サッカースコットランド代表
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国または地域 |
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協会 | スコットランドサッカー協会 | |||
愛称 | Tartan Army | |||
監督 |
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最多出場選手 | ケニー・ダルグリッシュ(102試合) | |||
最多得点選手 |
ケニー・ダルグリッシュ デニス・ロー(30得点) | |||
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初の国際試合 |
1872年11月30日対イングランド 0-0 | |||
最大差勝利試合 |
1878年3月23日対ウェールズ 9-0 | |||
最大差敗戦試合 |
1954年6月19日対ウルグアイ 0-7 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 8回(初出場は1954) | |||
最高成績 | 本大会出場 | |||
UEFA欧州選手権 | ||||
出場回数 | 3回 | |||
最高成績 | グループリーグ敗退 (1992、1996、2021) | |||
サッカースコットランド代表(サッカースコットランドだいひょう、英: Scotland national football team)は、スコットランドサッカー協会 (SFA) により構成されるスコットランドのサッカーのナショナルチームである。ここでは男子代表を取り上げる。
概要[編集]
1870年3月5日、ロンドンのケニントン・オーヴァルで「非公式」ながら、世界初の国際試合がイングランド代表とスコットランドの間で行われ、1-1の引き分けに終わった。その後、この試合も含め両者は5回に渡り非公式国際試合を行った(1870年の11月19日、ケニントン・オーヴァルでイングランドが1-0で勝利。1871年2月25日、同地区で1-1引き分け。1871年11月18日、ロンドンでイングランドが2-1で勝利、1872年2月24日、ロンドンでイングランドが1-0の勝利)。一連の非公式国際試合は、それらの試合を企画したイングランドサッカー協会 (FA) 第4代事務局長チャールズ・ウィリアム・オールコックの名前にちなんで、オールコックの国際試合と呼ばれている。そして、1872年11月30日に、グラスゴーのパーティック地区のハミルトン・クレッセント・グラウンドで、世界で最初の「公式」国際試合が、イングランドとスコットランドの間で実施された。スコアは0-0の引き分けだった。このように、イングランド代表とともに世界初の公式および非公式の国際試合を戦った歴史あるチームである。FIFAワールドカップには1950年のブラジルW杯で出場権を獲得したものの辞退、1954年のスイスW杯に初出場して以来、8回出場しているものの、全て1次リーグ敗退という結果に終わっている。 代表チームサポーターの愛称はタータン・アーミー (Tartan Army) と呼ばれている。
1863年イングランドで近代サッカーが誕生した時からイングランドはロングボール戦術だった。イングランド代表に勝てなかったスコットランド代表は1867年にショートパス戦術を考案。スコットランドはショートパス戦法確立後、1872年〜1882年の10年間で、イングランドに対し、7勝2敗2分け得点39失点31試合平均得点3.55平均失点1.91と大きく勝ち越した。この2つの戦法が、近代サッカー伝来と同時か、もしくは時を経て各国に伝播されていき、各国のサッカー戦術の源流となった。なお、日本で現在主流のショートパスも、スコットランド人からサッカーを学んだビルマ(現ミャンマー)人留学生チョウ・ディンの1923年(大正12年)からの全国巡回指導および指導書出版によりもたらされたものである[2]。
歴史[編集]
FIFAワールドカップでは初めて本大会に出場した1954年大会で、2試合でオーストリアとウルグアイにいずれも敗れて敗退した。3度目の出場となった1974年大会で、第一戦のザイール戦でワールドカップ初勝利を挙げると、続くブラジル戦とユーゴスラビア戦でも両方とも引分で1勝2分とするが、得失点差で1届かず敗退した。そこからブラジル、ドイツ、イタリア、アルゼンチン以外で唯一1990年大会まで連続出場を果たした。
1986年大会は最初に2連敗するが、第三戦で勝てば自力で16強入りとなるウルグアイ戦を迎える。相手のホセ・バティスタがゴードン・ストラカンに対するファウルを犯し、ワールドカップ最速記録(2018年大会終了時)の56秒で退場処分を受けるが、0-0の引分で敗退した。
UEFA EUROでは1992年大会で予選を突破したが、1次リーグ敗退となっている。2020年大会には予選を突破して6大会ぶりに本大会へ出場した。
FIFAワールドカップの成績[編集]
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
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不参加 | ||||||
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出場辞退 | ||||||
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グループリーグ敗退 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 8 |
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3 | 0 | 1 | 2 | 4 | 6 | |
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予選敗退 | ||||||
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1次リーグ敗退 | 3 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 |
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3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 6 | |
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3 | 1 | 1 | 1 | 8 | 8 | |
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グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 3 |
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3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 3 | |
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予選敗退 | ||||||
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グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 6 |
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予選敗退 | ||||||
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合計 | 出場8回 | 23 | 4 | 7 | 12 | 25 | 41 |
UEFA欧州選手権の成績[編集]
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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不参加 | ||||||
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予選敗退 | ||||||
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グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 3 |
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3 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | |
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予選敗退 | ||||||
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グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 5 |
合計 | 3/16 | 9 | 2 | 2 | 5 | 5 | 10 |
歴代監督[編集]
アンディ・ビーティー 1954、1959-1960
ドーソン・ウォーカー 1958
マット・バスビー 1958
イアン・マッコール 1960-1965
ジョック・ステイン 1965-1966、1978-1985
ジョン・プレンティス 1966
マルコルム・マクドナルド 1966-1967
ボビー・ブラウン 1967-1971
トミー・ドハーティー 1971-1972
ウィリー・オルモンド 1973-1977
アリー・マクレオド 1977-1978
アレックス・ファーガソン 1985-1986
アンディ・ロクスバーグ 1986-1993
クレイグ・ブラウン 1993 - 2002
ベルティ・フォクツ 2002 - 2004
トミー・バーンズ 2004
ウォルター・スミス 2004 - 2007
アレックス・マクリーシュ 2007
ジョージ・バーリー 2008 - 2009
クレイグ・レベイン 2009 - 2012
ゴードン・ストラカン 2013 - 2017
アレックス・マクリーシュ 2018 - 2019
スティーブ・クラーク 2019 -
選手[編集]
歴代記録[編集]
- 2017年3月25日現在
通算出場数ランキング[編集] 水色は現役代表選手
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通算得点数ランキング[編集] 水色は現役代表選手
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脚注[編集]
- ^ “スコットランド代表、新監督にクラーク氏”. サンケイスポーツ (2019年5月21日). 2019年10月11日閲覧。
- ^ チョー・ディン Kyaw Din 日本サッカー人物史 - 日本サッカーアーカイブ