さいたま市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
さいたまし
さいたま市
Saitama city montage.jpg
さいたま市旗 さいたま市章
さいたま市旗 さいたま市章
2001年平成13年)10月25日制定[注釈 1]
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
市町村コード 11100-7
法人番号 2000020111007 ウィキデータを編集
面積 217.43km2
総人口 1,319,227[編集]
推計人口、2020年11月1日)
人口密度 6,067人/km2
隣接自治体 上尾市川口市朝霞市川越市志木市戸田市蓮田市富士見市蕨市春日部市越谷市白岡市
市の木 ケヤキ
市の花 サクラソウ
他のシンボル 市の花木:サクラ
市のマスコット:つなが竜「ヌゥ」
市の愛称:のびのびシティ さいたま市
市の歌:希望(ゆめ)のまち
(作詞:福原くにこ、作曲:タケカワユキヒデ
さいたま市役所
市長 清水勇人
所在地 330-9588
埼玉県さいたま市浦和区常盤六丁目4番4号
北緯35度51分41秒東経139度38分44秒
さいたま市役所
外部リンク 公式ウェブサイト

さいたま市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

さいたま市行政区画図


 表示 ウィキプロジェクト

さいたま市(さいたまし)は、埼玉県の南部に位置する。埼玉県の県庁所在地で、政令指定都市

2001年平成13年)5月1日に、浦和市大宮市与野市の3市の合併により新設され、2003年(平成15年)4月1日に政令指定都市に移行した。その後、2005年(平成17年)4月1日に岩槻市を編入して現在の市域となった。100万都市の1つであり、日本の市で9番目の人口を有し、18県の総人口を上回る[1]

地理[編集]

位置[編集]

さいたま市は、関東地方の中央部に位置し、政令指定都市で唯一内陸県に位置する。埼玉県内においては南部東寄りに位置するが、県内で用いられる地域区分では「中央地域」に区分されることが多い[注釈 2]。また、日本の首都である東京の都心部からは、北に約20 kmの距離にあり、横浜市千葉市と比較しても、県庁所在都市としては東京に最も近い。

また、その市域は広袤が東西19.6km及び南北19.3km[2]並びに面積が217.43km2[3]にわたる。

日本の政令指定都市としては川崎市堺市に次いで3番目に狭い一方、埼玉県内の市町村としては秩父市に次いで2番目に広い。また、隣接市町村数も秩父市(15市町村)に次いで2番目に多い(12市)。

日本の政令指定都市並びに都道府県庁所在地では初のひらがな市であり現在も唯一の市である。このため、ひらがな市では人口が最多の市である[注釈 3]。また、ひらがな市のため日本の都道府県庁所在地では文字数が最多(4文字)である[注釈 4]

地形[編集]

関東平野の中央部に位置するさいたま市には山地丘陵といえる場所は存在せず、全域が台地および低地からなる。全域にわたって標高が低く、最も低い地点で海抜1.1m(桜区下大久保)、最も高い地点でも海抜20.5m(岩槻区表慈恩寺)である[4]。市の西境あるいはその近くに荒川[注釈 5]、東寄りに元荒川が、それぞれ北西から南東に流れており、これらの河川に近い市の西側、南側、東側の3方を低地で囲まれる。一方、市の北西側から南東に向かって、主に関東ローム層によって形成された大宮台地が伸びており、市の中央部を貫いている。この台地の中にも鴻沼川芝川綾瀬川などの中小河川が流れている。このような中小河川に沿って谷底平野沖積平野などの低地が形成されているため、台地はいくつかの「支台」に区切られている。これらの低地には見沼鴻沼などがあったが、江戸時代に干拓された。

土地利用[編集]

さいたま市周辺における人口集中地区 (DID) の推移(1960年 - 2010年)。1960年には既に浦和・大宮・与野3市のDIDは一体化しており、他市町のDIDと接続したのはその後のことである。岩槻区のDIDは春日部市のDIDと連続するが、市内他区のDIDとは連続しない。

東京都心からおおむね20km - 35km圏に位置するさいたま市は、東京大都市圏におけるベッドタウンとしての性質の強い都市である。その一方で、1988年昭和63年)に旧浦和市・旧大宮市が業務核都市に指定され、2000年平成12年)にさいたま新都心が街開きをして各中央官庁の地方支分部局が東京より移転してくるなど、業務機能の集積も進んでいる。

東京の北郊に位置するさいたま市は、広域的に見れば、より東京に近い市南部のほうが、市北部に比べて人口密度が高い傾向にある。これに加えて、東京都心部に直結する京浜東北線宇都宮線高崎線埼京線の沿線に人口が集中する傾向があり、両方の条件が重なる南区から浦和区中央区にかけては、20,000人/km2以上という高い人口密度の地域が連なっている[5]

行政・商業・業務などの都市機能の集積は、浦和駅大宮駅さいたま新都心駅といった主要駅周辺において顕著であり、これらが旧浦和市・旧大宮市時代からの中心市街地を形成している(旧与野市の中心は与野本町駅)。また東武野田線(東武アーバンパークライン)岩槻駅周辺にも、旧岩槻市の中心市街地が形成されている。

現さいたま市域の大部分は江戸時代まで農地が広がっていたが、1923年(大正12年)の関東大震災1940年代前半の太平洋戦争などを契機として、東京などからの大規模な人口流入が生じ、本格的に宅地化が進むようになった。このような宅地化は、まず中心市街地に近い台地上の鉄道駅付近、すなわち浦和駅から大宮駅にかけての東北本線沿線で先行した。浦和市・大宮市・与野市の各中心部は、このような地域において互いに近接していたことから、市街地の一体化は早期に進行した。国勢調査において初めて人口集中地区 (DID) が定義された1960年(昭和35年)の時点で、この3市の人口集中地区は既に連続していた。一方、1960年時点では、蕨市川口市上尾市といった他市町村の人口集中地区とは連続していなかった。

その後、首都圏への大規模な人口流入と郊外化の影響はさらに強まり、現さいたま市域の都市化は急速に進んだ。鉄道路線の沿線においては、さいたま市の人口集中地区と他市や東京の人口集中地区とが連続するようになっただけでなく、低地や鉄道駅から離れた場所にも宅地が及ぶようになり、岩槻駅周辺の市街地も拡大した。2015年時点で、10区のうち北区大宮区中央区浦和区南区の5区では、区のほぼ全域が人口集中地区に組み込まれている。

しかしながら、現在もなお、鉄道駅から離れた場所には比較的大規模な農地が存在するほか、住宅地の中にも小規模な農地が点在している。また明治時代の度重なる洪水を契機とした治水対策として広大な河川敷が設けられている荒川周辺(西区桜区)や、農地として保全された見沼田んぼ周辺(北区大宮区見沼区浦和区緑区)では、開発が厳しく制限されており、人口がほとんどいない地域も存在している。岩槻区と他区(見沼区緑区)との境界付近を流れる綾瀬川の両岸にも農地が多く、ここで市街地が途切れている。その結果、さいたま市の人口集中地区は、岩槻区以外の9区においてはほぼ一体化しているのに対し、岩槻区の人口集中地区と他区の人口集中地区は連続していない。岩槻区の人口集中地区は、東側に位置する春日部市の人口集中地区に接している。

市内の住宅地の公示地価の上位1位から5位の地点は浦和区に所在し、1位の高砂二丁目は、東京都区部以外では最も値段が高い住宅地地価となっている[6]。また、商業地の公示地価では、上位1位から4位が大宮区の地点、5位が浦和区の地点である[7]

気候[編集]

さいたま市の気候は、ケッペンの気候区分に基づけば温暖湿潤気候 (Cfa) に属するが、本州の太平洋側に一般的にみられるように夏季に比べて冬季の降水量が少ない。冬季の降水量の少なさと最低気温の低さは、東京都大手町)や横浜市千葉市といった近隣の沿岸部の諸都市と比べ、より顕著である。1月の平均最低気温は-1.5℃であり、さいたま市より北にある群馬県前橋市 (-0.8℃) よりも低い。2018年1月24日には-8.6℃(当時は1月の史上最低)、同1月26日には観測史上最低の-9.8℃を記録した。アメダスのさいたま観測点(桜区大字宿)における平年値(1981年 - 2010年の観測結果による)は、年平均気温は14.8℃、年間平均降水量は1346.0mmである。

さいたま市(さいたま地域気象観測所)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 18.7
(65.7)
25.5
(77.9)
26.9
(80.4)
31.2
(88.2)
33.3
(91.9)
35.9
(96.6)
39.3
(102.7)
38.7
(101.7)
37.4
(99.3)
33.1
(91.6)
25.6
(78.1)
25.1
(77.2)
39.3
(102.7)
平均最高気温 °C (°F) 9.2
(48.6)
9.9
(49.8)
13.1
(55.6)
19.0
(66.2)
23.2
(73.8)
26.0
(78.8)
29.8
(85.6)
31.5
(88.7)
27.1
(80.8)
21.6
(70.9)
16.2
(61.2)
11.7
(53.1)
19.9
(67.8)
日平均気温 °C (°F) 3.6
(38.5)
4.4
(39.9)
7.8
(46)
13.4
(56.1)
18.0
(64.4)
21.5
(70.7)
25.1
(77.2)
26.6
(79.9)
22.7
(72.9)
16.9
(62.4)
11.0
(51.8)
5.9
(42.6)
14.8
(58.6)
平均最低気温 °C (°F) −1.5
(29.3)
−0.6
(30.9)
2.8
(37)
8.1
(46.6)
13.4
(56.1)
17.7
(63.9)
21.5
(70.7)
22.9
(73.2)
19.2
(66.6)
12.8
(55)
6.2
(43.2)
0.8
(33.4)
10.3
(50.5)
最低気温記録 °C (°F) −9.8
(14.4)
−8.8
(16.2)
−5.0
(23)
−2.0
(28.4)
4.8
(40.6)
11.5
(52.7)
14.7
(58.5)
16.3
(61.3)
9.5
(49.1)
3.6
(38.5)
−2.4
(27.7)
−6.7
(19.9)
−9.8
(14.4)
降水量 mm (inch) 37.4
(1.472)
43.1
(1.697)
90.9
(3.579)
102.3
(4.028)
117.3
(4.618)
142.4
(5.606)
148.1
(5.831)
176.3
(6.941)
201.8
(7.945)
164.9
(6.492)
75.7
(2.98)
41.1
(1.618)
1,346
(52.992)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 3.9 5.2 9.5 9.8 10.3 11.6 12.1 8.7 11.5 9.6 6.7 3.9 103.5
平均月間日照時間 193.3 179.9 177.8 185.7 174.7 128.2 145.5 173.0 128.1 137.0 154.5 182.9 1,960.9
出典: 気象庁 (平均値:1981年-2010年、極値:1977年-現在)[8][9]

行政区[編集]

BYR color wheel.svg この項目ではを扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。(Template:色)
さいたま市の区。
合併前の旧4市域と現さいたま市の区域との比較。

政令指定都市であるさいたま市には、10の行政区が設置されている。おおむね、市町村合併前の旧浦和市域に桜区浦和区南区緑区の4区が、旧大宮市域に西区北区大宮区見沼区の4区が、旧与野市域に中央区が、旧岩槻市域に岩槻区がある。ただし、わずかに旧浦和市内や大宮市内で中央区に属している地区[注釈 6] や、旧浦和市内で大宮区に属している地区[注釈 7] もある。

10区のうち、岩槻区を除く9区は、2003年の政令指定都市への移行に伴って設置された。この9区の区域は、浦和・大宮・与野の旧3市の合併協議において盛り込まれた『旧浦和市域・大宮市域はそれぞれ4つの行政区に区分することが適当』、『旧与野市域は(当時の)市域を基本として1つの行政区に区分することが適当』などの合意事項がさいたま市に引き継がれるかたちで設定されたものである[10]。一方で岩槻区の区域は、2005年に旧岩槻市がさいたま市に編入される際に、旧市域がそのまま岩槻区に移行する形で設定された。

さいたま市の10行政区には、それぞれ「区の色[11]」および「区の花[12]」が制定されている。

さいたま市の行政区
コード 区名 設置日 位置 人口 面積 人口密度 区の色 区の花
11101-5 西区 2003年4月1日 大宮市
西部
93,514人 29.12 km2 3,211人/ km2 あお アジサイ
11102-3 北区 旧大宮市
北部
147,213人 16.86 km2 8,731人/ km2 ふかみどり 菜の花
11103-1 大宮区 旧大宮市
南部
118,068人 12.80 km2 9,224人/ km2 オレンジ さくら
11104-0 見沼区 旧大宮市
東部
164,733人 30.69 km2 5,368人/ km2 そらいろ クマガイソウ
11105-8 中央区 与野市 102,225人 8.39 km2 12,184人/ km2 バラ色 バラ
11106-6 桜区 浦和市
西部
98,211人 18.64 km2 5,269人/ km2 さくら色 サクラソウ
11107-4 浦和区 旧浦和市
北部
165,007人 11.51 km2 14,336人/ km2 あか ニチニチソウ
11108-2 南区 旧浦和市
南部
191,898人 13.82 km2 13,886人/ km2 レモン色 ヒマワリ
11109-1 緑区 旧浦和市
東部
126,760人 26.44 km2 4,794人/ km2 みどり サクラ
11110-4 岩槻区 2005年4月1日 岩槻市 111,598人 49.17 km2 2,270人/ km2 やまぶき色 やまぶき

人口[編集]

日本において第1回の国勢調査が行われた1920年大正9年)以来、現さいたま市域の人口は、ほぼ一貫して増加してきた。1920年当時の人口が約12.3万人であったのに対して、2015年国勢調査ではその10倍以上の約126.4万人にのぼり、また2018年9月には、住民基本台帳による人口が130万人を突破した。特に日本の高度経済成長期における人口急増が著しく、1960年国勢調査では約42.0万人であった現さいたま市域の人口は、1975年国勢調査では約81.4万人となり、この15年間で2倍近くに増加した。旧4市域の合併直前と現在の人口は、浦和市が約49万人(現・約58万人)、大宮市が約46万人(現・約52万人)、与野市が約8万人(現・約10万人)、岩槻市が約11万人(現・約11万人)である。

近年では、日本全体の状況と同様、人口の高齢化による死亡数の増加がみられる。死亡数の増加により、さいたま市の人口の自然増(出生数から死亡数を差し引いた数)は急速に減少しており、2017年にはほぼ0となった。現在のさいたま市の人口の緩やかな増加は、ほとんどが社会増(転入数から転出数を差し引いた数)によるものである[13]。人口の転入超過は、20歳代・30歳代によるものが多く、2017年には、転入超過数8,234人のうち20歳代・30歳代が5,396人を占めた[14]

国立社会保障・人口問題研究所の『日本の地域別将来推計人口』2018年推計)によれば、さいたま市の人口は2030年の131.8万人でピークを迎え、その後減少に転じると推計されている(なお、2020年8月時点の推計人口は131.7万人に達している)。一方、日本全体の人口が既に減少に転じ、大半の都市も人口減少が見込まれていることもあり、さいたま市の日本国内における人口順位(東京特別区部を除いて第9位)は、2045年においても維持されるものと推計されている。

現さいたま市域における人口の推移(1920年 - 2010年、国勢調査による)。
Demography11100.svg
さいたま市と全国の年齢別人口分布(2005年) さいたま市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― さいたま市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

さいたま市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


人口が多い区は南区(19.19万人)、浦和区(16.49万人)、見沼区(16.46万人)、人口密度が高い区は、浦和区(14,336人/km2)、南区(16,672人/km2)、中央区(8,881人/km2)となっている。

市内に常住する通勤通学者74万7000人の23.5%にあたる17万5000人が東京特別区部に通勤通学し(東京特別区部からさいたま市への通勤通学者は1万9000人)と、政令指定都市かつ県庁所在地でありながら昼夜間人口比率が100%を下回る93.0%であるなど(いずれも2015年の国勢調査による)、さいたま市は東京都へ通勤・通学するいわゆる「埼玉都民」が多数居住する、東京のベッドタウンとしての性格が強い。その一方で、埼玉県内の他の市町村からさいたま市への通勤・通学者も16万8000人にのぼり(さいたま市から埼玉県内の他の市町村への通勤・通学者は10万人)、昼夜間人口比率も1990年の89.8%から次第に上昇をみせるなど、さいたま市は周辺の地域から通勤・通学者を集める郊外核としての性質もあわせ持つ。

地区[編集]

合併前の旧4市[編集]

さいたま市は、人口40万人以上(2001年当時)の複数の市どうしが合併した、2020年時点において日本で唯一の例である[15]

当初に合併した浦和・大宮・与野の旧3市の市街地は地理的に連続しているが、旧岩槻市は3市の市街地とは連続しない。旧4市のうち、旧浦和市と旧大宮市は、東西方向に細長い市域と2019年時点で50万人台の人口を有すること、中央部に中山道宿場町浦和宿大宮宿)を起源とする中心市街地があり、東西に住宅地や農地が多いという土地利用構成となっていること、Jリーグに所属するプロサッカークラブがあることなどの共通点がある。

浦和市は、古くは調神社玉蔵院門前町であったが、現在の街は旧中山道の浦和宿が設けられたことに端を発する。県庁、市役所をはじめ地裁県警等県、市の行政機関の集積と共に、県指定金融機関である埼玉りそな銀行の本店や各種政党の支部、各種メディアの支局など県都としての機能が集積し、浦和・大宮・与野の旧3市が速やかに合併協議に入ることを促した合併促進決議やさいたま市発足時の都市計画マスタープランで「行政の中心」として位置付けられている。また、明治時代旧制浦和中学(現・県立浦和高校)浦和高等女学校(現・県立浦和第一女子高校)大正時代旧制浦和高校(現・埼玉大学)が設置され、文教都市として知られるゆえんとなった。関東大震災以降、東京などからの移住者で人口が急増し、別所沼周辺に画家移住したことから「鎌倉文士浦和画家」という言葉が生まれ画家の街として知られる。明治期に埼玉師範学校(現・埼玉大学)でサッカーの指導が始められると、隣接していた旧制浦和中学と共に「埼玉サッカー発祥の地」とされ、サッカーが盛んな地域として全国的に名を馳せ、1993年のJリーグ発足時には浦和レッズ[16]が浦和市をホームタウンとして活動して現在に至っている。市域で最も東京都心に近く、通勤電車の本数も多いことから、1995年には川口市を抜き県内最大の人口を擁する都市となり、2019年現在でもさいたま市を構成する旧4市で最大の人口を擁する。浦和市時代から世帯所得は全国的にみても高く、浦和駅西側の台地上(岸町常盤高砂神明別所など)は高級住宅街としても知られる。

大宮市は、かつて見沼の水神をまつったとも云われる氷川神社の門前町であったが、現在の街は、1591年天正19年)に浦和宿上尾宿の間にあった馬継場に宿駅が設けられたことに起源を発する。日本鉄道開通時において鉄道駅の設置はなかったため、浦和駅 - 上尾駅間への熱心な駅誘致活動により1885年明治18年)3月に大宮駅を開設。その後も日本鉄道大宮工場(現・JR東日本大宮総合車両センター)や大宮操車場などの鉄道施設を誘致し、「鉄道のまち」として知られるようになった。1940年(昭和15年)に大宮町三橋村日進村宮原村大砂土村が合併し、大宮市が誕生。埼玉県内では浦和市に次ぐ市制施行であった。大宮駅の周辺に商業施設が集積し、戦後に市街地が拡大。合併前の人口は県内で浦和・川口に次ぐ3位に成長した。戦後地銀の一つである武蔵野銀行の本店でもある。先述の合併促進決議などで「経済の中心」として位置付けられている。また日本初のサッカー専用スタジアムであるNACK5スタジアム大宮大宮公園内に所在)を本拠地とし、J2リーグが発足した1999年にJリーグに加盟した大宮アルディージャ[17]が大宮市をホームタウンとして活動して現在に至っている。なお、さいたま市を構成する旧4市の中で面積は最大であった。

与野市は、旧浦和市と旧大宮市の間に挟まれた位置にあり、他の3市に比べて面積が小さく、ほぼ全域にわたって市街化されている。1958年(昭和33年)に市制施行。市域の狭さや市内のほぼ全域が鉄道駅至近に位置することもあり、市全域が人口集中地区に含まれ、人口密度は合併前の旧4市の中で最も高い。また、さいたまスーパーアリーナと彩の国さいたま芸術劇場を擁するため、先述の合併促進決議などで「情報発信の中心」として位置付けられている。合併直前に整備されたさいたま新都心のうち、東北本線西側の主要な地域は旧3市の市域に跨っていたが、政令指定都市移行時に、地域の大半を占めていた旧与野市である中央区に旧浦和市部分・旧大宮市部分を編入して「新都心」という町名を新設した。

岩槻市は、南北方向に細長い市域に岩槻城城下町を起源とする中心市街地があり、南北に住宅地や農地が多いという市街配置・土地利用構成となっていること、江戸時代には大部分が岩槻藩領であったこと(他の3市は主に幕府領など)、1954年(昭和29年)の市制施行前の所属郡が南埼玉郡であったこと(他の3市は北足立郡)などの歴史的経緯において、他の旧3市とは異なった特徴を有する。伝統工芸品である岩槻人形の産地で、人形店が集積し、「人形のまち」として全国的に知られるようになった。

一方で、近代以降の歴史を振り返ると、1889年の市制町村制施行当時の旧4市の中心自治体は、全て『町』であった。浦和町は、浦和宿単独による町制施行で設置されて以降、常に周辺の村々を編入(吸収)合併したものの、1934年の市制施行は周辺の村々を合併せず、単独で市制を施行している。一方、大宮町は、大宮宿と周辺の4村による新設(合体)合併によって町制を施行し、1940年の市制施行も大宮町と周辺の4村との新設合併によって大宮市を設置している。また与野町は、旧与野町と周辺の9村との新設合併によって町制を施行し、1958年の市制施行は単独で市制を施行している。岩槻町は、旧岩槻町と隣接する1村との新設合併によって町制を施行し、1954年に市制施行を前提とする岩槻町と周辺の6村との新設合併によって新しい岩槻町を設置した後、同年に単独で市制を施行している。

浦和にとって、これまで経験した自治体合併は、すべて浦和への編入合併であったため、さいたま市設置が初めての新設合併であったのに対して、大宮・岩槻は2度、与野も1度新設合併を経験し、その度に「大宮」・「与野」・「岩槻」の名を後継の新設自治体に引き継がせてきた経緯がある。

市域にかつて存在した市町村[編集]

現さいたま市域の昭和初期における町村

行政区と町名・大字名[編集]

歴史[編集]

2001年平成13年)5月1日以前の歴史については、浦和市大宮市与野市岩槻市も参照。地名についてはさいたま市の地名も参照。

先史時代[編集]

現さいたま市域には、旧石器時代より人が居住しており、大宮台地の関東ローム層から大古里(おぶさと、緑区)遺跡、明花向(みょうばなむかい、南区)遺跡などの遺跡から、旧石器時代の遺物が出土している[18]

縄文時代前期には、世界的な温暖化の進行により海面上昇が進み(縄文海進)、荒川元荒川の下流域は海面下に没した(奥東京湾。このうち、大宮台地の西側の水域は「古入間湾」とも呼ばれる[19])。このため、内陸県である埼玉県栃木県でもこの時代の貝塚が発見されており、さいたま市内においても、当時の海岸線に近い大宮台地の縁辺部に白幡貝塚(南区)、大谷場貝塚(南区)、大戸貝塚(中央区)、中川貝塚(見沼区)等の貝塚が残されている。寒冷化の進んだ縄文時代の後期・晩期の遺跡は少なくなるものの、真福寺貝塚(岩槻区、国の史跡)、馬場小室山遺跡(緑区、埼玉県の史跡)、南鴻沼遺跡(中央区)などの遺跡がある[20]

弥生時代古墳時代に入ると、本格的な水稲耕作が行われるようになる中で、低地をのぞむ台地の縁辺部や、低地の自然堤防に多くの集落が形成されるようになった。古墳は、植水古墳群側ヶ谷戸古墳群(西区)、大久保古墳群土合古墳群(桜区)など古入間川沿いの台地縁辺部や低地に多く見られる[21]

古代[編集]

奈良時代律令体制が整備されると、現さいたま市のうち岩槻区は埼玉郡に、それ以外の9区は足立郡に含まれるようになった。和名類聚抄には足立郡に7つの郷が所載されており、そのうち堀津(ほっつ)、殖田(うえた)、郡家(ぐうけ)、発度(はっと)、大里(おおさと)の5郷を現さいたま市域内に比定する説があるが、堀津郷や発度郡はさいたま市外に比定する説もあり、定かではない。延喜式神名帳には、現さいたま市域では氷川神社調神社足立神社の3座が所載されている(式内社[22]大久保領家に足立郡の郡衙があったと推定されている。

平安時代中頃に国司に抵抗する群盗の蜂起が続発して、治安が悪化した武蔵国では、地方豪族や荘園管理者などが農民などを集めて武装化するようになり、やがてそのような武装集団が武士となっていった。天慶元年(938年)、足立郡司として現在の浦和や大宮を含む足立郡一帯を支配していたと考えられる武蔵武芝と、武蔵権守の興世王・武蔵介の源経基との対立が生じた。これがやがて平将門の乱の契機となったが、乱に巻き込まれる中で武蔵武芝は失脚し、以降足立氏などが足立郡司として登場した[23]

中世[編集]

1160年平治元年)の平治の乱の際、源義朝に従って破れた足立遠元は、その後足立郡に逼塞していたと考えられているが、治承4年(1180年)に挙兵して鎌倉入りした源頼朝から足立郡の郡郷領掌を安堵され、以後有力御家人として重用された。足立遠元の屋敷は現桶川市川田谷に比定する説と、現さいたま市西区の植田谷に比定する説とがある。この他、鎌倉時代に現さいたま市域に勢力を有した武士として、髙鼻和氏、麻弥屋氏、箕勾氏、渋江氏、柏崎氏などがある[24]

戸田市西部からさいたま市南区西部にまたがる佐々目郷は、正応6年(1293年)から4度に分けて鎌倉の鶴岡八幡宮寄進されたが、応永元年(1394年)以降、鶴岡八幡宮による支配に抵抗する農民の闘争がたびたび生じた[25]

室町時代の関東地方では幾度にわたる戦乱が生じ、現さいたま市域もその戦乱の場となった。観応の擾乱においては、観応元年(1350年)に羽祢蔵(現:桜区)にて合戦が行われ、足利尊氏方の髙麗経澄足利直義方の難波田九郎三郎らを破っている[26]

また、享徳3年12月27日1455年1月15日)に享徳の乱が勃発すると、現さいたま市一帯は古河公方方と関東管領方との対峙の場となった。康正2年(1456年)には、古河公方の足利成氏の家臣である簗田持助が足立郡に討ち入ってその大半を押領した。また岩付城は、関東管領方の(扇谷上杉持朝の家臣である太田資清資長(道灌)父子による築城であるとする説と、古河公方方の成田正等による築城であるとする説とがあり、築城後も太田氏が城主となった時期について複数の説があるなど、両勢力の角逐が続いた。

その後、長享の乱1487年 - 1505年)における長期間にわたる山内上杉家扇谷上杉家との抗争を経て、関東地方における上杉氏の力は消耗し、かわって後北条氏の勢力が次第に拡大することとなった。大永4年(1524年)には北条氏綱の勢力がすでに三室郷に及んでおり、この頃から現さいたま市域一帯は岩付太田氏の勢力と後北条氏の勢力の接点となったが、やがて天文15年(1546年)の川越夜戦にて北条氏康軍が勝利すると、武蔵国における後北条氏の勢力拡大はさらに本格化した。そのような状況下で、やがて永禄7年(1564年)には太田氏資がその父である太田資正を追放して北条氏康に内応し、その結果、一帯は後北条氏の支配体制下におかれることとなった[27]

しかし、1590年天正18年(1590年)には、豊臣秀吉による小田原征伐の過程で岩付城も陥落した。これにより後北条氏による支配は終わり、かわって豊臣秀吉の命で関東地方を与えられた徳川家康が関東入りした[28]

近世[編集]

徳川家康は、関東における支配を固める過程で、江戸の近隣に幕府領旗本領譜代大名を多く配置した。江戸時代幕藩体制下で現さいたま市域におかれた藩としては、岩槻城を藩庁とする岩槻藩がある。現さいたま市域のうち、岩槻区域の大部分はこの岩槻藩の所領であった。一方、他の9区の区域は幕府領や旗本領を中心に、さらに寺社領や岩槻藩領が入りまじり、さらに相給も多いという、複雑で細分化された支配体系下にあった[29]

江戸時代に、現さいたま市域において街が形成されていたのは、浦和宿大宮宿与野町岩槻町および大門宿の5か所であった。このうち、岩槻町が唯一の城下町であり、またこの岩槻町と大門宿が、将軍の日光参詣や岩槻藩の参勤交代の経路として用いられた日光御成街道宿場町である。また、浦和宿と大宮宿は、五街道の1つとして整備された中山道の宿場町であり、与野町は甲州街道と日光御成街道を結ぶ脇往還である奥州道中岩槻道の継立場として成立した街である。しかし、大門宿の規模はきわめて小さく、また浦和宿や大宮宿も中山道の宿場町の中では比較的小規模であって、与野町の方が規模の大きい街であった[30]

江戸時代は、利根川荒川流域において、多数の河川の付け替えや沼地干拓が行われた時代であり、現さいたま市域もその影響を大きく受けることとなった。まず寛永6年(1629年)には、関東郡代伊奈忠治らが、利根川東遷事業の一環として、それまで現在の元荒川へと流れていた荒川の河道を、現在の熊谷市久下付近で締め切り、和田吉野川市野川を経由して入間川筋に流す河川改修を実施した。この河川の付け替えにより、元荒川筋では水害が減少して新田開発が盛んに行われるようになった反面、入間川筋ではより一層洪水の危険性にさらされることとなった[31]。同じく1629年には、灌漑用水の確保を目的として、現在の東浦和駅南東側付近の芝川をせきとめる八丁堤も築堤され、その上流側に見沼溜井が形成された。

1728年享保13年)には、享保の改革の一環として新田開発を進めていた徳川吉宗の命を受けた井沢弥惣兵衛が、八丁堤を切り開いて見沼溜井を干拓して新田(見沼田んぼ)とし、それにかわる水源として利根川から見沼代用水(現さいたま市域は見沼代用水東縁見沼代用水西縁に分流)を開削させた。1731年(享保16年)には、もとの八丁堤があった付近に日本で最古級の閘門式運河である見沼通船堀が開削され、見沼代用水東縁・見沼代用水西縁と芝川をつなぐ内陸水運路となった。享保17年(1732年)には、見沼代用水西縁から分水するかたちで高沼用水路が開削され、見沼に続いて鴻沼が干拓された。

また、江戸時代には現上尾市域から現南区域にかけての広い範囲が、紀伊徳川家徳川将軍家鷹場となっていた[32]

近代[編集]

明治維新の過程において、日本の地方行政に関わる制度が府藩県三治制慶応4年・明治元年〈1868年〉)、版籍奉還(明治2年〈1869年〉)、廃藩置県(明治4年〈1871年〉)と移行してゆく中で、現さいたま市域では明治2年1月28日(1869年3月10日)に大宮県が設置されたが、大宮県の実質的な県庁機能は東京府日本橋馬喰町に置かれた。同年9月には県庁が浦和宿(現:浦和区)に移転し、県名も浦和県へと変更された。一方、岩槻藩は1871年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県により岩槻県となった。その後、同年11月に、浦和県、岩槻県、忍県が合併して埼玉県が誕生、県庁は旧浦和県庁に置かれた。

日本初の鉄道開業新橋駅 - 横浜駅〈現:桜木町駅〉間)から11年後の1883年(明治16年)には、日本鉄道上野駅 - 熊谷駅間(現:宇都宮線高崎線)が開通し、現さいたま市域では初の鉄道駅である浦和駅が開業した。 

市域西部を流れる荒川は、1907年(明治40年)8月と1910年(明治43年)8月に水害を起こし、特に1910年の水害は関東大水害として知られる。荒川をはじめ埼玉県内の多数の河川が大雨により氾濫し、埼玉県や東京府の広い範囲が浸水するなど、大規模なものとなった。これらの水害を契機に、荒川では「荒川下流改修計画」・「荒川上流改修計画」が策定され、一体的な治水対策や河川改修工事が行われるようになった。しかしながら、戦争を含む当時の日本の経済・社会情勢の影響を受け、工事は当初予定よりも大幅に時間を要することとなった。現さいたま市域は、荒川上流改修計画に含まれているが、これによる河川改修工事は、開始年が1918年大正7年)、付帯工事も含めた終了年は1954年昭和29年)のことである。これにより、さいたま市付近の荒川は、幅2km弱にわたる河川敷を有することとなった[33]

1923年(大正12年)の関東大震災は現在のさいたま市域、なかでも浦和と大宮の発展に大きな影響を及ぼすことになる。この時期埼玉県では主要都市中心部で「耕地整理事業」の名による区画整理が始まっていたが、中でも早期に耕地整理事業が進み、震災の時点ですでに中心部付近に整備された碁盤状の街区を設けていた旧浦和町は震災被害も軽微であった(死者は3名[34])。このため、壊滅した東京や横浜から人口が流入し、特に別所沼の周辺の浦和駅西側地域には画家をはじめとした富裕層や文化人が移住した。彼らは「浦和画家」と呼ばれる文化人コミュニティーを形成し、文教都市浦和の発展に寄与した。一方大宮では、やはり震災を契機として、大宮町・大砂土村境界部に東京・小石川から盆栽業者が集団移転し、盆栽村組合が設立されて厳格な景観に対する取り決めを行い、盆栽村が形成された。これら関東大震災後に浦和・大宮に花開いた文化は、現在でも文化的遺産となっている。

1927年(昭和2年)に宮脇梅吉が埼玉県知事に就任。宮脇は、県庁のある浦和の単独市制もしくは浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏実現を構想した。宮脇は在任わずかで他県に転出して実現しなかったが[35]1931年(昭和6年)に宮脇が再び埼玉県知事に就任。自論を再び展開し、日進を加えて三町三村の合併による「大埼玉市構想」を強く提唱した[35]。しかし大宮町の負債総額が浦和町を大幅に上回っていたことから浦和町が合併に消極的であったといわれ[36]、合併は実現しなかった。1934年(昭和9年)、市制施行により浦和市が発足。これは都道府県庁所在地として最も遅い市制施行であった。また、浦和・大宮・与野・六辻・三橋の1市2町2村の上水道を取り扱う「埼玉県南水道組合」(後の埼玉県南水道企業団、現:さいたま市水道局)が設立され、「大埼玉市」構想の一部が実現した[35]

1939年(昭和14年)には浦和市が、与野・六辻と戸田・蕨などの一市三町六村での合併を呼びかけ。大宮町も、浦和市・与野町との独自の合併案を提示した[35]。翌年の1940年(昭和15年)、埼玉県が仲介して大宮案での合併交渉に入り、六辻・日進を加えて一市三町五村での合併で一応の合意にこぎつけたが、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなった。大宮町は、交渉不調に備えて別個に合併交渉を進めていた日進・三橋・宮原・大砂土の4村と11月に合併し、同時に市制施行により大宮市が発足。1943年(昭和18年)には、埼玉県知事の大津敏男が浦和・大宮・与野との二市一町で埼玉市を設立する合併構想を打ち出すも、戦争の激化により立ち消えとなった。

太平洋戦争中は、埼玉県内を管轄する浦和連隊区司令部が置かれ、戦争末期の1945年(昭和20年)には、浦和に第36軍が置かれた。市域では4月14日に浦和と大宮が、5月26日に再び浦和が空襲を受け死傷者が生じ、また浦和への爆撃予告ビラが投下されるなどしたが、県内最大の空襲である熊谷空襲のような大規模空襲に遭うことはなかった[37]。終戦後進駐軍の占領下になると埼玉会館に埼玉軍政部が置かれた。

現代[編集]

みそのウイングシティ

2001年に戦前(1927年)から数度浮上した合併構想が結実し、浦和・大宮・与野の合併によりさいたま市が発足した。2005年には岩槻を編入し現在に至っている(下記)。戦後、旧浦和市域を東西に走る武蔵野線1973年)、浦和市・大宮市・与野市をまたがって埼京線東北新幹線1985年、大宮駅以北の開業は1982年)が開業し、東北自動車道東京外環自動車道首都高速道路などインフラ整備が行われた結果、至近の現市域も人口流入が進んだ。特に浦和市は県庁所在地として、大宮市は商業の中心としてそれぞれ発展した。平坦な地形から住宅開発が進み、旧4市域の人口は1990年代に100万人を超え、合併後には130万人となり、京都市に次ぐ国内9位の都市となった(日本の市の人口順位参照)。現在も複数の区画整理事業(一覧)が進められており、今後も市街地の拡大が見込まれる。埼玉スタジアム2002を中心としたみそのウイングシティは、計画人口3万人以上の市内最大規模の開発事業となった。また、主要駅周辺部では再開発事業(一覧)が活発化し、高層建築物が増加した。市内で最も高さがある建物はさいたま新都心にあるランド・アクシス・タワー(略称:L.A.タワー)(168m)、最も階数が高い建物はライブタワー武蔵浦和(38階)となっている。

合併に関する経過と合併後の沿革。旧市に関する詳細な歴史は各4市の項目を参照。

浦和市・大宮市・与野市の合併
  • 1953年昭和28年) - 9月、町村合併促進法が制定される。いわゆる「昭和の大合併」の始まり。
  • 1954年(昭和29年) - 2月、埼玉県が県内323市町村を81市町村にまで合併再編する合併試案を示し、浦和市・大宮市周辺では浦和市・大宮市・与野町・大久保村・土合村の2市1町2村による合併試案が示される。しかし浦和市は大久保村・土合村を編入する合併、大宮市は周辺6村を編入する合併を構想し、この枠組みでの合併は実現せず[38]。11月、与野町が大久保村に合併を申し込むも、実現せず[39]
  • 1955年(昭和30年) - 1月、浦和市が大久保村・土合村を編入、大宮市が周辺6村(指扇村・馬宮村・植水村・片柳村・七里村・春岡村)を編入。2月、与野町議会に北部を大宮市、南部を浦和市に編入させ、中央部を残存させる案が提出されるも、反対議員や町民が議場を取り囲んで開会できず、与野町はそのまま残る[40]
  • 1958年(昭和33年) - 市制施行により与野市が発足。
  • 1962年(昭和37年) - 浦和市議会が、三市と川口・蕨での五市合併を呼びかけ。第一段階で三市、第二段階で川口・蕨との合併をするというものだった。
  • 1973年(昭和48年) - 三市の市長が合併に関して初会談。また、北九州市の合併推進派の理論的支柱となった都市社会学者の磯村英一が、三市について「合併しなければ、背を向け続けるであろう」と警告。
  • 1980年(昭和55年) - 10月、県南中央地域の都市間相互のゆるやかな連合を掲げ、浦和市、大宮市、与野市、上尾市伊奈町の4市1町および埼玉県による「埼玉中枢都市首長会議」が発足。
  • 1982年(昭和57年) - 4月、従前の首長会議の名称を「埼玉中枢都市圏首長会議」に変更。9月、「埼玉中枢都市圏構想・基本構想」策定。
  • 1985年(昭和60年) - 12月、「埼玉中枢都市圏構想」の名称を「さいたまYOU And Iプラン」(構成4市1町の英表記頭文字を組み合わせた名称)に変更。
  • 1990年平成2年) - 7月、「政令指定都市化」を公約にして、新藤享弘が大宮市長に就任。だが、単独での実現は現実的には不可能であり、合併による政令指定都市化を目指すものだった。これには与野市長の井原勇も同調した。
  • 1991年(平成3年) - 4月、「政令指定都市化」を公約にして、相川宗一が浦和市長に就任。これに難色を示した現職の中川健吉を破っての就任であった。
  • 1992年(平成4年) - 4月、国土庁が4市1町の圏域を「埼玉中枢都市圏域業務核都市基本構想」として承認。
  • 1993年(平成5年) - 6月、旧国鉄大宮操車場跡地に、国の10省庁17機関の移転決定。12月、4市1町の強固な連合を目標とした「彩の国YOU And Iプラン」を策定。以後、合併政令指定都市化の動きが活発化する。
  • 1995年(平成7年)
    • 3月 - 「合併促進決議」が浦和市議会、大宮市議会で可決、与野市議会も6月に決議を可決。この決議において「浦和を行政の中心、大宮を経済の中心、与野を文化の中心とする」という新市における三地区の位置づけが確認された。
    • 7月19日 - 上尾市が浦和市・大宮市・与野市からの合併協議会設置請求に対し拒否回答。
  • 1997年(平成9年)12月18日 - 任意協議会「浦和市・大宮市・与野市合併推進協議会」が設置される[41]
  • 1998年(平成10年)
    • 4月15日 - 新市の名称の議論を付託された「第2小委員会」が設置される。
    • 10月30日 - 大宮市の提案に基づき、3市の市民代表・学識経験者・マスコミ関係者で構成される「浦和市・大宮市・与野市新市名検討委員会」が設置される(会長:兵藤釗埼玉大学学長)。
    • 11月2日 - 第2小委員会開催。新市名検討委員会から、「新市の市名は公募することが望ましい」との報告を受ける。大宮市は公募方式に対し態度を保留するも、同月10日に新市名検討委員会は国内外からの公募を再確認。その後、上尾市・伊奈町を同時に合併しないことを理由に大宮市が審議をボイコットし、合併推進協議会の協議が停滞(上尾市・伊奈町を含めた合併は、旧大宮市が強く求めていたもので、両市町は彩の国YOU And Iプランに含まれる領域であるとともに、旧大宮市にとって自身を新市の地理的な中央部に置くためには両市町を組み込むことが死活問題であった)。浦和市は審議正常化を求め、逆に戸田市・蕨市も合併に加えることを提案(1962年に打ち出した合併構想案を基にしたものであった)。
  • 1999年(平成11年)
    • 6月25日 - 3市先行合併、合併後に上尾市・伊奈町の意向確認を行う旨の合意が行われ(いわゆる「 6・25合意」)、審議が正常化する。
    • 8月 - 19日、大宮市議会の再反対で公募を先送り。28日、公募実施要項に「6・25合意」を盛り込むことで公募の実施を合意。31日、第14回第2小委員会で市名の公募の実施を合意。
  • 2000年(平成12年)
    • 1月10日 - 市名の公募を実施。期限の2月18日までに全国から67,665件、8,580種類の応募がなされる。その結果は、『埼玉市』が1位(7117票)、『さいたま市』が2位(3821票)というものであった。また合併を構成する各市の名称を用いる案は『大宮市』が3位(3008票)、『浦和市』が6位(1821票)となったが、大宮市以外の地域からの『大宮市』への応募は24.8%、浦和市以外の地域からの『浦和市』への応募は29.7%と少なく、浦和市からの『大宮市』への応募は1.1%、大宮市から『浦和市』への応募は3.7%であった[42]。また、『与野市』は100位以内に入らなかった[43]
    • 3月26日 - 新市名検討委員会での検討の結果、『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位2495票)・『さきたま市』(7位1374票)・『関東市』(37位217票)の5案が市名候補として選考され、第2小委員会委員長及び小委員会に報告される。
    • 4月4日 - 第22回第2小委員会が開催。浦和市・与野市から『さいたま市』、大宮市から『大宮市』の2つの市名案が提案される。なお、『大宮市』の名称は、大宮市の提案で設置された新市名検討案が提出した市名候補5案にはないものだった。
    • 4月11日 - 第23回第2小委員会が開催。『埼玉』などの名称を使用しないでほしいとする要望書を提出した、行田商工会議所会頭・行田市埼玉地区自治会連合会会長が招聘される。
    • 4月17日 - 第25回第2小委員会が開催。大宮市側は新市の市役所をさいたま新都心周辺地区に置くよう要求し、合併促進決議以来「行政の中心」と位置付けられている浦和市側の猛反発を受ける。最終的に「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」旨[44] を合併協議書に盛り込むことで、新市名を『さいたま市』とすることに合意した[45] が、合併後は「将来の市役所の位置」に関する合併協定書の文言に関する解釈を巡って対立が見られる(当時から域内最大の人口を有し市の中心となる浦和市側の反発により、新市役所をさいたま新都心に設置すると明記されておらず、「意見を踏まえ…位置を検討する」という玉虫色の文章にされているため)。
    • 4月24日 - 第21回合併推進協議会が開催。新市名を 『さいたま市』とする旨委員長報告があり、議案が提出。即日議決される。なお、さいたまの「さ」の字体は、2画目と3画目が連続した字体(「ち」の鏡文字)を正式としたが、市民などが住所を表記する際にはどちらでも構わないとしている。
    • 4月29日 - 法定協議会「浦和市・大宮市・与野市合併協議会」が設置される。
    • 5月5日 - 浦和市・大宮市・与野市の市境域の旧国鉄操車場跡地にて、さいたま新都心がまちびらき。なお、この「さいたま新都心」という名称は、1999年4月に決まっていたものであり、市名「さいたま市」との直接の関係はない。
    • 9月5日 - 合併協定調印式。
合併、政令指定都市へ
  • 2001年(平成13年)
    • 3月28日 - 大規模開発「みそのウイングシティ」(計画人口31,200人)の開発に先駆け、埼玉高速鉄道線および浦和美園駅が開業。
    • 5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。
    • 7月29日 - 上尾市が「さいたま市との合併の是非を問う住民投票」を実施。「反対(58.3%)」・「賛成(41.7%)」という結果となる。
    • 8月6日 - 伊奈町が合併協議を断念する旨を表明。8日には、上尾市が住民投票の結果を受け、合併協議を辞退する旨を正式に表明。
  • 2002年(平成14年)
  • 2003年(平成15年)
    • 1月26日 - 岩槻市が「岩槻市の合併に関する住民投票」を実施。「さいたま市との合併(52.6%)」・「合併しない(38.8%)」・「春日部市、宮代町、杉戸町、庄和町との合併(8.5%)」との結果となる。
    • 2月5日 - 住民投票の結果を受け、岩槻市がさいたま市に対し合併協議の申し入れを行う。さいたま市は、24日にこの申し入れを受け入れる。
    • 4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、9つの行政区が発足。
    • 7月15日 - 任意協議会「さいたま市・岩槻市任意合併協議会」設置。
  • 2004年(平成16年)
    • 6月25日 - 法定協議会「さいたま市・岩槻市合併協議会」設置。
    • 8月24日 - 合併協定調印式。
岩槻市を編入、現在のさいたま市が成立

政治[編集]

市長[編集]

さいたま市議会[編集]

さいたま市議会を参照

市長選挙・市議会選挙[編集]

  • 2001年(平成13年)5月27日 - 初の市長選挙。前浦和市長の相川宗一(自由党推薦)が当選。
  • 2003年(平成15年)4月13日 - 初の市議会議員一般選挙。議員定数を64に削減。
  • 2004年(平成16年)12月26日 - 南区選出議員の市議会議員補欠選挙。
  • 2005年(平成17年)5月15日 - 市長選挙。岩槻区選出議員の市議会議員増員選挙。浦和区選出議員の市議会議員補欠選挙。議員定数を71に増加。
  • 2007年(平成19年)4月8日 - 市議会議員一般選挙。議員定数を64に削減。
  • 2009年(平成21年)5月24日 - 市長選挙。西区・北区選出議員の市議会議員補欠選挙。
  • 2011年(平成23年)4月10日 - 市議会議員一般選挙。議員定数を60に削減。
  • 2013年(平成25年)5月19日 - 市長選挙。見沼区選出議員の市議会議員補欠選挙。
  • 2015年(平成27年)4月12日 - 市議会議員一般選挙。
  • 2017年(平成29年)5月21日 - 市長選挙。
  • 2019年(平成31年)4月7日 - 市議会議員一般選挙。

国政選挙[編集]

本市における衆議院小選挙区は、3つに区分されている。

  • 埼玉県第1区:見沼区(5区に属しない地域)、浦和区、緑区、岩槻区
議員名 党派名 当選回数 備考
村井英樹 自由民主党 3
  • 埼玉県第5区:西区、北区、大宮区、見沼区(1区に属しない地域)、中央区
議員名 党派名 当選回数 備考
枝野幸男 立憲民主党 9
牧原秀樹 自由民主党 4 比例復活
議員名 党派名 当選回数 備考
田中良生 自由民主党 4

県政選挙[編集]

本市における県議会の選挙区は、行政区ごとに区分して議員を選出している。その総数は14である。

選挙区名 定数 議員名 会派 当選回数
南第3区 さいたま市西区 1 日下部伸三 自由民主党 3
南第4区 さいたま市北区 2 高木真理 埼玉民主フォーラム(立憲民主党) 3
関根信明 自由民主党 1
南第5区 さいたま市大宮区 1 藤井健志 自由民主党 2
南第6区 さいたま市見沼区 2 田村琢実 自由民主党 4
(欠員)
南第7区 さいたま市中央区 1 宮崎吾一 自由民主党 1
南第8区 さいたま市桜区 1 荒木裕介 自由民主党 3
南第9区 さいたま市浦和区 2 浅野目義英 無所属 4
高木功介 自由民主党 1
南第10区 さいたま市南区 2 宮崎栄治郎 自由民主党 5
木村勇夫 埼玉民主フォーラム(国民民主党) 4
南第11区 さいたま市緑区 1 高橋政雄 自由民主党 4
南第12区 さいたま市岩槻区 1 小島信昭 自由民主党 6

行政[編集]

さいたま市役所の項目も参照。

広報活動[編集]

市の一般的な広報活動は、広報課により行われている。同課内には、一般的な広報活動の企画立案や各区ごとの広報活動の取りまとめを行う「広報係」のほか、行政情報の見える化を推進することを主な業務とする「企画推進係」がある[47]

主な広報媒体として、広報誌『市報さいたま』(毎月1回発行、全戸配布)、テレビ番組『のびのびシティさいたま市』(テレビ埼玉で放送)のほか、ウェブ媒体によるもの(公式サイトおよびメールマガジン)などがあり、このうち『市報さいたま』については視覚障害者向けにカセットテープ版や点字版も制作されている[48]。また、この他にも市議会や市政の個別テーマ・部局・地域ごとの広報が多くなされている。

市のマスコットキャラクターとして、市内の見沼(見沼田んぼ)に伝わる伝承に因んだ「つなが竜ヌゥ」が2007年9月20日に制定された[49]。このキャラクターは一定の条件(要綱・マニュアルに記載)を満たせば営利目的を含めて誰でも使用することができるほか、着ぐるみの貸し出しも行われている[50]。また、埼玉県の自治体のゆるキャラで構成されるゆる玉応援団にも加盟している。また、やなせたかしによるキャラクター「浦和うなこちゃん」がさいたま観光大使に任命されており、各種イベントにて「ヌゥ」や埼玉県のキャラクターである「コバトン」・「さいたまっち」と一緒に登場することが多い[51]

市歌として、「さいたま市の歌『希望(ゆめ)のまち』」が制作されている。政令指定都市移行記念として2003年に制定されたもので、公募により880点寄せられた歌詞の最優秀作品に市出身のタケカワユキヒデが作曲および補作詞をした楽曲で、タケカワと二人の娘(武川基、武川アイ)のユニット「タケカワユキヒデ & T's COMPANY」が歌う。この楽曲の冒頭とエンディングに流れるチャント風のエールは、浦和レッズと大宮アルディージャのサポーター有志によるものである。また、このエールをアレンジしたものが市内の複数のJR駅で発車メロディーとしても使用されている[52]

市の機関[編集]

消防局・危機管理センター
消防・防災
保健所
上下水道
ごみ処理施設
斎場
  • 浦和斎場(桜区)
  • 大宮聖苑(見沼区)
  • 思い出の里会館(見沼区・思い出の里市営霊園内)
  • ひかり会館(中央区)
観光案内所
  • 浦和観光案内所(アトレ浦和South Area内)
  • 大宮駅観光案内所(大宮駅構内)
  • さいたま新都心観光案内所(さいたま新都心駅東西自由通路)
  • 岩槻観光案内所(岩槻駅構内)

教育[編集]

教育委員会
教育研究所
児童施設

※その他10区すべてに子育て支援センターを設置している。

図書館[編集]

さいたま市図書館を参照。市内に25館設置されている。ほかに埼玉県立熊谷図書館浦和分室が、埼玉県立浦和図書館閉館後埼玉県立文書館内に設置。

地域拠点施設[編集]

コミュニティセンター[編集]

支所・市民の窓口[編集]

県の出先機関[編集]

国の出先機関[編集]

広域行政[編集]

一部事務組合
事務委託

司法[編集]

裁判所[編集]

経済[編集]

産業構成[編集]

さいたま市と埼玉県、日本全国、政令市・特別区部平均の従業人口ベースの産業構成。

さいたま市では、従業者の80%以上が商業・サービス業等の第三次産業に従事している。この構成割合は、政令市および東京特別区部全体とほぼ同様である。埼玉県全体や日本全国と比べると、製造業の構成割合が小さく、サービス業の構成割合が大きい。市街地にはテクノシティ浦和などのデータセンター、郊外には岩槻工業団地、吉野原工業団地などの物流拠点が所在する。

商工会議所

主な企業[編集]

金融機関
埼玉りそな銀行本部
本社を置く主な企業
研究所など
特殊法人
独立行政法人
独立行政法人(国立研究開発法人
組合企業

主な商業施設[編集]

伊勢丹浦和店

ホテル[編集]

教育機関[編集]

埼玉大学

小中学校および高等学校、特別支援学校等はCategory:さいたま市の学校を参照。

大学

国立大学法人

私立

  • 順天堂大学(緑区、2020年以降に開校予定)
  • 慶應義塾大学薬学部浦和共立キャンパス(緑区、学部内のクラブ活動や学生の研修等のみに使われている。キャンパス内に附属薬用植物園がある)
  • 芝浦工業大学大宮キャンパス(見沼区、工学部およびデザイン工学部1・2年生、システム理工学部全学年)
  • 浦和大学(緑区)
  • 目白大学岩槻キャンパス(岩槻区、キャンパス内に目白大学耳科学研究所クリニックがある)
  • 日本大学法学部大宮グラウンド(見沼区、2009年3月に体育実技科目の一部を残して当キャンパスでの授業を廃止。グラウンドのみが使われている)
  • 人間総合科学大学岩槻キャンパス・蓮田キャンパス(岩槻区、本部である蓮田キャンパスの所在地は、岩槻区内に属している)
  • 日本赤十字看護大学さいたま看護学部大宮キャンパス(中央区)
  • 放送大学埼玉学習センター(大宮区)
  • 国際学院埼玉短期大学(大宮区)
  • 浦和大学短期大学部(緑区)


その他[編集]

ホール[編集]

さいたま市文化センター

マスメディア[編集]

新聞社
テレビ放送局
FMラジオ局
コミュニティFM局
ケーブルテレビ

医療機関[編集]

さいたま市立病院

さいたま市は、1市で1つの二次医療圏(さいたま保健医療圏)を構成する。

医師会
日本赤十字社

郵便[編集]

スポーツ[編集]

サッカー[編集]

埼玉スタジアム2002

さいたま市は、旧浦和市域を中心としてサッカーが盛んな街でもある。現在のさいたま市役所付近に置かれた埼玉師範学校(後の埼玉大学教育学部)が1937年の全国中等学校蹴球大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)で初優勝し、初めて優勝旗が箱根の山を越えた(かつては関西地方で全国大会が開かれていたため)。以来、1950年代から1970年代にかけて浦和高校浦和西高校浦和市立高校浦和南高校が次々と全国制覇し、静岡県広島県と共に「サッカー御三家」と称された[53]

2017年現在、さいたま市内を本拠地とするプロサッカークラブとしては、Jリーグ1部(J1)に所属する浦和レッドダイヤモンズ大宮アルディージャ、女子サッカークラブとしてはなでしこリーグ(旧L・リーグ)に所属する浦和レッドダイヤモンズ・レディースがある。特に三菱重工業サッカー部を前身とする浦和レッドダイヤモンズは、AFCチャンピオンズリーグで2度優勝(国内唯一)した強豪クラブとなっている。浦和レッドダイヤモンズと大宮アルディージャとの試合はさいたまダービーと呼ばれている(2018 – 2020年は開催されない)。また、J1規格以上のサッカースタジアムが3つある都市はさいたま市だけとなっている。

2002年には、FIFAワールドカップの埼玉会場として、日本代表の初戦や準決勝戦など4試合が緑区の埼玉スタジアム2002で行われた。2020年東京オリンピックにおいても使用される予定となっている。

野球[編集]

市内では野球も盛んであり、県営・市営あわせ4つの野球場が所在する。高校野球においては、選抜高校野球大会に10回、全国高校野球選手権に13回出場し、県内最多(合計23回)の甲子園大会出場回数の浦和学院高校が所在しており、2013年に浦和学院高校が、1968年大宮工業高校が選抜高校野球大会で全国優勝を果たしている。

社会人野球においても、実業団チームでは日本通運が浦和市時代から都市対抗野球大会に45回、日本選手権に20回出場しており、1964年埼玉県勢初の都市対抗野球大会優勝を果たし、1994年には日本選手権に優勝を果たすなど南関東エリアの強豪として知られている。また、クラブチームでは全浦和野球団全日本クラブ野球選手権大会1976年の第1回大会から3連覇を果たしている。戦前は大宮町に本拠に置いた「全大宮」が1932年から都市対抗野球大会に5年連続で出場し、1935年1936年と二年連続で準決勝に進出する活躍をした。

バスケットボール[編集]

バスケットボールについては、B3.LEAGUE所属のさいたまブロンコスホームタウンである他、2006年8月26日から9月3日まで、FIBAバスケットボール世界選手権のファイナルラウンドが中央区さいたまスーパーアリーナにて行われた。女子では現在は廃部となったが、日本リーグにも参戦していた日本通運ディアーズ浦和市に本拠を置いていた。また、2017年度より天皇杯・皇后杯全日本バスケットボール選手権大会の最終ラウンドをさいたまスーパーアリーナにて行われている。

卓球[編集]

  • Tリーグ(Tプレミアリーグ・男子)
    • T.T彩たま(埼玉県全域をホームタウンとするが、ホームタウン中心活動地域としている)

スポーツ文学賞[編集]

さいたま市は、スポーツが盛んな都市というイメージを生かし、1994年にさいたま市スポーツ文学賞(開始時は「浦和スポーツ文学賞」。現在は終了)を創設した。スポーツを題材とする小説およびエッセイを全国から公募する文学賞で、2010年まで隔年で実施された。また、受賞者の作品をまとめた作品集『SPORTS STORIES』を毎回刊行していた。

スポーツ施設[編集]

サッカー[編集]

野球[編集]

その他[編集]

観光[編集]

主な文化財[編集]

市指定のものはさいたま市指定文化財一覧も参照。

観光スポット[編集]

公園
美術館
博物館
その他

祭事・催事[編集]

「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」センター会場正門(2011年10月15日)

伝統産業[編集]

地域活性化、後世への継承を図るため2008年(平成20年)4月25日に以下3つを市の伝統産業を指定した。

料理[編集]

  • ケーキ(総務庁統計局家計調査年報〈1998年 - 2000年の平均〉)によると、旧浦和市の1世帯当たりの年間ケーキ購入額が全国で1位となったため、埼玉中央青年会議所(埼玉中央JC)が「ケーキのまち・さいたま」を宣言し、ケーキで街おこしをしようと毎年ケーキにちなんだイベントを開催している。)また、パスタの消費量も全国で1位である。
  • サツマイモ紅赤は、浦和区木崎が発祥地)
  • 慈姑(緑区と岩槻区は、国内有数の産地)
  • (岩槻区は「岩槻ねぎ」の産地として知られ、落語の「たらちね」の中に登場している)
  • 豆腐ラーメン (豆腐とひき肉の餡がかかったラーメン。埼玉県のご当地ラーメンとされる)

交通[編集]

鉄道[編集]

2017年(平成29年)7月現在、市内33駅合計の乗降客数は増加傾向にある[63][64]

鉄道路線

JTBパブリッシング交通新聞社(都道府県代表駅の記号がない「東京時刻表」を除く)の時刻表における県・市の代表駅は、県庁・市役所の最寄駅である浦和駅となっている。現さいたま市域において初めて鉄道が開通したのは1883年(明治16年)で、現市域で唯一の鉄道駅として浦和駅が開業した(日本鉄道上野駅 - 熊谷駅間)。また、1885年(明治18年)3月16日には大宮駅が設置された。その後、新たな鉄道路線の開通や新駅の開業により、現さいたま市域を通る路線や駅は次第に増加し、4つの事業者が運行する11の旅客鉄道路線[注釈 8] と、31の鉄道駅がある。このうち大宮駅・浦和駅・南浦和駅さいたま新都心駅武蔵浦和駅北浦和駅の6駅は、JR東日本の乗車人員ランキング上位100位内にランクインする[65]

新幹線以外の旅客鉄道路線の多くは南北方向に通じており、東京大都市圏における放射状の路線をなしている。特に大宮駅以南は、京浜東北線、宇都宮線・上野東京ライン湘南新宿ラインの3複線となっており、多数の列車が運行されている。大宮駅以北でも、宇都宮線・高崎線が都心へのアクセス路線という重要な役割を果たしている。一方で、東京大都市圏における環状の路線をなす路線として、市の北部に東武野田線(東武アーバンパークライン)とJR川越線、南部にJR武蔵野線が、それぞれ東西方向に通じている。

浦和駅
浦和駅
大宮駅
大宮駅
さいたま新都心駅
さいたま新都心駅
東日本旅客鉄道(JR東日本)
  • 大宮駅
  • 大宮駅
  • 南浦和駅 - 浦和駅 - 北浦和駅 - 与野駅 - さいたま新都心駅 - 大宮駅
東武鉄道
埼玉高速鉄道
埼玉新都市交通
JR東日本 大宮総合車両センター(本所)
JR東日本 大宮総合車両センター(本所)
JR貨物 大宮車両所
JR貨物 大宮車両所
車両工場・車両基地

1885年(明治18年)3月16日の大宮駅設置後、大規模な車両の点検整備や建造のための自社工場を持っていなかった日本鉄道が、上野駅 - 青森駅間の全通を機に、1894年(明治27年)12月10日に大宮駅北側に設立した車両工場が、現在のJR東日本大宮総合車両センターおよびJR貨物大宮車両所である[66]。開設から120年以上経った現在も現地で操業している、長い歴史を持つ車両工場で、「鉄道の町」大宮の中心となった施設[67] であり、街の発展に大いに寄与した[注釈 9]。旧大宮市がさいたま市となった2001年以降もその異名は変わらず使われ続け、2014年からさいたま市が大宮総合車両センターとの共同主催で、「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」[59][注釈 10] を大宮車両所との共催で開催している。

また、上記の他さいたま市内にある車両基地は以下の通り。

東日本旅客鉄道(JR東日本)
大宮総合車両センター(本所、大宮駅北方)[69]
東大宮センター〈宮オオ〉(宇都宮線土呂駅 - 東大宮駅間、東大宮操車場構内)[70]
さいたま車両センター〈宮サイ〉(旧・浦和電車区〈宮ウラ〉、南浦和駅南方)[71]
日本貨物鉄道(JR貨物)
大宮車両所(大宮総合車両センター本所内に併設)[72]
埼玉高速鉄道
浦和美園車両基地(浦和美園駅北方)[73]

バス・乗合タクシー[編集]

さいたま市コミュニティバスの車両(東武バスウエスト)

市内全域で民営バスによる運行が行われている。市の南部・中央部には国際興業バス、北西部には西武バス、北東部には東武バスウエストの運行路線がそれぞれ多く、大半のバス路線は鉄道駅を起終点としている。

公営交通市営バス)の運行はないが、市内に営業所を置く民営バス事業者に運行委託し、市が運行費用の一部を補助するコミュニティバスが存在する。

乗車方法は後乗り前降り後払い方式で、運賃は整理券方式による区間制である。PASMOSuica(非接触型IC乗車カード)が利用可能なバス事業者が多く、また、回数券が利用できるバス事業者もある(国際興業バスなど)。ただし、100円均一区間(浦和駅周辺など)では、現金以外で支払うと割引が適用されない。

以下に、市内で運行している事業者を示す。乗合タクシーはバスとは案内されず、運行委託先はバス会社ではなくタクシー会社であるものの、定められた経路を時刻通りに運行する公共交通機関として、ここで一括して取り上げる。

コミュニティバス・乗合タクシー[編集]

  • さいたま市コミュニティバス
    • 西区コミュニティバス - 西武バス
    • 見沼区コミュニティバス、南区コミュニティバス、桜区コミュニティバス - 国際興業バス
    • 北区コミュニティバス、岩槻区コミュニティバス - 東武バスウエスト
  • さいたま市乗合タクシー
    • 西区指扇地区乗合タクシー「あじさい号」 - 指扇交通
    • 見沼区大砂土東地区乗合タクシー「みぬま号」、見沼区片柳西地区乗合タクシー「カワセミ号」 - 見沼交通
    • 岩槻区和土地区乗合タクシー「レインボー号」 - 第三交通
    • 岩槻区並木・加倉地区乗合タクシー「らくらく号」 - さいたま福祉サービス(小原交通)

タクシー[編集]

タクシーの営業区域県南中央交通圏で、川口市鴻巣市上尾市戸田市などと同じエリアとなっている。

道路交通[編集]

首都高速埼玉新都心線

さいたま市内の通りも参照。市内に通称のある区間が存在する道路は括弧内に通称を併記。なお、市内の全区間に通称があるとは限らない。

高速道路・有料道路[編集]

東日本高速道路(NEXCO東日本)
E4 東北自動車道
C3 東京外環自動車道
首都高速道路
Shuto Urban Expwy Sign S5.svg 埼玉大宮線
Shuto Urban Expwy Sign S2.svg 埼玉新都心線
埼玉県道路公社

一般国道[編集]

都道府県道[編集]

※90号までは主要地方道、103号以降は一般県道。

都市計画道路[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

国内[編集]

海外[編集]

姉妹都市を中心に以下の運営施設がある。

  • さいたま市立舘岩少年自然の家(南会津町)
  • ホテル南郷・さゆり荘(南会津町)
  • 新治ファミリーランド(みなかみ町)

出身著名人・ゆかりのある人物[編集]

名誉市民[編集]

※旧市で名誉市民に推挙された人物は、さいたま市名誉市民として自動的に継承されている。

市民栄誉賞[編集]

※旧市で市民栄誉賞に表彰された人物は、さいたま市民栄誉賞受賞者として自動的に継承されている。

さいたま市を舞台とした作品[編集]

Category:さいたま市を舞台とした作品も参照。

小説など
映画
漫画・アニメ
コンピュータゲーム
  • ローカルディア・クロニクル - 2016年5月3日にAndroidiOSでリリースされたRPG。さいたま市にある10区を架空の世界にある王国に見立てている[77]
萌え本
  • ころもゆうぎ - 主人公三人の名が浦和 姫乃、大宮さくら、与野 衣織菜と合併前の三市から取られている。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ さいたま市の頭文字「S」をモチーフに、未来に向かって人もまちもいきいきと前進するイメージのデザイン。Sを囲むように孤を描くことで、市民を温かく包みながら共に発展していくこと、輪(和)が広がり融和していくことを表現している。基調となる緑色は、見沼田んぼに代表される豊かな自然との調和を示している。
  2. ^ 県最西部は「秩父地方」と呼ばれ、その東側、すなわち県中南部にあたる入間地方、比企地方などが「西部地域」と呼ばれることが多いため。
  3. ^ さいたま市発足までひらがな市で人口が最多だった市は福島県いわき市だった
  4. ^ さいたま市発足まで日本の都道府県庁所在地では文字数が最多だったは、栃木県宇都宮市愛知県名古屋市和歌山県和歌山市鹿児島県鹿児島市の3文字だった。反対に日本の都道府県庁所在地で文字数が最少は三重県津市の1文字である。
  5. ^ 一部は旧荒川であるびん沼川が西境になっており、西区の一部は荒川の右岸に位置する。
  6. ^ 旧浦和市上木崎一丁目および大宮市錦町・吉敷町二丁目・北袋町一丁目のうち、それぞれ東北本線西側の地区(現:中央区新都心)。これは旧3市の合併協議における、「さいたま新都心のうちさいたまスーパーアリーナ・国の広域合同庁舎・郵政庁舎の立地する区域が複数区に分断されないよう取り扱うべき」「(当該区域が)旧与野市を基本とする行政区に帰属することが望ましいとの意見があったことも配慮すべき」旨の合意事項がさいたま市に引き継がれ、さいたま新都心のうち東北本線西側の地区を、一体的に中央区に帰属させることとなったことによる。
  7. ^ 大原六丁目・七丁目。
  8. ^ 宇都宮線・京浜東北線・埼京線をそれぞれ1路線として扱い、湘南新宿ラインを1路線とは数えないときの路線数。
  9. ^ 2017年7月1日放送のNHK『ブラタモリ #77 大宮 〜なぜ大宮は 鉄道の町になったのか?〜』[68] で、この用語と街の発展の歴史が紹介され、大宮総合車両センターも訪れている。
  10. ^ 旧称・「JRおおみや 鉄道ふれあいフェア」、毎年5月第4土曜日開催。
  11. ^ 彩野市は実際のさいたま市と同様に4つの市が合併して設置された設定とされており、旧浦和市は「浦中市」・旧大宮市は「宮央市」・旧与野市は「与原市」・旧岩槻市は「石規市」と表記されている。

出典[編集]

  1. ^ 都道府県の人口一覧#推計人口(最新)を参照
  2. ^ さいたま市統計書(令和元年版) さいたま市公式ウェブサイト 2020年9月26日(土)閲覧
  3. ^ 令和2年全国都道府県市区町村別面積調(1月1日時点) 国土交通省国土地理院公式ウェブサイト 2020年9月26日(土)閲覧
  4. ^ さいたま市統計書(平成27年版)「土地及び気象」 に記載の標高で、同資料の注にはさいたま市地形図に記載の標高点の最低・最高のものと説明されている。
  5. ^ 総務省統計局ホームページ Archived 2015年9月24日, at the Wayback Machine.
  6. ^ 産経新聞2017年3月22日 29年公示地価 住宅地3年ぶり上昇 入間IC付近工業地は全国一 埼玉
  7. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  8. ^ 平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2018年12月閲覧。
  9. ^ 観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2018年12月閲覧。
  10. ^ さいたま市/さいたまWeb/将来の行政区の区割りに関する方針について”. www.city.saitama.jp. 2020年4月10日閲覧。
  11. ^ さいたま市ホームページ 「区の色・ロゴマークの使用について」 Archived 2014年4月19日, at the Wayback Machine.
  12. ^ さいたま市/10区の「区の花」を紹介します”. www.city.saitama.jp. 2020年4月10日閲覧。
  13. ^ さいたま市による記者発表資料「さいたま市の人口が130万人を突破しました」
  14. ^ 2017年住民基本台帳人口移動報告 による。なお、この数字には外国人は含まれない。
  15. ^ 人口30万人以上の複数の市が合併した例としては、ほかに北九州市がある(1963年の合併直前において、旧5市のうち八幡市小倉市が人口30万人台)。また20万人以上の複数の市が合併した例としては、ほかに静岡市2003年の合併直前において、(旧)静岡市は人口40万人台、清水市は人口20万人台)がある。さいたま市・北九州市・静岡市はともに、この合併が契機となり、政令指定都市に移行した。
  16. ^ 日本サッカーリーグの名門で、当時東京に本拠としていた旧三菱重工業サッカー部が母体となり、子会社である三菱自動車工業を筆頭株主(当時)にし、三菱グループの関連会社や埼玉県の有力企業(主に埼玉縣信用金庫など)・浦和の地元企業(主にエコ計画あさひ銀行(現・埼玉りそな銀行)など)や財界などがプロ化に関してのバックアップし発足した。1993年におけるJリーグ発足時のオリジナル10の一つである。
  17. ^ 当時浦和市にあった旧NTT関東サッカー部旧JFL所属)が母体となり、1998年に大宮市にホームタウンを移転させ、NTT(当時)NTT東日本(現在)を筆頭に、NTTドコモNTTデータNTTファシリティーズなどのNTTグループの関連企業やしまむら富士薬品武蔵野銀行など大宮・埼玉県に本社を構える有力企業などが出資し、プロ化を果たす。
  18. ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)23-25頁
  19. ^ 第2章 富士見の歴史”. 富士見市. 2017年4月29日閲覧。
  20. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、210、219、982頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)18-19頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)30-34頁
  21. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、219-220、982頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)40-41、52頁
  22. ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)59、69頁
  23. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、220頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)78頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)69 - 70頁
  24. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、220、982頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)73 - 74頁
  25. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121頁
  26. ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)77頁
  27. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)118 - 119頁
  28. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)137 - 138頁
  29. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122 - 123、210、221、983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)153頁
  30. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122 - 123、211、221、983頁、財団法人日本地図センター『地図で見るさいたま市の変遷 解説』(2003)20 - 21、25頁
  31. ^ 『荒川総合調査報告書3 荒川 人文Ⅱ』(1988)13 - 14頁
  32. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122 - 123、211、222頁
  33. ^ 『荒川総合調査報告書3 荒川 人文Ⅱ』(1988)16 - 28頁
  34. ^ 浦和市史 通史編Ⅲ
  35. ^ a b c d 『さいたま市誕生 浦和市・大宮市・与野市合併の記録』(2001)14 - 16頁
  36. ^ 『与野の歴史』(1988)228-229頁
  37. ^ 国立公文書館デジタルアーカイブ「戦災概況図」 Archived 2014年8月19日, at the Wayback Machine.
  38. ^ 『与野の歴史』(1988)245-246頁
  39. ^ 『与野の歴史』(1988)246頁
  40. ^ 『与野の歴史』(1988)247頁
  41. ^ 合併推進協議会報告書[リンク切れ]
  42. ^ 2000年3月29日埼玉新聞記事「既存市名には抵抗感 県外の投票でも不人気」
  43. ^ さいたま市ホームページ 「新市名称公募」結果のお知らせ[リンク切れ]
  44. ^ 大宮市は当初「新都心周辺地域とする」との表現を主張、それが合併協議の過程で「行政の中心」と位置づけられていた浦和市側の反発を招き、「望ましいとの意見を踏まえ」「将来の位置を検討する」との文言が入れられた(2000年4月20日埼玉新聞記事「「さいたま市」へ 痛み分けあった合意」)。
  45. ^ 2000年4月18日埼玉新聞記事「新市名は「さいたま市」 将来の市役所 位置新都心周辺含め検討」
  46. ^ さいたま市の人口が130万人を突破しました”. さいたま市役所 (2018年9月21日). 2018年11月13日閲覧。
  47. ^ 広報課の紹介[リンク切れ] - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  48. ^ さいたま市の主な広報活動 - さいたま市(2010年10月21日閲覧[リンク切れ]
  49. ^ さいたま市長9月定例記者会見 平成19年9月20日(木曜日) (PDF)
  50. ^ つなが竜ヌゥ[リンク切れ] - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  51. ^ さいたま観光大使 - さいたま市(2015年8月12日閲覧)
  52. ^ さいたま市の歌「希望(ゆめ)のまち」 - さいたま市(2013年12月24日更新、2015年2月4日閲覧)
  53. ^ さいたま市中学校向け授業「埼玉サッカー100年と浦和レッズ」を開始”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE (2013年3月19日). 2013年12月28日閲覧。
  54. ^ イベント情報” (日本語). 2020年7月4日閲覧。
  55. ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016225.html 見沼通船堀閘門開閉実演
  56. ^ 踊る阿呆に見る阿呆〜第33回北浦和阿波おどり大会 Archived 2011年1月5日, at the Wayback Machine.(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年8月27日付、同年11月1日閲覧)
  57. ^ 与野停車場通り 第19回大正時代まつり Archived 2011年1月5日, at the Wayback Machine.(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年10月8日付、同年11月1日閲覧)
  58. ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016237.html 大宮夏まつり
  59. ^ a b さいたま市/施策 PR - さいたま市HP (2017年11月26日閲覧)
  60. ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016238.html 与野夏祭り
  61. ^ http://www.city.saitama.jp/006/014/009/001/p016243.html 岩槻城址公園桜まつり
  62. ^ [1] 人形のまち岩槻まつり
  63. ^ さいたま市 都市交通戦略 改訂版 [概要版]”. さいたま市 (2017年7月). 2020年9月5日閲覧。
  64. ^ さいたま市 都市交通戦略 改訂版 全文”. さいたま市 (2017年7月). 2020年9月5日閲覧。
  65. ^ 各駅の乗車人員 2018年度 ベスト100:JR東日本”. www.jreast.co.jp. 2019年10月14日閲覧。
  66. ^ 松平 乘昌 ふくろうの本『図説日本鉄道会社の歴史』 河出書房新社 P86
  67. ^ 土屋武之「通勤電車から「カシオペア」、SLまで 首都圏の輸送を支える 大宮総合車両センター」『鉄道ダイヤ情報 No.345 〔特集〕現代の車両基地・車両工場』第42巻1号(通巻368号)、交通新聞社、2013年1月、 19頁。
  68. ^ ブラタモリ タモリのブラブラ足跡マップ 『#77 大宮 ~なぜ大宮は 鉄道の町になったのか?〜』 - NHKブラタモリ 2018年2月16日閲覧
  69. ^ 祖田圭介「特集:短絡線ミステリー7 -車両工場へのルート- 2-2 JR東日本 (5)大宮工場・OM」『鉄道ファン』第44巻1号(通巻第513号)、交友社、2004年1月、 18 - 19頁。
  70. ^ 祖田圭介「特集:短絡線ミステリー8 首都圏・関西圏JR通勤電車の車両基地 ●東北・高崎線 (2)東大宮操車場」『鉄道ファン』第46巻1号(通巻第537号)、交友社、2006年1月、 40 - 41頁。
  71. ^ 祖田圭介「特集:短絡線ミステリー8 首都圏・関西圏JR通勤電車の車両基地 ●京浜東北・横浜線 (1)浦和電車区「宮ウラ」」『鉄道ファン』第46巻1号(通巻第537号)、交友社、2006年1月、 22 - 23頁。
  72. ^ 石本勇吉「電気機関車の保守・検修を見る-JR貨物・大宮車両所見学記-」『鉄道ピクトリアル 【特集】電気機関車』第52巻1号(通巻721号)、電気車研究会、2002年1月、 66 - 69頁。
  73. ^ 祖田圭介「特集:短絡線ミステリー6 地下鉄の謎」『鉄道ファン』第46巻1号(通巻第537号)、交友社、2003年2月、 41頁。
  74. ^ 公示 18C1号、18C2号 (PDF)”. 関東運輸局 (2018年2月1日). 2018年7月8日閲覧。
  75. ^ 「浦和美園線」「市立病院線」「大杉公園通り線」路線の休止について (PDF)”. ジャパンタローズ (2018年5月1日). 2018年7月8日閲覧。
  76. ^ a b 『大宮のむかしといま』資料-19-21頁。
  77. ^ 「ローカルディア・クロニクル」公式サイト

参考文献[編集]

  • 浦和市総務部行政資料室編 『図説 浦和のあゆみ』 1993年
  • 財団法人日本地図センター 『地図で見るさいたま市の変遷』 2003年
  • 有限会社平凡社地方資料センター編 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』 1993年
  • 『大宮のむかしといま』大宮市、1980年11月3日。全国書誌番号:81007009NCID BN03449939
  • 与野市総務部市史編さん室 『与野市史 通史編上巻』 1987年
  • 与野市総務部市史編さん室編『与野の歴史』1988年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]