西野朗

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西野 朗 Football pictogram.svg
名前
カタカナ ニシノ アキラ
ラテン文字 NISHINO Akira
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1955年4月7日(61歳)[1]
出身地 埼玉県浦和市 (現:さいたま市)[1]
身長 182cm
体重 72kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1971-1973 埼玉県立浦和西高校
1974-1978 早稲田大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1978-1990 日立製作所
代表歴
1974-1978[1] 日本の旗 日本 12 (1)
監督歴
チーム
1991-1992  日本 U-20
1994-1996  日本 U-23
1998-2001 柏レイソル
2002-2011 ガンバ大阪
2012 ヴィッセル神戸
2014-2015 名古屋グランパス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

西野 朗(にしの あきら、1955年4月7日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは主に攻撃的ミッドフィールダー(MF)。

来歴[ソースを編集]

選手時代[ソースを編集]

埼玉県立浦和西高等学校を経て、早稲田大学教育学部に入学して、ア式蹴球部に所属。在学中に日本代表に選出された。1978年日立製作所へ加入以降はプレーに精彩を欠き伸び悩む。その後、復活を果たし1985年に日本サッカーリーグタイ記録の8試合連続得点をあげベストイレブンにも選出された。また、晩年にはスイーパーを務めることもあった。しかし、天才肌のMFである一方で淡白な部分があり、日立加入初年の1978年を最後に日本代表には呼ばれず、1990年に現役を引退した。

指導者時代[ソースを編集]

1991年からU-20日本代表監督を務め、1994年に、アトランタオリンピック本大会出場を目指すU-23日本代表監督に就任。28年ぶりとなる本大会出場、本大会でのブラジル戦での勝利(マイアミの奇跡)で名を挙げる。

1998年に日立製作所を前身とする柏レイソルの監督に就任し、1999年にはナビスコカップ優勝に導き、クラブ・西野自身にとって初のタイトルを獲得する。2000年はタイトルこそ獲得出来なかったが、2ndステージは鹿島アントラーズと最後まで優勝争いを繰り広げ、2位というクラブ史上最高の成績を残し(年間獲得勝ち点は1位であった)、自身初となるJリーグ最優秀監督に選ばれた。しかし、翌2001年の1stステージは6位に終わり、1stステージ終了後に成績不振を理由に解任された。

2002年よりガンバ大阪の監督に就任。Jリーグ開幕以降タイトルと無縁だったクラブを上位陣に押し上げ、就任4年目の2005年にG大阪と自身にとっても初となるJ1リーグ優勝を達成し(2005年J1最終節)、2度目のJリーグ最優秀監督賞を受賞。2006年は終盤まで、浦和と優勝争いを展開するも、最終節での直接対決で敗れリーグ連覇を逃す。2007年にはナビスコカップ優勝を達成し、3月3日の大宮戦で、Jリーグの監督として史上初となるJ1通算150勝を達成(内訳:柏 67勝、G大阪 83勝)。

2008年にはAFCチャンピオンズリーグを制し、AFCからアジア最優秀監督に選ばれ、FIFAクラブワールドカップ2008準々決勝のアデレード・ユナイテッドFC戦では、日本人監督としてFIFA主催の公式大会で初めて勝利を挙げた[2]。更に、天皇杯優勝を達成し、国内3大タイトルの全てを制覇した。またこの年、Jリーグクラブの監督在任最長期間記録(トニーニョ・セレーゾ 鹿島監督)を更新した。

2009年12月5日の千葉戦で、J1通算200勝を達成。さらに、この年の天皇杯を制し、天皇杯連覇を達成した。

2010年は開幕前からケガ人が相次いだ影響などにより、前半戦は絶不調に陥るが、後半戦は持ち直し、リーグ2位に押し上げる。しかし、天皇杯3連覇を逃し、2006年以来4年ぶりにシーズン無冠に終わった。就任10年目で迎えた2011年も無冠に終わりガンバから同年限りで契約満了(事実上の解任)を通告された。

2012年5月19日、成績不振により解任された和田昌裕の後任としてヴィッセル神戸の監督に就任。しかし、同年11月8日成績不振により解任[1]。尚、2012年の残り試合は、コーチの安達亮が指揮を執る事になった[3]

2014年シーズンから名古屋グランパスの監督に就任[4]。2シーズン指揮を執ったが好成績を残せず、内容を含めチームは停滞[5]。2015年末、契約期間満了(事実上の解任)により退任した。

なお2015年末現在のJリーグ監督通算勝利数270勝は、歴代1位となっている。

日本サッカー協会[ソースを編集]

2016年3月、日本サッカー協会(JFA)の理事に就任し、技術委員長に就任[6]

所属クラブ[ソースを編集]

個人成績[ソースを編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1978 日立 JSL1部 13 1
1979 12 0
1980 15 6
1981 8 1
1982 15 4
1983 18 2
1984 17 2
1985 22 12
1986-87 17 1
1987-88 JSL2部
1988-89 2
1989-90 32 JSL1部 6 0 0 0
通算 日本 JSL1部 143 29
日本 JSL2部
総通算

代表歴[ソースを編集]

出場大会など[ソースを編集]

試合数[ソースを編集]

  • 国際Aマッチ 12試合 1得点 (1974年-1978年)[1]


日本代表 国際Aマッチ その他 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1974 0 0 6 2 6 2
1975 0 0 0 0 0 0
1976 0 0 0 0 0 0
1977 4 0 23 3 27 3
1978 8 1 8 1 16 2
通算 12 1 37 6 49 7

得点数[ソースを編集]

# 年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1 1978年7月21日 マレーシアクアラルンプール マレーシアの旗 マレーシア 1-4 敗戦 ムルデカ大会

指導歴[ソースを編集]

監督成績[ソースを編集]

年度 所属 試合 勝点 得点 失点 順位
(チーム数)
ナビスコ杯 天皇杯 他公式戦 クラブ
ステージ 年間
1998 J1 1st 17 22 9 - 8 32 35 10位 8位
(18)
4回戦敗退 予選敗退 - 柏レイソル
J1 2nd 17 25 9 - 8 24 26 8位
1999 J1 1st 15 29 10 0 5 26 18 4位 3位
(16)
優勝 ベスト4 -
J1 2nd 15 29 10 1 4 23 18 4位
2000 J1 1st 15 26 10 0 5 25 22 4位 3位
(16)
4回戦敗退 2回戦敗退 -
J1 2nd 15 32 11 1 3 23 10 2位
2001 J1 1st 15 22 8 0 7 29 23 6位 6位
(16)
3回戦敗退 - -
J1 2nd - - - - - - - -
2002 J1 1st 15 27 9 1 5 35 19 4位 3位
(16)
ベスト4 4回戦敗退 - ガンバ大阪
J1 2nd 15 27 10 0 5 24 13 2位
2003 J1 1st 15 16 4 4 7 26 29 12位 10位
(16)
ベスト8 4回戦敗退 -
J1 2nd 15 23 6 5 4 24 17 7位
2004 J1 1st 15 24 7 3 5 31 23 4位 3位
(16)
ベスト8 ベスト4 -
J1 2nd 15 27 8 3 4 38 25 3位
2005 J1 34 60 18 6 10 82 58 優勝
(18)
準優勝 ベスト8 -
2006 J1 34 66 22 6 8 80 48 3位 (18) ベスト8 準優勝 スーパーカップ 準優勝
ACL2006 予選敗退
A3カップ2006 準優勝
2007 J1 34 67 19 10 5 71 37 3位 (18) 優勝 ベスト4 スーパーカップ 優勝
2008 J1 34 50 14 8 12 46 49 8位 (18) ベスト4 優勝 パンパシ2008 優勝
スルガCS 準優勝
ACL2008 優勝
FCWC2008 3位
2009 J1 34 60 18 6 10 62 44 3位 (18) ベスト8 優勝 スーパーカップ 準優勝
ACL2009 ベスト16
2010 J1 34 62 18 8 8 65 44 2位 (18) ベスト8 ベスト4 スーパーカップ 準優勝
ACL2010 ベスト16
2011 J1 34 70 21 7 6 78 51 3位 (18) ベスト4 3回戦敗退 ACL2011 ベスト16
2012 J1 19 21 5 6 8 24 28 -位 (18) GL敗退 2回戦敗退 ヴィッセル神戸
2014 J1 34 48 13 9 12 47 48 9位 (18) GL敗退 ベスト8 - 名古屋グランパス
2015 J1 1st 17 22 6 4 7 18 18 9位 10位
(18)
ベスト8 2回戦敗退 -
J1 2nd 17 24 7 3 7 26 30 10位
通算 524 - 270 91 164
  • 2001年は、J1 1st終了後に解任。
  • 2012年は、第13節から第31節まで指揮。
  • 赤太字はJ通算及びJ1トップ

タイトル・受賞[ソースを編集]

クラブ[ソースを編集]

柏レイソル
ガンバ大阪

受賞[ソースを編集]

著書[ソースを編集]

CM出演[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n “監督交代のお知らせ” (プレスリリース), ヴィッセル神戸, (2012年11月8日), http://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/4670.html 2014年8月29日閲覧。 
  2. ^ 年代別、女子大会を除く
  3. ^ サッカーJ1神戸、西野監督解任DAILYSPORTONLINE 2012年11月8日配信記事(配信日に閲覧))
  4. ^ 名古屋グランパス新監督に西野朗氏就任内定のお知らせ 名古屋グランパス 2013.12.14(2013年12月14日閲覧)
  5. ^ 停滞 西野体制2年間の裏で(上)苦しい編成 最低限の結果 - ウェイバックマシン(2015年11月27日アーカイブ分)中日スポーツ (2015年11月27日)
  6. ^ JFAが新体制を発表…副会長に岡田武史氏、技術委員長に西野朗氏の就任が内定

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]

先代:
霜田正浩
日本サッカー協会 技術委員長
2016年 -
次代:
現職