中央区 (さいたま市)

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ちゅうおうく
中央区
View-of -Yono.jpg
中央区東部の風景(中浦和駅より撮影)
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
さいたま市
団体コード 11105-8
面積 8.39km²
総人口 99,396
推計人口、2015年5月1日)
人口密度 11,850人/km²
隣接自治体
隣接行政区
さいたま市大宮区桜区浦和区
南区
区の花 バラ
区の色 バラ色
中央区役所
所在地 338-0002
埼玉県さいたま市中央区下落合5丁目7番10号
北緯35度53分2.1秒東経139度37分34.4秒
さいたま市中央区役所
外部リンク さいたま市中央区役所HP

中央区 (さいたま市)位置図

特記事項 世帯数:39,111世帯(2006年1月1日)
NTT市外局番:048(区内全域)
番号区画コード:254
経度・緯度は世界測地系
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参考:中央区についての情報のうち、旧与野市に直接関係あるものや区誕生前の歴史については与野市を参照されたい。

中央区(ちゅうおうく)は、埼玉県さいたま市を構成する10のうちの1つである。

その区域は、旧与野市域にほぼ相当する。

地理[編集]

位置[編集]

埼玉県の県庁所在都市であるさいたま市の中央部西寄りに位置する。中央区の区域は南側を先端としたくさび状をしており、南北方向に約5.5km、東西方向に約3.5kmの広がりを持つ[1]

さいたま市は2001年(平成13年)浦和市大宮市与野市の3市が合併して誕生したが、現在の中央区の区域は、このうち旧与野市域にほぼ相当する。但し、現中央区の区域と旧与野市の市域はわずかに異なっており、旧与野市の全域に加えて、同市の北東側に位置する旧浦和市上木崎1丁目、及び旧大宮市北袋町1丁目・吉敷町2丁目・錦町のそれぞれ一部も、中央区に含まれる(現:中央区新都心の一部)。

これは、さいたま市が政令指定都市に移行するにあたり行政区を設定する過程で、旧3市にまたがっていた「さいたま新都心土地区画整理事業区域西側地区(さいたま新都心のうち東北本線以西の地域)」を、一体的にこの区に編入することとなったことによる[2]。このため、中央区の面積は、旧与野市の8.29km²よりもわずかに広い8.39km²である。なおこの面積は、さいたま市の10区の中で最も小さい。

地形[編集]

さいたま市中央区周辺の地形

関東平野の中に位置するさいたま市中央区は、区の全域にわたって標高が低く、最も低い地点で海抜4.7m(大戸2丁目)、最も高い地点でも標高16.6m(鈴谷4丁目)である[3]。区内および近隣の河川の多くは、北から南に向かって流れる。地形は、これらの河川に沿って台地低地とが南北方向に縞模様を描く形となっており、東から台地-低地-台地-低地と並んでいる。

このうち最も東に位置するのは、大宮台地(北足立台地)の浦和・大宮支台である。その西側には鴻沼川(霧敷川)を中心に形成された幅約500mの鴻沼低地が形成されている(谷底平野)。さらにその西側には大宮台地(北足立台地)の与野支台があり、区の最西部は区の西方を流れる荒川沿いに形成された荒川低地となっている[4]

土地利用[編集]

区内839haのうち482.9haを宅地が占め、農地や山林はきわめて少ない[5]平成17(2005)年時点で区の全域が人口集中地区(DID)に含まれている。但し、鴻沼川(霧敷川)の両側は市街化調整区域となっており、農地や空地がみられる。

与野の古くからの市街地(本町)は大宮台地の与野支台にあるが、区役所やさいたま市中央消防署、市立与野図書館といった行政施設の多くは、その東側の鴻沼低地におかれている。区北東端はさいたま新都心地区に含まれており、関東甲信越地方を所掌する国の行政機関やさいたまスーパーアリーナがある。

人口[編集]

中央区成立後から毎年4月1日の人口。微増が続いている。住民基本台帳人口より(台帳法改正前の2012年以前は台帳人口+外国人登録人口の数値)[6]

2003年 87,921人
2004年 89,639人
2005年 90,562人
2006年 91,454人
2007年 91,586人
2008年 93,425人
2009年 94,560人
2010年 95,244人
2011年 95,673人
2012年 95,875人
2013年 96,473人
2014年 97,860人
2015年 98,609人

歴史[編集]

区誕生前の歴史については、与野市の記事を参照されたい。

区名の由来[編集]

旧与野市域をほぼそのまま継承していながら、区名は「与野区」ではなく「中央区」である。区内に「与野」を含む町丁名は現存せず[7]、「与野」の地名は駅名や学校名などに残るのみとなった。

この区名は、政令指定都市への移行時に設置された他の8区と同様に、 2002年(平成14年)に4回にわたり開催された「さいたま市区名選定委員会」(委員長:井原勇与野市長)の報告文書「さいたま市の区の名称について」をうけて決定された。この委員会では、 「与野区」と「中央区」のいずれを採用すべきかについて、「与野」が歴史的な地名であること、区名公募や「区名投票」において「与野区」の区名案が第2位の「中央区」に大差をつけて1位となっていたこと、委員長の井原勇による「さいたま市誕生前の合併協議会において与野区ではなく中央区にすべきとの結論が出ていた」旨の発言に対して一部の委員が事前の裏取引ではないかとして猛反発したことなどから、議論が紛糾した[8]。報告文書では、9区の中で唯一、名指しで「与野区にすべきであるとの意見があった」との一文が加えられている。

また、委員会後には「「中央区」の区名を「与野区」に変更を求める」旨の請願がさいたま市議会に提起されたが、これも不採択となった[9]

区名の決定過程[編集]

  • 2001年(平成13年)10月22日 - さいたま市行政区画審議会の最終答申により、さいたま市に設置される9区の区画がおおむね決定される。現中央区の仮称は「E区」[10]
  • 2002年(平成14年)2月21日 - 第1回さいたま市区名選定委員会において、区名公募や「区名投票」の実施が了承される[11]
  • 5月1日~24日 - 市内在住・在勤・在学者を対象とした区名案の公募が行われる。E区の上位3件は1位:「与野区」882件、2位:「中央区」514件、3位「新都心区」24件[12]
  • 6月22日 - 区名検討市民の会において、E区の6つの区名案(与野区・中央区・新都心区・彩央区・埼京区・中央与野区)が選定される[13]
  • 8月1日~16日 - 市民意向調査としての位置づけで、はがきによる「区名投票」が実施される。E区は「与野区」が1,941件と全体の48.99%と占め、「中央区」1,171件、「新都心区」435件、「彩央区」267件、「中央与野区」88件、「埼京区」60件に大差をつけての1位となった[14]
  • 9月30日 - 第4回さいたま市区名選定委員会において、委員長の井原勇が「区名案についての委員長私案」として全9区の区名案を提示し、この中でE区について「さいたま新都心を擁し、地理的に市域の中央に位置していること」を理由に区名投票第2位の「中央区」を選定した。この際、井原は合併協議会時の経緯として「与野区ではなく中央区にすべきとの結論が出て、3市の合併が達成できた」「新都心地域は大宮区に入ることになっていたが、浦和・与野の住民は猛反発し、(中略)新都心が与野に入ると決まったときに、『与野という名前は困る』『新都心が入るんだから中央区にすべき』といろいろ論議の末、与野の行政区に属することに決まった」「立場上、今、与野区に引っ繰り返すことはできない」などと発言した。これに対して学識経験者の委員であった田代脩埼玉大学教授)や田中信明読売新聞社さいたま支局支局長)は、「中央区ははじめから決まっていたような話ではないか」「大宮区・C区が、新都心地区をE区に組み込むことを了とする代わりに、与野区と名乗らせないといった趣旨の裏取引があったかのように聞こえる」などと猛反発した。最終的に、挙手による採決を経て井原の私案通りの「中央区」が選定された。
  • 10月2日 - さいたま市行政区画審議会が、市長に対して審議結果を報告。

行政区画の変遷[編集]

行政・政治[編集]

行政機関[編集]

  • 中央区役所

中央区役所は、旧与野市市庁舎であった建物におかれている。

浦和西警察署は、さいたま新都心地区周辺の新都心・大字上落合を除く中央区、桜区の全域、および浦和区の上木崎1丁目を管轄する。中央区のうち新都心・大字上落合は、大宮警察署が管轄している。

区長、区民会議[編集]

区長は丸山信弘である。 さいたま市では、全行政区に「区民会議」が設置されている。中央区区民会議は中央区コミュニティ会議推進協議会からの推薦を受けた者、および公募により選ばれた者15名程度で構成されている。

選挙区[編集]

中央区は、以下の選挙区に属している。

施設・名所[編集]

再開発[編集]

劇場[編集]

商業施設[編集]

住宅団地[編集]

  • 与野高層住宅(下落合3丁目)
  • 与野ハウス(上落合1丁目9 日本初の超高層団地 1975年 住友不動産)
  • 与野上落合住宅(上落合7)
  • 与野大戸住宅(大戸)
  • 与野中里住宅(新中里)
  • 都市再生機構与野団地(下落合 1958年8月 建替済 旧日本住宅公団関東支所)

公園・寺社[編集]

  • 与野公園:1877年(明治10年)開園。1977年(昭和52年)に造園されたバラ園が有名であり、バラは旧与野市民の花および現中央区の花である。
  • 妙行寺:金比羅堂境内に推定樹齢1000年のカヤの巨木があり、「与野の大かや」として知られる。カヤは旧与野市の木であった。
  • 与野七福神

保健医療施設[編集]

経済[編集]

中央区は、東京や浦和区・大宮区に対する郊外という側面と、桜区・西区に対する中心部としての側面を併せ持つ。

企業[編集]

通勤・通学流動[編集]

東京都心部から約25kmの距離にあるさいたま市中央区は、さいたま市の他の区と同様、東京都心部への通勤・通学者が多く、東京の郊外都市としての性格が強い。同時に、さいたま市内において行政・商業・業務など都市機能の集積した浦和区大宮区への通勤・通学者も多く、これらの地域に対する郊外としての特徴も持つ。

一方で、西区桜区に対しては、中央区から流出する通勤・通学者よりも、中央区に流入する通勤・通学者の方が多い。

2010年現在、中央区の夜間人口96,055人に対して昼間人口は94,538人であり、昼夜間人口比率は98.4%である。この昼夜間人口比率は、東京の郊外としての性格が強い埼玉県(昼夜間人口比率88.6%)やさいたま市(昼夜間人口比率92.8%)の中では、比較的高い水準にある。

交通[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

  • 国際興業 - 東急系の中仙道乗合自動車が与野自動車を合併し、中山道を中心に運行。1944年同じ東急系の東都乗合自動車が合併。1946年東都乗合は国際興業に買収され、1951年国際興業に吸収合併。区内の大部分を運行する。
  • 西武バス - もともとは浦和駅東側を運行していた東浦自動車が母体。1946年国土計画興業(現・プリンスホテル)・西武鉄道関連のバス事業を統合して西武自動車(現・西武バス)が成立。現在は区内南部が中心。

道路[編集]

教育[編集]

小学校[編集]

中学校[編集]

市立

私立

高等学校[編集]

社会教育施設[編集]

ギャラリー[編集]

さいたま新都心・けやき広場のイルミネーション 
与野公園のバラ園 
妙行寺の大かや 

町字[編集]


関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 中央区ホームページ「中央区のプロフィール 地勢」
  2. ^ さいたま市行政区画審議会答申「行政区画の編成及び区役所の位置」
  3. ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」」
  4. ^ 与野市総務部市史編さん室(1998)3-5頁、7頁
  5. ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」」
  6. ^ http://www.city.saitama.jp/006/013/005/001/jikeiretsu.html さいたま市の人口・世帯(時系列結果)
  7. ^ なお、過去には「明治の大合併」以前の与野町域を範囲とする「大字与野」が存在していたが、現在では「本町東(ほんまちひがし)」「本町西(ほんまちにし)」となっている。
  8. ^ さいたま市区名選定委員会 第4回審議結果 
  9. ^ さいたま市議会平成14年12月定例会(12月20日)における岡崎康司総務委員長の発言による
  10. ^ さいたま市行政区画審議会最終答申「行政区画の編成及び区役所の位置」
  11. ^ [第1回さいたま市区名選定委員会 審議結果 http://www.city.saitama.jp/006/012/001/010/004/p022994.html]
  12. ^ 区名案募集結果 E区
  13. ^ 区名投票のご案内
  14. ^ 区名投票集計結果

参考文献[編集]

  • 与野市総務部市史編さん室編 『与野の歴史』 与野市、1992年。