デニス・ロー
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名前 | ||||||
愛称 | 金髪の悪魔[1]、キング[1] | |||||
ラテン文字 | Denis Law | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1940年2月24日(78歳) | |||||
出身地 | アバディーン | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右 | |||||
代表歴 | ||||||
1958–1974 |
![]() | 55 | (30) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
デニス・ロー(Denis Law, 1940年2月24日 - )は、スコットランド出身の元サッカー選手。ポジションはFW(CF)。
人物[編集]
スコットランドが世界に誇る名ストライカー。ボビー・チャールトン、ジョージ・ベスト等と共にマンチェスター・ユナイテッドの一時代を築き上げた。オールド・トラッフォードには、この二人と並んでローの像が建てられている。スコットランド代表での30ゴールはケニー・ダルグリッシュと並んで同国最多得点記録である。
奔放な行動や激しい闘争心、その得点力と容姿から相手チームからは『金髪の悪魔』と恐れられ、ファンからは『キング』と呼ばれた。 高い得点力を持ち、『ジャックナイフ』と称される鋭いヘディングシュートの他、ロングシュートやアクロバティックなシュートも得意でボビー・チャールトン以上の人気を誇り、彼にあやかりたいと子供に「デニス」と名付ける親が続出、デニス・ベルカンプもローの名から来ている。
経歴[編集]
1955年15歳でハダースフィールド・タウンと契約、翌年トップチームに出場。1958年10月18日にはウェールズ戦で代表デビューを果たす。1960年マンチェスター・シティへ移籍、ここでの活躍が認められ、1961年、当時イングランドの移籍金最高額でイタリア・トリノへ移籍。しかし思うような結果が出せず1シーズンでイングランド・フットボールリーグへ復帰し、1962年マンチェスター・ユナイテッドへ移籍した。
1973年まで在籍し、11シーズンの通算成績は309試合出場171得点、1964年にはスコットランド人初のバロンドールを受賞、1964-65、1966-67シーズンにはリーグ優勝に貢献。FAカップも2度獲得し、彼が決めた40ゴールはイアン・ラッシュが塗り替えるまで同大会での最多得点記録だった。1967-1968にマンチェスター・ユナイテッドはUEFAチャンピオンズリーグでも優勝したが、怪我により入院していたローは決勝のピッチに立つことが出来なかった。しかし後日、監督であるマット・バスビーはビッグイヤーを持ってローの病室を訪れたという。
1973年古巣マンチェスター・シティへ移籍、ここで1シーズンを過ごし、1974年34歳で現役を引退した。ローが決めた現役最後のゴールは、マンチェスター・ユナイテッドの2部リーグ降格を決めるものだった。
2002年には、イングランドサッカー殿堂に選ばれている。
所属クラブ[編集]
- 1956-1960
ハダースフィールド・タウン
- 1960-1961
マンチェスター・シティ
- 1961-1962
トリノ
- 1962-1973
マンチェスター・ユナイテッド
- 1973-1974
マンチェスター・シティ
出典[編集]
- ^ a b “デニス・ベルカンプ(3)EURO92で、先輩デニスばりに後方から走り上がり見事なゴールを演じた”. 賀川サッカーライブラリー (2009年6月16日). 2014年5月12日閲覧。
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