - 観心寺七郷炭売、守護所に出訴。炭焼の生産化・商売化。
戦国時代
  • 1480年文明12年) - 烏帽子形八幡神社の社殿が建立される。
  • 1576年天正4年) - この頃より上方でキリシタンが増加、烏帽子形城を中心に信者が300人ほど存在した。
  • 1583年(天正11年) - 豊臣秀吉が天野山を検地。
  • 1584年(天正12年) - 豊臣秀吉が金剛寺へ初めての天野酒の礼状を送る。岸和田城主中村孫平次が豊臣秀吉の命により烏帽子形城を普請する。
  • 1594年文禄3年) - 当市域で検地がされる。豊臣秀吉により観心寺に25石、金剛寺に307石の寺領を寄進する。
江戸時代
  • 1624年寛永元年) - 当市域に多くの膳所藩領が成立。(石川氏領)
  • 1648年慶安元年) - 寺ヶ池の拡張・修築工事を開始する。
  • 1649年(慶安2年) - 中村与次兵衛が市村新田開発に着手する。
  • 1659年万治2年) - 「寺ヶ池用水法度書」が作成される。
  • 1677年延宝5年) - 浄厳が父道雲俗宅の地に延命寺を建立する。
  • 1679年(延宝7年) - 膳所藩主本多康将が二男忠恒に1万石を与え分ける。当市域の鬼住・長野・西代など15ケ村が西代藩本多忠恒領になる。三田浄久「河内鑑名所記」が刊行される。
  • 1691年元禄4年) - 蓮体が清水村に地蔵寺を建立する。(修復の説もある)
  • 1695年(元禄8年) - この年までの間に河合寺村に福田家住宅(府指定有形文化財)が建てられる。(寛永期の説もある)
  • 1702年(元禄15年) - 河内の元禄国絵図が完成する。
  • 1705年宝永2年) - 旗本小出氏が復活する。
  • 1711年正徳元年) - 西代藩本多忠統が西代村に移り住み、藩陣屋を構築する。
  • 1732年享保17年) - 西代藩本多氏が伊勢神戸に転封。これに際し、村民が送別に西代神楽(市指定無形民俗文化財)を奉納する。
  • 1753年宝暦3年) - この頃から、農村で綿の百姓繰りが行われるようになる。
  • 1756年1760年(宝暦6~10年)市村・市村新田と小山田村の間で寺ヶ池水論が発生する。
  • 1762年(宝暦12年) - 三日市宿大火
  • 1788年天明8年) - 干鰯高値等の問題で摂津・河内両国22郡836ヶ村が国訴。(この後も度々国訴が起こる)
  • 1801年享和元年) - 秋里籬島「河内名所図会」が刊行される。
  • 1807年文化4年) - 滝畑村で凍豆腐の製造が始まる。
  • 1824年文政7年) - 摂津・河内・和泉の1307ヶ村の採種・綿実に関する最大規模の国訴。
  • 1843年天保14年)6月1日 - 幕府より河内国にも上知令が出され騒然とするが、閏9月7日に撤回の幕命が出される。
  • 1854年嘉永7年) - 天保山沖にロシア船が進入。滝畑村など狭山藩領の農兵が出兵。
  • 1863年文久3年) - 天誅組の変。長野村の東条昇之助(米屋吉兵衛)、内田耕平と八兵衛(武林八郎)、向野村の秦勝蔵(北辻良蔵)が天誅組に参加。
近代・現代
  • 1868年明治元年) - 鳥羽・伏見の戦いで、市域に落武者・落人が現れ、警戒するようになる。堺県が設置され、当市域も含まれる。
  • 1870年(明治3年) - 当市域の一部が新設置の五條県に編入される。
  • 1872年(明治5年) - 五條県に編入された地域が堺県に編入される。
  • 1873年(明治6年) - 堺県は学制による小学校設置に着手し、当市域では河州第六番~第一一番小学の6校が開校する。
  • 1881年(明治14年) - 堺県が廃止され、大阪府に合併し、市域は大阪府に属するようになる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、現市域に錦部郡長野村市新野村(後の千代田村)、天野村三日市村川上村天見村加賀田村高向村が発足。
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡の統合により、現市域に南河内郡が成立。
  • 1898年(明治31年)4月2日 - 高野鉄道により大小路駅(現在の堺東駅)~長野駅(現在の河内長野駅)間が開業される。大阪府が郡制を実施し、南河内郡郡会議員選挙が実施される。
  • 1902年(明治35年)12月 - 河南鉄道により柏原駅~長野駅(現在の河内長野駅)間が開業される。
  • 1907年(明治40年) - 村社廃合令により南河内郡各地の神社で合祀が行われる。
  • 1908年(明治41年) - 高野山鉄道と地元有志の出資により長野遊園地(現・長野公園)が開園。
  • 1910年(明治43年)9月1日 - 長野村が町制施行。南河内郡長野町となる。
  • 1914年大正3年)10月21日 - 高野登山鉄道の長野駅~三日市町駅間延伸とともに三日市町駅が開業される。
  • 1915年(大正4年)3月11日 - 高野登山鉄道の三日市町駅~橋本駅間延伸とともに千早口駅天見駅が開業される。
  • 1930年昭和5年) - 大師山古墳発見。市域初の考古学的調査。
  • 1938年(昭和13年)2月11日 - 大阪陸軍幼年学校の移転に伴い、南海鉄道の滝谷駅 - 長野駅間に千代田駅が新設。
  • 1940年(昭和15年)6月1日 - 千代田に大阪陸軍幼年学校が復活。
  • 1941年(昭和16年) - 国民学校令施行に伴い、市域11小学校は国民学校と改称される。
  • 1944年(昭和19年) - 大阪市田辺国民学校などの児童が集団疎開に来る。
  • 1948年(昭和23年) - 長野町警察署(現河内長野警察署)が自治体警察として正式発足。
  • 1949年(昭和24年) - 爪楊枝生産が復興。全国の爪楊枝の大部分は河内長野市で生産。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 長野町三日市村川上村天見村加賀田村高向村が合併。大阪府下で18番目に市制を施行して、河内長野市となる。
    • 市名は長野県長野市との重複を避けるため、旧国名の河内を冠して、河内長野市となった。
    • 市制施行当時の人口は31,052人であった。
  • 1956年(昭和31年) -旧河内長野市役所開庁。
  • 1965年(昭和40年) - 河内長野市消防署が発足。
  • 1966年(昭和41年) - 滝畑ダム建設工事始まる。
  • 1969年(昭和44年) - 大師山古墳発掘調査開始。前方後円墳だと判明。 市の木「楠」と市の花「菊」が選定される。
  • 1971年(昭和46年) - 天野山金剛寺僧坊酒として名高い「天野酒」の銘柄が西條合資会社によって復活される。
  • 1981年(昭和56年) - 滝畑ダムの竣工、貯水を開始する。
  • 1984年(昭和59年) - 小学校の学校給食が開始される。 複線化に伴い天見駅付近の線路が廃線に。美加の台駅が新設される。
  • 1988年(昭和63年)4月 - 現河内長野市役所開庁。
  • 1989年平成元年) - 河内長野駅前再開発、ノバティながのがオープン。
  • 1990年(平成2年) - 大阪府立花の文化園がオープン。
  • 1992年(平成4年) - 市立文化会館ラブリーホールがオープン。
  • 1994年(平成6年) - 米国インディアナ州カーメル市と国際姉妹都市提携。
  • 1998年(平成10年) - 市のシンボルキャラクター「モックル」誕生。
  • 2002年(平成14年) - 市民交流センターと図書館の複合施設「キックス」がオープン。
  • 2007年(平成19年) - 三日市町駅前再開発、フォレスト三日市がオープン。千早赤阪村が財政難で編入合併を要請し、5月に合併協議会を設置。
  • 2009年(平成21年)8月14日 - 千早赤阪村の編入合併は、千早赤阪村議会の合併特別委員会で、村議から反対意見が相次いだことを受け撤回される。
  • 2011年(平成23年)11月1日 - エリアメールを導入し、市内向けに災害・避難情報の配信を開始する。
  • 2013年(平成25年) - 河内長野駅およびバスターミナル周辺のリニューアル工事が完了する。
  • 2014年(平成26年)
    • 5月28日 - 河内長野市制60周年事業の一環として、上田・鳴尾を除く市内のだんじり24台が、市役所の駐車場に集結。河内長野駅前へ向けて、河内長野市制60周年祈念曳行を実施した。
    • 11月29日 - 奥河内くろまろの郷がオープン。
  • 2017年(平成29年) - 奥河内くろまろの郷が、国土交通省から「道の駅」に認定。
  • 2018年(平成30年)- 「くすまる」(楠ヶ丘および周辺地域で2011年度から運行している地域乗合タクシー)の協働運営団体である楠ヶ丘自治会・河内長野市・第一交通産業が、地域公共交通優良団体表彰制度(国土交通省近畿運輸局がこの年から創設)を通じて「地域公共交通優良団体」として表彰[6]
  • 2019年(令和元年)
    • 5月20日 -観心寺天野山金剛寺烏帽子形城跡高野街道などが『中世に出逢えるまち~千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫~』として日本遺産に認定[7]
    • 6月 - 市内でイズミヤ河内長野店を運営するエイチ・ツー・オー リテイリンググループが、河内長野市との間で公民連携協定を締結。
    • 7月1日 - 河内長野市が、有料広告掲載事業に関する基本要綱に沿って、市有の30施設を対象に命名権(ネーミングライツ)パートナーを初めて募集。その結果、河内長野市立図書館、河内長野市立福祉センター錦渓苑、河内長野市立小山田コミュニティセンター・小山田地域福祉センター(あやたホール)、河内長野駅前歩行者デッキの4施設について、民間事業者との間でネーミングライツパートナー契約を締結した(契約期間は5年間)。
  • 2020年(令和2年)
  • 2021年(令和3年)
    • 4月1日 - スペランツァ大阪高槻の命名権を保有しているコノミヤが、上記のホームタウン契約の一環として、河内長野市から下里運動公園人工芝球技場の命名権を取得。同日付で、球技場名を「コノミヤ・スペランツァ球技場」に変更した[11]
    • 4月3日 - イズミヤ河内長野店の4階に、河内長野市が地域コミュニティ拠点として「イズミヤゆいテラス」をオープン。前述したエイチ・ツー・オー リテイリンググループとの公民連携協定に沿って、かつてボウリング場や売場に使用していた4階の全フロアをグループ会社から無償で貸与されたことを機に、市内に分散していた福祉関連の行政機能(河内長野市社会福祉協議会や障がい者就労施設など)を集約させた[12]
    • 4月 - 内閣府による「スーパーシティ型国家戦略特別区域」指定の公募に対して、河内長野市が南花台地区を申請。大阪府内の住宅地区では唯一の申請であったが、内閣府が8月に(河内長野市を含めた)全ての申請団体へ再提案を要請したことを受けて、10月に南花台地区を改めて申請した[13]
    • 11月26日 - 大阪府内の灌漑(かんがい)施設としては初めて、市内の北部にある寺ヶ池と寺ヶ池用水路が、国際かんがい排水委員会からかんがい施設遺産に登録。
  • 2022年(令和4年)
    • 2月14日 - 清水地区で維持・保全されている「惣代(そしろ)の棚田」が、農林水産省から「つなぐ棚田遺産」に選定[14]
    • 3月11日 - 市内の山間域における遭難事故の防止に向けて、河内長野市消防本部と株式会社ヤマップが相互連携・協力に関する包括協力協定(消防機関としては日本初の協定で通称「遭難ZERO協定」)を締結。
  • 2023年(令和4年)
    • 10月19日 - 駐車場の予約アプリを提供しているakippa株式会社との間で、日本の地方公共団体としては初めての包括連携協定を締結[15]

姉妹都市・提携都市

アメリカ合衆国の旗 カーメル市アメリカ合衆国インディアナ州

以前から交流を重ねていた市内の清教学園中・高の姉妹校があるカーメル市と1994年4月8日姉妹都市提携の調印が行われ、交流がスタートした。

カーメル市は人口100,000人程度の都市であり、州都インディアナポリス市の北に隣接するベッドタウンである。

行政

市長

歴代市長
     市長名 任期 回数
1
小柴竹虎 1954年 - 1966年 3期
2
井上喜代一 1966年 - 1980年 4期
3
東武 1980年 - 1996年 4期
4
橋上義孝 1996年 - 2008年 3期
5
芝田啓治 2008年 - 2016年 2期
6
島田智明 2016年 -現職 2期目

市章・市民歌

市章
  • 1954年昭和29年)7月に公募し、同年8月1日に市章として採用[16]
  • 大阪府を外郭に表し、中央には河内長野市の「長」の文字を配している。全体としては、の形をしている。
市民歌
  • 「河内長野市市民歌」 作詞:安西冬衛 作曲:野口源次郎 編曲:高橋半
  • 1955年(昭和30年)8月1日に制定[17]
1.仰げ金剛 むすべ石川
 すがたけだかく 流れ清らに
 われらは誇る この山この川
 河内長野 河内長野市
 いのち とわに あたらし
2.かおれ楠 におえ桜よ
 心ゆかしく しずくあきらに
 われらは愛(お)しむ この風この土
 河内長野 河内長野市
 光 つねに あまねし
3.こぞれ生産 勢(きお)え人びと
 行くて明るく のぞみ豊かに
 われらは讃(たと)う この市(まち)この幸(さち)
 河内長野 河内長野市
 文化日々に にぎわし

シンボルキャラクター

河内長野市には、「モックル」というシンボルキャラクターがある[18]1997年平成9年)〜1998年平成10年)に市民から募集したデザイン349点・愛称535点の中から決定された。デザインについては、市の木「クスノキ」と、市の資源である「緑」をモチーフに擬人化したもので、また、愛称については、市の豊かな自然を表す「木(モク)」と、人・まち・緑でつくる夢の「輪・仲間(サークル)」との造語である。「モックル」という名称は、モクモクと広がる市の未来をイメージさせる弾んだ語感だという。河内長野市は、市域の大部分が森林なので、モックルは、河内長野市の特徴をよく表している。

市民憲章

河内長野市民憲章は、1967年(昭和42年)11月3日に制定されている[19]

金剛、葛城、岩湧とつらなる山山にかこまれた河内長野市は、清らかな山河と、澄み切った大気のなかで、貴重な文化財を伝えてきたゆかしいまちであり、また、進取と不屈の精神をもって、新しい都市を建設しつつある、力強くたくましいまちです。
わたしたちは、このまちの市民であることに誇りをもち、心あわせて、さらに美しく住みよいまちにするため、ここに、この市民憲章を定めました。

  • わたしたちは、恵まれた自然を愛しましょう
  • わたしたちは、豊かな文化財に学びましょう
  • わたしたちは、生産することの価値をたたえましょう
  • わたしたちは、新しい世代に役だつ人となりましょう
  • わたしたちは、人人との交わりを大切にしましょう

都市宣言

議会

市議会

大阪府議会

  • 選挙区:河内長野市
  • 選出議員:西野修平(自由民主党

衆議院

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
浦野靖人 48 日本維新の会 114,861票
加納陽之助 41 自由民主党 67,887票
為仁史 72 日本共産党 29,570票

経済

医療

産業

河内長野市では、豊かな森林資源を活かした爪楊枝(つまようじ)やすだれ産業が盛んであった。中でも爪楊枝は明治時代から河内長野市の地場産業として発展し、過去全国で使用される爪楊枝の国内生産量の約95%を占めた。 古くから鋳物生産も行われており、工業団地やモリ工業周辺を中心に可鍛鋳鉄ステンレスなどの製造業が盛んである。さらに、僧坊酒として天野酒が知られており、西條酒造で復刻が行われている。

産業人口としては第3次産業が多く大阪外環状線を中心に大型商業施設、ロードサイド型の飲食店や小売店などが連なる。また市制施行以降に河内長野市へ移り住んできた人々の多くは、大阪市堺市などの大都市の企業などへ勤めている。南海高野線橋本まで行けることから、橋本市五條市などへ通勤している人もいるほか、国道170号線大阪外環状線)で隣接する和泉市への車でのアクセスも容易なことから、「ハローワーク河内長野」(河内長野市昭栄町7-2)にテクノステージ和泉立地企業からの求人情報も多く掲載されている。

2009年現在の事業所数は2,993事業所、事業者数は26,405人。以下は産業別事業者数の推移。

事業者数 2000年 2005年 2009年
第一次産業 11 4 60
第二次産業 5,963 5,088 5,254
第三次産業 21,587 21,678 21,091

郷土産業・特産品

河内長野市の産業

金融機関

農協

日本郵政グループ

(2021年2月現在)

  • 大阪支店 イズミヤ河内長野店内出張所(喜多町)(ATMのみ/ホリデーサービス実施)
その他簡易郵便局を除く各郵便局にATMが設置されており、河内長野・千代田の各郵便局ではホリデーサービスを実施。

※河内長野市内各区域の郵便番号は「586-00xx」(河内長野郵便局の集配担当)となっている。

観光

金剛寺 南大門

大正期には、高野山参詣の終着駅であったこともあり、天然温泉をうりに観光地として賑わったものの、高野登山鉄道が延伸するとともに賑わいは薄れていった。その後も、南北朝時代の史跡や数多くの文化財を有していながら、これらが脚光を浴びることはほとんどなかった。現在は、河内長野市と千早赤阪村に広がる山麓エリアの観光地を奥河内として積極的にアピールし、2019年には日本遺産『中世に出逢えるまち 〜千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫〜』として指定されるなど再注目されている。

主な観光名所としては、古い町並みが残る高野街道や、観心寺金剛寺などの歴史的建造物、金剛山岩湧山などの豊かな森林自然や滝畑四十八滝などが代表される。天然温泉には長野温泉天見温泉が残っている。

名所旧跡

神社・寺院

  • 観心寺(国の史跡)
    • 金堂、木造如意輪観音坐像、観心寺縁起資財帳の3件の国宝のほか、建造物、仏像など多くの文化財を有する。
  • 金剛寺(国の史跡)
    • 延喜式(3巻)、延喜式神名帳、剣(無銘、平安時代)、木造大日如来坐像・不動明王坐像・降三世明王坐像(計3躯)、紙本著色日月四季山水図の5件の国宝のほか、建造物、仏像など多くの文化財を有する。
  • 延命寺
    • 木造釈迦如来立像(重要文化財)、延命寺の夕映もみじ(市指定天然記念物)、僧浄厳墓(市指定史跡)
  • 岩湧寺
    • 岩湧寺多宝塔(重要文化財)、木造大日如来坐像(重要文化財)、岩脇寺のカヤ(市指定天然記念物)
  • 極楽寺
  • 興禅寺の木造阿弥陀如来坐像(重要文化財)
  • 地蔵寺(府指定名勝)
  • 月輪寺の木造薬師如来坐像(府指定有形文化財)
  • 光滝寺(市指定名勝)

街道・建築物

自然・公園

観光施設・資料館

行事

河内長野だんじり祭り

西代神社(原)の地車

祭礼日は、10月体育の日の前日および前々日。主に堺型・住吉型の地車が数多く存在する。地車の後輪を持ち上げ、そのバランスを取りながら勢いよく地車を回転させる「ぶん回し」は圧巻。また、三日市地区では「やりまわし」も行われる。主な地車は以下の一覧に加えて、育成会が所有するものもある。

宮入神社およびその氏子区
三日市地区
千代田地区
  • 千代田神社-市町西・市町東・木戸本郷・楠・千代田石坂・松ヶ丘・向野・鳴尾
長野地区
高向地区
加賀田地区
岩瀬地区

2014年5月18日日曜日)には、河内長野市役所駐車場から南海高野線・河内長野駅までのルートで、「河内長野市市制施行60周年記念祝賀地車パレード」を開催。地車を保有する自治会を中心に「河内長野市市制施行60周年記念祝賀地車パレード実行委員会」を設立したうえでの開催で、例年は上記の地区単位で曳行している24台の地車が、初めて一堂に会した[21]

高野街道まつり

河内長野駅から三日市町駅までの高野街道や両駅の周辺、烏帽子形城などにおいて、毎年10月に開催されるイベントである。奥河内観光のひとつとして認識されている。

その他年間行事

教育

全国で3番目に施行した教育立市宣言の理念から特に子育て支援に力が入れられており、全校区で小学校3年生からの英語教育と中1ギャップ解消のための小中一貫教育の実施、中学校給食(希望者のみ弁当デリバリー)の導入などが行われた。乳幼児に対しては子育て支援施設の充実や乳幼児医療費援助、延長保育(12時間)の実施、一時保育や放課後児童会の充実などが取り組まれている[22]

学校ICT環境としては、小中学校の各普通教室には、天吊りプロジェクター、OHC(書画カメラ)、ユニット型電子黒板とPCが設置されており、各教室の無線・有線LANなどを通じてPC教室のサーバからデジタルコンテンツが利用可能になっている[22]市立美加の台小学校内にあるメディアセンターが中心になって、 市内の全小学校で中華人民共和国ベトナムなどの学校とのテレビ会議による国際交流授業を行うなど先進的な取り組みが実施されている[23]

また、子どもの安全・安心な環境づくりの推進として、防災・災害情報や不審者情報等の緊急情報の電子メール配信、こども110番の家の拡大や、青少年指導員など地域の青少年育成団体のや市民等による見回り活動に加え、2006年度から「青色防犯パトロール車」による巡回など活発に行われている[24]

大学

大阪千代田短期大学

高等学校

中学校

公立
私立

小学校

幼稚園

公立
私立

保育所

公立
  • 千代田台こども園
私立

子育て支援

子ども・子育て総合センター「あいっく」
  • 子ども・子育て総合センター「あいっく」(ノバティながの内)
  • 河内長野市子ども交流ホール(ノバティながの内)
  • 子育て支援センター ちよだだい
  • 河内長野市子ども教育支援センター
  • 河内長野市教育相談センター
  • 河内長野市教育相談室 やまびこ
  • 河内長野市適応指導教室(ゆうゆうスペース)
  • つどいの広場 子育て支援ルーム「ふぁんふぁーれ三日市」
  • KEF市民協働サポートセンター みんなのいえ「ふぁんふぁーれ千代田」
  • つどいの広場 子育て支援ルーム「ほのぼのルーム大矢船」

地域

市域をその特性に合わせて区分すると、北部(市街地部)、中部(丘陵部)、南部(山林部)に3区分される。

北部(市街地部)
千代田駅河内長野駅三日市町駅の周辺を中心とした地域で、市制施行前から市街地を形成していたため、比較的古い町並みや工業地域が多く残る。近年は、丘陵部やその周辺のニュータウン開発の影響から、主な商業地行政公共施設などはこの地域に集積する傾向にある。また、大阪外環状線沿いや駅周辺は、大中型の商業地域として発展しつつある。
中部(丘陵部)
三日市町駅美加の台駅を中心とした地域で、主に広域型のニュータウンと農地や里山等の農空間から構成されている。また、農空間や府営長野公園等の緑地は、周辺の市街化から保護するため、市街化調整区域となっている。
南部(山林部)
千早口駅天見駅を含めた山間の地域で、当市の特徴である豊かな自然環境が多く残っており、一部が近郊緑地保全区域鳥獣保護区に指定されている。また、林業の地としての側面も持ち合わしている。

ニュータウン

丘陵地帯に建設されたニュータウン

北部や中部の丘陵地帯を中心に、小中規模のニュータウンが民間企業によって多く造成された。平成20年3月末現在の市内全体の開発面積は約798.8haで、世帯数は22,204世帯、人口は58,016人であり、市内全体の人口に対して半分以上を占めている。現在規模の大きいものには南海美加の台南花台青葉台などがある。

人口

河内長野市の人口動態(1995-2012年)

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、4.89%減の106,987人であり、増減率は府下43市町村中35位、72行政区域中62位。

平成26年度住民基本台帳人口による増減は、3.49%減と緩和されつつあるが、依然として低くない減少率である[25]。要因としては、自然増減(出生死亡)は微減の傾向であるが、社会増減(転入転出)が大きく減少していることがある[26]。これは、バブル期に造成されたニュータウンがほぼ完成し、新築住宅建設数の減少に伴って転入者数が減少したことが挙げられる[27]。なお、世帯数に関しては、市制施行よりほぼ断続的に増加している[28]

河内長野市と全国の年齢別人口分布(2005年) 河内長野市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 河内長野市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

河内長野市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より
現在の人口
  • 令和元年6月の人口は105,116人(男性:49,640人、女性:55,476人、世帯数:47,455世帯)
    • 河内長野市が発表した住民基本台帳人口(外国人を含む)に基づく[28]

地価公示

2013年の平均地価公示の住宅地区分は68,942円/m2(27標準地)、商業地区分は120,920円/m2(5標準地)と隣接する大阪狭山市や富田林市に比べると低いが、地価の変動率でみると南河内地域で2番目に良い値となっている。住宅地区分の最高値は113,000円/m2。以下は地域別の平均値[29]

地価公示対前年平均変動率をみると南河内地域の中では、大阪狭山市に次いで高い値を記録しているが、一時期はリーマン・ショックや中心街にあるノバティながのの一時休店などの影響で、2010年に商業地で-5.3%、2011年に住宅地で-4.6%の下げ幅を記録していた。その後順調に持ち直し、2013年には商業地が-1.5%、住宅地が-1.7%と年々変動値が改善[30]、商業地にいたっては2014年にプラスに転じるなど、地価が上昇する傾向にある[31]

芸術・スポーツ

音楽
  • ミレニア吹奏楽団
  • ママさんブラスMilkTea
スポーツ

スポーツ施設

寺ヶ池公園(寺ヶ池)
  • 河内長野市立大師総合運動場(大師グラウンド)
  • 河内長野市立市民総合体育館
  • 赤峰市民広場(赤峰公園)
  • 河内長野市立天野少年球技場
  • 下里総合運動場
  • 寺ヶ池公園野球場
  • 河内長野市立荘園庭球場
  • 河内長野市立大師庭球場
  • 寺ヶ池公園庭球場
  • 烏帽子形プール(烏帽子形公園内)
  • 寺ヶ池公園プール
  • 河内長野市立武道館
  • 寺ヶ池公園ゲートボール場

文化施設

  • キックス(kiccs)
キックス(市民交流センター・図書館)
市民交流センターと図書館の複合施設であり、またその愛称としても呼ばれる[32]。下記のような施設の中には、多目的スタジオ、食工房、創作工房、ホワイエ、イベントホール等があり、予約をすれば誰でも使用することができる[33]
河内長野市立文化会館(ラブリーホール)
  • 公民館
    • 河内長野市立千代田公民館
    • 河内長野市立天見公民館
    • 河内長野市立加賀田公民館
    • 河内長野市立高向公民館
    • 河内長野市立南花台公民館
    • 河内長野市立三日市公民館
    • 河内長野市立天野公民館
    • 河内長野市立川上公民館
  • コミュニティセンター
    • 河内長野市立小山田コミュニティセンター(あやたホール)
    • ノバティホール(河内長野駅前市民センター)[34][35]
    • 河内長野市立三日市市民ホール(フォレスト三日市内)
    • 河内長野市立清見台コミュニティセンター(くすのかホール)
    • 河内長野市立日野コミュニティセンター(みのでホール)
  • 南花台ふれあいプラザ(南花台西小学校内→学校法人阪和学園錦秀会看護専門学校の敷地内)[36]
  • 河内長野市立市民公益活動支援センター(るーぷらざ)[37]

宿泊施設

交通

空港

鉄道

南海近鉄 河内長野駅

市内には以下の鉄道路線があり、中心となる駅は、奥河内の玄関口でもある南海・近鉄の河内長野駅で、高野街道を意識した内装になっているほか、特急も含めた全列車が停車する主要駅である。路線は市内を北から南東に縦断するため、東西方面へは、主に路線バスが利用される。

南海難波駅へは特急・急行で最短27分、新大阪駅へは南海難波駅からOsaka Metro御堂筋線乗り換えで約40分の位置にある。近鉄大阪阿部野橋駅へは古市経由の準急で約40分だが、南海では新今宮駅からJR大阪環状線または同大和路線乗り換えで約35分で到着できる。

バス

路線バス

市内の路線バスはほとんどが南海バスが受け持っている。河内長野営業所の管轄で、河内長野市内の一般のバス路線に加え、河内長野市からの委託によりコミュニティバスモックルコミュニティバス日野・滝畑コミュニティバス、岩湧線の3路線)も運行している。

  • 南海バス

エアポートリムジンバス

  • 南海バス - Sorae
    • 出発 - 南海高野線河内長野駅
    • 到着 - 関西国際空港

深夜急行バス

堺営業所の管轄で大阪駅・難波駅から、深夜急行バス(南海深夜急行バス)を運行している。

  • 南海バス - 南海深夜急行バス
    • 出発 - 梅田・なんば
    • 到着 - 南海高野線千代田駅・河内長野駅・三日市町駅・美加の台駅

通学バス

以下への直通通学バスが発着している。

道路

高速道路

一般国道

大阪府道

主要地方道
一般府道

広域農道

  • 南河内グリーンロード

著名な出身者

ゆかりの人物

河内長野市内で撮影された映像作品

テレビドラマ

映画

  • 鬼ガール!!』(全編にわたって市内各地でロケを実施)
    • 映画の製作を通じて地域の活性化を図る「奥河内ムービー・プロジェクト」の一環で制作。
  • 『バウムクーヘン』(2023年10月14日から全国で順次公開)
    • プロデューサーを務める尾形ミキオ(市内出身)の半生を描いた実写映画で、「奥河内フィルムコミッション」(「奥河内ムービー・プロジェクト」をベースに映像作品のロケ誘致・制作補助などの役割を非営利で担う公的機関)が関与した最初の映像作品。

関連項目

脚注

  1. ^ 現在も長野公園、長野神社、長野小学校のように旧町名を用いる施設が残る。
  2. ^ 平成21年12月の行動記録(2) - 河内長野市
  3. ^ 犯罪発生率が大阪府内 33 市中『最少』に~市民・警察・市役所が一体となって安全・安心に取り組む~ - 河内長野市
  4. ^ 「つまようじのまち」PR 本場・大阪府河内長野市で地元9業者による組合”. 2020年9月閲覧。
  5. ^ カテゴリは 大阪府レッドデータブック(2003年)を基準としている。
  6. ^ くすまるが国土交通省近畿運輸局長表彰を受賞しました 河内長野市役所ホームページ2018年10月11日付
  7. ^ 令和元年度「日本遺産」に認定されました! 河内長野市役所ホームページ2019年8月14日付
  8. ^ 河内長野市とホームタウン契約を締結。スペランツァ大阪高槻2020年9月23日付
  9. ^ 鬼でまちおこし!毎月2日を「鬼でまちおこし」の推進日に 河内長野市 2020年9月28日
  10. ^ “鬼ガール”井頭愛海が町おこし!大阪府河内長野市アンバサダー就任スポーツニッポン2020年10月3日付記事
  11. ^ コノミヤ・スペランツァ球技場(旧下里競技場)へ変更のお知らせコノミヤ公式サイト2021年4月分ニュースリリース
  12. ^ 売り場を無償提供 イズミヤ、捨て身のサバイバル商い産経新聞2021年6月20日付記事
  13. ^ スーパーシティ構想について河内長野市ホームページ
  14. ^ 惣代(そしろ)の棚田が つなぐ棚田遺産に選定されました 河内長野市 2022年2月16日
  15. ^ "akippaが大阪府河内長野市と包括連携協定を締結!地元のイベント時の駐車場不足を解消し、地域全体のにぎわい創出を目指して~akippaが包括連携協定を締結するのは初~" (Press release). 19 October 2023. 2023年10月25日閲覧
  16. ^ 河内長野市市章(河内長野市)
  17. ^ 河内長野市市民歌(河内長野市)
  18. ^ 河内長野市シンボルキャラクター「モックル」(河内長野市)
  19. ^ 河内長野憲章(河内長野市)
  20. ^ 河内長野の歴史遺産 河内長野市
  21. ^ 河内長野市 市制施行60周年 記念祝賀地車パレード
  22. ^ a b 教育委員会の取り組み” (PDF). 河内長野市. 2013年8月16日閲覧。
  23. ^ 第5回教育委員会セミナー開催報告”. 教育マルチメディア. 2013年10月14日閲覧。
  24. ^ 河内長野市次世代育成支援対策行動計画” (PDF). 河内長野市. 2013年10月14日閲覧。
  25. ^ 平成22年度住民基本台帳人口では4.33%減である。
  26. ^ 河内長野市統計書 - 河内長野市
  27. ^ 平成20年住宅・土地統計調査 - 総務省 統計局
  28. ^ a b 河内長野市の人口(河内長野市)
  29. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2013年8月15日閲覧。
  30. ^ 地価公示(最新の調査結果)”. 大阪府. 2013年8月15日閲覧。
  31. ^ 大阪圏の商業地 都道府県地価調査 - 国土交通省
  32. ^ キックスホームページ
  33. ^ キックス施設予約システム(キックスホームページ)
  34. ^ 会議場、多目的施設のみ。
  35. ^ 河内長野市消費生活センター
  36. ^ 自治会が運営
  37. ^ 市民公益活動支援センター るーぷらざ

外部リンク