レアル・マドリード

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レアル・マドリード
原語表記 Real Madrid Club de Fútbol
愛称 El Madrid, Merengues, Blancos,Real
Vikingos, Los Galacticos
エル・マドリード、マドリード、メレンゲス、白い巨人
クラブカラー
創設年 1902年
所属リーグ リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン マドリード
ホームスタジアム エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ
収容人数 85,454
代表者 スペインの旗 フロレンティーノ・ペレス
監督 スペインの旗 ラファエル・ベニテス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

レアル・マドリード・クルブ・デ・フトボル西: Real Madrid Club de Fútbol)は、スペイン首都 マドリードに本拠地を置くサッカークラブ。

概要[編集]

1902年に創立。現在のホームスタジアムエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ。現在はリーガ・エスパニョーラプリメーラ・ディビシオンに所属し、同リーグにおいて32回の最多優勝記録を持つほか、FCバルセロナアスレティック・ビルバオと共にリーガ・エスパニョーラの創立以来、一度もプリメーラ・ディビシオンから降格したことがないクラブでもある。さらに2015年の時点で6クラブのみであるビッグイヤーの永久保持が認められているクラブの1つであるほか、UEFAチャンピオンズカップおよびUEFAチャンピオンズリーグにおいても合計10回の優勝記録を持ち、ラ・ペケーニャ・コパ・デル・ムンドインターコンチネンタルカップFIFAクラブワールドカップにおいても合計6回の世界一を誇り、いずれも歴代最多記録である。 FIFAには20世紀最高のクラブ[1]国際サッカー歴史統計連盟からはヨーロッパにおける20世紀最高のクラブに認められた[2]2014年には、世界有数の経済誌『フォーブス』によるスポーツチームの資産価値の格付けにおいて34億4000万ドルと算出されており、世界一の資産価値のクラブとなっている[3]

サンティアゴ・ベルナベウにあるトロフィールーム

スペインサッカー連盟1909年に創設されたものであり、同クラブ創設当初のスペインにはサッカーを統括する団体が存在しなかった。また、当時は同クラブが唯一のサッカー団体であったため、スペインを代表してFIFAの創設メンバーに名を連ねた。

同じスペイン3大名門クラブに並び称されるFCバルセロナとアトレティコ・マドリードの両クラブとはライバル関係にある。FCバルセロナとの対戦はエル・クラシコ (El Clásico) と呼ばれ、100年以上に渡り因縁の対決を続けている。同じマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードとの対戦はマドリードダービー (El Derbi Madrileño) と呼ばれる[注 1]。首都マドリードに本拠地を置いているレアル・マドリードは、歴史的な背景からカタルーニャバスクなどの地域のクラブから強い対抗心を抱かれている[4]

また、サッカーのクラブチームのほか、バスケットボールのクラブチームも持つ総合スポーツクラブである。スペインバスケットボールリーグ1部ACBレアル・マドリード・バロンセストがそれであり、優勝回数1位を誇る屈指の名門クラブである。

下部組織[編集]

Bチームであるレアル・マドリード・カスティージャを始めとするユースチームも運営しており、これまで国内外で活躍する多くの選手を輩出している。1979-80シーズン、カスティージャCFはコパ・デル・レイ決勝に進出してレアル・マドリードのトップチームと決勝戦を戦い、下部組織出身者をチームの中心に据えた1980年代はリーガ・エスパニョーラ5連覇を果たした。

しかし、レアル・マドリードは他のクラブから有名選手を獲得することが多く[5]2000年フロレンティーノ・ペレスが会長に就任して以降はその傾向が特に顕著となったため、トップチームに定着する下部組織出身者は非常に少ない。元カスティージャCF出身の選手であり、下部組織の総責任者を務めていたミチェルは、2008年にクラブのカンテラ軽視を理由に辞職している[6]

経営について[編集]

ペレスは優れた経営手腕により多大な利益をもたらしたが、一方でスポーツ面での批判も多かった[7]

デロイト・フットボール・マネー・リーグによれば世界一収入のあるフットボールクラブであり、2012-13シーズンの経営収入は5億1890万ユーロである[8] 。その内訳はスタジアム収入が1億1900万ユーロ、テレビ収入が1億8830万ユーロ、マーケティング収入が2億1160万ユーロとなっている。クラブブランドや潤沢な資金力を活かして、これまで多くの大物選手の獲得に成功している。

特筆すべきものとして、レアル・マドリードはいち早くプレシーズンのワールドツアーを採用し、PRも兼ねて大きな資金を得た。また、多くの場合選手に対して肖像権の半分をクラブ側が持つという契約を提示するため[9][10]、ユニフォームなどのグッズ売り上げ以外にも所属選手による収入がある。リーガ・エスパニョーラの放映権収入に関しては、現在レアル・マドリードとFCバルセロナの2クラブで約半分を独占する形になっており、経済格差やそれを背景としたリーグの2強化も相まってこの分配システムには不満の声が多く上がっている[11]

イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、レアル・マドリードの平均年俸は約779万ドルであり、FCバルセロナに次いで、世界で2番目に平均年俸が高いクラブであることが判明した。これはアメリカのスポーツチームで最も平均年俸が高いロサンゼルス・レイカーズニューヨーク・ヤンキースよりも高い給与水準である[12]

エミレーツ航空やアブダビ国立銀行とスポンサー契約を行ったレアル・マドリードは、イスラム圏の文化を尊重してファンの拡大を狙い、エンブレムにある十字架を除く微調整を施した[13]

2015年3月28日に中国の電動バイクメーカーの緑源(リューヤン)とスポンサー契約を締結したと発表した[14]。中国企業とスポンサー契約を結ぶのは初めて。

呼称[編集]

当クラブの日本語公式ウェブサイトでは、「レアル・マドリードC.F.」および「レアル・マドリード」を用いている[15]。しかし、Real Madrid Club de Fútbol を一般的なスペイン語では [real maˈðɾið kluβ de ˈfutβol]アル・マド(ドゥ)・クブ・デ・(トゥ)ボル」と発音することや、欧州サッカー連盟 (UEFA) の日本語公式ウェブサイトで「レアル・マドリーCF」および「レアル・マドリー」を使用している[16]ため、「レアル・マドリー」を用いるマスメディアもある[注 2]。その他、英語風に「レアル・マドリッド」と表記するマスメディアもあり[17]、日本語表記は統一されていない。なお、当クラブが所在するマドリード首都圏では [real maˈðɾiθ]アル・マドース」と発音する(→マドリード#名称参照)。Real は「王の」「王立の」という意味で、英語のroyalにあたる。

愛称および略称は、チームカラーの白をとってエル・ブランコ(El Blanco)やメレンゲ(Merengue)。その他にも、年代ごとにそれぞれ特殊な愛称も存在する。アルフレッド・ディ・ステファノらスタープレイヤーを擁してUEFAチャンピオンズカップ5連覇を成し遂げた1950年代後半は一般的にエポカ・ドラダ(Epoca Dorada, 黄金時代)と表現され[18]、8度のリーガ・エスパニョーラ優勝を成し遂げた1960年代ビートルズの楽曲、シー・ラヴズ・ユーの歌詞より[19]イエイエ・マドリード(Yé-yé Madrid)[注 3]、リーグ5連覇を成し遂げた1980年代後半から1990年代初頭のチームは、エミリオ・ブトラゲーニョの愛称である「エル・ブイトレ(El Buitre)」からキンタ・デル・ブイトレ(Quinta del Buitre, ハゲワシ部隊)と呼ばれた。2000年代前半から中盤の第一次ペレス会長時代は、在籍している選手の豪華さからロス・ガラクティコス(Los Galácticos)とも呼ばれていた。

日本のメディアでは『レアル』、「エル・ブランコ」を意訳した『白い巨人』、「ロス・ガラクティコス」を訳した『銀河系軍団』という呼び名も用いられる。なお、スペインでは定冠詞をつけた『El Madrid』(エル・マドリード)が多く使われており、「レアル」といえばレアル・ソシエダアトレティコ・マドリードは「アトレティコ」と略している。

クラブの歴史[編集]

創成期[編集]

1907年のチーム[20]

1895年オックスフォード大学ケンブリッジ大学の卒業生がマドリードにフットボール・スカイ(Football Sky)というクラブを設立。1900年に分裂し、ニュー・フットボール・クラブ(New Foot-Ball de Madrid)とフリアン・パラシオス会長のエスパニョール・デ・マドリード(Club Español de Madrid)という2クラブが新たに生まれた。そして、1902年にフアン・パドロスが会長となり、レアル・マドリードの前身のクラブであるマドリード・フットボール・クラブ(Madrid Foot-Ball Club)が誕生した。

1902年はコパ・デ・ラ・コロナシオンに出場。1905年には初のタイトルであるコパ・デル・レイ優勝を達成し、1908年まで同大会を4連覇した。1910年にはアーサー・ジョンソンがクラブ史上初の監督に就任。1912年3月3日サンティアゴ・ベルナベウが選手としてデビュー[21]し、同年にはクラブ史上初のホームスタジアムであるオドネル・スタジアムが建設された[22]1914年にはレネ・ペティトがトップチームでデビューした。1917年にはコパ・デル・レイ優勝を達成。

1920年6月29日アルフォンソ13世に「レアル」の称号を拝領したことでクラブ名がレアル・マドリードとなり、クラブのエンブレムにもブルボン家を象徴する王冠が加えられた[23]。「レアル」の名を授けられたことによりクラブ会員が急増したため、オドネル・スタジアムよりも大きなスタジアムを建設[24]し、1924年エスタディオ・チャマルティンが完成。1929年からリーガ・エスパニョーラが開幕し、最初のシーズンとなった1929シーズンは2位に終わった。

1930年にはリカルド・サモラを獲得。1931年にアルフォンソ13世が国外に亡命したことによって、その後の約10年間に渡りエンブレムの王冠と共にクラブ名から「レアル」の称号を外され、マドリードCFとなる。同年にはマヌエル・オリバレスジャシント・キンコセスシリアコ・エラスティを獲得し、1931-32シーズンはリーグ戦にて無敗を記録して初のリーガ・エスパニョーラ優勝を達成[25]1932年にはジョゼップ・サミティエールを獲得し、1932-33シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たした。1933-34シーズンと1935-36シーズンにはコパ・デル・レイ優勝を達成するが、1936年スペイン内戦が勃発し、1939年までリーガ・エスパニョーラは中断を余儀なくされた。1939年にはフアン・アントニオ・イピーニャサビノ・バリナガを獲得。

サンティアゴ・ベルナベウ会長時代[編集]

1943年サンティアゴ・ベルナベウが会長に就任。1944年にはスペイン内戦の影響で廃墟と化した[26]エスタディオ・チャマルティンに代わるスタジアムであるヌエボ・エスタディオ・チャマルティンを起工した[注 4]。1945-46シーズンにはコパ・デル・レイ優勝を果たした。1946年にはルイス・モロウニーを獲得し、1946-47シーズンはコパ・デル・レイ2連覇を達成。1947-48シーズンにはコパ・エバ・ドゥアルテ優勝を果たす。1948年にはミゲル・ムニョスパイーニョを、1949年にはフアン・アロンソを獲得。

1951年にはADプルス・ウルトラからホセ・マリア・サラガを昇格させた。1952年にはラ・ペケーニャ・コパ・デル・ムンドにて優勝を達成。1953年にはアルフレッド・ディ・ステファノフランシスコ・ヘントを獲得し、ADプルス・ウルトラからエンリケ・マテオスを昇格させた。特にディ・ステファノの獲得はアトレティコ・マドリードFCバルセロナアスレティック・ビルバオの3強だった当時のリーガ・エスパニョーラの勢力図を塗り替えた[21]。1953-54シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を達成。1954年にはエクトル・リアルマルキートスを獲得。1954-55シーズンはシーズン途中にホセ・ビジャロンガが監督に就任し、当時のリーグ史上最多となる勝ち点46を記録[27]してのリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たす。

1960年5月18日に行われたUEFAチャンピオンズカップ 1959-60決勝、アイントラハト・フランクフルト戦のスターティングメンバー。
黄金時代を築いたディ・ステファノとプスカシュ。

1955-56シーズンはラテン・カップ優勝、さらに同シーズンから始まったUEFAチャンピオンズカップにて優勝を果たす。1956年にはレイモン・コパを獲得し、1956-57シーズンはラ・ペケーニャ・コパ・デル・ムンド優勝、リーガ・エスパニョーラ優勝、UEFAチャンピオンズカップ2連覇を果たした。1957年にはルイス・カルニグリアが監督に就任したほか、ホセ・サンタマリアロヘリオ・ドミンゲスを獲得し、1957-58シーズンはラテン・カップ優勝、リーガ・エスパニョーラ2連覇、UEFAチャンピオンズカップ3連覇を達成した。1958年にはフェレンツ・プスカシュを獲得し、1958-59シーズンはUEFAチャンピオンズカップ4連覇を果たす。1959-60シーズンはシーズン途中にミゲル・ムニョスが監督に就任したほか、ルイス・デル・ソルを獲得し、UEFAチャンピオンズカップ5連覇を達成した。これらの実績を残した当時のチームはエポカ・ドラダと表現された。

1960年にはホセ・ビセンテ・トラインを獲得し、1960-61シーズンは当時のクラブ史上最多連勝記録である公式戦15連勝を記録[28]したほか、当時のリーグ史上最多となる勝ち点52を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝、また同シーズンから始まったインターコンチネンタルカップにて優勝を達成。1961年にはアントニオ・ベタンコルトビセンテ・ミエラを獲得し、1961-62シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇とコパ・デル・レイ優勝を果たし、クラブ史上初の国内タイトル2冠を達成した。1962年にはイグナシオ・ソコアマンシオ・アマロルシアン・ミュラーらを獲得。1962-63シーズンはリーガ・エスパニョーラ3連覇を達成し、1963-64シーズンはリーガ・エスパニョーラ4連覇を達成した。1964年にはピッリマヌエル・サンチス・マルティネスを獲得し、ADプルス・ウルトラからラモン・グロッソを昇格させ、1964-65シーズンはリーガ・エスパニョーラ5連覇を達成した。

1966年5月11日に行われたUEFAチャンピオンズカップ 1965-66決勝、パルチザン・ベオグラード戦のスターティングメンバー。
ヘントはクラブへの在籍期間中、いずれも個人では歴代最多記録となる12回のリーガ・エスパニョーラ優勝と6回のUEFAチャンピオンズカップ優勝を達成した。

1965-66シーズンはUEFAチャンピオンズカップ優勝を果たした。1966-67シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を達成。1967年にはミゲル・アンヘル・ゴンサレスを獲得し、1967-68シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成し、1968-69シーズンはリーガ・エスパニョーラ3連覇を達成した。1969年にはグレゴリオ・ベニトらを獲得し、1969-70シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たした。これらの実績を残した当時のチームはイエイエ・マドリードと称された。

1970年にはADプルス・ウルトラからビセンテ・デル・ボスケを昇格させた。1971年にはサンティリャーナマリアノ・ガルシア・レモンを獲得し、1971-72シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。1973年にはギュンター・ネッツァーを獲得し、カスティージャCFからホセ・アントニオ・カマーチョを昇格させた。1973-74シーズンはシーズン途中で14季にわたって監督を務めたムニョスを解任してルイス・モロウニーが監督に就任し、コパ・デル・レイ優勝を達成。

1974-75シーズンからはミリャン・ミリャニッチが監督に就任し、1974年にはパウル・ブライトナーを獲得。1974-75シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝とコパ・デル・レイ2連覇の国内タイトル2冠を達成し、1975-76シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1976年にはフアニートを獲得するも、1976-77シーズンはリーガ・エスパニョーラで9位、コパ・デル・レイではベスト32、UEFAチャンピオンズカップではベスト16と無冠に終わり、ミリャニッチは解任された。1977年にはウリ・シュティーリケを獲得し、1977-78シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を達成した。なお、1978年6月2日にベルナベウは死去した。

ルイス・デ・カルロス会長時代[編集]

1978年、ルイス・デ・カルロスが会長に就任。1978-79シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1979-80シーズンからはヴヤディン・ボシュコヴが監督に就任し、1979年夏の移籍市場ではローリー・カニンガムらを獲得。同シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点53を記録してのリーガ・エスパニョーラ3連覇とコパ・デル・レイ優勝の国内タイトル2冠を達成した。

1980-81シーズンはリカルド・ガジェゴアグスティン・ロドリゲスらをカスティージャCFから昇格させた。1981-82シーズンはチェンドホセ・マヌエル・オチョトレーナをカスティージャCFから昇格させ、コパ・デル・レイ優勝を達成。1983-84シーズンはマヌエル・サンチス・オンティジュエロマルティン・バスケスミゲル・パルデサエミリオ・ブトラゲーニョをカスティージャCFから昇格させた。

1984年夏の移籍市場ではホルヘ・バルダーノを獲得。1984-85シーズンはミチェルらをカスティージャCFから昇格させ、コパ・デ・ラ・リーガUEFAカップにて優勝を達成した。

ラモン・メンドーサ会長時代[編集]

ブトラゲーニョはキンタ・デル・ブイトレの一員として、1985-86シーズンから1989-90シーズンにかけてのリーガ・エスパニョーラ5連覇などに大きく貢献した。

1985年、ラモン・メンドーサが会長に就任。同年夏の移籍市場ではウーゴ・サンチェスアントニオ・マセーダラファエル・ゴルディージョを獲得し、1985-86シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点56を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝とUEFAカップ2連覇を達成。

1986-87シーズンからはレオ・ベーンハッカーが監督に就任し、1986年夏の移籍市場ではフランシスコ・ブーヨを獲得。同シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点66を記録してのリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1987年夏の移籍市場ではミゲル・テンディーリョらを獲得し、1987-88シーズンはリーガ・エスパニョーラ3連覇を達成。1988年夏の移籍市場ではベルント・シュスターらを獲得し、1988-89シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を果たしたほか、リーガ・エスパニョーラ4連覇、コパ・デル・レイ優勝の国内タイトル2冠を達成した。

1989-90シーズンのフォーメーション[29]

1989-90シーズンはジョン・トシャックが監督に就任し、1989年夏の移籍市場ではフェルナンド・イエロオスカル・ルジェリらを獲得。同シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ2連覇[注 5]と当時のリーグ史上最多となる107得点を記録[30]してのリーガ・エスパニョーラ5連覇を達成。1990年夏の移籍市場ではルイス・ミジャらを獲得し、1990-91シーズンはカスティージャCFからアルフォンソ・ペレスを昇格させ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ3連覇を達成した。エミリオ・ブトラゲーニョらカスティージャCF出身の選手たちがチームの中心となり、これらの実績を残した当時のチームはキンタ・デル・ブイトレと称された。

1991年夏の移籍市場ではルイス・エンリケミケル・ラサ・ゴイコチェアらを獲得するも、1991-92シーズンは無冠に終わる。1992年夏の移籍市場ではイバン・サモラーノを獲得し、1992-93シーズンはコパ・デル・レイ優勝を達成。1993年夏の移籍市場ではラファエル・アルコルタらを獲得し、1993-94シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャにて優勝を果たす。1994-95シーズンはホルヘ・バルダーノが監督に就任し、1994年夏の移籍市場ではフェルナンド・レドンドミカエル・ラウドルップホセ・エミリオ・アマビスカらを獲得したほか、レアル・マドリードBからラウル・ゴンサレスらを昇格させ、同シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝、コパ・イベロアメリカーナ優勝を果たした。1995-96シーズンはレアル・マドリードBからグティを昇格させた。

しかし、1992年からエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウの改修を行い、この改修費用などでクラブは多額の負債を抱えることとなり、1995-96シーズン途中の1995年11月20日にメンドーサは会長職を辞任した。

ロレンソ・サンス会長時代[編集]

ラウルは後にクラブ最多出場し、最多得点記録を更新した。

ラモン・メンドーサの退任後、クラブの副会長を務めていたロレンソ・サンスが会長に就任。1995-96シーズンはレアル・マドリードBからビクトール・サンチェスらを昇格させるも無冠に終わるが、1996-97シーズンはファビオ・カペッロが監督に就任し、1996年夏の移籍市場ではプレドラグ・ミヤトヴィッチダヴォール・シューケルクラレンス・セードルフロベルト・カルロスボド・イルクナーらを獲得。1997年冬の移籍市場ではクリスティアン・パヌッチらを獲得した。同シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点92を記録[31]してのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たすも、守備的な戦術が批判されシーズン終了後にカペッロは解任された。

1998年5月20日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 1997-98決勝、ユヴェントスFC戦のスターティングメンバー。

1997-98シーズンはユップ・ハインケスが監督に就任し、1997年夏の移籍市場ではフェルナンド・モリエンテスクリスティアン・カランブーアイトール・カランカサヴィオらを獲得。同シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝、UEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成するが、シーズン終了後にハインケスは解任された。1998年夏の移籍市場ではロベルト・ヤルニイバン・カンポらを獲得し、1998-99シーズンはインターコンチネンタルカップ優勝を果たす。

1999年夏の移籍市場ではミチェル・サルガドイバン・エルゲラスティーブ・マクマナマンニコラ・アネルカらを獲得し、レアル・マドリードBからイケル・カシージャスを昇格させた。1999-2000シーズンはシーズン途中にレアル・マドリードBの監督を務めていたビセンテ・デル・ボスケをトップチームの監督に昇格させ、UEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成する。一方、クラブの負債は悪化の一途を辿った。

第一次フロレンティーノ・ペレス会長時代[編集]

1999-2000シーズン終了後に行われた会長選を経て、フロレンティーノ・ペレスが会長職に就任。ペレスは旧練習場敷地であるシウダード・デポルティバの売却で前会長時代までに膨らんだクラブの多額の負債を完済[注 6]。さらに毎年の移籍市場を賑わせ、ロス・ガラクティコスと称されるチームを構成した。

2000年夏の移籍市場ではペレスが会長に就任した際に獲得を公約したルイス・フィーゴ[32]を当時の史上最高額の移籍金で獲得[33]したほか、サンティアゴ・ソラーリクロード・マケレレらを獲得。2000-01シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。

2001年夏の移籍市場では前年にフィーゴを獲得した移籍金を上回る当時の史上最高額の移籍金でジネディーヌ・ジダンを獲得し[34]、2001-02シーズンはレアル・マドリードBからフランシスコ・パボンラウール・ブラボらを昇格させ、スーペルコパ・デ・エスパーニャUEFAチャンピオンズリーグにて優勝を果たした。当時のクラブの補強やチーム構成の方針は、ジダンなどのスター選手とパボンなどのレアル・マドリードB出身の選手の共存を意味する「ジダネス&パボネス」と呼ばれた[35]

2002年12月3日に行われたインターコンチネンタルカップ2002、オリンピア・アスンシオン戦のスターティングメンバー。

2002年夏の移籍市場ではロナウドエステバン・カンビアッソらを獲得。2002-03シーズンはリーガ・エスパニョーラUEFAスーパーカップインターコンチネンタルカップにて優勝を果たすも、シーズン終了後に監督のビセンテ・デル・ボスケは解任された。

ロス・ガラクティコスと呼ばれた当時のチームで、チームメイトだったジダンとベッカム。

2003-04シーズンはカルロス・ケイロスが監督に就任し、2003年夏の移籍市場ではデビッド・ベッカムらを獲得。同シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャにて優勝するも、リーガ・エスパニョーラは4位、コパ・デル・レイは準優勝、UEFAチャンピオンズリーグではベスト8に終わり、シーズン終了後にケイロスは解任された。

2004年夏の移籍市場ではマイケル・オーウェンジョナサン・ウッドゲートワルテル・サムエルらを獲得し、2005年冬の移籍市場ではトーマス・グラヴェセンらを獲得するも、2004-05シーズンは無冠に終わる。2005年夏の移籍市場ではセルヒオ・ラモスロビーニョジュリオ・バティスタらを獲得し、2006年冬の移籍市場ではアントニオ・カッサーノシシーニョを獲得するも、2005-06シーズンも無冠に終わり、同シーズン途中の2006年2月27日にペレスは会長職を辞任した[36]

ペレスの辞任後はフェルナンド・マルティン・アルバレスが会長職に就任するも、同年4月26日に会長職を辞任し、その後はルイス・ゴメス・モンテハーノが暫定的に会長を務めた[37]

ラモン・カルデロン会長時代[編集]

2007年6月17日に行われたリーガ・エスパニョーラ2006-2007最終節、RCDマヨルカ戦のスターティングメンバー。

2005-06シーズン終了後に行われた会長選を経て、ラモン・カルデロンが会長職に就任。2006-07シーズンはファビオ・カペッロが監督に就任し、2006年夏の移籍市場ではファビオ・カンナヴァーロエメルソン・フェレイラルート・ファン・ニステルローイマアマドゥ・ディアッラホセ・アントニオ・レジェスを獲得。2007年冬の移籍市場ではマルセロフェルナンド・ガゴゴンサロ・イグアインを獲得した。同シーズンは最終的にFCバルセロナと同勝ち点で並び、直接対決の結果によりリーガ・エスパニョーラ優勝を果たすも、シーズン終了後にカペッロは解任された[38]

2007-08シーズンからはベルント・シュスターが監督に就任。2007年夏の移籍市場ではペペハビエル・サビオラヴェスレイ・スナイデルアリエン・ロッベンらを獲得。同シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たした。2008年夏の移籍市場ではラファエル・ファン・デル・ファールトらを獲得し、2009年冬の移籍市場ではラッサナ・ディアッラらを獲得。2008-09シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャにて優勝を果たすが、リーガ・エスパニョーラでの低迷から第14節後にシュスターを解任してファンデ・ラモスが監督に就任するも2位に終わった。コパ・デル・レイでは4回戦敗退、UEFAチャンピオンズリーグでは5季連続のベスト16に終わる。

2008-09シーズン途中の2009年1月16日、クラブ総会におけるカルデロンの不正投票操作疑惑が浮上[39]し、その責任および混乱収拾のためカルデロンは会長職を辞任。その後はビセンテ・ボルダが暫定的に会長を務めた。

第二次フロレンティーノ・ペレス会長時代[編集]

2009年6月14日に会長選が行われる予定だったが、元会長のフロレンティーノ・ペレス以外の候補者が出馬条件を満たせなかったため[40]、同年6月1日付でペレスが会長に返り咲いた[41]。2009-10シーズンはマヌエル・ペレグリーニが監督に就任し、同年夏の移籍市場では当時の史上2番目に高額な移籍金でカカを、史上最高額の移籍金でクリスティアーノ・ロナウドを獲得したほか、カリム・ベンゼマシャビ・アロンソラウール・アルビオルアルバロ・アルベロアらを獲得。しかし、同シーズンはリーガ・エスパニョーラで当時のクラブ史上最多の勝ち点96を記録するも2季連続の2位、コパ・デル・レイでは2季連続の4回戦敗退、UEFAチャンピオンズリーグでは6季連続のベスト16。無冠に終わり、シーズン終了後にペレグリーニは解任された。

2010-11シーズンからはジョゼ・モウリーニョが監督に就任。2010年夏の移籍市場ではアンヘル・ディ・マリアリカルド・カルヴァーリョサミ・ケディラメスト・エジルらを獲得。2010-11シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たし、UEFAチャンピオンズリーグはベスト4進出を果たす。

クリスティアーノ・ロナウドはリーグ史上初となる勝ち点100を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝や、ラ・デシマの達成などに大きく貢献した。

2011年夏の移籍市場ではファビオ・コエントランラファエル・ヴァラーヌらを獲得し、2011-12シーズンは当時のクラブ史上最多連勝記録に並ぶ公式戦15連勝を記録[28]したほか、いずれもリーグ史上最多となる121得点[42]と勝ち点100[43]を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たした。2012年夏の移籍市場ではルカ・モドリッチらを獲得し、2013年冬の移籍市場ではディエゴ・ロペスを獲得。2012-13シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を果たすも、リーガ・エスパニョーラは2位、UEFAチャンピオンズリーグはベスト4、コパ・デル・レイは準優勝に終わり、モウリーニョはシーズン終了後に監督を退任した。

2014年4月29日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 2013-14準決勝2nd Leg、バイエルン・ミュンヘン戦のスターティングメンバー。

2013-14シーズンからはカルロ・アンチェロッティが監督に就任。2013年夏の移籍市場ではイスコダニエル・カルバハルアシエル・イジャラメンディガレス・ベイルらを獲得し、ヘセ・ロドリゲスらをレアル・マドリード・カスティージャから昇格させた。同シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たしたほか、UEFAチャンピオンズリーグにおいても優勝[注 7]を果たし、同大会の前身にあたるUEFAチャンピオンズカップの優勝回数と合わせて合計10回目の優勝となるラ・デシマ(la décima)を達成した。ベンゼマ、ベイル、クリスティアーノ・ロナウドによる3トップは、それぞれの頭文字からBBCトリオと呼ばれた[44]2014年夏の移籍市場ではトニ・クロースハメス・ロドリゲスケイロル・ナバスらを獲得。2014-15シーズンはUEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップ2014にて優勝を果たしたほか、クラブ史上最多連勝記録である公式戦22連勝を記録[45][46][注 8]した。しかし、コパ・デル・レイはベスト16、UEFAチャンピオンズリーグはベスト4、リーガ・エスパニョーラは2位に終わり、シーズン終了後にアンチェロッティは解任された。

2015-16シーズンはラファエル・ベニテスが監督に就任。2015年夏の移籍市場ではダニーロキコ・カシージャマテオ・コヴァチッチを獲得したほか、レンタル移籍していたルーカス・バスケスカゼミーロを買い戻した。その一方でクラブの象徴であったイケル・カシージャスを放出した。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

  • プリメーラ・ディビシオン : 32回
    • 1931-32, 1932-33, 1953-54, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1960-61, 1961-62, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1978-79, 1979-80, 1985-86, 1986-87, 1987-88, 1988-89, 1989-90, 1994-95, 1996-97, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2011-12
  • コパ・デル・レイ : 19回
    • 1905, 1906, 1907, 1908, 1917, 1934, 1936, 1946, 1947, 1961-62, 1969-70, 1973-74, 1974-75, 1979-80, 1981-82, 1988-89, 1992-93, 2010-11, 2013-14
  • カンペオナート・レギオナル・セントロ : 22回
    • 1904–05, 1905–06, 1906–07, 1907–08, 1912–13, 1915–16, 1916–17, 1917–18, 1919–20, 1921–22, 1922–23, 1923–24, 1925–26, 1926–27, 1928–29, 1929–30, 1930–31, 1931–32, 1932–33, 1933–34, 1934–35, 1935–36

国際タイトル[編集]

2008-09シーズン、スーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝に歓喜する選手たち。
  • UEFAチャンピオンズカップ:6回Coppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.png
    • 1955-56, 1956-57, 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1965-66

親善大会(非公式大会)[編集]

過去の成績[編集]

リーグ戦 P W D L Pts カップ戦 スーパーカップ UEFA EL UEFA CL 監督 チームキャプテン チーム得点王[注 9]
1902 - - - - - - 不明[注 10] - - - - 不明 不明
1903 準優勝
1904 不明
1905 優勝
1906 優勝
1907 優勝
1908 優勝
1909 不明
1910 不明 アーサー・ジョンソン
1911 不明
1912 不明
1913 不明
1914 不明
1915 不明
1916 準優勝
1917 優勝
1918 準優勝
1919 不明
1920 不明 アーサー・ジョンソン
フアン・デ・カルセル
1921 不明 フアン・デ・カルセル
1922 不明
1923 不明
1923-24 準優勝
1924-25 不明
1925-26 不明
1926-27 不明 ペドロ・ジョレンテ
サンティアゴ・ベルナベウ
1927-28 不明 ペドロ・ジョレンテ
ホセ・ベラオンド
1928-29 準優勝 18 11 1 6 23 準優勝 ホセ・ベラオンド ガスパール・ルビオ
1929-30 5位 18 7 3 8 17 準優勝 ホセ・キランテ ガスパール・ルビオ
1930-31 6位 18 7 4 7 18 ベスト8 リッポ・ヘルザ ハイメ・ラスカーノ
1931-32 優勝 18 10 8 0 28 ベスト16 マヌエル・オリバレス
1932-33 優勝 18 13 2 3 28 準優勝 ペドロ・ジョレンテ マヌエル・オリバレス
1933-34 準優勝 18 10 2 6 22 優勝 ロベルト・フィアスト ルイス・レゲイロ
1934-35 準優勝 22 16 1 5 33 ベスト16 フランシスコ・ブル フェルナンド・サヌード
1935-36 準優勝 22 13 3 6 29 優勝 ジャシント・キンコセス フェルナンド・サヌード
1936-39 スペイン内戦により開催されず
1939-40 4位 18 11 1 6 23 準優勝 - - フランシスコ・ブル ジャシント・キンコセス マヌエル・アルダイ
1940-41 6位 22 11 2 9 24 ベスト16 マヌエル・アルダイ
1941-42 準優勝 26 14 5 7 33 ベスト8 フアニート・アルメ マヌエル・アルダイ
1942-43 10位 26 10 5 11 25 準優勝 ホセ・ラモン・サウト マヌエル・アルダイ
1943-44 7位 26 11 6 9 28 ベスト16 ラモン・エンシナス サビノ・バリナガ
1944-45 準優勝 26 18 2 6 28 ベスト16 フアン・アントニオ・イピーニャ サビノ・バリナガ
1945-46 4位 26 11 9 6 31 優勝 パブロ・エルナンデス・コロナド
ジャシント・キンコセス
プルデン
1946-47 7位 26 11 5 10 27 優勝 バルタサール・アルベニス プルデン
1947-48 11位 26 7 7 12 21 ベスト16 優勝[注 11] ルイス・モロウニー
1948-49 3位 26 15 4 7 34 ベスト16 - マイケル・キーピング
エクトル・スカローネ
パイーニョ
1949-50 4位 26 11 9 6 31 ベスト4 - ミゲル・ムニョス パイーニョ
1950-51 9位 30 13 5 12 31 ベスト4 - パイーニョ
1951-52 3位 30 16 6 8 38 ベスト4 - パイーニョ
1952-53 3位 30 18 3 9 39 ベスト4 - フアン・アントニオ・イピーニャ パイーニョ
1953-54 優勝 30 17 6 7 40 ベスト4 - エンリケ・フェルナンデス アルフレッド・ディ・ステファノ
1954-55 優勝 30 20 6 4 46 ベスト4 - アルフレッド・ディ・ステファノ
1955-56 3位 30 18 2 10 38 ベスト4 - 優勝 ホセ・ビジャロンガ アルフレッド・ディ・ステファノ
1956-57 優勝 30 20 4 6 44 ベスト16 - 優勝 アルフレッド・ディ・ステファノ
1957-58 優勝 30 20 5 5 45 準優勝 - 優勝 ルイス・カルニグリア アルフレッド・ディ・ステファノ
1958-59 準優勝 30 21 5 4 47 ベスト4 - 優勝 フアン・アロンソ アルフレッド・ディ・ステファノ
1959-60 準優勝 30 21 4 5 46 準優勝 - 優勝 マヌエル・フレイタス フェレンツ・プスカシュ
1960-61 優勝 30 24 4 3 52 準優勝 - ベスト16 ミゲル・ムニョス ホセ・マリア・サラガ フェレンツ・プスカシュ
1961-62 優勝 30 19 5 6 43 優勝 - 準優勝 フェレンツ・プスカシュ
1962-63 優勝 30 23 3 4 49 ベスト4 - ベスト16 フランシスコ・ヘント フェレンツ・プスカシュ
1963-64 優勝 30 22 2 6 46 ベスト8 - 準優勝 フェレンツ・プスカシュ
1964-65 優勝 30 21 5 4 47 ベスト16 - ベスト8 ラモン・グロッソ
1965-66 準優勝 30 19 5 6 43 ベスト8 - 優勝 フランシスコ・ヘント
1966-67 優勝 30 19 9 2 47 ベスト8 - ベスト8 ラモン・グロッソ
1967-68 優勝 30 16 10 4 42 準優勝 - ベスト4 アマンシオ・アマロ
1968-69 優勝 30 18 11 1 47 ベスト16 - ベスト16 アマンシオ・アマロ
1969-70 5位 30 13 9 8 35 優勝 - ベスト16 アマンシオ・アマロ
1970-71 4位 30 17 7 6 41 ベスト32 - ピッリ
1971-72 優勝 34 19 9 6 47 ベスト4 - ベスト32 イグナシオ・ソコ サンティリャーナ
1972-73 4位 34 17 9 8 43 ベスト16 - ベスト4 サンティリャーナ
1973-74 8位 34 13 8 13 34 優勝 - ベスト64 オスカル・マス
ピッリ
1974-75 優勝 34 20 10 4 50 優勝 - ミリャン・ミリャニッチ アマンシオ・アマロ ロベルト・フアン・マルティネス
サンティリャーナ
1975-76 優勝 34 20 8 6 48 ベスト16 - ベスト4 サンティリャーナ
1976-77 9位 34 12 10 12 34 ベスト32 - ベスト16 ピッリ ピッリ
1977-78 優勝 34 22 3 9 47 ベスト16 - ルイス・モロウニー サンティリャーナ
1978-79 優勝 34 16 15 3 47 準優勝 - ベスト16 サンティリャーナ
1979-80 優勝 34 22 9 3 53 優勝 - ベスト4 ヴヤディン・ボシュコヴ サンティリャーナ
1980-81 2位 34 20 5 9 45 ベスト8 - 準優勝 ミゲル・アンヘル フアニート
1981-82 3位 34 18 8 8 44 優勝 - ベスト8 フアニート
1982-83 2位 34 20 9 5 49 準優勝 準優勝 アルフレッド・ディ・ステファノ サンティリャーナ
1983-84 2位 34 22 5 7 49 ベスト4 フアニート
1984-85 5位 34 13 10 11 36 ベスト16 優勝 アマンシオ・アマロ ホルヘ・バルダーノ
1985-86 優勝 34 26 4 4 56 ベスト4 優勝 ルイス・モロウニー ウーゴ・サンチェス
1986-87 優勝 44 27 12 5 66 ベスト4 ベスト4 レオ・ベーンハッカー サンティリャーナ ウーゴ・サンチェス
1987-88 優勝 38 28 6 4 62 ベスト4 ベスト4 ウーゴ・サンチェス
1988-89 優勝 38 25 12 1 62 優勝 優勝 ベスト4 ホセ・アントニオ・カマーチョ ウーゴ・サンチェス
1989-90 優勝 38 26 10 2 62 準優勝 優勝 ベスト16 ジョン・トシャック チェンド ウーゴ・サンチェス
1990-91 3位 38 20 6 12 46 ベスト16 優勝 ベスト8 アルフレッド・ディ・ステファノ エミリオ・ブトラゲーニョ
1991-92 2位 38 23 8 7 54 準優勝 ベスト4 ラドミル・アンティッチ
レオ・ベーンハッカー
フェルナンド・イエロ
1992-93 2位 38 24 9 5 57 優勝 ベスト8 ベニト・フローロ イバン・サモラーノ
1993-94 4位 38 19 7 12 45 ベスト8 優勝 ベニト・フローロ
ビセンテ・デル・ボスケ
マヌエル・サンチス イバン・サモラーノ
1994-95 優勝 38 23 9 6 55 ベスト16 ベスト16 ホルヘ・バルダーノ イバン・サモラーノ
1995-96 6位 42 20 10 12 70 ベスト16 準優勝 ベスト8 ホルヘ・バルダーノ
ビセンテ・デル・ボスケ
アルセニオ・イグレシアス
ラウル・ゴンサレス
1996-97 優勝 42 27 11 4 92 ベスト16 ファビオ・カペッロ ダヴォール・シューケル
1997-98 4位 38 17 12 9 63 ベスト16 優勝 優勝 ユップ・ハインケス フェルナンド・モリエンテス
1998-99 2位 38 21 5 12 68 ベスト4 ベスト8 フース・ヒディンク
ジョン・トシャック
ラウル・ゴンサレス
1999-2000 5位 38 16 14 8 62 ベスト8 優勝 ジョン・トシャック
ビセンテ・デル・ボスケ
ラウル・ゴンサレス
2000-01 優勝 38 24 8 6 80 ベスト64 ベスト4 ビセンテ・デル・ボスケ ラウル・ゴンサレス
2001-02 3位 38 19 9 10 66 準優勝 優勝 優勝 フェルナンド・イエロ ラウル・ゴンサレス
2002-03 優勝 38 22 12 4 78 ベスト8 ベスト4 ロナウド
2003-04 4位 38 21 7 10 70 準優勝 優勝 ベスト8 カルロス・ケイロス ラウル・ゴンサレス ロナウド
2004-05 2位 38 25 5 8 80 ベスト16 ベスト16 ホセ・アントニオ・カマーチョ
マリアノ・ガルシア・レモン
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ
ロナウド
2005-06 2位 38 20 10 8 70 ベスト4 ベスト16 ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ
フアン・ラモン・ロペス・カロ
ロナウド
2006-07 優勝 38 23 7 8 76 ベスト16 ベスト16 ファビオ・カペッロ ルート・ファン・ニステルローイ
2007-08 優勝 38 27 4 7 85 ベスト16 準優勝 ベスト16 ベルント・シュスター ラウル・ゴンサレス
2008-09 2位 38 25 3 10 78 ベスト32 優勝 ベスト16 ベルント・シュスター
ファンデ・ラモス
ラウル・ゴンサレス
ゴンサロ・イグアイン
2009-10 2位 38 31 3 4 96 ベスト32 ベスト16 マヌエル・ペレグリーニ クリスティアーノ・ロナウド
2010-11 2位 38 29 5 4 92 優勝 ベスト4 ジョゼ・モウリーニョ イケル・カシージャス クリスティアーノ・ロナウド
2011-12 優勝 38 32 4 2 100 ベスト8 準優勝 ベスト4 クリスティアーノ・ロナウド
2012-13 2位 38 26 7 5 85 準優勝 優勝 ベスト4 クリスティアーノ・ロナウド
2013-14 3位 38 27 6 5 87 優勝 優勝 カルロ・アンチェロッティ クリスティアーノ・ロナウド
2014-15 2位 38 30 2 6 92 ベスト16 準優勝 ベスト4 クリスティアーノ・ロナウド
2015-16 ラファエル・ベニテス セルヒオ・ラモス

現所属メンバー[編集]

リーガ・エスパニョーラ2015-2016開幕戦、スポルティング・デ・ヒホン戦のスターティングメンバー

Soccer.Field Transparant.png

ナバス
# 1
ダニーロ
#23
ヴァラーヌ
# 2
S・ラモス(C)
# 4
マルセロ
# 12
イスコ
# 22
クロース
# 8
モドリッチ
# 19
ロナウド
# 7
ベイル
# 11
ロドリゲス
# 20
2015年8月27日現在
No. Pos. 選手名
1 コスタリカの旗 GK ケイロル・ナバス (Flag of Spain.svg)
2 フランスの旗 DF ラファエル・ヴァラーヌ (Flag of Martinique.svg)
3 ポルトガルの旗 DF ペペ (第3主将) (Flag of Brazil.svg)
4 スペインの旗 DF セルヒオ・ラモス (主将)
6 スペインの旗 DF ナチョ
7 ポルトガルの旗 FW クリスティアーノ・ロナウド(第4主将)
8 ドイツの旗 MF トニ・クロース
9 フランスの旗 FW カリム・ベンゼマ (Flag of Algeria.svg)
10 コロンビアの旗 MF ハメス・ロドリゲス
11 ウェールズの旗 MF ガレス・ベイル
12 ブラジルの旗 DF マルセロ (第2主将) (Flag of Spain.svg)
No. Pos. 選手名
13 スペインの旗 GK キコ・カシージャ
14 ブラジルの旗 MF カゼミーロ
15 スペインの旗 DF ダニ・カルバハル
16 クロアチアの旗 MF マテオ・コヴァチッチ (Flag of Austria.svg)
17 スペインの旗 DF アルバロ・アルベロア
18 スペインの旗 FW ルーカス・バスケス
19 クロアチアの旗 MF ルカ・モドリッチ
20 スペインの旗 FW ヘセ・ロドリゲス
21 ロシアの旗 MF デニス・チェリシェフ (Flag of Spain.svg)
22 スペインの旗 MF イスコ
23 ブラジルの旗 DF ダニーロ

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍[編集]

out
No. Pos. 選手名
-- ポルトガルの旗 DF ファビオ・コエントラン (ASモナコ)
-- スペインの旗 DF へスス・バジェホ (レアル・サラゴサ)
No. Pos. 選手名
-- スペインの旗 MF マルコ・アセンシオ (RCDエスパニョール)
-- ブラジルの旗 MF ルーカス・シウヴァ (オリンピック・マルセイユ)

歴代会長[編集]

氏名 国籍 期間
フリアン・パラシオス スペインの旗 スペイン 1900-1902
フアン・パドロス スペインの旗 スペイン 1902-1904
カルロス・マドロス スペインの旗 スペイン 1904-1908
アドルフォ・メレンデス スペインの旗 スペイン 1908-1916
ペドロ・パラヘス スペインの旗 スペイン 1916-1926
ルイス・デ・ウルキホ スペインの旗 スペイン 1926-1930
ルイス・ウセラ スペインの旗 スペイン 1930-1935
ラファエル・サンチェス スペインの旗 スペイン 1935-1936
アドルフォ・メレンデス スペインの旗 スペイン 1936-1940
アントニオ・サントス スペインの旗 スペイン 1940-1943
サンティアゴ・ベルナベウ スペインの旗 スペイン 1943-1978
ルイス・デ・カルロス スペインの旗 スペイン 1978-1985
ラモン・メンド-サ スペインの旗 スペイン 1985-1995
ロレンソ・サンス スペインの旗 スペイン 1995-2000
フロレンティーノ・ペレス スペインの旗 スペイン 2000-2006
フェルナンド・マルティン・アルバレス 不明 2006
ルイス・ゴメス・モンテハーノ 不明 2006
ラモン・カルデロン スペインの旗 スペイン 2006-2009
ビセンテ・ボルダ スペインの旗 スペイン 2009
フロレンティーノ・ペレス スペインの旗 スペイン 2009-

歴代監督[編集]

氏名 国籍 期間
アーサー・ジョンソン イングランドの旗 イングランド 1910-1920
フアン・デ・カルセル スペインの旗 スペイン 1920-1926
ペドロ・ジョレンテ スペインの旗 スペイン 1926
サンティアゴ・ベルナベウ スペインの旗 スペイン 1926-1927
ホセ・ベラオンド スペインの旗 スペイン 1927-1929
ホセ・キランテ スペインの旗 スペイン 1929-1930
リッポ・ヘルザ ハンガリーの旗 ハンガリー 1930-1932
ペドロ・ジョレンテ スペインの旗 スペイン 1932
ロベルト・フィアスト オーストリアの旗 オーストリア 1932-1933
フランシスコ・ブル スペインの旗 スペイン 1934-1941
フアニート・アルメ スペインの旗 スペイン 1941-1943
ラモン・エンシナス スペインの旗 スペイン 1943-1945
パブロ・エルナンデス・コロナド スペインの旗 スペイン 1945
ジャシント・キンコセス スペインの旗 スペイン 1945-1946
バルタサール・アルベニス スペインの旗 スペイン 1946-1948
マイケル・キーピング イングランドの旗 イングランド 1948-1950
エクトル・スカローネ ウルグアイの旗 ウルグアイ 1951-1952
フアン・アントニオ・イピーニャ スペインの旗 スペイン 1952-1953
エンリケ・フェルナンデス ウルグアイの旗 ウルグアイ 1953-1955
ホセ・ビジャロンガ スペインの旗 スペイン 1955-1957
ルイス・カルニグリア アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1957-1959
ミゲル・ムニョス スペインの旗 スペイン 1959
ルイス・カルニグリア アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1959
マヌエル・フレイタス パラグアイの旗 パラグアイ 1959-1960
ミゲル・ムニョス スペインの旗 スペイン 1960-1973
ルイス・モロウニー スペインの旗 スペイン 1974
ミリャン・ミリャニッチ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1974-1977
ルイス・モロウニー スペインの旗 スペイン 1977-1979
ヴヤディン・ボシュコヴ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1979-1982
ルイス・モロウニー スペインの旗 スペイン 1982
アルフレッド・ディ・ステファノ アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1982-1983
アマンシオ・アマロ スペインの旗 スペイン 1983-1984
ルイス・モロウニー スペインの旗 スペイン 1985-1986
レオ・ベーンハッカー オランダの旗 オランダ 1986-1989
ジョン・トシャック ウェールズの旗 ウェールズ 1989-1990
アルフレッド・ディ・ステファノ アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1990-1991
ラドミル・アンティッチ ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア 1991
レオ・ベーンハッカー オランダの旗 オランダ 1992
ベニト・フローロ スペインの旗 スペイン 1992-1993
ビセンテ・デル・ボスケ スペインの旗 スペイン 1993-1994
ホルヘ・バルダーノ アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1994-1995
ビセンテ・デル・ボスケ スペインの旗 スペイン 1995-1996
アルセニオ・イグレシアス スペインの旗 スペイン 1996
ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 1996-1997
ユップ・ハインケス ドイツの旗 ドイツ 1997-1998
ホセ・アントニオ・カマーチョ スペインの旗 スペイン 1998
フース・ヒディンク オランダの旗 オランダ 1998-1999
ジョン・トシャック ウェールズの旗 ウェールズ 1999
ビセンテ・デル・ボスケ スペインの旗 スペイン 1999.11-2003.6
カルロス・ケイロス ポルトガルの旗 ポルトガル 2003.6-2004.5
ホセ・アントニオ・カマーチョ スペインの旗 スペイン 2004.5-2004.9
マリアノ・ガルシア・レモン スペインの旗 スペイン 2004.9-2004.11
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ ブラジルの旗 ブラジル 2004.12-2005.11
フアン・ラモン・ロペス・カロ スペインの旗 スペイン 2005.12-2006.6
ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 2006.7-2007.6
ベルント・シュスター ドイツの旗 ドイツ 2007.7-2008.12
ファンデ・ラモス スペインの旗 スペイン 2008.12-2009.6
マヌエル・ペレグリーニ チリの旗 チリ 2009.6-2010.5
ジョゼ・モウリーニョ ポルトガルの旗 ポルトガル 2010.5-2013.5
カルロ・アンチェロッティ イタリアの旗 イタリア 2013.6-2015.5
ラファエル・ベニテス スペインの旗 スペイン 2015.6-

歴代所属選手[編集]

クラブ記録[編集]

出場試合数[編集]

順位 ポジション 選手名 所属期間 試合数
1 FW スペインの旗 ラウル・ゴンサレス 1994-2010 741
2 GK スペインの旗 イケル・カシージャス 1999-2015 725
3 DF スペインの旗 マノーロ・サンチス 1983-2001 710
4 FW スペインの旗 サンティリャーナ 1971-1988 645
5 FW スペインの旗 フランシスコ・ヘント 1953-1971 602
6 DF スペインの旗 フェルナンド・イエロ 1989-2003 601
7 DF スペインの旗 ホセ・アントニオ・カマーチョ 1973-1989 577
8 MF スペインの旗 ピッリ 1964-1979 561
9 MF スペインの旗 ミチェル 1981-1996 559
10 MF スペインの旗 グティ 1995-2010 542

総得点数[編集]

順位 ポジション 選手名 所属期間 得点数
1 FW スペインの旗 ラウル・ゴンサレス 1994-2010 323
2 FW ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド 2009- 313
3 FW アルゼンチンの旗コロンビアの旗スペインの旗 アルフレッド・ディ・ステファノ 1953-1964 308
4 FW スペインの旗 サンティリャーナ 1971-1988 290
5 FW ハンガリーの旗スペインの旗 フェレンツ・プスカシュ 1958-1966 242
6 FW メキシコの旗 ウーゴ・サンチェス 1985-1992 208
7 FW スペインの旗 フランシスコ・ヘント 1953-1971 182
8 MF スペインの旗 ピッリ 1964-1980 172
9 FW スペインの旗 エミリオ・ブトラゲーニョ 1983-1995 171
10 FW スペインの旗 アマンシオ・アマロ 1962–1976 155

メモリアルゴール[編集]

得点 選手名 対戦相手 試合日時
1st イングランドの旗 アーサー・ジョンソン FCバルセロナ 1902年5月13日
1000th スペインの旗 パイーニョ アスレティック・ビルバオ 1950年11月5日
2000th スペインの旗 フランシスコ・ヘント ポンテベドラCF 1963年11月9日
3000th スペインの旗 フアニート UDサラマンカ 1982年1月20日
4000th チリの旗 イバン・サモラーノ レアル・バリャドリード 1994年12月22日
5000th スペインの旗 グティ CDヌマンシア 2008年9月14日

各種クラブ記録[編集]

  • 最多得点差勝利 11-1 1942-43 コパ・デル・レイFCバルセロナ
  • 最多得点差敗北 1-8 1929-30 リーガ・エスパニョーラRCDエスパニョール
  • リーグ最多勝利 32試合/38試合 2011-2012
  • リーグ最少勝利 7試合/18試合 1929-30
  • リーグ最多得点 121得点 2011-12
  • リーグ最少得点 24得点 1930-31
  • リーグ最多失点 71得点 1950-51
  • リーグ最少失点 15得点 1931-32
  • リーグ最多勝ち点 100ポイント[注 12] 2011-12
  • リーグ最少勝ち点 17ポイント[注 13] 1929-30
  • 公式戦連勝記録 22試合 2014-15

各種個人記録[編集]

ユニフォーム[編集]

創設当時のユニフォーム

チームカラーは白、青。2013年からドバイを本拠地とする航空会社のエミレーツ航空が胸スポンサーとなっている。メーカーはアディダス

白いユニフォームは、コリンシアンFCをモデルにしている。また、イングランドの古豪リーズ・ユナイテッドのユニフォームも白であり、1960年代前半にドン・レヴィーが監督に就任したときに青と金のユニフォームから変更になった。これは、当時UEFAチャンピオンズカップ5連覇などを成し遂げたレアル・マドリードにあやかってチーム作りをしようとしたためだと言われている[47]。スペインのクラブとして初めて背番号があるユニフォームを着用したクラブでもあり、1947年11月23日アトレティコ・マドリード戦で背番号入りのユニフォームを導入した[48]

レアル・マドリードのセカンドユニフォームは青や紺、黒などの比較的落ち着いた色を使用することが伝統であった。しかし、2011-12シーズンのチャンピオンズリーグ用セカンドユニフォームには、上下とも赤という明るい色を38年ぶりに採用した[49][50]。また、その翌シーズンにはユニフォームのサードカラーを緑とすることが決定。過去にレアル・マドリードが公式戦で緑のユニフォームを着用したことはなく、親善試合などを含めても1965-66シーズン前の南米遠征でベネズエラカラカスにてCAリーベル・プレートとの試合で着用して以来およそ半世紀ぶりとなる[51]

背番号7は特別な番号とされており、レイモン・コパアマンシオ・アマロフアニートエミリオ・ブトラゲーニョなどそれぞれの時代のクラブを代表するアタッカーが背負ってきた。特に近年ではラウル・ゴンサレスクリスティアーノ・ロナウドによってその価値はさらに高められた[52]。また、背番号9もアルフレッド・ディ・ステファノサンティリャーナウーゴ・サンチェスロナウドといった名手に背負われてきた[53]

メーカーと胸スポンサー[編集]

年度 メーカー 胸スポンサー
1980–1982 adidas -
1982–1985 Zanussi
1985–1989 ヒュンメル Parmalat
1989–1991 Reny Picot
1991–1992 Otaysa
1992–1994 Teka
1994–1998 KELME
1998–2001 adidas
2001–2002 -
2002–2005 Siemens mobile
2005–2006 Siemens
2006–2007 BenQ Siemens
2007–2013 bwin.com
2013– Fly Emirates

メディア[編集]

1999年2月14日からはレアル・マドリードTVが始まり、選手やスタッフのインタビューや過去のものを含む試合を放送している。2005年にはクラブ初の正式公認映画である[54]レアル・ザ・ムービーが制作され、当時の所属選手も多数出演した。その他、GOAL!シリーズの主人公であるサンティアゴ・ムネスは、GOAL!2にてレアル・マドリードに移籍し、この作品にも当時の所属選手が出演した。

クラブ会員やファンクラブのメンバーには、Hala Madridというファンクラブ誌が毎月発行される[注 14]。試合のレポートや下部組織の情報、インタビューなどを掲載している。

スペインで最も知られているスポーツ紙の一つであるMARCAASは共にマドリードに拠点を置いており、連日レアル・マドリードやライバルのアトレティコ・マドリードの情報が発信されている[55]

ファン[編集]

マドリードダービーでの応援風景

レアル・マドリードのファンはマドリディスタ(madridista)と呼ばれている[注 15]2000年フロレンティーノ・ペレスが会長に就任したときに、スペインサッカーの実体を理解するためにスペイン各地でスペイン人2000人に応援しているクラブを尋ねたところ、29.2パーセントがレアル・マドリードのファンであると答え[56]2007年の社会意識調査では国内の32.8パーセントがレアル・マドリードのファンであることが明らかになった[23]2006年ハーバード大学が行った調査によると世界中に2億2,800万人いるとされており、この数字はマンチェスター・ユナイテッドFCを6,000万人上回り、世界一の数字である[1]。同じくマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードは主に労働者階級の支持を受けているのに対し、レアル・マドリードは富裕層の支持を受けているのが特徴である。現地サポーターはレアル・マドリードがタイトルを獲得した際、シベーレスの噴水に集まり祝福する。

攻撃的なサッカーを好む傾向にあり、1996-97シーズンと2006-07シーズンに監督を務めたファビオ・カペッロは、そのいずれもリーガ・エスパニョーラ優勝を達成したものの、あまりに守備的すぎるという理由からシーズン終了後に解任されている。1989-90シーズンにレアル・マドリードを率いて、最多得点記録を更新してのリーグ優勝を果たしたジョン・トシャックや、2010-11シーズンから2012-13シーズンまで指揮し2011-12シーズンは史上最多勝ち点と史上最多得点を記録して優勝したジョゼ・モウリーニョも守りすぎだと批判された[57]。なお、2005年11月20日エル・クラシコ2008年11月5日UEFAチャンピオンズリーググループステージにおけるユヴェントスFC戦などでは、ホームゲームにおいて対戦相手の選手にスタンディングオベーションを送っている[58][59]

レアル・マドリードの下部組織に所属していたビセンテ・デル・ボスケフリオ・イグレシアスのほか、プラシド・ドミンゴラファエル・ナダルフェルナンド・アロンソセルヒオ・ガルシアらスペインの著名人がクラブの名誉会員に名を連ねている[60][61]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 厳密には、マドリードダービーはこの両クラブのみならず、マドリード市などのマドリード都市圏、マドリード首都圏に本拠を置くチーム同士が対戦するダービーマッチのことを指す。
  2. ^ 活字メディアでは「ワールドサッカーキング」、「フットボリスタ」、放送メディアでは「J SPORTS」など。
  3. ^ 優勝した1965-66シーズンのUEFAチャンピオンズカップにて、選手達が決勝前の写真撮影にビートルズの髪型を模したカツラを着用して臨んだことに由来。また「イエイエ」は当時のスペインにおける若者風情の一つであり、1960年代に流行した音楽ファッションなどを総称してそう呼ぶ。
  4. ^ それ以前はエスタディオ・チャマルティンでプレーしていたが、この頃からは「アトレティコ・アビアシオンの会員はレアル・マドリードの試合を無料で観られる」という条件のもと、当時のアトレティコ・アビアシオンのホームスタジアムであったエスタディオ・メトロポリターノ・デ・マドリードでプレーした。
  5. ^ 当時の規定により、1988-89シーズンのリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイの双方で優勝したことで自動的に優勝を認定された。
  6. ^ シウダード・デポルティバの跡地は再開発されてクアトロ・トーレス・ビジネス・エリアとなった。
  7. ^ 総得点の41得点は、同大会が13試合制になってからの史上最多得点記録である。
  8. ^ この記録はエールディヴィジアヤックス・アムステルダムが1971-72シーズンに記録した26連勝、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAコリチーバFCが2011年シーズンに記録した24連勝に次ぐ、史上3番目に長い連勝記録でもある。
  9. ^ そのシーズンに行われた全ての公式戦での得点数。太字はピチーチ賞受賞。
  10. ^ コパ・デル・レイの前身の大会であるコパ・デ・ラ・コロナシオン。
  11. ^ スーペルコパ・デ・エスパーニャの前身の大会であるコパ・エバ・ドゥアルテ
  12. ^ 試合数38。勝利時の獲得ポイントが3。
  13. ^ 試合数18。勝利時の獲得ポイントが2。
  14. ^ 「Hala Madrid」はレアル・マドリードを賞賛する文句であり、クラブの応援歌にも同名のタイトルが付けられている。
  15. ^ レアル・マドリードに所属している、もしくは過去に所属していた選手もこう呼ばれる場合がある。

出典[編集]

  1. ^ a b 106 years of history Real Madrid C.F.、2008年3月6日
  2. ^ Europe's Club of the Century IFFHS
  3. ^ Soccer Team Value Business of Soccer Forbes 2014年8月現在。
  4. ^ 特集 各国歴代最強イレブン【20】スペイン(1) - 時事ドットコム
  5. ^ ボール 2004 265頁
  6. ^ マドリー、カンテラのトップが辞任 goal.com、2008年12月5日
  7. ^ 揺らぐフィロソフィー、ペレスが築いた不健全なレアル帝国 Sponichi Annex、2013年6月27日
  8. ^ Deloitte Football Money League 2014”. Real Madrid C.F. (2014年1月). 2014年9月2日閲覧。
  9. ^ 【レアル】C・ロナウド、ユニフォーム売り上げ130億円。ベッカム抜きクラブ新記録”. wowow.co.jp (2010年4月15日). 2011年9月17日閲覧。
  10. ^ サントスへの不満を募らせるバルセロナ”. goal.com (2011年9月16日). 2011年9月17日閲覧。
  11. ^ セビージャ会長:「大多数が公平な放映権料分配を望んでいる」 アトレティコ&バレンシアが新たな会議を招集”. Goal.com (2011年10月5日). 2012年3月25日閲覧。
  12. ^ 2012年にイギリスメディア『sportingintelligence.com』が調査した、世界のスポーツチームの平均年俸ランキング
  13. ^ レアル、イスラム圏のスポンサーに配慮。エンブレム変更へ”. excite.co.jp (2014年11月29日). 2015年1月5日閲覧。
  14. ^ レアル、バイクメーカーとスポンサー契約を締結…中国企業とは初soccerking 2015年3月29日
  15. ^ レアル・マドリードC.F.
  16. ^ 欧州サッカー公式ウェブサイト
  17. ^ 海外サッカー - リーガ・エスパニョーラ - レアル・マドリッド - スポーツナビ
  18. ^ ボール 2002 182頁
  19. ^ ボール 2002 174頁
  20. ^ http://www.realmadrid.com/ja/about-real-madrid/history/football/1900-1910-juan-padros-and-julian-palacios-found-madrid 1907年のレアル・マドリードのメンバー
  21. ^ a b R・マドリード、本拠地の名称として名を刻むベルナベウ氏のデビューから100周年”. wowow.co.jp (2012年3月5日). 2012年7月29日閲覧。
  22. ^ http://www.realmadrid.com/ja/about-real-madrid/history/football/1911-1920-madrid-comes-together-and-receives-the-title-of-real 1911-1920
  23. ^ a b レアル・マドリードの基礎知識”. wowow.com. 2013年4月28日閲覧。
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  25. ^ リーグ無敗優勝を成し遂げたヨーロッパのクラブ”. supportista.jp (2011年5月). 2015年7月12日閲覧。
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  27. ^ http://www.realmadrid.com/ja/about-real-madrid/history/football/1951-1960-the-five-european-cups-and-di-stefano リーガでの初記録(1954-55シーズン)
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  30. ^ C・ロナウドが新記録の41点目!!レアルは今季107得点でシーズン記録に並ぶ”. web.gekisaka.jp (2012年4月15日). 2015年7月12日閲覧。
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式