ルイス・スアレス・ミラモンテス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はスアレス第二姓(母方の)はミラモンテスです。
ルイス・スアレス Football pictogram.svg
Luis Suárez Miramontes.JPG
名前
本名 ルイス・スアレス・ミラモンテス
Luis Suárez Miramontes
愛称 Luisito[1](ルイジート)
El Arquitecto[2](エル・アルキテクト、建築家)
ラテン文字 Luis SUÁREZ
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1935-05-02) 1935年5月2日(82歳)
出身地 スペインの旗 スペイン共和国ア・コルーニャ
身長 175cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF / FW
ユース
ペルセベランシア
1949-1953 ファブリル
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1953-1954 スペインの旗 デポルティーボ 17 (3)
1954-1961 スペインの旗 バルセロナ 122 (61)
→1954-1955 スペインの旗 E・インドゥストリアル(Loan)  ? (?)
1961-1970 イタリアの旗 インテル 256 (42)
1970-1973 イタリアの旗 サンプドリア 63 (9)
代表歴
1957-1972 スペインの旗 スペイン 32 (14)
監督歴
1975 イタリアの旗 インテル
1975 イタリアの旗 サンプドリア
1975-1976 イタリアの旗 SPAL 1907
1976-1977 イタリアの旗 コモ
1977-1978 イタリアの旗 カリアリ
1978-1979 スペインの旗 デポルティーボ
1980-1982 スペインの旗 U-21スペイン代表
1988-1991 スペインの旗 スペイン代表
1992 イタリアの旗 インテル
1994 スペインの旗 アルバセテ
1995 イタリアの旗 インテル
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルイス・スアレス・ミラモンテスLuis Suárez Miramontes, 1935年5月2日 - )は、スペインア・コルーニャ出身の元サッカー選手、元サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。選手時代はスペイン代表であり、監督としてもスペイン代表を指揮した。

1960年にはスペイン出身選手として初めてバロンドールに選出された。スペイン史上最高の選手のひとりとみなされており、エレガントで優雅なプレースタイルが特筆される[2][3]

経歴[編集]

選手時代[編集]

クラブ[編集]

ガリシア地方ア・コルーニャに生まれ、1949年、14歳の時にデポルティーボ・ラ・コルーニャの下部組織であるファブリルSD(Bチームに相当する)に入団した[4]。1953年12月6日、FCバルセロナ戦でトップチームデビュー。デポルティーボではパイーニョアルセニオ・イグレシアスとともにプレーし、1953-54シーズンには17試合に出場して3得点を挙げた。

1954年夏にバルセロナに移籍したが、1954-55シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)のCDエスパーニャ・インドゥストリアルにレンタル移籍した。1955年にバルセロナに復帰するとレギュラーに定着し、ラディスラオ・クバラチボル・ゾルターンシャーンドル・コチシュアントニ・ラマレッツエヴァリストなどとともにプレーした。エレニオ・エレーラ監督が指揮し、1958-59シーズンにはプリメーラ・ディビシオン(1部)とコパ・ヘネラリシモ(現在のコパ・デル・レイ)のダブル(2冠)を達成。1958年のバロンドール投票では初めてノミネートされ、1959年の投票では4位の22ポイントを獲得した。1959-60シーズンにはリーグ戦とインターシティーズ・フェアーズカップのダブルを達成し、1960年のバロンドール投票では54ポイントを獲得して同賞を受賞した。1960-61シーズンのUEFAチャンピオンズカップ予選でリールセSK(ベルギー)を、1回戦で同大会5連覇中のレアル・マドリード(スペイン)[5]を、準々決勝でスパルタク・フラデツ・クラーロヴェー(チェコスロバキア)を、準決勝でハンブルガーSV(西ドイツ)を破って決勝に進出したが、エウゼビオを擁するSLベンフィカに2-3で敗れた。スアレスはストライカーではなくプレーメーカーだったが、バルセロナではちょうど2試合に1点の割合(122試合61得点)でゴールを決めた。

1961年、当時の史上最高額となる2億5000万リラ(14万2000ポンド)の移籍金でセリエAインテルに移籍した[2][4]。前年にはバルセロナ時代の恩師であるエレーラ監督がインテル監督に就任しており、再び彼の下で中心選手として活躍した。1960年代のインテルはグランデ・インテルと呼ばれる黄金期であり、セリエAで3回、UEFAチャンピオンズカップで2回、インターコンチネンタルカップで2回優勝した[6]。1961年のバロンドール投票では4位、1963年の投票では8位、1964年の投票では2位、1965年の投票では3位と、安定して高いレベルの活躍を見せ、インテルでは1970年までに328試合に出場して55得点を挙げた。

1970年にはUCサンプドリアに移籍。1972年に現役引退した。

代表[編集]

1957年1月30日、オランダ代表戦(6-1)でスペイン代表デビューした。スペイン代表は1958 FIFAワールドカップは予選で敗退し、本大会に出場していない。1960 欧州ネイションズカップ(UEFA欧州選手権の前身)予選1回戦ではポーランドに勝利したが、2回戦(準々決勝、勝てば本大会出場)ではソビエト連邦との対戦を拒否して不戦敗となった。1962年にはチリで開催された1962 FIFAワールドカップに出場したが、ブラジル代表チェコスロバキア代表メキシコ代表と同居したグループの最下位でグループリーグ敗退に終わった。なお、同大会ではブラジルが優勝し、チェコスロバキアが準優勝している。

1964年にはジョゼップ・マリア・フステアマンシオ・アマロホセ・アンヘル・イリバルヘスス・マリア・ペレーダなどとともに、地元スペインで開催された1964 欧州ネイションズカップに出場。本大会はスペイン、デンマークハンガリー、ソビエト連邦の4ヶ国が出場し、トーナメント戦でいきなり準決勝から行なわれた。ハンガリー戦ではペレーダの先制点をアシストし、延長戦でアマンシオ・アマロが決勝点を挙げた[2]。決勝は前回大会王者のソビエト連邦との対戦となった。再びスアレスのクロスからペレーダが先制点を決め、マルセリーノ・マルティネスの決勝点もスアレスのペレーダへのパスが起点となった[2]。スペインの初優勝に大きく貢献し、自身は大会のベストイレブンに選出された。

1966年にはイングランドで開催された1966 FIFAワールドカップに出場し、フランツ・ベッケンバウアーを擁する西ドイツ代表アルゼンチン代表スイス代表と同組となったが、2大会連続でグループリーグ敗退に終わった。スペイン代表はUEFA欧州選手権19681970 FIFAワールドカップは予選で敗退し、本大会に出場していない。スペイン代表としては1972年までに32試合に出場して14得点を挙げた。

指導者時代[編集]

現役引退後は指導者となった。ジェノアCFCのユースチームを指揮した後[7]、1975年に初めて古巣インテルの監督に就任し、インテルでは計3度(最初以外は暫定監督)に渡って采配を振るった。1980年から1982年にはU-21スペイン代表監督を務め、1988年にはミゲル・ムニョス監督の後任としてスペイン代表監督に就任。27試合を指揮し、イタリアで開催された1990 FIFAワールドカップでは2次リーグまで勝ち進んだ。

指導者を退いてからはインテルのスカウトなどを務めた[2]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

  • バルセロナ
プリメーラ・ディビシオン優勝 (2) : 1958-59, 1959-60
コパ・デル・レイ優勝 (2) : 1956-57, 1958-59
インターシティーズ・フェアーズカップ優勝 (2) : 1957-58, 1959-60
  • インテル
セリエA優勝 (3) : 1962-63, 1964-65, 1965-66
UEFAチャンピオンズカップ優勝 (2) : 1963-64, 1964-65
インターコンチネンタルカップ優勝 (2) : 1964, 1965

代表[編集]

  • スペイン代表
UEFA欧州選手権優勝 (1) : 1964

個人[編集]

バロンドール投票の順位
所属クラブ 順位 ポイント 受賞者
1958 FCバルセロナ 14位 3ポイント フランスの旗 レイモン・コパ(71ポイント)
1959 4位 22ポイント アルゼンチンの旗 スペインの旗 アルフレッド・ディ・ステファノ(80ポイント)
1960 1位 54ポイント 自分
1961 FCバルセロナ/インテル 4位 40ポイント イタリアの旗 オマール・シヴォリ(46ポイント)
1962 インテル 15位 3ポイント チェコの旗 ヨゼフ・マソプスト(65ポイント)
1963 8位 5ポイント ソビエト連邦の旗 レフ・ヤシン(73ポイント)
1964 2位 43ポイント スコットランドの旗 デニス・ロー(61ポイント)
1965 3位 45ポイント ポルトガルの旗 エウゼビオ(67ポイント)

個人成績[編集]

クラブ 国内リーグ 国内カップ 欧州カップ 通算
シーズン クラブ ディビジョン 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
スペイン 国内リーグ 国内カップ 欧州カップ 通算
1953–54 デポルティーボ プリメーラ 17 3 - - 17 3
1953–54 バルセロナ プリメーラ 0 0 7 0 - 7 0
1954–55 エスパーニャ・インドゥストリアル セグンダ
1954–55 バルセロナ プリメーラ 6 3 1 1 - 7 4
1955–56 17 6 2 0 0 0 19 6
1956–57 21 13 2 0 0 0 21 13
1957–58 12 2 6 5 2 2 20 9
1958–59 26 14 9 6 2 0 37 20
1959–60 23 13 2 0 10 1 35 14
1960–61 17 10 0 0 11 5 28 15
イタリア 国内リーグ 国内カップ 欧州カップ 通算
1961–62 インテル セリエA 27 11 - 5 4 32 15
1962–63 29 8 1 0 - 30 8
1963–64 27 3 - 9 1 36 4
1964–65 29 8 3 1 9 2 41 11
1965–66 27 5 2 0 7 0 36 5
1966–67 32 3 2 1 9 1 43 5
1967–68 29 2 9 1 - 38 3
1968–69 29 1 - - 29 1
1969–70 28 1 5 1 10 1 43 3
1970–71 UCサンプドリア セリエA 28 5
1971–72 27 4
1972–73 8 0
通算 スペイン 139 64
イタリア 320 51
通算

代表での出場記録[編集]

[8]

スペイン代表
出場 得点
1957 6 4
1958 3 2
1959 5 5
1960 7 3
1961 1 0
1962 2 0
1963 1 0
1964 2 0
1965 2 0
1966 2 0
1967 0 0
1968 0 0
1969 0 0
1970 0 0
1971 0 0
1972 1 0
通算 32 14

代表での得点[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]