エンリケ・カストロ・ゴンサレス

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はカストロ第二姓(母方の)はゴンサレスです。
キニ Football pictogram.svg
Quini.jpg
名前
本名 エンリケ・カストロ・ゴンサレス
Enrique Castro González
愛称 El Brujo、Quinocho、Quinigol
ラテン文字 Quini
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1949-09-23) 1949年9月23日(68歳)
出身地 スペインの旗 スペインオビエド
身長 175cm
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1968-1980
1980-1984
1984-1987
スペインの旗 ヒホン
スペインの旗 FCバルセロナ
スペインの旗 ヒホン
380 (215)
100 (54)
61 (17)
代表歴
1968
1971
1969-1972
1970-1982
U-18スペイン
U-21スペイン
スペイン・アマチュア
スペインの旗 スペイン
2 (0)
1 (0)
9 (11)
35 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

キニ(Quini)ことエンリケ・カストロ・ゴンサレス(Enrique Castro González, 1949年9月23日 - )は、スペインオビエド出身の元サッカー選手スペイン代表であった。ポジションはFW

リーガ・エスパニョーラ通算219得点は歴代6位である。プリメーラ・ディビシオン(1部)でのピチーチ賞受賞5回は、テルモ・サラの6回に次いで2位タイである。同じく5回獲得した選手に、ウーゴ・サンチェスアルフレッド・ディ・ステファノがいる。セグンダ・ディビシオン(2部)での2回の得点王を合わせ、合計で7回得点王を獲得した。

経歴[編集]

クラブ[編集]

スポルティング・ヒホン[編集]

アストゥリアス州オビエドに生まれ、1968年にアマチュアクラブのエンシデーサから隣町ヒホンにあるスポルティング・ヒホンに移った。同年にトップチームデビューし、1969-70シーズンにはセグンダ・ディビシオン(2部)で24得点を挙げて得点王に輝いた。そのシーズン終了後にプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を決めると、1970-71シーズンは初のプリメーラ・ディビシオン挑戦ながら30試合に出場して13得点を挙げた。その後の9シーズンでリーグ戦一桁得点に終わったシーズンは1度しかなく、プリメーラ・ディビシオンで3度、セグンダ・ディビシオンで1度のリーグ得点王(ピチーチ賞)に輝いた。1973-74シーズンにはプリメーラ・ディビシオンで初の得点王を獲得したが、皮肉にもプリメーラ・ディビシオンで2度目の得点王を獲得した1975-76シーズンにセグンダ・ディビシオン降格となった。1976-77シーズンにはセグンダ・ディビシオンで2度目となる得点王に輝き、1979-80シーズンにはプリメーラ・ディビシオンで3度目の得点王に輝いた。

FCバルセロナ[編集]

1980年夏、スポルティング・ヒホンのセグンダ・ディビシオン降格以来興味を示されていたFCバルセロナに移籍した。1981年3月1日、エルクレスCF戦(6-0)で2得点を決めた試合後、2人組の男に銃を突きつけられて小型トラックに乗せられ、誘拐された[1][2]。事件は様々な展開を見せたが、スペイン警察とスイス警察の協力により、3月25日に無事に救出された。この期間内にFCバルセロナは4戦して1分しかできず、結局はタイトルレースから脱落することになった。このような事件があったにもかかわらず、1980-81シーズンと1981-82シーズンだけでリーグ戦合計47得点を挙げ、ふたつのクラブをまたがって3シーズン連続となるリーグ得点王の栄誉に輝いた。移籍初年度のコパ・デル・レイ決勝(3-1)では古巣スポルティング・ヒホン相手に2得点して優勝し、1981-82シーズンのUEFAカップウィナーズカップ決勝(2-1)ではベルギーのスタンダール・リエージュ相手にカンプ・ノウで逆転勝利を収めた[3]。ホームでのCDカステリョン戦でクラブの通算3000得点目を決めたが、1982-83シーズンと1983-84シーズンは出場機会が減少し、35歳だった1984年に現役引退を表明した。

スポルティング・ヒホン復帰[編集]

FCバルセロナは引退記念試合を開催したが、彼は現役引退の考えを改めて古巣スポルティング・ヒホンと契約し、FCバルセロナでの晩年よりは比較的多くの試合に出場した。1987年6月14日、FCバルセロナ戦が現役最後の試合となった。プリメーラ・ディビシオンでは448試合に出場して219得点を挙げた。現役引退後はスポルティング・ヒホンのフロントに入った。

代表[編集]

1970年10月28日、サラゴサで行われたギリシャとの親善試合(2-1)でスペイン代表デビューし、初得点も決めた。1974年11月20日のUEFA欧州選手権1976予選スコットランド戦では2得点を挙げたが、UEFA欧州選手権1976本大会に出場するメンバーからは外れた。1978年3月から4月にかけて、ノルウェーメキシコとの親善試合で立て続けに得点し、1978 FIFAワールドカップ本大会に出場するメンバーにも選ばれたが、本大会では得点することなく1次リーグ3位でアルゼンチンを去った。1980年にはUEFA欧州選手権1980に出場し、ベルギー戦(1-2)で1得点を挙げたが、彼が主要国際大会で挙げた得点はこの1得点のみである。1982年には母国開催の1982 FIFAワールドカップに出場したが、2次リーグで敗退した。スペイン代表としては通算35試合に出場して8得点を挙げた。

タイトル[編集]

クラブ[編集]

  • FCバルセロナ
コパ・デル・レイ (2) : 1981-80, 1982-83
UEFAカップウィナーズカップ (1) : 1981-82
スーペルコパ・デ・エスパーニャ (1) : 1982-83
コパ・デ・ラ・リーガ (1) : 1982-83

個人[編集]

個人成績[編集]

代表での得点[編集]

脚注[編集]

  1. ^ El secuestro de Quini puede tener móviles económicos El País、1981年3月3日 (スペイン語)
  2. ^ Quini: Un secuestro que tuvo en vilo al país Sport、2007年9月19日(スペイン語)
  3. ^ 1981/82: Home sweet home for Barcelona UEFA.com、1982年6月1日

外部リンク[編集]