ゲオルゲ・ハジ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ゲオルゲ・ハジ Football pictogram.svg
Lansarea candidaturii Gabrielei Szabo pentru Camera Deputatilor, Voluntari - 04.05 (48) (14270956179) (cropped).jpg
2014年のハジ
名前
愛称 東欧(バルカン)のマラドーナ
ラテン文字 Gheorghe Hagi
基本情報
国籍  ルーマニア
生年月日 (1965-02-05) 1965年2月5日(55歳)
出身地 サチェレ
身長 172cm
体重 68kg
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1982-1983 ルーマニアの旗 ファルル・コンスタンツァ 18 (7)
1983-1987 ルーマニアの旗 スポルトゥル・ストゥデンツェスク 108 (58)
1987-1990 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト 97 (76)
1990-1992 スペインの旗 レアル・マドリード 64 (16)
1992-1994 イタリアの旗 ブレシア 61 (14)
1994-1996 スペインの旗 バルセロナ 36 (7)
1996-2001 トルコの旗 ガラタサライ 132 (59)
通算 516 (257)
代表歴
1983-2000 ルーマニアの旗 ルーマニア [1] 125 (35)
監督歴
2001 ルーマニアの旗 ルーマニア
2003-2004 トルコの旗 ブルサスポル
2004-2005 トルコの旗 ガラタサライ
2005-2006 ルーマニアの旗 ポリテフニカ・ティミショアラ
2007 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト
2010-2011 トルコの旗 ガラタサライ
2014- ルーマニアの旗 ヴィトルル・コンスタンツァ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
2010年のハジ

ゲオルゲ・ハジGheorghe Hagi1965年2月5日 - )は、ルーマニア出身の元サッカー選手サッカー指導者。選手時代のポジションはMF(攻撃的MF)。「東欧(バルカン)のマラドーナ」と呼ばれた、ルーマニア史上最高の選手にして1990年代のヨーロッパを代表する選手の一人[2]ルーマニア代表の中心選手として、1983年から2000年まで17年間に渡り選出され、3度のワールドカップ出場に導いた。代表通算35得点はルーマニア歴代最多記録である。 長男のヤニス・ハジもサッカー選手である[3]

経歴[編集]

クラブ経歴[編集]

ルーマニア国内では早くからその才能が注目され、1982年に17歳でファルル・コンスタンツァへ入団。翌年にはルーマニア代表に選出され、1984年にわずか19歳でユーロ1984に出場。

1987年には国内の強豪ステアウア・ブカレストへ移籍し、1988-89シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは決勝進出したが、ACミランに4-0と大差で完敗し、準優勝。ワールドカップ・イタリア大会での活躍が認められ、ユベントス、ACミランなどが争奪を繰り広げたが[4]、スペインのレアル・マドリードへ移籍、1990-91シーズンの第4節、サラゴサ戦でリーガ初ゴールを決めた[5]。1991-92シーズン、第22節のビルバオ戦でハットトリックを決めるなど[5]、35試合に出場し12ゴールを記録した。1992-93シーズン、かつてルーマニア代表に初めてハジを選出したルチェスク監督から電話で勧誘され[6]、イタリアのブレシアへ移籍、この移籍について本人は「ビッククラブからの移籍は、落ちぶれた様に思う人も居るかもしれないが、恩師であるルチェスク監督に誘われたこと、セリエAでのプレーに惹かれたこと、マドリードでは外出することもままならないなどストレスが多かったこと」などと話した[6]。この時ヨハン・クライフはレアルマドリードが放出したことについて「レアルが放出したことが信じられない、スペインリーグから素晴らしいプレーヤーが去った。」と嘆いた[6]。第5節のフォッジヤ戦でセリエA初ゴールを決めたが、チームは低迷してセリエBに降格、降格後の1993-94シーズンも残留し、チームを再びセリエAに昇格させた。

1994年のワールドカップアメリカ大会終了後にFCバルセロナに移籍。幼少期からのアイドルでもあり[6]、以前からハジを高く評価していたクライフ監督率いる[6]ドリームチームの一員となったが、1994-95シーズンはリーグ戦で僅か17試合4ゴール、1995-96シーズンは19試合3ゴール[7]と出場機会に恵まれず本領を発揮出来なかった。

1996年当時、ハジはクラブ関係者からの強い要請とバルサでの出場機会激減を期にガラタサライに移籍した。チームのキャプテンとして、2000年にはUEFAカップ準決勝のリーズ戦の2ndレグで1ゴール1アシストを決め[8]、チームを決勝に導くと、決勝ではアーセナルFCを破り優勝を成し遂げるなどの成功を収め、チームの躍進を支え、2001年に現役を引退した。

代表経歴[編集]

1983年よりルーマニア代表としてプレー。1990年にはルーマニアを20年ぶりのワールドカップ出場に導いた。ワールドカップ・イタリア大会では3試合に出場、ベスト16進出に貢献。

1994年ワールドカップでのルーマニアの躍進であった。ハジは背番号10、キャプテンとしてルーマニア攻撃陣の核となり、1次リーグ第1戦、バルデラマアスプリージャらを擁し優勝候補の一角と目されたコロンビアを3-1で下した。この試合でハジは2点目のロングシュート(相手GKのポジショニングミスを突いた左サイドからの30mのロングシュート)を決めただけでなく2アシストも決めた[9]。その後もスイス戦でゴールを奪い、決勝トーナメント1回戦で優勝候補のアルゼンチンをハジの1ゴール1アシストの活躍により3-2で下し、準々決勝のスウェーデン戦でも1アシストを決めたが、延長PK戦の末で敗れた[9]。大会中5試合で合計3ゴール4アシストの活躍でチームを準々決勝まで導いた[2][10]

1998年ワールドカップ大会に出場、グループリーグのコロンビア[9]イングランド戦でアシストを決め[9]、決勝トーナメント進出に貢献した。2000年、UEFA EURO 2000では準々決勝のイタリア戦で退場、その試合が代表最後の試合となった[9]

指導者として[編集]

2001年に現役引退後は監督としてガラタサライやルーマニア代表などを指揮したが、現役時の名声にはほど遠い結果しか残せていない。2007年には古巣ステアウア・ブカレストの監督に就任したが[11]、同年中に辞任した。クラブ内で強いプレッシャーを感じていたことを理由に挙げている[12]。その後、2010年10月より再びガラタサライの監督に就任したが[13]、2011年3月、成績不振により解任された[14]

2009年には、ルーマニア国内に、FCヴィトルル・コンスタンツァというサッカークラブを立ち上げている。

人物[編集]

ゲームメーカーとして中盤に君臨し、左足から放たれる正確なパス、 ドリブルによって多くのチャンスを演出した。典型的な10番のポジションを得意としたが、時にセカンドストライカーとしてもプレーした[15][16][17][18]。また、テクニック、短気な性格、リーダーシップの面でも、キャリアを通じてマラドーナと比較された[19][20][21][22][23]

1999年ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で25位に選出された。

2004年3月ペレが選んだ『FIFA 100』で同国から唯一選定された。

脚注[編集]

  1. ^ “Gheorghe Hagi - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/hagi-intl.html 
  2. ^ a b 【W杯スター列伝】ゲオルゲ・ハジ、sanspo.com、2010年4月22日
  3. ^ 期待を集める新世代のハジ UEFA.com
  4. ^ HAGI, Gheorghe-TRECCANI
  5. ^ a b Gheorge Hagi Real Madrid”. www.transfermarkt.com. 2020年3月27日閲覧。
  6. ^ a b c d e サッカーダイジェスト 1992年12月3日 no.165号 p.36-37
  7. ^ Gheorge Hagi FC Barcelona”. www.transfermarkt.com. 2020年3月27日閲覧。
  8. ^ Leeds United - Galatasaray SK Apr 20 2000 UEFA CUP”. www.transfermarkt.com. 2020年3月27日閲覧。
  9. ^ a b c d e Gheorge Hagi National team”. www.transfermarkt.com. 2020年3月27日閲覧。
  10. ^ 左足でカウンターを操った「芸術家」──ハジ、賀川サッカーライブラリー
  11. ^ ゲオルゲ・ハジ氏 ステアウア・ブカレストの監督就任へ、AFPBB News、2007年06月25日
  12. ^ ステアウアのハジ監督辞任、livedoor スポーツ、2007年09月21日
  13. ^ ガラタサライがハジ監督の誕生を発表 goal.com
  14. ^ ガラタサライ、ハジ解任を正式発表 goal.com
  15. ^ Romania Stuns England in Final Minutes, 2-1”. The Washington Post (1998年6月23日). 2017年3月27日閲覧。
  16. ^ Jeff Prevost (2015年3月22日). “Gheorghe Hagi creating a new legacy for Romanian football”. World Soccer. 2017年3月27日閲覧。
  17. ^ Double trouble: why aren't there more two-footed footballers?”. The Telegraph (2015年6月20日). 2017年3月27日閲覧。
  18. ^ Mesut Ozil is the rare No. 10 playing for his teammates, not individual honours”. ESPN FC (2015年12月17日). 2017年3月27日閲覧。
  19. ^ HAGI, Gheorghe” (Italian). Treccani: Enciclopedia dello Sport (2002). 2015年9月10日閲覧。
  20. ^ Gheorghe Hagi: The Maradona of the Carpathians”. ESPN FC (2010年5月21日). 2015年9月10日閲覧。
  21. ^ GHEORGHE HAGI: STORIA IN TRE ATTI DEL MARADONA DEI CARPAZI” (Italian). ZonaCesarini.net (2015年1月24日). 2017年3月28日閲覧。
  22. ^ Hagi and Tugay take Galatasaray helm”. UEFA.com (2010年10月21日). 2015年9月10日閲覧。
  23. ^ Mondiali, -10: Pelè, Maradona e i grandi Dieci della storia” (Italian). Sky.it. 2017年3月27日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]