水上勉

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水上 勉
(みずかみ つとむ)
Minakami Tsutomu.jpg
河出書房新社『文藝』第2巻第10号(1963)より
ペンネーム 水上 勉(みずかみ つとむ)
誕生 1919年3月8日
日本の旗 福井県大飯郡本郷村(現:おおい町
死没 (2004-09-08) 2004年9月8日(85歳没)
日本の旗 長野県東御市
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 立命館大学国文科中退
活動期間 1947年 - 2004年
代表作雁の寺』(1961年)
越前竹人形』(1963年)
飢餓海峡』(1963年)
一休』(1975年)
金閣炎上』(1979年)
主な受賞歴 日本探偵作家クラブ賞(1961年)
直木三十五賞(1961年)
菊池寛賞(1970年)
吉川英治文学賞(1973年)
谷崎潤一郎賞(1975年)
川端康成文学賞(1977年)
毎日芸術賞(1984年)
日本芸術院賞恩賜賞(1986年)
旭日重光章(2004年)
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水上 勉(みずかみ つとむ、1919年大正8年)3月8日 - 2004年平成16年)9月8日)は、日本小説家福井県大飯郡本郷村(現:おおい町)生まれ。一時「みなかみ」と読まれ、またそれをペンネームとしていたが、のちに本人の意向で本名の「みずかみ」に統一した。社会派推理小説飢餓海峡』、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』、伝記小説『一休』などで知られる。

生涯[編集]

生い立ち[編集]

福井県の棺桶造りや宮大工をしていた家に生まれ[1][2]、5人兄弟の次男として育った。生家は乞食谷(こじきだん)という谷の上にあり、そこは死体を埋める谷のとば口で、一家は地元の素封家の所有する薪小屋に住んでいた[3]。貧困から、9歳(一説には10歳)の時、京都臨済宗寺院相国寺塔頭、瑞春院に小僧として修行に出され(この時、寺に住み込んで画の練習をしている南画家の服部二柳を見ている)、得度して水上秀英に改名するが、あまりの厳しさに出奔。その後、連れ戻されて等持院に移り、僧名承弁に改名。等持院の蔵書の小説本を無断で貪り読み文学への関心を持った。また等持院には東亜キネマの撮影所があって、撮影も手伝いもさせられた。これらの経験がのちに『雁の寺』、『金閣炎上』の執筆に生かされた。

旧制花園中学校(現・花園中学校・高等学校)卒業し、寺を出てむぎわら膏薬の行商を経て、1937年昭和12年)、立命館大学文学部国文学科に入学、同年に満州にある国際運輸社の社員となって奉天に渡るが、翌年結核を患い帰国して若狭に戻る。文学書を読み漁り、水上努の名で『月刊文章』『作品倶楽部』に投稿、『月刊文章』で選外佳作となって初めて文章が活字になった。1940年に『作品倶楽部』選者の丸山義二を頼って東京へ出て、日本農林新聞に入社、農民文学懇話会の作家たちも間近に見る。また丸山の紹介で同人誌「東洋物語」に参加。そのメンバーの三島正六の紹介で報知新聞に入り、そこで和田芳恵の知遇を得て学芸社に移り、さらに印刷会社を経て三笠書房に勤める。この頃「東洋文学」は、情報局の命令で「作家精神」などと合同して「新文芸」となった。1943年に映画配給会社に移るが、東京都からの助成金を得て郷里に疎開、結核のために第二国民兵役だったが1944年には召集を受けて、京都伏見深草中部43部隊の輜重隊に所属。その後国民学校助教(代用教員)を務めて終戦を迎えた。

作家デビュー[編集]

戦後上京して虹書房を興し、学芸社の同僚だった山岸一夫とともに雑誌『新文藝』を創刊、石川啄木樋口一葉などの作を刊行し、水上若狭男の筆名で短編小説を掲載した。和田芳恵が『日本小説』を創刊する際に、誌名のアイデアを出したのも水上だった。1946年(昭和21年)頃、宇野浩二の『苦の世界』を刊行したことから宇野の知遇を得、文学の師と仰ぐようになる。『新文藝』は資力や印刷事情のために3号で休刊。1947年に虹書房は解散し、生活のために児童ものの読物を書き、一時文潮社の嘱託として出版企画に参加、また腱鞘炎を患っていた宇野浩二の口述筆記を長く行なっていた。北海道の『大道』という雑誌に書いた自身の日常そのままを短編にした「雁の日」で宇野に褒められて発奮、ついで1948年に文潮社から長編の身辺小説『フライパンの歌』を刊行し、宇野浩二の序文や「昭和の貧乏物語」という文句の広告もあって良い売れ行きを示した。これに大映が映画化を申し込み、5万円の手付金をもらったが、予定していた監督の島耕二新東宝に移籍したため企画は中止された。さらに妻が家を出て行くなどで銷沈して、その後の原稿依頼もなく[4]、また体調も思わしくなく、3歳の幼児を抱えて生活に追われ、文筆活動からは遠ざかることになる。山岸一夫の紹介で日本繊維経済研究所の月刊誌『繊維』の編集の仕事に就き、次に山岸と週刊の「東京服飾新聞」を発行するが、これも不況で立ち行かず、洋服生地の行商を始める。またこの頃山岸の紹介で西方叡子と再婚。叡子が川上宗薫の義妹と高校・短大の同級生だった縁で知己となり、川上の参加していた同人誌「半世界」にも顔を出すようになり、また菊村到も紹介され、小説執筆を促された。

1958年に服の行商の電車の中で松本清張点と線』を貪り読み[5]、これに刺激されて、『繊維』時代の経験から日本共産党の「トラック部隊」を題材にした推理小説を書き、川上宗薫の紹介で河出書房の編集者坂本一亀の手に渡り、4回の書き直しを経て、『霧と影』の題で1959年に出版、初版3万部が1ヶ月で売り切れ、一躍流行作家となった。当時生活を支えるために妻がキャバレーホステスとして働いており、坂本がその店へ原稿料を届けに行った際、「奥さん、長い間ごくろうさまでした。これで水上は作家になりました」と言ったという[6]

流行作家として[編集]

1960年(昭和35年)、「水俣奇病」として原因が未解明のままだった水俣病を題材にした『海の牙』を発表し、『霧と影』に続いて直木賞候補、翌1961年(昭和36年)に第14回日本探偵作家クラブ賞を受賞、社会派推理作家として認められた。しかし水上自身は推理小説に空虚感を感じており、「人間を描きたい」という気持ちから自分がよく知る禅寺の人間たちを題材にしつつ、推理小説の体裁を取り入れた『雁の寺』を執筆[6]、同年に第45回直木賞を受賞。当時は「三十七の職業を持った男」とも喧伝された。この続編『雁の村』『雁の森』『雁の死』や、『越前竹人形』『五番町夕霧楼』『櫻守』などを続々と発表、洞爺丸事故を題材にした社会派推理の大作『飢餓海峡』(1963年)も大きな話題を呼んだ。一時は月産1200枚をこなす人気となり、松本清張笹沢左保梶山季之と並ぶ推理界の量産作家四天王とも呼ばれた[7]。また直木賞受賞後に、文藝春秋社の講演旅行で親しくなった柴田錬三郎に薦められてゴルフを始め、柴田の催す球々会にも参加、また軽井沢の貸別荘で夏を過ごすようになり、そこで丹羽文雄にゴルフの手ほどきを受けるなど、文壇での交友を広げた。

次女が二分脊椎症という病気であったことなどから身体障害者の問題に関心を持ち、1963年に重症心身障害児への福祉政策について述べた「拝啓池田総理大臣殿」を発表。中村裕による福祉工場「太陽の家」に設立に参加し、東京在住理事も務めた他、体験を元にした小説『くるま椅子の歌』等、社会福祉の遅れについての発言や活動も行った。その後も伝記文学『一休』『良寛』、童話『ブンナよ、木からおりてこい』、そして数々のエッセイなどを旺盛に書き続ける。川上宗薫とは、互いに相手を誹謗するモデル小説『作家の喧嘩』と『好色』を書きあった結果、不仲となるが、のちに佐藤愛子のパーティで再会し、人を介して和解した。1977年頃、軽井沢に竹人形の工房を作り、人形劇の劇団「竹芸」を始める。1985年に劇団を若狭に移し、劇場に図書館を併設した若州一滴文庫を設立。1986年にリューマチを患い右手が腫れ上がる。

1965年に訪日した老舎劉白羽の訪問を受け、禅宗の話題で意気投合。老舎没後10年を経た1975年に井上靖のはからいで訪中作家団に参加。以後もたびたび訪中し、中国の作家とも交流を深め、また水上作品の中国語訳も増え、日中文化交流協会の常務理事も務めた。1981年には『華岡青洲の妻』と『ブンナよ、木からおりてこい』の訪中演劇団に有吉佐和子とともに同行。

晩年[編集]

1989年(平成元年)、訪中作家団の団長として訪れた北京において天安門事件を目の当たりにし、市内の交通が途絶して北京飯店に三日間足止めになるが、東京からの救援機第1号にて帰国。直後に心筋梗塞で倒れ、集中治療室に三日間入り、心臓の三分の二が壊死、1993年「蛍」など療養とリハビリを背景とした作品を執筆、北京滞在時、および闘病の体験は『心筋梗塞の前後』として刊行されている。その後も網膜剥離の手術を受けるなどしたが、執筆意欲は衰えなかった。同じ心筋梗塞の闘病経験のある不破哲三と、家族ぐるみで交友を持つようになり、1999年の京都市長選挙では不破の依頼で井上吉郎候補への支援文を寄せた(これらの書簡、対談等は『同じ世代を生きて』所収)。

1997年(平成9年)頃から、パソコンやインターネットに強い関心を示す。長野県小諸市の仕事場にMacintoshを複数台購入し、「電脳小学校」と名づけて地元の子供たちにも開放しようとしていた。また、上京する際はPowerBookを持ち歩いていたこともある。本人もワープロソフトで執筆したり、電子メールを知人とやりとりしたりしていた。自ら描いた絵をスキャンして、その画像をインクジェットプリンタで竹紙に印刷したものを「版画」と呼んで楽しんでいたこともある。当時「たとえば早稲田大学も、これからは早稲田<検索>大学になるんだ」と話すなど、今でいうeラーニングにも関心があったようである。パソコンやインターネットを障害者や高齢者、地方に住む者のハンディキャップを補う道具としてとらえていたと考えられる。2001年、蘇曼殊の詩に触発されて書いた最後の長編小説『虚竹の笛 尺八私考』で親鸞賞を受賞。

2004年(平成16年)9月8日肺炎の為、長野県東御市で死去。85歳没。死後、正四位に叙され、旭日重光章を授けられた。没日は直木賞受賞作『雁の寺』に因んで帰雁忌と呼ばれる。

2006年(平成18年)、横瀬夜雨の伝記小説『筑波根物語』(1965年に『中央公論』に連載)刊行。

家族[編集]

1941年に加瀬益子と同棲。長男凌(窪島誠一郎)をもうけるが、戦争と生活苦のため靴の修繕屋に養子に出し、東京大空襲で行方不明になる(のちに再会)。1943年に松守敏子と結婚し長女蕗子をもうけるが、1949年敏子が子どもを置いて印刷会社の息子と駆け落ちしてしまったため離婚。1956年に西方叡子と再婚し、次女誕生[8]。長女蕗子は、俳優・京極潔(本名・勝亦純也)と結婚するが、京極は1973年に自宅の火事で焼死した[9]

主な受賞歴[編集]

作品[編集]

社会派推理と純文学[編集]

社会派推理小説として、『耳』では主婦と生活社争議、『火の笛』でキャノン機関、『赤い燈台』で新潟の地盤沈下、『銀の川』で豚肉業界問題、『黒壁』で吉野・熊野地方における電源開発、『海の墓標』で歯舞色丹における昆布漁、『虚名の鎖』では女優と映画会社の関係といった当時の社会問題を取り上げた。山林業界にも関心を持ち、『死火山系』では、1961年の浅間山噴火を背景に”山林未開放”の悲劇を描いた。篠田一士は『霧と影』の魅力は、社会派推理小説としての他に「宿命に呪われた人間の呻きであり、さらに、そういう宿命からのがれようとしながらもしながらもついにのがれることのできない人間の業の深さ」であり、また登場人物の生まれ育った場所(若狭海岸)の風景描写に「呪われた土地、さらに呪われた人々の業まで彷彿とさせる点で、描写をこえて象徴の域にまで達している」と評している[13]。米軍兵のオンリーの女の悲劇を描く『爪』が1960年に発表されると、『文学界』が選ぶ「文壇十大ニュース」の「推理小説の新傾向の代表的作品」に選ばれ、「純文学できたえた強みが推理小説を文学化している」(朝日新聞)とも評された。

『霧の影』以降にも、繊維業界を扱った作品は『野の墓標』『眼』『虫の宴』があり、『鶴の来る町』では国鉄のストライキの影響で生活の糧を奪われた庶民の悲劇を描いている。『五番町夕霧楼』と『金閣炎上』は金閣寺放火事件がモチーフであり[14]、『金閣炎上』は郷里も近く、かつて会ったこともある犯人の林養賢の生い立ちから事件発生、そして病死するまでの足跡を追い、その内面への洞察を深めて事件から30年近くなった1979年に発表され、「眩ゆい京都の文化と「美」を、その底辺で支えてきた地方出身の無数の庶民」の心を描き、「「文学」の問題にとどまらず、「歴史」を見る一つの展望の場を作り出した」(饗庭孝男[15])と評された。『銀の庭』は当時銀閣寺事件と呼ばれた事件を題材にした創作だが、裁判で作品が読み上げられるなど、禅宗教団の腐敗を表すものとして物議を醸し、水上は相国寺派から出入り差し止めとされた[16]若狭湾原発が林立し始めることにも疑問を持ち、発言を行なっており[17]、晩年の作『故郷』でも若狭湾の原発を取り上げている。

これらの作品に対しては、「松本清張の出現で推理小説は社会性を持つようになったが、水上勉はなおその上に思想性を加えようとしている」(『東京新聞』1960年4月30日)と評され、また荒正人は「この作者の素質は、社会的なものより、人間の本質に関して、実存的な把握にむいているのではないか」(『日本推理小説大系 15』)と述べている。伊藤整も「『純』文学は存在し得るか」(『群像』1961年11月号)で「前者(松本清張)がプロレタリア文学が昭和初年以来企てて果たさなかった資本主義の暗黒面の描出に成功し、後者(水上勉)が私の読んだところでは『雁の寺』の作風によって、私小説的なムード小説と推理小説の結びつきに成功すると、純文学は単独で存在し得るという根拠が薄弱に見えてくるのも必然なことなのである」と驚きを表した。篠田一士は、水上の社会派推理小説のスタイルを「彼自身の想像力の運動のうねりが激しく、ときには、放埓にとめどなく流れる。」「そこには、まさしくロマネスクとよぶにふさわしい世界がくりひろげられるのである。」と評している[18]

しかし水上自身は「週刊誌も月刊誌もどこでも殺人小説を歓迎していた。ところが当人の私は『雁の寺』を書いて、毎晩うなされるようになった。人殺しのことばかり考えてそれを書きつづけてくたくたになる日常は、異常であった」「小説を書く気力を失っていった。考えたことは『誰を殺すか』ではなくて、『誰を生かさねばならぬか』ということのようであった」(『金閣と水俣』)と、推理小説からは遠ざかるようになった。

『フライパンの歌』は、「「私小説」特有のリリシズムが全編に流れ、主人公の、やり場のない暗い懈怠がほとんど美的といっていい緊張をたえず読者に喚起する佳編」(篠田一士[13]とされ、尾崎秀樹は『雁の寺』四部作や『湖の琴』に触れて、「昏い傷跡をもつ人びとの運命が、作者の青春の階層と重なり、それが濾過された時、心象の絵は一編の叙情世界をかたちづくる」「作者みずからの幼少期の孤独や、青春の哀感が色こくやきついているところに彼の文学の特長があるのではないか」と評した[19]

『うつぼの筐舟』『越後つついし親不知』など北陸の風土を背景にした作品、日本の伝統工芸の世界を題材にした『櫻森』『西陣の女』などがある。『雁の寺』で主人公の少年の生い立ちに用いた故郷に言い伝えられる旅の瞽女のことを、『はなれ瞽女おりん』でも小説にし、これを戯曲化したものが有馬稲子主演で舞台化され、全国で上演された。紅の製造にかけた人々を描く『紅花物語』や、和紙の紙すきの人々を描く『弥陀の舞』を、村松定孝は「作者の詩魂の根底に和讃を誦すような衆生済度のねがいがこめられている」と評し、また日本の日本の日記文学紀行文学の語りの面白さとして、谷崎潤一郎『吉野葛』宇野浩二『山恋い』などを受け継ぐ作家であり、「庶民の心を肌で感じとり、貧しく虐げられた社会の底辺にうごめく衆生の姿を如実に捉えている」水上が、「師(宇野浩二)の話術を学び取り同時に浩二の私小説特有の湿りを自作ににじみこませた物語文学の新分野を拓いた」と述べ[20]泉鏡花、谷崎潤一郎を受け継いで「見事に文学的開花を成し遂げた」「純文学にして大衆小説、私小説のしめりをきかせ、しかもロマンの骨格を有する」3人目の才豊かな作家[21]ともしている。

『霰』は水上の母方の祖父母である履物職人の一家をモデルにした、「話の六分は本当」(あとがき)という若狭に生きる人々を描いた物語で、川端康成は作者への手紙で「いま少しで名品になれないところがある」とも書いた[22]。『櫻守』は1968年に毎日新聞が代表的現代作家20人により企画した「現代日本の作家」として発表された。登場人物で主人公弥吉の師である武部庸太郎は、植物学者笹部新太郎がモデルとなっており、御母衣ダム建設に伴う桜の木の移植も重要なエピソードとして取り上げられている。満州に渡った時に苦力監督見習いだった記憶を元に、1986年に再びその地を訪問し、その時の体験と感傷は『瀋陽の月』として小説化した。

歴史小説[編集]

江戸初期の若狭での農民一揆を描く『城』(1965年)以後、『湖笛』『佐渡の埋れ火』『玉椿物語』などの歴史小説を書いている。1970年頃に越前一乗谷朝倉氏館跡、通称戦国村が文化庁による広域文化財の対象となったことで、福井県の朝倉氏遺跡保存協議会の委員に選出され、その時の知見から、若狭の大名武田元明を描く『流れ公方記』、朝倉氏の悲劇を描く『越前一乗谷』などを書いた。

『蓑笠の人』は良寛の越後時代を通してみた農民の生活を描いたもので、良寛については評伝『良寛』『良寛を歩く』などの著書もあり、また仏僧の評伝として『一休』『沢庵』『良寛正三白隠』がある。『城』では堀口伝右衛門という人物の残した「拾椎実記」、『蓑笠の人』では「越佐草民宝鑑」、『一休』では元禄年間の刊行物を元に書かれたという「一休和尚行実譜」といった創作文書を軸にしているところに共通点があり、幸田露伴の「虚言を束し来たって歴史あり」という言葉を方法論としていることを語っている[23]。これらの作品について不破哲三は「どんな問題を見るときにも、弱者の立場、底辺の立場から人間をとらえ、社会をとらえる」「過去の時代についても、作者の目が、しいたげられた底辺の人々にしっかり向けられている」と評している[24]。中国の宋明の時代を舞台にした作品集『清富記』もある。

竹人形、エッセイ[編集]

生家や瑞春院が竹藪に囲まれていたことから、催しで福井市で竹細工師尾崎欽一の竹人形をもらい、続いて神田の古本屋街で竹細工の本を見たことで思いついて「越前竹人形」を執筆。これは谷崎潤一郎から「日本の最高水準をゆくもの」と絶賛された。若尾文子主演で映画化、菊田一夫演出で舞台化され、舞台指導に尾崎欽一が参加し、これ以降北陸一帯で竹人形が土産物としてブームになった。

20歳頃に若狭で村芝居をしたり、助教時代に書下し戯曲で戦没者遺家族慰問公演を行うなど芝居好きであり[16]、かつて文楽「名塩川」を書きおろすなど人形劇に関心の深かったこともあり、その後佐渡ののろま人形を見たのに刺激され、これを竹人形で作って見たいと考え、さらに人形劇で『越前竹人形』をやってみようと、1975年に有志により「越前竹人形制作の会」が生まれ、大田原市竹細工師八木沢敬造に人形作りを依頼、世田谷に工房を作って準備を進め、明大前窪島誠一郎所有の小劇場で木村光一演出で公演を行った。これが好評だったため、一座を組んで1年半ほど全国で巡演する。さらに1978年に大きな人形での公演を考え、佐分利村の人形師岸本一定に人形を依頼、軽井沢の山荘で準備を行い、越前落城における柴田勝家お市の方の悲劇を描いた「北の庄物語」を、福井市鯖江市枚方市で公演した。[25]

軽井沢で自ら育てた野菜や山菜による精進料理を紹介する『土を喰う日々』や、『閑話一滴』などのエッセイでは、自作のスケッチを挿絵としている。『週刊女性』編集長だった丸元淑生の依頼でエッセイ「女ごころ風景」を1972年から連載、この縁で河口慧海の妹で歌人の竹野せいや、作家の小林美代子とも交流が生まれた。

著作リスト[編集]

  • 『フライパンの歌』文潮社 1948 角川文庫
  • 『風部落』文潮社 1948
  • 『世界の文豪』あかね書房 1952(世界伝記文庫)1952
  • 『霧と影』河出書房新社 1959 のち新潮文庫、角川文庫
  • 『海の牙』河出書房新社 1960 のち角川文庫(『別冊文藝春秋』1959年12月号に「不知火海沿岸」として発表、加筆し『海の牙』に改題)
  • 『耳』光文社(カッパノベルス)1960 のち角川文庫
  • 『巣の絵」新潮社 1960 のち角川文庫
  • 『火の笛』文藝春秋新社 1960
  • 『うつぼの筐舟』河出書房新社 1960 のち角川文庫
  • 『爪』光文社(カッパ・ノベルス)1960 (『宝石』1960年9-1961年1月号) のち中公文庫
  • 『赤い袈裟』角川小説新書 1961
  • 『銀の川』角川書店 1961 文庫
  • 『黒い穽』光風社 1961
  • 『虚名の鎖』光文社(カッパ・ノベルス)1961 のち集英社文庫、光文社文庫
  • 雁の寺』文藝春秋新社 1961(『別冊文藝春秋』1961年3月号)のち文庫
  • 『蜘蛛の村にて』桃源社 1961
  • 『決潰』新潮社 1961(『新潮』1961年9月号)のち角川文庫
  • 『黒壁』角川書店 1961
  • 『棺の花』文藝春秋新社 1961(『オール讀物』1961年10、12月号)
  • 『野の墓標』新潮社 1961 のち集英社文庫
  • 『若狭湾の惨劇』角川書店 1962
  • 『花の墓標』中央公論社 1962
  • 『死の插話』河出書房新社 1962
  • 『死の流域』中央公論社 1962(『小説中央公論』1961年10、1962年1月号) のち角川文庫
  • 『虫の宴』新潮社(ポケット・ライブラリ)1962  集英社文庫『蟲の宴』
  • 『海の葬祭』文藝春秋新社 1962
  • 『雁の死』文藝春秋新社 1962
  • 『オリエントの塔』文藝春秋新社(ポケット文春)1962
  • 『眼』光文社(カッパ・ノベルス)1962 文庫(『評』1960-61年連載「蒼い渦」を加筆)
  • 五番町夕霧楼』文藝春秋新社 1963(『別冊文藝春秋』1962年9月号) のち新潮文庫
  • 『枯野の人』光風社 1963
  • 『西陣の蝶』中央公論社 1963(短編集)
  • 『薔薇海溝』光文社(カッパ・ノベルス)1963 のち文庫
  • 『空白のカルテ』光風社 1963
  • 『蒼い実験室』文藝春秋新社(ポケット文春)1963
  • 『日本の壁』光風社 1963
  • 越前竹人形』中央公論社 1963(『文芸朝日』1963年1-5月号) のち新潮文庫、中公文庫
  • 『告白』河出書房新社 1963
  • 『飢餓海峡』朝日新聞社 1963(『週刊朝日』1962年1-12月号、連載後加筆して単行本化) のち新潮文庫
  • 『銀の庭』文藝春秋新社 1963(『文藝春秋』1962年4-11月号)のち角川文庫
  • 『盲目』角川小説新書 1963 のち文庫
  • 『死火山系』角川書店 1963 のち光文社文庫
  • 越後つついし親不知』光風社 1963(『別冊文藝春秋』1962年12月号)のち角川文庫、新潮文庫(自選作品集)
  • 『若狭草紙』桃源社 1963
  • 『沙羅の門』講談社 1964 のち中公文庫
  • 『好色』新潮社 1964(『新潮』1964年9月号) のち角川文庫
  • 『波影』文藝春秋新社 1964(『文藝春秋』1964年4-6月号) のち角川文庫
  • 『赤い灯台』新潮社 1964
  • 『あかね雲』講談社 1964 のち中公文庫
  • 『那智滝情死考』講談社 1964 のち角川文庫
  • 『高瀬川』河出書房 1964 のち集英社文庫
  • 『三条木屋町通り』中央公論社 1964
  • 『吹雪の空白』光文社(カッパ・ノベルス)1964
  • 『流旅の花』光風社 1964
  • 『しがらき物語』新潮社 1964(『小説新潮』1964年10月号、「続しがらき物語」1964年11月号) のち集英社文庫
  • 『砂の紋章』集英社(コンパクト・ブックス)1965 のち文庫
  • 『海の墓標』講談社 1965
  • 『鶴の来る町』文藝春秋新社 1965(『別冊文藝春秋』1963年9月-1964年6月号) のち角川文庫
  • 『比良の満月』桃源社 1965
  • 『春の波濤』講談社 1965
  • 『負籠の細道』中央公論社 1965 のち集英社文庫(エッセイ集)
  • 『坊の岬物語』河出書房新社 1965
  • 『おきん』新潮社 1965 のち文春文庫
  • 『有明物語』中央公論社 1965(『別冊文藝春秋』1964年9月号) のち角川文庫
  • 『京の川』新潮社 1965(『小説新潮』1965年2-12月号) のち文庫
  • 湖の琴』講談社 1966(角川文庫 1968年)(「読売新聞」 1965年7月23日-66年6月8日)
  • 『京都物語』全6巻 全国書房 1966-1967
  • 『野の鈴』講談社 1966 のち文庫
  • 『鷹の鈴』集英社 1966
  • 『島へ』新潮社 1966
  • 『銀の座』講談社(ロマン・ブックス)1966
  • 『私の受けた家庭教育』有紀書房 1966
  • 『湖北の女』集英社(コンパクト・ブックス)1966 のち文庫
  • 『無縁の花』桃源社(ポピュラー・ブックス)1966
  • 『おえん』桃源社(ポピュラーブックス)1966
  • 『螢』東京文芸社 1966
  • 『蜘蛛の村にて』桃源社(ポピュラー・ブックス)1966
  • 『湖笛』毎日新聞社 1966 のち角川文庫
  • 『城』文藝春秋 1966(『文藝春秋』1965年10-12月号) のち文庫
  • 『霰』新潮社 1967 のち文庫(『小説新潮』1976年8-10月)
  • 『凍てる庭』新潮社 1967(『サンデー毎日』1965年8月-1966年6月号) 文庫
  • 『鐘の音』文藝春秋 1967
  • 『雁帰る』徳間書店 1967
  • 『くも恋いの記』青春出版社 1967 のち集英社文庫
  • 『ちりめん物語』文藝春秋 1967(『別冊文藝春秋』1965年12月-1966年9月号)
  • 『日本海辺物語』雪華社 1967
  • 『くるま椅子の歌』中央公論社 1967(『婦人公論』1964年10-1966年7月号) のち文庫
  • 『山襞・海鳴』中央公論社 1967(戯曲集)
  • 『陽だまりの歌』講談社 1967
  • 『檻を出る女』春陽文庫 1967
  • 『恋愛と人生の45章』光風社書店 1967
  • 『火の笛』東方社 1967 のち角川文庫
  • 『黒百合の宿』春陽文庫 1967
  • 『告白・女心遍歴』講談社(ロマン・ブックス)1967
  • 『西陣の女』新潮社 1968 のち文庫
  • 『猿おがせ』講談社 1968
  • 『佐渡の埋れ火』文藝春秋 1968(『文藝春秋』1968年6月号) のち文庫
  • 『しらかわ巽橋』集英社(コンパクト・ブックス)1968 のち文庫
  • 『若狭路』淡交社 1968
  • 『私の幸福論』大和書房 1968 のち女性論文庫
  • 『雪のなかの花』新潮社 1968
  • 『女の森で』サンケイ新聞社出版局 1969 のち文春文庫
  • 『櫻守』新潮社 1969 のち文庫
  • 『弥陀の舞』朝日新聞社 1969(『週刊朝日』1968年3月-1969年2月号) のち角川文庫
  • 『紅花物語』主婦の友社 1969 のち角川文庫
  • 狩野芳崖』中央公論社 1969
  • 『失われゆくものの記』講談社 1969(『太陽』1967年9月-1968年12月) のち集英社文庫(紀行文)
  • 『男色』中央公論社 1969(『話の特集』1967年4-6月号) のち角川文庫
  • 『波影・貴船川』角川文庫 1969
  • 『水上勉の本』ベストセラーズ 1970
  • 『しあわせの心の架け橋』光風社書店 1970
  • 『樹影』講談社 1970 「石を抱いた樹」文庫
  • 『枯木の周辺』中央公論社 1970
  • 『失なわれた心』文和書房 1970
  • 『一匹のひつじ』大光社(語りおろしシリーズ)1970
  • 『旅雁の記』大光社 1970
  • 『花の村、海の村』三笠書房 1970
  • 『木綿恋い記』文藝春秋 1970 のち文庫
  • 『冬日の道』中央公論社 1970(『東京新聞』1969年10-12月)(エッセイ)
  • 『わが華燭』朝日新聞社 1971 のち文庫
  • 『宇野浩二伝』中央公論社 1971(『海』1970年8-1971年9月号) のち文庫
  • 『わが山河巡礼』中央公論社 1971(『太陽』1969年5月-1970年10月)(紀行文) のち文庫
  • 『凩』新潮社 1971
  • 『蛙よ木からおりてこい』新潮社(新潮少年文庫)1972
    • 改題『ブンナよ、木からおりてこい[26]』三蛙房 1980 のち新潮文庫
  • 『北国の女の物語』講談社 1972 のち文庫
  • 『玉椿物語』新潮社 1972 のち文庫
  • 『兵卒の鬣』新潮社 1972(『新潮』1972年9月号) のち角川文庫
  • 『生きるということ』講談社現代新書 1972
  • 『静原物語』中央公論社 1972(『中央公論』1970年10月-1971年7月号連載) のち文庫
  • 『私のなかの寺』昭和出版(作家の自画像)1972
  • 『鈴の鳴る人 第1部』毎日新聞社 1972
  • 『越前戦国紀行』平凡社(歴史と文学の旅)1973 (中公文庫『越前記』収録)
  • 古河力作の生涯』平凡社 1973(『太陽』1972年1-1973年6月号) のち文春文庫
  • 『風を見た人』講談社 1973 のち文庫
  • 『釈迦浜心中』新潮社 1973
  • 『冥府の月』筑摩書房 1973(『文芸展望』1973年4月号) のち集英社文庫
  • 『焚火』文藝春秋 1973(『日本経済新聞』1972年9月13日-1973年3月29日) のち文庫
  • 『流れ公方記』朝日新聞社 1973 のち集英社文庫、「足利義昭」人物文庫
  • 『馬よ花野に眠るべし』新潮社 1973(『小説新潮』1973年1-4月号) のち角川文庫、中公文庫
  • 『わが六道の闇夜』読売新聞社 1973 のち中公文庫
極貧の幼少期から青年期までと母への思慕を綴った記。
  • 『火の舞い』講談社 1974 のち文庫
  • 『その橋まで』新潮社 1974 のち文庫
  • 『金閣と水俣』筑摩書房 1974
  • 『恋愛指南』角川文庫 1975
  • 『禅の道紀行』平凡社(歴史と文学の旅)1975
  • 良寛正三白隠秋田書店 1975
  • 『日本紀行』正続 平凡社 1975-1876
  • はなれ瞽女おりん』新潮社 1975(「はなれ瞽女おりん」『小説新潮』1974年2月号、「はなれ瞽女口伝」『小説新潮』1974年8月号) のち文庫
  • 『蓑笠の人』文藝春秋 1975(『別冊文藝春秋』1974年6月号)
  • 『越前一乗谷』中央公論社 1975(『歴史と人物』1974年2-1975年2月号) (中公文庫『越前記』収録)
  • 『一休』中央公論社 1975(『海』1974年4-11月号) のち文庫
  • 『草ぐさの心』毎日新聞社(日本の心シリーズ)1975
  • 『わが草木記』光風社書店 1975(『自然と盆栽』1970年4月-1972年1月号)(エッセイ)
  • 『ヨルダンの蒼いつぼ』ソノラマ文庫 1976
  • 『帰山の雁』実業之日本社 1976 のち角川文庫
  • 『自選作家の旅』山と渓谷社 1976
  • 『足もとと提灯』正続 家の光協会 1976-1977 のち集英社文庫(随筆集)
  • 『あひるの子』集英社 1976 「あひるの靴」文庫
  • 『京の寺』平凡社カラー新書 1977-1978
  • 近松物語の女たち』中央公論社 1977(『ミセス』1975年1月-1976年12月号) のち文庫
  • 『さすらい山河・地底の声』ソノラマ文庫 1977
  • 『壷坂幻想』河出書房新社 1977 のち文庫、講談社文芸文庫(短編集)
  • 『寺泊』筑摩書房 1977 のち新潮文庫(短編集)
  • 『道の花』新潮社 1977(『婦人之友』1975年1月-1976年10月号) のち文庫
  • 『いまもむかしも愛別ばなし』文化出版局 1977 のち角川文庫
  • 『花守の記』毎日新聞社 1977
  • 『虫のいのちにも』大和出版(わが人生観)1977
  • 『流旅の人々』実業之日本社 1977
  • 『くさらなかった舌 日本霊異記」1977(平凡社名作文庫)
  • 「藤島の戦い」(『戦乱日本の歴史 5 南朝の悲史』小学館 1977年)(「義貞記」に改題し中公文庫『越前記』収録)
  • 『片しぐれの記』講談社 1978
  • 『わが風車』新潮社 1978 のち文庫
  • 『霊異十話』河出書房新社 1978 のち「乳病み」文庫(短編集)
  • 『水上勉対談集』毎日新聞社 1978
  • 『草の碑』現代史出版会 1978
  • 『土を喰ふ日々』文化出版局 1978 のち新潮文庫(随筆集)
  • 『今生の人びと』構想社 1978
  • 『水の幻想』日本書籍 1979
  • 『てんぐさお峰』中央公論社 1979 のち文庫
  • 『鳰の浮巣に』読売新聞社 1979 「古都暮色」角川文庫
  • 『虎丘雲巌寺』作品社 1979
  • 『山門至福』集英社 1979
  • 『片陰の道』現代史出版会 1979
  • 『金閣炎上』新潮社 1979 のち文庫
  • 『鳩よ』角川書店 1979
  • 『わが読書・一期一会』潮出版社 1979
  • 『落葉帰根』小沢書店 1979
  • 『軽井沢日記』三月書房 1979(随筆集)
  • 『冬の光景』毎日新聞社 1980 のち角川文庫
  • 『骨肉の絆』筑摩書房 1980
  • 『私版京都図絵』作品社 1980 のち福武文庫
  • 『京都古寺逍遥』平凡社 1980
  • 『草木の声』文化出版局 1980
  • 『椎の木の暦』中央公論社 1980 のち文庫
  • 『ものの聲ひとの聲 自伝的教育論』小学館 1980 のちライブラリー(エッセイ集)
  • 『父と子』朝日新聞社 1980-1981 文庫
  • 『停車場有情』角川書店 1980 のち朝日文芸文庫
  • 『水上勉戯曲集』中央公論社 1980
  • 『北京の柿』潮出版社 1981
  • 『谷捨蔵の憂鬱』講談社文庫 1981
  • 『母一夜』新潮社 1981 のち文庫
  • 『生きる日々』ぶどう社 1981
  • 『人の暦花の暦』毎日新聞社 1981
  • 『地の乳房』福武書店 1981 のち文庫
  • 『女ごころ風景』集英社文庫 1982(エッセイ集)
  • 『水上勉による水上勉』青銅社(試みの自画像)1982
  • 『昨日の雪』新潮社 1982
  • 『竹の精霊』小学館 1982(エッセイ集、写真中矢代憲子)
  • 『鬼のやま水 現代民話集』小学館 1982(民話集)
  • 『わが文学 わが作法 文学修行三十年』中央公論社 1982
  • 『働くことと生きること』東京書籍 1982(随筆集)
  • 『修験峡殺人事件』角川書店(カドカワノベルズ)1982 のち文庫
  • 白蛇抄』集英社 1982 のち文庫
  • 『草隠れ』構想社 1982
  • 『平家物語抄』学習研究社(日本の古典ノベルス)1982 のち文庫
  • 『若狭幻想』福武書店 1982 のち文庫
  • 『わが女ひとの記』平凡社 1983 のち文春文庫
  • 『金色の淵』潮出版社 1983 のち文庫
  • 『「般若心経」を読む』PHP研究所(21世紀図書館)1983 のち文庫
  • 『長い橋』新潮社 1983 のち文庫
  • 『京の夕立ち』集英社 1983 のち文庫
  • 『洛北女人館』主婦と生活社 1983
  • 『樹下逍遥』朝日新聞社 1984
  • 『京の思い出図絵』平凡社 1984
  • 『石よ哭け』径書房 1984
  • 『良寛』中央公論社 1984 のち文庫
  • 『鳥たちの夜』集英社 1984 のち文庫
  • 『波の暦』角川文庫 1985(『週刊新潮』1964年11月-1965年10月連載「島へ」改題)
  • 『絵ごよみ』実業之日本社 1986
  • 『箒川』新潮社 1986
  • 『閑話一滴』正続 PHP研究所 1986-1988 のち文庫(随筆集)
  • 『絵のある風景』中央公論社 1986
  • 『良寛を歩く』日本放送出版協会 1986 のち集英社文庫
  • 『秋夜』福武書店 1986 のち文庫
  • 『達磨の縄跳び』実業之日本社 1986
  • 『破鞋 雪門玄松の生涯』岩波書店 1986 のち同時代ライブラリー
  • 『若狭憂愁』実業之日本社 1986
  • 『瀋陽の月』新潮社 1986 のち文庫
  • 『沢庵』学習研究社(書きおろし歴史小説シリーズ)1987
  • 『風の来る道』実業之日本社 1987
  • 『一休・正三・白隠 高僧私記』ちくま文庫 1987
  • 『若狭日記』主婦の友社 1987
  • 『生きる日死ぬ日』福武書店 1987
  • 『芝居ごよみ』いかだ社 1987
  • 『一休文芸私抄』朝日出版社 1987 のち中公文庫
  • 『釈迦内柩唄』若州一滴文庫 のち新日本出版社
  • 『一休を歩く』日本放送出版協会 1988 のち集英社文庫
  • 『禅とは何か』新潮選書 1988
  • 『現代民話』平凡社 1988 のちライブラリー
  • 『若狭海辺だより』文化出版局 1989
  • 『才市』講談社 1989
  • 『私の履歴書』筑摩書房 1989
  • 『出町の柳』文藝春秋 1989 のち文庫
  • 『山の暮れに』毎日新聞社 1990 のち集英社文庫
  • 『マサテル』河出書房新社(メルヘンの森)1990
  • 『木の声草の声』家の光協会 1990
  • 『在所の桜』立風書房 1991
  • 『年々の竹』立風書房 1991
  • 『谷崎先生の書簡 ある出版社社長への手紙』中央公論社 1991 のち文庫 (嶋中雄作への手紙)
  • 『折々の散歩道」全3巻 小学館 (サライブックス)1993-1997
  • 『醍醐の桜』新潮社 1994(短編集)
  • 『心筋梗塞の前後』文藝春秋 1994 のち文庫(随筆集)
  • 『京都古寺』立風書房 1994
  • 『京都遍歴』立風書房 1994
  • 『骨壷の話』集英社 1994 のち文庫(エッセイ集)
  • 『わが別辞』小沢書店 1995
  • 『清富記』新潮社 1995 のち文庫
  • 『人は練磨によりて仁となる』プレジデント社(人生学読本)1995
  • 『文芸遠近』小沢書店 1995
  • 『私版東京図絵』朝日新聞社 1996 のち文庫
  • 『一日暮し』角川書店 1996 のち文庫
  • 『立往生のすすめ』倫書房 1996
  • 『精進百撰』岩波書店 1997 のち現代文庫(随筆集)
  • 『故郷』集英社 1997 のち文庫(『京都新聞』『福井新聞』他地方新聞 1987年7月-)
  • 『文壇放浪』毎日新聞社 1997 のち新潮文庫(随筆集)
  • 『京都花暦』立風書房 1998
  • 『電脳暮し』哲学書房 1999 のち光文社知恵の森文庫
  • 『小さな山の家にて』毎日新聞社 1999
  • 『説経節を読む』新潮社 1999
  • 『泥の花 「今、ここ」を生きる』河出書房新社 1999 のち文庫
  • 『越の道』河出書房新社(日本の風景を歩く)2000
  • 『若狭』河出書房新社(日本の風景を歩く)2000
  • 『丹波・丹後』河出書房新社(日本の風景を歩く)2000 
  • 『近江・大和』河出書房新社 2000(日本の風景を歩く)2000 
  • 『京都』河出書房新社(日本の風景を歩く)2000 
  • 『仰臥と青空 「老・病・死」を超えて』河出書房新社 2000
  • 『竹紙を漉く』文春新書 2001
  • 『虚竹の笛-尺八私考』集英社 2001 のち文庫
  • 『植木鉢の土』小学館 2003
  • 『たそ彼れの妖怪たち』幻戯書房 2003
  • 『花畑』講談社 2005
  • 『筑波根物語』河出書房新社 2006(横瀬夜雨のこと)
共著
  • 『末世を生きる』対談:山田無文 講談社 1974
  • 『宗教と人間を問う』 柳田邦男 ヘップ出版 1974
  • 『ふるさとの山河』 前田真三,田宮虎彦共著 毎日新聞社 1976
  • 『人生と宗教と文学と』 柳田聖山 日本実業出版社 1977
  • 『濁世の仏教』 中村元対談 朝日出版社 1980(Lecture books) のち学研M文庫
  • 『戦国合戦図』 日〓貞夫 保育社カラーブックス 1983
  • 『人の世は情けの貸し借り』 藤山寛美 小学館 1984
  • 『素心・素願に生きる』 広中平祐 小学館 1989
  • 『いのちの小さな声を聴け』 灰谷健次郎 新潮社 1990 のち文庫
  • 『文章修業』 瀬戸内寂聴 岩波書店 1997 のち知恵の森文庫
  • 『青空哲学 信州水玉問答』玉村豊男 岩波書店 1999
  • 『一滴の力水』不破哲三 光文社 2000
  • 『辞世の辞』ヘンリ・ミトワ ビジネス社 2003
  • 『「雁の寺」の真実』司修 朝日新聞社 2004
  • 『同じ世代を生きて 水上勉・不破哲三往復書簡』新日本出版社 2007
作品集
  • 『水上勉選集』全6巻 新潮社 1968
  • 『水上勉社会派傑作選』全5巻 朝日新聞社 1972-1973
  • 『水上勉全集』全26巻 中央公論社 1976-1978
  • 『水上勉仏教文集』全3巻 筑摩書房 1982
  • 『水上勉紀行文集』全8巻 平凡社 1982-1983
  • 『才市・簑笠の人』講談社文芸文庫 1994年
  • 『新編水上勉全集』全16巻 中央公論社 1995-1997
  • 『水上勉自選仏教文学全集』全5巻 河出書房新社 2002
  • 『水上勉作品集 日本の戦争』新日本出版社 2008年
  • 『水上勉作品集 城/蓑笠の人』新日本出版社 2008年

記念館[編集]

映画化作品[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 上杉佐一郎『連帯を求めて』p.62
  2. ^ 『働くことと生きること』
  3. ^ 水上勉『泥の花』
  4. ^ 私の昭和史 忘れ得ぬ人びと 人生一期一会(16) 根本圭助 web松戸よみうり
  5. ^ 私の昭和史 忘れ得ぬ人びと 人生一期一会(17) 根本圭助、web松戸よみうり
  6. ^ a b カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「水上勉」(1) 2013年3月5日放送
  7. ^ 山村正夫(『日本推理作家協会賞受賞作全集13 海の牙』双葉社 1995年)
  8. ^ 「水上勉の明大前を歩く」東京紅團
  9. ^ 毎日新聞、1973年1月4日。
  10. ^ 『朝日新聞』1986年2月26日(東京本社発行)朝刊、22頁。
  11. ^ 一滴「徒然草」 » 大飯町名誉町民称号の記(2015年8月11日閲覧)
  12. ^ 企画展「水上勉が描いた越前」|図書館 - 福井県立図書館・文書館・文学館(2015年8月11日閲覧)
  13. ^ a b 篠田一士「解説」(『霧と影』新潮文庫 1966年)
  14. ^ 酒井順子は『金閣寺の燃やし方』(講談社2010年)は人生は正反対だが、同じ題材で『五番町夕霧楼』・『金閣炎上』を書いた水上と『金閣寺を書いた三島由紀夫 を対照している。水上は『若狭幻想』の「おんどろどん」という音、三島は『仮面の告白 』で光りで生まれたばかりの記憶を描いている
  15. ^ 『金閣寺炎上』新潮文庫 1980年
  16. ^ a b 『わが文学 わが作法』
  17. ^ 『いのちの小さな声を聴け』
  18. ^ 「解説」(『野の墓標』集英社文庫 1978年)
  19. ^ 尾崎秀樹「解説」(『湖の琴』角川文庫 1968年)
  20. ^ 『弥陀の舞』角川文庫 1982年
  21. ^ 「愁いの詩人 水上勉」(『別冊新評 水上勉』)
  22. ^ 小松伸六解説(『霰』新潮社 1983年)
  23. ^ 『一滴の力水』
  24. ^ 『水上勉作品集 城/蓑笠の人』「編集者のまえがき」
  25. ^ 『竹の精霊』
  26. ^ 三島事件で自衛隊員たちが、「聞こえねえぞ」「降りてこい」と言われているのに檄を飛ばし続けた三島に対する返事として書いた作品。
  27. ^ 日本の古民家を台湾に移築 大地震の被災地交流が縁、47NEWS、2010/07/24[リンク切れ]

参考文献[編集]

  • 饗庭孝男木村光一『別冊新評 水上勉の世界 全特集』新評社 1978年
  • 大村彦次郎『文壇うたかた物語』筑摩書房 2007年
  • 大村彦次郎『文壇栄華物語』筑摩書房 2009年
  • 大村彦次郎『文壇挽歌物語』筑摩書房 2011年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]