ドワイト・ヨーク

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ドワイト・ヨーク Football pictogram.svg
Yorke, Dwight.jpg
名前
本名 ドワイト・エヴァーズリー・ヨーク
ラテン文字 Dwight Yorke
基本情報
国籍 トリニダード・トバゴの旗 トリニダード・トバゴ
生年月日 (1971-11-03) 1971年11月3日(45歳)
出身地 カナーン
身長 182cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FW (CF), MF(OH, CH, DH)
利き足 右足
代表歴2
1989-2009[1] トリニダード・トバゴの旗 トリニダード・トバゴ 72 (19)
2. 2009年9月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ドワイト・エヴァーズリー・ヨークDwight Eversley Yorke, 1971年11月3日 - )は、トリニダード・トバゴ、カナーン出身の元サッカー選手、元同国代表。現役時代のポジションはFWだが、晩年はMFも務めた。

トリニダード・トバゴの英雄的な存在である。

人物[編集]

母国クラブでプレーしていた1990年にトリニダード・トバゴを訪れたグレアム・テイラーに才能を発掘されアストン・ヴィラFCへ入団、FAプレミアリーグデビューを果たした。3シーズンでチームの大黒柱となり2度のフットボールリーグカップ優勝に貢献した。その後、マンチェスター・ユナイテッドFCに当時のチーム最高金額となる1260万ポンドで移籍。容姿がよく似たアンディ・コールと「双子」コンビを組み18ゴールを挙げ得点王になる。さらにUEFAチャンピオンズリーグでも8ゴールを挙げ活躍した。その後、数年に渡って活躍を見せるとブラックバーン・ローヴァーズFCへ移籍、ここで再びコールとコンビを組みチームに貢献した。Aリーグの発足と共にオーストラリアでプレーし、2005年FIFAクラブ世界選手権では三浦知良らとともに来日した。

代表でも活躍しており、2006 FIFAワールドカップ本大会出場をかけたバーレーンとの大陸間プレーオフでの勝利、同国のワールドカップ初出場を決める原動力となった。

典型的なセンターフォワードとして知られているが、FIFAクラブ世界選手権2006 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選ではボランチとして見事にゲームをコントロールし、その才能の豊かさを改めて実証した。FIFAワールドカップ第1戦のスウェーデン戦でも、中盤の底でスペースを消す動きやそこからの展開で同国のワールドカップ初の勝ち点の獲得に貢献、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれている。ヨークをはじめ、クリストファー・バーチャルシャカ・ヒスロップなどの奮闘もむなしく、チームはグループステージで敗退してしまうが、日本の中田英寿らとともに敗退国の中から選ばれるベストイレブンに選ばれた。

この大会後、ヨーロッパ主要リーグの夏季移籍期間ぎりぎりの8月31日にサンダーランドAFCに2年契約で移籍した。サンダーランドには同28日に、現役時代にマンチェスター・ユナイテッドで主将を務め、ヨークと共に数々のタイトル制覇に尽力したロイ・キーンが監督に就任しており、アンディ・コールも加入するなどかつてのチームメート同士でクラブを盛り上げた。

2008-2009シーズン終了をもってサンダーランドとの契約が切れ、以後、無所属の状態が続いていたが2009年9月に現役引退を発表した。今後は指導者の道を歩んでいくという[2]

エピソード[編集]

  • 幼い頃に交通事故で両足を骨折し、二度と歩けないと言われながらも無事に完治しサッカー選手となった。
  • 国家的英雄と言うだけあり、母国トリニダード・トバゴのトバゴ島にはドワイト・ヨーク・スタジアムが存在する。これは2001年トリニダード・トバゴで行われたU-17世界選手権のために作られたスタジアムでもある(観客席は7500)。

選手経歴[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]