川島永嗣

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川島 永嗣 Football pictogram.svg
Eiji Kawashima press conference.jpg
名前
愛称 エイジ、カワ
カタカナ カワシマ エイジ
ラテン文字 KAWASHIMA Eiji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1983年3月20日(31歳)
出身地 埼玉県与野市(現さいたま市中央区
身長 185cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム ベルギーの旗 スタンダール・リエージュ
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
ユース
1995-1997 与野西中学校
1998-2000 浦和東高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2003 日本の旗 大宮アルディージャ 41 (0)
2004-2006 日本の旗 名古屋グランパスエイト 17 (0)
2007-2010 日本の旗 川崎フロンターレ 113 (0)
2010-2012 ベルギーの旗 リールセ 53 (0)
2012- ベルギーの旗 スタンダール・リエージュ 57 (0)
代表歴2
2002-2003  日本 U-20 13 (0)
2007- 日本の旗 日本 54 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年4月6日現在。
2. 2014年3月5日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

川島 永嗣(かわしま えいじ、1983年3月20日 - )は、埼玉県与野市(現さいたま市中央区)出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパージュピラーリーグスタンダール・リエージュ所属。日本代表

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

少年時代は地元の与野八幡サッカースポーツ少年団で基礎を学ぶ。当時からゴールキーパー志望だったという。与野西中学校時代に本格的にキーパーのポジションを始めた。埼玉県選抜に選ばれ、ドイツオランダへ遠征を行った経験がある。その後埼玉県立浦和東高等学校へ進学し、3年の間に選手権国体高校総体と高校サッカー3大全国大会すべてに出場した。

学生時代の成績は優秀で、周囲からは大学進学を勧められていたが、プロでやっていくことを決断。しかし、地元浦和レッドダイヤモンズのセレクションは不合格となる。その後もうひとつの地元クラブである大宮アルディージャへの加入が決定。川島の獲得を決めたのは、当時大宮で強化部長の職にあった佐々木則夫(後にサッカー日本女子代表監督)である。

大宮アルディージャ[編集]

大宮加入後、イタリア・セリエAのクラブへ留学し、若手選手たちが出場する「ヴィニョーラ・トーナメント」に参加。チームは優勝を果たし、川島自身はベストゴールキーパーに選出された。この活躍を見たACパルマから移籍の打診があったが、この時は大宮側が断った。

2002年AFCユース選手権に出場するU-19日本代表に選出され、不動のレギュラーとして活躍。特に準決勝のウズベキスタン戦ではPK戦で2本止めるなど、獅子奮迅の活躍を見せた。2003年12月に行われたFIFAワールドユース選手権でも、イングランド戦、エジプト戦で数々のスーパーセーブを見せ、チームのベスト8進出に貢献した。この時の活躍はサッカー解説者のセルジオ越後、ジャーナリストの金子達仁といった辛口の論客たちをして「GKに関しては次世代のタレントは見つかった。川島君の存在は光でした」「川口能活以来じゃないの? ここまでGKがクローズアップされたのは」と言わしめた。

名古屋グランパス[編集]

2004年、複数舞い込んだ移籍話の中から、あえて日本代表の楢崎正剛がいる名古屋グランパスエイトに移籍。しかし、円熟期にあった楢崎の牙城は堅く、控えに甘んじる日々が続き、結果的にアテネオリンピックの代表メンバーからは外れた。

移籍後はカップ戦など出場機会が限られていたが、2006年セフ・フェルホーセン新監督のもと新たなスタートを切った名古屋において、2005年シーズン終盤に負傷した楢崎に代わって先発出場。楢崎が復帰した後も熾烈なレギュラー争いを続けた。このシーズンは結果的にリーグ戦10試合、Jリーグカップ4試合に出場。正GKの座は奪えなかったものの、その能力の高さを改めてアピールした。

川崎フロンターレ[編集]

2006年のシーズン終了後に、2007年シーズンにAFCチャンピオンズリーグ出場を控えている川崎フロンターレから獲得のラブコールを受けて当時の川崎のクラブ史上最高額となる1億5000万円の移籍金で完全移籍した。シーズン開幕から正GKとして全試合フル出場を続け、それまで川崎の弱点と見られていたポジションを補って余りある活躍を見せた。また移籍直後の2月14日には、川口、山岸範宏林彰洋らと共にA代表候補合宿に初招集され、3月19日にはペルー戦以降ベンチ入りし、AFCアジアカップ2007でもメンバーに選ばれた。

2008年2月17日東アジアサッカー選手権・対北朝鮮戦でA代表デビューを果たした。しかし、川崎のチームメイト(当時)である鄭大世にゴールを決められる複雑なデビューとなった。

2010年5月30日FIFAワールドカップ・南アフリカ大会前のテストマッチ・対イングランド戦でフランク・ランパードのPKを阻止するなど強豪相手に好セーブを連発する活躍を見せ、楢崎に代わり本大会での正GKの座を獲得した。本大会では、グループリーグ全3試合に出場、2失点(内、1点はデンマークヨン・ダール・トマソンのPKを防いで相手正面に弾いた際のこぼれ球による)という活躍でグループリーグ突破に貢献した。決勝トーナメント第1回戦のパラグアイ戦でも無失点に抑えたが、0−0のままPK戦となり、PK戦では5本全て決められ敗れた。

リールセSK[編集]

2010年7月7日ベルギージュピラーリーグ(1部)に昇格したばかりのリールセSKへ2年契約で完全移籍した[1]

2011年に開催されたアジアカップでも正GKとして起用されるものの、グループリーグ第2戦シリア戦では不可解な判定で退場し、準々決勝のカタール代表戦でも2失点するなど出来が危ぶまれた。しかし、準決勝の韓国戦のPK戦では相手のシュートを2本止め、決勝のオーストラリア戦では多くの好セーブを見せて無失点に抑え、マンオブザマッチに選出される活躍で日本代表の2大会ぶりの優勝に貢献した。

リールセでは開幕戦から正GKとして起用されたものの、チームはなかなか勝利に恵まれず、毎試合大量失点を喫するなど常に降格争いの渦中にいたが、最終節のクラブ・ブルッヘ戦で、無失点に抑える活躍を見せ、逆転で昇格1年目となったリールセの1部残留に貢献したことで、リールセのサポーターの選ぶチームMVPに選出された[2][3]

2011年8月19日、リーグ第4節ゲルミナル・ベールショット戦で、一部のゲルミナルサポーターが川島に対し「カワシマ、フクシマ!」と同年3月12日に発生した福島第一原発事故に絡めた野次を飛ばし、これに激昂した川島が相手サポーターと審判に猛抗議し、試合が一時中断する騒動が起こった[4][5]。これに対し、リールセはベルギーサッカー協会に抗議し[6]、騒動を起こしたゲルミナルは公式HPに日本語で謝罪文を掲載し[7]、9月にはゲルミナルのファノペン会長が直接川島に謝罪した[8]

10月14日よりリールセの主将に任命された。2011-12シーズンは、リーグ・カップ戦全36試合にフル出場し、前シーズンリーグワーストであった失点数も劇的に減るなど守備の要として2年連続での残留に貢献し[9]、2季連続でチームMVPに選出された[10]

スタンダール・リエージュ[編集]

2012年7月17日、ジュピラーリーグ4位(リールセは12位)のスタンダール・リエージュと3年契約を結び、同クラブへの完全移籍が発表された[11]。2012-13シーズンは移籍1年目ながらリーグ戦全試合にフル出場した。

人物[編集]

川崎に在籍していた2010年6月までは、Jリーグ選手協会副会長(2010年7月時点で最年少就任記録)を務めていた。

2011年には殺虫剤メーカー・フマキラー花粉対策商品「アレルシャット 花粉 鼻でブロック」CMキャラクターを務めた。

2013年にはJALカードのCMキャラクターを務めている。

趣味[編集]

海外のクラブに移籍する前から、下準備として日々英語イタリア語ポルトガル語などを勉強していた。2010年7月のリールセSKクラブハウスでの会見ではオランダ語と英語で挨拶をし、英語の質問に英語で答えており、本人も英語でコミュニケーションが取れるので問題ないと語っている。2010年8月にはNHK教育の番組『テレビでイタリア語』に出演し、イタリア語を披露している。ポルトガル語は川崎通訳の中山和也によれば、通訳を通さなくても会話できるレベルである[12]永井謙佑スタンダール・リエージュに入団する際の入団会見では通訳を務めた。報道ステーションのインタビューでは、英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語は日常会話レベルで話せ、オランダ語、フランス語を勉強中と語った[13]

エピソード[編集]

  • 市立与野西中学校の同級生には、元TBSアナウンサー青木裕子[14]、浦和東高校の同級生は俳優吉田友一がいる[15]
  • 吉田や高校時代のサッカー部の顧問によると、当時から時間さえあればトレーニングしていた彼は相手がいなくとも1人で練習に没頭していたという。川島がグラウンドで「フォワードあがれ~っ!」などと声を出しながらイメトレをしていたという。その光景を見た顧問は、「電気代が無駄だから早く帰れ」と言ったという。また「同時にちょっとおかしいんじゃないかと思った」と当時について述懐している。
  • 2006年末、怪我のリハビリも兼ねて練習試合に何度かフォワードとして出場したが、4試合で3ゴール1アシストを決め、周囲を驚かせた。また、GKのポジションでは試合中行う機会はほとんどないヘディングも得意としており、チームメイトのFW矢島卓郎に対してヘディングシュートのコーチ役を務めたこともある[16]
  • 2008年、FIFA公認選手代理人清岡哲朗と契約した。
  • 更に同年12月、大宮在籍時の2001年にイタリアに短期留学した際に出会った代表GKジャンルイジ・ブッフォンの育ての親でもあるエルメ・フルゴーニ(現モデナFCGKコーチ)からマンツーマン指導を受ける為、自費で単身イタリア・パルマに渡った。フルゴーニの自宅に約1週間泊まり込んで、連日土のグラウンドで猛特訓を受けたという。2001年から独学でイタリア語を勉強。フルゴーニからはことあるごとにメールで助言を受けており、その師匠からは「守るのではなく攻めろ」と、サイドからのクロスボールなどに対して攻撃的に守ることを徹底された。
  • 趣味が語学とも述べ、他にも様々なジャンルの本を読んでいる。栄養学等も勉強し、自炊しているという。トークショーで中村憲剛は、川島について「エイジは一人で何でも出来るから自己完結しちゃう」と評していた。
  • 川崎フロンターレ在籍時には、ホームでの試合のたびに自腹で席を購入し、ボランティアで孤児や闘病中の子供たちを試合に招いていた。この席は「川島シート」と呼ばれていた。
  • 2011年1月29日のアジア杯優勝後に、選手全員が受け取る優勝カップ(小)にポカリスエットを入れて飲んでいた事が吉田麻也のブログで写真付きで公開された。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
  • 1987年 - 1992年 ジャクパ淑徳与野クラブ
  • 1992年 - 1995年 与野八幡サッカースポーツ少年団
  • 1995年 - 1998年 与野西中学校
  • 1998年 - 2001年 埼玉県立浦和東高等学校
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2001 大宮 22 J2 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 21 8 0 - 4 0 12 0
2003 33 0 - 0 0 33 0
2004 名古屋 22 J1 4 0 8 0 0 0 12 0
2005 3 0 6 0 1 0 10 0
2006 10 0 4 0 0 0 14 0
2007 川崎 1 34 0 3 0 4 0 41 0
2008 34 0 1 0 1 0 36 0
2009 34 0 3 0 1 0 38 0
2010 11 0 - - 11 0
ベルギー リーグ戦 リーグ杯 ベルギー杯 期間通算
2010-11 リールセ 1 ジュピラー 23 0 - 2 0 25 0
2011-12 30 0 - 6 0 36 0
2012-13 リエージュ 30 0 - 0 0 30 0
2013-14 -
通算 日本 J1 130 0 25 0 7 0 162 0
日本 J2 41 0 - 4 0 45 0
ベルギー ジュピラー 83 0 - 8 0 91 0
総通算 254 0 25 0 19 0 298 0
その他の試合
  • 2011年
    • ベルギーリーグ・プレーオフ(5試合)
  • 2012年
    • ベルギーリーグ・プレーオフ(6試合)
  • 2013年
    • ベルギーリーグ・プレーオフ(10試合)
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2007 川崎 1 7 0
2009 9 0
2010 6 0
UEFA UEFA EL
2013-14 リエージュ 1 7 0
通算 AFC 22 0
通算 UEFA 7 0

その他の国際公式戦

経歴[編集]

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2008 1 0
2009 7 0
2010 8 0
2011 12 0
2012 11 0
2013 14 0
2014 1 0
通算 54 0

出演[編集]

CM[編集]

  • フマキラー「アレルシャット 花粉 鼻ブロック」[マスク] (2011年)

イメージキャラクター[編集]

受賞歴[編集]

注釈[編集]

  1. ^ GK川島、今季からベルギーでプレーUEFA.com、2010年7月8日
  2. ^ 川島がサポーターの選ぶ「リールス年間最優秀選手」に 苦しいシーズンの最後につかんだEL出場の挑戦権 スポーツナビ、2011年5月1日
  3. ^ <欧州を震撼させたニッポン人> 川島永嗣 「大量失点でMVPの理由」 Number Web、2011年5月31日
  4. ^ 川島が侮辱的行為に涙…相手ファンが「カワシマ、フクシマ!」と挑発SOCCER KING 2011年8月20日
  5. ^ スポーツ報知 2011年8月21日付8頁「川島、相手サポーターの『フクシマ』コールに激怒」]
  6. ^ 川島のリールス、“フクシマ”コールに抗議「尊厳の範疇を超えた出来事」SOCCER KING 2011年8月24日
  7. ^ 川島に「フクシマ!」コールのゲルミナルがHPに日本語の謝罪文を掲載SOCCER KING 2011年8月26日
  8. ^ 「カワシマ、フクシマ!」の野次を浴びせたクラブが川島に直接謝罪SOCCER KING 2011年9月22日
  9. ^ 全試合フル出場の川島「最低限のラインはクリア」 リールス、守備の安定で余裕の1部残留 スポーツナビ、2012年3月22日
  10. ^ リールス川島が2季連続でサポーター投票によるMVPに選出SOCCER KING 2012年5月6日
  11. ^ 川島がベルギー4位スタンダールに移籍日刊スポーツ、2012年7月18日付
  12. ^ F-スポット - ピックアッププレイヤー : 2010 vol.04 通訳/中山和也(川崎フロンターレ公式サイト、2010年)
  13. ^ 川島永嗣(サッカー) 好セーブで試合作る - 武内絵美コラム「戦士のほっとタイム」 asahi.com2011年6月14日付。
  14. ^ 青木がラジオ番組で発言。また、2011年2月6日放送のサンデー・ジャポンでも言及されており、当時川島が交際を申し入れたが断ったと語られている。
  15. ^ GK川島永嗣の高校時代。孤独な練習を見守った意外な人物 ライブドアニュース 2010年7月10日配信
  16. ^ 川崎F矢島がヘッド特訓、関塚監督が指導(日刊スポーツ、2009年7月15日付)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]