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ネルソン・バプティスタ・ジュニオール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ネルシーニョ・バプティスタ
名前
本名 ネルソン・バプティスタ・ジュニオール
Nélson Baptista Júnior
愛称 ネル
ラテン文字 Nelsinho Baptista
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1950-07-22) 1950年7月22日(74歳)
出身地 カンピーナス
選手情報
ポジション DF (RSB)
ユース
1966-1967 ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1967-1970 ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ
1971-1977 ブラジルの旗 サンパウロ 267 (5)
1978-1982 ブラジルの旗 サントス 218 (10)
1983 ブラジルの旗 ジュベントス
通算 485 (15)
監督歴
1985 ブラジルの旗 サンベント
1985-1986 ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ
1986-1987 ブラジルの旗 インテル・デ・リメイラ
1987-1988 ブラジルの旗 アトレチコ・パラナエンセ
1989 コロンビアの旗 スポルティング・バランキヤ
1990 ブラジルの旗 ノヴォリゾンチーノ
1990-1991 ブラジルの旗 コリンチャンス
1991 ブラジルの旗 グアラニ
1992-1993 ブラジルの旗 パルメイラス
1993-1994 サウジアラビアの旗 アル・ヒラル
1994 日本の旗 ヴェルディ川崎(コーチ)
1995-1996 日本の旗 ヴェルディ川崎
1996 ブラジルの旗 インテルナシオナル
1996-1997 ブラジルの旗 コリンチャンス
1997 ブラジルの旗 クルゼイロ
1998 ブラジルの旗 サンパウロ
1999 チリの旗 コロコロ
2000 ブラジルの旗 ポルトゥゲーザ
2000-2001 ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ
2001-2002 ブラジルの旗 サンパウロ
2002-2003 ブラジルの旗 ゴイアス
2003 ブラジルの旗 フラメンゴ
2003 ブラジルの旗 サンカエターノ
2003-2005 日本の旗 名古屋グランパス
2005 ブラジルの旗 サントス
2005-2006 ブラジルの旗 サンカエターノ
2007 ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ
2007 ブラジルの旗 コリンチャンス
2007-2009 ブラジルの旗 スポルチ
2009-2014 日本の旗 柏レイソル
2015-2017 日本の旗 ヴィッセル神戸
2017-2018 ブラジルの旗 スポルチ
2019-2023 日本の旗 柏レイソル
1. 国内リーグ戦に限る。5/17現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ネルシーニョ・バプティスタ(Nelsinho Baptistaまたは Nelsinho Batista)[1][2][3][4][5][6][7] ことネルソン・バプティスタ・ジュニオール(Nélson Baptista Júnior、1950年7月22日 - )は、ブラジルサンパウロ州カンピナス出身の元プロサッカー選手サッカー指導者。プレーヤー時代はネルソンとして知られ、ネルシーニョの愛称は監督生活を始めてからのものである[8]

経歴

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選手時代

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1967年AAポンチ・プレッタでプロ生活を開始。現役時代のポジションは右サイドバック[8]。テクニックが特に優れているプレーヤーではなかったが、賢さでプレーするタイプで[8]、攻撃に参加してアシストや得点を奪うDFがほとんどいなかった当時[8]、現在のサイドバックの先駆者とも言えるプレーでサポーターから愛された[8]1971年から所属したサンパウロFCでは262試合に出場し6ゴールを決め、1975年サンパウロ州選手権で優勝、初のビッグタイトルを手にした[8]。ここではタッササンパウロのコリンチャンス戦でPKキッカーとして3度PKを失敗(主審が相手GKが動いたとして2度やり直し、全てポストに当ててしまい、全て失敗した[8])したこともあった[8]。その後、サントスFCでプレー、州選手権で優勝を果たした後、CAジュベントスでは2部リーグ優勝を果たし[8]、現役生活を終えた。

指導者時代

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現役引退後は指導者に転身し、古巣のポンチ・プレッタ、サンパウロFCをはじめ、CRフラメンゴクルゼイロECSEパルメイラスSCコリンチャンス・パウリスタなどのクラブを率いた。1988年、パラナ選手権で優勝し、監督としての初タイトルを獲得した[8]。コリンチャンスでは1990年ブラジル全国選手権ではテレサンターナ監督が率いたサンパウロを破り優勝[8]、この手腕から高額でパルメイラスに引き抜かれた[8]1997年サンパウロ州選手権で優勝、サンパウロFCでも1998年にサンパウロ州選手権優勝を果たした。

1994年7月に初来日し、ヴェルディ川崎のヘッドコーチに就任する。ヴェルディは前年から松木安太郎が監督を務めていたが、ヘッドコーチ就任後のNICOSシリーズでは実質的に指揮を執る事になる。松木退任後の1995年に監督に就任すると、序盤は苦戦するもNICOSシリーズは優れた手腕でチームを優勝に導き[8]、この実績が評価され、1995年11月には次期日本代表監督就任が内定していたが[9][10][11][12]長沼健日本サッカー協会 (JFA) 会長(当時)の"鶴の一声"により[9][10][11][12]加茂周(当時)の監督続投が決定[9][10][11][12]。これに対して、ネルシーニョはJFAを「腐ったミカン」と批判した[9][10][11][12][13][注 1]。この騒動の後、ヴェルディ川崎の監督を辞任[9]

その後はブラジルに帰国し複数のクラブの指揮を執った後、2003年より名古屋グランパスエイトの監督に就任したが、成績不振により2005年9月に解任。

2007年途中から率いたスポルチ・レシフェではペルナンブーコ州選手権 を連覇し同クラブ初のメジャータイトルであるコパ・ド・ブラジルも制した。

2009年7月から柏レイソルの監督に就任[14]。2010年にはJ2で優勝。2011年にJ1優勝へ導いた[15][16](昇格1年目の優勝はJ史上初)。2012年6月30日、ガンバ大阪戦で勝利し、Jリーグ外国人監督最多となる101勝目を挙げた。

2013年8月31日鹿島戦終了後、柏の監督を辞任するとコメントしたが、9月5日にこれを撤回して指揮を執ることになった。

2014年9月17日記者会見を行い、契約を2014年限りとすることを発表した[17]。最終的に2012年以降で最高順位の4位で終わった。

2014年12月12日、2015年からヴィッセル神戸の監督に就任することが発表された[18]。2016年のセカンドステージでは、チーム最高の2位に導いた。2017年8月16日付で成績不振を理由に監督を解任された[19]

2017年12月12日、ブラジルセリエAスポルチ・レシフェの監督に就任。しかし2018年4月24日のボタフォゴ戦後にクラブに無断で会見を開き監督を辞任した[20]

2019年より5年ぶりに柏の監督に就任すると発表された[21]。同シーズンはチームを二度目となるJ2リーグ優勝・J1リーグ昇格へ導き、JリーグアウォーズにおいてJ2優勝監督賞が贈られた[22]

2020年シーズンは、開幕戦で勝利したもののコロナ禍の影響もあって7位に終わった。また、ルヴァンカップは決勝まで進んだがFC東京に敗北し準優勝に終わった。

2021年シーズンは、オルンガの移籍・コロナ禍での新外国人選手の合流の遅れ・江坂任呉屋大翔ペドロ・ハウルらのシーズン途中での移籍などもあり、チームを上手くまとめられずにシーズン序盤からJ2降格危機に瀕したが、監督としてJ1通算200勝を達成したセレッソ大阪戦で辛くもJ1残留を確定させた。

2022年シーズンは、序盤には一時的に首位に立つなど下馬評を覆すような勢いを見せ、多くのサポーターを沸かせたがシーズン後半に入ると主力選手の離脱などもありペースが落ち、最終的にはリーグ7位になり10試合勝利無しという状況でシーズンを終えた。

2023年シーズンは、開幕6試合勝利なしと序盤から低迷。昨シーズン後半からのリーグ戦未勝利記録は16試合まで伸びた。第7節の鹿島アントラーズ戦でようやくシーズン初勝利をあげたものの、その後も不安定な戦いが続き下位から抜け出せずにいた。そして第13節横浜FC戦に敗戦したことが決め手となり[23]、5月17日に双方合意のもとで退任することが正式に発表された[24]

タイトル

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指導者時代

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チーム

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アトレチコ・パラナエンセ
コリンチャンス
ヴェルディ川崎
サンパウロ
ゴイアス
スポルチ
柏レイソル

個人

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脚注

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注釈

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  1. ^ 加茂監督の契約が切れる1995年11月末が近づいたことから、次期監督を決めるためのJFA幹部会(長沼JFA会長、岡野俊一郎JFA副会長、川淵三郎JFA副会長、小倉純二JFA専務理事)が同年10月30日にJFAで行われ、この席で加藤久JFA強化委員長が、加茂監督の退任と、合わせてネルシーニョを次期監督に推薦した[10]。幹部会はこれを了承し[10]、加藤が11月19日、ネルシーニョに代表監督就任を要請したが[10]、ネルシーニョ側が幹部会側の提示額を大きく上回る報酬額を希望したため[10][12]、元々ネルシーニョの招聘が本意でない幹部会は加茂留任に気持ちが傾いた[10]。当然これはネルシーニョの交渉術の"常識"で、11月20日夜、ネルシーニョは幹部会側の提示額の上限を受け入れる事を伝えた[10]。ところが大学の後輩である加茂が可愛い長沼は、横浜フリューゲルスの監督復帰が決まっていた加茂の留任を独断で決め[10][11][12]、11月21日、加茂が了承し、加茂の留任が決まった[10][11][12]。1995年11月22日、長沼が多くの報道陣を前に加茂の監督留任を発表した[10]。ネルシーニョは「人生最大のチャレンジ」とまで意欲を燃やしていたが[10][11]、一旦、ネルシーニョに監督要請をしておきながら、加藤への連絡は11月22日の長沼の会見直前、ネルシーニョへの断りの連絡は長沼の会見後だった[10]。この"寝耳に水"の会見を聞いたネルシーニョがJFAの非礼に憤慨し、「JFAに代表監督を選ぶ権利はあるが、おふざけする権利はない。ナガヌマ、カワブチは噓つきで、腐っている。残念ながら箱の中には必ず腐ったミカンがあるものだ」と批判したのも当然だった[9][10][11][12]

出典

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  1. ^ Milton Neves. “Que Fim Levou? - Nelsinho Baptista”. Que fim levou? - A biblioteca do futebol brasileiro. 2013年11月2日閲覧。
  2. ^ Nelsinho Baptista é o novo técnico do São Caetano”. Terra (2005年12月14日). 2013年11月2日閲覧。
  3. ^ XV Curso Nacional: Mais uma turma pronta e preparada”. Futebol Interior (2008年12月4日). 2013年11月2日閲覧。
  4. ^ Nelsinho Batista está de volta Ó Vila Belmiro”. Santos Futebol Clube (2005年9月27日). 2013年11月2日閲覧。
  5. ^ Técnicos Nelsinho Baptista”. Federação Paulista de Futebol. 2013年11月2日閲覧。
  6. ^ Lucas Ottoni (2007年12月10日). “Nelsinho Baptista é o novo técnico do Leão”. GloboEsporte.com. 2013年11月2日閲覧。
  7. ^ Nelsinho Baptista”. Goal.com. 2013年11月2日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m ワールドサッカーダイジェスト 1996年3月号 no.17 ブラジルの名手たち 第11回 p.112-113 日本スポーツ企画出版社
  9. ^ a b c d e f 沢田啓明 (2024年2月24日). “熱狂とカオス!魅惑の南米直送便 “日本代表監督白紙”で激怒「話すことはない。ただ」“腐ったミカン事件”と本田圭佑17歳の「ギラギラした」才能…ネルシーニョ本人が告白”. Number Web. 文藝春秋. 2025年4月12日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「〔徹底特集〕サッカー事件史 〈あの事件〉の真相と舞台裏に迫る 日本代表事件史 ファイル(2) 検証・ネルシーニョ事件」『サッカーマガジン』2008年5月20号 No.1188、ベースボール・マガジン社、251頁。 
  11. ^ a b c d e f g h 川淵三郎「第7章 七転八起 日本代表・10年の軌跡ー代表監督5人のそれぞれ 加茂解任への序章」『虹を掴む』講談社、2006年、238–239頁。ISBN 9784062126762 
  12. ^ a b c d e f g h 後藤健生「第7章 世界の舞台へ、最後の苦闘・1992-1998 ネルシーニョ事件をめぐるドタバタ劇」『日本サッカー史・代表編 日本代表の85年』双葉社、2002年、277–279頁。ISBN 4-575-29489-6 
  13. ^ ひと:ネルシーニョさん=サッカーJ1で柏を初優勝に導いた監督 毎日新聞 2011年12月4日
  14. ^ <柏レイソルの復活請負人> ネルシーニョ 「信頼関係を生み出す温かく深い観察力」 - NumberWEB: 2011年6月15日
  15. ^ 初優勝に導いた柏・ネルシーニョ監督「2年間ついてきてくれた選手に感謝」 -スポーツナビ: 2011年12月3日
  16. ^ 柏レイソル優勝は序章に過ぎない。ネルシーニョ・マジックとは何か? - NumberWEB: 2011年11月8日
  17. ^ 本日の記者会見について - 柏レイソル 2014年9月17日
  18. ^ ヴィッセル神戸 ニュース/レポート : ネルシーニョ監督就任のお知らせ - ヴィッセル神戸 2014年12月12日
  19. ^ ネルシーニョ監督との契約解除のお知らせ - ヴィッセル神戸 2017年8月16日
  20. ^ You are being redirected...”. www.folhape.com.br. 2018年4月25日閲覧。
  21. ^ ネルシーニョ監督 就任のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2018年12月13日https://www.reysol.co.jp/news/topteam/001520.html2019年3月21日閲覧 
  22. ^ 2019Jリーグ 各賞発表のお知らせ 最優秀選手賞は仲川 輝人選手(横浜F・マリノス)が初受賞~横浜F・マリノスからの受賞は3人目、得点王とダブル受賞~』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2019年12月8日https://www.jleague.jp/release/post-62206/2019年12月9日閲覧 
  23. ^ 【柏】ネルシーニョ監督退任発表 16位低迷 後任は井原正巳ヘッド昇格、20日神戸戦から指揮”. 日刊スポーツ (2023年5月17日). 2023年5月17日閲覧。
  24. ^ お知らせ情報|柏レイソル Official Site”. 柏レイソル Official site. 2023年5月17日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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