エルネスト・バルベルデ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はバルベルデ第二姓(母方の)はテレドルです。
エルネスト・バルベルデ Football pictogram.svg
Ernesto Valverde.jpg
名前
本名 エルネスト・バルベルデ・テヘドル
Ernesto Valverde Tejedor
ラテン文字 Ernesto Valverde
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1964-02-09) 1964年2月9日(54歳)
出身地 ビアンダル・デ・ラ・ベラ
身長 172cm
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1985 スペインの旗 アラベス
1985-1986 スペインの旗 セスタオ 32 (6)
1986-1988 スペインの旗 エスパニョール 72 (16)
1988-1990 スペインの旗 バルセロナ 22 (8)
1990-1996 スペインの旗 アスレティック・ビルバオ 170 (44)
1996-1997 スペインの旗 マヨルカ 18 (2)
代表歴
1990 スペインの旗 スペイン 1 (0)
監督歴
2002-2003 スペインの旗 ビルバオ・アスレティック
2003-2005 スペインの旗 アスレティック・ビルバオ
2006-2008 スペインの旗 エスパニョール
2008-2009 ギリシャの旗 オリンピアコス
2009-2010 スペインの旗 ビジャレアル
2010-2012 ギリシャの旗 オリンピアコス
2012-2013 スペインの旗 バレンシア
2013-2017 スペインの旗 アスレティック・ビルバオ
2017- スペインの旗 バルセロナ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エルネスト・バルベルデ・テヘドルErnesto Valverde Tejedor1964年2月9日 - )は、スペイン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現在はFCバルセロナの監督を務めている。

経歴[編集]

選手時代[編集]

セグンダ・ディビシオン(2部)のデポルティーボ・アラベスなどでプレーした後、1986年にプリメーラ・ディビシオン(1部)のRCDエスパニョールに移籍した。8月31日のアトレティコ・マドリード戦でプリメーラデビューを果たし、1986-87シーズンは計43試合に出場して7ゴールを決めた。1987-88シーズンはUEFAカップに出場して決勝まで勝ち進んだが、バイエル・レバークーゼンにPK戦の末敗れた。1988年夏に移籍したFCバルセロナでは出場機会こそ少なかったが、UEFAカップウィナーズカップコパ・デル・レイのタイトルを獲得した。彼はエストレマドゥーラ州出身だが、幼少期にバスク地方に移り住んだため、アスレティック・ビルバオでプレーする権利があり、1990年にアスレティックに移籍した。6シーズンをアスレティックで過ごし、1992年から1994年の間にはリーグ戦で20ゴールを決めた。1996年にRCDマヨルカに移籍し、1シーズンを過ごした後に33歳で現役引退した。

1990年10月10日、UEFA EURO '92予選アイスランド戦でスペイン代表初キャップを刻んだ。スペイン代表歴はこの1試合のみである。

指導者時代[編集]

現役を退いてからは、アスレティック・ビルバオでユースチームの監督やトレーナー、Bチームの監督などを勤め、2003-04シーズンからはトップチームの監督としてリーガに戻ってきた。初年度は5位、翌年度は9位とまずまずの成績を収め、2006年5月、RCDエスパニョールの監督に就任した[1]。リーグでは平凡な成績だったが、UEFAカップで準優勝の快挙を達成し、バルベルデの名をスペイン中、ヨーロッパ中に知らしめることとなる。2007-08シーズンは開幕直後から4位以内をキープしていたが、冬以降は成績が急下降し、結局12位でシーズンを終えた。2008年5月、契約を1年残してエスパニョールの監督を辞任した[2] [3]

2008年夏、オリンピアコスFCの監督に就任した。欧州カップ戦においては結果を残せなかったものの、リーグ優勝・カップ戦優勝と国内2冠を達成し、優れた手腕を発揮した[4]。その後、1シーズンでの退団が決定。2009年6月2日、マヌエル・ペレグリーニの後任としてビジャレアルCF監督に就任した[5]。しかしクラブは開幕から低迷を続け、2010年1月31日のCAオサスナ戦終了後に解任された[6]

2010年サッカー日本代表監督として名前が挙がったが交渉はまとまらなかったと報じられている[7]。日本代表監督選定を担ったJFA技術委員長原博実は、バルベルデを「バイタリティに溢れ、サッカーもアグレッシブ、人柄も良い」と絶賛し「彼自身は日本代表に関心があった」とする一方、若くて(当時46歳)野心があるがゆえ、日本よりも欧州での成功を目指したのだろうと述懐している[8]。同年8月10日、古巣オリンピアコスの監督に就任し、2010-11シーズンは独走でのリーグ優勝を果たした[9]

2012年12月、解任されたマウリシオ・ペジェグリーノの後任としてバレンシアCFの監督に就任した[10]

2013年6月、8年ぶりにアスレティック・ビルバオに復帰した[11]

2017年5月、ルイス・エンリケの後任としてバルセロナの監督に就任した。就任直後にネイマールが退団、スーペルコパ・デ・エスパーニャでも宿敵のレアル・マドリーに完敗し初タイトルを逃すなど波乱のデビューとなった。シーズン当初は4-3-3の布陣を敷いていたが、その後4-4-2の布陣を採用、守備の安定化を図った。その後、17-18シーズンの前半戦を無敗で折り返すなどチームの立て直しに成功した。 順風満帆なシーズンを送っていたがチャンピオンズ・リーグ、準々決勝ローマ戦において1stlegはホームで4-1と勝利するも2ndlegにおいて3-0の敗戦を喫し、アウェイゴール差で3年連続ベスト8での敗退が決まった。バルセロナの敗退は世界に衝撃を持って伝えられ、バルベルデのリーグ戦における主力の酷使やローマ戦の受け身の采配には多くの批判の声が上がった。 2017-18シーズン、コパ・デル・レイ決勝ではセビージャを終始圧倒し5-0の大勝を飾り、バルセロナでの初めてのタイトルを獲得した。リーグ戦では4試合を残して優勝を決め、国内2冠を達成した。無敗優勝まであと2試合と迫っていたが、メッシを温存した第37節、レバンテ戦で4-5と敗戦。シーズン無敗を達成することはできなかった。

バルセロナにて[編集]

前述の通り、当初バルセロナでは従来通りの4-3-3を採用していた。全線の三人にはスアレスメッシジェラール・デウロフェウを起用していたが、カンテラ出身でACミランから復帰したジェラール・デウロフェウの低パフォーマンスが目立ち、また高額の移籍金で加入したデンベレもシーズン当初に負傷し長期離脱するなど波乱の船出であった。

その後バルベルデは4-4-2の布陣に変更、メッシスアレスの2トップにイヴァン・ラキティッチセルヒオ・ブスケツのドブレピボーテを採用し守備の安定化を図った。ドブレピボーテの採用により、セルヒオ・ブスケツのカバーエリアが縮小し、またイヴァン・ラキティッチの黒子に徹するプレーにより守備の強化に繋がった。 (以前まで、セルヒオ・ブスケツ一人で中盤の広範囲をカバーしており、彼の負担が大きくなっていた) また獲得当初は年齢に伴わない高額な移籍金から獲得に批判の声が多かったパウリーニョも2列目からの飛び出しや強靭なフィジカル、得点力によりバルセロナの躍進を支えた。

特筆すべきは彼の修正力であり、選手交替やハームタイフ中の選手への指示を通して試合を好転させることに成功している。これを影から支えているのはバルベルデの右腕であるジョン・アスピアスである。

今シーズンのバルセロナは後半に得点をあげることも多い。対戦相手は前半から積極的なプレッシングを仕掛け、バルセロナのビルドアップのミスを誘いゴールを陥れようとする。しかしバルベルデの修正力により、後半に対戦相手は畳み掛けられ大量失点で敗戦することも多かった。

しかしシーズンが佳境に迎えるにつれて控えメンバーの質の低さやそれに伴う主力の酷使が目立つようになり、パフォーマンスの低下が散見されるようになる。さらにリーグ戦、CL、国王杯と三足のわらじを履くことも影響し、主力の疲労が蓄積することとなった。その結果チャンピオンズ・リーグ、準々決勝ローマ戦において歴史的な大逆転を喫することとなる。

所属クラブ[編集]

指導歴[編集]

タイトル[編集]

選手時代[編集]

FCバルセロナ

指導者時代[編集]

オリンピアコスFC
アスレティック・ビルバオ
FCバルセロナ

脚注[編集]

  1. ^ uefa.com (2006年5月26日). “エスパニョール新監督はバルベルデ氏”. 2009年7月13日閲覧。
  2. ^ uefa.com (2008年5月27日). “バルベルデ監督が辞任”. 2009年7月13日閲覧。
  3. ^ エスパニョール、バルベルデ監督が辞任ロイター、2008年5月27日
  4. ^ uefa.com (2009年3月23日). “ギリシャ王座に君臨するオリンピアコス”. 2009年7月13日閲覧。
  5. ^ uefa.com (2009年6月2日). “ビジャレアルの新監督にバルベルデ氏”. 2009年7月13日閲覧。
  6. ^ Goal.com(2010.2.1.)ビジャレアル、バルベルデを解任
  7. ^ “やっと日本代表監督「世界で取り合いになる人に」” (日本語). 読売新聞. (2010年8月30日). http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/representative/news/20100830-OYT1T00993.htm 2010年8月30日閲覧。 
  8. ^ 小宮良之 『『おれは最後に笑う -サッカーが息づく12の物語-』』 東邦出版2015年、162頁。
  9. ^ オリンピアコスがギリシャ王者に”. UEFA.com (2011年3月20日). 2011年3月23日閲覧。
  10. ^ Ernesto Valverde new manager of Valencia CF”. VALENCIA C.F. (2012年12月3日). 2012年12月4日閲覧。
  11. ^ Goal.com(2013.6.21.)ビルバオ、バルベルデの監督就任を発表