レアル・マドリード

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レアル・マドリード
Escudo real madrid 1941b.png
原語表記 Real Madrid Club de Fútbol
愛称 Blancos(白)
Merengues(メレンゲス)
Vikingos, Real(王立の)
El Blanco(エル・ブランコ 白い巨人)
El Madrid(エル・マドリード)
Los Galacticos(ロス・ ガラクティコス 銀河系軍団)
クラブカラー     白(ホワイト)
所属リーグ リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン マドリード自治州
ホームスタジアム Santiagobernabeupanoramav3.jpgエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ
収容人数 81,044
代表者 スペインの旗 フロレンティーノ・ペレス
監督 フランスの旗 ジネディーヌ・ジダン
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

レアル・マドリード・クラブ・デ・フットボール西: Real Madrid Club de Fútbol)は、スペインマドリードをホームタウンとするスポーツクラブである。通称はレアル・マドリード(Real Madrid)であり、サッカー部門ではスペイン国内のプロサッカーリーグであるリーガ・エスパニョーラに加盟するプロサッカークラブチーム。

概要[編集]

1902年に創立。現在のホームスタジアムエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ。現在はリーガ・エスパニョーラプリメーラ・ディビシオンに所属し、同リーグにおいて33回の最多優勝記録を持つほか、FCバルセロナアスレティック・ビルバオと共にリーガ・エスパニョーラの創立以来、一度もプリメーラ・ディビシオンから降格したことがないクラブでもある。さらに2017年の時点で6クラブのみであるビッグイヤーの永久保持を認められた史上初のクラブである。

獲得した国際タイトルは、UEFAチャンピオンズカップおよびUEFAチャンピオンズリーグにおいて歴代最多となる計12回の優勝、さらにラ・ペケーニャ・コパ・デル・ムンドインターコンチネンタルカップおよびFIFAクラブワールドカップにおいても歴代最多となる計7回の優勝を誇り、名実共に世界最大のサッカークラブである。

FIFAには20世紀最高のクラブ[1]国際サッカー歴史統計連盟からはヨーロッパにおける20世紀最高のクラブに認められた[2]2016年には、世界有数の経済誌『フォーブス』によるスポーツチームの資産価値の格付けにおいて36億5000万ドルと算出されており、2013年から2015年まで世界一の資産価値のクラブとなっていた[3]

スペインサッカー連盟1909年に創設されたものであり、同クラブ創設当初のスペインにはサッカーを統括する団体が存在しなかった。また、当時は同クラブが唯一のサッカー団体であったため、スペインを代表してFIFAの創設メンバーに名を連ねた。

エル・クラシコの様子(2009年)

同じスペイン3大名門クラブに並び称されるFCバルセロナアトレティコ・マドリードの両クラブとはライバル関係にある。FCバルセロナとの対戦はエル・クラシコ (El Clásico) と呼ばれ、100年以上に渡り因縁の対決を続けている。同じマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードとの対戦はマドリードダービー (El Derbi Madrileño) と呼ばれる[注 1]。首都マドリードに本拠地を置いているレアル・マドリードは、歴史的な背景からカタルーニャバスクなどの地域のクラブから強い対抗心を抱かれている[4]

また、サッカーのクラブチームのほか、バスケットボールのクラブチームも持つ総合スポーツクラブである。スペインバスケットボールリーグ1部リーガACBレアル・マドリード・バロンセストがそれであり、ユーロリーグにおいて歴代最多となる計9回の優勝、さらにインターコンチネンタルカップ においても歴代最多となる計5回の優勝を誇り、名実共に世界最大のバスケットボールクラブである。

下部組織[編集]

Bチームであるレアル・マドリード・カスティージャを始めとしたラ・ファブリカ(La Fábrica, 工場の意)と呼ばれるユースチームも運営しており、これまで国内外で活躍する多くの選手を輩出している。1979-80シーズン、カスティージャCFはコパ・デル・レイ決勝に進出してレアル・マドリードのトップチームと決勝戦を戦い、下部組織出身者をチームの中心に据えた1980年代はリーガ・エスパニョーラ5連覇を果たした。

しかし、レアル・マドリードは他のクラブから有名選手を獲得することが多く[5]2000年フロレンティーノ・ペレスが会長に就任して以降はその傾向が特に顕著となったため、トップチームに定着する下部組織出身者は非常に少ない。元カスティージャCF出身の選手であり、下部組織の総責任者を務めていたミチェルは、2008年にクラブのカンテラ軽視を理由に辞職している[6]

以降はカンテラから直接のトップチーム昇格を目指すのではなく、レンタル移籍または買い戻しオプションを付けたうえで他クラブに放出したうえで、そこでの武者修行を経て印象的な活躍を見せた選手を復帰させるという方針に転換し[7]、この方法でレアル・マドリードに復帰して主力に定着した選手もいる。またカンテラから直接のトップチーム昇格は依然として困難な道ではあるが、ヘセ・ロドリゲスナチョは他クラブを経由せずにトップチームの主力に定着するなど、以前よりは改善傾向にある。

経営について[編集]

フロレンティーノ・ペレスは優れた経営手腕により多大な利益をもたらしたが、一方でスポーツ面での批判も多かった[8]

デロイト・フットボール・マネー・リーグによれば世界一収入のあるフットボールクラブであり、2012-13シーズンの経営収入は5億1890万ユーロである[9] 。その内訳はスタジアム収入が1億1900万ユーロ、テレビ収入が1億8830万ユーロ、マーケティング収入が2億1160万ユーロとなっている。クラブブランドや潤沢な資金力を活かして、これまで多くの大物選手の獲得に成功している。

特筆すべきものとして、レアル・マドリードはいち早くプレシーズンのワールドツアーを採用し、PRも兼ねて大きな資金を得た。また、多くの場合選手に対して肖像権の半分をクラブ側が持つという契約を提示するため[10][11]、ユニフォームなどのグッズ売り上げ以外にも所属選手による収入がある。リーガ・エスパニョーラの放映権収入に関しては、現在レアル・マドリードとFCバルセロナの2クラブで約半分を独占する形になっており、経済格差やそれを背景としたリーグの2強化も相まってこの分配システムには不満の声が多く上がっている[12]

イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、レアル・マドリードの平均年俸は約779万ドルであり、FCバルセロナに次いで、世界で2番目に平均年俸が高いクラブであることが判明した。これはアメリカのスポーツチームで最も平均年俸が高いロサンゼルス・レイカーズニューヨーク・ヤンキースよりも高い給与水準である[13]

エミレーツ航空やアブダビ国立銀行とスポンサー契約を行ったレアル・マドリードは、イスラム圏の文化を尊重してファンの拡大を狙い、エンブレムにある十字架を除く微調整を施した[14]

2015年3月28日に中国の電動バイクメーカーの緑源(リューヤン)とスポンサー契約を締結したと発表した[15]。中国企業とスポンサー契約を結ぶのは初めて。

呼称[編集]

当クラブの日本語公式サイトでは、「レアル・マドリードC.F.」および「レアル・マドリード」を用いている[16]。しかし、Real Madrid Club de Fútbol を一般的なスペイン語では [real maˈðɾið kluβ de ˈfutβol]アル・マド(ドゥ)・クブ・デ・(トゥ)ボル」と発音することや、欧州サッカー連盟 (UEFA) の日本語公式ウェブサイトで「レアル・マドリーCF」および「レアル・マドリー」を使用している[17]ため、「レアル・マドリー」を用いるマスメディアもある[注 2]。その他、英語風に「レアル・マドリッド」と表記するマスメディアもあり[18]、日本語表記は統一されていない。なお、当クラブが所在するマドリード首都圏では [real maˈðɾiθ]アル・マドース」と発音する(→マドリード#名称参照)。

愛称および略称は、チームカラーの白をとってエル・ブランコ(El Blanco)やメレンゲ(Merengue)。その他にも、年代ごとにそれぞれ特殊な愛称も存在する。アルフレッド・ディ・ステファノらスタープレイヤーを擁してUEFAチャンピオンズカップ5連覇を成し遂げた1950年代後半は一般的にエポカ・ドラダ(Epoca Dorada, 黄金時代)と表現され[19]、8度のリーガ・エスパニョーラ優勝を成し遂げた1960年代ビートルズの楽曲、シー・ラヴズ・ユーの歌詞より[20]イエイエ・マドリード(Yé-yé Madrid)[注 3]、リーグ5連覇を成し遂げた1980年代後半から1990年代初頭のチームは、エミリオ・ブトラゲーニョの愛称である「エル・ブイトレ(El Buitre)」からキンタ・デル・ブイトレ(Quinta del Buitre, ハゲワシ部隊)と呼ばれた。2000年代前半から中盤の第一次ペレス会長時代は、在籍している選手の豪華さからロス・ガラクティコス(Los Galácticos)とも呼ばれていた。

日本のメディアでは『レアル』、「エル・ブランコ」を意訳した『白い巨人』、「ロス・ガラクティコス」を訳した『銀河系軍団』という呼び名も用いられる。なお、スペインでは定冠詞をつけた『El Madrid』(エル・マドリード)が多く使われており、「レアル」といえばレアル・ソシエダアトレティコ・マドリードは「アトレティコ」と略している。

クラブの歴史[編集]

創成期[編集]

1895年オックスフォード大学ケンブリッジ大学の卒業生がマドリードにフットボール・スカイ(Football Sky)というクラブを設立。1900年に分裂し、ニュー・フットボール・クラブ(New Foot-Ball de Madrid)とフリアン・パラシオス会長のエスパニョール・デ・マドリード(Club Español de Madrid)という2クラブが新たに生まれた。そして、1902年にフアン・パドロスが会長となり、レアル・マドリードの前身のクラブであるマドリード・フットボール・クラブ(Madrid Foot-Ball Club)が誕生した。

1907年のチーム[21]

1902年はコパ・デ・ラ・コロナシオンに出場。1905年には初のタイトルであるコパ・デル・レイ優勝を達成し、1908年まで同大会を4連覇した。1910年にはアーサー・ジョンソンがクラブ史上初の監督に就任。1912年3月3日サンティアゴ・ベルナベウがトップチームの試合に初出場[22]し、同年にはクラブ史上初のホームスタジアムであるオドネル・スタジアムが建設された[23]1914年にはレネ・ペティトが、1916年にはエドゥアルド・テウスがトップチームの試合に初出場した。1917年にはコパ・デル・レイ優勝を達成。

チームのキャプテンを務めたベルナベウは、後に会長としてR.マドリードを世界的なクラブへと導いた。

1920年6月29日アルフォンソ13世に「レアル」の称号を拝領したことでクラブ名がレアル・マドリードとなり、クラブのエンブレムにもブルボン家を象徴する王冠が加えられた[24]。「レアル」の名を授けられたことによりクラブ会員が急増したため、オドネル・スタジアムよりも大きなスタジアムを建設[25]し、1924年エスタディオ・チャマルティンが完成。1928年にはマヌエル・アナトルを獲得。1929年からリーガ・エスパニョーラが開幕し、最初のシーズンとなった1929シーズンは2位に終わった。

1930年にはリカルド・サモラを獲得。1931年にアルフォンソ13世が国外に亡命したことによって、その後の約10年間に渡りエンブレムの王冠と共にクラブ名から「レアル」の称号を外され、クラブ名がマドリードCFとなる。同年にはマヌエル・オリバレスジャシント・キンコセスシリアコ・エラスティルイス・レゲイロを獲得し、1931-32シーズンはリーグ戦にて無敗を記録して初のリーガ・エスパニョーラ優勝を達成[26]1932年にはジョゼップ・サミティエールを獲得し、1932-33シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たした。1933-34シーズンと1935-36シーズンにはコパ・デル・レイ優勝を達成するが、1936年スペイン内戦が勃発し、1939年までリーガ・エスパニョーラは中断を余儀なくされた。1939年にはフアン・アントニオ・イピーニャサビノ・バリナガを獲得。

サンティアゴ・ベルナベウ会長時代[編集]

1943年サンティアゴ・ベルナベウが会長に就任。1944年にはスペイン内戦の影響で廃墟と化した[27]エスタディオ・チャマルティンに代わるスタジアムであるヌエボ・エスタディオ・チャマルティン(後のエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ)を起工した[注 4]。1945-46シーズンにはコパ・デル・レイ優勝を果たした。1946年にはルイス・モロウニーを獲得し、1946-47シーズンはコパ・デル・レイ2連覇を達成。1947-48シーズンにはコパ・エバ・ドゥアルテ優勝を果たす。1948年にはミゲル・ムニョスパイーニョを、1949年にはフアン・アロンソを獲得。

1951年にはADプルス・ウルトラからホセ・マリア・サラガを昇格させた。1952年にはラ・ペケーニャ・コパ・デル・ムンドにて優勝を達成。1953年にはアルフレッド・ディ・ステファノフランシスコ・ヘントを獲得し、ADプルス・ウルトラからエンリケ・マテオスを昇格させた。特にディ・ステファノの獲得はアトレティコ・マドリードFCバルセロナアスレティック・ビルバオの3強だった当時のリーガ・エスパニョーラの勢力図を塗り替えた[22]。1953-54シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を達成。1954年にはエクトル・リアルマルキートスを獲得。1954-55シーズンはシーズン途中にホセ・ビジャロンガが監督に就任し、当時のリーグ史上最多となる勝ち点46を記録[28]してのリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たす。

1960年5月18日に行われたUEFAチャンピオンズカップ 1959-60決勝、アイントラハト・フランクフルト戦のスターティングメンバー
黄金時代を築いたディ・ステファノとプスカシュ。

1955-56シーズンはラテン・カップ優勝、さらに同シーズンから始まったUEFAチャンピオンズカップにて優勝を果たす。1956年にはレイモン・コパを獲得し、フアン・サンティステバンを下部組織から昇格させた。1956-57シーズンはラ・ペケーニャ・コパ・デル・ムンド優勝、リーガ・エスパニョーラ優勝、UEFAチャンピオンズカップ2連覇を果たした。1957年にはルイス・カルニグリアが監督に就任したほか、ホセ・サンタマリアロヘリオ・ドミンゲスを獲得し、1957-58シーズンはラテン・カップ優勝、リーガ・エスパニョーラ2連覇、UEFAチャンピオンズカップ3連覇を達成した。1958年にはフェレンツ・プスカシュを獲得し、1958-59シーズンはUEFAチャンピオンズカップ4連覇を果たす。1959年にはジジを獲得し、1959-60シーズンはシーズン途中にミゲル・ムニョスが監督に就任したほか、ルイス・デル・ソルを獲得。同シーズンはリーガ・エスパニョーラにおけるホームゲームで全勝を記録し、FCバルセロナと勝ち点46で並ぶも得失点差により優勝を逃すが、UEFAチャンピオンズカップでは5連覇を達成した。この5年間のUEFAチャンピオンズカップでは、合計17試合のホームゲームにおいて全て勝利を収めており[29]、これらの実績を残した当時のチームはエポカ・ドラダと表現された。

1960年にはホセ・ビセンテ・トラインを獲得。1960-61シーズンは当時のクラブ史上最多連勝記録である公式戦15連勝を記録[30]したほか、当時のリーグ史上最多となる勝ち点52を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たし、さらに同シーズンから始まったインターコンチネンタルカップにて優勝を達成。

1961年にはアントニオ・ベタンコルトビセンテ・ミエラを獲得。1961-62シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇とコパ・デル・レイ優勝を果たし、クラブ史上初の国内タイトル2冠を達成した。1962年にはイグナシオ・ソコアマンシオ・アマロルシアン・ミュラーエヴァリスト・デ・マセドを獲得。1962-63シーズンはホームゲームで全勝を記録してのリーガ・エスパニョーラ3連覇を達成し、1963-64シーズンはリーガ・エスパニョーラ4連覇を達成した。1964年にはピッリマヌエル・サンチス・マルティネスを獲得し、ADプルス・ウルトラからラモン・グロッソを昇格させ、1964-65シーズンはリーガ・エスパニョーラ5連覇を達成した。

1966年5月11日に行われたUEFAチャンピオンズカップ 1965-66決勝、パルチザン・ベオグラード戦のスターティングメンバー。
ヘントはいずれも個人では歴代最多記録となる12回のリーガ・エスパニョーラ優勝と6回のUEFAチャンピオンズカップ優勝を達成した。

1965-66シーズンはUEFAチャンピオンズカップ優勝を果たした。1966-67シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を達成。1967年にはミゲル・アンヘルを獲得し、1967-68シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1968-69シーズンはリーガ・エスパニョーラ3連覇を達成した。1969年にはグレゴリオ・ベニトらを獲得し、1969-70シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たした。1960年代は8回のリーガ・エスパニョーラ優勝などを記録し、これらの実績を残した当時のチームはイエイエ・マドリードと称された。

1970年にはADプルス・ウルトラからビセンテ・デル・ボスケマラニョンを昇格させた。1971年にはサンティリャーナマリアノ・ガルシア・レモンを獲得し、1971-72シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。しかし、1972-73シーズンは無冠に終わる。1973年にはギュンター・ネッツァーを獲得し、カスティージャCFからホセ・アントニオ・カマーチョを昇格させた。1973-74シーズンはシーズン途中で14季にわたって監督を務めたムニョスを解任してルイス・モロウニーが監督に就任し、コパ・デル・レイ優勝を達成した。

1974-75シーズンからはミリャン・ミリャニッチが監督に就任し、1974年にはパウル・ブライトナーを獲得。1974-75シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝とコパ・デル・レイ2連覇の国内タイトル2冠を達成し、1975-76シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1976年にはフアニートを獲得するも、1976-77シーズンは無冠に終わり、ミリャニッチは解任された。1977年にはウリ・シュティーリケを獲得し、1977-78シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を達成した。なお、1978年6月2日にベルナベウは死去した。

ルイス・デ・カルロス会長時代[編集]

1978年、ルイス・デ・カルロスが会長に就任。1978-79シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1979-80シーズンからはヴヤディン・ボシュコヴが監督に就任し、1979年夏の移籍市場ではローリー・カニンガムミゲル・アンヘル・ポルトゥガルらを獲得。同シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点53を記録してのリーガ・エスパニョーラ3連覇とカスティージャCFとの決勝戦を制してのコパ・デル・レイ優勝の国内タイトル2冠を達成した。

1980-81シーズンはカスティージャCFからリカルド・ガジェゴアグスティン・ロドリゲスらを昇格させた。1981-82シーズンはチェンドホセ・マヌエル・オチョトレーナミチェルがトップチームの試合に初出場し、コパ・デル・レイ優勝を達成。しかし、1982-83シーズンは無冠に終わり、1983-84シーズンはマヌエル・サンチス・オンティジュエロマルティン・バスケスミゲル・パルデサエミリオ・ブトラゲーニョがトップチームの試合に初出場するも無冠に終わる。1984年夏の移籍市場ではホルヘ・バルダーノを獲得し、1984-85シーズンはコパ・デ・ラ・リーガUEFAカップにて優勝を達成した。

ラモン・メンドーサ会長時代[編集]

ウーゴ・サンチェスはA.マドリードピチーチ賞を獲得したほか、R.マドリードでも4度に渡りピチーチ賞を獲得したことで、「ペンタピチーチ」と呼ばれた。

1985年5月24日、ラモン・メンドーサが会長に就任。同年夏の移籍市場ではウーゴ・サンチェスアントニオ・マセーダラファエル・ゴルディージョを獲得し、1985-86シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点56を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝とUEFAカップ2連覇を達成。

1986-87シーズンからはレオ・ベーンハッカーが監督に就任し、1986年夏の移籍市場ではフランシスコ・ブーヨを獲得。同シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点66を記録してのリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1987年夏の移籍市場ではミゲル・テンディーリョらを獲得し、1987-88シーズンはリーガ・エスパニョーラ3連覇を達成。1988年夏の移籍市場ではベルント・シュスターらを獲得し、1988-89シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を達成したほか、当時の国内での公式戦における最多無敗記録となる34試合無敗を記録[31]してのリーガ・エスパニョーラ4連覇、コパ・デル・レイ優勝の国内タイトル2冠を達成した。

1989-90シーズンからはジョン・トシャックが監督に就任し、1989年夏の移籍市場ではフェルナンド・イエロオスカル・ルジェリらを獲得。同シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ2連覇[注 5]と当時のリーグ史上最多となる107得点を記録[32]してのリーガ・エスパニョーラ5連覇を達成した。1980年代後半から1990年代初頭にかけてエミリオ・ブトラゲーニョらカスティージャCF出身の選手たちがチームの中心となり、これらの実績を残した当時のチームはキンタ・デル・ブイトレと称された。

1990年12月12日に行われたスーペルコパ・デ・エスパーニャ2nd Leg、FCバルセロナ戦のスターティングメンバー

1990年夏の移籍市場ではゲオルゲ・ハジルイス・ミジャフランシスコ・ビリャローヤらを獲得し、1990-91シーズンはカスティージャCFからアルフォンソ・ペレスを昇格させ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ3連覇を達成。1991年夏の移籍市場ではルイス・エンリケミケル・ラサ・ゴイコエチェアロベルト・プロシネチキらを獲得するも、1991-92シーズンは無冠に終わる。1992年夏の移籍市場ではイバン・サモラーノらを獲得し、1992-93シーズンはコパ・デル・レイ優勝を達成。1993年夏の移籍市場ではラファエル・アルコルタらを獲得し、1993-94シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャにて優勝を果たす。

ラウルは公式戦クラブ歴代最多出場、最多得点記録を更新したほか、スペイン代表でも歴代最多得点記録を更新した。

1994-95シーズンからはホルヘ・バルダーノが監督に就任し、1994年夏の移籍市場ではフェルナンド・レドンドミカエル・ラウドルップホセ・エミリオ・アマビスカキケ・サンチェス・フローレスサンティアゴ・カニサレスらを獲得。同シーズンはレアル・マドリードBからラウル・ゴンサレスらを昇格させ、リーガ・エスパニョーラコパ・イベロアメリカーナにて優勝を果たした。1995年夏の移籍市場ではフレディ・リンコンフアン・エスナイデルらを獲得した。

しかし、1992年からエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウの改修を行い、この改修費用などでクラブは多額の負債を抱えることとなる。そして、1995-96シーズン途中の1995年11月20日にメンドーサは会長職を辞任した。

ロレンソ・サンス会長時代[編集]

ロベルト・カルロスは11季に渡り主力を務め、クラブの外国人における最多出場記録を更新した。

1995年11月26日ロレンソ・サンスが会長に就任する。1995-96シーズンはレアル・マドリードBからグティビクトール・サンチェスらを昇格させるも無冠に終わるが、1996-97シーズンはファビオ・カペッロが監督に就任し、1996年夏の移籍市場ではプレドラグ・ミヤトヴィッチダヴォール・シューケルクラレンス・セードルフロベルト・カルロスボド・イルクナーらを獲得。1997年冬の移籍市場ではクリスティアン・パヌッチらを獲得した。同シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点92を記録[33]してのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たすも、守備的な戦術が批判されシーズン終了後にカペッロは監督を退任した。

1998年5月20日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 1997-98決勝、ユヴェントスFC戦のスターティングメンバー

1997-98シーズンはユップ・ハインケスが監督に就任し、1997年夏の移籍市場ではフェルナンド・モリエンテスアイトール・カランカらを獲得。1998年冬の移籍市場ではクリスティアン・カランブーサヴィオらを獲得した。同シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を達成したほか、UEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成するが、シーズン終了後にハインケスは解任された。

1998-99シーズンはフース・ヒディンクが監督に就任し、1998年夏の移籍市場ではロベルト・ヤルニイバン・カンポらを獲得。同シーズンはトヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップにて優勝を果たすが、成績不振によりシーズン途中でヒディンクは解任される。その後はジョン・トシャックが監督に就任するも、同シーズンはリーガ・エスパニョーラで2位、コパ・デル・レイでベスト4、UEFAチャンピオンズリーグでベスト8に終わる。

1999年夏の移籍市場ではミチェル・サルガドイバン・エルゲラスティーブ・マクマナマンニコラ・アネルカらを獲得。1999-2000シーズンはレアル・マドリードBからイケル・カシージャスを昇格させるも、成績不振からシーズン途中でトシャックは解任され、その後はレアル・マドリードBの監督を務めていたビセンテ・デル・ボスケがトップチームの監督に昇格する。同シーズンはリーガ・エスパニョーラでは5位、コパ・デル・レイではベスト8に終わるも、UEFAチャンピオンズリーグでは優勝を果たす。

シーズン終了後に会長選を実施し、サンスはフロレンティーノ・ペレスに敗れたことにより会長職を退任。

第一次フロレンティーノ・ペレス会長時代[編集]

1999-2000シーズン終了後に行われた会長選を経て、フロレンティーノ・ペレスが会長職に就任した。ペレスはスペイン一等地にあった旧練習場敷地であるシウダード・デポルティバの土地を売却することで前会長時代までに膨らんだクラブの多額の負債を完済[注 6]。さらに毎年スター選手を獲得する補強方針を打ち出して[34]移籍市場を賑わせ、ロス・ガラクティコスと称されるチームを構成した。

2000年夏の移籍市場ではペレスが会長に就任した際に獲得を公約したルイス・フィーゴ[35]を当時の史上最高額の移籍金で獲得[36]したほか、サンティアゴ・ソラーリクロード・マケレレフラビオ・コンセイソンセサル・サンチェス・ドミンゲスらを獲得。2000-01シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。2000年12月11日、全投票の42%を獲得してFIFA公認の20世紀最高クラブに選出された[37]

2001年夏の移籍市場では当時の史上最高額の移籍金でジネディーヌ・ジダンを獲得[38]。2001-02シーズンはレアル・マドリードBからフランシスコ・パボンラウール・ブラボらを昇格させ、スーペルコパ・デ・エスパーニャUEFAチャンピオンズリーグにて優勝を果たした。当時のクラブの補強やチーム構成の方針は、ジダンなどのスター選手とパボンなどのレアル・マドリードB出身の選手の共存を意味する「ジダネス&パボネス」と呼ばれた[39]

2002年12月3日に行われた同年のトヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップオリンピア・アスンシオン戦のスターティングメンバー

2002年夏の移籍市場ではロナウドエステバン・カンビアッソらを獲得。2002-03シーズンはリーガ・エスパニョーラUEFAスーパーカップトヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップにて優勝を果たすも、シーズン終了後に監督のビセンテ・デル・ボスケは解任された。さらにクラブとの確執があった主将フェルナンド・イエロやマケレレ、出場機会を失っていたフェルナンド・モリエンテスらも退団し、その後のチームは低迷することとなる。

ロス・ガラクティコスと呼ばれた当時のチームで、チームメイトだったジダンとベッカム。

2003-04シーズンはカルロス・ケイロスが監督に就任し、2003年夏の移籍市場ではデビッド・ベッカムらを獲得した。同シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャにて優勝するも、リーガ・エスパニョーラは4位、コパ・デル・レイは準優勝、UEFAチャンピオンズリーグではベスト8に終わり、シーズン終了後にケイロスは解任された。

2004-05シーズンはホセ・アントニオ・カマーチョが監督に就任し、2004年夏の移籍市場ではマイケル・オーウェンジョナサン・ウッドゲートワルテル・サムエルらを獲得。同年、フィーゴ、ジダン、ロナウド、オーウェンとバロンドール受賞経験者4人がピッチ上に並び立った。しかし、シーズン途中でカマーチョは辞任し、アシスタントコーチを務めていたマリアノ・ガルシア・レモンが監督に就任するもシーズン途中で解任され、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴが監督に就任。2005年冬の移籍市場ではトーマス・グラヴェセンらを獲得するも、同シーズンは無冠に終わる。

2005年夏の移籍市場ではセルヒオ・ラモスロビーニョジュリオ・バチスタパブロ・ガルシアらを獲得。2005-06シーズンはシーズン途中でルシェンブルゴを解任し、レアル・マドリード・カスティージャの監督を務めていたフアン・ラモン・ロペス・カロがトップチームの監督に就任。2006年冬の移籍市場ではアントニオ・カッサーノシシーニョを獲得するも、同シーズンも無冠に終わった。当時のチームは選手間の軋轢や規律の欠如をはじめとした様々な問題を抱えており[40]、同シーズン途中の2006年2月にUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦ファーストレグであるアーセナルFC戦とリーガ・エスパニョーラ第25節におけるRCDマヨルカ戦での連敗により2季連続の無冠が濃厚となったため、同年2月27日にペレスは会長職を辞任した[41]

ペレスの辞任後、次期会長選挙までペレスの右腕と言われるフェルナンド・マルティン・アルバレスが会長職に就任するも、およそ2ヶ月後の4月26日に会長職を辞任した。その後はルイス・ゴメス・モンテハーノが暫定的に会長を務めた[42]

ラモン・カルデロン会長時代[編集]

2007年6月17日に行われたリーガ・エスパニョーラ2006-2007最終節、RCDマヨルカ戦のスターティングメンバー

2005-06シーズン終了後に行われた会長選を経て、ラモン・カルデロンが会長職に就任。2006-07シーズンはファビオ・カペッロが監督に就任し、2006年夏の移籍市場ではファビオ・カンナヴァーロエメルソンルート・ファン・ニステルローイマアマドゥ・ディアッラホセ・アントニオ・レジェスらを獲得。2007年冬の移籍市場ではマルセロフェルナンド・ガゴゴンサロ・イグアインを獲得した。同シーズンはリーガ・エスパニョーラにおいて最終的にFCバルセロナと同勝ち点で並び、直接対決の結果により優勝を果たすも、守備的な戦術が批判されシーズン終了後にカペッロは解任された[43]

2007-08シーズンからはベルント・シュスターが監督に就任。2007年夏の移籍市場ではペペハビエル・サビオラヴェスレイ・スナイデルアリエン・ロッベンガブリエル・エインセらを獲得。同シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たした。

2008-09シーズン、スーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝に歓喜する選手たち。

2008年夏の移籍市場ではルベン・デ・ラ・レーハビ・ガルシアラファエル・ファン・デル・ファールトエセキエル・ガライを獲得。2009年冬の移籍市場ではクラース・ヤン・フンテラールラッサナ・ディアッラらを獲得した。2008-09シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャにて優勝を果たすが、リーガ・エスパニョーラでの低迷から第14節後にシュスターを解任してファンデ・ラモスが監督に就任するも2位に終わった。コパ・デル・レイでは4回戦敗退、UEFAチャンピオンズリーグでは5季連続のベスト16に終わる。

2008-09シーズン途中の2009年1月16日、クラブ総会におけるカルデロンの不正投票操作疑惑が浮上[44]し、その責任および混乱収拾のためカルデロンは会長職を辞任。その後はビセンテ・ボルダが暫定的に会長を務めた。

第二次フロレンティーノ・ペレス会長時代[編集]

2009年6月14日に会長選が行われる予定だったが、元会長のフロレンティーノ・ペレス以外の候補者が出馬条件を満たせなかったため[45]、同年6月1日付でペレスが会長に返り咲いた[46]

ピッチに入るカカとクリスティアーノ・ロナウド。

2009-10シーズンはマヌエル・ペレグリーニが監督に就任し、同年夏の移籍市場では当時の史上2番目に高額な移籍金でカカを、当時の史上最高額となる移籍金でクリスティアーノ・ロナウドを獲得したほか、カリム・ベンゼマシャビ・アロンソラウール・アルビオルアルバロ・アルベロアらを獲得。しかし、同シーズンはリーガ・エスパニョーラで当時のクラブ史上最多の勝ち点96を記録するも2季連続の2位、コパ・デル・レイでは2季連続のベスト32、UEFAチャンピオンズリーグでは6季連続のベスト16と無冠に終わり、シーズン終了後にペレグリーニは解任された。

2010-11シーズンからはジョゼ・モウリーニョが監督に就任。2010年夏の移籍市場ではアンヘル・ディ・マリアリカルド・カルヴァーリョサミ・ケディラメスト・エジルらを獲得。2011年冬の移籍市場ではエマニュエル・アデバヨールを獲得した。2010-11シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たした。なお、同シーズンはリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグにて合計5試合のエル・クラシコが行われ、特に2011年4月16日から5月3日までに行われた4試合[注 7]はクアトロ・クラシコ(Cuatro Clásico、4回のクラシコという意味)と呼ばれた。

カシージャスはクラブだけでなく、スペイン代表でも主将としてメジャータイトルを獲得した。

2011年夏の移籍市場ではファビオ・コエントランラファエル・ヴァランらを獲得。2011-12シーズンは当時のクラブ史上最多連勝記録に並ぶ公式戦15連勝を記録[30]したほか、いずれもリーグ史上最多となる121得点[47]と勝ち点100[48]を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たした。2012年夏の移籍市場ではルカ・モドリッチらを獲得し、2013年冬の移籍市場ではディエゴ・ロペスカゼミーロを獲得。2012-13シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を果たすも、リーガ・エスパニョーラは2位、UEFAチャンピオンズリーグはベスト4、コパ・デル・レイは準優勝に終わり、モウリーニョはシーズン終了後に監督を退任した。

2013-14シーズンからはカルロ・アンチェロッティが監督に就任。2013年夏の移籍市場ではイスコダニエル・カルバハルアシエル・イジャラメンディを獲得したほか、当時の史上最高額ともいわれる移籍金でガレス・ベイルを獲得。同シーズンはレアル・マドリード・カスティージャからヘセ・ロドリゲスらを昇格させ、コパ・デル・レイ優勝を果たしたほか、UEFAチャンピオンズリーグでも優勝[注 8]を果たし、同大会の前身にあたるUEFAチャンピオンズカップの優勝回数と合わせて合計10回目の優勝となるラ・デシマ(la décima)を達成した。ベンゼマ、ベイル、クリスティアーノ・ロナウドによる3トップは、それぞれの頭文字からBBCと呼ばれた[49]

クリスティアーノ・ロナウドはクラブの最多得点記録を更新し、バロンドールに4度選出された。

2014年夏の移籍市場ではトニ・クロースハメス・ロドリゲスケイロル・ナバスハビエル・エルナンデスを獲得。2014-15シーズンはUEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップ2014にて優勝を果たしたほか、クラブ史上最多連勝記録である公式戦22連勝を記録[50][51][注 9]した。しかし、コパ・デル・レイはベスト16、UEFAチャンピオンズリーグはベスト4、リーガ・エスパニョーラは2位に終わり、シーズン終了後にアンチェロッティは解任された。

2016年5月28日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 2015-16決勝、アトレティコ・マドリード戦のスターティングメンバー。

2015-16シーズンはラファエル・ベニテスが監督に就任。2015年夏の移籍市場ではルーカス・バスケスダニーロキコ・カシージャマテオ・コヴァチッチらを獲得。同シーズンはクラブ史上初となる公式戦開幕4試合連続完封記録を達成するも、コパ・デル・レイではカディスCF戦で出場停止処分中のデニス・チェリシェフを先発出場させる規約違反を犯したことで失格処分を受けベスト32に終わったことや、リーガ・エスパニョーラ第12節におけるエル・クラシコでの大敗などの理由でベニテスは解任された。その後はレアル・マドリード・カスティージャにて監督を務めていたジネディーヌ・ジダンがトップチームの監督に昇格し、リーガ・エスパニョーラでは2位に終わるも、UEFAチャンピオンズリーグでは優勝を果たす。

2016年夏の移籍市場ではアルバロ・モラタファビオ・コエントランマルコ・アセンシオらを獲得。2016-17シーズンはレアル・マドリード・カスティージャからマリアーノ・ディアスを昇格させ、FIFAクラブワールドカップ2016にて優勝を果たしたほか、スペインのクラブ記録となる公式戦40試合無敗を記録した。また、バイエルン・ミュンヘンの持つ公式戦連続得点記録も更新した[52]。同シーズンはリーガ・エスパニョーラUEFAチャンピオンズリーグ優勝の2冠を達成した[53]

2017年夏の移籍市場でヘスス・バジェホテオ・エルナンデスマルコス・ジョレンテボルハ・マジョラルダニ・セバージョスといった若手選手を中心に補強。UEFAスーパーカップとスーペルコパ・デ・エスパーニャを獲得した。また、2015-16シーズンから73試合連続で得点を記録し、公式戦連続得点の欧州記録を更新した[54][55]

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

  • プリメーラ・ディビシオン : 33回
    • 1931-32, 1932-33, 1953-54, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1960-61, 1961-62, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1978-79, 1979-80, 1985-86, 1986-87, 1987-88, 1988-89, 1989-90, 1994-95, 1996-97, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2011-12, 2016-17
  • コパ・デル・レイ : 19回
    • 1905, 1906, 1907, 1908, 1917, 1934, 1936, 1946, 1947, 1961-62, 1969-70, 1973-74, 1974-75, 1979-80, 1981-82, 1988-89, 1992-93, 2010-11, 2013-14

国際タイトル[編集]

サンティアゴ・ベルナベウにあるトロフィールーム
  • UEFAチャンピオンズカップ:6回 Coppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.png
    • 1955-56, 1956-57, 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1965-66

国内タイトル(非公式大会)[編集]

  • カンペオナート・レギオナル・セントロ : 22回
    • 1904–05, 1905–06, 1906–07, 1907–08, 1912–13, 1915–16, 1916–17, 1917–18, 1919–20, 1921–22, 1922–23, 1923–24, 1925–26, 1926–27, 1928–29, 1929–30, 1930–31, 1931–32, 1932–33, 1933–34, 1934–35, 1935–36

国際タイトル(非公式大会)[編集]

過去の成績[編集]

現所属メンバー[編集]

2017-18シーズン フォーメーション

Soccer Field Transparant.svg

2017年8月20日現在
No. Pos. 選手名
1 コスタリカの旗 GK ケイロル・ナバス (Flag of Spain.svg)
2 スペインの旗 DF ダニエル・カルバハル
3 スペインの旗 DF ヘスス・バジェホ
4 スペインの旗 DF セルヒオ・ラモス (主将)
5 フランスの旗 DF ラファエル・ヴァラン (Drapeau aux serpents de la Martinique.svg)
6 スペインの旗 DF ナチョ
7 ポルトガルの旗 FW クリスティアーノ・ロナウド(第3主将)
8 ドイツの旗 MF トニ・クロース
9 フランスの旗 FW カリム・ベンゼマ (第4主将) (Flag of Algeria.svg)
10 クロアチアの旗 MF ルカ・モドリッチ
11 ウェールズの旗 FW ガレス・ベイル
12 ブラジルの旗 DF マルセロ (第2主将) (Flag of Spain.svg)
No. Pos. 選手名
13 スペインの旗 GK キコ・カシージャ
14 ブラジルの旗 MF カゼミーロ
15 フランスの旗 DF テオ・エルナンデス
17 スペインの旗 FW ルーカス・バスケス
18 スペインの旗 MF マルコス・ジョレンテ
19 モロッコの旗 DF アクラフ・ハキミ (Flag of Spain.svg)
20 スペインの旗 MF マルコ・アセンシオ
21 スペインの旗 FW ボルハ・マジョラル
22 スペインの旗 MF イスコ
23 クロアチアの旗 MF マテオ・コヴァチッチ (Flag of Austria.svg)
24 スペインの旗 MF ダニ・セバージョス

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍[編集]

out
No. Pos. 選手名
-- ノルウェーの旗 MF マルティン・ウーデゴール (ヘーレンフェーン)
-- ブラジルの旗 MF ルーカス・シウヴァ (クルゼイロEC)
-- ウルグアイの旗 MF フェデリコ・バルベルデ (デポルティーボ・ラ・コルーニャ)
No. Pos. 選手名
-- ポルトガルの旗 DF ファビオ・コエントラン (スポルディングCP)
-- コロンビアの旗 MF ハメス・ロドリゲス (バイエルン・ミュンヘン)
-- オーストリアの旗 DF フィリップ・ラインハート (SCフライブルク)

歴代会長[編集]

20世紀半ばに黄金期をもたらしたベルナベウの名前は、クラブのホームスタジアムに冠されている。
氏名 国籍 期間
フリアン・パラシオス スペインの旗 スペイン 1900-1902
フアン・パドロス スペインの旗 スペイン 1902-1904
カルロス・マドロス スペインの旗 スペイン 1904-1908
アドルフォ・メレンデス スペインの旗 スペイン 1908-1916
ペドロ・パラヘス スペインの旗 スペイン 1916-1926
ルイス・デ・ウルキホ スペインの旗 スペイン 1926-1930
ルイス・ウセラ スペインの旗 スペイン 1930-1935
ラファエル・サンチェス スペインの旗 スペイン 1935-1936
アドルフォ・メレンデス スペインの旗 スペイン 1936-1940
アントニオ・サントス スペインの旗 スペイン 1940-1943
サンティアゴ・ベルナベウ スペインの旗 スペイン 1943-1978
ルイス・デ・カルロス スペインの旗 スペイン 1978-1985
ラモン・メンドーサ スペインの旗 スペイン 1985-1995
ロレンソ・サンス スペインの旗 スペイン 1995-2000
フロレンティーノ・ペレス スペインの旗 スペイン 2000-2006
フェルナンド・マルティン・アルバレス スペインの旗 スペイン 2006
ルイス・ゴメス・モンテハーノ スペインの旗 スペイン 2006
ラモン・カルデロン スペインの旗 スペイン 2006-2009
ビセンテ・ボルダ スペインの旗 スペイン 2009
フロレンティーノ・ペレス スペインの旗 スペイン 2009-

歴代監督[編集]

氏名 国籍 期間
アーサー・ジョンソン イングランドの旗 イングランド 1910-1920
フアン・デ・カルセル スペインの旗 スペイン 1920-1926
ペドロ・ジョレンテ スペインの旗 スペイン 1926
サンティアゴ・ベルナベウ スペインの旗 スペイン 1926-1927
ホセ・ベラオンド スペインの旗 スペイン 1927-1929
ホセ・キランテ スペインの旗 スペイン 1929-1930
リッポ・ヘルザ  ハンガリー 1930-1932
ペドロ・ジョレンテ スペインの旗 スペイン 1932
ロベルト・フィアスト  オーストリア 1932-1933
フランシスコ・ブル スペインの旗 スペイン 1934-1941
フアニート・アルメ スペインの旗 スペイン 1941-1943
ラモン・エンシナス スペインの旗 スペイン 1943-1945
パブロ・エルナンデス・コロナド スペインの旗 スペイン 1945
ジャシント・キンコセス スペインの旗 スペイン 1945-1946
バルタサール・アルベニス スペインの旗 スペイン 1946-1948
マイケル・キーピング イングランドの旗 イングランド 1948-1950
エクトル・スカローネ ウルグアイの旗 ウルグアイ 1951-1952
フアン・アントニオ・イピーニャ スペインの旗 スペイン 1952-1953
エンリケ・フェルナンデス ウルグアイの旗 ウルグアイ 1953-1955
ホセ・ビジャロンガ スペインの旗 スペイン 1955-1957
ルイス・カルニグリア アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1957-1959
ミゲル・ムニョス スペインの旗 スペイン 1959
ルイス・カルニグリア アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1959
マヌエル・フレイタス パラグアイの旗 パラグアイ 1959-1960
ミゲル・ムニョス スペインの旗 スペイン 1960-1973
ルイス・モロウニー スペインの旗 スペイン 1974
ミリャン・ミリャニッチ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1974-1977
ルイス・モロウニー スペインの旗 スペイン 1977-1979
ヴヤディン・ボシュコヴ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1979-1982
ルイス・モロウニー スペインの旗 スペイン 1982
アルフレッド・ディ・ステファノ アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1982-1983
アマンシオ・アマロ スペインの旗 スペイン 1983-1984
ルイス・モロウニー スペインの旗 スペイン 1985-1986
レオ・ベーンハッカー オランダの旗 オランダ 1986-1989
ジョン・トシャック ウェールズの旗 ウェールズ 1989-1990
アルフレッド・ディ・ステファノ アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1990-1991
ラドミル・アンティッチ ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア 1991
レオ・ベーンハッカー オランダの旗 オランダ 1992
ベニト・フローロ スペインの旗 スペイン 1992-1993
ビセンテ・デル・ボスケ スペインの旗 スペイン 1993-1994
ホルヘ・バルダーノ アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1994-1995
ビセンテ・デル・ボスケ スペインの旗 スペイン 1995-1996
アルセニオ・イグレシアス スペインの旗 スペイン 1996
ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 1996-1997
ユップ・ハインケス ドイツの旗 ドイツ 1997-1998
ホセ・アントニオ・カマーチョ スペインの旗 スペイン 1998
フース・ヒディンク オランダの旗 オランダ 1998-1999
ジョン・トシャック ウェールズの旗 ウェールズ 1999
ビセンテ・デル・ボスケ スペインの旗 スペイン 1999.11-2003.6
カルロス・ケイロス ポルトガルの旗 ポルトガル 2003.6-2004.5
ホセ・アントニオ・カマーチョ スペインの旗 スペイン 2004.5-2004.9
マリアノ・ガルシア・レモン スペインの旗 スペイン 2004.9-2004.11
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ ブラジルの旗 ブラジル 2004.12-2005.12
フアン・ラモン・ロペス・カロ スペインの旗 スペイン 2005.12-2006.6
ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 2006.7-2007.6
ベルント・シュスター ドイツの旗 ドイツ 2007.7-2008.12
ファンデ・ラモス スペインの旗 スペイン 2008.12-2009.6
マヌエル・ペレグリーニ  チリ 2009.6-2010.5
ジョゼ・モウリーニョ ポルトガルの旗 ポルトガル 2010.5-2013.5
カルロ・アンチェロッティ イタリアの旗 イタリア 2013.6-2015.5
ラファエル・ベニテス スペインの旗 スペイン 2015.6-2016.1
ジネディーヌ・ジダン フランスの旗 フランス 2016.1-

歴代所属選手[編集]

クラブ記録[編集]

出場試合数[編集]

順位 ポジション 選手名 所属期間 試合数
1 FW スペインの旗 ラウル・ゴンサレス 1994-2010 741
2 GK スペインの旗 イケル・カシージャス 1999-2015 725
3 DF スペインの旗 マノーロ・サンチス 1983-2001 710
4 FW スペインの旗 サンティリャーナ 1971-1988 645
5 FW スペインの旗 フランシスコ・ヘント 1953-1971 602
6 DF スペインの旗 フェルナンド・イエロ 1989-2003 601
7 DF スペインの旗 ホセ・アントニオ・カマーチョ 1973-1989 577
8 MF スペインの旗 ピッリ 1964-1979 561
9 MF スペインの旗 ミチェル 1981-1996 559
10 MF スペインの旗 グティ 1995-2010 542

総得点数[編集]

順位 ポジション 選手名 所属期間 得点数
1 FW ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド 2009- 406
2 FW スペインの旗 ラウル・ゴンサレス 1994-2010 323
3 FW アルゼンチンの旗コロンビアの旗スペインの旗 アルフレッド・ディ・ステファノ 1953-1964 308
4 FW スペインの旗 サンティリャーナ 1971-1988 290
5 FW ハンガリーの旗スペインの旗 フェレンツ・プスカシュ 1958-1966 242
6 FW メキシコの旗 ウーゴ・サンチェス 1985-1992 208
7 FW スペインの旗 フランシスコ・ヘント 1953-1971 182
8 FW フランスの旗 カリム・ベンゼマ 2009– 181
9 MF スペインの旗 ピッリ 1964-1980 172
10 FW スペインの旗 エミリオ・ブトラゲーニョ 1983-1995 171

各種クラブ記録[編集]

  • 最多得点差勝利 11-1 1942-43 コパ・デル・レイFCバルセロナ
  • 最多得点差敗北 1-8 1929-30 リーガ・エスパニョーラRCDエスパニョール
  • リーグ最多勝利 32試合/38試合 2011-2012
  • リーグ最少勝利 7試合/18試合 1929-30
  • リーグ最多得点 121得点 2011-12
  • リーグ最少得点 24得点 1930-31
  • リーグ最多失点 71得点 1950-51
  • リーグ最少失点 15得点 1931-32
  • リーグ最多勝ち点 100ポイント[注 13] 2011-12
  • リーグ最少勝ち点 17ポイント[注 14] 1929-30
  • 公式戦連勝記録 22試合 2014-15
  • 公式戦無敗記録 40試合 (スペイン記録) 2015-16〜16-17
  • 公式戦連続得点記録 74試合 (欧州記録) 2015-16〜17-18

各種個人記録[編集]

個人タイトル[編集]

バロンドール

アルフレッド・ディ・ステファノ
トロフィー
所属選手の個人賞トロフィー。しばしばクラブ史上最高の選手と評されるディ・ステファノ(左)は、史上唯一となるスーパー・バロンドール(右中央)を受賞した[56]

オンズドール

FIFA年間最優秀選手賞

UEFA欧州最優秀選手賞

ヨーロッパ・ゴールデンシュー

年間最優秀監督賞[編集]

ユニフォームとエンブレム[編集]

創設当時のユニフォーム

チームカラーは白、青。2013年からドバイを本拠地とする航空会社のエミレーツ航空が胸スポンサーとなっている。メーカーはアディダス

白いユニフォームは、コリンシアンFCをモデルにしている。また、イングランドの古豪リーズ・ユナイテッドのユニフォームも白であり、1960年代前半にドン・レヴィーが監督に就任したときに青と金のユニフォームから変更になった。これは、当時UEFAチャンピオンズカップ5連覇などを成し遂げたレアル・マドリードにあやかってチーム作りをしようとしたためだと言われている[57]。スペインのクラブとして初めて背番号があるユニフォームを着用したクラブでもあり、1947年11月23日アトレティコ・マドリード戦で背番号入りのユニフォームを導入した[58]

レアル・マドリードのセカンドユニフォームは青や紺、黒などの比較的落ち着いた色を使用することが伝統であった。しかし、2011-12シーズンのチャンピオンズリーグ用セカンドユニフォームには、上下とも赤という明るい色を38年ぶりに採用した[59][60]。また、その翌シーズンにはユニフォームのサードカラーを緑とすることが決定。過去にレアル・マドリードが公式戦で緑のユニフォームを着用したことはなく、親善試合などを含めても1965-66シーズン前の南米遠征でベネズエラカラカスにてCAリーベル・プレートとの試合で着用して以来およそ半世紀ぶりとなる[61]

背番号7は特別な番号とされており、レイモン・コパアマンシオ・アマロフアニートエミリオ・ブトラゲーニョなどそれぞれの時代のクラブを代表するアタッカーが背負ってきた。特に近年ではラウル・ゴンサレスクリスティアーノ・ロナウドによってその価値はさらに高められた[62]。また、背番号9もアルフレッド・ディ・ステファノサンティリャーナウーゴ・サンチェスロナウドといった名手に背負われてきた[63]

メーカーと胸スポンサー[編集]

年度 メーカー 胸スポンサー
1980–1982 adidas -
1982–1985 Zanussi
1985–1989 ヒュンメル Parmalat
1989–1991 Reny Picot
1991–1992 Otaysa
1992–1994 Teka
1994–1998 KELME
1998–2001 adidas
2001–2002 -
2002–2005 Siemens mobile
2005–2006 Siemens
2006–2007 BenQ Siemens
2007–2013 bwin.com
2013– Fly Emirates

エンブレム[編集]

メディア[編集]

1999年2月14日からはレアル・マドリードTVが始まり、選手やスタッフのインタビューや過去のものを含む試合を放送している。2005年にはクラブ初の正式公認映画である[64]レアル・ザ・ムービーが制作され、当時の所属選手も多数出演した。その他、GOAL!シリーズの主人公であるサンティアゴ・ムネスは、GOAL!2にてレアル・マドリードに移籍し、この作品にも当時の所属選手が出演した。

クラブ会員やファンクラブのメンバーには、Hala Madridというファンクラブ誌が毎月発行される[注 15]。試合のレポートや下部組織の情報、インタビューなどを掲載している。

スペインで最も知られているスポーツ紙の一つであるMARCAASは共にマドリードに拠点を置いており、連日レアル・マドリードやライバルのアトレティコ・マドリードの情報が発信されている[65]

ファン[編集]

マドリードダービーでの応援風景

レアル・マドリードのファンはマドリディスタ(madridista)と呼ばれている[注 16]2000年フロレンティーノ・ペレスが会長に就任したときに、スペインサッカーの実体を理解するためにスペイン各地でスペイン人2000人に応援しているクラブを尋ねたところ、29.2パーセントがレアル・マドリードのファンであると答え[66]2007年の社会意識調査では国内の32.8パーセントがレアル・マドリードのファンであることが明らかになった[24]歴史的な軋轢があるカタルーニャ州においても、本拠地を置くFCバルセロナに次ぐファン数を誇っている[67]

2006年ハーバード大学が行った調査によると世界中に2億2,800万人いるとされており、この数字はマンチェスター・ユナイテッドFCを6,000万人上回り、世界一の数字である[1]。同じくマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードは主に労働者階級の支持を受けているのに対し、レアル・マドリードは富裕層の支持を受けているのが特徴である。現地サポーターはレアル・マドリードがタイトルを獲得した際、シベーレスの噴水に集まり祝福する。

攻撃的なサッカーを好む傾向にあり、1996-97シーズンと2006-07シーズンに監督を務めたファビオ・カペッロは、そのいずれもリーガ・エスパニョーラ優勝を達成したものの、あまりに守備的すぎるという理由からシーズン終了後に解任されている。1989-90シーズンにレアル・マドリードを率いて、最多得点記録を更新してのリーグ優勝を果たしたジョン・トシャックや、2010-11シーズンから2012-13シーズンまで指揮し2011-12シーズンは史上最多勝ち点と史上最多得点を記録して優勝したジョゼ・モウリーニョも守りすぎだと批判された[68]。なお、2005年11月20日エル・クラシコ2008年11月5日UEFAチャンピオンズリーググループステージにおけるユヴェントスFC戦などでは、ホームゲームにおいて対戦相手の選手にスタンディングオベーションを送っている[69][70]

レアル・マドリードの下部組織に所属していたビセンテ・デル・ボスケフリオ・イグレシアスのほか、プラシド・ドミンゴラファエル・ナダルフェルナンド・アロンソセルヒオ・ガルシアらスペインの著名人がクラブの名誉会員に名を連ねている[71][72]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 厳密には、マドリードダービーはこの両クラブのみならず、マドリード市などのマドリード都市圏、マドリード首都圏に本拠を置くチーム同士が対戦するダービーマッチのことを指す。
  2. ^ 活字メディアでは「ワールドサッカーキング」、「フットボリスタ」、放送メディアでは「J SPORTS」など。
  3. ^ 優勝した1965-66シーズンのUEFAチャンピオンズカップにて、選手達が決勝前の写真撮影にビートルズの髪型を模したカツラを着用して臨んだことに由来。また「イエイエ」は当時のスペインにおける若者風情の一つであり、1960年代に流行した音楽ファッションなどを総称してそう呼ぶ。
  4. ^ それ以前はエスタディオ・チャマルティンでプレーしていたが、この頃からは「アトレティコ・アビアシオンの会員はレアル・マドリードの試合を無料で観られる」という条件のもと、当時のアトレティコ・アビアシオンのホームスタジアムであったエスタディオ・メトロポリターノ・デ・マドリードでプレーした。
  5. ^ 当時の規定により、1988-89シーズンのリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイの双方で優勝したことで自動的に優勝を認定された。
  6. ^ シウダード・デポルティバの跡地は再開発されてクアトロ・トーレス・ビジネス・エリアとなった。
  7. ^ 4月16日にリーガ・エスパニョーラ、4月20日にコパ・デル・レイ、4月27日と5月3日にUEFAチャンピオンズリーグにて行われた。
  8. ^ 総得点の41得点は、同大会が13試合制になってからの史上最多得点記録である。
  9. ^ この記録はエールディヴィジアヤックス・アムステルダムが1971-72シーズンに記録した26連勝、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAコリチーバFCが2011年シーズンに記録した24連勝に次ぐ、史上3番目に長い連勝記録でもある。
  10. ^ そのシーズンに行われた全ての公式戦での得点数。太字はピチーチ賞受賞。
  11. ^ コパ・デル・レイの前身の大会であるコパ・デ・ラ・コロナシオン。
  12. ^ スーペルコパ・デ・エスパーニャの前身の大会であるコパ・エバ・ドゥアルテ
  13. ^ 試合数38。勝利時の獲得ポイントが3。
  14. ^ 試合数18。勝利時の獲得ポイントが2。
  15. ^ 「Hala Madrid」はレアル・マドリードを賞賛する文句であり、クラブの応援歌にも同名のタイトルが付けられている。
  16. ^ レアル・マドリードに所属している、もしくは過去に所属していた選手もこう呼ばれる場合がある。

出典[編集]

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  2. ^ Europe's Club of the Century IFFHS
  3. ^ [1]Forbes 2016年12月現在。
  4. ^ 特集 各国歴代最強イレブン【20】スペイン(1) - 時事ドットコム
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  9. ^ Deloitte Football Money League 2014”. Real Madrid C.F. (2014年1月). 2014年9月7日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年9月2日閲覧。
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  11. ^ サントスへの不満を募らせるバルセロナ”. goal.com (2011年9月16日). 2011年9月17日閲覧。
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  13. ^ 2012年にイギリスメディア『sportingintelligence.com』が調査した、世界のスポーツチームの平均年俸ランキング
  14. ^ レアル、イスラム圏のスポンサーに配慮。エンブレム変更へ”. excite.co.jp (2014年11月29日). 2015年1月5日閲覧。
  15. ^ レアル、バイクメーカーとスポンサー契約を締結…中国企業とは初soccerking 2015年3月29日
  16. ^ レアル・マドリードC.F.
  17. ^ 欧州サッカー公式ウェブサイト
  18. ^ 海外サッカー - リーガ・エスパニョーラ - レアル・マドリッド - スポーツナビ
  19. ^ ボール 2002 182頁
  20. ^ ボール 2002 174頁
  21. ^ http://www.realmadrid.com/ja/about-real-madrid/history/football/1900-1910-juan-padros-and-julian-palacios-found-madrid 1907年のレアル・マドリードのメンバー
  22. ^ a b R・マドリード、本拠地の名称として名を刻むベルナベウ氏のデビューから100周年”. wowow.co.jp (2012年3月5日). 2012年7月29日閲覧。
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式