中央区 (さいたま市)

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ちゅうおうく
中央区
View-of -Yono.jpg
中央区東部の風景(中浦和駅より撮影)
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
さいたま市
団体コード 11105-8
面積 8.39km²
総人口 99,017
推計人口、2016年6月1日)
人口密度 11,800人/km²
隣接自治体
隣接行政区
さいたま市大宮区桜区浦和区
南区
区の花 バラ
区の色 バラ色
中央区役所
所在地 338-0002
埼玉県さいたま市中央区下落合五丁目7番10号
北緯35度53分2.1秒東経139度37分34.4秒
さいたま市中央区役所
外部リンク さいたま市中央区役所HP

中央区 (さいたま市)位置図

特記事項 世帯数:39,111世帯(2006年1月1日)
NTT市外局番:048(区内全域)
番号区画コード:254
経度・緯度は世界測地系
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参考:中央区についての情報のうち、旧与野市に直接関係あるものや区設置前の歴史については、与野市を参照されたい。

中央区(ちゅうおうく)は、埼玉県さいたま市を構成する10行政区のうちの一つである。

概要[編集]

さいたま市の中央部西寄りに位置する。

現在の中央区の区域は、与野市にほぼ相当する。但し、現区域と旧与野市域はわずかに異なっており、旧与野市の全域に加えて、同市の北東側に位置する旧浦和市上木崎1丁目、及び旧大宮市北袋町1丁目、吉敷町2丁目、錦町のそれぞれ一部も中央区に含まれる(現在の中央区新都心の一部)。

これは、さいたま市が政令指定都市に移行するにあたり行政区を設定する過程で、旧3市にまたがっていた「さいたま新都心土地区画整理事業区域西側地区(さいたま新都心のうち東北本線以西の地域)」を、一体的にこの区に編入することとなったことによる[1]。このため、中央区の面積は、旧与野市の8.29km²よりもわずかに広い8.39km²である。この面積は、さいたま市の10区の中で最も小さい。

地理[編集]

中央区の区域は南側を先端としたくさび状をしており、南北方向に約5.5km、東西方向に約3.5kmの広がりを持つ[2]

地形[編集]

さいたま市中央区周辺の地形

関東平野の中に位置するさいたま市中央区は、区の全域にわたって標高が低く、最も低い地点で海抜4.7m(大戸2丁目)、最も高い地点でも標高16.6m(鈴谷4丁目)である[3]。区内および近隣の河川の多くは、北から南に向かって流れる。地形は、これらの河川に沿って台地低地とが南北方向に縞模様を描く形となっており、東から台地-低地-台地-低地と並んでいる。

このうち最も東に位置するのは、大宮台地(北足立台地)の浦和・大宮支台である。その西側には鴻沼川(霧敷川)を中心に形成された幅約500mの鴻沼低地が形成されている(谷底平野)。さらにその西側には大宮台地(北足立台地)の与野支台があり、区の最西部は区の西方を流れる荒川沿いに形成された荒川低地となっている[4]

土地利用[編集]

区内839haのうち482.9haを宅地が占め、農地や山林はきわめて少ない[5]平成17(2005)年時点で区の全域が人口集中地区(DID)に含まれている。但し、鴻沼川(霧敷川)の両側は市街化調整区域となっており、農地や空地がみられる。南部は昭和初期に行われた浦和耕地整理によって浦和市街地と区画を一体化して整備されたため比較的早期から宅地形成が進んだ。

与野の古くからの市街地(本町)は大宮台地の与野支台にあるが、区役所やさいたま市中央消防署、市立与野図書館といった行政施設の多くは、その東側の鴻沼低地におかれている。区北東端はさいたま新都心地区に含まれており、関東甲信越地方を所掌する国の行政機関やさいたまスーパーアリーナがある。

歴史[編集]

区誕生前の歴史については、与野市を参照。

年表[編集]

  • 1869年(明治2年)1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。
  • 1869年(明治2年)9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。
  • 1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
  • 1879年(明治12年) - 足立郡の区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。郡役所は浦和宿に設置。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 北足立郡与野町、小村田村、下落合村、上落合村、中里村、大戸村、鈴谷村、上峰村、八王子村、円阿弥村が合併して与野町となる。旧与野町にあたる部分は大字与野となった(現在の本町東本町西)。
  • 1958年(昭和33年)7月15日 - 市制施行により与野市となる。
  • 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市大宮市、与野市が合併してさいたま市となる。
  • 2001年(平成13年)10月22日 - さいたま市行政区画審議会の最終答申により、さいたま市に設置される9区の区画がおおむね決定される。現中央区の仮称は「E区」[6]
  • 2002年(平成14年)
    • 2月21日 - 第1回さいたま市区名選定委員会において、区名公募や「区名投票」の実施が了承される[7]
    • 5月1日~24日 - 市内在住・在勤・在学者を対象とした区名案の公募が行われる。E区の上位3件は1位:「与野区」882件、2位:「中央区」514件、3位「新都心区」24件[8]
    • 6月22日 - 区名検討市民の会において、E区の6つの区名案(与野区・中央区・新都心区・彩央区・埼京区・中央与野区)が選定される[9]
    • 8月1日~16日 - 市民意向調査としての位置づけで、はがきによる「区名投票」が実施される。E区は「与野区」が1,941件と全体の48.99%と占め、「中央区」1,171件、「新都心区」435件、「彩央区」267件、「中央与野区」88件、「埼京区」60件に大差をつけての1位となった[10]
    • 9月30日 - 第4回さいたま市区名選定委員会において、委員長の井原勇が「区名案についての委員長私案」として全9区の区名案を提示し、この中でE区について「さいたま新都心を擁し、地理的に市域の中央に位置していること」を理由に区名投票第2位の「中央区」を選定した。
    • 10月2日 - さいたま市行政区画審議会が、市長に対して審議結果を報告。
  • 2003年4月1日 - 政令指定都市移行に伴い、旧与野市とさいたま新都心西側地区を区域とする中央区が設置される。

人口[編集]

中央区成立後から毎年4月1日の人口。微増が続いている。住民基本台帳人口より(台帳法改正前の2012年以前は台帳人口+外国人登録人口の数値)[11]

2003年 87,921人
2004年 89,639人
2005年 90,562人
2006年 91,454人
2007年 91,586人
2008年 93,425人
2009年 94,560人
2010年 95,244人
2011年 95,673人
2012年 95,875人
2013年 96,473人
2014年 97,860人
2015年 98,609人

地域[編集]

町名等[編集]

中央区内では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。

町名 町名の読み 住居表示実施年月日 住居表示実施直前の町名 備考
上峰一〜四丁目 うえみね 1981年10月1日(一・二) 大字上峰、大字与野の各一部
1982年10月1日(三・四) 大字上峰の全部
円阿弥一〜七丁目 えんなみ 1981年10月1日(一〜六) 大字円阿弥、大字八王子、大字与野の各一部
1982年10月1日(七) 大字円阿弥、大字与野の各一部
大戸一〜六丁目 おおと 1980年3月1日 大字大戸の一部
大字上落合 かみおちあい 未実施
上落合一〜九丁目 かみおちあい 1992年2月1日(二) 大字上落合の一部
1997年2月17日(一・三〜九) 大字上落合の一部
1997年2月17日、大字上落合の一部を上落合二丁目に編入。
桜丘一・二丁目 さくらおか 1981年10月1日 大字与野の一部
大字下落合 しもおちあい 未実施
下落合二〜七丁目 しもおちあい 1987年10月1日 大字下落合、大字上落合、大字与野の各一部
新都心 しんとしん 未実施
新中里一〜五丁目 しんなかざと 1995年8月7日 大字大戸、大字中里の全部及び大字下落合の一部
鈴谷一〜九丁目 すずや 1988年10月1日(三〜九) 大字鈴谷の一部
未実施(一・二)
八王子一〜五丁目 はちおうじ 1981年10月1日 大字八王子、大字与野の各一部
本町西一〜六丁目 ほんまちにし 1982年10月1日 大字八王子の全部及び大字与野、大字円阿弥の各一部
本町東一〜七丁目 ほんまちひがし 1984年2月1日 大字与野、大字下落合の各一部

行政[編集]

行政機関[編集]

  • 中央区役所

中央区役所は、旧与野市市庁舎であった建物におかれている。

浦和西警察署は、さいたま新都心地区周辺の新都心・大字上落合を除く中央区、桜区の全域、および浦和区の上木崎1丁目を管轄する。中央区のうち新都心・大字上落合は、大宮警察署が管轄している。

選挙区[編集]

中央区は、以下の選挙区に属している。

施設・名所[編集]

公園・寺社[編集]

  • 与野公園:1877年(明治10年)開園。1977年(昭和52年)に造園されたバラ園が有名であり、バラは旧与野市民の花および現中央区の花である。
  • 妙行寺:金比羅堂境内に推定樹齢1000年のカヤの巨木があり、「与野の大かや」として知られる。カヤは旧与野市の木であった。
  • 与野七福神

保健医療施設[編集]

住宅団地[編集]

  • 与野高層住宅(下落合3丁目)
  • 与野ハウス(上落合1丁目9 日本初の超高層団地 1975年 住友不動産)
  • 与野上落合住宅(上落合7)
  • 与野大戸住宅(大戸)
  • 与野中里住宅(新中里)
  • 都市再生機構与野団地(下落合 1958年8月 建替済 旧日本住宅公団関東支所)

経済[編集]

中央区は、東京や浦和区・大宮区に対する郊外という側面と、桜区・西区に対する中心部としての側面を併せ持つ。

企業[編集]

通勤・通学流動[編集]

東京都心部から約25kmの距離にあるさいたま市中央区は、さいたま市の他の区と同様、東京都心部への通勤・通学者が多く、東京の郊外都市としての性格が強い。同時に、さいたま市内において行政・商業・業務など都市機能の集積した浦和区大宮区への通勤・通学者も多く、これらの地域に対する郊外としての特徴も持つ。

一方で、西区桜区に対しては、中央区から流出する通勤・通学者よりも、中央区に流入する通勤・通学者の方が多い。

2010年現在、中央区の夜間人口96,055人に対して昼間人口は94,538人であり、昼夜間人口比率は98.4%である。この昼夜間人口比率は、東京の郊外としての性格が強い埼玉県(昼夜間人口比率88.6%)やさいたま市(昼夜間人口比率92.8%)の中では、比較的高い水準にある。

交通[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

道路[編集]

教育[編集]

小学校[編集]

中学校[編集]

市立

私立

高等学校[編集]

ゆかりのある人物[編集]

ギャラリー[編集]

さいたま新都心・けやき広場のイルミネーション 
与野公園のバラ園 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ さいたま市行政区画審議会答申「行政区画の編成及び区役所の位置」
  2. ^ 中央区ホームページ「中央区のプロフィール 地勢」
  3. ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」」
  4. ^ 与野市総務部市史編さん室(1998)3-5頁、7頁
  5. ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」」
  6. ^ さいたま市行政区画審議会最終答申「行政区画の編成及び区役所の位置」
  7. ^ [第1回さいたま市区名選定委員会 審議結果 http://www.city.saitama.jp/006/012/001/010/004/p022994.html]
  8. ^ 区名案募集結果 E区
  9. ^ 区名投票のご案内
  10. ^ 区名投票集計結果
  11. ^ http://www.city.saitama.jp/006/013/005/001/jikeiretsu.html さいたま市の人口・世帯(時系列結果)

参考文献[編集]

  • 与野市総務部市史編さん室編 『与野の歴史』 与野市、1992年。