バークレイズ

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バークレイズ
Barclays PLC
Logo barclays 1.png
Barclays HQ.jpg
バークレイズ本社ビル カナリーワーフ
種類 Public limited company
市場情報
東証1部 8642
1986年8月1日 - 2008年6月28日
LSE BARC
NYSE BCS
本社所在地 イギリスの旗 イギリス
ロンドン市 チャーチル・プレイス 1
設立 1896年
業種 銀行業
代表者 ジョン・ヴァーリー
(グループ最高責任者業務執行取締役)
資本金 16億5,004万5,450ポンド
(2007年12月31日現在)
売上高 230億00百万ポンド
(2007年12月31日終了事業年度)
総資産 2兆0,530億29百万ポンド
(2008年12月31日現在)
従業員数 約148,000名(2008年12月31日現在)
決算期 12月31日
主要株主 HSBC・グローバル・カストディ・ノミニー(UK)リミテッド 13.25%
チェース・ノミニーズ・リミテッド 10.20%
ステイト・ストリート・ノミニーズ・リミテッド 10.03%
(2007年12月31日現在)
外部リンク www.barclays.com(英語)
www.barclayscapital.co.jp(日本語)
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バークレイズ(Barclays PLC)は、イギリスロンドンに本拠を置く国際金融グループ。リーテルホールセール投資銀行部門のみならず、ウェルスマネジメント、モートゲージ、クレジットなど幅広いサービスを提供する。現在は4つのコアビジネス[1]により構成される。

概要[編集]

1728年に創業。産業革命までは同族経営であった。その後、バークレイズのイニシャティブはおおむねテューク家とグッディナフ家にあった。

今日までいくつもの銀行を吸収してきたが、1990年にはヨーロッパ銀行Européenne de Banque を買収した[2]。ヨーロッパ銀行はジャコブ・マイエール・ド・ロチルドが1817年に設立したロチルド・フレールであり、1967年からはバンク・ロスチャイルドに改称していたが、ミッテラン政権で国有化されていた。また、世界金融危機の2008年に破綻したリーマン・ブラザーズの受け皿というのが野村証券とバークレイズであった。

バークレイズの営業圏は世界50か国以上で、48億人以上の顧客を有する。本国イギリス等ヨーロッパ各国、アメリカ、中東、ラテンアメリカ、オーストラリアアジアなどに拠点を持つが、特に南アフリカ共和国のものは企業体力に貢献している。バークレイズの総資産高は世界第2位(2009年)。イギリス3大銀行中、総資産では第1位、時価総額でも第2位を誇る。

1982年に株式公開して以来、バークレイズはロンドン証券取引所の主要リストにあり、FTSE100の上場株式である。ニューヨーク、ロンドンの各証券取引所にも上場している(NYSEBCSLSEBARC)。

近代[編集]

1690年、シティ・オブ・ロンドンゴールドスミス・バンキング・ビジネスがおこった。ジョン・フリームらも羽根を広げた黒鷹を商標に、1728年クエーカーのゴールドスミスをはじめた。彼の義理の息子であるジェームズ・バークレーが1736年にパートナーとなって、商号にバークレイズの名が刻まれた。やがてバークレイ家の親戚であるSilvanus BevanHenry Tritton が、それぞれ1767年と1782年に共同経営者となった。正式な商号の定まった時期は文献によりまちまちであるが、Barclays, Bevan & Tritton のように三名を並べたものが長らく用いられたようである。バークレイ家は資金の多くを奴隷貿易に頼った。デイビッド・バークレイジャマイカに広大なプランテーションを持ち、ロイズ一族の娘と結婚した。法律でイングランド銀行ばかりが厚く保護された19世紀前半に、バークレイズがどうしていたかは容易に知れない。

大不況のただ中であった1879年に既存合名会社の有限責任化、つまり合資会社化が認められた。結果として1888年にクエーカー同士の三行で合併がなされ、Barclay, Bevan, Tritton, Ransom, Bouverie & Co が誕生した。そして1896年までに17のクエーカー行と20の個人銀行を吸収してバークレイズ合資会社となった。吸収した銀行の半分以上はガーニー家をパートナーとしていた。バークレイズはオーバーレンド・ガーニーの受け皿になったわけである。なお、吸収された銀行の幾つかはTuke の名をふくんだ。

現代[編集]

1896年からFrancis Bevan が20年間にわたり初代会長を務めた。実務はイギリス東インド会社出身のFrederick Goodenough が40年もの間リードした。最初はベヴァンの秘書として、ベヴァンが死んでからは会長として、フレデリックは1934年に死ぬまでずっと君臨したのである。他行の吸収合併は1920年まで頻繁に行われたので、フレデリックは現場を信頼して分権主義を採った。

1917年までにバークレイズは17の個人銀行と1つの合名銀行を吸収した。編集者の見識が足らず、ここで吸収された銀行について述べることができない。行名だけなら外部リンクから探すことができる。ともかく、1917年にバークレイズ銀行となった。翌年にLondon and Provincial Bank を吸収して、バークレイズの預金高は3億2800万ポンドに達した。1919年、コールウィン委員会の建議により合併要件が厳しくなった。しかしフレデリックは第一次世界大戦の初めから準備を進め、ついに1925年イングランド銀行の反対をおしきって、Anglo-Egyptian BankNational Bank of South Africa Limited. を吸収合併した。

1934年にフレデリックが死ぬとWilliam Favill TukeEdwin Fisher、そしてSir William Goodenough, 1st Baronet が、それぞれ1936年までと1947年まで、そして1951年まで会長を務めた。ここまでは死ぬまで勤め上げる会長が多かった。1951年にAnthony William Tuke が就任して、1965年にカリフォルニアへ支店を設け、翌年にバークレイカードを世へ送り出した。

バークレイズは総力をあげてグローバル化していった。1968年にユーロクリアができたが、その翌年にバークレイズは、ロンドン手形交換所加盟銀行であったMartins Bank を買収した。1971年、バークレイズは1925年に買収した南アフリカ事業を再編・改名し、またニューヨーク支店を設置した。そして2年後にオレンジリーフ (補給艦・3代) の建造予算を融資した。

1973年から1993年までは、会長Anthony Favill Tuke がその代理Martin Jacomb へつないだ時代である。アンソニー・テューク・ジュニアはBarclays National Bank of South Africa Limited.(1925年に買収した子会社)の持ち株をアングロ・アメリカンデビアスへ売却したが、退社してすぐリオ・ティント会長となった。ジェイコムはクラインウォート・ベンソンロンズデールの重役であったので、バークレイズでは大券発行にも参加する力をみせた。二人の活躍する間、新聞支配者のベリー一族と結婚したNigel Mobbs がずっといた。

この時代を詳しくみる。1978年アメリカで外国銀行の支店設置を一つの州に限るという法律ができたが、バークレイズは適用除外された。これは、1970年代に先制して支店をいくつも開業していたからであり、バークレイズの既得権であった。一方で南アフリカ事業がAmerican Credit Corporation を買収して決済事業に進出した。1981年、Deryk Vander Weyer の肝いりでTimothy Bevan が会長となった。また、Frederick Roger Goodenough がバークレイズの各部門を統制した。かつてフレデリックの採用した分権主義は、グローバリゼーションの進む中でバークレイズ本社と南アフリカ事業が同じような経営を考えるようになるにつれ形だけのものとなり、やがて1985年に本社と南ア事業は互いの商号を統一した。また、この年にビッグバン用インフラBarclays de Zoete Wedd を組織した。翌年にビザトラベラーズチェックを買収した。1987年、John Quinton が会長となった。1980年代初頭の急拡大が仇となって、バークレイズは巨額の不良債権を抱えるようになっていた。しかし、バークレイズは英国内で大掛かりな決済事業へ投資をしようとしていた。1990年にメルク・フィンク商会英語版ドイツ語版を買収した。メルクもバークレイズと似て、幾重にも合併を繰り返してきた銀行である。また、概要のヨーロッパ銀行も買収した。こうしてバークレイズは一層ノーブルとなった。

1990年代、バークレイズは大西洋両岸の不景気に苛まれた。1993年、Andrew Buxton が会長となり、翌年にMartin Taylor がCEO となった。1996年まで、バークレイズは事業売却をくりかえして利益を上げた。1997年、会長としてBZW からPeter Middleton がやってきた。1999年、Michael E. O'Neill がCEO となったが、たった一日でMatthew Barrett に交代した。

2000年、相互会社のThe Woolwich を買収し、マスコミを騒がせた。

2005年、バークレイズ・アフリカ・グループ(旧Absa Group)を傘下におさめた。

2007年3月にABNアムロ銀行を合併しようとしたが10月に取りやめた[3]

2008年、欧州の経済危機対策共同行動計画の一環でイギリスでブラウン首相RBSHBOSロイズに対して資金注入をおこなった。しかしバークレイズは自力で73億ポンドの資金を調達し、民間の自主性を保っている。 破綻したリーマン・ブラザーズの北米部門を買収し、投資銀行部門の拡充を図った[4]2009年[5]6月には、資産運用部門のバークレイズ・グローバル・インベスターズ(BGI)を世界有数の資産運用グループであるブラックロックに売却することで合意した。

2012年1月、世界で最も無責任な企業を選ぶパブリック・アイ・アワード(the Public Eye Awards)にノミネートされてしまった。選出理由は、急速な食糧投機により、世界中の食料価格を高騰させ、貧困層を苦しめたことによる[6]。7月、2005年から2009年にかけてのLIBOR不正操作によりマーカス・エイジアス会長が引責辞任した[7]

関連企業[編集]

バークレイズは銀行投資銀行証券業クレジットカードを事業分野とする。夥しい合併を繰り返したバークレイズには関連企業がいくつもある。長い名称の羅列は英語版に譲る。決済においては独自のカード事業とカストディサービスを提供している。マン島を拠点とする事業体が島の金融制度に関与している。プライベート・バンキング部門がオフショア市場も射程とする株式ブローカーを兼ねている。テクノロジー部門をアジア諸国にもっており、スマートグリッド事業と関わる。南アフリカに執着しており、歴史で述べたナショナル・バンクは1925年すでに吸収してあった。2005年にもAbsa Group を吸収合併した。バークレイズがもつアフリカの大拠点は南ア以外だとマグレブエジプトである。後者の近くイスラエルIsrael Discount Bank があり、1971–1972年にこの銀行とバークレイズの合弁でBarclays Discount Bank が設立されている。この事業は1993年に相手側が全株式を取得した。

かつてバークレイズは東京証券取引所にも上場していたが、日本で保有される株式数が減少したことと、売買高が他の2証券取引所に比べわずかであることから上場廃止を申請、2008年6月28日に上場廃止となった。

過去に東京大手町に投資銀行部門のバークレイズ・キャピタルの日本法人、バークレイズ・キャピタル証券株式会社、ならびにバークレイズ銀行東京支店が、また丸の内には資産運用部門のバークレイズ・グローバル・インベスターズ株式会社が拠点を置いていた(現在は売却済)。リーマン・ブラザーズ買収に伴い、大手町の拠点と旧リーマン・ブラザーズが拠点を置き、野村證券が使用していた六本木の拠点を交換した。現在は六本木ヒルズ森タワーの31Fに拠点を構える。

スポンサー[編集]

2001年から2016年までプレミアリーグの冠スポンサーとして活動していたほか、バークレイズのゴルフ大会(ザ・バークレイズシンガポール・オープン)、テニスではドバイ・テニス選手権(2008年)[8]2009年からはバークレイズ・ATPワールドツアー・ファイナルの冠スポンサーとしてサポートしている。

外部サイト[編集]

脚注[編集]

  1. ^ パーソナル・コーポレイト・バンキング、バークレイカード、アフリカ・バンキング、インベストメント・バンキング
  2. ^ Margaret Ackrill, Leslie Hannah, Barclays: The Business of Banking, 1690-1996, Cambridge University Press, 2001, p.316.
  3. ^ ずっと後の2016年10月になって、今度はノルデア銀行がABN との合併をもちかけている。ノルデア株はSampo Group が20%超を保有し、サンポは2006年に銀行部門をダンスケ銀行に買収されている。
  4. ^ 残りの部門は野村証券が買収した。
  5. ^ 3月には顧客の脱税を計画的にサポートしていた事実がリークされた。巨額で、課税根拠となる法律は多岐にわたっていたという。 ウィキリークス Barclays Bank gags Guardian over leaked memos detailing offshore tax scam, 16 Mar 2009 March 17, 2009
  6. ^ The Public Eye Awards”. 2012年1月18日閲覧。
  7. ^ 日経新聞電子版 銀行間金利LIBORで不正操作 米欧、摘発拡大も 英バークレイズ会長は引責辞任 2012/7/2 23:33
  8. ^ Dubai Tennis Championships”. Dubai Tennis Championships (2011年2月20日). 2011年4月18日閲覧。
  9. ^ Source: International Directory of Company Histories, Vol.64. St. James Press, 2004.