ロナルド・クーマン

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ロナルド・クーマン Football pictogram.svg
Ronald Koeman (2014).jpg
2014年のクーマン
名前
愛称 大砲、スノーフレイク
ラテン文字 Ronald Koeman
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1963-03-21) 1963年3月21日(55歳)
出身地 ザーンダム
身長 182cm
体重 81kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1983 オランダの旗 フローニンゲン 90 (33)
1983-1986 オランダの旗 アヤックス 94 (23)
1986-1989 オランダの旗 PSV 98 (51)
1989-1995 スペインの旗 バルセロナ 192 (67)
1995-1997 オランダの旗 フェイエノールト 61 (19)
通算 535 (193)
代表歴
1982-1994[1] オランダの旗 オランダ 78 (14)
監督歴
1997-1998 オランダの旗 オランダ (アシスタントコーチ)
1998-2000 スペインの旗 バルセロナ (アシスタントコーチ)
2000-2001 オランダの旗 フィテッセ
2001-2005 オランダの旗 アヤックス
2005-2006 ポルトガルの旗 ベンフィカ
2006-2007 オランダの旗 PSV
2007-2008 スペインの旗 バレンシア
2009 オランダの旗 AZ
2011-2014 オランダの旗 フェイエノールト
2014-2016 イングランドの旗 サウサンプトン
2016-2017 イングランドの旗 エヴァートン
2018- オランダの旗 オランダ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロナルド・クーマンRonald Koeman1963年3月21日 - )は、オランダ北ホラント州ザーンダム出身の元サッカー選手。サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー(DF)。現在はサッカーオランダ代表の監督を務めている。実父はサッカー選手のマルティン・クーマン。実兄は元サッカー選手でサッカー指導者のエルウィン・クーマン

経歴[編集]

クラブ経歴[編集]

1980年FCフローニンゲンでキャリアをスタート。1983年にはアヤックスへ移籍し、正確なボールコントロールと得点能力の高さで存在感を発揮すると、ヨーロッパを代表するリベロとして活躍をみせた。強力かつ正確なキック力はロングフィードのみならず直接フリーキックペナルティーキックでも威力を発揮し、キックの名手の名としてロナルド・クーマンの名が知れわたることとなった。僅か6シーズンのみの在籍であったが、26得点をフリーキックから記録し、メッシに抜かれるまでバルセロナのフリーキックからの最多得点者であった[2][3]

1984-1985シーズンにはリーグ優勝を果たし、1986年にはPSVアイントホーフェンへ移籍。在籍した3シーズン全てでリーグ優勝を果たし、他にもカップ優勝2回、チャンピオンズカップ優勝をも果たし、中心選手として活躍をみせた。

1989年にはその活躍が評価され、ヨハン・クライフ率いるFCバルセロナに移籍し、在籍期間を通してセットプレーのプレースキッカーを担当、バルセロナ在籍6シーズンのうち4シーズンで10得点以上を記録した。バルセロナ在籍中には「エル・ドリーム・チーム (El Dream Team)」の一員としてリーガ4連覇を達成するとともに、バルセロナ史上初のUEFAチャンピオンズリーグ優勝にも貢献し、イタリアセリエAサンプドリアとの決勝戦では延長後半10分に決勝点となるミドルシュートを叩き込んでバルセロナに初のチャンピオンズカップ優勝をもたらした[4]

1995年フェイエノールトへ移籍し、2シーズン在籍した後に引退した。 DFでありながら通算193得点を決めた。(DFとしてはパサレラの182得点を凌ぎ、史上最多である。)

代表経歴[編集]

1983年にスエーデンとの親善試合で代表デビューを飾り、以降中心選手として活躍。オランダは1984年のユーロ、1986年ワールドカップの出場権を逃すが、EURO1988での優勝に貢献した他、1990年1990 FIFAワールドカップ1992年UEFA EURO '921994年アメリカW杯にそれぞれ出場し、攻守の要としてチームを支えた。代表では78試合に出場14得点を記録した。

指導者としてのキャリア[編集]

引退後は指導者として様々なクラブの監督を務めている。

2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではSLベンフィカの監督として前年度覇者のリヴァプールFCを破るなど、チームの上位進出に貢献した。準々決勝では本大会の優勝チームとなるフランク・ライカールト監督の率いるFCバルセロナに敗れるも、カンプ・ノウでの第2戦ではバルセロニスタからの拍手に迎えられて古巣への凱旋を果たした。

2006-07シーズンにはエールディビジPSVアイントホーフェンの監督に就任した。アヤックスAZアルクマールとの優勝争いを制し、1年目にしてリーグ優勝を果たした。

2007-08シーズンのシーズン中、2007年10月にバレンシアCFから監督就任のオファーを受け、PSVがこれを認めたためにシーズン序盤にして移籍することが決定した。

バレンシアの監督への就任後早々に、従来の中心選手であったアングーロカニサレスアルベルダのベテラン3選手を戦力外にするなどチームの改革に乗り出したが、クラブは低迷を続けた。コパ・デル・レイは制したものの就任後24試合でわずか4勝という成績で、4月20日のアスレティック・ビルバオ戦の1-5のスコアで大敗をすると、翌21日に解任が決定された。

バレンシアの監督のオファーは、同じリーガ・エスパニョーラFCバルセロナの監督就任へ向けたキャリアアップのために受けたとされるが、バレンシアでの失敗によりこれが難しくなったとして、バレンシアの選手に対する批判を展開した。こうした言動は問題視され、クーマンの人間性に対する評判を損なうことになった。

2009-2010シーズンは前年度にルイ・ファン・ハール監督の下で28年ぶりにエールディヴィジを制したAZアルクマールを指揮。2009年7月、オランダのスーパーカップであるヨハン・クライフ・スハールSCヘーレンフェーンと対戦し、5-1で勝利して初制覇を果たすが、その後はチームをUEFAチャンピオンズリーグで早期に敗退させたうえ、リーグ戦でも前季王者らしからぬ不安定な成績に終始したため、12月5日に解任され、2年連続のシーズン途中解任となった。前年度にタイトルを獲った選手たちの自主性を重視しすぎたことがチームの不振の理由と見られており、当時のチームキャプテンだったスタイン・スハールスはクーマンの解任後に「僕らはまだ大人扱いされるほどグループとして十分では無かった」と選手側の責任を認める発言をしている[5]

2011年に現役時代に在籍したフェイエノールトの監督に就任した。前シーズン10位に終わったフェイエノールトと、2つのクラブで2年連続して途中解任の憂き目に遭ったクーマンとは互いに限られた選択肢の中から必要に迫られて契約に至った関係に過ぎなかったが、この契約は結果的に相互に最高の結果をもたらした。クーマンは短期間でチームにファイティングスピリットを植え付け、ヨン・グイデッティといった若手が成長を遂げた。その結果、リーグ戦2位という成績を収め、UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13の予選3回戦からの出場権を獲得した。さらに2012-2013シーズンは勝ち点で2位タイの3位、2013-14シーズンは再び2位と、財政面で他のトップクラブに劣るフェイエノールトをスポーツ面で本来のあるべき場所に戻す立役者となった。フェイエノールトでの3年間ではタイトルこそ取れなかったが、クーマン自身監督キャリアで初めての契約満了での退団となり、この3年間を「これまでタイトルを取ってきたアヤックスやPSVよりも楽しめたのはフェイエノールトというクラブのおかげであり、デ・カイプのおかげであり、サポーターのおかげだ。このクラブを去ってとても寂しく思うだろう。このクラブから受けたインパクトは他とは全く違った」[6]と振り返った。

一度失った名声をフェイエノールトで再び取り戻したクーマンは、2013-14シーズン後のワールドカップ後のオランダ代表監督からの辞意を表明したルイ・ファン・ハールの後任の最有力候補と見られていたが、KNVBは突然立候補したフース・ヒディンクを選択。クーマンにはKNVBのディレクター ベルト・ファン・オーストフェーンから「2年間アシスタントを務めてからヒディンクの後を引き継ぐ」という誘いの電話があったが、クーマンはヒディンク本人からの電話がなかったことが納得できずに断った[7]

2014年6月16日、イングランドプレミアリーグサウサンプトンFC監督に就任した。契約期間は3年とされた[8]。なお、アシスタントコーチには実兄のエルウィン・クーマンが就任した[9]

2016年6月14日、2016-17シーズンよりイングランドプレミアリーグエヴァートンFCの監督に就任することが発表された[10]。3年契約を締結し、公式サイトを通じて、「非常に興奮している。エヴァートンは偉大な歴史と野心を持つクラブで、その一部となれることを誇りに思っている。チーム、ファン、そしてこのクラブの成功を信じているよ」と喜びのコメントを残した。クーマンは2シーズン連続で11位に終わっていたエバートンを7位まで押し上げ、UEFAヨーロッパリーグの出場権を獲得した。その要因として、昨シーズン55失点を喫したチームを44失点にするなど守備陣の改善が成功し、攻撃陣ではプレミアリーグ移籍以降キャリアハイとなる25ゴールを決めたロメル・ルカクを筆頭に62得点を挙げた。また、ホームでは第20節から8連勝を飾るなどシーズン13勝と強さを見せて、さらに、メイソン・ホルゲートトム・デイヴィスドミニク・カルバート=ルウィン、そして、2017年1月5日に移籍してきたアデモラ・ルックマンら若手をトップチームで積極的に起用し、プレミアリーグの舞台を利用して、彼らの成長を促すことにも成功した。一方で、ホームでは勝負強さを見せたが、アウェイではたった4勝しか出来ず、選手に対しては、バイェ・ウマル・ニアッセを戦力外とみなし、トップチームのベンチ入りはおろかリザーブチームでの試合出場までもさせなかったりなど、冷遇とも取れる扱いを行なった。 2017-18シーズンには昨シーズンチーム内得点王のルカクをマンチェスター・ユナイテッドへ放出した後に、これまでチームの中心となっていたロス・バークリーへの移籍容認をしたりとチームの改革を進め、ウェイン・ルーニーの13年ぶりの復帰や、クラブ史上最高額でスウォンジー・シティのアイスランド代表MFギルフィ・シグルズソンを獲得するなど約1億5800万ユーロを補強に費やした。開幕節のストーク・シティ戦を勝利し、第2節のアウェイでのマンチェスター・シティ戦を引き分けで終わったものの、2017年10月23日、エバートンの監督を解任された。 解任時、リーグ戦では2勝2分5敗、ヨーロッパリーグでは1分2敗といずれも負けが先行していた。 皮肉にもエバートンの監督として見たチームの最後のゴールシーンは、昨シーズンから今シーズン序盤まで冷遇し続けたニアッセのゴールであった。

2018年2月6日サッカーオランダ代表の監督に就任した。

エピソード[編集]

  • 現役時代、エールディヴィジ公式戦においてPKによる得点として歴代最多の44得点を挙げている[11]
  • 選手としてアヤックス、PSV、フェイエノールトでプレーしたのはルート・ヘールスとロナルド・クーマンの二人だけであると言われている。さらに選手としてだけでなく監督としてもこの3クラブに所属した人物はクーマンただ一人である。
  • 日本ではバレンシアCF監督時代の混乱と解任後の言動に対するイメージから、一部のフットボール関係者やファンに指導者としての適性を疑問視されることがある。粕谷秀樹はクーマンについて、「指導者に転じてからも私利私欲に走り、バレンシアを崩壊に導いた経緯がある。ぐらついた組織の指揮官としては、最も不適格なタイプだ」と酷評した[12]
  • フェイエノールト時代の教え子ヨン・グイデッティはクーマンについて「彼は監督としても人間としても素晴らしい。いつも僕を後ろから支えてくれる。それに彼の言っていることはいつも正しい」と全幅の信頼を示していた[13]

所属クラブ[編集]

指導歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “Ronald Koeman - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/rkoeman-intl.html 
  2. ^ Lionel Messi equals Ronald Koeman's Barcelona free-kick record”. ESPN FC (2017年1月12日). 2017年1月16日閲覧。
  3. ^ Barcelona thrash Athletic Club as Lionel Messi breaks yet another club record”. The Independent (2017年2月4日). 2017年2月5日閲覧。
  4. ^ Ronald Koeman detailed career profile”. 2017年5月18日閲覧。
  5. ^ http://www.voetbalcentraal.nl/nieuws/40684/stijn-schaars-teleurgesteld-over-ontslag-koeman
  6. ^ http://www.fr12.nl/nieuws/24683-titels-gewonnen-maar-bij-feyenoord-is-het-vee.html
  7. ^ http://www.fr12.nl/nieuws/25550-koeman-waarom-belt-van-oostveen-en-niet-guus.html
  8. ^ “サウサンプトン、新監督にクーマン招へい” (日本語). Goal. http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2014/06/17/4888197/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3%E6%96%B0%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%AB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E6%8B%9B%E3%81%B8%E3%81%84 
  9. ^ “サウサンプトンがR・クーマン新監督就任を発表、コーチは兄のエルウィン”. Qoly. http://qoly.jp/2014/06/17/southampton-announced-new-coach-ronald-koeman 
  10. ^ “今季までサウサンプトンを率いたクーマン監督、エヴァートンと3年契約締結”. サッカーキング SOCCERKING. http://www.soccer-king.jp/news/world/eng/20160614/455917.html 2016年6月14日閲覧。 
  11. ^ telegraaf.nl (2009年8月30日). “Van Dijk benut 19e(!) strafschop”. 2009年9月1日閲覧。
  12. ^ [1]
  13. ^ http://route5.org/?q=http://www.ad.nl/ad/nl/5619/Feyenoord/article/detail/3125371/2012/01/17/Guidetti-Koeman-is-God-een-legende.dhtml

関連項目[編集]

外部リンク[編集]