コンテンツにスキップ

北ホラント州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北ホラント州
Provincie Noord-Holland
北ホラント州の旗
北ホラント州の旗
北ホラント州の紋章
北ホラント州の紋章
北ホラント州の位置
オランダ王国
州都 ハールレム
最大の都市 アムステルダム
州知事 アルトゥール・ファン・ダイク
自由民主国民党
言語 オランダ語
面積
 - 総面積
 - 水域
オランダ12州中 第4位
4,091.76 km²
1,419.32 km² (34.7%)
人口2019年
 - 総計
 - 人口密度
オランダ12州中 第2位
2,877,909
1,082人/km²
ISO 3166-2:NL NL-NH
公式サイト 北ホラント州政府

北ホラント州(きたホラントしゅう、Noord-Holland [ˌnoːrt ˈɦɔlɑnt] ( 音声ファイル))は、オランダ西部の。州都はハールレム。北と西は北海に面し、南西は南ホラント州と境界を接し、南東はユトレヒト州、東はアイセル湖を挟んでフリースラント州フレヴォラント州と向かい合う。同国の名目上の首都であるアムステルダムも北ホラント州に属する。

州名

[編集]

州名の由来は、ホラント州を参照。

標準的なオランダ語発音をカタカナ表記化すると「ノールトホラント」となり、そのように表記されることもある(稀に「ノールト・ホラント」と中黒点を入れることも)。しかし、「ノールト」を翻訳して「北ホラント州」と表記されることが多い。その他、以下のような表記もある。

  • 北ホーラント
  • 北ホランド
  • 北ホーランド
  • ノルトホラント
  • ノルトホーラント
  • ノルトホランド
  • ノールトホーラント
  • ノールトホランド

歴史

[編集]

新たな州の成立(1795年-1840年)

[編集]

現在の北ホラント州の起源は、1795年から1813年にかけてのフランス帝国統治時代にさかのぼる。この時期は、オランダの州制度が目まぐるしく変化した時代であった。1795年に旧体制は一掃され、バタヴィア共和国が成立した。1798年4月23日制定の憲法により、従来の州境は抜本的に改められ、共和国は人口規模がほぼ等しい8つの(デパルトマン)に再編された。

ホラントはこのとき、テセル県(Texel)、アムステル県(Amstel)、デルフ県オランダ語版(Delf)、スヘルデ・エン・マース県(Schelde en Maas)、ライン県(Rijn)の5県に分割された。このうち最初の3つは旧ホラント州の範囲内にあったが、後の2つは複数の州の一部を寄せ集めたものであった。1801年には「ホラント県」が設置され、旧来の境界が復活した。この再編は短命に終わったものの、ホラントを分割してその影響力を弱めるという発想を生み出すことになった。

1807年、ホラントは再び再編され、今度はアムステルラント(Amstelland)」(現在の北ホラント州に相当)とマースラント(Maasland)(現在の南ホラント州に相当)の2県となった。しかし、これも長くは続かなかった。1810年、オランダ全土はフランス帝国に併合され、アムステルラントとユトレヒトゾイデル海県(蘭:Zuiderzee/仏:Zuyderzée)として統合され、マースラントはマース河口県(蘭:Monden van de Maas/仏:Bouches-de-la-Meuse)と改称された。

1813年にフランスが敗北した後も、この体制は約1年間維持された。1814年憲法の導入により、国は州および地域(ランスハッペン)に再編され、ゾイデル海県とマース河口県は再統合されてホラント州となった。憲法委員会の一人であったファン・マーネンは、地域住民の感情を尊重するために、旧称である「ホラントおよび西フリースラント」を復活させることを提案したが、この案は却下された。とはいえ、分割の考えが完全に消えたわけではなかった。1814年にホラント州が再設置された際、2人の知事が置かれ、1人は旧アムステルラント(現在の北ホラント州地域)、もう1人は旧マースラント(現在の南ホラント州地域)を担当した。州は再統合されたものの、両地域はなお異なる扱いを受けており、ホラント分割の構想は生き続けた。

この再編の過程で、フリーラント島テルスヘリング島はホラント州に復帰し、ブラバント公国の一部(アルテナ地方を含む)は北ブラバント州に編入された。1820年には、ユトレヒト州およびヘルダーラント州との境界が最終的に確定した。

1840年の憲法改正により、ホラント州は再び分割され、今度は北ホラント州と南ホラント州という2つの州が正式に成立した。この分割の必要性は南ホラントや西フリースラント(アムステルダムの支配を恐れていた)では強く感じられていなかったが、主な推進力はアムステルダムから生じたものであった。同市は、1838年に控訴裁判所が南ホラントのハーグへ移転したことに、いまだ不満を抱いていたのである。

都市化と経済成長(1840年-現在)

[編集]

1855年、ハールレマーメール湖干拓されて農地となり、北ホラント州に編入された。その代償として、1864年にレイミュイデン市の大部分が南ホラント州に移された。1942年には、フリーラント島とテルスヘリング島が再びフリースラント州に移管され、1950年には旧島嶼であったウルクオーファーアイセル州に編入された。

2011年2月、北ホラント州はユトレヒト州およびフレヴォラント州とともに、3州合併の実現可能性を検討する意向を示した[1]。これは、ランドスタット州の創設構想がすでに連立政権合意文書に盛り込まれていた[2]ことから、第一次ルッテ内閣により前向きに受け止められている。

基礎自治体

[編集]
2019年の北ホラント州の地図

2022年時点で、44の基礎自治体ヘメーンテ)からなる。

スポーツ

[編集]

サッカー

[編集]

北ホラント州に本拠地を置くプロサッカークラブ。1部リーグ(エールディヴィジ)と2部リーグ(エールステ・ディヴィジ)の双方を含む。

脚注

[編集]
  1. ^ (オランダ語) "Drie provincies denken over fusie", NOS, 2011.
  2. ^ (オランダ語) "Randstadprovincies bekijken fusie", RTL Nieuws, 2011.

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]