サッカー大韓民国代表
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国または地域 |
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協会 | 大韓サッカー協会 | |||
FIFAコード | KOR | |||
愛称 | アジアの虎、太極戦士 | |||
監督 |
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最多出場選手 |
車範根 洪明甫(136試合) | |||
最多得点選手 | 車範根(58[1]得点) | |||
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初の国際試合 | ||||
![]() ![]() (ロンドン, イングランド; 1948年8月2日) | ||||
最大差勝利試合 | ||||
![]() ![]() (仁川, 大韓民国; 2003年9月29日) | ||||
最大差敗戦試合 | ||||
![]() ![]() (ロンドン, イングランド; 1948年8月5日) | ||||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 11回(初出場は1954) | |||
最高成績 | 4位 (2002) | |||
AFCアジアカップ | ||||
出場回数 | 14回 | |||
最高成績 | 優勝 (1956, 1960) | |||
朝: 대한민국 축구 국가대표팀)は、大韓サッカー協会(KFA)によって構成される大韓民国(韓国)のサッカーのナショナルチームである。アジアサッカー連盟(AFC)および東アジアサッカー連盟(EAFF)所属。
(サッカーだいかんみんこくだいひょう、概要
チームカラーは赤で、愛称は協会のシンボルである虎にちなんだ「アジアの虎」아시아의 호랑이 (アシアエ・ホランイ)、あるいは韓国国旗の別名「太極旗(テグッキ、태극기)」に由来する「太極戦士(テグッ・ジョンサ、태극전사)」である。また代表サポーターは「Red Devils」という愛称で呼ばれ、正式にこの集団は「붉은악마(プルグン・アンマ:赤い悪魔)」と命名された。
FIFAワールドカップ出場11回はアジア地区で最多である。なお、韓国代表のユニフォームは1996年からは大手スポーツメーカーのナイキが手掛けている。
歴史
FIFAワールドカップについて
FIFAワールドカップには、当時の李承晩大統領が日本代表選手の韓国入国を拒否したため、2試合とも日本で行われた1954年スイス大会予選に1勝1分で勝利し初出場したが、スイスまでの移動に列車と船で日本を経由、さらにはエールフランス機からアメリカ合衆国空軍機まで乗り継ぎ1週間を要した上、試合開始十数時間前に到着するという悪条件だった上、当時「マジック・マジャール」と呼ばれ3年間で32試合無敗を誇っていたハンガリーと初戦を戦うことになり、FIFAワールドカップ史上最悪記録となる0-9の大差で大敗、続くトルコとの試合でも0-7で敗れた。
2度目の出場は、1986 FIFAワールドカップ(32年ぶり)であり、1次リーグでアルゼンチン、イタリアに敗れたが、ブルガリアに引き分けて初の「勝点1」を獲得した。
1990 FIFAワールドカップは3連敗、1994 FIFAワールドカップは1敗2分、1998 FIFAワールドカップは2敗1分でいずれもグループリーグで敗退した。
2002 FIFAワールドカップはオランダ人のフース・ヒディンクが監督を務め、初戦のポーランド戦に2-0で勝利(W杯初勝利)。また、ポルトガルにも勝利を収めて、グループリーグを2勝1分の首位で突破。決勝トーナメント1回戦は、イタリアに延長戦の末安貞恒のゴールデンゴールで下し、続く2回戦はスペインと対戦してPK戦の末破り、アジア勢として初めてのベスト4に進出するも準決勝はドイツの前に惜敗を喫した。3位決定戦でもトルコに敗れたが過去最高の4位となった。だが、イタリア戦、スペイン戦では誤審が取り沙汰され、特に当事者のイタリア、スペインにおいては韓国に対する一種の陰謀論も起こった。当時の主審は後にテレビ番組内で誤審だったと認めている。FIFAはこの件を調査し、不正はないという結論を出している。(詳細は2002 FIFAワールドカップの項を参照)。韓国はチームとしては大会に参加したチームの中で最もファンを魅了したとされるチームに贈られるエンターテイニングチーム賞を受賞し、個人では洪明甫と柳想鐵がオールスターチームの先発メンバーに選出された。なお、洪は大会最優秀選手を決める記者投票でオリバー・カーン、ロナウドに次いで3位になり、ブロンズボールを受賞した。
2006 FIFAワールドカップは、初戦のトーゴ戦に2-1で逆転勝利し自国大会以外でのワールドカップ初勝利を挙げた。2戦目のフランス戦では、先制されるも後半で同点に追い付き引き分けに持ち込んだ。しかし、最終戦のスイス戦では堅守を崩すことができず0-2で敗北。フランスとスイスが無敗だったため、1勝1分1敗の3位に終わりグループリーグでの敗退が決まった。
2010 FIFAワールドカップは初戦のギリシャ戦に2-0で快勝し、韓国人監督(許丁茂)でのワールドカップ初勝利を挙げた。しかし、2戦目のアルゼンチン戦では相手の攻撃に耐えられず1-4と完敗した。最終戦のナイジェリア戦では相手の猛攻に耐えながら2-2で引き分け、1勝1分1敗でグループリーグB組を2位で通過して自国大会以外でのワールドカップグループリーグ通過を果たした。決勝トーナメント1回戦ではウルグアイと対戦して1-2で敗退した。
2014 FIFAワールドカップは初戦のロシアと引き分けたが、2戦目のアルジェリアと最終戦のベルギーに敗れ、2敗1分の成績で4大会ぶりに1勝もすることができず、グループリーグでの敗退が決まった。
2018 FIFAワールドカップは、グループFで初戦スウェーデン戦に0-1、2戦目メキシコ戦に1-2と連敗。尚、メキシコ戦では大会最多ファウル数を記録し話題になった。自力でのグループリーグ突破が不可能となった3戦目のドイツ戦ではGKチョ・ヒョヌの再三の好セーブなどで後半アディショナルタイムまで0-0の状態から、93分にキム・ヨングォンのゴールが一旦オフサイドと判定されるもVARにより判定が覆り先制。勝たなければグループリーグ敗退が決まるドイツがパワープレイに出た96分には、韓国陣内にいたドイツGKマヌエル・ノイアーからボールを奪い前線にフィード、追いついたソン・フンミンが無人のゴールに蹴り込み2-0とし、そのまま試合終了。スウェーデン、メキシコが共に勝点6で3戦目を終えたためグループF3位に終わり、2大会連続でグループリーグ敗退となった。
2022 FIFAワールドカップは、グループHに入りポルトガル、ガーナ、ウルグアイと同じ組に入った。初戦でウルグアイに0-0で引き分け、2戦目のガーナ戦では前半に2失点を喫し、後半にはチョ・ギュソンの2ゴールで追いつくも勝ち越しを許し2-3で敗れた。グループリーグ突破へは勝利が絶対条件となった3戦目のポルトガル戦は、前半5分に先制を許すも、前半27分にCKからキム・ヨングォンの2大会連続ゴールで同点。後半、アディショナルタイムにソン・フンミンのカウンターからファン・ヒチャンが勝ち越しゴールを決めて2-1で勝利。同組もう一試合のガーナvsウルグアイ戦は、0-2でウルグアイが勝利。これにより韓国とウルグアイで勝ち点、得失点で並ぶも、総得点で2点上回った韓国が、グループH・2位に入り2010年南アフリカ大会以来3度目の決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦では優勝候補ブラジルと対戦し、1-4で敗退した。
AFCアジアカップについて
AFCアジアカップの優勝は、第1回大会(1956年)、第2回大会(1960年)の2度。準優勝は1972年大会、1980年大会、1988年大会、2015年大会の4度である。韓国のメディアは「アジアカップ・ジンクス」という言葉を用いるなどアジアカップへの苦手意識を持っている[2]。
AFCアジアカップ2007は、準決勝でイラクにPK戦で敗退。3位決定戦で日本にPK戦で勝利して3位となった。
AFCアジアカップ2011は、準決勝で日本にPK戦で敗退した。3位決定戦でウズベキスタンに勝利して2大会連続の3位となった。なお、同大会でフェアプレー賞を受賞している。
AFCアジアカップ2015は、AFCアジアカップ1988以来の決勝進出を果たした。しかし開催国のオーストラリアに敗れ、準優勝に終わった。
AFCアジアカップ2019は、ベスト8でカタールに敗退した。カタールはこの大会で優勝した。
EAFF E-1サッカー選手権について
EAFF E-1サッカー選手権の優勝は5回であり、2022年時点の大会最多記録である。
EAFF E-1サッカー選手権2017は、初戦の中国戦はキム・シヌクとイ・ジェイクのゴールで前半のうちに逆転したが、76分にユー・ダーバオに失点を献上して2-2のドロー(結果的には9分にウェイ・シーハオに先制ゴールを献上したことが最終的に響いてしまった)。第2戦の北朝鮮戦は、64分のオウンゴールで0-1と競り勝ち2連勝。最終戦の日本戦は3分にPKで先に失点したが、キム・シヌクの2ゴール、チョン・ウヨンの直接フリーキック、ヨム・ギフンの3人の活躍で1-4と快勝。大会2連覇を達成した。
EAFF E-1サッカー選手権2019は、初戦の香港戦はファン・インボムとナ・サンホのゴールで2-0と勝利し大会3連覇へ幸先の良いスタートを切った。第2戦の中国戦は13分にキム・ミンジェが先制ゴールを決めた。1点リードで折り返した後半はかなりの接戦となり追加点は奪えなかったが、1-0で逃げ切り2連勝。優勝をかけて挑んだ最終戦の日本戦は[3]地元の声援に応える好パフォーマンスを見せて相手に自由を与えず、28分にはファン・インボムがミドルシュートをたたき込んで先制に成功。1点をリードして迎えた後半は日本に押し込まれる時間が続いたが、地元の声援に応える堅い守りで相手にゴールを割らせず、1-0で逃げ切って大会3連覇を達成した(この大会では史上初となる開催国優勝という快挙も成し遂げられた)。
EAFF E-1サッカー選手権2022は、初戦の中国戦はオウンゴールで先制するとその後もクォン・チャンフン、チョ・ギュソンのゴールで3-0で勝利。続く香港戦も同じく3-0で勝利し、首位で2位日本との3戦目に臨んだ。引分以上で優勝という試合だったが、49分に失点するとその後も64分・72分と立て続けに失点し、0-3で敗戦。日本に逆転され2位に終わり、大会4連覇を逃した。
成績
FIFAワールドカップ
FIFA加盟(1948年)後について記載
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
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不参加 | ||||||
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グループリーグ敗退 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 16 |
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不参加 | ||||||
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予選敗退 | ||||||
![]() |
不参加 | ||||||
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予選敗退 | ||||||
![]() | |||||||
![]() | |||||||
![]() | |||||||
![]() |
グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 4 | 7 |
![]() |
3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 6 | |
![]() |
3 | 0 | 2 | 1 | 4 | 5 | |
![]() |
3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 9 | |
![]() ![]() |
4位 | 7 | 3 | 2 | 2 | 8 | 6 |
![]() |
グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 4 |
![]() |
ベスト16 | 4 | 1 | 1 | 2 | 6 | 8 |
![]() |
グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 3 | 6 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 3 | |
![]() |
ベスト16 | 4 | 1 | 1 | 2 | 5 | 8 |
合計 | 出場11回 | 38 | 7 | 10 | 21 | 39 | 78 |
AFCアジアカップ
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
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優勝 | 3 | 2 | 1 | 0 | 9 | 6 |
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3 | 3 | 0 | 0 | 9 | 1 | |
![]() |
3位 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 4 |
![]() |
予選敗退 | - | - | - | - | - | - |
![]() |
準優勝 | 5 | 1 | 2 | 2 | 7 | 6 |
![]() |
予選敗退 | - | - | - | - | - | - |
![]() |
準優勝 | 6 | 4 | 1 | 1 | 12 | 6 |
![]() |
グループリーグ敗退 | 4 | 0 | 2 | 2 | 1 | 3 |
![]() |
準優勝 | 6 | 5 | 1 | 0 | 11 | 3 |
![]() |
予選敗退 | - | - | - | - | - | - |
![]() |
ベスト8 | 4 | 1 | 1 | 2 | 7 | 11 |
![]() |
3位 | 6 | 3 | 1 | 2 | 9 | 6 |
![]() |
ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 9 | 4 |
![]() ![]() ![]() ![]() |
3位 | 6 | 1 | 4 | 1 | 3 | 3 |
![]() |
6 | 4 | 2 | 0 | 13 | 7 | |
![]() |
準優勝 | 6 | 5 | 0 | 1 | 8 | 2 |
![]() |
ベスト8 | 5 | 4 | 0 | 1 | 6 | 2 |
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出場権獲得 | - | - | - | - | - | - |
合計 | 出場15回/優勝2回 | 67 | 36 | 16 | 15 | 106 | 64 |
ダイナスティカップ
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
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優勝 | 3 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 |
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準優勝 | 3 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 |
![]() |
3 | 1 | 2 | 0 | 4 | 1 | |
![]() |
3位 | 3 | 2 | 0 | 1 | 4 | 2 |
EAFF E-1サッカー選手権
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
優勝 | 3 | 2 | 1 | 0 | 4 | 1 |
![]() |
4位 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 2 |
![]() |
優勝 | 3 | 1 | 2 | 0 | 5 | 4 |
![]() |
準優勝 | 3 | 2 | 0 | 1 | 8 | 4 |
![]() |
3位 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 2 |
![]() |
優勝 | 3 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 |
![]() |
3 | 2 | 1 | 0 | 7 | 3 | |
![]() |
3 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | |
![]() |
準優勝 | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 3 |
歴代監督
在任期間 | 監督名 |
---|---|
1948年5月 | ![]() |
1948年6月 | ![]() |
1948年12月 - 1950年4月 | ![]() |
1952年4月 - 1954年2月 | ![]() |
1954年3月 | ![]() |
1964年6月 | ![]() |
1955年12月 | ![]() |
1956年8月 | ![]() |
1958年4月 | ![]() |
1959年7月 | ![]() |
1960年3月 | ![]() |
1960年10月 | ![]() |
1961年3月 | ![]() |
1961年10月 | ![]() |
1962年3月 | ![]() |
1964年9月 | ![]() |
1965年8月 | ![]() |
1966年6月 - 1966年12月 | ![]() |
1967年7月 - 1967年11月 | ![]() |
1968年8月 - 1968年12月 | ![]() |
1969年1月 - 1969年10月 | ![]() |
1969年11月 - 1969年12月 | ![]() |
1970年2月13日 - 1971年10月6日 | ![]() |
1971年11月 | ![]() |
1971年12月7日 - 1972年6月15日 | ![]() |
1972年6月16日 - 1972年12月20日 | ![]() |
1972年12月21日 - 1973年11月20日 | ![]() |
1974年1月 - 1974年11月17日 | ![]() |
1974年11月17日 - 1976年5月13日 | ![]() |
1976年5月14日 - 1976年12月31日 | ![]() |
1977年1月1日 - 1977年9月16日 | ![]() |
1977年9月17日 - 1977年12月18日 | ![]() |
1978年3月2日 - 1979年3月28日 | ![]() |
1979年3月29日 - 1980年5月3日 | ![]() |
1980年5月4日 - 1982年6月18日 | ![]() |
1982年6月19日 - 1982年10月30日 | ![]() |
1982年10月31日 - 1983年1月28日 | ![]() |
1983年1月29日 - 1983年8月22日 | ![]() |
1983年8月23日 - 1984年7月2日 | ![]() |
1984年7月3日 - 1985年1月11日 | ![]() |
1985年3月19日 - 1986年11月19日 | ![]() |
1986年11月20日 - 1988年7月5日 | ![]() |
1988年7月6日 - 1988年10月5日 | ![]() |
1988年10月6日 - 1990年7月2日 | ![]() |
1990年7月3日 - 1990年8月8日 | ![]() |
1990年8月9日 - 1990年10月23日 | ![]() |
1991年5月22日 - 1991年7月27日 | ![]() |
1992年7月8日 - 1994年7月23日 | ![]() |
1994年7月24日 - 1995年2月26日 | ![]() |
1995年4月26日 - 1995年7月31日 | ![]() |
1995年8月1日 - 1995年8月12日 | ![]() |
1995年9月16日 - 1995年9月30日 | ![]() |
1995年10月20日 - 1995年10月30日 | ![]() |
1996年2月15日 - 1997年1月7日 | ![]() |
1997年1月8日 - 1998年6月21日 | ![]() |
1998年6月22日 - 1998年6月25日 | ![]() |
1998年10月14日 - 2000年11月13日 | ![]() |
2001年1月1日 - 2002年6月30日 | ![]() |
2002年11月18日 - 2002年11月20日 | ![]() |
2003年2月3日 - 2004年4月19日 | ![]() |
2004年4月20日 - 2004年6月15日 | ![]() |
2004年6月24日 - 2005年8月23日 | ![]() |
2005年10月1日 - 2006年6月30日 | ![]() |
2006年7月1日 - 2007年8月3日 | ![]() |
2007年12月7日 - 2010年6月30日 | ![]() |
2010年7月21日 - 2011年12月8日 | ![]() |
2011年12月21日 - 2013年6月19日 | ![]() |
2013年6月26日 - 2014年7月10日 | ![]() |
2014年9月5日 - 2014年9月8日 | ![]() |
2014年9月8日 - 2017年6月15日 | ![]() |
2017年7月4日 - 2018年7月31日 | ![]() |
2018年8月17日 - | ![]() |
歴代選手
- 太字は現役の選手
GK
DF
- 李栄杓(イ・ヨンピョ)
- 金珍圭(キム・ジンギュ)
- 金民友(キム・ミヌ)
- 宋鐘國 (ソン・ジョングク)
- 李正秀(イ・ジョンス)
- 郭泰輝(カク・テヒ)
- 金泳徹(キム・ヨンチョル)
- 金致坤(キム・チゴン)
- 金致佑(キム・チウ)
- 金根煥(キム・クナン)
- 金亨鎰(キム・ヒョンイル)
- 趙容亨(チョ・ヨンヒョン)
- 金東進(キム・ドンジン)
- 曺秉局 (チョ・ビョングク)
- 朴原載(パク・ウォンジェ)
- 趙晟桓(チョウ・ソンファン)
- 朴柱昊(パク・チュホ)
- 金英權(キム・ヨングォン)
- 呉範錫(オ・ボムソク)
- 金昌洙 (キム・チャンス)
- 黄錫鎬 (ファン・ソッコ)
- 張賢秀 (チャン・ヒョンス)
- 金珍洙 (キム・ジンス)
- 洪正好 (ホン・ジョンホ)
- 尹錫榮 (ユン・ソギョン)
MF
- 李浩(イ・ホ)
- 金相植(キム・サンシク)
- 金斗炫(キム・ドゥヒョン)
- 金南一(キム・ナミル)
- 高宗秀(コ・ジョンス)
- 崔成國(チェ・ソングク)
- 崔成勇(チェ・ソンヨン)
- 朴智星(パク・チソン)
- 柳想鐵(ユ・サンチョル)
- 尹晶煥(ユン・ジョンファン)
- 崔孝鎭(チェ・ヒョジン)
- 呉章銀(オ・ジャンウン)
- 金正友(キム・ジョンウ)
- 李菁龍(イ・チョンヨン)
- 奇誠庸(キ・ソンヨン)
- 鄭又榮(チョン・ウヨン)
- 金甫炅(キム・ボギョン)
- 尹ビッカラム(ユン・ビッカラム)
- 具滋哲(ク・ジャチョル)
- 韓国栄 (ハン・クギョン)
- 李在成 (イ・ジェソン)
- 権昶勲 (クォン・チャンフン)
- 白昇浩 (ペク・スンホ)
- 李康仁 (イ・カンイン)
FW
- 車範根(チャ・ボムグン)
- 許丁茂(ホ・ジョンム)
- 徐正源(ソ・ジョンウォン)
- 黄善洪(ファン・ソンホン)
- 崔龍洙(チェ・ヨンス)
- 李東國(イ・ドングク)
- 車ドゥリ(チャ・ドゥリ)
- 曺宰溱(チョ・ジェジン)
- 朴主永(パク・チュヨン)
- 薛琦鉉(ソル・ギヒョン)
- 鄭暻鎬(チョン・ギョンホ)
- 安貞桓(アン・ジョンファン)
- 李天秀(イ・チョンス)
- 曺永哲 (チョ・ヨンチョル)
- 安孝錬(アン・ヒョヨン)
- 孫興慜(ソン・フンミン)
- 李根鎬(イ・グノ)
- 南泰煕(ナム・テヒ)
- 池東沅(チ・ドンウォン)
- 石鉉俊 (ソク・ヒョンジュン)
- 黄義助 (ファン・ウィジョ)
- 黄喜燦 (ファン・ヒチャン)
- 李昇祐 (イ・スンウ)
歴代記録
出場数ランキング
# | 名前 | 出場 | 得点 | 期間 |
---|---|---|---|---|
1 | 車範根 | 136 | 58 | 1972-1986 |
洪明甫 | 136 | 10 | 1990-2002 | |
3 | 李雲在 | 133 | 0 | 1994-2010 |
4 | 李榮杓 | 127 | 5 | 1999-2011 |
5 | 柳想鐵 | 124 | 18 | 1994-2005 |
金鎬坤 | 124 | 5 | 1971-1979 | |
7 | 趙榮増 | 113 | 1 | 1975-1986 |
8 | 奇誠庸 | 110 | 10 | 2008-2019 |
9 | 孫興慜 | 108 | 35 | 2010- |
10 | 朴成華 | 107 | 26 | 1975-1984 |
11 | 金泰映 | 105 | 3 | 1992-2004 |
李同国 | 105 | 33 | 1998-2017 |
得点数ランキング
# | 名前 | 得点 | 出場 | 期間 |
---|---|---|---|---|
1 | 車範根 | 58 | 136 | 1972-1986 |
2 | 黄善洪 | 50 | 103 | 1988-2002 |
3 | 朴利天 | 36 | 89 | 1969-1974 |
4 | 孫興慜 | 35 | 108 | 2010- |
5 | 金在漢 | 33 | 58 | 1972-1979 |
李同国 | 33 | 105 | 1998-2017 | |
7 | 許丁茂 | 30 | 103 | 1974-1986 |
崔淳鎬 | 30 | 97 | 1980-1991 | |
金度勲 | 30 | 72 | 1994-2003 | |
10 | 金鎭國 | 27 | 97 | 1972-1977 |
李栄武 | 27 | 85 | 1975-1981 | |
崔龍洙 | 27 | 69 | 1995-2003 |
脚注
- ^ Bum-Kun Cha - Century of International Appearances
- ^ “アジア制覇狙う韓国、「夢見心地」の日本を迎え撃つ”. スポーツナビ. (2010年10月12日) 2011年1月26日閲覧。
- ^ 2年前の大会でも、優勝するには勝利するしかなかった。それでも3分に失点しながら直後に3得点など1-4と快勝。大会2連覇を達成した。
- ^ “歴代監督の一覧” (朝鮮語). 大韓サッカー協会. 2011年6月21日閲覧。