ジョゼ・カルロス・セホーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョゼ・カルロス・セホーン
名前
本名 ジョゼ・カルロス・セホーン
José Carlos Serrão
愛称 ゼ・カルロス (Zé Carlos)
ラテン文字 SERRÃO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1950-10-12) 1950年10月12日(73歳)
出身地 サンパウロ
選手情報
ポジション FWMF
代表歴
1972-1974 ブラジルの旗 ブラジル
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジョゼ・カルロス・セホーン(José Carlos Serrão、1950年10月12日 - )は、ブラジルサンパウロ州サンパウロ出身[1]の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワードミッドフィールダー

選手時代の登録名はゼ・カルロス (Zé Carlos)[2][3]であった。

経歴[編集]

選手時代[編集]

選手時代はウイング[4]または左ミッドフィールダー[4]、攻撃的ミッドフィールダー[2]としてプレー。

1965年、15歳からサンパウロFCで育ち[2]、1969年から1977年までプロ選手として所属した[2]。1971年にはキンゼ・デ・ピラシカーバでもプレーした[4]。1972年2月9日にサンパウロFCで初めて試合に出場し[5]、通算261試合出場28得点[4](または267試合30得点[5])。うち全国選手権では84試合出場8得点[3]コパ・リベルタドーレスでは16試合3得点[6]1974年コパ・リベルタドーレス決勝のインデペンディエンテとの第3戦では、後半27分にPKを任されたが失敗、チームは準優勝に終わった[2][4][7]。1975年にはサンパウロ州選手権に優勝し、そのチームでセホーンはペドロ・ローシャムリシ・ラマーリョセルジーニョ・シュラッパとともに攻撃陣を形成した[2]

1977年にサンパウロを離れ、1977年にボタフォゴ-PBパライバ州選手権、1978年にジョインヴィレサンタカタリーナ州選手権に優勝した[2]。怪我もあり、1980年のコロンビアのククタでのプレーを最後に30歳で引退した[2]

サンパウロ州選抜として6試合に出場し[8]、1974年にはマリオ・ザガロ監督によってワールドカップ・西ドイツ大会ブラジル代表候補に選出されるも、怪我の為に本大会出場は叶わなかった[9]

指導者として[編集]

引退後、古巣のサンパウロFCにコーチングスタッフとして加わり、1983年、1986年、1987年に暫定監督、1986年に監督代行を務めた[10][11]。サンパウロが9年ぶりに優勝した1986年のブラジル全国選手権では、セホーンは暫定監督として序盤3試合で指揮を執った[12]

1998年、リオ・ブランコ-MGポルトガル語版を率いてミナスジェライス州選手権モドゥーロII(2部)に優勝して昇格に導いた[13][14]

コリンチャンスの育成部門で指導にあたっていた2000年には、オズワルド・オリヴェイラに代わってコパ・ド・ブラジルでトップチームの監督代行を1試合務めた[1]

2009年、セルトンジーニョを率いてサンパウロ州選手権セリエA-2(2部)からセリエA-1(1部)へ昇格[15][16]

ポーランドのMKSポゴニ・シュチェチンでは、同国リーグにおける最初のブラジル人監督となった[17]

2011年12月26日、2012年シーズンからのJリーグガンバ大阪監督就任がクラブより発表された[18]。当初、G大阪は元日本代表呂比須ワグナーを新監督に迎えようとしたが、呂比須がJリーグの指導者資格の要件を満たさないため、呂比須の推薦によりセホーンが監督に就いた[9]。呂比須はセホーンがサンパウロのU-17監督だったころの教え子であり、彼をトップチームに推薦したのがセホーンだった[9]。招聘したG大阪強化本部長の山本浩靖が2人の立場について「あくまでもセホーンがクラブのトップ。呂比須との二頭体制には成りえない」[19]と主張したが、実際に指揮を執ったのは呂比須だった[20][21]。セホーンは、「呂比須から意見を聞かれたら、自分の考えを伝えた。ただし、最終判断を下すのは彼。私の重要な任務のひとつは、“監督”としてメディア対応をすることだった。ただ、戦術や選手交代を自分で決めたわけではないから、質問によっては答えようがないこともあった」と振り返る[9]

セホーンの談話によれば、選手補強やブラジル人のコーチングスタッフの選定についても呂比須が主導したという[9]。開幕からJ1リーグAFCチャンピオンズリーグあわせて公式戦5連敗を喫し、3月26日にセホーン、呂比須ともに解任が発表された[22]

2016年、セルトンジーニョでサンパウロ州選手権セリエA-3(3部)に優勝して昇格を決めた[13]

所属クラブ[編集]

指導歴[編集]

※ 特筆なき限り、役職は監督

タイトル[編集]

クラブ[編集]

サンパウロ
ボタフォゴ-PB
ジョインヴィレEC

指導者時代[編集]

サンパウロ
リオ・ブランコ-MG

注釈[編集]

  1. ^ ガンバ大阪によるプレスリリースなどでは水原三星となっているが、セホーンによれば「2000年末から2003年末まで韓国で働いたのは事実だが、サンパウロが現地に開設した少年チームで指導していたんだ。(Kリーグの)水原三星とは関係ない」[9]

出典[編集]

  1. ^ a b Técnico: José Carlos Serrão”. AcervoSCCP. 2017年2月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Lembra dele? Marcado pela Libertadores de 74, Zé Carlos reergue o Sertãozinho-SP”. Globoesporte.com (2009年12月9日). 2009年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月1日閲覧。
  3. ^ a b São Paulo FC - All players in Brazilian Championship”. RSSSF. 2017年2月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e Zé Carlos Serrão - Que fim levou?”. Terceiro Tempo. 2017年2月2日閲覧。
  5. ^ a b Ranking histórico: Clube dos 100”. サンパウロFC (2014年12月14日). 2017年2月1日閲覧。
  6. ^ São Paulo FC - All players in Copa Libertadores”. RSSSF. 2017年2月1日閲覧。
  7. ^ Independiente gana su tercera Copa Libertadores consecutiva en tercer partido ante Sao Paulo”. Conmebol.com. 南米サッカー連盟 (2014年10月19日). 2017年2月2日閲覧。
  8. ^ Paulista A3: Certo da classificação, Serrão quer Sertãozinho campeão”. Futebol Interior. 2017年2月2日閲覧。
  9. ^ a b c d e f 沢田啓明 「元ガンバ大阪監督 ジョゼ・カルロス・セホーンの無念」 『フットボール批評』 Issue 03、カンゼン、78-82頁。
  10. ^ a b c d e Dia do Treinador: homenagem aos maiores do Tricolor”. サンパウロFC (2011年1月11日). 2017年2月2日閲覧。
  11. ^ São Paulo Futebol Clube”. RSSSF. 2017年2月2日閲覧。
  12. ^ 下薗 2015, p. 30.
  13. ^ a b Campeão da Série A3 do Paulista, Serrão analisa propostas para 2017”. Futebol Interior (2017年1月13日). 2017年2月2日閲覧。
  14. ^ Minas Gerais State League 1998 - Módulo II (Second Level)”. 2017年2月2日閲覧。
  15. ^ José Carlos Serrão é o novo treinador do Touro”. セルトンジーニョFC. 2017年2月2日閲覧。
  16. ^ São Paulo State Championship 2009 - Second Level (Série A-2)”. RSSSF. 2017年2月2日閲覧。
  17. ^ Serrão treinará time polonês só de brasileiros”. clic RBS. 2017年2月2日閲覧。
  18. ^ 2012年度 ガンバ大阪 新加入コーチングスタッフ 決定』(プレスリリース)ガンバ大阪、2011年12月26日http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=36292011年12月26日閲覧 
  19. ^ 下薗 2015, p. 33.
  20. ^ 下薗 2015, pp. 33–35.
  21. ^ 下薗 2015, pp. 43–44.
  22. ^ “ガンバ大阪 コーチングスタッフの解任ならびに新コーチングスタッフ体制の発表 ならびに強化本部長の辞任について”. ガンバ大阪オフィシャルサイト. (2012年3月26日). オリジナルの2013年6月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130627125533/http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=3816 2012年3月26日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 下薗昌記『ラストピース J2降格から三冠達成を果たしたガンバ大阪の軌跡』角川書店、2015年。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]