さいたま市

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さいたまし
さいたま市
Saitama City montage.jpg
さいたま市旗
さいたま市旗
2001年平成13年)10月25日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
団体コード 11100-7
法人番号 2000020111007
面積 217.43km2
総人口 1,275,331
推計人口、2016年10月1日)
人口密度 5,870人/km2
隣接自治体 上尾市川口市朝霞市川越市
志木市戸田市蓮田市富士見市
蕨市春日部市越谷市白岡市
市の木 ケヤキ
市の花 サクラソウ
他のシンボル 市の花木:サクラ
市のマスコット:つなが竜「ヌゥ」
市の愛称:のびのびシティ さいたま市
市の歌:希望(ゆめ)のまち
(作詞:福原くにこ、作曲:タケカワユキヒデ
さいたま市役所
所在地 330-9588
埼玉県さいたま市浦和区常盤六丁目4番4号
北緯35度51分41秒東経139度38分44秒
さいたま市役所
外部リンク さいたま市

さいたま市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

さいたま市行政区画図

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さいたま市(さいたまし)は、埼玉県の南部東寄りに位置するで、同県の県庁所在地浦和区)。政令指定都市の一つで、10の行政区を設置している。約127万人の人口を有し、日本で9番目に人口が多い市となっている。

目次

地理[編集]

位置[編集]

さいたま市は、関東地方の中央部に位置し、政令指定都市で唯一、内陸県に位置する。埼玉県内においては南部東寄りに位置するが、県内で用いられる地域区分では、「中央地域」に区分されることが多い[注釈 1]埼玉県庁さいたま市役所の所在する浦和区日本の首都である東京の都心部からは北に約20 kmの距離にあり、県庁所在都市としては東京に最も近い。

さいたま市の市域は、東西19.6km、南北19.9kmにわたり、面積は217.49km2である[1]。日本の政令指定都市としては川崎市堺市に次いで3番目に狭い一方、埼玉県内の市町村としては秩父市に次いで2番目に広い。

地形[編集]

さいたま市周辺の地形

関東平野の中央部に位置するさいたま市には、山地丘陵といえる場所は存在せず、全域が台地および低地からなる。全域にわたって標高が低く、最も低い地点で海抜1.1m(桜区下大久保)、最も高い地点でも海抜20.5m(岩槻区表慈恩寺)である[2]。市の西境に荒川、東寄りに元荒川が、それぞれ北西から南東に流れており、これらの河川に近い市の西側、南側、東側の3方を低地で囲まれる。一方、市の北西側から南東に向かって、主に関東ローム層によって形成された大宮台地が伸びており、市の中央部を貫いている。この台地の中にも鴻沼川芝川綾瀬川などの中小河川が流れている。このような中小河川に沿って谷底平野沖積平野等の低地が形成されているため、台地はいくつかの「支台」に区切られている。これらの低地には見沼鴻沼などがあったが、江戸時代に干拓された。

土地利用[編集]

さいたま市周辺における人口集中地区(DID)の推移(1960年 - 2010年)。1960年には既に浦和・大宮・与野3市のDIDは一体化しており、他市町のDIDと接続したのはその後のことである。岩槻区のDIDは春日部市のDIDと連続するが、市内他区のDIDとは連続しない。

東京都心からおおむね20~35km圏に位置するさいたま市は、東京大都市圏におけるベッドタウンの一つとしての性質の強い都市である。その一方で、1988年(昭和63年)に旧浦和市・大宮市が業務核都市に指定され、2000年(平成12年)にさいたま新都心が街開きをして各中央官庁の地方支分部局が東京より移転してくるなど、業務機能の集積も進んでいる。

東京の北郊に位置するさいたま市は、広域的に見ればより東京に近い市南部の方が、市北部より人口密度が高い傾向にある。これに加えて、東京都心部に直結する京浜東北線埼京線高崎線の沿線に人口が集中する傾向があり、両方の条件が重なる南区から浦和区、中央区にかけては、20000人/km2以上という高い人口密度の地域が連なっている[3]

行政・商業・業務などの都市機能の集積は、浦和駅さいたま新都心駅大宮駅といった京浜東北線の主要駅周辺において顕著であり、これらが旧市時代からの中心市街地を形成している。また東武野田線(東武アーバンパークライン)岩槻駅周辺にも旧岩槻市の中心市街地が形成されている。

現さいたま市域の大部分では、江戸時代まで農地が広がっていたが、1923年(大正12年)の関東大震災1940年代前半の太平洋戦争大東亜戦争)などを契機として、東京などからの大規模な人口流入が生じ、本格的に宅地化が進むようになった。このような宅地化は、まず中心市街地に近い台地上の鉄道駅付近、すなわち浦和駅から大宮駅にかけての東北本線沿線で先行した。浦和・与野・大宮の中心部は、このような地域において互いに近接していたことから、市街地の一体化は早期に進行し、国勢調査において初めて人口集中地区(DID)が定義された1960年(昭和35年)の時点で、この3市の人口集中地区は既に連続していた。その一方でこの時点では蕨市川口市上尾市といった他市町村の人口集中地区とは連続していなかった。

1960年代以降は、首都圏への大規模な人口流入の影響を受けて、現さいたま市域の都市化がさらに急速に進んだ(スプロール現象)。東北本線・高崎線沿線においては、さいたま市の人口集中地区と他市や東京の人口集中地区とが連続するようになり、台地上のみならず、低地や鉄道駅から離れた場所にも宅地化が及ぶようになった。この時期には、岩槻駅周辺の市街地も拡大した。政令指定都市移行後の現在、ほぼ全域で宅地化しているのは浦和区、南区、中央区、北区となっている。

しかしながら、現在においてもなお、西区や見沼区などでは鉄道駅から少し離れた場所には比較的大規模な農地が存在するほか、住宅地の中にも小規模な農地が点在している。また、明治時代の度重なる洪水を契機とした治水対策として広大な河川敷が設けられている荒川周辺(桜区、西区)や、農地として保全された見沼田圃周辺(大宮区、緑区)では、開発が厳しく制限されており、人口のほとんどいない地域も存在している。岩槻区とその他の9区との境界付近を流れる綾瀬川の両岸にも農地が多く、ここで市街地が途切れている。 その結果、さいたま市の人口集中地区は岩槻区以外の9区においてはほぼ一体化しているのに対し、岩槻区の人口集中地区と他区の人口集中地区とは連続していない。岩槻区の人口集中地区は、東側に位置する春日部市の人口集中地区に接している。

市内の商業地の公示地価の上位1位~4位が大宮区、5位が浦和区の地区であるのに対して、住宅地の公示地価の上位1位から4位が浦和区、5位が南区となっている[4]

気候[編集]

さいたま市の気候は、ケッペンの気候区分に基づけば温暖湿潤気候 (Cfa) に属するが、本州の太平洋側に一般的にみられるように、夏季に比べて冬季の降水量が少ない。冬季の降水量の少なさと最低気温の低さは、東京都大手町)や横浜市千葉市といった近隣の沿岸部の諸都市と比べ、より顕著である。アメダスのさいたま観測点(桜区大字宿)における平年値(1981年 - 2010年の観測結果による)は、年平均気温は14.8℃、年間平均降水量は1346.0mmである。

さいたま市(1981年 - 2010年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 18.7
(65.7)
25.5
(77.9)
25.4
(77.7)
31.2
(88.2)
33.3
(91.9)
35.9
(96.6)
38.7
(101.7)
37.9
(100.2)
37.4
(99.3)
32.1
(89.8)
25.6
(78.1)
25.1
(77.2)
38.7
(101.7)
平均最高気温 °C (°F) 9.2
(48.6)
9.9
(49.8)
13.1
(55.6)
19.0
(66.2)
23.2
(73.8)
26.0
(78.8)
29.8
(85.6)
31.5
(88.7)
27.1
(80.8)
21.6
(70.9)
16.2
(61.2)
11.7
(53.1)
19.9
(67.8)
日平均気温 °C (°F) 3.6
(38.5)
4.4
(39.9)
7.8
(46)
13.4
(56.1)
18.0
(64.4)
21.5
(70.7)
25.1
(77.2)
26.6
(79.9)
22.7
(72.9)
16.9
(62.4)
11.0
(51.8)
5.9
(42.6)
14.8
(58.6)
平均最低気温 °C (°F) −1.5
(29.3)
−0.6
(30.9)
2.8
(37)
8.1
(46.6)
13.4
(56.1)
17.7
(63.9)
21.5
(70.7)
22.9
(73.2)
19.2
(66.6)
12.8
(55)
6.2
(43.2)
0.8
(33.4)
10.3
(50.5)
最低気温記録 °C (°F) −7.8
(18)
−8.7
(16.3)
−5
(23)
−2
(28)
4.8
(40.6)
11.5
(52.7)
14.7
(58.5)
17.1
(62.8)
9.5
(49.1)
3.6
(38.5)
−2.4
(27.7)
−6.7
(19.9)
−8.7
(16.3)
降水量 mm (inch) 37.4
(1.472)
43.1
(1.697)
90.9
(3.579)
102.3
(4.028)
117.3
(4.618)
142.4
(5.606)
148.1
(5.831)
176.3
(6.941)
201.8
(7.945)
164.9
(6.492)
75.7
(2.98)
41.1
(1.618)
1,346
(52.992)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 3.9 5.2 9.5 9.8 10.3 11.6 12.1 8.7 11.5 9.6 6.7 3.9 102.8
平均月間日照時間 193.3 179.9 177.8 185.7 174.7 128.2 145.5 173.0 128.1 137.0 154.5 182.9 1,960.9
出典 1: 気象庁
出典 2: 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)

行政区[編集]

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さいたま市の区
合併前の旧4市域と現さいたま市の区域との比較

政令指定都市であるさいたま市には、10の行政区が設置されている。おおむね、市町村合併前の旧浦和市域に桜区浦和区南区緑区の4区が、旧大宮市域に西区北区大宮区見沼区の4区が、旧与野市域に中央区が、旧岩槻市域に岩槻区がある。ただし、わずかに旧浦和市内や大宮市内で中央区に編入された地区[注釈 2]や、旧浦和市内で大宮区に編入された地区[注釈 3]もある。

10区のうち、岩槻区を除く9区は、2003年の政令指定都市への移行に伴って設置された。この9区の区域は、浦和・大宮・与野の旧3市の合併協議において盛り込まれた『旧浦和市域・大宮市域はそれぞれ4つの行政区に区分することが適当』、『旧与野市域は(当時の)市域を基本として1つの行政区に区分することが適当』等の合意事項がさいたま市に引き継がれる形で設定されたものである[5]。一方で岩槻区の区域は、2005年に旧岩槻市がさいたま市に編入される際に、旧市域がそのまま岩槻区に移行する形で設定された。

さいたま市の10行政区には、それぞれ「区の色[6]」および「区の花[7]」が制定されている。

さいたま市の行政区
区名 団体コード 設置日 位置 面積 人口 世帯数 昼夜間人口比率 区の色 区の花
西区 11101-5 2003年4月1日 大宮市西部 29.14km2 86,939人 36,773世帯 86.14  あお アジサイ
北区 11102-3 旧大宮市北部 16.91km2 145,529人 64,261世帯 91.64  ふかみどり 菜の花
大宮区 11103-1 旧大宮市南部 12.75km2 114,996人 53,746世帯 138.70  オレンジ さくら
見沼区 11104-0 旧大宮市東部 30.63km2 161,083人 69,501世帯 80.82  そらいろ クマガイソウ
中央区 11105-8 与野市 8.39km2 98,940人 44,873世帯 98.42  バラ色 バラ
桜区 11106-6 浦和市西部 18.60km2 95,680人人 43,710世帯 84.15  さくら色 サクラソウ
浦和区 11107-4 旧浦和市北部 11.51km2 155,810人 69,574世帯 102.38  あか ニチニチソウ
南区 11108-2 旧浦和市南部 13.89km2 180,325人 80,763世帯 75.49  レモン色 ヒマワリ
緑区 11109-1 旧浦和市東部 26.51km2 119,060人 48,693世帯 79.55  みどり サクラ
岩槻区 11110-4 2005年4月1日 岩槻市 49.16km2 111,169人 47,596世帯 101.60  やまぶき色 やまぶき

人口[編集]

日本において第1回の国勢調査が行われた1920年(大正9年)以来、現さいたま市域の人口は、ほぼ一貫して増加してきた。1920年当時の人口が約12万3千人であったのに対して、2010年にはその10倍弱の約122万2千人である。特に日本の高度経済成長期における人口急増が著しく、1960年には約42万0千人であった現さいたま市域の人口は、1975年には約81万4千人となり、15年間で2倍近くに増加した。旧4市域の合併直前と2015年現在の人口は、浦和市が約49万人(現・約55万人)、大宮市が約46万人(現・約50万人)、与野市が約8万人(現・約10万人)、岩槻市が約11万人(現・約11万人)である。 さいたま市は、日本において、人口40万人以上の複数の市が合併した唯一の例である(人口30万人以上の合併では北九州市がある)。

現さいたま市域における人口の推移(1920年 - 2010年、国勢調査による)。
Demography11100.svg
さいたま市と全国の年齢別人口分布(2005年) さいたま市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― さいたま市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
さいたま市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 657,425人
1975年 813,712人
1980年 879,291人
1985年 922,757人
1990年 1,007,569人
1995年 1,078,545人
2000年 1,133,300人
2005年 1,176,314人
2010年 1,222,910人
総務省統計局 国勢調査より

市内に常住する通勤通学者約75万2千人の23.8%にあたる17万9千人弱が東京特別区部に通勤・通学し(東京特別区部からさいたま市への通勤・通学者は1万8千人弱)、昼夜間人口比率も100%を下回る92.7%であるなど(いずれも2010年(平成22年)の国勢調査による)、さいたま市は東京都へ通勤・通学するいわゆる「埼玉都民」が多数居住する、ベッドタウンとしての性格が強い。その一方で、埼玉県内の他の市町村からさいたま市への通勤・通学者も16万8千人弱にのぼり(さいたま市から埼玉県内の他の市町村への通勤・通学者は9万7千人強)、昼夜間人口比率も1990年(平成2年)の89.8%から次第に上昇をみせるなど、さいたま市は周辺の地域から通勤・通学者を集める郊外核としての性質もあわせ持つ。

地区[編集]

合併前の旧4市[編集]

さいたま市は、浦和市大宮市与野市の3市の合併により誕生し、その後岩槻市が編入されて現在の領域となった。当初に合併した浦和・大宮・与野の旧3市の市街地は地理的に連続しているが、旧岩槻市は3市の市街地とは連続しない。旧4市のうち、旧浦和市と旧大宮市は、東西方向に細長い市域と50万人強の人口を有すること、中央部に中山道宿場町浦和宿大宮宿)を起源とする中心市街地があり、東西に住宅地や農地が多いという土地利用構成となっていること、Jリーグに所属するプロサッカークラブがあることなどの共通点がある。

浦和市は、県庁、市役所をはじめ地裁県警、県指定金融機関でもある埼玉りそな銀行の本店や各種政党、メディアの支局など県都としての機能が集積する。また、明治時代に旧制浦和中学校(現・埼玉県立浦和高等学校)と浦和高等女学校(現・埼玉県立浦和第一女子高等学校)、大正時代東京帝国大学への登竜門と言われた旧制浦和高校(現・埼玉大学)が設置されたことなどを背景に、文教都市の代表格となっている。関東大震災での被害が比較的小さかったことで大正時代以降、東京神奈川からの富裕層や文化人の移住者で人口が急増し、別所沼周辺に画家が多数移住したことから「鎌倉文士浦和画家」という言葉が生まれた。また、昭和時代以降はサッカーの盛んな地としても知られるようになった。市内で最も東京都心に近く、1990年代後半には川口市を抜き県内最大の人口を擁する都市となった。2000年代以降も浦和駅武蔵浦和駅周辺は浦和パルコなどの再開発事業により人口増加が著しい。浦和区の世帯所得は東京都心に次ぐ水準で、浦和駅西側の台地上(岸町常盤高砂など)は高級住宅街としても知られる。官公庁が集積することや文教都市という特徴から「政治経済・文化の中心」と称される。

大宮市は、日本鉄道浦和―上尾間への熱心な鉄道駅の誘致により、1885年(明治18年)3月に大宮駅の開設を果たし、その後も日本鉄道大宮工場(現・JR東日本大宮総合車両センター)や大宮操車場などの鉄道施設を誘致し、戦後には新幹線が開通した。そのことから「鉄道の町・交通の要衝」と呼ばれ、駅ナカ発達から「商業の中心」とも称される。見沼の水神を祀ったとされる氷川神社が地名の由来である。

与野市は、旧浦和市と旧大宮市の間に挟まれた位置にあり、他の3市に比べて面積が小さく、ほぼ全域にわたって市街化されている。市域の狭さや市内のほぼ全域が鉄道駅至近に位置することもあり、市全域が人口集中地区に含まれ、人口密度は合併前の旧4市の中で最も高い。

岩槻市は、南北方向に細長い市域に岩槻城城下町を起源とする中心市街地があり、南北に住宅地や農地が多いという市街配置・土地利用構成となっていること、江戸時代には大部分が岩槻藩領であったこと(他の3市は主に幕府領等)、市制施行前の所属郡が南埼玉郡であったこと(他の3市は北足立郡)等の歴史的経緯において、他の旧3市とは異なった特徴を有する。伝統工芸品である岩槻人形の産地で、人形店が集積し、「人形のまち」として全国的に知られる。

市域にかつて存在した市町村[編集]

現さいたま市域の昭和初期における町村

歴史[編集]

2001年(平成13年)5月1日以前の歴史については、浦和市大宮市与野市岩槻市も参照。

先史時代[編集]

現さいたま市域には、旧石器時代より人が居住しており、大宮台地の関東ローム層から大古里(おぶさと、緑区)遺跡、明花向(みょうばなむかい、南区)遺跡などの遺跡から、旧石器時代の遺物が出土している[8]

縄文時代前期には、世界的な温暖化の進行により海面上昇が進み(縄文海進)、荒川や元荒川の下流域は海面下に没した(奥東京湾)。このため、内陸県である埼玉県栃木県でもこの時代の貝塚が発見されており、さいたま市内においても、当時の海岸線に近い大宮台地の縁辺部に大谷場貝塚(南区)、大戸貝塚(中央区)、中川貝塚(見沼区)等の貝塚が残されている。寒冷化の進んだ縄文時代の後期・晩期の遺跡は少なくなるものの、真福寺貝塚(岩槻区、国の史跡)、馬場小室山遺跡(緑区、埼玉県の史跡)、南鴻沼遺跡(中央区)などの遺跡がある[9]

弥生時代古墳時代に入ると、本格的な水稲耕作が行われるようになる中で、低地をのぞむ台地の縁辺部や、低地の自然堤防に多くの集落が形成されるようになった。古墳は、植水古墳群側ヶ谷戸古墳群(西区)、大久保古墳群土合古墳群(桜区)など古入間川沿いの台地縁辺部や低地に多く見られる[10]

古代[編集]

奈良時代律令体制が整備されると、現さいたま市のうち岩槻区は埼玉郡に、それ以外の9区は足立郡に含まれるようになった。和名類聚抄には足立郡に7つの郷が所載されており、そのうち堀津(ほっつ)、殖田(うえた)、郡家(ぐうけ)、発度(はっと)、大里(おおさと)の5郷を現さいたま市域内に比定する説があるが、堀津郷や発度郡はさいたま市外に比定する説もあり、定かではない。延喜式神名帳には、現さいたま市域では氷川神社調神社足立神社の3座が所載されている(式内社[11]

平安時代中頃には、国司に抵抗する群盗の蜂起が続発して治安が悪化した武蔵国では、地方豪族や荘園管理者などが農民などを集めて武装化するようになり、やがてそのような武装集団が武士となっていった。938年(天慶元年)、足立郡司として現在の浦和や大宮を含む足立郡一帯を支配していたと考えられる武蔵武芝と、武蔵権守の興世王・武蔵介の源経基との対立が生じ、これがやがて平将門の乱の契機となったが、乱に巻き込まれる中で武蔵武芝は失脚し、以降足立氏などが足立郡司として登場した[12]

中世[編集]

1160年(平治元年)の平治の乱の際、源義朝に従って破れた足立遠元は、その後足立郡に逼塞していたと考えられているが、1180年(治承4年)に挙兵して鎌倉入りした源頼朝から足立郡の郡郷領掌を安堵され、以後有力御家人として重用された。足立遠元の屋敷は現桶川市川田谷に比定する説と、現さいたま市西区の植田谷に比定する説とがある。この他、鎌倉時代に現さいたま市域に勢力を有した武士として、髙鼻和氏、麻弥屋氏、箕勾氏、渋江氏、柏崎氏などがある[13]

戸田市西部からさいたま市南区西部にまたがる佐々目郷は、1293年(正応6年)から4度に分けて鎌倉鶴岡八幡宮寄進されたが、1394年(応永元年)以降、鶴岡八幡宮による支配に抵抗する農民の闘争がたびたび生じた[14]

室町時代の関東地方では幾度にわたる戦乱が生じ、現さいたま市域もその戦乱の場となった。観応の擾乱においては、1350年(観応元年)に羽祢蔵(現:桜区羽根倉)にて合戦が行われ、足利尊氏方の髙麗経澄足利直義方の難波田九郎三郎らを破っている[15]

また、享徳3年12月27日1455年1月15日)に享徳の乱が勃発すると、現さいたま市一帯は古河公方方と関東管領方との対峙の場となった。1456年(康正2年)には、古河公方の足利成氏の家臣である簗田持助が足立郡に討ち入ってその大半を押領した。また岩付城は、関東管領方の(扇谷上杉持朝の家臣である太田資清資長(道灌)父子による築城であるとする説と、古河公方方の成田正等による築城であるとする説とがあり、築城後も太田氏が城主となった時期について複数の説があるなど、両勢力の角逐が続いた。

その後、長享の乱(1487年 - 1505年)における長期間にわたる山内上杉家扇谷上杉家との抗争を経て、関東地方における上杉氏の力は消耗し、かわって後北条氏の勢力が次第に拡大することとなった。1524年(大永4年)には北条氏綱の勢力がすでに三室郷に及んでおり、この頃から現さいたま市域一帯は岩付太田氏の勢力と後北条氏の勢力の接点となったが、やがて1546年(天文15年)の川越夜戦にて北条氏康軍が勝利すると、武蔵国における後北条氏の勢力拡大はさらに本格化した。そのような状況下で、やがて1564年(永禄7年)には太田氏資がその父である太田氏清を追放して北条氏康に内応し、その結果、一帯は後北条氏の支配体制下におかれることとなった[16]

しかし、1590年(天正18年)には豊臣秀吉による小田原征伐の過程で岩付城も陥落した。これにより後北条氏による支配は終わり、かわって豊臣秀吉の命で関東地方を与えられた徳川家康が関東入りした[17]

近世[編集]

徳川家康は、関東における支配を固める過程で、江戸の近隣に幕府領旗本領譜代大名を多く配置した。江戸時代幕藩体制下で現さいたま市域におかれた藩としては、岩槻城を藩庁とする岩槻藩がある。現さいたま市域のうち、岩槻区域の大部分はこの岩槻藩の所領であった。一方、他の9区の区域は幕府領や旗本領を中心に、さらに寺社領や岩槻藩領が入りまじり、さらに相給も多いという、複雑で細分化された支配体系下にあった[18]

江戸時代に、現さいたま市域において街が形成されていたのは、岩槻町浦和宿大宮宿与野町、および大門宿の5か所であった。このうち、岩槻町が唯一の城下町であり、またこの岩槻町と大門町が、将軍の日光参詣や岩槻藩の参勤交代の経路として用いられた日光御成街道宿場町である。また、浦和宿と大宮宿は、五街道の1つとして整備された中山道の宿場町であり、与野町は甲州街道と日光御成街道を結ぶ脇往還である奥州道中岩槻道の継立場として成立した街である。しかし、大門宿の規模はきわめて小さく、また浦和宿や大宮宿も中山道の宿場町の中では比較的小規模であって、与野町の方が規模の大きい街であった[19]

江戸時代は、利根川荒川流域において、多数の河川の付け替えや沼地干拓が行われた時代であり、現さいたま市域もその影響を大きく受けることとなった。まず、1629年寛永6年)には関東郡代伊奈忠治らが、利根川東遷事業の一環としてそれまで現在の元荒川へと流れていた荒川の河道を、現在の熊谷市久下付近で締切り、和田吉野川市野川を経由して入間川筋に流す河川改修を実施した。この河川の付け替えにより、元荒川筋では水害が減少して新田開発が盛んに行われるようになった反面、入間川筋ではより一層洪水の危険性に晒されることとなった[20]。同じく1629年には灌漑用水の確保を目的として、現在の東浦和駅南東側付近の芝川をせきとめる八丁堤も築堤され、その上流側に見沼溜井が形成された。

1728年享保13年)には、享保の改革の一環として新田開発を進めていた徳川吉宗の命を受けた井沢弥惣兵衛が、八丁堤を切り開いて見沼溜井を干拓して新田とし(見沼田圃)、それにかわる水源として利根川から見沼代用水(現さいたま市域は見沼代用水東縁見沼代用水西縁に分流)を開削させた。1732年(享保17年)には見沼代用水西縁から分水する形で高沼用水路が開削され、見沼に続いて鴻沼が干拓された。さらに1731年(享保16年)には、もとの八丁堤があった付近に日本で最古級の閘門式運河である見沼通船堀が開削され、見沼代用水東縁・見沼代用水西縁と芝川をつなぐ内陸水運路となった。

また、江戸時代には現上尾市域から現南区域にかけての広い範囲が、紀伊徳川家徳川将軍家鷹場となっていた[21]

近代[編集]

明治維新の過程において、日本の地方行政に関わる制度が府藩県三治制(1868年 - )、版籍奉還(1869年)、廃藩置県(1871年)と移行してゆく中で、現さいたま市域では1869年(明治2年)1月に大宮県が設置されたが、大宮県の実質的な県庁機能は東京府日本橋馬喰町に置かれた。同年9月には県庁が浦和宿(現:浦和区)に移転し、県名も浦和県へと変更された。一方、岩槻藩1871年(明治4年)7月の廃藩置県により岩槻県となった。その後、同年11月に、浦和県、岩槻県、忍県が合併して埼玉県が誕生、県庁は旧浦和県庁に置かれた。

日本初の鉄道開業新橋駅 - 横浜駅(現桜木町駅)間)から11年後の1883年(明治16年)には、日本鉄道上野駅 - 熊谷駅間(現:京浜東北線高崎線の経路に相当)が開通し、現さいたま市域では初の鉄道駅である浦和駅が開業した。 

市域西部を流れる荒川は、1907年(明治40年)8月と1910年(明治43年)8月に水害を起こし、特に1910年の水害は、関東大水害として知られる。荒川をはじめ埼玉県内の多数の河川が大雨により氾濫し、埼玉県や東京府の広い範囲が浸水するなど、大規模なものとなった。これらの水害を契機に、荒川では「荒川下流改修計画」「荒川上流改修計画」が策定され、一体的な治水対策や河川改修工事が行われるようになった。しかしながら、戦争を含む当時の日本の経済・社会情勢の影響を受け、工事は当初予定よりも大幅に時間を要することとなった。現さいたま市域は、荒川上流改修計画に含まれているが、これによる河川改修工事は、開始年が1918年(大正7年)、付帯工事も含めた終了年は1954年(昭和29年)のことである。これにより、さいたま市付近の荒川は、幅2km弱にわたる河川敷を有することとなった[22]

1923年(大正12年)の関東大震災は現在のさいたま市域、なかでも浦和と大宮の発展に大きな影響を及ぼすことになる。この時期埼玉県では主要都市中心部で「耕地整理事業」の名による区画整理が始まっていたが、中でも早期に耕地整理事業が進み、震災の時点ですでに中心部付近に整備された碁盤状の街区を設けていた旧浦和町は震災被害も軽微で(死者は3名[23])、壊滅した東京や横浜から人口が流入し、特に別所沼の周辺をはじめとする地域には画家をはじめとした文化人が移住した。彼らは「浦和画家」と呼ばれる文化人コミュニティーを形成し、文教都市、浦和の発展に寄与した。一方大宮ではやはり震災を契機として、大宮町・大砂土村境界部に東京・小石川から盆栽業者が集団移転し、盆栽村組合が設立されて厳格な景観に対する取り決めを行い、盆栽村が形成された。これら関東大震災後に浦和、大宮に花開いた文化は現在でも文化的遺産となっている。

1927年(昭和2年)に宮脇梅吉が埼玉県知事に就任。宮脇は、県庁のある浦和の単独市制もしくは浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏実現を構想した。宮脇は在任わずかで他県に転出して実現しなかったが[24]1931年(昭和6年)に宮脇が再び埼玉県知事に就任。自論を再び展開し、日進を加えて三町三村の合併による「大埼玉市構想」を強く提唱する[24]。しかし大宮町の負債総額が浦和町を大幅に上回っていたことから浦和町が合併に消極的であったといわれ[25]、合併は実現せず。1934年(昭和9年)、市制施行により浦和市が発足。これは都道府県庁所在地として最も遅い市制施行であった。また、浦和・大宮・与野・六辻・三橋の1市2町2村の上水道を取り扱う「埼玉県南水道組合」(後の埼玉県南水道企業団、現:さいたま市水道局)が設立され、「大埼玉市」構想の一部が実現した[24]

1939年(昭和14年)には浦和市が、与野・六辻と戸田・蕨等の一市三町六村での合併を呼びかけ。大宮町も、浦和市・与野町との独自の合併案を提示する[24]。翌年の1940年(昭和15年)、埼玉県が仲介して大宮案での合併交渉に入り、六辻・日進を加えて一市三町五村での合併で一応の合意。しかし、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなる。11月に大宮町は交渉不調に備えて別個に合併交渉を進めていた三橋・大砂土・宮原・日進の4村と合併し、同時に市制施行により大宮市が発足。1943年(昭和18年)には、埼玉県知事の大津敏男が浦和・大宮・与野との二市一町で埼玉市を設立する合併構想を打ち出すも、戦争の激化により立ち消えとなった。

太平洋戦争中は、埼玉県内を管轄する浦和連隊区司令部が置かれた。戦争末期の1945年(昭和20年)には、日本の多数の都市がアメリカ軍の空襲を受けた。現さいたま市域でも、4月14日に浦和市と大宮市、5月26日に再び浦和市が空襲を受けて死傷者が生じ、また浦和への爆撃予告ビラが投下されるなどしたが、県内最大の空襲である熊谷空襲のような市街の大部分を焼失するような大規模空襲に遭うことはなかった[26]。終戦後進駐軍の占領下になると埼玉会館に埼玉軍政部が置かれた。

現代[編集]

みそのウイングシティ

戦後高度経済成長に伴う東京都心の人口過密によって、至近の現さいたま市域も人口流入が進み、日本で最も人口増加の著しい地域の一つとなった。東京都心部への近さから21世紀を迎えても社会増(移住者)が依然続き、区画整理(一覧)事業によって市街地も拡大している。2010年から2015年の人口増加率は政令市の中では福岡市仙台市に次いで多い(日本の市の人口順位参照)。また、市内主要駅周辺部では再開発事業(一覧)が活発化し、高層建築物が増加した。市内で最も高さがある建物はランド・アクシス・タワー(略称:L.A.タワー)(168m)、最も階数が高い建物はライブタワー武蔵浦和(38階)となっている。2001年には戦前(1927年)から数度浮上した合併構想が結実し、さいたま市が発足した(下記)。さいたま新都心には霞が関から政府機関が移転するなど、首都圏における代表的な業務集積地としての一面も見せている。

合併に関する経過と合併後の沿革。旧市に関する詳細な歴史は各4市の項目を参照。

  • 1953年(昭和28年) - 9月、町村合併促進法が制定される。いわゆる「昭和の大合併」の始まり。
  • 1954年(昭和29年) - 2月、埼玉県が県内323市町村を81市町村にまで合併再編する合併試案を示し、浦和市・大宮市周辺では浦和市・大宮市・与野町・大久保村・土合村の2市1町2村による合併試案が示される。しかし浦和市は大久保村・土合村を編入する合併、大宮市は周辺6村を編入する合併を構想し、この枠組みでの合併は実現せず[27]。11月、与野町が大久保村に合併を申し込むも、実現せず[28]
  • 1955年(昭和30年) - 1月、浦和市が大久保村・土合村を編入、大宮市が周辺6村(春岡、七里、片柳、植水、馬宮、指扇)を編入。2月、与野町議会に北部を大宮市、南部を浦和市に編入させ、中央部を残存させる案が提出されるも、反対議員や町民が議場を取り囲んで開会できず、与野町はそのまま残る[29]
  • 1958年(昭和33年) - 市制施行により与野市が発足。
  • 1962年(昭和37年) - 浦和市議会が、三市と川口・蕨での五市合併を呼びかけ。第一段階で三市、第二段階で川口・蕨との合併をするというものだった。
  • 1973年(昭和48年) - 三市の市長が合併に関して初会談。また、北九州市の合併推進派の理論的支柱となった都市社会学者の磯村英一が、三市について「合併しなければ、背を向け続けるであろう」と警告。
  • 1980年(昭和55年) - 10月、県南中央地域の都市間相互のゆるやかな連合を掲げ、浦和市、大宮市、上尾市、与野市、伊奈町の4市1町および埼玉県による「埼玉中枢都市首長会議」が発足。
  • 1982年(昭和57年) - 4月、従前の首長会議の名称を「埼玉中枢都市圏首長会議」に変更。9月、「埼玉中枢都市圏構想・基本構想」策定。
  • 1985年(昭和60年) - 12月、「埼玉中枢都市圏構想」の名称を「さいたまYOU And Iプラン」(構成4市1町の英表記頭文字を組み合わせた名称)に変更。
  • 1990年(平成2年) - 7月、「政令指定都市化」を公約にして、新藤享弘が大宮市長に就任。だが、単独での実現は現実的には無理で、合併による政令指定都市化を目指すものだった。これには与野市長井原勇も同調した。
  • 1991年(平成3年) - 4月、「政令指定都市化」を公約にして、相川宗一が浦和市長に就任。これに難色を示した現職の中川健吉を破っての就任であった。
  • 1992年(平成4年) - 4月、国土庁が4市1町の圏域を「埼玉中枢都市圏域業務核都市基本構想」として承認。
  • 1993年(平成5年) - 6月、旧国鉄操車場跡地に、国の10省庁17機関の移転決定。12月、4市1町の強固な連合を目標とした「彩の国YOU And Iプラン」を策定。以後、合併政令指定都市化の動きが活発化する。
  • 1995年(平成7年) - 7月19日 、上尾市が浦和市・大宮市・与野市からの合併協議会設置請求に対し拒否回答。
  • 1997年(平成9年)
    • 12月18日 - 任意協議会「浦和市・大宮市・与野市合併推進協議会」が設置される[30]
  • 1998年(平成10年)
    • 4月15日 - 新市の名称の議論を付託された「第2小委員会」が設置される。
    • 10月30日 - 大宮市の提案に基づき、3市の市民代表・学識経験者・マスコミ関係者で構成される「浦和市・大宮市・与野市新市名検討委員会」が設置される(会長:兵藤釗埼玉大学学長)。
    • 11月2日 - 第2小委員会開催。新市名検討委員会から「新市名公募」との報告を受ける。大宮市は公募方式に対し態度を保留するも、同月10日に新市名検討委員会は国内外からの公募を再確認。その後、上尾市・伊奈町の扱いをめぐり大宮市が審議をボイコット。浦和市は審議正常化を求め戸田市・蕨市も合併に加えることを提案。
  • 1999年(平成11年)
    • 6月25日 - 3市先行合併、合併後に上尾市・伊奈町の意向確認を行う旨の合意が行われ(6・25合意)、審議が正常化。
    • 8月 - 19日、大宮市議会の反対で公募先送り。28日、公募実施要項に「6・25合意」を盛り込むことで公募の実施を合意。31日、第14回第2小委員会で市名の公募の実施を合意。
  • 2000年(平成12年)
    • 1月10日 - 市名の公募を実施。期限の2月18日までに全国から67,665件、8,580種類の応募がなされる。その結果は、『埼玉市』が1位(7117票)、『さいたま市』が2位(3821票)というものであった。また合併を構成する各市の名称を用いる案は『大宮市』が3位(3008票)、『浦和市』が6位(1821票)となったが、大宮市以外の地域からの『大宮市』への応募は24.8%、浦和市以外の地域からの『浦和市』への応募は29.7%と少なく、浦和市からの『大宮市』への応募は1.1%、大宮市から『浦和市』への応募は3.7%であった[31]。また、『与野市』は100位以内に入らなかった[32]
    • 3月26日 - 新市名検討委員会での検討の結果、『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位2495票)・『さきたま市』(7位1374票)・『関東市』(37位217票)の5案が市名候補として選考され、第2小委員会委員長及び小委員会に報告される。
    • 4月4日 - 第22回第2小委員会が開催。浦和市・与野市から『さいたま市』、大宮市から『大宮市』の2つの市名案が提案される。なお、『大宮市』の名称は、大宮市の提案で設置された新市名検討案が提出した市名候補5案にはないものだった。
    • 4月11日 - 第23回第2小委員会が開催。『埼玉』などの名称を使用しないでほしいとする要望書を提出した、行田商工会議所会頭・行田市埼玉地区自治会連合会会長が招聘される。
    • 4月17日 - 第25回第2小委員会が開催。大宮市側は新市の市役所の位置について、「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」旨[33]を合併協議書に盛り込むことで、新市名を『さいたま市』とすることに合意した[34]が、合併後は「将来の市役所の位置」に関する合併協定書の文言に関する解釈を巡って対立が見られる(市の中心となる浦和市側の反発により、さいたま新都心に設置すると表記していないため)。
    • 4月24日 - 第21回合併推進協議会が開催。新市名を 『さいたま市』とする旨委員長報告があり、議案が提出。即日議決される。なお、さいたま市の「さ」の字体は、2画目と3画目が連続した字体(「ち」の鏡文字)を正式としたが、市民などが住所を表記する際にはどちらでも構わないとしている。
    • 4月29日 - 法定協議会「浦和市・大宮市・与野市合併協議会」が設置される。
    • 5月5日 - 浦和市、大宮市、与野市の市境域の旧国鉄操車場跡地にて、さいたま新都心が街開き。
    • 9月5日 - 合併協定調印式。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月28日 - 浦和市東部(岩槻市南部も含む)の大規模開発・みそのウイングシティ(計画人口31,200人)の開発に先駆け、埼玉高速鉄道及び浦和美園駅が開業。
    • 5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併し、さいたま市発足。
    • 7月29日 - 上尾市が「さいたま市との合併の是非を問う住民投票」を実施。「反対(58.3%)」・「賛成(41.7%)」という結果となった。
    • 8月6日 - 伊奈町が合併協議を断念する旨を表明。8日には、上尾市が住民投票の結果を受け、合併協議を辞退する旨を正式に表明。
  • 2002年(平成14年)
    • 11月20日 - 市議会が「政令指定都市関連議案(区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例案)」を可決。
  • 2003年(平成15年)
    • 1月26日 - 岩槻市が「岩槻市の合併に関する住民投票」を実施。「さいたま市との合併(52.6%)」・「合併しない(38.8%)」・「春日部市、宮代町、杉戸町、庄和町との合併(8.5%)」との結果となった。
    • 2月5日 - 住民投票の結果を受け、岩槻市がさいたま市に対し合併協議の申し入れを行う。さいたま市は、24日にこの申し入れを受け入れる。
    • 4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、9つの行政区が発足。
    • 7月15日 - 任意協議会「さいたま市・岩槻市任意合併協議会」設置。
  • 2004年(平成16年)
    • 6月25日 - 法定協議会「さいたま市・岩槻市合併協議会」設置。
    • 8月24日 - 合併協定調印式。
  • 2005年(平成17年) - 4月1日、さいたま市が岩槻市を編入合併し、旧岩槻市の市域を区域とする岩槻区が発足。
  • 2006年(平成18年) - みそのウイングシティが街びらき。現在も区画整理事業が進む。
  • 2013年(平成25年) - ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムが初開催。
  • 2015年(平成27年)
    • 4月1日 - 「文化財産等取得基金」を編入し、「文化芸術都市創造基金」が創設。この基金をもとにトリエンナーレなどのイベント開催、浦和区の「うらわ美術館」を「さいたま市立美術館」(仮称)に発展的に開設する構想がある。
    • 11月 - さいたま国際マラソンが初開催。
  • 2016年(平成28年) - さいたまトリエンナーレが開催。
  • 2020年 - 東京オリンピックが開催、埼玉スタジアム2002及びさいたまスーパーアリーナが競技会場となる(予定)。みそのウイングシティ内に順天堂大学医学部附属病院の新病院が開院、同時に大学院の新キャンパスも開学(予定)。
  • 2020年度 - 旧岩槻区役所跡に「岩槻人形会館」(仮称)を開設予定。
  • 2020年以降 - 埼玉高速鉄道の浦和美園駅から岩槻駅までの区間が延伸(予定)。

政治[編集]

首長[編集]

さいたま市歴代市長
氏名 就任 退任 期・備考
井原勇 2001年5月1日 2001年5月26日 市長職務執行者
1983年5月1日-2001年4月30日まで与野市長として5期在任
相川宗一 2001年5月27日 2005年5月26日 1期・1991年5月2日-2001年4月30日まで浦和市長として3期在任(通算4期)
2 2005年5月27日 2009年5月26日 2期(通算5期)
3 清水勇人 2009年5月27日 2013年5月26日 1期
4 2013年5月27日 現職 2期

過去の市長選挙[編集]

2013年5月19日さいたま市長選挙 投票率 37.98% 有権者数 981,707人 有効投票数 368,585票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
171,876 清水勇人 無所属
118,362 長沼威 無所属
53,513 吉田一郎 無所属
24,834 大石豊 無所属
2009年5月24日さいたま市長選挙 投票率 42.78% 有権者数 953,436人 有効投票数 403,867票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
155,966 清水勇人 無所属
98,816 相川宗一 無所属
62,991 中森福代 無所属
32,249 日下部伸三 無所属
27,448 松下裕 無所属
26,397 高橋秀明 無所属
2005年5月15日さいたま市長選挙 投票率 35.51% 有権者数 921,336人 有効投票数 321,168票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
135,553 相川宗一 無所属
121,735 中森福代 無所属
63,880 沼田道孝 無所属
2001年5月27日さいたま市長選挙 投票率 46.41% 有権者数 795,006人 有効投票数 365,903票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
131,822 相川宗一 無所属
109,552 新藤享弘 無所属
49,505 岡真智子 無所属
39,323 高橋秀明 無所属
21,662 沼田道孝 無所属
8,647 高瀬広子 無所属
3,377 吉田一郎 無所属
2,015 山口節生 無所属
  • 2001年5月27日 - 初の市長選挙。前浦和市長の相川宗一(自由党推薦)が当選。
  • 2003年4月13日 - 初の市議会議員一般選挙。議員定数を64に削減。
  • 2004年12月26日 - 南区選出議員の市議会議員補欠選挙。
  • 2005年5月15日 - 市長選挙。岩槻区選出議員の市議会議員増員選挙。浦和区選出議員の市議会議員補欠選挙。議員定数を71に増加。
  • 2007年4月8日 - 市議会議員一般選挙。議員定数を64に削減。
  • 2009年5月24日 - 市長選挙。西区・北区選出議員の市議会議員補欠選挙。
  • 2011年4月10日 - 市議会議員一般選挙。議員定数を60に削減。
  • 2013年5月19日 - 市長選挙。見沼区選出議員の市議会議員補欠選挙。
  • 2015年4月12日 - 市議会議員一般選挙。

さいたま市議会[編集]

さいたま市議会を参照

国政選挙[編集]

本市における衆議院小選挙区は、3つに区分されている。

議員名 党派名 当選回数 備考
村井英樹 自由民主党 2 選挙区
武正公一 民進党(旧民主党 6 比例復活
議員名 党派名 当選回数 備考
枝野幸男 民進党(旧民主党) 8 選挙区
牧原秀樹 自由民主党 3 比例復活
議員名 党派名 当選回数 備考
田中良生 自由民主党 3 選挙区

県政選挙[編集]

本市における県議会の選挙区は、行政区ごとに区分して議員を選出している。その総数は14である。

選挙区名 定数 議員名 会派 当選回数
南第3区 さいたま市西区 1 日下部伸三 自由民主党 2
南第4区 さいたま市北区 2 鈴木弘 自由民主党 4
高木真理 民進党・無所属の会 2
南第5区 さいたま市大宮区 1 沢田力 自由民主党 2
南第6区 さいたま市見沼区 2 田村琢実 自由民主党 3
井上將勝 民進党・無所属の会 2
南第7区 さいたま市中央区 1 伊藤雅俊 自由民主党 2
南第8区 さいたま市桜区 1 荒木裕介 自由民主党 2
南第9区 さいたま市浦和区 2 荒川岩雄 自由民主党 4
浅野目義英 民進党・無所属の会 3
南第10区 さいたま市南区 2 宮崎栄治郎 自由民主党 4
木村勇夫 民進党・無所属の会 3
南第11区 さいたま市緑区 1 高橋政雄 自由民主党 3
南第12区 さいたま市岩槻区 1 小島信昭 自由民主党 5

行政[編集]

さいたま市役所の項目も参照。

広報活動[編集]

市の一般的な広報活動は、広報課により行われている。同課内には、一般的な広報活動の企画立案や各区ごとの広報活動の取りまとめを行う「広報係」のほか、行政情報の見える化を推進することを主な業務とする「企画推進係」がある。[35]

主な広報媒体として、広報誌『市報さいたま』(毎月1回発行、全戸配布)、テレビ番組『のびのびシティさいたま市』(テレビ埼玉で放送)のほか、ウェブ媒体によるもの(公式サイトおよびメールマガジン)などがあり、このうち『市報さいたま』については視覚障害者向けにカセットテープ版や点字版も制作されている[36]。また、この他にも市議会や市政の個別テーマ・部局・地域ごとの広報が多くなされている。

市のマスコットキャラクターとして、市内の見沼(見沼田んぼ)に伝わる伝承に因んだ「つなが竜ヌゥ」が2007年9月20日に制定された[37]。このキャラクターは一定の条件(要綱・マニュアルに記載)を満たせば営利目的を含めて誰でも使用することができるほか、着ぐるみの貸し出しも行われている[38]。また、埼玉県の自治体のゆるキャラで構成されるゆる玉応援団にも加盟している。また、やなせたかしによるキャラクター「浦和うなこちゃん」がさいたま観光大使に任命されており、各種イベントにて「ヌゥ」や埼玉県のキャラクターである「コバトン」・「さいたまっち」と一緒に登場することが多い[39]

市歌として、「さいたま市の歌『希望(ゆめ)のまち』」が制作されている。政令指定都市移行記念として2003年に制定されたもので、公募により880点寄せられた歌詞の最優秀作品に市出身のタケカワユキヒデが作曲および補作詞をした楽曲で、タケカワと二人の娘(武川基、武川アイ)のユニット「タケカワユキヒデ & T's COMPANY」が歌う。この楽曲の冒頭とエンディングに流れるチャント風のエールは、浦和レッズと大宮アルディージャのサポーター有志によるものである。また、このエールをアレンジしたものが市内の複数のJR駅で発車メロディーとしても使用されている。[40]

市の機関[編集]

消防本部・危機管理センター
消防・防災
保健所
上下水道
ごみ処理施設
斎場
  • 浦和斎場(桜区)
  • 大宮聖苑(見沼区)
  • 思い出の里会館(見沼区・思い出の里市営霊園内)
  • ひかり会館(中央区)
観光案内所
  • 浦和観光案内所(アトレ浦和South Area内)
  • 大宮駅観光案内所(大宮駅構内)
  • さいたま新都心観光案内所(さいたま新都心駅東西自由通路)
  • 岩槻観光案内所(岩槻駅構内)

教育[編集]

教育委員会
教育研究所
児童施設
  • さいたま市子ども総合センター(浦和区、2017年オープン予定)
    • さいたま市児童相談所(現在は中央区役所内に設置)
    • こころの健康センター子どもの精神保健相談室(現在はこころの健康センター内に設置)
    • その他10区すべてに子育て支援センターを設置している。

図書館[編集]

さいたま市立図書館を参照。市内に25館設置されている。ほかに埼玉県立熊谷図書館浦和分室が、埼玉県立浦和図書館閉館後埼玉県立文書館内に設置。

地域拠点施設[編集]

コミュニティセンター[編集]

  • 浦和コミュニティセンター
  • 武蔵浦和コミュニティセンター
  • 南浦和コミュニティセンター
  • 美園コミュニティセンター
  • 与野本町コミュニティセンター
  • 西与野コミュニティホール
  • 下落合コミュニティセンター
  • 上峰コミュニティホール
  • 高鼻コミュニティセンター
  • 東大宮コミュニティセンター
  • 七里コミュニティセンター
  • 片柳コミュニティセンター
  • 日進公園コミュニティセンター
  • 宮原コミュニティセンター
  • 西部文化センター
  • 馬宮コミュニティセンター
  • コミュニティセンターいわつき
  • 岩槻駅東口コミュニティセンター
  • ふれあいプラザいわつき

支所・市民の窓口[編集]

浦和区
  • 浦和駅市民の窓口
  • 北浦和駅市民の窓口
  • 与野駅市民の窓口
南区
  • 南浦和駅市民の窓口
  • 谷田支所
緑区
  • 東浦和駅市民の窓口
  • 原山市民の窓口
  • 山崎市民の窓口
  • 三室支所
  • 美園支所
桜区
  • 西浦和駅市民の窓口
  • 土合支所
  • 大久保支所
大宮区
  • 大宮駅支所
北区
  • 宮原支所
  • 日進支所
見沼区
  • 片柳支所
  • 七里支所
  • 春岡支所
  • 東大宮支所
西区
  • 三橋支所
  • 植水支所
  • 馬宮支所
岩槻区
  • 府内市民の窓口
  • 東岩槻支所

県の出先機関[編集]

埼玉県庁
浦和区
大宮区
  • パスポートセンター
  • 競技事務所
  • 母子福祉センター
  • 自動車税事務所
中央区
  • 埼玉県創業・ベンチャー支援センター
  • 埼玉県男女共同参画推進センター(WithYouさいたま)
  • 食肉衛生検査センター
  • 産学連携支援センター埼玉
南区
  • さいたま県土整備事務所
  • 荒川左岸南部下水道事務所
  • 別所沼会館ヘリテイジ浦和
  • 防犯・交通安全課分室(ラムザタワー)
  • 就職支援サテライト ヤングキャリアセンター(ラムザタワー)
桜区
北区
岩槻区
  • 児童養護施設いわつき

県の公社[編集]

警察署[編集]

その他主な警察施設

国の出先機関[編集]

裁判所[編集]

広域行政[編集]

経済[編集]

産業構成[編集]

さいたま市と埼玉県、日本全国、政令市・特別区部平均の従業人口ベースの産業構成。

さいたま市では、従業者の80%以上が商業・サービス業等の第三次産業に従事している。この構成割合は、政令市および東京特別区部全体とほぼ同様である。埼玉県全体や日本全国と比べると、製造業の構成割合が小さく、サービス業の構成割合が大きい。市街地にはテクノシティ浦和などのデータセンター、郊外には岩槻工業団地、吉野原工業団地などの物流拠点が所在する。

商工会議所

主な企業[編集]

金融機関
本社を置く主な企業
埼玉りそな銀行本部
研究所など
特殊法人
独立行政法人・組合企業

主な商業施設[編集]

伊勢丹浦和店

ホテル[編集]

その他[編集]

教育機関[編集]

小中学校および高等学校、特別支援学校等はCategory:さいたま市の学校を参照。

大学
  • 埼玉大学(桜区)
  • 順天堂大学(緑区、2020年開校予定)
  • 慶應義塾大学薬学部浦和共立キャンパス(緑区、学部内のクラブ活動や学生の研修等のみに使われている。キャンパス内に附属薬用植物園がある)
  • 芝浦工業大学大宮キャンパス(見沼区、工学部およびデザイン工学部1・2年生、システム理工学部全学年)
  • 浦和大学(緑区)
  • 目白大学岩槻キャンパス(岩槻区)
  • 日本大学法学部大宮グラウンド(見沼区、2009年3月に体育実技科目の一部を残して当キャンパスでの授業を廃止。グラウンドのみが使われている)
  • 人間総合科学大学岩槻キャンパス・蓮田キャンパス(岩槻区、本部である蓮田キャンパスの所在地は、岩槻区内に属している)
  • 放送大学学園埼玉学習センター(大宮区)
  • 国際学院埼玉短期大学(大宮区)
  • 浦和大学短期大学部(緑区)

ホール[編集]

さいたま市文化センター

マスメディア[編集]

新聞社
テレビ放送局
FMラジオ局
コミュニティFM局
ケーブルテレビ

医療機関[編集]

さいたま市立病院

さいたま市は、1市で1つの二次医療圏(さいたま保健医療圏)を構成する。

医師会
日本赤十字社

郵便[編集]

スポーツ[編集]

サッカー[編集]

埼玉スタジアム2002
さいたまスーパーアリーナ

さいたま市は、旧浦和市域を中心としてサッカーが盛んな街でもある。現在のさいたま市役所付近に置かれた埼玉師範学校(後の埼玉大学教育学部)が1937年の全国中等学校蹴球大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)で初優勝し、初めて優勝旗が箱根の山を越えた(かつては関西地方で全国大会が開かれていたため)。以来、1950年代から1970年代にかけて浦和高校浦和西高校浦和市立高校浦和南高校が次々と全国制覇し、静岡県広島県と共に「サッカー御三家」と称された[41]

2016年現在、さいたま市内を本拠地とするプロサッカークラブとしては、Jリーグ1部(J1)に所属する浦和レッドダイヤモンズ大宮アルディージャ、女子サッカークラブとしてはなでしこリーグ(旧L・リーグ)に所属する浦和レッドダイヤモンズ・レディースがある。浦和レッドダイヤモンズと大宮アルディージャとの試合はさいたまダービーと呼ばれている。また、J1規格以上のサッカースタジアムが3つある都市はさいたま市だけとなっている。

2002年には、FIFAワールドカップの埼玉会場として、日本代表の初戦や準決勝戦など4試合が緑区の埼玉スタジアム2002で行われた。

野球[編集]

市内では野球も盛んであり、県営・市営あわせ4つの野球場が所在する。高校野球においては、選抜高校野球大会に10回、全国高校野球選手権に12回出場し、県内最多(合計22回)の甲子園大会出場回数の浦和学院高校が所在しており、2013年に浦和学院高校が、1968年大宮工業高校が選抜高校野球大会で全国優勝を果たしている。

社会人野球においても、実業団チームでは日本通運が浦和市時代から都市対抗野球大会に41回、日本選手権に19回出場しており、1964年埼玉県勢初の都市対抗野球大会優勝を果たし、1994年には日本選手権に優勝を果たすなど南関東エリアの強豪として知られている。また、クラブチームでは全浦和野球団全日本クラブ野球選手権大会1976年の第1回大会から3連覇を果たしている。戦前は大宮町に本拠に置いた「全大宮」が1932年から都市対抗野球大会に5年連続で出場し、1935年1936年と二年連続で準決勝に進出する活躍をした。

バスケットボール[編集]

バスケットボールについては、Bリーグ所属の埼玉ブロンコスホームタウンである他、2006年8月26日から9月3日まで、FIBAバスケットボール世界選手権のファイナルラウンドが中央区さいたまスーパーアリーナにて行われた。女子では現在は廃部となったが、日本リーグにも参戦していた日本通運ディアーズ浦和市に本拠を置いていた。

スポーツ文学賞[編集]

さいたま市は、スポーツが盛んな都市というイメージを生かし、1994年にさいたま市スポーツ文学賞(開始時は「浦和スポーツ文学賞」。現在は終了)を創設した。スポーツを題材とする小説およびエッセイを全国から公募する文学賞で、2010年まで隔年で実施された。また、受賞者の作品をまとめた作品集『SPORTS STORIES』を毎回刊行していた。

スポーツ施設[編集]

サッカー[編集]

野球[編集]

その他[編集]

観光[編集]

主な文化財[編集]

田島ヶ原サクラソウ自生地
玉蔵院

観光スポット[編集]

別所沼公園
埼玉県立近代美術館
市立浦和博物館
公園
美術館
博物館
その他

祭事・催事[編集]

伝統産業[編集]

地域活性化、後世への継承を図るため2008年(平成20年)4月25日に以下3つを市の伝統産業を指定した。

料理[編集]

  • ケーキ(総務庁統計局家計調査年報<1998年〜2000年(平成10年〜12年)平均より>によると、旧浦和市の1世帯当たりの年間ケーキ購入額が全国で1位となったため、埼玉中央青年会議所(埼玉中央JC)が「ケーキのまち・さいたま」を宣言し、ケーキで街おこしをしようと毎年ケーキにちなんだイベントを開催している。)また、パスタの消費量も全国で1位である。
  • サツマイモ紅赤は、浦和区木崎が発祥地)
  • 慈姑(緑区と岩槻区は、国内有数の産地)
  • (岩槻区は「岩槻ねぎ」の産地として知られ、落語の「たらちね」の中に登場している。)
  • 豆腐ラーメン (豆腐とひき肉の餡がかかったラーメン。埼玉県のご当地ラーメンとされる。)

交通[編集]

鉄道交通[編集]

JTBパブリッシング交通新聞社(都道府県代表駅の記号がない「東京時刻表」を除く)の時刻表における県・市の代表駅は、県庁・市役所の最寄駅である浦和駅となっている。現さいたま市域において初めて鉄道が開通したのは1883年(明治16年)で、現市域で唯一の鉄道駅として浦和駅が開業した(日本鉄道上野駅 - 熊谷駅間)。また、1885年(明治18年)には大宮駅が設置された。その後、新たな鉄道路線の開通や新駅の開業により、現さいたま市域を通る路線や駅は次第に増加し、4つの事業者が運行する11の旅客鉄道路線[注釈 4]と、31の鉄道駅がある。このうち大宮駅、浦和駅、南浦和駅北浦和駅武蔵浦和駅さいたま新都心駅の6駅は、JR東日本の乗車人員ランキング上位100位内にランクインする[51]

新幹線以外の旅客鉄道路線の多くは南北方向に通じており、東京大都市圏における放射状の路線をなしている。特に大宮駅以南のJR東北本線は、京浜東北線(電車線)、宇都宮・高崎線・上野東京ライン(列車線)、湘南新宿ライン(貨物線)の3複線となっており、多数の列車が運行されている。一方で、東京大都市圏における環状の路線をなす路線として、市の北部に東武野田線(東武アーバンパークライン)JR川越線、南部にJR武蔵野線が、それぞれ東西方向に通じている。

一般に、東京大都市圏においては放射状方向に比べて、郊外どうしを結ぶ環状方向の鉄道路線が少ない。一方でさいたま市では、東西(≒環状)方向、南北(≒放射状)方向の両方に、それぞれ複数の鉄道路線が通じており、市内相互や市内と市外とを結んでいる。しかしながら、東西方向の鉄道路線は南北方向よりも運転本数が少ない傾向にあり、特にJR川越線の日進駅以西は、単線となっている。

鉄道路線と駅の一覧[編集]

浦和駅
大宮駅
浦和美園駅

JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道(JR東日本)

■ 東北山形秋田北海道)、上越北陸(長野経由))の各新幹線
宇都宮線東北本線
高崎線(大宮駅以南は線籍上は東北本線)
  • - 浦和駅 - さいたま新都心駅 - 大宮駅 - 宮原駅 -
湘南新宿ライン(大宮駅以南は通称・東北貨物線経由、線籍上は東北本線)
  • - 浦和駅 - 大宮駅 - 土呂駅 - 東大宮駅 - (宇都宮線直通)
  • - 浦和駅 - 大宮駅 - 宮原駅 - (高崎線直通)
京浜東北線
埼京線
武蔵野線
川越線

Tōbu Tetsudō Logo.svg 東武鉄道

TD 野田線(アーバンパークライン)

Saitama Railway Logo.svg 埼玉高速鉄道

埼玉高速鉄道線(埼玉スタジアム線)(地下鉄

Saitama New Urban Transit Logo.png 埼玉新都市交通

伊奈線(ニューシャトル)(新交通システム

路線バス[編集]

市の全域で民営バスによる運行が行われている。市の南部には国際興業バス、北西部には西武バス、北東部には東武バスウエストの運行路線がそれぞれ多く、大半のバス路線は鉄道駅を起点もしくは終点としている。公営交通(市営バス)の運行はないが、運行費用の一部を市が補助する形で民営バスが運行するコミュニティバス路線が存在する。

乗車方法は後乗り前降り後払い方式で、運賃は整理券方式による区間制である。PASMOSuica(非接触型IC乗車カード)が利用可能なバス事業者が多く、また、回数券が利用できるバス事業者もある(国際興業バスなど)。ただし、100円均一区間(浦和駅周辺など)では、現金以外で支払うと割引が適用されない。

さいたま市のコミュニティバスに関してはこちらを参照のこと。

タクシー[編集]

タクシーの営業区域県南中央交通圏で、川口市鴻巣市上尾市戸田市などと同じエリアとなっている。

道路交通[編集]

首都高速埼玉新都心線

さいたま市内の通りも参照。市内に通称のある区間が存在する道路は括弧内に通称を併記(※市内の全区間に通称があるとは限らないので注意)。

高速道路・有料道路[編集]

一般国道[編集]

都道府県道[編集]

※90号までは主要地方道、103号以降は一般県道。

都市計画道路[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

姉妹都市を中心に以下の運営施設がある。

  • さいたま市立赤城少年自然の家(群馬県前橋市
  • さいたま市立舘岩少年自然の家(南会津町)
  • ホテル南郷・さゆり荘(南会津町)
  • 六日町山の家(南魚沼市)
  • 新治ファミリーランド(みなかみ町)

出身著名人・ゆかりのある人物[編集]

名誉市民[編集]

※旧市で名誉市民に推挙された人物は、さいたま市名誉市民として自動的に継承されている。

市民栄誉賞[編集]

※旧市で市民栄誉賞に表彰された人物は、さいたま市民栄誉賞受賞者として自動的に継承されている。

市に関連する作品[編集]

Category:さいたま市を舞台とした作品も参照。

小説など
映画
漫画・アニメ
コンピュータゲーム
  • ローカルディア・クロニクル - 2016年5月3日にAndroidiOSでリリースされたRPG。さいたま市にある10区を架空の世界にある王国に見立てている[52]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 県最西部は「秩父地方」と呼ばれ、その東側即ち県中南部にあたる入間地方、比企地方等が「西部地域」と呼ばれることが多いため
  2. ^ 旧浦和市上木崎一丁目および大宮市錦町・吉敷町二丁目・北袋町一丁目のうち、それぞれ東北本線西側の地区(現:中央区新都心)。これは旧3市の合併協議における、「さいたま新都心のうちさいたまスーパーアリーナ・国の広域合同庁舎・郵政庁舎の立地する区域が複数区に分断されないよう取り扱うべき」「(当該区域が)旧与野市を基本とする行政区に帰属することが望ましいとの意見があったことも配慮すべき」旨の合意事項がさいたま市に引き継がれ、さいたま新都心のうち東北本線西側の地区を、一体的に中央区に編入することとなったことによる。
  3. ^ 大原六丁目・七丁目。
  4. ^ 東北本線(宇都宮線)・京浜東北線・埼京線・川越線をそれぞれ1路線として扱い、湘南新宿ラインを1路線とは数えない時の路線数。

出典[編集]

  1. ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」」
  2. ^ さいたま市統計書(平成27年版)「土地及び気象」に記載の標高で、同資料の注にはさいたま市地形図に記載の標高点の最低・最高のものと説明されている。
  3. ^ 総務省統計局ホームページ
  4. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  5. ^ さいたま市ホームページ「さいたまWeb/将来の行政区の区割りに関する方針について」
  6. ^ さいたま市ホームページ 「区の色・ロゴマークの使用について」
  7. ^ さいたま市ホームページ 「10区の「区の花」が決定しました」
  8. ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)23-25頁
  9. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、210、219、982頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)18-19頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)30-34頁
  10. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、219-220、982頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)40-41、52頁
  11. ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)59、69頁
  12. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、220頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)78頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)69 - 70頁
  13. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、220、982頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)73 - 74頁
  14. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121頁
  15. ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)77頁
  16. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)118 - 119頁
  17. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)137 - 138頁
  18. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122 - 123、210、221、983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)153頁
  19. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122 - 123、211、221、983頁、財団法人日本地図センター『地図で見るさいたま市の変遷 解説』(2003)20 - 21、25頁
  20. ^ 『荒川総合調査報告書3 荒川 人文Ⅱ』(1988)13 - 14頁
  21. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122 - 123、211、222頁
  22. ^ 『荒川総合調査報告書3 荒川 人文Ⅱ』(1988)16 - 28頁
  23. ^ 浦和市史 通史編Ⅲ
  24. ^ a b c d 『さいたま市誕生 浦和市・大宮市・与野市合併の記録』(2001)14 - 16頁
  25. ^ 『与野の歴史』(1988)228-229頁
  26. ^ 国立公文書館デジタルアーカイブ「戦災概況図」
  27. ^ 『与野の歴史』(1988)245-246頁
  28. ^ 『与野の歴史』(1988)246頁
  29. ^ 『与野の歴史』(1988)247頁
  30. ^ 合併推進協議会報告書
  31. ^ 2000年3月29日埼玉新聞記事「既存市名には抵抗感 県外の投票でも不人気」
  32. ^ さいたま市ホームページ 「新市名称公募」結果のお知らせ
  33. ^ 大宮市は当初「新都心周辺地域とする」との表現を主張、それが合併協議の過程で「行政の中心」と位置づけられていた浦和市側の反発を招き、「望ましいとの意見を踏まえ」「将来の位置を検討する」との文言が入れられた(2000年4月20日埼玉新聞記事「「さいたま市」へ 痛み分けあった合意」)。
  34. ^ 2000年4月18日埼玉新聞記事「新市名は「さいたま市」 将来の市役所 位置新都心周辺含め検討」
  35. ^ 広報課の紹介 - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  36. ^ さいたま市の主な広報活動 - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  37. ^ さいたま市長9月定例記者会見 平成19年9月20日(木曜日) (PDF)
  38. ^ つなが竜ヌゥ - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  39. ^ さいたま観光大使 - さいたま市(2015年8月12日閲覧)
  40. ^ さいたま市の歌「希望(ゆめ)のまち」 - さいたま市(2013年12月24日更新、2015年2月4日閲覧)
  41. ^ さいたま市中学校向け授業「埼玉サッカー100年と浦和レッズ」を開始”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE (2013年3月19日). 2013年12月28日閲覧。
  42. ^ [1] - さいたま観光国際協会(2015年7月18日閲覧)
  43. ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016220.html ばらまつり
  44. ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016225.html 見沼通船堀閘門開閉実演
  45. ^ 踊る阿呆に見る阿呆〜第33回北浦和阿波おどり大会(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年8月27日付、同年11月1日閲覧)
  46. ^ 与野停車場通り 第19回大正時代まつり(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年10月8日付、同年11月1日閲覧)
  47. ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016237.html 大宮夏まつり
  48. ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016238.html 与野夏祭り
  49. ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016243.html 岩槻城址公園桜まつり
  50. ^ [2] 人形のまち岩槻まつり
  51. ^ JR東日本 各駅の乗車人員(2014年度)
  52. ^ 「ローカルディア・クロニクル」公式サイト

参考文献[編集]

  • 浦和市総務部行政資料室編 『図説 浦和のあゆみ』 1993年
  • 財団法人日本地図センター 『地図で見るさいたま市の変遷』 2003年
  • 有限会社平凡社地方資料センター編 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』 1993年
  • 与野市総務部市史編さん室 『与野市史 通史編上巻』 1987年
  • 与野市総務部市史編さん室編『与野の歴史』1988年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]