松坂健太

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松坂 健太
SL-Kenta-Matsusaka.jpg
西武時代
(2009年8月24日、西武第二球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市旭区
生年月日 (1985-08-16) 1985年8月16日(33歳)
身長
体重
187 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2003年 ドラフト5巡目
初出場 2007年9月29日
最終出場 2009年7月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

松坂 健太(まつさか けんた、1985年8月16日 - )は、大阪府大阪市旭区出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

東海大仰星高入学時は投手で、高校1年生で早くもMAX142km/hを記録していた。しかし制球難から高校2年生の時に外野手に転向。元投手ならではの強肩を生かし、中堅手として活躍した。 高校通算で4割近い打率と19本の本塁打を記録し、2003年のドラフト5巡目で、西武ライオンズへ入団。

西武時代[編集]

2006年まで3年間一軍出場はなかった。

2007年9月29日の対オリックス・バファローズ戦で、プロ4年目にして初の一軍出場を果たした。第4打席で香月良太からプロ初安打・初打点となるプロ初本塁打を放った。

2008年、9番左翼手で初の開幕スタメンの座をつかんだ。

2010年は肩肘の痛みに加えて内臓疾患の疑いで精密検査を受けるなど一軍の試合に出場できず、10月1日戦力外通告を受けた。

日本ハム時代[編集]

トライアウトと入団テストを経て11月15日北海道日本ハムファイターズへ入団したが[1]、1軍での出場は無く、2011年11月10日に自身2度目の戦力外通告を受けて現役引退。

現役引退後[編集]

アパレル販売員を経た後、沖縄県に移住し、現地のリゾートで働いていた[2]

2014年8月17日新婚さんいらっしゃい!に出演。

その後香川県高松市に移住し、スポーツデポ高松伏石店で野球アドバイザーとして働いている[3]

2016年学生野球資格回復研修を受講した上で、翌2017年2月7日日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となった[4]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2007 西武 3 10 9 1 2 0 0 1 5 1 1 0 0 0 0 0 1 3 0 .222 .300 .556 .856
2008 55 100 91 11 24 6 3 1 39 12 2 2 2 0 2 0 5 29 1 .264 .316 .429 .745
2009 23 43 36 7 6 2 0 1 11 5 2 0 1 0 3 0 3 8 0 .167 .286 .306 .591
通算:3年 81 153 136 19 32 8 3 3 55 18 5 2 3 0 5 0 9 40 1 .235 .307 .404 .711

記録[編集]

背番号[編集]

  • 58 (2004年 - 2010年)
  • 67 (2011年)

選手名表記について[編集]

2004年から2006年シーズンまで、西武には松坂大輔と松坂健太の二人の松坂姓の選手がいた[5]が、スコアボードや新聞等での表記では既に大輔が実績を重ねていたことから、原則として松坂大輔を「松坂」、松坂健太を「松坂健」と表記していた[6]。西武の公式サイトでは、松坂大輔を「松坂投手」、松坂健太を「松坂選手」と表記していた。

2007年シーズンからはチームに「松坂」姓が1人になり、「『松坂』となるのは重いので絶対にこのままがいい」という本人の希望によりそのまま「松坂健」と表記する話も出たが、結局「松坂」表記に落ち着いた。

脚注[編集]

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  1. ^ デイリースポーツ 前西武の松坂が日ハム入団テストに合格
  2. ^ 元西武 松坂さんが沖縄にいた! 日刊スポーツ 2013年8月11日
  3. ^ スポーツデポ 高松伏石店 アルペングループHP
  4. ^ 元ヤクルト宮本慎也氏ら132人が学生野球資格回復 - 大学・社会人”. 日刊スポーツ (2017年2月8日). 2017年2月8日閲覧。
  5. ^ 名字の読み方は、松坂大輔は「まつか」で、松坂健太は「まつか」である。
  6. ^ 日本テレビNHKのテロップなどでは松坂大輔を「松坂大」と表記。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]