ファビオ・カンナヴァーロ
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ファビオ・カンナヴァーロ (2015年)
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| 名前 | ||||||
| 愛称 | ベルリンの壁(Muro di Berlino)[1] | |||||
| ラテン文字 | Fabio CANNAVARO | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1973年9月13日(43歳) | |||||
| 出身地 | ナポリ | |||||
| 身長 | 176cm | |||||
| 体重 | 75kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF (CB) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1988-1992 | ||||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1992-1995 | 58 | (1) | ||||
| 1995-2002 | 212 | (5) | ||||
| 2002-2004 | 50 | (2) | ||||
| 2004-2006 | 74 | (6) | ||||
| 2006-2009 | 90 | (0) | ||||
| 2009-2010 | 27 | (0) | ||||
| 2010-2011 | 16 | (2) | ||||
| 代表歴2 | ||||||
| 1993-1996 | 21 | (0) | ||||
| 1997-2010[2] | 136 | (2) | ||||
| 監督歴 | ||||||
| 2013-2014 | ||||||
| 2014-2015 | ||||||
| 2015-2016 | ||||||
| 2016- | ||||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月5日現在。 2. 2014年11月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ファビオ・カンナヴァーロ(Fabio Cannavaro、 1973年9月13日 - )は、イタリア・ナポリ出身の元サッカー選手。サッカー指導者。中国・甲級リーグの天津権健の監督を務めている。元イタリア代表でもある。現役時代のポジションはディフェンダー。
イタリア代表では、パオロ・マルディーニの代表引退後、キャプテンの座を引き継いだ。代表136キャップを記録しているが[2]、これはジャンルイジ・ブッフォンが更新するまでイタリア代表の歴代最多出場であった。
2006年ワールドカップ・ドイツ大会でイタリアを優勝に導き、当年のバロンドール(欧州年間最優秀選手賞)、イタリアサッカー連盟MVP、UEFAベストイレブンおよびFIFA最優秀選手賞にも選ばれた。
弟はサッカー選手のパオロ・カンナヴァーロ。日本においてはカンナバーロなどと表記されることもある。
目次
経歴[編集]
クラブ[編集]
1988年、SSCナポリのユースに加入。1991年、下部組織からナポリのトップチームに昇格し、そのキャリアをスタートさせた。後にイタリアを代表する監督となり、カンナヴァーロと共にW杯を掲げることになる恩師、マルチェロ・リッピと出会ったのもナポリであった。
しかし、ナポリは極度の財政難に陥り、主力選手の流出が避けられない状況となった。本人は「たとえセリエBだろうがCだろうがナポリのためならプレーする」と何度もクラブオーナーや幹部に訴えたが、財政難の中にあって、セリエの強豪チームから高額オファーが届いたため、ナポリからの放出が決まった。既にナポリでもかなりの完成度にあったが、ACパルマへの移籍後、さらに数段DFとして成長することになる。1対1の強さに加え、インターセプトの技術、先読みの能力を伸ばした。特にマンマークの技術においては、当時のセリエAはおろか、世界最高の評価を得た。また、このパルマではジャンルイジ・ブッフォンの的確な指示、リリアン・テュラムとのチェックとカバーリングのタイミングでリーグ最高といわれる守備陣を形成した。
そして、スクデットを獲得するためカンナヴァーロはインテルへと移籍した。しかし、インテル時代は監督との確執により、本職でないサイドバックやボランチなどを務めたため、本来の能力を発揮することはなかった。
一時、評価を落としたが、ユヴェントスFCに移籍して本来のプレーを取り戻した。2004-05シーズンには再びパルマ時代の同僚である、ブッフォン、テュラムなどと守備陣を形成し、セリエA最少失点およびスクデット獲得に貢献した。
しかし、2006年のカルチョ・スキャンダルといわれた一連の八百長事件により、ユヴェントスは2004-05シーズンのスクデット剥奪、セリエB降格処分となった。カンナヴァーロ自身もブラジル代表MFエメルソンと共にレアル・マドリードへ移籍することが決まった。移籍金は発表されていないが、エメルソンと合わせて2300万ユーロといわれている。
ワールドカップなどでの功績が認められ、2006年のバロンドールを受賞。これは基本的にDFを務める選手としてはフランツ・ベッケンバウアー(2回)、マティアス・ザマーに続く3人目、4回目の受賞である。しかし、彼らはリベロといわれるポジションであり、両者とも90分のほとんどをMFとしてプレーしていたことを考えると、純粋なDFとしては史上初の受賞である。また、イタリア人選手では1993年のロベルト・バッジョに続き5人目、更にイタリア人DFとしても、ドイツ人以外のDFとしても初の受賞でもある。
しかし、その後は精彩を欠き、2009年夏に3年間過ごしたマドリーを離れ、古巣ユヴェントスと1年契約で復帰した。この古巣復帰に際しては、以前のようなパフォーマンスは期待されないだろうとの評価からユーヴェサポーターとの関係も修復されず、シーズン開幕を迎えた。
2009-10シーズン終了後、UAEのアル・アハリ・ドバイと2年契約した[3]。2011年6月にアル・アハリを退団。アル・アハリを退団した後、7月に膝の怪我のため現役引退。
イタリア代表[編集]
1993年、チェーザレ・マルディーニ率いるU-21イタリア代表に招集され、2度の欧州選手権優勝を果たす。1996年大会では、大会最優秀選手にも選ばれた。また同年、アトランタオリンピックにも出場した。
ナポリでのプロデビューから6年後の1997年、A代表に招集され北アイルランド戦でデビューを飾った。
EURO2000ではパオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・ネスタ、ジャンルイジ・ブッフォンらと守備陣を形成し、決勝までの5試合を2失点に抑えた。フランスとの決勝戦も90分間を無失点に抑えたが、ロスタイムから同点に追いつかれ、延長線の末に敗れた。
キャプテンとして出場した2006 FIFAワールドカップでは、全試合にフル出場。GKのブッフォンと共に相手を抑え込むパフォーマンスを披露し、チームの優勝の立役者となった。同大会のシルバーボール賞(優秀選手投票第2位)も受賞している。また、同大会決勝戦をもって史上4人目となるイタリア代表通算100試合出場を達成した。
EURO2008ではキャプテンとして守備陣の柱となることを期待されていたが、練習中にジョルジョ・キエッリーニのタックルを受けた際に左足を負傷したため、出場することは絶望的となった。
2009年のFIFAコンフェデレーションズカップ、ブラジル戦でマルディーニの出場数を超え、イタリア代表最多出場記録を更新した。2010 FIFAワールドカップにもキャプテンとして臨んだが、チームはグループリーグ敗退。ワールドカップを最後に代表を引退した。
現役引退後[編集]
現役引退後も引き続きアル・アハリに残り、技術顧問兼アンバサダーの職に就いた。また、iTV sportsの2014 FIFAワールドカップゲストコメンテーターなどで活動。
2014年11月5日、中国サッカー・スーパーリーグ・広州恒大の監督に就任した[4]。
2015年6月4日、クラブの戦略的発展のため広州恒大の監督を退任した[5]。
2015年10月26日、サウジアラビアのアル・ナスルの監督に就任した。だが2016年2月11日にアル・ナスルと契約を解除したことを発表した。わずか4か月でサウジアラビアの地を去ることになった。
2016年6月9日、中国・甲級リーグの天津権健の監督に就任した。2014年から15年にかけて、元イタリア代表監督マルチェロ・リッピ氏の後任として広州恒大を率いて以来2度目の中国での監督就任になった。天津権健のクラブ公式サイトによると、契約期間は2年半だが、イタリア代表監督としてオファーを受けた場合には契約を解除できる条項が盛り込まれているという。
人物[編集]
実弟のパオロ・カンナヴァーロもサッカー選手であり、2000年から2002年までパルマで共にプレーした。
その他[編集]
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- 商業高校を卒業しており、簿記の資格を保有している。高校時代は授業をサボることが多く、そのたび両親が呼び出しを受けていた。堪忍袋の緒が切れた両親は彼にサッカーを1ヶ月間禁止し、彼が大事にしていたナポリのユニフォームを破いてしまった。
- 坊主頭を気に入っており、チームメイトにも勧める。過去、ズラタン・イブラヒモビッチ、ジェンナーロ・ガットゥーゾ等が彼の影響で頭を丸めた。
- パンツェッタ・ジローラモ曰く、ナポリではカンナヴァーロの実家と隣同士らしい。
- 南北格差や人種差別意識が根強く残るイタリアにあって、自らの顔を黒く塗って雑誌に登場したことがある。
個人成績[編集]
| クラブ | リーグ | シーズン | リーグ戦 | カップ戦 | 国際試合 | 期間通算 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
| ナポリ | セリエA | 1992-93 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
| 1993-94 | 27 | 0 | 2 | 0 | - | - | 29 | 0 | ||
| 1994-95 | 29 | 1 | 4 | 0 | 3 | 0 | 36 | 1 | ||
| パルマ | 1995-96 | 29 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | 35 | 1 | |
| 1996-97 | 27 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 30 | 0 | ||
| 1997-98 | 31 | 0 | 6 | 0 | 7 | 0 | 44 | 0 | ||
| 1998-99 | 30 | 1 | 7 | 0 | 8 | 0 | 45 | 1 | ||
| 1999-00 | 31 | 2 | 3 | 0 | 9 | 1 | 43 | 3 | ||
| 2000-01 | 34 | 0 | 7 | 0 | 6 | 0 | 47 | 0 | ||
| 2001-02 | 31 | 1 | 5 | 0 | 9 | 0 | 45 | 1 | ||
| インテル | 2002-03 | 28 | 0 | 0 | 0 | 12 | 1 | 40 | 1 | |
| 2003-04 | 22 | 2 | 3 | 0 | 9 | 0 | 34 | 2 | ||
| ユヴェントス | 2004-05 | 38 | 2 | 0 | 0 | 9 | 1 | 47 | 3 | |
| 2005-06 | 36 | 4 | 2 | 0 | 9 | 0 | 47 | 4 | ||
| レアル・マドリード | プリメーラ・ディビシオン | 2006-07 | 32 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | 39 | 0 |
| 2007-08 | 33 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | 40 | 0 | ||
| 2008-09 | 29 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | 37 | 0 | ||
| ユヴェントス | セリエA | 2009-10 | 27 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 33 | 0 |
| アル・アハリ | UAEリーグ | 2010-11 | 16 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 16 | 2 |
| セリエA通算 | 422 | 14 | 42 | 0 | 94 | 3 | 558 | 17 | ||
| プリメーラ通算 | 94 | 0 | 3 | 0 | 19 | 0 | 116 | 0 | ||
| UAEリーグ通算 | 16 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 16 | 2 | ||
| 総通算 | 532 | 16 | 45 | 0 | 113 | 3 | 690 | 19 | ||
代表歴[編集]
- 1997年1月22日の北アイルランド戦(パレルモ)で代表デビュー
- 1998年 ワールドカップフランス大会 - ベスト8
- EURO2000(オランダ・ベルギー大会) - 準優勝
- 2002年 ワールドカップ日韓大会 - ベスト16
- EURO2004(ポルトガル大会) - グループリーグ敗退
- 2006年 ワールドカップドイツ大会 - 優勝
- 2010年 ワールドカップ南アフリカ大会 - グループリーグ敗退
指導歴[編集]
- 2013年 - 2014年
アル・アハリ・ドバイ:アシスタントコーチ - 2014年11月 - 2015年6月
広州恒大:監督 - 2015年10月 - 2016年2月
アル・ナスル:監督
監督成績[編集]
| 年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 国際大会 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | ||||||
| 中国 | リーグ戦 | - | FA杯 | AFC CL | |||||||
| 2015 | 超級 | 広州恒大 | 2位 | 13 | 26 | 7 | 5 | 1 | - | - | 準々決勝進出 |
| サウジアラビア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | AFC CL | |||||||
| 2015-16 | サウジリーグ | アル・ナスル | - | ||||||||
- 2015年は6月4日に広州恒大を退任し、10月26日にアル・ナスルの監督に就任した。
タイトル[編集]
イタリア
- コッパ・イタリア - 1998–99, 2001–02
- スーペルコッパ・イタリアーナ - 1999
- UEFAカップ - 1998-99
スペイン
- リーガ・エスパニョーラ - 2006-07, 2007-08
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ - 2008
イタリア代表
- UEFA U-21欧州選手権 - 1994, 1996
- FIFAワールドカップ - 2006
個人[編集]
- UEFA U-21欧州選手権最優秀選手賞:1回 (1996)
- UEFA欧州選手権ベストチーム:1回 (2000)
- ESMチーム・オブ・ザ・イヤー:1回 (2004-05)
- セリエA最優秀ディフェンダー:2回 (2005, 2006)
- セリエA最優秀選手賞:1回 (2006)
- セリエA最優秀イタリア人選手賞:1回 (2006)
- FIFAワールドカップシルバーボール:1回 (2006)
- FIFAワールドカップベストチーム:1回 (2006)
- FIFA最優秀選手賞:1回 (2006)
- バロンドール:1回 (2006)
- ワールドサッカー世界最優秀選手賞:1回 (2006)
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:1回 (2006)
- FIFproワールドイレブン:2回 (2006, 2007)
脚注[編集]
- ^ “Pallone d’Oro 2006: ha vinto Fabio Cannavaro. La notizia è ormai certa. La consegna il 27 Novembre.” (イタリア語). calcioalpallone.com
- ^ a b “Fabio Cannavaro - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation 2016年9月19日閲覧。
- ^ “Italy captain Cannavaro makes shock move to Dubai side Al Ahli” (英語). CNN.com
- ^ 卡纳瓦罗出任恒大执行主教练 里皮仍担任主教练
- ^ 关于卡纳瓦罗先生不再担任广州恒大淘宝足球队执行主教练的公告広州恒大足球倶楽部公式サイト 2015年6月4日
外部リンク[編集]
- 公式サイト (イタリア語)
- FIFA公式サイトの試合出場記録 (英語)
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- イタリアのサッカー選手
- SSCナポリの選手
- パルマFCの選手
- インテルナツィオナーレ・ミラノの選手
- ユヴェントスFCの選手
- レアル・マドリードの選手
- アル・アハリ・ドバイの選手
- サッカーイタリア代表選手
- オリンピックサッカーイタリア代表選手
- 1998 FIFAワールドカップ出場選手
- UEFA EURO 2000出場選手
- 2002 FIFAワールドカップ出場選手
- UEFA EURO 2004出場選手
- 2006 FIFAワールドカップ出場選手
- 2010 FIFAワールドカップ出場選手
- バロンドール受賞者
- FIFA年間最優秀選手賞受賞者
- FIFAセンチュリークラブ
- イタリアのサッカー指導者
- 広州恒大淘宝足球倶楽部の監督
- ナポリ出身の人物
- 1973年生
- 存命人物
- FIFAワールドカップ優勝選手