さいたま市役所

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さいたま市役所
Saitama City Hall Building
本庁舎 全景
情報
旧名称 浦和市役所
用途 さいたま市行政の中枢施設
設計者 石本建築事務所
事業主体 さいたま市
管理運営 さいたま市
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート造
敷地面積 28,961.16 m²
建築面積 4,975.46 m²
延床面積 25,820.12 m²
階数 高層棟(地上11階、地下2階)
低層棟(地上3階、地下1階)
高さ 52.50m
着工 1973年昭和48年)7月30日
竣工 1976年(昭和51年)2月
所在地 330-9588
埼玉県さいたま市浦和区常盤六丁目4番4号
位置 北緯35度51分42秒 東経139度38分43秒 / 北緯35.86167度 東経139.64528度 / 35.86167; 139.64528座標: 北緯35度51分42秒 東経139度38分43秒 / 北緯35.86167度 東経139.64528度 / 35.86167; 139.64528
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本庁舎 入口付近

さいたま市役所(さいたましやくしょ)は、埼玉県さいたま市の執行機関としての事務を行う施設(役所)である。浦和区常盤六丁目に所在し、毎年5月には浦和うなぎまつりが開催される。

沿革[編集]

かつては浦和市役所の庁舎であった。旧浦和市役所は現在のうらわ美術館浦和ロイヤルパインズホテルの場所にあった。

  • 1889年(明治22年) - 浦和町成立とともに、仲町二丁目にあたる場所(現在はロイヤルパインズホテルが建っている)に町役場を設置。
  • 1900年(明治33年) - 埼玉県師範学校鳳翔閣から現市役所所在地(常盤六丁目にあたる場所)に移転。
  • 1911年(明治44年) - 仲町二丁目にあたる場所に木造2階建ての新庁舎が完成。1976年まで65年間使用される。次第に狭隘化し、岸町庁舎(現在の日本赤十字社埼玉県支部の場所)や旧浦和市公会堂なども使用した。
  • 1934年昭和9年) - 市制施行、市庁舎となる。
  • 1949年(昭和24年) - 師範学校が埼玉大学教育学部に引き継がれる。
  • 1965年(昭和40年) - 埼玉大学が下大久保に移転。
  • 1971年(昭和46年)1月 - 埼玉大学旧校舎を改造、プレハブ庁舎を建設し、仲町の市庁舎が現在地へ移転する。旧庁舎は仲町庁舎として残存(教育委員会などは旧庁舎のまま)。
  • 1976年(昭和51年)2月 - 現在の庁舎が完成(地上11階、地下2階建て)。3月に移転作業を実施し、分散が解消。
  • 2001年平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市与野市が合併し、さいたま市が発足。浦和市役所の庁舎がさいたま市役所の庁舎となる。さいたま市役所内には浦和総合行政センター(旧浦和市域を担当する統括支所)が併設される。
  • 2003年(平成15年)4月1日 -さいたま市が政令指定都市に移行に。浦和総合行政センターが廃止され、浦和区役所が併設される。
  • 2006年(平成18年)12月17日 - 浦和レッドダイヤモンズJ1リーグ優勝パレードの優勝報告会場となる。
  • 2015年(平成27年) - 1954年に大学の施設として建設された敷地北側の第二別館が、耐震化工事に伴う仮配置棟設置のため解体される。

本庁舎本館[編集]

概 要
11F 建設局・土木部(土木総務課、道路環境課、道路計画課、河川課)・下水道部(下水道総務課、下水道財務課、下水道維持管理課、下水道計画課)
10F 建設局・建築部(建築総務課、建築行政課、住宅課、営繕課、保全管理課、設備課)、教育委員会・学校教育部(教職員課、健康教育課)・生涯学習部(生涯学習振興課、人権教育推進室)
9F 教育委員会・管理部(教育総務課、教育財務課、学校施設課)・学校教育部(学事課、指導1課、指導2課)・生涯学習部(文化財保護課)
8F 技監室、都市局・都市計画部(都市総務課、都市計画課、都市交通課、都市公園課、みどり推進課、開発調整課)・まちづくり推進部(まちづくり総務課、市街地整備課)
7F 市民・スポーツ文化局・市民生活部(市民総務課、交通防犯課、コミュニティ課、男女共同参画課)・スポーツ文化部(スポーツ企画課、スポーツ振興課、文化振興課)・区政推進室、財政局・税務部(税制課、固定資産税課)・契約管理部(入札企画課、契約課、技術管理課、工事検査課)
6F 政策局・政策企画部(情報政策課)
5F 政策局(IT統括課)・政策企画部(企画調整課、新都心整備対策室、地下鉄7号線延伸対策課)・都市経営戦略室、財政局・財政部(財政課)、市長公室(広報課、広聴課)、子ども未来局(保育環境整備室)
4F 市長室、副市長室、市長公室(秘書課)
3F 総務局・総務部(総務課、法制課、行政透明推進課、人権政策推進課)・人事部(人事課、給与課、厚生課)、行財政改革推進本部、財政局・財政部(庁舎管理課)、議会局・総務部(秘書課、総務課)・議事調査部(議事課、調査法制課)、議員室、議場
2F 保健福祉局・保健部(健康増進課、病院経営企画課、地域医療課、生活衛生課、食品安全推進課)・福祉部(福祉総務課、監査指導課、高齢福祉課、介護保険課、障害福祉課)・子ども未来局・子ども育成部(子育て企画課、子育て支援課、青少年育成課)・保育部(保育課)、環境局・環境共生部(環境総務課、地球温暖対策課、環境対策課、交通環境政策課、次世代自動車普及推進室)・資源循環推進部(資源循環政策課、廃棄物対策課)、経済局・経済部(経済政策課、労働政策課、農業政策課、農業環境整備課)
1F

出納室(出納課、審査課)

  • 浦和区役所・くらし応援室・区民生活部(総務課、地域商工室、コミュニティ課、区民課、課税課、収納課)・健康福祉部(福祉課、支援課、高齢介護課、保険年金課)
B1F 夜間・休日受付窓口、ランチルーム、売店、健康相談室、職員組合事務室、厚生室、警備員室、防災センター、清掃管理事務室

耐震化・建替・移転問題[編集]

市役所の庁舎建替および移転問題は、主として旧市域別で最大の人口を有し県庁が所在する旧浦和市と、新幹線列車が停車する経済都市である旧大宮市の間での地域間・政治的対立と関係し、市政の大きな課題になっている。

現在の庁舎である旧浦和市役所本庁舎は、浦和市時代に埼玉県庁舎の建替構想が持ち上がった際、県庁建替後の跡地に市役所を移転する構想もあったが、埼玉県庁の建替が行われなかったため実現には至らなかった。

1976年に現庁舎が建築されてから40年ほどが経過し、2012年(平成24年)に実施した耐震診断によってランク2と診断されたことから、2016年(平成28年)12月から2019年(平成31年)2月にかけて約50億円をかけ耐震工事を行った。1954年築の第二別館を解体して、跡地に仮庁舎を2015年に建設し、浦和区役所の窓口業務の部署以外を仮庁舎に移転させてから庁舎の耐震工事を行った。耐震化後は建物の耐用年数は50 - 60年程度伸びるとされているが、建築物としての耐用年数ではなく税法上の耐用年数から20年程度(2040年ごろまで)現在の庁舎を使用する方針としており、その後に現在地での庁舎建替をするか移転による建替をするかを巡って、度々議論が起こっている[1]

浦和市・大宮市・与野市の3市合併を促すために3市の市議会が議決した合併促進決議において、「浦和市は新市の『行政の中心』、大宮市は『経済の中心』、与野市は『情報発信の中心』」と記載されていたが、その後の任意合併協議会で市名を決定する際に、浦和市側および与野市側が「さいたま市」を、大宮市側が「大宮市」を推した。大宮側は市名を「さいたま市」にすることに同意する交換条件として、新市の市役所を「さいたま新都心周辺」へ建築することを主張した。これは、3市で最大の人口を有する浦和側の猛反発を受け、大宮側の主張する「将来の市役所の位置はさいたま新都心周辺とする」という文面は採択されなかった。

2000年に調印された合併協定書には、「新市の事務所の位置は、当分の間、現在の浦和市役所の位置とする」として市役所本庁舎の位置を浦和に決定した一方で、「将来の市役所本庁舎の位置」に関して、「『さいたま新都心周辺が望ましい』という意見を踏まえ、新市成立後、新市は、交通の事情や他の公官署との関係など、市民の利便性を考慮し、将来の新市の事務所の位置について検討するものとする」とされた。しかし、日本語の「踏まえる」に「考慮に入れる」から「前提とする」までの幅広い解釈が可能であるゆえに、協定書の文面はもとより玉虫色の解釈が可能なものとされていた。

この文面を、浦和側は「当時、現在地での建て替え、さいたま新都心周辺への移転双方の意見が上がった中で、協議の中で出た一つの意見を考慮すべき参考意見として記載しているが、将来の市役所本庁舎の位置については、記載されている通り合併後の検討議題である」と解釈し、旧市域の住民に説明してきた。一方大宮側は、「将来の市役所をさいたま新都心周辺に置くことを、決定事項として明記した」と解釈し、旧市域の住民に説明しており、合併後に大宮側のさいたま市議らが、「市役所本庁舎がいまだに浦和にあるのは、浦和が合併時に新都心に移すとした約束を破ったからだ」と主張して、浦和側が合併時の約束を破ったとする世論の形成を目指して旧市域の住民に説明しているため、この問題に関して中立的な与野・岩槻を巻き込む混乱を招いており、当該地区住民同士の不信にもつながっている。

前述のように、合併協議のはじめに決議された「合併促進決議」において、浦和は新市の「行政の中心」と明記された。浦和側の市議らから「市役所本庁舎を旧浦和市域から移転することは、この決議に反する」との意見が出ている。大宮市が合併前に構想していた大宮市役所の移転建替のためにプールしていた資金が、合併後に鉄道博物館の建設促進など大宮側の観光開発に使われてなくなったことも、浦和側がさいたま市の予算を用いての移転に強硬に反対する一つの理由となっている。一方旧大宮市内では、旧大宮市時代に将来の大宮市役所の移転建替先の用地として確保していた北区の富士重工跡地(現在、ステラタウンなどが立地)の大半が、初代さいたま市長に就任した旧浦和市長の相川宗一在任時に民間に売却されたことによって新市庁舎の建設候補地として使用できなくなったことに対する反感も根強い。なお、この富士重工跡地は、さいたま新都心からの距離が現在のさいたま市役所本庁舎とほぼ等しく、「さいたま新都心周辺地区」にはあたらない。当該の用地一帯は「ノーザンハートきたまち」の愛称で呼ばれ、「日進・宮原地区副都心」の一つとして土地区画整理事業を行われた。

2001年にさいたま市が発足すると、将来の市役所の位置についてどこ建設するかの議論は久しく進まなかった。この議論が進んでこなかった要因として、さいたま市発足後に策定された都市計画で、埼玉県と旧3市が開発予算の一部を拠出して建設されたさいたま新都心は「大宮駅周辺と一体として整備する」として大宮駅周辺と同一視されており、さいたま新都心を旧3市の市境上に立地(現在は中央区に帰属)するいわば”政治的緩衝地帯“として、浦和側が同地周辺への市役所移転に同意する可能性が失われていることや、同都市計画マスタープランで、浦和駅周辺は「行政施設が集積する」場所とされている一方、さいたま新都心にはそうした位置づけの明記がなく、市役所建設が整合性をとるべき上位計画である都市計画においては、さいたま新都心を行政拠点とする根拠がないこと、合併後に浦和駅の近代化(高架化・ホーム増設・駅ビル建設)工事が完了し、特急列車を含む停車本数が大幅に増加したことで、特急列車や宇都宮線高崎線の快速・通勤快速列車、湘南新宿ラインの全列車が通過するさいたま新都心駅との利便性において以前より差をつけていること、市役所をさいたま新都心周辺に移転した場合、県庁舎と市庁舎が離れている(同じ市街地にない)政令指定都市が生じることなどが挙げられる。仮に、浦和駅から1km程度離れた現在地よりも地価の高いさいたま新都心駅至近の商業地に立地した場合、大幅な税収減につながり、同時に県・市の各種行政機関が集まる行政センターとしての浦和駅周辺の都心機能を損壊すること、さらに浦和駅周辺に集積しているメディアや政党の支部にとっても、県政と市政の拠点が大きく引き離される事で利便性が損なわれることも懸念されている。また100年来の歴史的経緯から、市役所を移転すれば次に大宮側が県庁舎の移転を要求するのではないかという浦和側の大宮側に対する根強い不信感もある(その場合、浦和にある県・国の多くの機関との連携の問題も生じる)。これら旧市間の利害とは別に、共産党を中心に新たな市役所用地を取得するための税負担に反発する声もある。

また何より議論が進んで来なかった直接の原因として、さいたま市議会で最大多数を占めていた自民党市議団が主に浦和側の政治勢力を中心に政策決定されており、2009年に市長に就任した大宮側を地盤として旧民進党系を支持基盤とする清水勇人との間で、ねじれ議会を構成していたという事情が大きい。そんな中、市議会の一般質問で、議員が合併協定書の文言の解釈について質しても、清水は合併協定書の文言をそのまま朗読して答弁するなど、清水自身が市役所移転に関してや、旧3市間で合意のないともされる合併協定書の文言の解釈に対するスタンスを明確にすることを避けていた。2017年に自民党が市長選挙の党推薦候補者の擁立断念を発端に分裂し、大宮側の大半と与野側の自民党市議は自民党から離反して、自民党の党籍を持ったまま独立会派「自民党真政市議団」を発足させ、民進党系の清水への支持に回り、大宮地区を地盤とする旧民進党系(「民進改革」→「立憲・国民・無所属の会」→「民主改革」)に加えて自民真政、公明党が清水を支持する巨大な市長与党を形成するに至った。その結果、大宮側の利益を主張する勢力が議会の多数を占めるようになり、これ以降それまで全く動きのなかった市役所本庁舎の移転論議が急速に進んでいる。本庁舎整備審議会では、3市の合併協議時に新市の市名に「大宮市」の採択させる運動や採択されない場合の合併協議のボイコットなどを鶴崎敏康(現・自民真政市議団長)らと主導した任意合併協議会の大宮市議代表の一人であった元さいたま市議の松本俊雄が中心となり、「さいたま新都心への市役所新設は、合併時の合意事項である」という大宮側の持論を展開、浦和側の代表者の多くが欠席する中で位置の議論が行われ、2018年に「新庁舎の規模については約4万㎡必要、建設地についてはさいたま新都心駅周辺が望ましい」の答申が出された(答申のため法的拘束力はなく、実際には条例の改正が必要となる)。現実的には、さいたま新都心周辺で住宅建設などの民間転用が決定していない4万m2の遊休地はないが、これを受けて2019年12月には、市当局より3カ所を移転候補地とする報告が出されており、これらの候補地はすべて大宮区内となっている。

こうした中、市議会においては浦和側の自民党の重鎮市議である青羽健仁が「浦和は行政政治の中心というプライドを持っている。市長がそれと違うことをすれば、市民の先頭に立って行動する」と詰め寄る[2]など清水と浦和・岩槻地区を地盤とする自民党との対立関係がこれまで以上に先鋭化し、市政の大きな課題となっている。浦和・岩槻側を中心とする自民党との対立が深まる中、清水は2020年に入ってから岩槻側の懸案である埼玉高速鉄道線延伸を積極的に行う旨の発言を重ねたが、2020年2月定例会で青羽に埼玉高速鉄道延伸に際しての課題と今後のスケジュールを問われると、「実際には鉄道延伸に関する何一つの具体的な予定がない」ことを認めた。また、これまでの市役所移転論議のプロセスで「合併協定書に定められた『幅広い市民の参加』を経ていない」と青羽に指摘され、いったんは都市戦略本部長が「審議会のメンバーには市民公募によるメンバーが含まれている」と答弁したものの、実際の名簿にそうしたメンバーが含まれていないことを青羽に指摘された直後に撤回し(公募自体実際に行われていない)、最終的に清水も「今後市役所の移転先を決定し跡地利用に際しても決定するまで『幅広い市民の意見』を聞く予定はない」ことを繰り返し答弁するなど、混迷を深めている。予算委員会でも、浦和地区の自民党市議が市庁舎移転に関する質問を清水に答弁指名したものの、清水はこれを無視する事実上の答弁拒否を行っており、清水と自民党、ひいては浦和側の対立構造が顕在化している。清水や大宮側のさいたま市議としては、自民党が分裂した自民真政、旧民進党系、公明党の市長与党が力を持つこの機会に大宮側の積年の願望である市役所の大宮側への設置を進めたいという姿勢を示しており、この問題に関する住民投票の実施を求める浦和・岩槻側の自民党との対立が深刻化している。

なお、平成の大合併で誕生した他の自治体の例と比べて特異な点として、さいたま市では旧浦和市役所の庁舎であった現在の市庁舎は、条例上の「仮庁舎」ではなくあくまで正式な「本庁舎」と定めており、合併協定書で「場所について検討する」とされている「将来の市役所本庁舎」は条例に定められているものではない。よって、庁舎の移転は地方自治法第4条の規定により、議会の同意を要することになる。つまり、庁舎の位置を変更する場合は、議会において出席議員の3分の2以上の議員の賛成(同意)が必要とされており、反対(不同意)が上回れば移転はできない[3]。先述の通り、2017年には現在地に市役所を置くことを主張する自民党から大宮区内への移転を要望する大宮・与野側の自民党市議を中心とする自民真政が分裂しているが、その勢力は自民党が10人(浦和側が7人、大宮側が2人、岩槻側が1人)、自民真政が9人(大宮側が7人、与野側が2人)と大宮側の自民党の党籍を持つ市議が全員自民真政に参加していない現実がある。 2020年に入り、2021年の次期市長選挙を睨み、「安定した議会と自民党の第1会派を実現するため自民党会派の統一に向けて」と言う理由で、自民党から会派を離脱して「自民党高志会」(浦和側が2人、岩槻側が1人)を立ち上げ、会派の統一交渉に入った。その結果、先ず自民真政を母体にした新会派「さいたま自民党」が発足。自民党から4人(浦和側の3人、大宮側の1人)、自民高志から2人(浦和側の2人)が新会派に参加したが、自民のうち4人が残留(浦和側の2人、大宮側の1人、岩槻側の1人)、岩槻側の1人だけとなった自民高志は自民から2人(浦和側の2人)が合流して、「自民党彩成会」と会派名を改めた。ただ、さいたま自民の主導権が旧自民真政側にあることを警戒したため、会派の完全統一はならなかった。このため、さいたま自民は、自民・自民彩成との統合交渉を続けるとしているが、会派の統一が実現するのかが更に疑問視されている。

一方、立民国民社民を中心とする「民主改革」においても、政党別では立憲民主党が11人、国民民主党が3人、社会民主党が1人、合流前は「改革フォーラム」と言う独立会派で活動していた無所属が2人の合計17人で構成されているが、大宮・与野側の所属議員は全員(大宮側が7人、与野側が1人)大宮区を拠点とする枝野幸男が党の代表である立憲民主党に参加しているのに対し、浦和側では2人が立憲民主党、3人が浦和区を拠点とする国民民主党に参加し、これに無所属の2人が会派に参加する形になっている。岩槻側は立憲民主党・社会民主党が各1人に分かれるなどの隔たりがあり、さいたま市においては政党・党派と同様に、旧市間の利害の違いが政治的勢力の分立に大きな影響を及ぼしている。

埼玉大学社会調査研究センターが2018年に実施した意識調査では、「本庁舎整備審議会の答申を前提とした上で、市庁舎をさいたま新都心周辺地区に移転すべきか」との問いに対し、「さいたま新都心周辺地区に移転すべき」と答えた旧浦和市域の住民が16%であったのに対し、旧大宮市域の住民は55%であった。また、「浦和区から移転すべきではない」と答えた旧浦和市域の住民が58%であるのに対し、旧大宮市域の住民は13%にとどまった。この意識調査で、本庁舎整備審議会の答申を前提とした上でも「市庁舎をさいたま新都心周辺地区に移転すべき」と回答した住民は旧与野市域・旧岩槻市域も含んだ市内全域の合計でも36%しか達しておらず、合併後20年近くを経た市民の間でも、浦和側は移転に反対、大宮側は移転に賛成という、市民レベルではこの問題について合意に達していない状況が明らかにされている[4]

アクセス[編集]

業務時間[編集]

周辺[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 本庁舎耐震補強事業について (PDF) - さいたま市財政局財政部庁舎管理課
  2. ^ K-AOBA's VOICE for SAITAMA : 2018年09月”. blog.livedoor.jp. 2020年8月28日閲覧。
  3. ^ 大阪府和泉市は、住民投票において移転賛成が上回ったものの、市議会で条例改正できず現地建て替えとなった。
  4. ^ さいたま市役所の移転是非 旧大宮、浦和で違い明確…互いをライバル視、過去を引きずる? 埼玉新聞2018年11月20日付

外部リンク[編集]