柳想鐵

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柳 想鐵 Football pictogram.svg
名前
カタカナ ユ・サンチョル
ラテン文字 Yu Sang Cheol
ハングル 유상철
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
生年月日 (1971-10-18) 1971年10月18日(47歳)
出身地 ソウル特別市
身長 184cm
体重 78kg
選手情報
ポジション MF / DF / FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1998 大韓民国の旗 蔚山現代FC 105 (24)
1999-2000 日本の旗 横浜F・マリノス 44 (24)
2001-2002 日本の旗 柏レイソル 33 (14)
2002-2003 大韓民国の旗 蔚山現代FC 18 (12)
2003-2004 日本の旗 横浜F・マリノス 36 (6)
2005 大韓民国の旗 蔚山現代 18 (1)
代表歴
1994-2004 大韓民国の旗 韓国 (18)
監督歴
2011-2012 大韓民国の旗 大田シチズン
2017-2018 大韓民国の旗 全南ドラゴンズ
1. 国内リーグ戦に限る。2006年1月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

柳 想鐵(ユ・サンチョル、Yoo Sang-Chul유상철1971年10月18日 - )は、韓国出身の元サッカー選手、サッカー指導者。建国大学校卒業。

略歴[編集]

現役時代は主に守備的ミッドフィールダーとして活躍。フォワードディフェンダーとして出場する事も多く[1]ゴールキーパー以外どのポジションでもこなせるマルチプレーヤーだった。

1999年、横浜F・マリノスに加入し2000年のファーストステージでは、優勝を経験。2000年のシーズン終了後、チームを退団。

2001年洪明甫から誘われて[1]柏レイソルに加入。黄善洪も含め、韓国代表選手3名が揃う陣容となったが、翌年開催のワールドカップのために力を入れたことでコンディションを落とし[2]、また柳は主将の洪よりも大学の先輩である黄を慕ったため、洪がやや孤立[2]。成績下降の一因となった[2]。ワールドカップ後のヨーロッパ進出を図って、2002年シーズン途中に柏を退団したが失敗に終わった[1]

FIFAワールドカップに2度出場(19982002)。2002年大会では洪明甫と共に16人のオールスターチームに選ばれた。2003年の東アジア選手権では大会MVPに輝いた。

2006年3月4日に、膝の故障を理由に現役引退を表明した。

2009年から春川機械工業高等学校サッカー部監督を務め、2011年7月よりKリーグ大田シチズン監督に就任。2012年シーズン終了で退任。

2014年より蔚山大学校サッカー部監督を務めた。2017年12月4日、Kリーグ・全南ドラゴンズの監督に就任した。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
1994 蔚山現代 Kリーグ 26 5
1995 33 2
1996 6 1
1997 17 1
1998 6 23 15
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 横浜FM 8 J1 22 7 3 0 3 1 28 8
2000 22 17 6 4 3 0 31 21
2001 24 9 1 0 0 0 25 9
2002 6 9 5 0 0 0 0 9 5
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2002 蔚山現代 66 Kリーグ 8 9
2003 6 10 3
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 横浜FM 2 J1 17 6 3 0 2 0 22 6
2004 8 19 0 2 0 1 0 22 0
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2005 蔚山現代 6 Kリーグ 18 1
通算 韓国 Kリーグ 135 37
日本 J1 113 44 15 4 9 1 137 49
総通算 248 81

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2004 横浜FM 8 4 1
通算 AFC 4 1

個人タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『DECADE 柏レイソル10年史』 文化工房星雲社2004年、157頁。
  2. ^ a b c 『DECADE 柏レイソル10年史』 文化工房星雲社2004年、101頁。