ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はルシェンブルゴ第二姓(父方の)はダ・シウヴァです。
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ Football pictogram.svg
V Luxemburgo 2013.jpg
名前
本名 ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ・ダ・シウヴァ
Vanderlei Luxemburgo da Silva
ラテン文字 Vanderlei LUXEMBURGO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1952-05-10) 1952年5月10日(65歳)
出身地 ノヴァ・イグアス
選手情報
ポジション DF
ユース
1968–1970 ブラジルの旗 ボタフォゴ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1971–1978 ブラジルの旗 フラメンゴ 153 (9)
1978 ブラジルの旗 インテルナシオナル 27 (0)
1979-1980 ブラジルの旗 ボタフォゴ 9 (0)
監督歴
1980 ブラジルの旗 カンポ・グランデ
1981 ブラジルの旗 アメリカ-RJ
1981-1982 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ
1983 ブラジルの旗 カンポ・グランデ
1983 ブラジルの旗 リオ・ブランコポルトガル語版
1984 ブラジルの旗 フリブルゲンセ
1984-1985 サウジアラビアの旗 アル・イテハド
1985-1986 ブラジルの旗 デモクラータポルトガル語版
1986-1987 ブラジルの旗 フルミネンセFC・ユース
1987 ブラジルの旗 アメリカ-RJ
1987-1988 サウジアラビアの旗 アル・シャバーブ
1989-1990 ブラジルの旗 ブラガンチーノ
1991 ブラジルの旗 フラメンゴ
1991-1992 ブラジルの旗 グアラニ
1992-1993 ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ
1993-1995 ブラジルの旗 パルメイラス
1995 ブラジルの旗 フラメンゴ
1995 ブラジルの旗 パラナ
1995-1996 ブラジルの旗 パルメイラス
1997 ブラジルの旗 サントス
1998 ブラジルの旗 コリンチャンス
1998-2000 ブラジルの旗 ブラジル代表
2000  ブラジル U-23
2001 ブラジルの旗 コリンチャンス
2002 ブラジルの旗 パルメイラス
2002-2003 ブラジルの旗 クルゼイロ
2004 ブラジルの旗 サントス
2004-2005.12 スペインの旗 レアル・マドリード
2006-2007 ブラジルの旗 サントス
2008-2009 ブラジルの旗 パルメイラス
2009 ブラジルの旗 サントスFC
2010 ブラジルの旗 アトレチコ-MG
2010-2012 ブラジルの旗 CRフラメンゴ
2012-2013 ブラジルの旗 グレミオ
2013 ブラジルの旗 フルミネンセ
2014-2015 ブラジルの旗 フラメンゴ
2015 ブラジルの旗 クルゼイロ
2016 中華人民共和国の旗 天津権健
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴVanderlei Luxemburgo da Silva, 1952年5月10日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ州ノヴァ・イグアス出身の元プロサッカー選手サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー

経歴[編集]

1983年から指導者として様々なブラジルのクラブを渡り歩き、5度のブラジル選手権優勝に導いている[1]

1998年からはブラジル代表を率いて翌1999年コパ・アメリカで優勝を果たしたが[1]2002 FIFAワールドカップ・南米予選での不振が続き、自身の年齢詐称と脱税問題が発覚され、2000年のシドニーオリンピックを最後に解任された。

2004年12月30日、スペインのレアル・マドリードの監督に就任した[1]。就任当時、レアル・マドリードは首位のFCバルセロナに勝点13差の5位に低迷していたが、2004-05シーズンは2位という成績で終えた。2005-06シーズンも引き続き指揮を執ったが、UEFAチャンピオンズリーグ 2005-06グループリーグ初戦のオリンピック・リヨン戦で0-3のスコアで敗れ、FCバルセロナとのエル・クラシコに0-3のスコアで敗れると、2005年12月4日に監督を解任された[2]。再びサントスFCの監督に復帰した。

輝かしい実績の裏には在籍するチームや選手よりも目立ちたいあまりしばしばブラジルメディアから叩かれる。2002年、パルメイラスではブラジル選手権の前に大量の選手を放出させ10節で自らチームを離脱、その後、チームはセリエBと降格したことは、今でも批判される。2005年にはサントスとの契約終了をまたずレアル・マドリードへと行った事も問題とされた。さらに、ルシェンブルゴは彼を獲得するチームに必ず彼のスタッフ全員を連れて行くが、これを多くのチームは批判している[要出典]

2008年に古巣パルメイラスへと戻りサンパウロ州選手権で優勝。

タイトル[編集]

選手[編集]

  • カンピオナート・カリオカU-20: 1972, 1973
  • カンピオナート・カリオカ: 1972, 1974, 1978
  • トルネイロ・ド・ポヴォ: 1972
  • タッサ・グアナバラ: 1972, 1973, 1978

代表[編集]

  • カンヌジュニアトーナメント: 1973, 1974

監督[編集]

出典[3]

リオ・ブランコ-ES

ブラガンチーノ

フラメンゴ

パルメイラス

サントス

  • トルネイオ・リオ=サンパウロ: 1997
  • カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA: 2004
  • カンピオナート・パウリスタ: 2006, 2007

コリンチャンス

  • カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA: 1998
  • カンピオナート・パウリスタ: 2001

クルゼイロ

アトレチコ・ミネイロ

  • カンピオナート・ミネイロ: 2010

ブラジル代表

個人[編集]

  • トロフェオ・グロボ・ミナス最優秀監督: 2010
  • カンピオナート・カリオカ最優秀監督: 2011

脚注[編集]

  1. ^ a b c Rマドリー新監督にルシェンブルゴ氏”. UEFA.com (2004年12月30日). 2017年4月20日閲覧。
  2. ^ Real Madrid sack coach Luxemburgo”. BBC SPORT (2005年12月4日). 2017年4月20日閲覧。
  3. ^ Como treinador”. Vanderlei Luxemburgo - Web Site oficial. 2017年4月20日閲覧。

外部リンク[編集]