サッカースペイン代表
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 国または地域 |
| |||
| 協会 | スペインサッカー連盟 | |||
| FIFAコード | ESP | |||
| 愛称 | La Roja (ラ・ロハ) | |||
| 監督 |
| |||
| キャプテン | ロドリゴ・エルナンデス | |||
| 最多出場選手 | セルヒオ・ラモス(180試合) | |||
| 最多得点選手 | ダビド・ビジャ(59得点) | |||
|
| ||||
| 初の国際試合 | ||||
|
(サン=ジル 1920年8月28日) | ||||
| 最大差勝利試合 | ||||
|
(マドリード 1933年8月22日) | ||||
| 最大差敗戦試合 | ||||
|
(アムステルダム 1928年6月4日) | ||||
| FIFAワールドカップ | ||||
| 出場回数 | 17回(初出場は1934) | |||
| 最高成績 | 優勝(2010年、2026年) | |||
| UEFA欧州選手権 | ||||
| 出場回数 | 12回 | |||
| 最高成績 | 優勝(1964年、2008年、2012年、2024年) | |||
サッカースペイン代表(サッカースペインだいひょう、西: Selección nacional de fútbol de España)は、スペインサッカー連盟(RFEF)によって編成される、スペインのサッカーのナショナルチーム。愛称は.「ラ・ロハ(西: La Roja、スペイン語で"赤色"の意)」。日本においては、無敵艦隊の愛称でも知られている[注釈 1][1]。
概要
[編集]FIFAワールドカップ(W杯)で優勝経験のある8つのナショナルチームのうちの1つであり、W杯で2度、UEFA欧州選手権(EURO)では最多となる4度の優勝を誇る世界屈指の強豪国である。FIFAランキングで首位に立った経験のある8つのナショナルチームのうちの1つでもある。
元来、スペインはレベルの高い国内リーグを擁し、W杯にも1978年大会以来連続出場を続けるなど歴史的に強豪国の一角とみられてきたが、W杯では長く1950年大会の4位が最高成績と大舞台で結果を残せず、「永遠の優勝候補」などと揶揄されてきた。かつてのスペイン代表は「フリア」と呼ばれる高い技術や緻密な組織戦術よりも気迫・闘争心の強さや激しいボディコンタクトを重視する荒々しいプレースタイルで知られており、そのようなスタイルが世界的なフットボールの潮流と乖離していること、スペインでは各地域ごとの代表チームが組成されるように地域間の対立が根深くスペイン代表チームを国全体で応援する情熱に乏しいことなどが、その背景として指摘されることもあった。
しかし、2000年代後半から、高いパス精度・ボールキープ力と高度な組織連携によりゲームを支配するポゼッションサッカー「ティキ・タカ」のスタイルで黄金期を現出し、史上初のEURO連覇に加え、W杯を挟んだ主要国際大会3連覇という前人未踏の戦績を残した。その後は国際大会での成績が低調な時期もあったが、2020年代にはW杯、EURO、UEFAネーションズリーグといった国際大会を立て続けに制覇しており、新たな黄金期の到来が期待されている。
近年は高い技術を背景としたクリーンなプレーにも定評があり、2006 FIFAワールドカップ・2010 FIFAワールドカップ・2018 FIFAワールドカップではフェアプレー賞を受賞している。
歴史
[編集]1 黎明期
[編集]
19世紀後半に英国人などによってスペインに伝えられたサッカーは、瞬く間に全土に広まり、1900年代には各地で大会が開催されていた。1913年には現在のRFEFが創立され、各地域ごとの代表チームなども組成されるようになっていった。
1920年、ベルギーで開催されたアントワープ五輪出場を主目的に現在につながるスペイン代表が編成された。この代表チームには、後に伝説的なGKとなる当時19歳のリカルド・サモラ、その闘志あふれるプレーがスペイン代表の代名詞「La Furia Roja」の起源となったホセ・マリア・ベラウステ、ピチーチ賞の由来となったピチーチことラファエル・モレノ・アランサディ、バルセロナのスター選手ジョゼップ・サミティエールなどが招集された。代表初の公式戦となった五輪1回戦は、サン=ジルのスタッド・ジョゼフ・マリアンで前回・前々回の五輪で銀メダルを獲得していた優勝候補のデンマークと対戦し、パトリシオ・アラボラーサの決勝点で1-0と勝利した。この得点はスペイン代表の史上初得点となる。2回戦では開催国のベルギーと対戦し1-3で敗れた。ベルギーは決勝でチェコスロバキアを降して優勝したが、決勝戦でチェコスロバキアが試合途中に審判に抗議してピッチを去り大会結果から除外されたことから、2回戦で敗れた4ヶ国(スペイン、スウェーデン、イタリア、ノルウェー)と準決勝で敗れた2ヶ国(フランス、オランダ)の間で順位決定戦が行われた。順位決定1回戦ではスウェーデンに2-1すると、順位決定2回戦ではイタリアに2-0で勝利。なお、以降スペインはEURO2012決勝まで約92年もの間公式戦でイタリアに勝利することができなかった。銀メダル決定戦では、フェリックス・セスマガの2ゴールなどでオランダに3-1と勝利し、スペインは初の国際大会で銀メダルという結果を残した。
1924年のパリ五輪では1回戦でイタリアに0-1と惜敗。1928年のアムステルダム五輪では、1回戦でメキシコに7-1で勝利するも、準々決勝ではイタリアに1-1で引き分けた後、再試合で1-7と敗れた。
1930年には、当時アマチュア規定のあった五輪に代わりプロ化が進展するサッカー界の真の世界王者を決定すべくFIFAワールドカップ(W杯)第1回大会がウルグアイで開催されたが、スペインは参加を見送っている。スペインのW杯初参加は1934年の第2回大会であり、予選でポルトガルを降して本大会に出場した。イタリアで開催された本大会は、独裁者ムッソリーニがW杯をファシスト政権のプロパガンダに利用した大会とされ、イタリアの勝利のため審判の買収や脅迫等あらゆる手段が講じられたとされることから「史上最悪のW杯」と呼ぶ声もある。スペインは、リカルド・サモラ、ジャシント・キンコセス、イシドロ・ランガラ、レオナルド・シラウレンなどを擁し、初戦でブラジルを3-1で撃破すると、準々決勝で優勝を至上命題とされたイタリアと対戦。スペインはルイス・レゲイロのゴールで1点を先制し、なおもゴールネットを揺らすがオフサイドで得点が取り消されると、ジョヴァンニ・フェッラーリのゴールで同点に追いつかれる。スペインはオフサイドポジションでGKが妨害されたと抗議したが認められなかった。試合は激しいラフプレーにより負傷者が続出する死闘となり、1-1の引き分けに終わる。スペインが7人、イタリアが5人の選手を入れ替えて翌日に実施された再試合は、ジュゼッペ・メアッツァのゴールによりスペインが0-1で敗れるが、この試合では審判が「12人目の選手」と揶揄されるほどイタリア有利となる不可解な判定が相次ぎ、この試合のレフェリングを問題視されたスイス人審判は後に審判としての活動停止を余儀なくされている。
1930年代後半のスペイン内戦期には代表の活動が停止となり、1938年W杯には予選から参加していない。1940年代は第二次世界大戦の影響で国際大会が開催されない時代が続いた。
2 国際大会復帰 - 初の欧州制覇
[編集]第二次世界大戦後初のW杯となった1950年W杯では、予選でポルトガルに1勝1分で本大会出場を決める。ブラジルで開催された本大会1次リーグでは、アメリカに3-1、チリに2-0で連勝し、第3戦はW杯に初参戦してきたサッカーの母国イングランドと対戦。試合はスタンレー・マシューズやトム・フィニーなどの攻撃をこの大会で「マラカナンの猫」の異名をとる活躍をみせたGKのアントニ・ラマジェッツらが抑え込み、48分のテルモ・サラのゴールを守り切って1-0で勝利。スペインはグループ2を3連勝で突破した。この大会はW杯史上唯一リーグ戦方式で優勝国が決められた大会であり、1次リーグの各グループで首位となったウルグアイ、ブラジル、スウェーデン、スペインが決勝リーグで優勝を争った。スペインは、初戦のウルグアイ戦に2-2で引き分けるも、2戦目では開催国ブラジルに1-6と大敗。最終戦のスウェーデン戦にも1-3と連敗し、4ヶ国中4位で大会を終えた。チーム内得点王は5得点を挙げたエスタニスラオ・バソラであった。この1950年大会の4位という結果は、2010年W杯で悲願の初優勝を果たすまで、その後60年もの間W杯におけるスペインの最高成績であり続けた。
1954年W杯予選ではトルコにホームで4-1と大勝するも、敵地での試合を0-1で落として1勝1敗。当時のレギュレーションにより中立地ローマで実施された再試合も2-2の引き分けとなり、最終的に抽選(地元少年によるくじ引き)に敗れて予選敗退となる。
1958年W杯予選には、20 世紀最高のフットボーラーの呼び声も高いアルフレッド・ディ・ステファノを筆頭に、ラディスラオ・クバラ、フランシスコ・ヘント、ルイス・スアレスなどUEFAチャンピオンズカップ5連覇の最中にあったレアル・マドリードとそのライバル・バルセロナのスター選手が居並ぶ豪華な布陣で臨むが、ホームでのスイス戦を2-2で引き分けたことも響き、グループ9でスコットランドの後塵を拝し予選敗退に終わった。
1960年には、欧州ネイションズカップ(現在のUEFA欧州選手権)が初開催され、スペインも第1回大会の予選に出場した。スペインは、後にインテル・ミラノに黄金期をもたらすことになる名将エレニオ・エレーラ監督がクラブチームとの兼任監督を務め、ディ・ステファノ、クバラ、ヘント、スアレスら強力なメンバーを率いて優勝候補として大会に臨むと、予選1回戦ではポーランドに2試合合計7-2で勝利。しかし準々決勝では、共産主義と対立する当時のフランコ政権の政治的介入によりソ連との対戦を拒否する形となり、大会の棄権を余儀なくされた。
1962年W杯予選ではウェールズを2試合合計3-2で降すと、大陸間プレーオフではアフリカ予選を勝ち抜いたモロッコを2試合合計4-2で破って本大会出場を決めた。チリでの本大会はエレーラ監督が率い、フェレンツ・プスカシュらを加えて大会に臨むが、主力のディ・ステファノやクバラが大会直前の負傷により本大会に出場できなかった。グループステージでは、初戦のチェコスロバキア戦にセベリーノ・レイハの負傷も響いて0-1で敗れるも、続くメキシコ戦には1-0で勝利。グループ最終戦のブラジル戦ではスペインが1-0とリードするが、アデラルド・ロドリゲスの追加点が物議を醸す判定により取り消されると、終盤の2ゴールで逆転され1-2と惜敗。グループ3を1勝2敗の最下位で敗退した(このグループを突破したブラジルとチェコスロバキアはこの大会の決勝戦を戦うことになる)。
1962年にはホセ・ビジャロンガ監督が就任。1964年欧州ネイションズカップでは、スペイン出身の選手として初のバロンドールに輝いたルイス・スアレスを中心に、予選でルーマニア、北アイルランド、アイルランドを退けて決勝大会に進出する。スペインは決勝大会の開催国となり、準決勝ではフロリアン・アルベルトらを擁し前評判の高かったハンガリーと対戦。スペインは前半にチュス・ペレダのゴールで先制し、84分にはフェレンツ・ベネに同点弾を許すが、延長戦でアマンシオ・アマロが決勝点を挙げ2-1で勝利した。マドリードのサンティアゴ・ベルナベウに超満員の観客が詰めかけた決勝では、大会連覇を狙うソ連と対戦。4年前に不戦勝を許した因縁の相手との一戦は、スペインが序盤にペレダのゴールで先制するが、直後にソ連もガリムジャン・フサイノフのゴールで同点に追いつく。その後も押し気味に試合を進めるスペインに対し、ソ連は前年にGKとして史上唯一のバロンドールを受賞した「黒蜘蛛」レフ・ヤシンらの粘り強い守備とカウンターで対抗する緊迫した展開で1-1のまま終盤を迎えるが、84分にはペレダのクロスからマルセリーノ・マルティネスが決勝点を挙げ、スペインが2-1の勝利で欧州ネイションズカップ初優勝を果たした。
3 低迷期と復活の狼煙
[編集]初の欧州制覇を遂げたスペインであったが、以降は国際大会での戦績が振るわない低迷期が続く。1966年W杯では本大会出場を果たすも、アルゼンチンに1-2、スイスに2-1、西ドイツに1-2のグループ3位で敗退。その後は、1968年欧州選手権、1970年W杯、1972年欧州選手権、1974年W杯、1976年欧州選手権と主要な国際大会でいずれも本大会(決勝大会)出場を果たせなかった。
1978年W杯予選では、最終戦で敵地ベオグラードでのユーゴスラビアとの死闘を1-0で制し3大会ぶりにW杯本大会に出場する(スペインはこの大会以降現在までW杯本大会に連続出場を継続している)。しかし、本大会では1次リーグ初戦でオーストリアのカウンターの前に1-2と敗戦。続くブラジル戦は終盤の絶好機でのフリオ・カルデニョサの痛恨のシュートミスも響いて0-0で引き分けると、スウェーデンとの最終戦は1-0で勝利するもグループ3位で敗退した。本大会の規模が拡大した1980年欧州選手権でも予選突破を果たすが、本大会グループステージではイタリアに0-0、ベルギーに1-2、イングランドに1-2と1分2敗でグループ最下位に沈み敗退した。
1982年W杯は開催国として迎える。この大会から出場国が24ヶ国となり、ホセ・サンタマリア監督率いるチームへの期待は高かったが、チーム状態は整わず、1次リーグ初戦では初出場の小国ホンジュラスに1-1で引き分けてしまう。続くユーゴスラビア戦では、0-1で追う展開でPA外のユーゴスラビア選手のタックルにPKが与えられ、更に一度止められたスペインのPKがやり直しになる判定もあり同点に追いつくと、最終的に2-1で勝利。しかし、1次リーグ最終戦は北アイルランドに0-1で敗れ、1勝1分1敗のグループ5を2位で辛くも2次リーグに進出した。2次リーグでは、初戦で西ドイツに1-2で敗れると、続くイングランド戦には0-0で引き分け、1分1敗でグループBの最下位となり2次リーグ敗退。自国開催のW杯は散々な結果に終わり、サンタマリア監督は退任した。後任監督には、かつて暫定監督を務めた経験もある名将ミゲル・ムニョスが就任する。
1984年欧州選手権予選では、オランダ、アイルランド、アイスランド、マルタと同じグループに入る。最終節を前にスペインはオランダに次ぐグループ2位につけていたが、本大会出場には最終節のマルタ戦に11点差以上で勝利する必要があった。試合は前半のうちにサンティジャーナがハットトリックを達成するが、フアン・セニョールがPKを失敗したほかマルタに得点を奪われてしまい、HT時点で3-1と苦しい状況で前半を終える。しかし、後半にはポリ・リンコンのハットトリックなどで9得点を重ねて12-1で勝利し、オランダを大逆転で上回り予選突破を決めた。本大会グループステージではグループBに入り、ルーマニアとポルトガルにそれぞれ1-1で引き分けるが、グループ最終戦では2年前のW杯で敗れた優勝候補の西ドイツを相手にGKのルイス・アルコナーダが好セーブを連発し、アントニオ・マセーダのゴールで1-0と勝利。グループ首位で決勝トーナメント進出を決めた。準決勝ではミカエル・ラウドルップらを擁して華麗な攻撃サッカーを展開していたデンマークと対戦。スペインは、序盤にセーレン・レアビーのゴールで先制点を奪われるも、後半にはマセーダのゴールで1-1に追いつき、最終的にPK戦に5-4で勝利して決勝に進出。中2日で迎えた決勝は、開催国で優勝候補の筆頭格とみられたフランスと対戦する。試合は前半を0-0で折り返すも、57分にGK正面に飛んだミシェル・プラティニのFKを名手アルコナーダが痛恨の後逸により失点すると、試合終了間際にもブルーノ・ベロンに追加点を許し0-2で準優勝に終わる。20年ぶりの欧州制覇はならなかったが、スペインは国際大会で久々の好成績を残し、復活の狼煙を上げた。
4 国際大会8強の壁
[編集]
1980年代後半以降、スペインはW杯や欧州選手権で安定的に本大会出場を果たすも準々決勝や16強での敗退を繰り返すようになり、国際大会で8強の壁を越えられない時代が続くことになる。
1986年W杯予選ではスコットランド、ウェールズなどと同じグループを首位通過。メキシコで開催された本大会グループステージでは初戦でブラジルに0-1と敗れたが、北アイルランドに2-1、アルジェリアに3-0で連勝してグループDを2位で突破。決勝トーナメント1回戦では、グループステージで西ドイツやウルグアイなどを相手に鮮烈な内容で3連勝して「ダニッシュ・ダイナマイト」と称されたデンマークと対戦すると、2年前の欧州選手権の雪辱を期す相手をキンタ・デル・ブイトレの中心選手であったエミリオ・ブトラゲーニョの4得点などで5-1と粉砕。しかし、エンツォ・シーフォらを擁するベルギーとの準々決勝は1-1のままPK戦に突入。PK戦は相手GKのジャン・マリー・プファフにエロイ・オラージャのPKがストップされ4-5で敗れた。
1988年欧州選手権予選では、オーストリア、ルーマニアなどがいたグループを印象的な成績で通過。本大会グループステージではデンマークを3-2で破ったが、イタリアと西ドイツにはそれぞれ0-1、0-2で敗れ、1分2敗で敗退した。
1990年W杯予選では、ルイス・スアレス監督の下、アイルランド、ハンガリーなどと同じグループを首位通過。本大会グループステージでは初戦でウルグアイと0-0で引き分けたが、続く韓国戦はミチェルのハットトリックで3-1と快勝。グループ最終戦でもベルギーに2-1で勝利し、グループEを首位でノックアウトステージに進出する。決勝トーナメント1回戦ではイビチャ・オシム監督率いるユーゴスラビアと対戦し、ドラガン・ストイコビッチの2ゴールにより延長戦の末1-2で敗れた。
EURO '92予選はフランスやチェコスロバキアなどと同組となり、予選途中の1991年4月には成績不振でルイス・スアレス監督が解任される。後任にはビセンテ・ミエラ監督が就任したが、最終的に予選をグループ3位で終え、本大会出場を逃した。なお、ミエラ監督は、1992年夏に自国開催のバルセロナ五輪に参加するスペイン五輪代表の監督も務め、ジョゼップ・グァルディオラ、キコ、ルイス・エンリケらの活躍で金メダルを獲得している[注釈 2]。
1992年9月の親善試合イングランド戦からはハビエル・クレメンテ監督が指揮を執り、1994年W杯予選を8勝3分1敗で突破。アメリカで開催された本大会グループステージは、韓国に2-2、ドイツに1-1、ボリビアに3-1とグループCを1勝2分の2位で突破。決勝トーナメントでは、初戦でスイスに3-0と快勝し、準々決勝でイタリアと対戦する。試合は、1-1で迎えた終盤にスペインのフリオ・サリナスが相手GKジャンルカ・パリュウカと1対1になる絶好機を逃すと、直後にロベルト・バッジョのゴールでイタリアに勝ち越しを許す。終了間際には、ルイス・エンリケがPA内でマウロ・タソッティから顔面に肘打ちを受けて倒れ込む。ルイス・エンリケは鼻骨を骨折して流血しており、FIFAのビデオによる事後裁定でタソッティは8試合の出場停止と罰金という重い処分を受けることとなったが、試合中は主審がタソッティの行為を見逃していたためPKやカードは与えられず、スペイン側の猛抗議も空しく試合はそのまま1-2で終了。スペインはベスト8に終わった。
EURO '96予選は、デンマーク、ベルギーなどのいたグループを首位で突破。イングランドで開催された本大会グループステージではブルガリア、フランスと1-1で引き分けると、最終戦でルーマニアに2-1で勝利しグループBを2位で通過。準々決勝では開催国のイングランドと対戦。スペインは優勢に試合を進めるも、キコとフリオ・サリナスのゴールが取り消される、PA内で倒されたアルフォンソ・ペレスにPKが認められずシミュレーションと判定されるなど物議を醸す判定が相次ぎ、延長戦を終えて0-0と決着はつかなかった。PK戦では相手GKデビッド・シーマンの活躍もありスペインが2-4で敗れ、W杯に続き準々決勝敗退に終わった。
1998年W杯予選ではラウル・ゴンサレスが代表デビューし、チェコやユーゴスラビアと同居したグループを8勝2分で首位通過した。スペインは前回W杯以降1998年1月の親善試合フランス戦に敗れるまで公式戦31戦無敗の記録を樹立しており、出場国が32チームに拡大してフランスで開催された1998年W杯では優勝候補に挙げられていた。大会ではグループDに入り、初戦でアトランタ五輪金メダルのメンバーを主力とするナイジェリアと対戦。フェルナンド・イエロのゴールなどで2度にわたって勝ち越すも、73分にアンドニ・スビサレッタの痛恨のミスで2-2の同点に追いつかれると、78分にはサンデー・オリセーの強烈なミドルシュートが決まり2-3で敗戦する。続くパラグアイ戦もホセ・ルイス・チラベルトらパラグアイ守備陣を崩せず0-0の引き分けに終わり、最終戦では前回大会4位のブルガリアに6-1と大勝するも、勝点4のグループ3位でグループステージ敗退となった。
EURO 2000予選では第1節で格下のキプロスに2-3で敗れ、クレメンテ監督は解任となる。後任にはホセ・アントニオ・カマーチョ監督が就任した。予選の残り試合に全勝して予選突破を決め、本大会が始まる頃には優勝候補の一角とも目される状況となっていたが、本大会初戦ではノルウェーに0-1で敗戦。続くスロベニア戦には2-1で勝利すると、グループステージ最終戦のユーゴスラビア戦では、2-3で1点を追う後半ロスタイムにアルフォンソ・ペレスらの2ゴールで4-3と逆転し、劇的な展開でグループCを首位通過した。準々決勝では世界王者フランスに善戦し、1-2で迎えた試合終了間際に土壇場でPKを獲得するが、これをエースのラウル・ゴンサレスが決めきれず、またも国際大会8強の壁打ち破ることはできなかった。
2000年11月のオランダとの親善試合では、1999年ワールドユース優勝やシドニー五輪銀メダルの中心選手であったシャビ・エルナンデスがA代表デビューを果たす。2002年W杯予選は6勝2分で突破。日本と韓国で共催された本大会初戦ではスロベニアに3-1で快勝し、スペインにとって実に52年ぶりとなるW杯初戦白星を挙げる。その後はパラグアイを3-1、南アフリカを3-2で退けてグループBを3連勝で首位通過。決勝トーナメント1回戦のアイルランド戦では、1-0でリードして迎えた90分にロビー・キーンのPKで1-1に追いつかれるも、PK戦では大会直前のサンティアゴ・カニサレスの負傷で急遽正GKを務めていたイケル・カシージャスが2本のPKをストップして3-2で勝利した。準々決勝では、決勝トーナメント1回戦のイタリア戦を相次ぐ疑惑の判定の末に勝ち上がった韓国と対戦。スペインは、この大会好調であったエースのラウル・ゴンサレスをアイルランド戦での負傷により欠く中、フェルナンド・モリエンテスらが2度にわたってゴールネットを揺らすもいずれも得点が取り消されるなど韓国有利の不可解な判定が相次ぎ、0-0で迎えたPK戦は3-5で敗退[2]。スペインの主要国際大会準々決勝での敗退は1986年W杯以降実に5度目を数えた。後にFIFAが創立100周年を記念して制作したDVDの特典映像に収録されたW杯「10大誤審」には、スペイン戦の2つを含めこの大会の韓国のゲームから4つの判定が選出されている。なお、韓国戦で疑惑の判定が相次いだことを受け、FIFAは(審判を試合当事国と中立地域の審判団から起用する慣例を改め、)準決勝以降のゲームを全て欧州の審判団で固め、韓国は準決勝のドイツ戦、3位決定戦のトルコ戦でいずれも敗れている。大会後カマーチョ監督は退任し、後任監督には育成年代のスペイン代表監督などを歴任したイニャキ・サエスが就任した。
2003年にはラウル・ゴンサレスがフェルナンド・イエロの持つ代表最多得点記録(29点)を更新。EURO 2004予選では、グループ6でオットー・レーハーゲル監督率いるギリシャの後塵を拝し2位となるも、プレーオフでノルウェーを撃破し本大会出場を決める。本大会では、初戦でファン・カルロス・バレロンのゴールによりロシアに1-0で勝利するが、続く第2戦は予選でも同組のギリシャと対戦し1-1で引き分けに終わる(後にギリシャは大方の下馬評を覆しこの大会を制覇することとなる)。最終戦では開催国ポルトガルと対戦。引き分けでもグループ突破が可能であったが、ヌーノ・ゴメスのゴールで0-1と敗れ決勝トーナメントへの道は断たれた。大会後にはサエス監督が退任し、国内リーグで数多くのクラブチームを指揮してきた歴戦の老将ルイス・アラゴネスが後任監督に就任する。
2006年W杯予選は、全10試合で1失点のセルビア・モンテネグロに次ぐグループ2位となるが、プレーオフでスロバキアに大勝し予選突破。ドイツで開催されるW杯本大会のメンバーには、A代表初招集となるアンドレス・イニエスタが選出された。本大会では、ウクライナに4-0、チュニジアに3-1、サウジアラビアに1-0と3連勝でグループHを突破したが、決勝トーナメント1回戦では、ジネディーヌ・ジダンら一時代表を引退した黄金世代メンバーが代表に復帰して予選突破に貢献し、本大会でも徐々に調子を上げていたフランスと対戦。スペインは先制するも、前半41分にフランク・リベリのゴールで同点とされると、83分にはジダンのFKからパトリック・ヴィエラのゴールで勝ち越しを許す。試合終了間際には電光石火のカウンターからジダンに鮮やかな追加点を奪われ、1-3でベスト16敗退に終わった。大会終了後にはブラジルとともにFIFAフェアプレー賞を受賞している。
5 スペイン黄金期
[編集](1)2度目の欧州制覇
[編集]
| UEFA EURO 2008決勝のスタメン |
2006年W杯での敗退後、ルイス・アラゴネス監督はショートパス主体で技術と判断力の高い選手の組織的な連動性を重視したポゼッションサッカースタイルの確立を推し進めた。英国のガーディアン紙は、これを「トータルフットボールの重要な改良」であると評した[3]。EURO 2008予選では、当初は敵地で北アイルランドやスウェーデンに敗れるなど非常に苦しみ、エースのラウル・ゴンサレスを招集から除外するアラゴネス監督の判断も物議を醸したものの、2007年ころから次第に調子を上げ、最終的には獲得可能な勝点36のうち28を獲得して本大会出場を決めた。
スイスとオーストリアで共催されたEURO 2008本大会では、グループステージ初戦でロシアに4-1と大勝すると、続くスウェーデン戦にも試合終了間際のダビド・ビジャの勝ち越しゴールで2-1と勝利。グループ突破を決め先発メンバーを10人入れ替えて臨んだ最終戦も前回王者のギリシャに2-1で勝利し、グループDを3連勝で通過した。準々決勝では、オランダ、フランス、ルーマニアと同居する死のグループを2位で突破した世界王者イタリアと対戦。イタリア戦は緊迫した展開となり、0-0のままPK戦にもつれ込む。イタリアのジャンルイジ・ブッフォン、スペインのイケル・カシージャスの名GK対決ともなったPK戦は、カシージャスが2本のPKをセーブするなど活躍をみせて4-2でスペインが制し、長年跳ね返され続けてきた国際大会8強の壁を遂に打ち破ることに成功した。準決勝では、準々決勝でこの大会好調のオランダを撃破したロシアとの再戦を3-0で返り討ちにして決勝進出[4]。ドイツとの決勝戦は、シャビ・エルナンデスのスルーパスに反応したフェルナンド・トーレスがフィリップ・ラームを背後から追い抜き、飛び出してきたGKイェンス・レーマンを躱すループシュートで先制すると、スペインがその後もゲームを支配し1-0で勝利[5]。スコア以上の完勝で、1964年大会以来44年ぶりとなる欧州制覇を果たした。スペインは出場国中最多の12得点を挙げ、4得点のビジャが得点王となった。シャビ・エルナンデスが大会最優秀選手賞を受賞し、スペインから9人の選手がチーム・オブ・ザ・トーナメントに選出された[注釈 3]。
(2)新体制とポゼッションサッカーの深化
[編集]
ルイス・アラゴネス監督はEURO2008後に退任。後任監督にはレアル・マドリードでUEFAチャンピオンズリーグや国内リーグなど数々のタイトルを獲得した名将ビセンテ・デル・ボスケが就任する[6]。デル・ボスケは、EURO2008を制したチームにセルヒオ・ブスケツやジェラール・ピケといった新戦力を加えたほか、当時クラブシーンを席巻していたジョゼップ・グァルディオラ監督のバルセロナのメカニズムをとり入れ、スペイン代表の更なる強化を推進した。
2009年には、翌年のW杯の前哨戦として南アフリカで開かれたコンフェデレーションズカップ2009に出場。初戦のニュージーランド戦ではトーレスの大会史上最速のハットトリックなどで5-0と快勝。イラク戦(1-0)と南アフリカ戦(2-0)にも勝利して15連勝を記録するとともに、当時世界記録となる35戦連続無敗記録(32勝3分)を樹立して決勝トーナメントに進出した。しかし、準決勝ではアメリカに0-2で敗れ連続無敗記録は途絶えた。3位決定戦では開催国の南アフリカに延長戦の末3-2で勝利し大会3位となった[7]。
(3)FIFAワールドカップ 初優勝
[編集]
| 2010 FIFAワールドカップ・決勝のスタメン |
2010年W杯予選では、ベルギー、トルコ、エストニアなどと同居したグループを10戦全勝で突破。南アフリカでの2010年W杯には優勝候補の筆頭格として臨み、躍進が期待されたが、本大会初戦のスイス戦では0-1で敗れてしまう。しかし、続くホンジュラス戦にはダビド・ビジャの2得点で2-0と勝利。グループステージ最終戦のチリ戦にも2-1で勝利し、グループHを辛くも首位通過した。その後は徐々に調子を上げていき、決勝トーナメント1回戦ではクリスティアーノ・ロナウド擁するポルトガルにビジャのゴールで1-0と勝利。スペインにとってW杯で鬼門となってきた準々決勝でもビジャのゴールによりパラグアイに1-0で勝利し、1950年大会以来60年ぶりのW杯4強入りを決めた。準決勝ではイングランドに4-1、アルゼンチンに4-0と強豪国に大差で連勝して勝ち上がってきた2年前のEURO決勝の雪辱を期すドイツと対戦。スペインはドイツを相手にボールを支配し、ドイツに殆どチャンスを作らせないまま、CKからのカルレス・プジョルのヘディングによる決勝ゴールで1-0と完勝し、初の決勝戦に進出した。決勝のオランダ戦は荒れた展開となり、スペインは5枚、オランダは9枚のイエローカードと1枚のレッドカードを受け、決勝での最多カード記録を更新した。試合はスペインが優勢に進めるもゴールを決めることができなかったが、ウェスレイ・スネイデルのスルーパスに抜け出したアリエン・ロッベンの絶好機を右足のつま先で阻止するイケル・カシージャスのスーパーセーブなどもあり0-0のまま延長戦にもつれ込む。延長戦では116分にセスク・ファブレガスのパスからアンドレス・イニエスタが決勝点を挙げ、1-0でスペインが悲願のW杯初優勝を飾った。
スペインは8得点2失点で大会を終えたが、これは歴代W杯優勝チームの中で得点・失点ともに最小であった。また、W杯開幕戦に敗れたチームの優勝及び欧州以外で開催されたW杯における欧州の代表チームの優勝はいずれも初となった。W杯とEUROの連続優勝は西ドイツ、フランスに次ぐ3例目となり、地元開催の大会を含まない達成は史上初となった。スペインは2大会連続でFIFAフェアプレー賞を受賞し、大会全体で2失点に抑えたキーパーのカシージャスが最優秀GKを、5得点1アシストのビジャがブロンズボールとシルバーブーツを受賞するなど、多くの選手が個人賞を受賞した[8]。
(4)主要国際大会3連覇
[編集]
| UEFA EURO 2012決勝のスタメン |
EURO 2012予選では、チェコやスコットランドなどと同居したグループIを8戦全勝で突破。2011年3月のチェコ戦では、ダビド・ビジャがラウル・ゴンサレスのスペイン代表最多得点記録(44点)を更新した。
EURO 2012本大会ではグループCに入る。初戦のイタリア戦は61分にアントニオ・ディ・ナターレに先制されるが、直後にセスク・ファブレガスがジャンルイジ・ブッフォンを破る同点ゴールを決め1-1の引き分けに終わる。2戦目のアイルランド戦は4-0で完勝。3戦目のクロアチア戦は途中出場のヘスス・ナバスが88分に決勝点を挙げ1-0で勝利し、グループ首位で決勝トーナメントに進出した。
準々決勝のフランス戦はジョルディ・アルバのアシストからのシャビ・アロンソのゴールなどで2-0と快勝。準決勝のポルトガル戦は前半から苦しい展開となり、後半から延長戦にかけて盛り返すも試合は0-0のままPK戦に突入。PK戦では、ポルトガルのルイ・パトリシオ、スペインのカシージャスがそれぞれ1本ずつPKをセーブするが、ポルトガルは4番手のブルーノ・アウベスがPKを外し、スペインが4-3で4度目の決勝進出を決めた。なお、スペイン4番手のセルヒオ・ラモスはパネンカでPKを決めている[9]。決勝は大会初戦で対戦したイタリアとの再戦となる。イタリアが大会初戦で機能した3バックの奇策の採用を見送ったことも奏功し、スペインは開始直後から試合を支配。前半14分にはダビド・シルバのゴールで先制すると、前半41分にはアルバが追加点を挙げ、2-0で前半を折り返した。イタリアは3人の交代枠を使い切った後にティアゴ・モッタが負傷し10人での試合続行を余儀なくされた。スペインはその後も2点を追加し、EURO決勝での最大得点差勝利となる4-0の大勝により史上初のEURO2連覇を果たした[10]。
これによりスペインは、ドイツと並び最多となる3度目の欧州制覇を果たし、EURO 2008、2010年W杯、EURO 2012と主要国際大会3連覇を果たした初の代表チームとなった。また、初戦から決勝までの大会通算得失点差11(12得点1失点)は大会史上最多記録となった。ビセンテ・デル・ボスケ監督は、ヘルムート・シェーンに続きW杯とEUROの双方を制した二人目の監督となり[11]、両タイトルに加えUEFAチャンピオンズリーグを制した史上初の監督となった[12]。2000年代前半までのスペイン代表に対するネガティブな評価は一変し、サッカー史上最高の代表チームとの呼び声さえも上がるようになった。フランスのレキップ紙はゲーリー・リネカーの著名な発言を捩って「サッカーは11人対11人で戦うスポーツであり、結局はスペインの勝利に終わる」と書いた。英国のガーディアン紙は「(2000年代末から2010年代初頭のスペイン代表は)永遠にスペイン代表の黄金時代として語られ、いかなるチームも比肩できないだろう。」と評した。
(5)黄昏
[編集]主要国際大会3連覇の後も、スペインは2014年W杯予選においてフランスを敵地スタッド・ドゥ・フランスで圧倒するなど強さを見せ[13]、グループIを首位通過している。
また、ブラジルで開催されたコンフェデレーションズカップ2013では、グループステージでウルグアイに2-1、タヒチに10-0、ナイジェリアに3-0と3連勝し、準決勝でもイタリアを0-0(PK戦7-6)で降して決勝に進出する。しかし、開催国ブラジルとの決勝戦は、ネイマールのゴールなどで0-3と完敗し、W杯本大会に向け不安を残す結果となった。
2014年W杯ではグループBに入り、初戦でルイス・ファン・ハール監督の下前回大会決勝の雪辱を期すオランダと対戦。スペインは、PKで先制するものの、前半44分にはロビン・ファン・ペルシのダイビングヘッドによる見事なゴールで1-1に追いつかれる。後半オランダが攻勢に出るとアリエン・ロッベンやファン・ペルシのゴールなどでスペインは立て続けに失点。GKのイケル・カシージャスが精彩を欠き決定的なミスを犯したことに象徴されるように守備陣は崩壊し、最終的に1-5でまさかの惨敗を喫した[14]。第2戦でもホルヘ・サンパオリ監督率いるチリに0-2と連敗[15]。最終戦ではオーストラリアに3-0で勝利するも、1998年W杯以来となるW杯グループステージ敗退に終わった。大会後チームの司令塔シャビ・エルナンデスが代表を引退するが、ビセンテ・デル・ボスケ監督は続投となった。
6 過渡期
[編集]EURO 2016予選ではグループCを首位通過。本大会ではグループDに入り、初戦でチェコに1-0、第2戦でトルコに3-0で連勝し2戦目でグループステージ突破を決めたが、第3戦ではクロアチアに終盤のゴールで1-2と逆転負けしグループ2位での通過となった。決勝トーナメント1回戦は前回大会決勝で4-0と大勝したイタリアとの再戦となったが、グラツィアーノ・ペッレに2ゴールを許し0-2で完敗。史上初のEURO3連覇はならなかった。この大会の結果はスペイン黄金期の完全な終焉を感じさせるもので、敗退後ビセンテ・デル・ボスケ監督は退任を表明し、スペイン代表での8年間にわたる指揮を終えた。
2016年7月にはフレン・ロペテギがスペイン代表監督に就任。ロペテギはスペインの強みであるポゼッションを活かしつつ即時奪還と縦への意識を徹底させ[16]、2018年W杯予選ではイスコの活躍によりイタリアに3-0と快勝するなどグループGを9勝1分で首位通過。アルゼンチンとの親善試合にも6-1と大勝するなど20戦にわたり無敗を維持し、2018年W杯には有力な優勝候補として臨むこととなった。RFEFも代表を立て直したロペテギの手腕を高く評価しており、2018年5月にはW杯本大会を待たずEURO 2020までロペテギとの契約を延長したが、W杯初戦を2日後に控えた2018年6月13日、ロペテギは突如代表監督から解任された[17]。この解任は、その前日にRFEFへの十分な事前通告がないままロペテギがW杯後にレアル・マドリードの監督に就任することが発表されたことを理由とするもので、後任にはスポーツディレクターとしてチームに帯同していたフェルナンド・イエロが就任した。
電撃的な監督解任による大混乱の中で迎えたW杯初戦は、ポルトガルを相手にリードしながらもクリスティアーノ・ロナウドにハットトリックを許し3-3で引き分け。続くイラン戦には1-0で勝利するも、第3戦モロッコ戦は二度にわたりリードを許す苦しい展開となり、後半ATのイアゴ・アスパスのゴールで追いつき2-2で辛うじて引き分けた。全3戦を終え、スペインはポルトガルと勝点5で並ぶが、総得点の差によりグループBを1位通過で決勝トーナメント進出を果たす。しかし、決勝トーナメント1回戦では、開催国のロシアを相手に先制後にPKを与え追いつかれると、その後試合通じて圧倒的にボールを支配しながらゴールは決まらず、PK戦を3-4で落としてベスト16で大会を去った。本大会でのスペインは、即時奪還や縦への推進力といったロペテギ時代の強みが影を潜め、漫然とボールを持たされ攻め手を欠く展開からカウンターを受けるといった場面が目立つこととなり、監督解任の影響を色濃く感じさせる結果に終わった[18][19]。敗退後、アンドレス・イニエスタが代表からの引退を発表。また、フェルナンド・イエロ監督は在任わずか25日で退任した。
2018年7月にはルイス・エンリケが監督に就任。新設されたUEFAネーションズリーグ(UNL)の第1回大会ではリーグA・グループ4を2位で終えるも、EURO 2020予選では好調を維持。2019年6月にはルイス・エンリケが一身上の都合で監督を辞するが、アシスタントコーチであったロベルト・モレノが監督に就任し、EURO予選はグループFを8勝2分で首位通過に導いた。しかし、2019年11月に予選突破が決まった翌日、ルイス・エンリケの代表監督復帰が発表される。エンリケとモレノの間には確執が生じており、モレノは代表チームを去ることとなった[20]。
新型コロナウィルスの世界的大流行により開催が1年間延期され、2021年6月に開幕したEURO 2020本大会では、グループステージでスウェーデンに0-0、ポーランドに1-1と低調なスタートを切るも、グループステージ最終戦ではスロバキアに5-0で大勝しグループ Eを2位で通過した。決勝トーナメント1回戦のクロアチア戦では、序盤にウナイ・シモンがバックパスの処理を誤りオウンゴールで先制を許すも、その後3得点を奪い3-1とリード。しかし、終盤クロアチアの2ゴールで3-3と追いつかれ延長戦に突入。それでも延長戦ではアルバロ・モラタらのゴールにより5-3で辛くも勝利した。準々決勝ではスイスを1-1(PK戦3-1)で降すと、準決勝ではイタリアと対戦。ダニ・オルモの偽9番という秘策も奏功し、終始スペインが押し気味の展開となるが、試合は1-1のままPK戦に入る。PK戦では、この試合で度々好守を見せていた相手GKのジャンルイジ・ドンナルンマにモラタのPKがストップされるなどして2-4で敗退したが、18歳のペドリをはじめ若手を主体とするチームでベスト4に進出しこの大会で優勝するイタリアと好ゲームを演じたことは、将来に向けた好材料を残す結果となった。
2021年10月には、前年のリーグフェーズでドイツを6-0で粉砕するなどして進出を決めていたUNL2020-21決勝ラウンドにおいて、準決勝でイタリアに2-1で勝利してEUROの雪辱を果たす。決勝ではフランスに1-2と惜敗し準優勝に終わったものの、初のUNL決勝進出を果たした。
2022年W杯予選ではグループBを6勝1分1敗で首位通過。2022年11月に開幕したカタールでの本大会には18歳のガビをはじめ平均年齢25.6歳と参加32か国中3番目に若いチームで臨み、グループE初戦のコスタリカ戦では相手にシュートを1本も許さず7-0で大勝するが、続くドイツ戦は1-1の引き分けに終わる。第3戦の日本戦は前半にモラタの3試合連続ゴールで先制するも、後半には堂安律と田中碧のゴールで2点を奪われ1-2で逆転負けを喫する。しかし、スペインは得失点差でドイツを上回りグループ2位で決勝トーナメントに進出した。決勝トーナメント1回戦はFIFAランキング2位のベルギーを降してグループFを首位通過したモロッコと対戦。終始攻め続けながら得点を挙げることはできず、0-0のままもつれ込んだPK戦では、キッカーとなったスペインの3選手がいずれも失敗し0-3で敗退した。スペインはゴール前で守備を固められた試合でボールを支配しながら得点を奪えないという積年の課題をまたも露呈したが、この大会でモロッコをアフリカ勢初のW杯4強に導いたワリド・レグラギ監督は、後に「スペインはワールドカップで戦った中でも最高のチームだった。我々が勝利していなければ、彼らはファイナルへ辿り着いただろう」と述べ、スペインの実力を高く評価した[21]。ベスト16敗退という結果を受け、大会終了を待たずしてルイス・エンリケ監督は退任。後任監督にはアンダー世代のスペイン代表を長く率い、U-19欧州選手権2015優勝、U-21欧州選手権2019優勝、東京五輪銀メダル等の実績を挙げていたルイス・デ・ラ・フエンテが就任した[22]。また、長くスペインの中盤の底に君臨した稀代の名手セルヒオ・ブスケツは、この大会をもって代表を引退した。
7 新時代の到来
[編集](1)UEFA EURO 2024 優勝
[編集]
EURO 2024予選ではグループAに入り、スコットランド、ノルウェー、ジョージア等と同組になる。デ・ラ・フエンテ体制は、EURO 2024予選・第2戦のスコットランド戦を0-2で落とすなど出だしでやや躓きを見せ、代表やクラブのトップカテゴリを率いた経験の乏しいデ・ラ・フエンテ監督の手腕を疑問視する声も強まったが、UNL2022-23決勝ラウンドではイタリアを2-1、クロアチアを0-0(PK戦5-4)で降してUNLで初の優勝を果たすなど徐々に調子を上げていく。2023年9月には父親の祖国であるモロッコからも代表チームへの強い勧誘を受けていた規格外の天才ラミン・ヤマルをスペイン史上最年少の16歳でA代表に招集することにも成功し、最終的にEURO予選を7勝1敗で突破した。
EURO本大会ではグループBに入り、初戦でクロアチアに3-0で快勝すると、第2戦は前回大会準決勝で勝ち上がりを許したイタリアと対戦。試合は終始スペインが圧倒し、55分のリカルド・カラフィオーリのオウンゴールにより1-0で勝利。この時点でスペインはグループステージ首位通過を1番乗りで確定させた。メンバーを大幅に入れ替えて臨んだ最終戦のアルバニア戦もフェラン・トーレスのゴールで1-0と勝利し、この大会唯一となる3連勝でグループステージを突破した。
決勝トーナメント1回戦は初出場でポルトガルを破る金星を挙げたジョージアと対戦し、相手に先制を許すもロドリのゴールなどで4-1と逆転勝利しベスト8進出。この大会好調であった開催国ドイツとの準々決勝は、51分にダニ・オルモのゴールで先制するが、89分にはクロスからの折り返しをフロリアン・ヴィルツのボレーで同点とされ延長戦へ。延長後半にはジャマル・ムシアラのシュートがPA内でマルク・ククレジャの左手に接触するが幸運にもPKは認められず、PK戦突入の気配が色濃くなった119分にダニ・オルモのクロスからミケル・メリーノが滞空時間の長いヘディングで決勝点を挙げ、2-1でスペインがベスト4に進出した。準決勝はフランスと対戦し、序盤にキリアン・エムバペのクロスからランダル・コロ・ムアニのヘディングで先制点を奪われるも、ラミン・ヤマルのEURO史上最年少得点(16歳362日)となるゴラッソなどで前半のうちに逆転し、2-1で決勝進出を果たす。
決勝は、2大会連続でEURO決勝進出を果たし悲願の初優勝を目指すイングランドと対戦。前半は膠着した展開のまま0-0で終了するが、スペインは後半開始直後の47分にニコ・ウィリアムズが先制点を奪う。73分にはイングランドもコール・パーマーのゴールで1-1の同点に追いつくが、86分にはククレジャのグラウンダーのクロスにミケル・オヤルサバルが滑り込んで決勝ゴールを挙げ、スペインが2-1と勝利。大会全勝で12年ぶり4回目(史上最多)の欧州制覇を果たした。
このほか2024年は、8月に開催されたパリ五輪においてスペイン五輪代表が32年ぶりとなる金メダルを獲得し、10月には代表の中心選手ロドリがスペイン人としてルイス・スアレス以来64年ぶりにバロンドールを受賞するなど、スペインサッカー界にとって慶賀すべき出来事の多い1年となった。
(2)2026 FIFAワールドカップ 優勝
[編集]
EURO2024での優勝後も、スペイン代表は好調を維持。UNL2024-25では、グループステージを5勝1分で通過すると、決勝トーナメントでは準々決勝でオランダに2戦合計5-5(PK戦5-4)、準決勝でフランスに5-4と強豪国を連破して決勝に進出。決勝はポルトガルに2-2(PK戦3-5)で準優勝に終わるも、3大会連続のUNL決勝進出を果たした。
続く2026年W杯予選では圧巻の強さを見せ、グループEを5連勝で首位通過する(最終成績は5勝1分)。2026年3月には、中立地カタールにおいて、欧州王者(EURO 2024優勝)スペインと南米王者(コパ・アメリカ2024優勝)アルゼンチンの間でフィナリッシマ2026の開催が予定されていたが、中東情勢の緊迫化を受け中止となった。
2026年5月に発表された2026年W杯本大会のメンバーにはレアル・マドリードの所属選手が選出されず、代表史上初めてレアル・マドリードの選手を欠いてW杯本大会を迎えた[23]。FIFAランキング2位のスペインは本大会の有力な優勝候補と目されたが、EURO2024で猛威を振るったラミン・ヤマルとニコ・ウィリアムズの両翼が負傷からの回復を見込んでの選出となるなど不安要素も残った。
W杯本大会はグループHに入り、初戦で初出場のカーボベルデと対戦。27本のシュートを放つも相手GKヴォジーニャの活躍もあり得点を奪えず、負傷明けのラミン・ヤマルを終盤に投入するも0-0の引き分けに終わる[24]。それでも第2戦のサウジアラビア戦はヤマルのW杯初得点などで4-0と大勝。古豪ウルグアイとの第3戦は、勝たなければ敗退となるウルグアイのラフプレーが目立つ荒れた展開となるが、スペインがアレックス・バエナのゴールで1-0と勝利しグループ首位通過を決めた。
決勝トーナメント1回戦(ラウンド32)のオーストリア戦は、ミケル・オヤルサバルの2得点などで3-0と快勝し、W杯の決勝トーナメントで16年ぶりに勝利。試合後オーストリアのラルフ・ラングニック監督は「我々は欧州王者、そしておそらく次の世界王者になるチームと対戦した」と述べ、スペインのクオリティを絶賛した[25]。続く決勝トーナメント2回戦(ラウンド16)では、「これが最後のW杯」と公言していたクリスティアーノ・ロナウド擁するポルトガルと対戦。序盤の絶好機をオヤルサバルが逸し拮抗した試合展開となるが、攻守で存在感を示していたヌーノ・メンデスの負傷交代もあり主導権を強めたスペインは、後半ATにクイックリスタートから連続したパス交換を経て最後はミケル・メリーノが決勝点を挙げ、1-0でベスト8に進出した。準々決勝は2018年W杯で3位に輝いた黄金世代の主力が残るベテラン勢に若手が融合したベルギーと対戦。スペインは、1-0とリードする前半41分にシャルル・デ・ケテラーレのヘディングにより大会初失点を喫するが、86分には負傷したティボー・クルトワに代わったGKセンヌ・ラメンスの弾いたこぼれ球をまたも途中出場のメリーノが押し込み2-1で勝利した。準決勝はスター軍団を擁して3大会連続のW杯決勝進出へ隙のない勝ち上がりをみせており、優勝候補筆頭との呼び声も高かったフランスと対戦。試合は前半からスペインが終始ゲームを支配し、前半22分にはラミン・ヤマルの獲得したPKをオヤルサバルが決めて先制点を奪うと、58分にはペドロ・ポロがダニ・オルモとの巧みなワンツーから追加点。フランスにチャンスを殆ど作らせないまま2-0で試合は終了し、スペインが圧巻の勝利で決勝進出を決めた。
決勝では39歳となったリオネル・メッシをアイコンに史上3か国目のW杯連覇を目指すFIFAランキング1位のアルゼンチンと対戦。奇しくも決勝戦は、幻に終わったフィナリッシマ2026と同一カードとなる。両チームの対戦成績は当時6勝6敗2分と全くの五分で、W杯での対戦は1966年大会以来60年ぶりとなった。試合開始から優勢のスペインは相手に殆どチャンスを作らせない一方、アルゼンチンも粘り強い守備でゴールを割らせず試合は0-0のまま推移するが、後半ATにエンソ・フェルナンデスが2枚目の警告を受け退場すると、以降延長戦にかけスペインが圧倒的に押し込む展開となる。ニコ・ウィリアムズのゴールが取り消される微妙な判定などもあり延長前半は0-0で終わるが、延長後半開始早々の106分にはクロスからのニコ・ウィリアムズの折り返しを途中出場のフェラン・トーレスが合わせ遂にスペインが先制。そのまま1-0で勝利し16年ぶり2度目のW杯制覇を果たした。スペインは、シュート数20対2(アルゼンチンは失点後の116分までシュート0)、枠内シュート数12対0とスタッツ上でもアルゼンチンを圧倒し、この勝利により国際Aマッチ38戦連続無敗の世界新記録を樹立した[26]。
優勝したスペインからは、ロドリが大会MVP、パウ・クバルシが最優秀若手選手賞、ウナイ・シモンが最優秀GKに輝いた。スペインの失点は大会を通じてベルギー戦の1点のみに終わり、試合数が過去最多となった本大会で、史上最少失点でのW杯優勝という新たな記録を打ち立てている[27]。
チームの愛称
[編集]スペイン代表のファンからは「La Furia Roja (赤い怒り)」と呼ばれ、これは16世紀から17世紀にかけてのスペイン軍がオランダ独立の際にアントワープを侵略し、破壊したことからきている[28]。また、この「La Furia Roja」は非公式の愛称であり、上述の通りスペイン代表が勝てなかった時代のプレースタイルと結び付けて用いられることも多かったため、近年ではあまり愛称として用いられない。この他に知られている愛称としては、国技である闘牛とスペインサポーターの気性の荒さから「Los Toros (闘牛)」も用いられ、サポーターには闘牛士を意味する「Matador」や「Toreros」がある。
近年では、ルイス・アラゴネスが好んで使用した「La Roja (赤)」がメディアやサポーターに多用されている[29]。日本のマスメディアにおいては、「無敵艦隊」の愛称が用いられる場合が多い[注釈 1][30]。
ホームスタジアム
[編集]イングランド(ウェンブリー・スタジアム)やフランス(スタッド・ド・フランス)などと異なり、スペイン代表は明確なホームスタジアムを持たないが、国際大会予選などの公式戦はレアル・マドリードのホームスタジアムであるエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ(マドリード)で行なわれることが多い。その他にはアトレティコ・マドリードのホームスタジアムであるエスタディオ・メトロポリターノ(マドリード)、バレンシアCFのホームスタジアムであるエスタディオ・デ・メスタージャ(バレンシア)などもよく使用され、スペイン代表はエスタディオ・ビセンテ・カルデロンでの公式戦で負けたことがない。
国際親善試合ではこれらのスタジアムの他に、セビージャFCのホームスタジアムであるエスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスフアン(セビリア)もよく使用される。大都市以外で行なわれることも多く、近年ではエスタディオ・デ・リアソール(ラ・コルーニャ)、サン・マメス・バリア(ビルバオ)、エスタディオ・ベニート・ビジャマリン(セビリア)、エスタディ・コルネリャ=エル・プラット(バルセロナ)、エスタディオ・アノエタ(サン・セバスティアン)などが利用されている。スペイン本土外で試合が行なわれることもあり、UEFA EURO 2008予選の北アイルランド戦はカナリア諸島・グラン・カナリア島のエスタディオ・グラン・カナリア(ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア)で行なわれた。
近年は、スペイン政府とカタルーニャ州政府との歴史的な対立関係やカタルーニャ独立運動を支持するバルセロナの選手たちが試合中にブーイングを受けることがしばしばあることなどから、スペインの2大都市であるマドリードやバルセロナで試合が開催されることは少ない。
ユニフォームとロゴ
[編集]
伝統的にホームでは赤に黄色のトリミングをしたユニフォームを使用している。これは赤と黄色がともにスペインの国旗に使用されていることによる。なお赤と黄色はそれぞれ「血と黄金」を現している。アウェイでは過去には白、現在はブルー系を基調としたユニフォームを使用している。2014年W杯でオランダと対戦する際、FIFAから「ホームユニフォームだとオランダとの見分けがつきにくい」との指摘があったことを受け、サードユニフォームを利用することとなった。こちらは白を基調としている。
ロゴはスペインの国章を配した黒地に黄色(金色)の縁取りをした楯の下にサッカーボールとリボンをあしらったものである。楯には黄色で1913とRFEFの設立年が記され、リボンにはゴシック体で"RFEF"の文字記されている。前述の2010年W杯決勝はアウェイの紺色のユニホームで戦い、優勝を決めるとこの時の為に作られていた「ロゴの上に一つ星(ワールドカップ優勝回数を示す)」のホーム用の赤色のユニホームに着替え、表彰式に臨んだ。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
主要な戦績
[編集]優勝 準優勝 3位/ベスト4 4位
| 大会 | 通算 | |||
|---|---|---|---|---|
| FIFAワールドカップ | 2 | 0 | 0 | 2 |
| FIFAコンフェデレーションズカップ | 0 | 1 | 1 | 2 |
| UEFA欧州選手権 | 4 | 1 | 1 | 6 |
| UEFAネーションズリーグ | 1 | 2 | 0 | 3 |
| 夏季オリンピック注1 | 2 | 3 | 0 | 5 |
| 通算 | 9 | 7 | 2 | 18 |
注1U-23サッカースペイン代表の成績を含む。
FIFAワールドカップ
[編集]
| 開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 不参加 | |||||||
| ベスト8 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 3 | |
| 不参加 注1 | |||||||
| 4位 | 6 | 3 | 1 | 2 | 10 | 12 | |
| 予選敗退 | |||||||
| GL敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 3 | |
| 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 5 | ||
| 予選敗退 | |||||||
| 1次リーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | |
| 2次リーグ敗退 | 5 | 1 | 2 | 2 | 4 | 5 | |
| ベスト8 | 5 | 3 | 1 | 1 | 11 | 4 | |
| ベスト16 | 4 | 2 | 1 | 1 | 6 | 4 | |
| ベスト8 | 5 | 2 | 2 | 1 | 10 | 6 | |
| GL敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 8 | 4 | |
| ベスト8 | 5 | 3 | 2 | 0 | 10 | 5 | |
| ベスト16 | 4 | 3 | 0 | 1 | 9 | 4 | |
| 優勝 | 7 | 6 | 0 | 1 | 8 | 2 | |
| GL敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 7 | |
| ベスト16 | 4 | 1 | 3 | 0 | 7 | 6 | |
| 4 | 1 | 2 | 1 | 9 | 3 | ||
| 優勝 | 8 | 7 | 1 | 0 | 14 | 1 | |
| 出場決定 | |||||||
| 合計 | 出場17回/優勝2回 | 75 | 38 | 18 | 19 | 122 | 76 |
注1スペイン内戦の為
UEFA欧州選手権
[編集]

| 開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 予選敗退注1 | |||||||
| 優勝 | 2 | 2 | 0 | 0 | 4 | 2 | |
| 予選敗退 | |||||||
| ベスト8 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 4 | |
| 準優勝 | 5 | 1 | 3 | 1 | 4 | 5 | |
| GL敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 5 | |
| 予選敗退 | |||||||
| ベスト8 | 4 | 1 | 3 | 0 | 4 | 3 | |
| 4 | 2 | 0 | 2 | 7 | 7 | ||
| GL敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | |
| 優勝 | 6 | 5 | 1 | 0 | 12 | 3 | |
| 優勝 | 6 | 4 | 2 | 0 | 12 | 1 | |
| ベスト16 | 4 | 2 | 0 | 2 | 5 | 4 | |
| ベスト4 | 6 | 2 | 4 | 0 | 13 | 6 | |
| 優勝 | 7 | 7 | 0 | 0 | 15 | 4 | |
| 合計 | 出場12回/優勝4回 | 53 | 28 | 15 | 10 | 83 | 46 |
注1政治的理由により途中棄権
FIFAコンフェデレーションズカップ
[編集](出場した大会のみ表記)
| 開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 3位 | 5 | 4 | 0 | 1 | 11 | 4 | |
| 準優勝 | 5 | 3 | 1 | 1 | 15 | 4 | |
| 合計 | 出場2回/優勝0回 | 10 | 7 | 1 | 2 | 26 | 8 |
オリンピック
[編集]| 開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 不参加 | |||||||
| 銀メダル | 5 | 4 | 0 | 1 | 9 | 5 | |
| 1回戦 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | |
| ベスト8 | 3 | 1 | 1 | 1 | 9 | 9 | |
| サッカー競技不実施 | |||||||
| 不参加注1 | |||||||
| 予選敗退 | |||||||
| ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 4 | 2 | |
| 予選敗退 | |||||||
| GL敗退 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | 3 | |
| 3 | 0 | 3 | 0 | 2 | 2 | ||
| 予選敗退 | |||||||
| 金メダル | 6 | 6 | 0 | 0 | 14 | 2 | |
| ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 5 | 7 | |
| 銀メダル | 6 | 4 | 1 | 1 | 12 | 6 | |
| 予選敗退 | |||||||
| GL敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 2 | |
| 予選敗退 | |||||||
| 銀メダル | 6 | 3 | 2 | 1 | 9 | 5 | |
| 金メダル | 6 | 5 | 0 | 1 | 16 | 8 | |
| 合計 | 出場12回/金2回 | 49 | 27 | 10 | 12 | 81 | 52 |
注1スペイン内戦の為
注21948年大会から1988年大会まではアマチュアチームが参加した。
注31992年大会以降の夏季五輪にはU-23サッカースペイン代表が参加している。
その他世代別代表の戦績
[編集]受賞等
[編集]- FIFAフェアプレー賞
- 受賞 (2): 2006年、2010年
- FIFAチーム・オブ・ザ・イヤー
- 受賞 (5): 2008年、2009年、2010年、2011年、2012年
- アストゥリアス皇太子賞 スポーツ部門
- 受賞 (1): 2010年
- ローレウス世界スポーツ賞
- 受賞 (1): 2011年
- 非公式タイトル
- ワールドサッカー誌選出 ワールド・チーム・オブ・ザ・イヤー
- 受賞 (3): 2008年、2010年、2012年
- トロフェオ・ビセンテナリオ
- 優勝 (1): 2010年
- コパ・V・センテナリオ
- 優勝 (1): 2012年
現招集メンバー
[編集]- 2026年8月現在
歴代選手
[編集]歴代記録
[編集]出場数ランキング
[編集]
- 2026年7月20日現在
| 順位 | 選手 | 出場 | 得点 | 期間 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | セルヒオ・ラモス | 180 | 23 | 2005年 - 2023年 |
| 2 | イケル・カシージャス | 167 | 0 | 2000年 - 2016年 |
| 3 | セルヒオ・ブスケツ | 142 | 2 | 2009年 - 2022年 |
| 4 | シャビ・エルナンデス | 133 | 13 | 2000年 - 2014年 |
| 5 | アンドレス・イニエスタ | 131 | 13 | 2006年 - 2018年 |
| 6 | アンドニ・スビサレッタ | 126 | 0 | 1985年 - 1998年 |
| 7 | ダビド・シルバ | 125 | 35 | 2006年 - 2018年 |
| 8 | シャビ・アロンソ | 114 | 16 | 2003年 - 2014年 |
| 9 | セスク・ファブレガス | 110 | 15 | 2006年 - 2016年 |
| フェルナンド・トーレス[31] | 38 | 2003年 - 2014年 |
得点数ランキング
[編集]
- 2026年7月20日現在
| 順位 | 選手 | 得点 | 出場 | 期間 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | ダビド・ビジャ[32][33][34] | 59 | 98 | 2005年 - 2014年 |
| 2 | ラウル・ゴンサレス | 44 | 102 | 1996年 - 2006年 |
| 3 | フェルナンド・トーレス[31] | 38 | 110 | 2003年 - 2014年 |
| 4 | アルバロ・モラタ | 37 | 87 | 2014年 - 2025年 |
| 5 | ダビド・シルバ | 35 | 125 | 2006年 - 2018年 |
| 6 | ミケル・オヤルサバル | 30 | 61 | 2016年 - |
| 7 | フェルナンド・イエロ | 29 | 89 | 1989年 - 2002年 |
| 8 | フェルナンド・モリエンテス | 27 | 47 | 1998年 - 2007年 |
| 9 | エミリオ・ブトラゲーニョ | 26 | 69 | 1984年 - 1992年 |
| 10 | フェラン・トーレス | 25 | 65 | 2020年 - |
歴代監督
[編集]| 監督 | 期間 |
|---|---|
| フランシスコ・ブル | 1920年 |
| ペドロ・パラヘス | 1923年 - 1924年 |
| パウリーノ・アルカンタラ | 1951年 |
| リカルド・サモラ | 1952年 |
| ペドロ・エスカルティン・モラン | 1952年 - 1961年 |
| エレニオ・エレーラ | 1959年 - 1962年 |
| ミゲル・ムニョス | 1962年 |
| ホセ・ビジャロンガ | 1962年 - 1966年 |
| ドミンゴ・バルマンジャ | 1966年 - 1968年 |
| ルイス・モロウニー | 1969年 |
| ラディスラオ・クバラ | 1969年 - 1980年 |
| ホセ・サンタマリア | 1980年 - 1982年 |
| ミゲル・ムニョス | 1982年 - 1988年 |
| ルイス・スアレス | 1988年 - 1991年 |
| ビセンテ・ミエラ | 1991年 - 1992年 |
| ハビエル・クレメンテ | 1992年 - 1998年 |
| ホセ・アントニオ・カマーチョ | 1998年 - 2002年 |
| イニャキ・サエス | 2002年 - 2004年 |
| ルイス・アラゴネス | 2004年 - 2008年 |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 2008年 - 2016年 |
| フレン・ロペテギ | 2016年 - 2018年 |
| フェルナンド・イエロ | 2018年 |
| ルイス・エンリケ | 2018年 - 2019年 |
| ロベルト・モレノ | 2019年 |
| ルイス・エンリケ | 2019年 - 2022年 |
| ルイス・デ・ラ・フエンテ | 2022年 - |
備考
[編集]- 大会ソング
| 大会 | アンセム/曲 | アーティスト | 作曲家/レーベル |
|---|---|---|---|
| 2002 FIFAワールドカップ | "Vivimos La Selección" | オペラシオン・トリウンフォ | キケ・サンタンデール |
| UEFA EURO 2004 | "Sírvame una Copita" | カフェ・キハーノ | ワーナー・ミュージック |
| UEFA EURO 2008 | "Pasar de cuartos" | ピグノイズ | ワーナー・ミュージック |
| UEFA EURO 2012 | "No hay 2 sin 3" | カリ&エル・ダンディー ft. ダビド・ビスバル | ユニバーサル・ミュージック |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ “スペイン0-2チリ―無敵艦隊スペイン、チリの躍動に沈む”. ウォール・ストリート・ジャーナル日本版. 2014年6月19日閲覧.[リンク切れ]
- ↑ Hayward, Paul (2002年6月23日). “Korean miracle spoilt by refereeing farce”. Telegraph. 2012年6月24日閲覧。
- ↑ “Why Spain were anything but boring”. CBC. 8 July 2010. 2012年1月4日閲覧.
- ↑ “Euro 2008 Final Preview: Germany vs Spain” (2008年6月29日). 2012年1月13日閲覧。
- ↑ “Germany 0–1 Spain”. BBC Sport. London. 29 June 2008. 2009年8月20日閲覧.
- ↑ “Spain appoint Del Bosque”. Sky Sports (2008年7月15日). 2012年1月4日閲覧。
- ↑ “Spain Finish Third in Confederations Cup After Thrilling Finale Against South Africa”. Goal.com (2009年6月28日). 2012年1月4日閲覧。
- ↑ “Forlan and Muller strike gold”. FIFA (2010年7月11日). 2010年7月14日閲覧。
- ↑ Smith, Ben (27 June 2012). “Portugal 0–0 Spain”. BBC Sport. British Broadcasting Corporation. 2012年6月30日閲覧.
- ↑ “Spain claim historic win”. ESPN Soccernet. ESPN. 1 July 2012. 2012年7月1日閲覧.
- ↑ Atkin, John (1 July 2012). “Double-winning Del Bosque matches Schön feat”. UEFA.com. Union of European Football Associations. 2012年7月1日閲覧.
- ↑ Atkin, John (2 July 2012). “Del Bosque reflects on 'historic win' for Spain”. UEFA.com. Union of European Football Associations. 2012年7月2日閲覧.
- ↑ “【スペイン】フランスを圧倒し首位奪回。W杯連覇に死角はあるか”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2013年3月27日). 2026年8月9日閲覧。
- ↑ “オランダはなぜスペインに大勝できたのか?(2/3)”. web Sportiva. 講談社. 2014年6月14日. 2014年6月19日閲覧.
{{cite news}}:|work=、|newspaper=引数が重複しています。 (説明) - ↑ “スペイン敗退。前回王者が自滅したふたつの理由(2/4)”. web Sportiva. 講談社. 2014年6月19日. 2014年6月19日閲覧.
{{cite news}}:|work=、|newspaper=引数が重複しています。 (説明) - ↑ “【現地発】スペイン代表のトレーニングに潜入 「4~5分の練習の中に最先端の戦術のエッセンスがぎっしり!」”. ライブドアニュース. 2026年8月29日閲覧。
- ↑ “スペイン代表ロペテギ監督を電撃解任、W杯開幕前日”. 日刊スポーツ. 2018年6月14日閲覧。
- ↑ “「ロペテギ解任で全てが終わった」「無秩序」 “無敵艦隊”スペインの早すぎる敗退に母国紙が嘆き!【ロシアW杯】 | サッカーダイジェストWeb”. www.soccerdigestweb.com. 2026年8月29日閲覧。
- ↑ “J指導者がスペインのW杯敗退で痛感した「監督に大金をかける必要性」”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2018年7月27日). 2026年8月29日閲覧。
- ↑ “9年間の蜜月関係はもう戻らない……。L・エンリケとモレノの悲しい別れ。(工藤拓)”. Number Web - ナンバー. 2026年8月7日閲覧。
- ↑ “ペドリ、ガビ、バルデらスペインの未来は明るい モロッコ代表監督が語っていた“スペイン最高説”|theWORLD(ザ・ワールド)|世界中のサッカーを楽しもう!”. www.theworldmagazine.jp. 2026年8月5日閲覧。
- ↑ “スペイン新監督にルイス・デラフエンテ氏 東京五輪で銀メダル ルイスエンリケ氏退任直後に発表”. 日刊スポーツ. 2022年12月8日. 2022年12月9日閲覧.
{{cite news}}:|work=、|newspaper=引数が重複しています。 (説明) - ↑ “R・マドリーからの選出はゼロ…スペイン代表W杯メンバー26人発表!! 18歳FWヤマルらバルサから最多8人”. ゲキサカ (2026年5月25日). 2026年5月26日閲覧。
- ↑ “スペイン代表FW、W杯60年ぶりの不名誉記録…開始30分で一度もボールに触れないのは初。チームもシュート49本で無得点”. Goal.com (2026年6月16日). 2026年7月11日閲覧。
- ↑ “「我々は勇敢に戦ったが…」 オーストリア指揮官がスペインを称賛「おそらく次の世界王者になるチーム」”. ライブドアニュース. 2026年8月5日閲覧。
- ↑ “【北中米W杯】スペインが2度目のW杯制覇!イタリアを超える「38試合無敗」の史上最長無敗記録を達成 | FIFAワールドカップ2026”. www.dazn.com. 2026年8月23日閲覧。
- ↑ Inc, Nikkei (2026年7月22日). “(サッカーW杯2026)記録で振り返るW杯 メッシ金字塔 歴代最多23勝・9試合連続得点・38歳でハット”. 日本経済新聞. 2026年7月22日閲覧。
- ↑ “El inspirador de la "furia española" fue un vasco” (スペイン語). El Mundo.es (2008年6月15日). 2011年9月15日閲覧。
- ↑ “El porqué de 'la Roja'” (スペイン語). エル・ムンド (2010年5月31日). 2021年6月28日閲覧。
- ↑ “スペイン0-2チリ―無敵艦隊スペイン、チリの躍動に沈む”. ウォール・ストリート・ジャーナル日本版. 2014年6月19日閲覧.[リンク切れ]
- 1 2 スペイン語
- ↑ スペイン語 Villa debuta como capitán tras su gol 50 con La Roja MARCA.COM 2011年10月11日
- ↑ ジョレンテ、代表50得点のビジャを絶賛 Goal.com、2011年10月13日
- ↑ スペイン語