ホセ・マリア・バケーロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はバケーロ第二姓(母方の)はエスクデロです。(Template:スペイン語圏の姓名
ホセ・マリ・バケーロ Football pictogram.svg
José Mari Bakero.jpg
名前
本名 ホセ・マリア・バケーロ・エスクデロ
José María Bakero Escudero
ラテン文字 José María Bakero
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1963-02-11) 1963年2月11日(58歳)
出身地 パンプローナ県ゴイスエタ
身長 172cm
体重 71kg
選手情報
ポジション MF (OH)
ユース
スペインの旗 レアル・ソシエダ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1988 スペインの旗 レアル・ソシエダ 223 (67)
1988-1996 スペインの旗 バルセロナ 260 (72)
1997 メキシコの旗 ベラクルス 17 (3)
通算 500 (142)
代表歴
1987-1994[1] スペインの旗 スペイン 30 (7)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ホセ・マリ・バケーロJosé María Bakero Escudero1963年2月11日 - )は、スペインパンプローナ県ゴイスエタ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはMF(攻撃的MF)。

クラブ経歴[編集]

レアル・ソシエダのカンテラで育ち、17歳にしてトップデビュー。同チームでは8シーズンに渡りプレーし、1980-81、1981-82シーズンの優勝も経験した。1984-85シーズン、第23節のバレンシア戦ではプロ入り後初のハットトリックを達成した(4ゴールを決めた)[2]。1987-88シーズンはリーグ戦で17ゴールを決める活躍を見せた[2]

1988-89シーズンにFCバルセロナに移籍、ドリームチームの一員として、キャプテンを務め[3]、トップ下でプレー[4]、シンプルかつ素早いダイレフトパスを武器にクライフのサッカーに欠かせない選手として活躍[5]、加入後4シーズン連続でリーグ戦2桁ゴールを決めるなど、多くのゴールも決め、数々の栄光を掴んだ。

1991-92シーズン、リーグ戦では11ゴールを決めて[6]、リーグ制覇に貢献、チャンピオンズカップ準決勝リーグ、最終節のベンフィカ戦で決勝ゴールを決めて[6] 決勝進出に貢献、決勝でも先発フル出場しUCサンプドリアを下して優勝した。1995-96シーズン、第6節のレアル・オビエド戦ではハットトリックを決めた[2]。1996-97シーズン、バルセロナでの最後の出場となった第13節のレアル・バリャドリード戦では先発出場し、惜別のゴールを決め[2]、チームを退団、ティブロネス・ロホスに移籍、そこで1シーズンプレーして引退した。

代表経歴[編集]

スペイン代表には1987年に欧州選手権予選で初選出され、翌年の本大会でもグループリーグの3試合に先発フル出場[7]、初戦のデンマーク戦ではエミリオ・ブトラゲーニョのゴールをアシストした。

1990年のイタリアW杯ではグループリーグの韓国戦で9分間出場したのみに終わった[7]。1994年のアメリカW杯では途中交代などで4試合に出場[7]、ラウンド16のスイス戦では先発フル出場した[7]

引退後[編集]

引退後はバルセロナのコーチングスタッフに就任。ロレンツォ・セラ・フェレールルイス・ファン・ハールの下で指導者としての経験を積み、2005年にはマラガBで初の監督を務めた。2005-06シーズンはレアル・ソシエダのスポーツディレクターに就任、シーズン終盤には降格の危機にあった同チームの指揮を執り、リーグ残留を成し遂げた。しかしながら翌シーズンは成績が振るわず、2006年10月に解任された。その後、マラガの監督に就任したのち、2007-08シーズンよりバレンシアCFで、ドリームチーム時のチームメイトのロナルド・クーマン監督のもとアシスタントコーチを務めていた。しかし、2008年4月に成績不振でクーマンが解任されたことに伴い、同チームより解任された。

2009年11月にポーランドリーグポロニア・ワルシャワ監督に就任するが、2010年9月に解任された。2010年11月にレフ・ポズナン監督に就任。

選手経歴[編集]

監督経歴[編集]

タイトル[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]