UCサンプドリア

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UCサンプドリア
U.C. Sampdoria Logo.png
原語表記 Unione Calcio Sampdoria S.p.A.
愛称 I Blucerchiati (青い円)
La Samp
Il Doria
クラブカラー    
創設年 1946年
所属リーグ セリエA
所属ディビジョン 1部(2021-22
ホームタウン ジェノヴァ
ホームスタジアム Stadio Luigi Ferraris di Genova.jpg
スタディオ・ルイジ・フェッラーリス
収容人数 41,917人
代表者 イタリアの旗 マルコ・ランナ
監督 セルビアの旗 デヤン・スタンコビッチ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ウニオーネ・カルチョ・サンプドリア: Unione Calcio Sampdoria)は、イタリアジェノヴァをホームタウンとするプロサッカークラブ。愛称「サンプ(La Samp)」や「ドリア(Il Doria)」、または「ブルチェルキアーティ(I Blucerchiati、青に囲まれしもの)」。1990-91シーズン、セリエA優勝の古豪。

歴史[編集]

1946年にサンピエルダレネーゼとアンドレア・ドリアが合併して誕生。

1980年代にはパオロ・マントバーニ会長による積極経営の下で、セリエAを代表するチームに成長し、名将ヴヤディン・ボシュコヴの下で、1982年に移籍してきたロベルト・マンチーニと、1984年加入のジャンルカ・ヴィアリのツートップ、1986年より加入のトニーニョ・セレーゾなどを擁してクラブの黄金期を迎える。1989-90シーズン、初のヨーロッパの舞台でのタイトルとなる、カップウィナーズカップ優勝。

1990-91シーズンには初のセリエA優勝を果たし、1991-92シーズンにはチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)決勝に進出、決勝では、FCバルセロナと互角に戦うが、エースのヴィアリが決定的チャンスを決め切れず、延長の末クーマンに直接FKを決められ敗れた。

1992年にヴィアリがユベントスへ移籍、1993-94シーズンにはルート・フリットやデビット・プラットらスター選手を獲得しセリエA優勝争いを演じ、3位、コパイタリア優勝の成績を残した。1995年にはカランブー、セードルフらが加入したが再び黄金期は訪れず。

1997年には15年間プレーしたクラブの顔とも言えるマンチーニが移籍、その後は資金難により1998-99シーズンにはセリエBに降格。

2003-04シーズンにはセリエAに復帰し、安定した経営により中堅クラブとして地位を確立していたが、2010-11シーズンはリカルド・ガッローネ会長がアントニオ・カッサーノと喧嘩となり、冬の移籍でカッサーノがミランに移籍し、ジャンパオロ・パッツィーニもインテルに移籍したこともあり、決定力不足が顕著に表れて18位となり8シーズンぶりにセリエBへの降格となった[1]。2011-12シーズンは6位になり、プレーオフでASヴァレーゼ1910に勝利してセリエA復帰を決めた。

2021年12月6日、クラブの会長であるマッシモ・フェレーロが経営面で関わっていた企業の詐欺破産、企業犯罪がカラブリア州のパオラ地検の捜査により、明らかにされ、同日に身柄を拘束された。事件発覚後、フェレーロ会長は辞任を表明し、クラブの首脳陣はクラブ経営権の譲渡を決めた[2]

なお、2003-04シーズンには日本の柳沢敦が所属していた。

同じくジェノヴァを本拠地とする古豪ジェノアCFCとはライバル関係にあり、両クラブの対戦はデルビー・デッラ・ランテルナ灯台ダービー)と呼ばれる。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

ユース[編集]

過去の成績[編集]

シーズン ディビジョン コッパ・イタリア
リーグ 順位
1946-47 セリエA 38 14 8 16 56 52 36 11位
1947-48 セリエA 38 13 10 17 68 63 36 14位
1948-49 セリエA 38 16 9 13 74 63 41 5位
1949-50 セリエA 38 13 7 18 62 70 33 13位
1950-51 セリエA 38 12 9 17 51 76 33 12位
1951-52 セリエA 38 16 9 13 48 40 41 7位
1952-53 セリエA 34 9 13 12 37 43 31 12位
1953-54 セリエA 34 11 12 11 38 40 34 8位
1954-55 セリエA 34 11 12 11 54 44 34 9位
1955-56 セリエA 34 12 11 11 51 54 35 7位
1956-57 セリエA 34 12 11 11 59 56 35 7位
1957-58 セリエA 34 9 12 13 54 62 30 14位 準々決勝敗退
1958-59 セリエA 34 15 8 11 50 44 38 5位 ベスト16
1959-60 セリエA 34 11 13 10 41 46 35 8位 ベスト16
1960-61 セリエA 34 17 7 10 54 51 41 4位 準々決勝敗退
1961-62 セリエA 34 9 12 13 32 40 30 10位 2回戦敗退
1962-63 セリエA 34 11 8 15 41 50 30 11位 準々決勝敗退
1963-64 セリエA 34 10 7 17 38 50 27 15位 2回戦敗退
1964-65 セリエA 34 9 11 14 19 30 29 14位 2回戦敗退
1965-66 セリエA 34 9 9 16 27 47 27 16位 1回戦敗退
1966-67 セリエB 38 20 14 4 47 19 54 1位 3回戦敗退
1967-68 セリエA 30 6 15 9 27 34 27 10位 1回戦敗退
1968-69 セリエA 30 5 13 12 21 27 23 12位 GS敗退
1969-70 セリエA 30 6 12 12 22 37 24 13位 GS敗退
1970-71 セリエA 30 6 13 11 30 34 25 12位 GS敗退
1971-72 セリエA 30 8 12 10 23 28 28 9位 GS敗退
1972-73 セリエA 30 5 14 11 16 25 24 12位 GS敗退
1973-74 セリエA 30 5 13 12 27 34 20 13位 GS敗退
1974-75 セリエA 30 4 16 10 21 35 24 13位 GS敗退
1975-76 セリエA 30 8 8 14 21 32 24 12位 2回戦敗退
1976-77 セリエA 30 6 12 12 28 42 24 14位 GS敗退
1977-78 セリエB 38 12 14 12 41 37 38 8位 GS敗退
1978-79 セリエB 38 9 18 11 37 39 36 9位 GS敗退
1979-80 セリエB 38 10 21 7 33 27 41 7位 GS敗退
1980-81 セリエB 38 11 21 6 39 33 43 5位 GS敗退
1981-81 セリエB 38 17 13 8 41 25 47 3位 準決勝敗退
1982-83 セリエA 30 8 15 7 31 30 31 7位 GS敗退
1983-84 セリエA 30 12 8 10 36 30 32 7位 準々決勝敗退
1984-85 セリエA 30 12 13 5 36 21 37 4位 優勝
1985-86 セリエA 30 8 11 11 27 25 27 11位 準優勝
1986-87 セリエA 30 13 9 8 37 21 35 6位 1回戦敗退
1987-88 セリエA 30 13 11 6 41 30 37 4位 優勝
1988-89 セリエA 34 14 11 9 43 25 39 5位 優勝
1989-90 セリエA 34 16 11 7 46 26 43 5位 3回戦敗退
1990-91 セリエA 34 20 11 3 57 24 51 1位 準優勝
1991-92 セリエA 34 11 16 7 38 31 38 6位 準決勝敗退
1992-93 セリエA 34 12 12 10 50 48 36 7位 2回戦敗退
1993-94 セリエA 34 18 8 8 64 39 44 3位 優勝
1994-95 セリエA 34 13 11 10 51 37 50 8位 3回戦敗退
1995-96 セリエA 34 14 10 10 59 47 52 8位 ベスト16
1996-97 セリエA 34 14 11 9 60 46 53 6位 2回戦敗退
1997-98 セリエA 34 13 9 12 52 55 48 9位 ベスト16
1998-99 セリエA 34 9 10 15 38 55 37 16位 ベスト16
1999-00 セリエB 38 17 11 10 45 40 62 5位 2回戦敗退
2000-01 セリエB 38 16 16 6 60 38 64 5位 ベスト16
2001-02 セリエB 38 12 12 14 42 46 48 11位 ベスト16
2002-03 セリエB 38 17 16 5 53 31 67 1位 ベスト16
2003-04 セリエA 34 11 13 10 40 42 46 8位 ベスト16
2004-05 セリエA 38 17 10 11 42 29 61 5位 準々決勝敗退
2005-06 セリエA 38 10 11 17 47 51 41 12位 準々決勝敗退
2006-07 セリエA 38 13 10 15 44 48 49 9位 準決勝敗退
2007-08 セリエA 38 17 9 12 56 46 60 6位 準々決勝敗退
2008-09 セリエA 38 11 13 14 49 52 46 13位 準優勝
2009-10 セリエA 38 19 10 9 49 41 67 4位 4回戦敗退
2010-11 セリエA 38 8 12 18 33 49 36 18位 準々決勝敗退
2011-12 セリエB 42 17 16 9 53 34 67 6位 3回戦敗退
2012-13 セリエA 38 11 10 17 43 51 42 14位 3回戦敗退
2013-14 セリエA 38 12 9 17 48 62 45 12位 ベスト16
2014-15 セリエA 38 13 17 8 48 42 56 7位 ベスト16
2015-16 セリエA 38 10 10 18 48 61 40 15位 ベスト16
2016-17 セリエA 38 12 12 14 49 55 48 10位 ベスト16
2017-18 セリエA 38 16 6 16 56 60 54 10位 ベスト16
2018-19 セリエA 38 15 8 15 60 51 53 9位 ベスト16
2019-20 セリエA 38 12 6 20 48 65 42 15位 4回戦敗退
2020-21 セリエA 38 15 7 16 52 54 52 9位 4回戦敗退
2021-22 セリエA 38 10 6 22 46 63 36 15位 ベスト16
2022-23 セリエA 38

欧州の成績[編集]

歴代会長[編集]

ローマ出身。サンプドリア黄金期を創出した会長。

サンプドリアにおけるこの会長の功績は絶大であり、2021年現在でもパオロの誕生日には肖像画弾幕がホームのマラッシに掲げられる。

1979年に自身が所有する船舶の一部を売却し、セリエBに低迷していたサンプドリアを買収。

1982年にセリエA昇格を成し遂げ、ボローニャより40億リラでロベルト・マンチーニを獲得。

1984年には当時代表でもコンビを組んでいたジャンルカ・ヴィアリを30億リラでクレモネーゼより獲得。

その後も積極的にクラブへ投資し、トニーニョ・セレーゾジャンルカ・パリュウカアッティリオ・ロンバルドなど優秀な選手を集める事に成功。

特にロベルト・マンチーニジャンルカ・ヴィアリはじめとする攻撃陣はセリエA随一といわれ、1980年度後半から1990年は数々のタイトルを奪取した。

そして1990-91のスクデットを頂点とする「サンプ・ドーロ」と呼ばれる黄金期を創出した。

1993年、持病の心臓病が悪化し逝去。

葬儀の際にパオロの棺をマンチーニをはじめとするサンプの選手達が運んだ映像はジェノバ市民のみならず多くの人の涙を誘った。

パオロ・マントバーニの息子。パオロの死後、会長に就任。

在任中はシニシャ・ミハイロヴィチクラレンス・セードルフクリスティアン・カランブーフアン・セバスティアン・ベロンなど、

優秀な選手を集めたもののクラブの財政状況の悪化から長く引き留めることはできなかった。

父パオロとは異なりクラブの財政悪化により財政優先のクラブ経営を優先させたため、優秀な選手は集めるもののチーム強化には至らなかった。

更にチームの象徴であるマンチーニとのマントバーニ一族との確執も表面化。

96-97シーズンを最後にマンチーニは、監督であったスヴェン・ゴラン・エリクソンとともにラツィオへ去った。

翌シーズン後もアリエル・オルテガヴィンチェンツォ・モンテッラなど優秀な選手を要したものの、チームとしてはうまく機能しなかった。

更に監督の解任-再任騒動などフロントの対応の不手際も露呈し、最終節を待たずにセリエBに陥落した。

そして3年後の2002年にクラブは深刻な経営危機に陥り、マントバーニ一族はクラブの経営から手を引いた。

ガッローネは石油精製業を経営するイタリア有数の大富豪であり、2002年財政破綻寸前のサンプドリアをマントバーニ一族より買収した。チームをセリエC1降格の危機より救い、ジュゼッペ・マロッタをGM(ジェネラル・マネージャー)に招聘、小規模予算ながら堅実かつ強力なチームづくりに成功した。2002-03シーズンにはワルテル・ノヴェッリーノ監督の下でセリエA昇格を果たした。

2009-10シーズンはルイジ・デルネーリ監督の下、ジャンパオロ・パッツィーニ、前任者ワルテル・マッツァーリ監督の下で再生を果たしたアントニオ・カッサーノの2トップが機能し、4位という大躍進を遂げ、UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11のプレーオフからの出場権を獲得した。

2010-11シーズンにはセリエB降格を経験し、2011-12シーズンは苦しみながらも途中就任したジュゼッペ・イアキーニ監督の下でプレーオフを経て、セリエA昇格を果たした。しかし晩年は、デルネーリ退任以降は相次ぐ監督解任と2012-13シーズンには昇格の功労者イアキーニを切り、インテルを率いた経験を持つラファエル・ベニテス招聘を検討するなど、一貫性のないチーム作りが露呈しまう結果となった。

2013年1月21日、癌により76歳で死去。

現所属メンバー[編集]

セリエA 2021-22シーズン 基本フォーメーション

2022年9月2日現在[3]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK イタリア エミル・アウデロ (Flag of Indonesia.svg)
2 DF アルゼンチン ブルーノ・アミオネ
3 DF イタリア トンマーゾ・アウジェッロ
4 MF スペイン ゴンサロ・ビジャール
5 MF イタリア ヴァレリオ・ヴェッレ
7 MF セルビア フィリップ・ジュリチッチ
8 MF ベネズエラ トマス・リンコン
9 FW イタリア マヌエル・デ・ルカ
10 FW イタリア フランチェスコ・カプート
11 MF ドイツ アブデルハミド・サビリ (Flag of Morocco.svg)
13 DF イタリア アンドレア・コンティ
14 MF イングランド ロナウド・ヴィエイラ (Flag of Guinea-Bissau.svg)
15 DF ガンビア オマー・コリー
18 FW アルゼンチン イグナシオ・プッセート (Flag of Italy.svg)
20 MF イングランド ハリー・ウィンクス
No. Pos. 選手名
21 DF コロンビア ジェイソン・ムリージョ (Flag of Spain.svg)
22 GK イタリア ニキータ・コンティーニ (Flag of Ukraine.svg)
23 FW イタリア マノロ・ガッビアディーニ
24 DF ポーランド バルトシュ・ベレシンスキ
25 DF イタリア アレックス・フェラーリ
27 FW イタリア ファビオ・クアリャレッラ (Captain sports.svg)
28 MF スペイン ジェラール・イエペス
29 DF イタリア ニコラ・ムッル
30 GK イタリア ニコーラ・ラヴァッリャ
31 MF イタリア ロレンツォ・マラグリダ
32 GK イタリア エリア・タンタロッキ
37 MF フランス メディ・レリス (Flag of Algeria.svg)
70 MF イタリア シモーネ・トリンボリ
-- DF イタリア トンマーゾ・ファラベゴーリ

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍選手[編集]

in 注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF アルゼンチン ブルーノ・アミオネ (ヴェローナ)
4 MF スペイン ゴンサロ・ビジャール (ローマ)
18 FW アルゼンチン イグナシオ・プッセート (ワトフォード) (Flag of Italy.svg)
No. Pos. 選手名
20 MF イングランド ハリー・ウィンクス (トッテナム)
22 GK イタリア ニキータ・コンティーニ (ナポリ) (Flag of Ukraine.svg)
-- DF フランス マクシム・ルヴェルブ (ピサ)

out 注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF ブラジル カイケ・ロチャ (インテルナシオナル)
-- DF ドイツ ユリアン・シャボー (ケルン)
-- DF フランス マクシム・ルヴェルブ (ベネヴェント)
-- DF イタリア ファビオ・デパーオリ (ヴェローナ)
-- MF ノルウェー クリストフェル・アスキルセン (レッチェ)
No. Pos. 選手名
-- MF イタリア アントニオ・カンドレーヴァ (サレルニターナ)
-- FW イタリア フェリーチェ・ダミーコ (ASグッビオ1910)
-- FW イタリア マッテオ・ストッパ (SSユーヴェ・スタビア)
-- FW イタリア エルネスト・トッレグロッサ (ピサ)
-- FW イタリア アントニーノ・ラ・グミーナ (ベネヴェント)

歴代監督[編集]

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

注釈[編集]

外部リンク[編集]