浦和地区

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浦和駅前と浦和パルコ

浦和地区(うらわちく)は、埼玉県さいたま市南部の旧浦和市域や浦和駅周辺を指す地域総称

概要[編集]

広義にはさいたま市の南部の旧浦和市域(概ね桜区浦和区南区緑区)を指した地域名である。浦和駅周辺を指す場合もある。

地区人口[編集]

旧浦和市域 (70.41 km2) の人口は594,477人となっている[注釈 1]。最も人口が多いのは南区の193,949人で、浦和区、緑区、桜区と続く。

なお、さいたま市を構成する旧大宮市域 (89.47 km2) の人口は536,007人である[注釈 2]

歴史[編集]

江戸時代に浦和は天領となり、当時の浦和宿の中心地であった常盤町に浦和御殿が設けられた。江戸から三番目の宿場である中山道浦和宿は宿場町として栄えていたが、江戸から近すぎたため市街地はあまり広がらず、もっぱら街道沿いの高台に集住していた。

その後明治時代には廃藩置県により浦和に埼玉県庁が置かれ、1883年に埼玉県最古となる浦和駅が開業し、県都の町としてさらなる発展を続けた。入間県を編入して川越が最も人口のある都市となったが、浦和も県都として各種行政施設のほか、埼玉県師範学校(明治6年に学制改正局として発足し翌年改称)を皮切りに、旧制浦和高等学校などの学校が次々と開設され、全国から優秀な学生が集まるようになり、日本有数の文教都市へと発展した。

1923年関東大震災で東京や横浜は壊滅的被害を受け、多くが浦和に転居し人口が急激に増加した。とくに罹災した文化人の多くが環境の良い鎌倉や浦和へ転居し、「鎌倉文士浦和画家」として有名になった。とくに別所沼周辺には住居やアトリエを構えていたこともあった。現在も画家は多く居住する。また、浦和駅からは出版業界の多く立地する都心へ利便が良く、定住者は多かった。また都心から近い上に、閑静な好立地も相まって、現在でも首都圏有数の高級住宅地としても発展し、県内最大の市民所得(総市民所得、1人あたり市民所得ともに)を有する。

その後、木崎村(大字北袋を除く)、谷田村を合併し市域を拡大した1934年川越市熊谷市川口市に次ぐ県内4番目となる市制施行を行った。浦和市になってからも尾間木村三室村六辻町土合村大久保村美園村を合併し市域を東西に広げ、人口は50万人に迫った。鉄道も武蔵野線埼京線などの国鉄線が開業し、都内および県内他都市と結ぶ鉄道交通も発達した。中でも埼京線開業とともに誕生した武蔵浦和駅周辺では開発が進んだ。さらに埼玉高速鉄道線開業後には浦和美園駅周辺でも大規模開発が始まり、現在も市街地を広げている。

2001年5月1日、浦和市・大宮市与野市が合併し、さいたま市が発足。2003年4月1日にはさいたま市が政令指定都市に移行し、旧浦和市域からは4つの行政区が誕生した。なお、大原六丁目・七丁目は大宮区に、上木崎一丁目の一部は新都心となって中央区に属することとなった。

浦和地区の行政区[編集]

全域が旧浦和市域の行政区[編集]

旧浦和市域を含む行政区[編集]

主な地域特色[編集]

合併前の旧浦和市から合併後の旧浦和市域を通して様々な面から浦和の特徴を記す。住宅地の歴史に関しては浦和区#住宅地としてを参照。

世帯所得[編集]

浦和地区の中でも中心となる浦和区や南区には明治時代より東京都内へ通勤する医師や官僚、社長などが多く居住した。浦和区の年間収入1000万円以上の世帯が占める割合は15.3%[1] で、国内市区町村中13位となっている。

また、市内の住宅地公示地価の上位1位から5位を浦和区内で占めており、1位の高砂は東京23区内を除いて国内で最も住宅地地価の高い地点となっている。

学校[編集]

浦和明の星高等学校

文教都市とうたわれる浦和のゆえんとして、伝統ある学校の存在が大きい。1921年に国内20番目の官立高等学校として旧制浦和高等学校が設立され、文科・理科よりなる修業年限3年の高等科が設置された。東京帝国大学(東京大学)への進学率は旧制第一高等学校についで2位の位置を占め、全国各地から優秀な生徒が浦和に集まった。その後旧制高校は新制大学に昇格吸収されて埼玉大学となったが、旧制浦和中学校を前身とした新制埼玉県立浦和高等学校は公立高校で東京大学合格者数が全国1位になることもあった。

以下は旧浦和市域にある大学・高等学校・国立中学校の一覧と特色。

スポーツ[編集]

埼玉スタジアム

現在のさいたま市役所付近に置かれた埼玉県師範学校(現・埼玉大学教育学部)が1937年の全国中等学校蹴球大会(現・全国高等学校サッカー選手権大会)で初優勝し、初めて優勝旗が箱根の山を越えて以来、1950年代から1970年代にかけて浦和高校・浦和西高校・浦和市立高校・浦和南高校が次々と全国制覇し、埼玉県静岡県広島県とともにサッカー御三家と称された。

1992年にはJリーグが発足。三菱重工業サッカー部を母体とし、浦和に本拠地を置くのプロサッカークラブ浦和レッズが誕生した。2006年J1優勝を果たす。さらに2007年2017年2022年AFCチャンピオンズリーグで優勝するなどサッカーの街としての地位を守り続けている。浦和の本拠地の一つである埼玉スタジアムは緑区にあり、日本国内最大の63,700人を収容できるスタジアムで、2002 FIFAワールドカップでは日本代表の初戦や準決勝戦などが行われた。2020年東京オリンピックではサッカー種目の会場となっている。

野球では浦和学院高等学校の甲子園出場回数は23回(夏13回、春10回)で春夏ともに埼玉県内最多であり、2013年選抜高校野球大会では優勝した。また、日本通運硬式野球部都市対抗野球大会に40回出場しており、優勝経験もある。

その他プロバスケットボールでは桜区のさいたま市記念総合体育館や浦和区の浦和駒場体育館などがさいたまブロンコスB3.LEAGUE所属)のホームアリーナとなっている。

浦和の駅[編集]

浦和駅西口
浦和駅東口
  • 東西を結ぶ路線、南北を結ぶ路線が充実している。旧浦和市域の鉄道駅は与野駅を除いて8駅すべて「浦和」がつく。多くは東京のベットタウンとして宅地化が進んだ。市域の駅周辺の特徴を述べる。

「浦和」が付く駅[編集]

道路[編集]

東西・南北に幹線道路が走る。

南北をつなぐ道路
東西をつなぐ道路

食文化(うなぎの蒲焼)[編集]

旧浦和市域は現在も残る別所沼藤右衛門川付近の上谷沼など、沼地や河川が多く、ウナギが多く獲れた。そのため浦和宿周辺ではウナギを蒲焼にしてふるまう店ができ、蒲焼発祥の地となった。現在も江戸時代から中山道にある創業170年以上の老舗である山崎屋、150年の老舗の小島屋など創業100年を超える多くの老舗ウナギ店が軒を連ねている。また、浦和うなこちゃんというゆるキャラやなせたかしによって作成され、さいたま市観光大使に任命されるなど、さいたま市主導でウナギ料理のPRも行っている。浦和駅前や別所沼公園には、うなこちゃんの石像が設置され、待ち合わせスポットにもなっている。手に持つ団扇は季節により取り替えられている。毎年5月には浦和のうなぎをPRする浦和うなぎまつりと称される祭典(イベント)も開催される。

施設・史跡[編集]

旧浦和市域にある主な施設を挙げる。学校施設などは上記やさいたま市を参照。

桜区では、温浴施設を備えたごみ処理センターである桜環境センターが2015年に開業した。

浦和区は埼玉県の行政機関の中枢となっており、様々なインフラ設備の本部、政党本部、文化施設、メディアが密集している。2000年以上の歴史を持つ調神社や、関東地方の真言宗寺院の中核となっていた平安時代建立の玉蔵院など多数の史跡もある。商業施設としては浦和駅西口に伊勢丹浦和店があり、伊勢丹新宿店に次ぐ二番目の売上となっている。東口には浦和パルコがあり、単体ビルではパルコ最大の規模である。浦和駅の駅ビルである浦和アトレも開業した。西口再開発地区の高層マンションの低層階に商業施設の建設が予定されている。

南区では武蔵浦和周辺の再開発事業で超高層マンションの建設が続き、今後は未開発のケーズデンキ跡地や聖みどり病院周辺の再開発が検討される。

緑区では浦和美園駅前に図書館や支所を含む複合施設が完成しており、2020年を目途に順天堂大学付属病院が開院する予定となっている。

桜区[編集]

埼玉大学正門

浦和西警察署は中央区にある。

浦和区[編集]

さいたま市役所・浦和区役所
伊勢丹浦和店・浦和コルソ
テレビ埼玉
ロイヤルパインズホテル浦和
浦和センチュリーシティ内)
さいたま市駒場スタジアム
(浦和駒場スタジアム)
官公庁・行政機関
政党本部
文化施設
病院
銀行
放送局
商工会議所
インフラ
史跡・公園・スポーツ施設
ホテル・商業施設

南区[編集]

さいたま市文化センター
ロッテ浦和工場
ロッテ浦和球場

緑区[編集]

イオンモール浦和美園

浦和にゆかりのある著名人[編集]

浦和市#浦和市出身の著名人埼玉県立浦和高等学校の人物一覧を参照。

浦和が登場する作品[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 桜区・浦和区・南区・緑区の合計であるため、旧浦和市域である大宮区大原六丁目・七丁目や中央区新都心の一部を含まない。
  2. ^ 西区北区大宮区見沼区の合計であるため、旧大宮市域である中央区新都心の一部を含まず、旧浦和市域である大宮区大原六丁目・七丁目を含む。

出典[編集]

  1. ^ 2013年(平成25年)住宅・土地統計調査による。分母からは収入階層不明の世帯を除く。

参考文献[編集]

  • 浦和の歴史と文化を知る本(1982年)
  • さいたま市の歴史と文化を知る本(2014年)
  • 浦和市史 第4巻 〔2〕近代 (1979年)

関連項目[編集]