トルステン・フィンク

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トルステン・フィンク Football pictogram.svg
Thorsten Fink.PNG
2013年のフィンク
名前
ラテン文字 Thorsten Fink
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1967-10-29) 1967年10月29日(51歳)
出身地 ドルトムント
身長 181cm
選手情報
ポジション MF (CH)
利き足 右足
ユース
1976-1983 ドイツの旗 SVローランド・マルテン
1983-1986 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986-1986 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムントII
1989-1994 ドイツの旗 SGヴァッテンシャイト 162 (26)
1994-1997 ドイツの旗 カールスルーエSC 92 (11)
1997-2004 ドイツの旗 FCバイエルン・ミュンヘン 150 (4)
2003-2006 ドイツの旗 FCバイエルン・ミュンヘンII 86 (6)
通算 490 (47)
代表歴
1989 ドイツの旗 ドイツ U-21 1 (0)
監督歴
2006-07 オーストリアの旗 FCレッドブル・ザルツブルク II
2007-08 オーストリアの旗 FCレッドブル・ザルツブルク(コーチ)
2008-09 ドイツの旗 FCインゴルシュタット04
2009-11 スイスの旗 FCバーゼル
2011-13 ドイツの旗 ハンブルガーSV
2015 キプロスの旗 APOELニコシア
2015- オーストリアの旗 FKアウストリア・ウィーン
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

トルステン・フィンクThorsten Fink, 1967年10月29日 - )はドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ドルトムント出身の元サッカー選手。現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダーボランチ)。

現在はオーストリア・ブンデスリーガFKアウストリア・ウィーンの監督を務めている。

選手経歴[編集]

地元クラブのSVローランド・マルテンでサッカーを始め、16歳でドイツ・ブンデスリーガに属するボルシア・ドルトムントの育成アカデミーに入った。18歳でプロ契約を結びセカンドチームでもプレーしたもののトップチームでのプレーは無かった。

SGヴァッテンシャイト[編集]

21歳で当時ドイツ・ブンデスリーガ2部に属していたSGヴァッテンシャイトに移籍。同クラブでは主力のボランチとして活躍し、125試合に出場。ドイツ・ブンデスリーガへの昇格を果たした。現在でも同クラブのドイツ・ブンデスリーガ1部最多出場記録を保持している。

カールスルーエSC[編集]

1994年夏、同じく当時ドイツ・ブンデスリーガ1部に属していたカールスルーエSCに移籍。同クラブではリーグ戦の他にもDFBポカールUEFAカップにも出場し、公式戦120試合で19得点7アシストを記録した[1]

FCバイエルン・ミュンヘン[編集]

1997年7月、同僚のミヒャエル・タルナトと共にFCバイエルン・ミュンヘンに移籍した。 ちなみに1991年から1997年までは例年のようにオリヴァー・カーンオリヴァー・クロイツァーメーメット・ショルミヒャエル・シュテルンコプフカールスルーエSCの主力選手がFCバイエルン・ミュンヘンに移籍していたが、フィンクの移籍以降今日までこの流れで移籍した選手はいない [2]

FCバイエルン・ミュンヘンではジョバンニ・トラパットーニ監督及びオットマー・ヒッツフェルト監督の信頼を勝ち取り、7シーズンに亘って主力の守備的ミッドフィルダーとしてシュテファン・エッフェンベルクカルステン・ヤンカーエウベルハサン・サリハミジッチアレクサンダー・ツィックラーバスティアン・シュヴァインシュタイガーらで構成される攻撃陣を中盤の底から支えた。

リーグ戦の他にもDFBポカールUEFAチャンピオンズリーグを含めた公式戦236試合に出場し9得点11アシストを記録[3]トヨタカップUEFAチャンピオンズリーグで優勝を果たした他、ドイツ・ブンデスリーガ優勝4回、DFBポカール優勝3回、DFBリーガポカール優勝5回と輝かしい実績を残した。

2003-04年シーズンより当時ドイツ3部にあたったドイツ・レギオナルリーガに属していた同クラブのセカンドチームに所属。基本若手選手のみから構成されるチームで若手をリードする経験豊富なキャプテンとして3シーズンに亘ってプレー。公式戦90試合に出場した。

膝の怪我の影響もあり、2006年7月に現役を引退した。

監督経歴[編集]

FCレッドブル・ザルツブルク[編集]

2006年9月オーストリア・ブンデスリーガに属するFCレッドブル・ザルツブルクで当時スポーツディレクターを勤めていたオリヴァー・クロイツァーに誘われ、同クラブのセカンドチームに当たるFCレッドブル・ザルツブルク・ジュニアーズの監督に就任。オーストリア3部にあたるオーストリア・レギオナルリーガ西部 で優勝し、2部にあたるエアステリーガへの昇格を果たした。同クラブ在籍2年目になる2007-08年シーズンはジョバンニ・トラパットーニ監督の下トップチームのコーチを務めた。

FCインゴルシュタット04[編集]

2008年1月、当時ドイツ3部にあたるドイツ・レギオナルリーガに属していたFCインゴルシュタット04の監督に就任。ドイツ・ブンデスリーガ2部への昇格を果たした。

FCバーゼル[編集]

2009年7月スイス・スーパーリーグFCバーゼルの監督に就任。同リーグでの2連覇を果たし、2009-10年シーズンではスイス・カップでも優勝した。2009-10年シーズンにはリーグ戦36試合で90得点を記録し、スイス・スーパーリーグの最多得点記録を更新した。

2009-10年シーズンにはUEFAヨーロッパリーグ本大会、2010-11年シーズンと2011-12年シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ本大会出場を果たし、ASローマ等を破りマンチェスター・ユナイテッドとはグループリーグで引き分けた。

ハンブルガーSV[編集]

2011年10月17日ドイツ・ブンデスリーガに属するハンブルガーSVの監督に就任した。FCバーゼルとの契約が残っていたが、ハンブルガーSVが違約金を支払うことでフィンクの監督就任を実現させた。監督就任当時、ハンブルガーSVはリーグ最下位の位置にあったが、シーズン中での建て直しに成功し1部残留を達成した。

2012-13年シーズンでは最終節にUEFAヨーロッパリーグ出場権を逃したものの、最終順位を7位に引き上げた。

APOELニコシア[編集]

2015年1月ファーストディビジョンAPOELニコシアの監督に就任。リーグ戦では首位、カップ戦では決勝に進んだものの、リーグ優勝が決まる直前に解任された。その数日後にチームはリーグ及びカップ戦で優勝した。

FKアウストリア・ウィーン[編集]

2015年7月オーストリア・ブンデスリーガFKアウストリア・ウィーンの監督に就任。2015-16年シーズンではリーグ3位、2016-17年シーズンでは準優勝を果たした。

2016-17年シーズン及び2017-18年シーズンでは2年連続でUEFAヨーロッパリーグの最終予選を突破し本大会のグループリーグに出場。AFCアストラ・ジュルジュHNKリエカローゼンボリBKらを相手に勝利を収め、ASローマとはグループリーグで引き分けた[4]

エピソード[編集]

獲得タイトル(選手として)[編集]

ボルシア・ドルトムント
  • ドイツU16ブンデスリーガ 優勝:1回 (1983-84)
FCバイエルン・ミュンヘン

獲得タイトル(監督として)[編集]

FCレッドブル・ザルツブルク・ジュニアーズ(セカンド)
FCインゴルシュタット04
FCバーゼル
FKアウストリア・ウィーン

監督成績[編集]

2017年12月10日現在
クラブ 就任 退任 記録
試合数 勝利 引分 敗北 得点 失点 点差 勝率
FCレッドブル・ザルツブルク・ジュニアーズ 2006年09月04日 2007年6月17日 28 25 1 2 97 28 +69 089.29
FCインゴルシュタット04 2008年1月5日 2009年4月21日 44 16 11 17 55 61 −6 036.36
FCバーゼル 2009年7月1日 2011年10月16日 120 76 22 22 283 146 +137 063.33
ハンブルガーSV 2011年10月17日 2013年9月17日 68 23 18 27 85 111 −26 033.82
APOELニコシア 2015年1月10日 2015年5月11日 15 7 5 3 24 14 +10 046.67
FKアウストリア・ウィーン 2015年7月1日 125 61 21 43 243 186 +57 048.80
合計 400 208 78 114 787 546 +241 52.00

脚注[編集]

  1. ^ [1] Games Karlsruher SC
  2. ^ [2] Transfers KSC
  3. ^ [3] Games FC Bayern Muenchen
  4. ^ [4] Leistungsdaten international
  5. ^ [5] Leistungsdaten international

外部リンク[編集]