マノロ・サンチェス

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はサンチェス第二姓(母方の)はデルガドです。
マノロ Football pictogram.svg
Manolo atleti.jpg
名前
本名 マヌエル・サンチェス・デルガド
Manuel Sánchez Delgado
ラテン文字 Manolo
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1965-01-17) 1965年1月17日(52歳)
出身地 カセレス
身長 168cm
選手情報
ポジション FW
代表歴
1982
1982-1983
1987
1988-1992
U-16スペイン
U-18スペイン
U-23スペイン
スペインの旗 スペイン
2 (0)
12 (3)
2 (0)
28 (9)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マノロ(Manolo)こと、マヌエル・サンチェス・デルガド(Manuel Sánchez Delgado, 1965年1月17日 - )は、スペインカセレス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。スペイン代表であった。ポジションはFW

経歴[編集]

選手[編集]

クラブ[編集]

地元のCPカセレーニョの下部組織で育ち、17歳の時にトップチームデビューした。1983年にCEサバデルに移籍し、1985年に同じセグンダ・ディビシオン(2部)のレアル・ムルシアに移籍。1985-86シーズン終了後にプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を果たし、プリメーラ・ディビシオン初挑戦となった1986-87シーズンは36試合に出場して12得点してトップリーグ残留に貢献した。1988年夏、アトレティコ・マドリードに移籍し、パウロ・フットレと名コンビを組んだ。1991-92シーズンにはフットレのアシストから何度も得点し、27得点を挙げて得点王(ピチーチ賞)に輝いた。1990-91シーズンにはコパ・デル・レイで優勝し、1991-92シーズンにはコパ・デル・レイ2連覇を果たしている。晩年はCEサバデルとCPメリダでプレーしたが、脛骨の深刻な怪我によりCPメリダでは1試合にも出場していない。プリメーラ・ディビシオンでは通算97得点を挙げた。

代表[編集]

アトレティコ・マドリードに移籍してすぐの1988年11月16日、1990 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選アイルランド共和国戦でスペイン代表デビューし、この試合で初得点も挙げた。同予選では計5得点して本大会出場に貢献し、1990年にイタリアで開催された本大会にも参加。グループリーグ初戦のウルグアイ戦(0-0)に出場したが、以後は出場機会がなかった[1]

指導者[編集]

2007年、ガラクティコ・ペガーソ監督に就任して指導者としての一歩を踏み出した。

所属クラブ[編集]

指導クラブ[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

  • レアル・ムルシア
セグンダ・ディビシオン : 1985-1986
  • アトレティコ・マドリード
コパ・デル・レイ : 1990-1991, 1991-1992

個人[編集]

ピチーチ賞 : 1991-1992

個人成績[編集]

代表での得点[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Spain - Uruguay 0-0 Planet World Cup、1990年6月13日

外部リンク[編集]