リーマン・ショック

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リーマン・ショックは、2008年9月15日に、アメリカ合衆国投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻(Bankruptcy of Lehman Brothers)したことに端を発して、続発的に世界的金融危機が発生した事象を総括的によぶ。

なお「リーマン・ショック」は和製英語であり、英語では一般に the financial crisis (of 2007–08) などと呼ぶ。

概要[編集]

2007年サブプライム住宅ローン危機に端を発した米国バブル崩壊を切っ掛けとして、サブプライムローンオークション・レート証券、そのほか多分野にわたる資産価格の暴落が起こっていた。

07年からの住宅市場の大幅な悪化とともに、危機的状態となっていたファニー・メイフレディ・マックなどの連邦住宅抵当公庫へは、政府支援機関における買取単価上限額の引上げや投資上限額の撤廃など様々な手を尽くしていたものの、サブプライム住宅ローンなどの延滞率は更に上昇し、住宅差押え件数も増加を続け歯止めが効かないことを受け、2008年9月8日 米国財務省が追加で約3兆ドルをつぎ込む救済政策が決定。「大きすぎて潰せない」の最初の事例となる[1]。リーマン・ブラザーズも例外ではなく多大な損失を抱えており、2008年9月15日(月)に、リーマン・ブラザーズは連邦倒産法第11章の適用を連邦裁判所に申請するに至る。この申請により、同社が発行している社債投信を保有している企業への影響、取引先への波及と連鎖などの恐れ、及びそれに対する議会政府の対策の遅れからアメリカ経済に対する不安が広がり、世界的な金融危機へと連鎖した。2008年10月3日にはジョージ・W・ブッシュ米国大統領が金融システムに7000億ドルの金銭支援をするための法案(Troubled Asset Relief Program)に署名する[1]

日経平均株価も大暴落を起こし、9月12日(金)の終値は12214円だったが、10月28日には一時は6000円台(6994.90円)まで下落し、1982年10月以来26年ぶりの安値を記録した。

破綻とリーマン・ショック[編集]

負債総額、約6000億ドル(約64兆円)という史上最大の倒産により世界連鎖的な金融危機を招いた。

リーマン・ブラザーズ破綻の前日までアメリカ合衆国財務省や連邦準備制度理事会(FRB)の仲介の下でHSBCホールディングスなど[2]複数の金融機関と売却の交渉を行っていた。日本のメガバンク数行も参加したが、後の報道であまりに巨額で不透明な損失が見込まれるため見送ったと言われている。最終的に残ったのはバンク・オブ・アメリカメリルリンチバークレイズであったが、アメリカ政府が公的資金の注入を拒否[3]していたことから交渉不調に終わった。しかし交渉以前に、損失拡大に苦しむメリルリンチバンク・オブ・アメリカへの買収打診が内々に決定され、バークレイズも巨額の損失を抱え、すでにリーマン・ブラザーズを買収する余力などどこも存在していなかった。リーマン・ショックの経緯についてはアンドリュー・ロス・ソーキン著の「リーマン・ショック・コンフィデンシャル」に詳細に説明されている。

日本は長引く不景気からサブプライムローン関連債権などにはあまり手を出していなかったため、金融会社では大和生命保険が倒産したものの直接的な影響は当初は軽微であった。しかし、リーマン・ショックを境に世界的な経済の冷え込みから消費の落ち込み、金融不安で各種通貨から急速なドル安が進み、米国市場への依存が強い輸出産業から大きなダメージが広がり、結果的に日本経済の大幅な景気後退へも繋がっていった。

脚注[編集]

  1. ^ a b Lord Mervyn King: why throwing money at financial panic will lead us into a new crisisM. King, The Daily Telegraph, 27 Feb 2016
  2. ^ MSN産経ニュース 世界的再編も リーマンに内外金融機関が食指 2008.9.4 18:57(日本時間)
  3. ^ 2008年3月にベアー・スターンズ公的資金を注入しており、これ以上の救済措置は近々行われる大統領選挙を控えた状況も踏まえ国民の理解が得られないこと、財政の負担が大きいこと、ベアー・スターンズと違い突然の破綻ではなく以前から兆候があったこと、経済の先行きを考えた場合に前例を作りたくないなどの理由から。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]