アレッサンドロ・デル・ピエロ

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アレッサンドロ・デル・ピエロ Football pictogram.svg
Alessandro Del Piero in 2014.jpg
シドニーFCでのデル・ピエロ(2014年)
名前
愛称 アレ、アレックス、ピントゥリッキオ
ラテン文字 Alessandro Del Piero
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1974-11-09) 1974年11月9日(47歳)
出身地 コネリアーノ
身長 173cm
体重 73kg
選手情報
ポジション FW (ST)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1993 イタリアの旗 カルチョ・パドヴァ 14 (1)
1993-2012 イタリアの旗 ユヴェントス 513 (208)
2012-2014 オーストラリアの旗 シドニーFC 48 (24)
2014 インドの旗 デリー・ディナモスFC 10 (1)
通算 585 (234)
代表歴2
1991  イタリア U-17 3 (1)
1992-1993  イタリア U-18 14 (12)
1993-1996  イタリア U-21 12 (3)
1995-2008[1] イタリアの旗 イタリア 91 (27)
獲得メダル
イタリアの旗 イタリア
FIFA ワールドカップ
優勝 ドイツ 2006
UEFA European Cup.svg UEFA 欧州選手権
準優勝 ベルギー・オランダ 2000
UEFA European Cup.svg UEFA U-21欧州選手権
優勝 フランス 1994
優勝 スペイン 1996
イタリアの旗 ユヴェントス
UEFA チャンピオンズリーグ
優勝 ローマ 1996
準優勝 ミュンヘン 1997
準優勝 アムステルダム 1998
準優勝 マンチェスター 2003
トヨタカップ
優勝 東京 1996
1. 国内リーグ戦に限る。2016年9月7日現在。
2. 2014年12月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
デル・ピエロのユヴェントスでの通算500試合出場を記念して作られたユニフォーム

アレッサンドロ・デル・ピエロ(Alessandro Del Piero, 1974年11月9日 - )は、イタリアヴェネト州トレヴィーゾ県コネリアーノ出身の元サッカー選手。元イタリア代表。ポジションはフォワード

「デル・ピエロ・ゾーン」と呼ばれる左45度付近からファーポストへ決めるシュートを得意とし、稀代のテクニシャンで正確無比なシューターだった[2]

経歴[編集]

クラブ[編集]

1991-92シーズンにセリエBカルチョ・パドヴァでキャリアをスタートし、1992年3月15日のメッシーナ戦でトップチームデビューを果たした。パドヴァで2シーズンを過ごした後、1993-94シーズンにセリエAのユヴェントスに移籍、1993年9月12日のフォッジャ戦にてセリエAデビュー[3]、その一週間後9月19日のレッジャーナ戦で初ゴール[3]、1994年3月のパルマ戦では初のハットトリックを達成する。翌シーズン、ロベルト・バッジョがワールドカップでの疲れから負傷や、やや不調であったこともあって、出場回数を増やしていくと、1994年12月のフィオレンティーナ戦にて、背後からのロングボールをダイレクトで、しかもアウトサイドにかけたボレーシュートを決めたことによって、デル・ピエロの名前はファンタジスタとして認知されるようになったこのシーズン、自身初のスクデット獲得。

1995-96シーズン、バッジョのACミラン移籍によって、ミシェル・プラティニやバッジョが背負ってきたユベントスの背番号10を引き継ぐことになった。このシーズン、5試合連続を含む6得点とUEFAチャンピオンズリーグ制覇に貢献し、エースとしての役割を果たした。前年に続いてバロンドール投票では57票を集め、自己最高の4位を記録した[4]。翌1996-97シーズンには、トヨタカップの決勝点をあげ、MVPに選ばれた[5]。また、このシーズンのスクデットも獲得している。UEFAチャンピオンズリーグ決勝のボルシア・ドルトムント戦では、ヒールキックによるゴールを決めたものの敗れ、準優勝に終わった。

1997-98シーズン、このシーズンに加入したフィリッポ・インザーギと先シーズンから所属するジネディーヌ・ジダンとともに強力なトライアングルを形成し(特にインザーギとの2トップは「デル・ピッポ」と呼ばれた)、スクデット連覇を果たした。チャンピオンズリーグでは3期連続で決勝に進出したが、決勝でレアル・マドリードに破れたが、シーズンを通じてチームだけでなく、デルピエロ自身も好調で、リーグでは21得点、チャンピオンズリーグでは得点王(10得点)となった。

1998年11月、ウディネーゼ戦で左膝十字靭帯断裂などの選手生命も危ういほどの重傷を負い、手術を行った。約9ヶ月間のリハビリの後、復帰するも以前の調子は取り戻せず、スランプに陥った。しかし、2000-01シーズンに復調の兆しを見せ、2001-02シーズン、リーグ16得点をあげて完全復活を果たし、4年ぶりのスクデットを獲得した(その後も、度々、怪我に悩ませられることになるが、そのたびにこれを克服した)。翌シーズンにもリーグ16得点とチームを牽引し、自身5度目となるスクデットを獲得した。

2005-06シーズン、先シーズンにリーグ14得点と結果を残したデルピエロであったが、加入して2年目となるズラタン・イブラヒモビッチをファーストチョイスと考えるファビオ・カペッロ監督にスタメンを外され、サブに甘んじることになった。しかし、スーパーサブとしてデルピエロはリーグ12得点をあげ、リーグ7得点のイブラヒモビッチを上回る活躍をみせた。

2006年1月10日に行われたコッパ・イタリアの対フィオレンティーナ戦でハットトリックをマーク。これがユヴェントスでの185得点目となり、ジャンピエロ・ボニペルティの持つクラブ歴代最多得点記録を塗り替えた。

2006年に発覚したカルチョ・スキャンダルでユベントスはセリエBへと降格するが、デル・ピエロはイングランドの強豪マンチェスター・ユナイテッドFCからのオファーを断り、真っ先にチームへの残留を表明した。彼に続くようにネドベドブッフォンらも残留を決意した。セリエB降格に伴い年間試合数が減ったことから、チームの練習とは別に専属トレーナーと契約し肉体改造に取り組んだ。その結果、20代の頃の体のキレを取り戻すことに成功し、セリエB得点王となりチームを1年でセリエAに復帰させる原動力となった。

セリエAに復帰した2007-08シーズン、自己最多タイとなるリーグ21得点での得点王に輝き、パオロ・ロッシ以来、史上2人目となるセリエB・セリエA連続得点王の快挙を成し遂げた。また、2008年4月6日のパレルモ戦がユベントスでの553試合目となり、ガエターノ・シレアの持つクラブ歴代最多出場記録を更新した。

3シーズンぶりのUEFAチャンピオンズリーグ出場となった2008-09シーズン、ユベントスはグループリーグでレアル・マドリードと対戦。デルピエロは敵地エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで2得点を記録し、後半アディショナルタイムにパオロ・デ・チェリエとの交代でベンチに退く際、マドリスタからのスタンディングオーベーションを受けた。エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで、アウェーの選手がスタンディングオーベーションを受けたのは、ディエゴ・マラドーナロナウジーニョなど、数少ない[要出典]

2008年11月29日、レジーナ戦でユヴェントスでの通算250得点を記録。

2010年3月14日、シエナ戦でキャリア通算300得点を達成。

2010年10月30日、ACミラン戦で決勝ゴールをマーク。これがセリエAでの179得点目となり、ジャンピエロ・ボニペルティの持つセリエAでのクラブ最多得点記録を塗り替えた。

2011-12シーズンをもってユヴェントスを退団。9月5日にAリーグシドニーFCへの移籍が発表された[6]。契約は2年間で年俸は約200万オーストラリア・ドルと、Aリーグ史上最高の年俸となる[7]

2014年4月28日、ブログでシドニーFC退団を発表した[8]。2014年8月28日、自身の公式ツイッターでインドのデリー・ディナモスFCに移籍することを明らかにした[9]。デル・ピエロは、「今日、デリー・ディナモスの一員になり、インド・スーパーリーグの新アンバサダーとなったことを報告できることを嬉しく思う」と発表した。

代表[編集]

イタリア代表デビューは1995年3月25日のエストニア戦。イタリア代表通算27得点はバッジョと並んで歴代4位タイ。FIFAワールドカップには1998、2002、2006年と3大会連続、ユーロには1996、2000、2004、2008年と4大会連続で出場している。しかし、大会直前に怪我をしていたり、不慣れなポジション(左サイド等)でのプレーを強いられることが多く、本大会では実力を発揮できているとは言えない[要出典]

ユーロ1996では、1994年のU-21欧州選手権を制し、アトランタ五輪を控える当時のU-21世代から飛び級のような形で代表に選ばれるも、初戦のロシア戦で怪我を負い、このロシア戦前半のみの出場に終わった。

1998年のフランスワールドカップでは、アッズーリのエースとして大会に臨むも、1997-98チャンピオンズリーグ決勝レアル・マドリード戦で負った怪我の影響から全く見せ場を作れず、主役をバッジョに譲った。

ユーロ2000では、決勝のフランス戦でシュートチャンスを外し、批判を浴びた。また、1998年11月の大怪我から不調に苦しむ間にフランチェスコ・トッティの台頭もあり、2000年代からは背番号10をトッティに譲った。これについてデルピエロは「僕は『7』の方が合っている」と言って快く譲るなど性格、人間性なども優れた人格者でイタリア国内での人気も高い。なお何故7番かといえば「初めてもらった背番号がこれだったから」と語っている[要出典]

2002年日韓ワールドカップでは、予選で5得点と良い成績を残したが、本大会前になって監督ジョバンニ・トラパットーニはシステムをより守備的なものに変更、スタメンを外される。それでもグループリーグのメキシコ戦で途中出場ながらワールドカップ初ゴールを決めてこの試合を1-1の引き分けに持ち込み、グループリーグ敗退の危機にあったチームを救った。ゴール後のパフォーマンスでは、右手の人差し指で天を指し、開幕前に亡くなった父へと捧げた。

ユーロ2004では、予選こそ不振のチームを救うほどの活躍を見せていたが、本大会では不慣れな左サイドというポジションや直前の左大腿部の怪我から思うような活躍をすることはできなかった。

2006年のドイツW杯ではかつてユベントスの監督であった恩師リッピ監督からの信頼が厚く、23人のメンバーに名を連ねる。準決勝のドイツ戦では延長戦から途中出場し、アルベルト・ジラルディーノからのパスを受け、「デル・ピエロ・ゾーン」から2点目となるダメ押しゴールを奪った。決勝のフランス戦では後半途中から出場し、PK戦では4人目のキッカーも務め、同国4度目のFIFAワールドカップ優勝に貢献した。

ユーロ2008本戦への招集は危ぶまれていたが、2007-2008シーズンのセリエA得点王としての活躍が認められ4度目のユーロ出場を果たした。グループリーグ第2戦のルーマニア戦では、ゲームキャプテンを務めるも、ロベルト・ドナドーニ監督は戦術上デルピエロを重用することはなかった。

タイトル[編集]

クラブ[編集]

代表[編集]

  • FIFAワールドカップ(2006)

個人[編集]

  • UEFAチャンピオンズリーグ得点王(1997-98)
  • セリエA得点王(2007-2008)
  • セリエB得点王(2006-2007)
  • コッパ・イタリア得点王(2005-06)
  • トヨタカップ最優秀選手(1996)
  • イタリア最優秀選手(1998,2008)
  • ブラヴォー賞(1996)
  • ゴールデンフット賞(2007)
  • UEFAチャンピオンズリーグ10周年ベストアタッカー(2006)
  • UEFA Golden Jubilee Poll(2004)
  • FIFA 100(2004)
  • 20世紀の偉大なサッカー選手100人 77位(ワールドサッカー誌選出 1999)
  • ESM Team of the Year(1995-96, 1996-97, 1997-98)
  • ユベントスクラブ歴代最多得点記録(更新中)
  • ユベントスクラブ歴代最多出場記録(更新中)

エピソード[編集]

日本との関係[編集]

  • 自身の日本語ブログを開設するなど親日家としても知られ、以下の様なエピソードがある。なお日本に興味を持つようになったのは小学校の地理の授業で先生から「どこかひとつ海外の国を選んで発表しなさい」という課題にたまたま日本を選んだことに由来するという[11]
  • キャプテン翼の作者である高橋陽一は2000年にヨーロッパを訪れた際にデル・ピエロから「子どもの頃にキャプテン翼を読んでましたよ」と声をかけられており、2011年には自身のブログの中で明石家さんまから贈られた高橋陽一直筆のイラストを公開しているなど、今でも愛着を持っている事が伺える[12]
  • 新日本プロレスの熱烈なファン。1970年代後半から1980年代前半にかけてイタリアでもTV放映されていた『ワールドプロレスリング』を子供の頃よく見ていたという。中でも藤波辰爾アントニオ猪木木村健吾タイガーマスク(初代)のファンであり、2005年にテレビ朝日のインタビューで藤波辰爾と対面した際には歓喜して、彼の技のひとつであるドラゴンスリーパーをリクエストしてかけられていた[13]
  • アニメ『ルパン三世』のファン。
  • 2011年3月に日本で起きた東北地方太平洋沖地震の惨事を知り、チャリティー用に自らデザインしたTシャツ(イタリアの国旗の上に日の丸を乗せ「友」と言う文字が刻まれている)を販売し、その売り上げは復興の為に寄付する事を発表した。特に被害甚大であった仙台市2002 FIFAワールドカップのイタリア代表のキャンプ地であり、その惨状を視て深い悲しみに陥ったと言う。そのTシャツを長友佑都も着用している。また慈善事業での収益金として2300万円を寄付した[14]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

経歴 リーグ 国内カップ戦* 欧州カップ戦**
国際カップ戦*** 合計
シーズン クラブ セリエ 試合数 ゴール数 試合数 ゴール数 試合数 ゴール数 試合数 ゴール数 試合数 ゴール数
1991-92 パドヴァ B 4 - - - - - - - 4 -
1992-93 10 1 - - - - - - 10 1
合計 14 1 0 0 0 0 0 0 14 1
1993-94 ユヴェントス A 11 5 1 0 2 0 - - 14 5
1994-95 A 29 8 10 1 11 2 - - 50 11
1995-96 A 29 6 2 1 11 6 1 0 43 13
1996-97 A 22 8 4 0 6 4 3 3 35 15
1997-98 A 32 21 4 1 10 10 1 0 47 32
1998-99 A 8 2 1 0 4 0 1 1 14 3
1999-00 A 34 9 2 1 9 2 - - 45 12
2000-01 A 25 9 2 0 6 0 - - 33 9
2001-02 A 32 16 4 1 10 4 - - 46 21
2002-03 A 24 16 0 0 13 5 1 2 38 23
2003-04 A 22 8 4 3 4 3 1 0 31 14
2004-05 A 30 14 1 0 10 3 - - 41 17
2005-06 A 33 12 4 5 7 3 1 0 45 20
2006-07 B 35 20 2 3 - - - - 37 23
2007-08 A 37 21 4 3 - - - - 41 24
2008-09 A 31 13 3 2 9 6 - - 43 21
2009-10 A 23 9 1 2 5 0 - - 29 11
2010-11 A 33 8 2 0 10 3 - - 45 11
2011-12 A 23 3 5 2 - - - - 28 5
合計 513 208 56 25 127 51 9 6 705 290
2012-13 シドニー Aリーグ 24 14 - - - - - - 24 14
2013-14 24 10 - - - - - - 24 10
合計 48 24 0 0 0 0 0 0 48 24
2014 デリー・ディナモス スーパーリーグ 10 1 - - - - - - 10 1
合計 10 1 0 0 0 0 0 0 10 1
総合計 585 234 56 25 127 51 9 6 777 316

* コッパ・イタリアイタリア・スーパーカップを指す
** UEFAチャンピオンズリーグUEFAカップUEFAインタートトカップUEFAスーパーカップを指す
*** インターコンチネンタルカップFIFAクラブワールドカップを指す

代表[編集]


イタリア代表国際Aマッチ
出場得点
1995 7 1
1996 4 2
1997 6 4
1998 8 3
1999 2 0
2000 13 4
2001 6 3
2002 11 5
2003 4 2
2004 6 1
2005 4 0
2006 9 2
2007 5 0
2008 6 0
通算 91 27

代表でのゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1. 1995年11月15日 イタリアの旗 レッジョ・エミリアチッタ・デル・トリコローレ  リトアニア 1–0 4–0 UEFA EURO '96予選
2. 1996年1月24日 イタリアの旗 テルニスタディオ・リベロ・リベラティ  ウェールズ 1–0 3–0 親善試合
3. 1996年5月29日 イタリアの旗 クレモナスタディオ・ジョヴァンニ・ツィーニ  ベルギー 1–2 2–2
4. 1997年1月22日 イタリアの旗 パレルモスタディオ・レンツォ・バルベラ  北アイルランド 2–0 2–0
5. 1997年6月8日 フランスの旗 リヨンスタッド・ジェルラン  ブラジル 1–0 3–3 1997 トゥルヌワ・ドゥ・フランス
6. 3–1
7. 1997年6月11日 フランスの旗 パリパルク・デ・プランス  フランス 2–2 2–2
8. 1998年1月28日 イタリアの旗 カターニアスタディオ・アンジェロ・マッシミーノ  スロベニア 2–0 3–0 親善試合
9. 1998年10月10日 イタリアの旗 ウーディネスタディオ・フリウーリ  スイス 1–0 2–0 UEFA EURO 2000予選
10. 2–0
11. 2000年2月23日 イタリアの旗 パレルモ、スタディオ・レンツォ・バルベラ  スウェーデン 1–0 1–0 親善試合
12. 2000年6月19日 オランダの旗 アイントホーフェンフィリップス・スタディオン  スウェーデン 2–1 2–1 UEFA EURO 2000
13. 2000年10月11日 イタリアの旗 アンコーナスタディオ・デル・コネーロ グルジアの旗 グルジア 1–0 2–0 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
14. 2–0
15. 2001年3月28日 イタリアの旗 トリエステスタディオ・ネレオ・ロッコ  リトアニア 2–0 4–0
16. 4–0
17. 2001年10月6日 イタリアの旗 パルマスタディオ・エンニオ・タルディーニ  ハンガリー 1–0 1–0
18. 2002年2月13日 イタリアの旗 カターニア、スタディオ・アンジェロ・マッシミーノ  アメリカ合衆国 1–0 1–0 親善試合
19. 2002年6月13日 日本の旗 大分市ビッグアイ  メキシコ 1–1 1–1 2002 FIFAワールドカップ
20. 2002年9月7日 アゼルバイジャンの旗 バクートフィク・バフラモフ・スタジアム  アゼルバイジャン 0–2 0–2 UEFA EURO 2004予選
21. 2002年10月12日 イタリアの旗 ナポリスタディオ・サン・パオロ ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア 1–1 1–1
22. 2002年10月16日 ウェールズの旗 カーディフミレニアム・スタジアム  ウェールズ 1–1 2–1
23. 2003年6月11日 フィンランドの旗 ヘルシンキオリンピックスタジアム  フィンランド 0–2 0–2
24. 2003年9月6日 イタリアの旗 ミラノサン・シーロ  ウェールズ 4–0 4–0
25. 2004年9月8日 モルドバの旗 キシナウスタディオヌル・ジンブル  モルドバ 0–1 0–1 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
26. 2006年3月1日 イタリアの旗 フィレンツェスタディオ・アルテミオ・フランキ  ドイツ 4–0 4–1 親善試合
27. 2006年7月4日 ドイツの旗 ドルトムントFIFA WM-シュタディオン・ドルトムント  ドイツ 0–2 0–2 2006 FIFAワールドカップ準決勝

脚注[編集]

  1. ^ “Alessandro Del Piero - Goals in International Matches” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/delpiero-intlg.html 
  2. ^ 西部謙司. “デル・ピエーロとインザーギ。短くも強く輝いた“デル・ピッポ”の煌めき”. footballista. 2021年4月29日閲覧。
  3. ^ a b On This Day: Del Piero’s first Juventus goal”. footballitalia. 2021年4月3日閲覧。
  4. ^ ワールドサッカーダイジェスト 1996年3月号 no.17 p.58-59
  5. ^ FIFA CLUB WORLD CUP の歴史”. NTV. 2020年6月6日閲覧。
  6. ^ Sydney FC signs Italian legend Alessandro Del Piero Sydney FC | A-League Football Club、2012年9月5日
  7. ^ デル・ピエロがシドニーFCと2年契約で合意 ゲキサカ 2012年9月5日付記事
  8. ^ チャオ、オーストラリア OFFICIAL BLOG 日本語版、2014年4月28日
  9. ^ デル・ピエロ自身による2014年8月28日19:44 (UTC+2)の発言 (イタリア語)
  10. ^ サッカー選手デル・ピエーロがALMSチーム代表就任 - オートスポーツ・2013年1月22日
  11. ^ 【2012Jリーグスペシャルマッチ】試合終了後のアレッサンドロ・デル・ピエロ選手コメント(12.07.21) - JsGoal、2012年7月21日
  12. ^ alessandrodelpiero OFFICIAL BLOG 日本語版 - CAPTAIN TSUBASA”. 2013年12月15日閲覧。
  13. ^ ワールドプロレスリング実況三銃士の闘魂コラム#44”. 吉野真治. テレビ朝日 アナウンサーズ (2005年6月20日). 2014年1月21日閲覧。
  14. ^ デル・ピエロの慈善団体、被災地へ約2300万円を寄付「友よ、あきらめないで」”. newsliverdoor (2005年6月20日). 2021年4月3日閲覧。
  15. ^ デル・ピエロが強烈ミドル弾…TEAM AS ONEが4ゴールで圧勝/復興支援マッチ SOCCER KING、2012年7月21日

外部リンク[編集]