風間八宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
風間 八宏 Football pictogram.svg
名前
愛称 ヤヒロ
カタカナ カザマ ヤヒロ
ラテン文字 KAZAMA Yahiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1961-10-16) 1961年10月16日(55歳)[1]
出身地 静岡県静岡市清水区[1]
身長 173cm[2]
体重 67kg[2]
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1977-1979 清水市立商業高等学校
1980-1983 筑波大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984 ジョイフル本田
1984-1985 バイエル・レバークーゼンII
1985-1988 レムシャイト
1988-1989 ブラウンシュヴァイク 15 (0)
1989-1992 マツダSC 63 (7)
1992-1995 サンフレッチェ広島 103 (6)
1996-1997 レムシャイト
代表歴2
1979  日本 U-20 3 (0)
1980-1983 日本の旗 日本 [3] 19 (0)
監督歴
1997-2004 桐蔭横浜大学
2008-2012 筑波大学
2012-2016 川崎フロンターレ
2017- 名古屋グランパスエイト
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月5日現在。
2. 2007年10月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

風間 八宏(かざま やひろ、1961年10月16日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはミッドフィールダー

経歴[編集]

大学卒業まで[編集]

母子家庭で、母親は磯料理を営み息子3人育て、風間八宏はその長男[4]

清水市立商業高校 (後の静岡市立清水商業高等学校) 時代、監督の大滝雅良をして「教える事は何もない」と言わしめるほどの選手で、大滝がこれまでの指導法を変えるほどの影響を与える。3年連続で静岡県高校ベストイレブンに選出される。

また、高校在学中に日本で開催された1979 FIFAワールドユース選手権の日本代表に選出され、仙台向山高鈴木淳帝京高名取篤とともに高校生トリオとして名前を馳せる。

筑波大学入学後は蹴球部に所属し、在学中の1980年に日本代表に選出され同年に香港で行われた1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選(1次予選)にレギュラーとして出場。

ドイツでのプレー[編集]

卒業後は海外でのプレーを希望し、日本サッカーリーグには所属せず、茨城県リーグのジョイフル本田に所属していた。ロサンゼルスオリンピック予選終了後の1984年、筑波の恩師である松本光弘の紹介で西ドイツバイエル・レバークーゼンIIとアマチュア契約にて入団[5]。その後5年間にわたってドイツの2部、3部リーグのクラブを転々とした。

Jリーグでのプレー[編集]

1989年、ドイツから帰国すると日本サッカーリーグ2部のマツダSCに入部。翌1990-91シーズンに1部復帰を果たす。1992年、Jリーグ発足に伴ってサンフレッチェ広島F.Cとして新たなスタートを切ると、Jリーグ開幕戦、開始1分でチーム第1号ゴールと日本人選手Jリーグ初ゴールを決めた。同年、NICOSシリーズの第1節においても、リーグ戦で日本人初めての直接FKによるゴールを決めた。以降も多彩なパスで中盤を操り、またキャプテンとしてチームの精神的支柱となり活躍。1994年のサントリーシリーズ優勝にも貢献した。

1995年に広島を退団。再びドイツに渡り、FCレムシャイトドイツ語版に復帰するが1年で退団し、現役を引退した。

指導者に[編集]

桐蔭横浜大学サッカー部監督[編集]

1998年桐蔭横浜大学サッカー部の監督に就任した[6][7][8]。それまで同好会レベルでしかなかった桐蔭横浜大学サッカー部は風間監督就任を期に本格的に活動を開始し、同1998年に神奈川県リーグ2部全勝優勝し、1部昇格をはたした。さらに、2000年に神奈川県リーグ1部で初優勝した。風間は2003年まで、桐蔭横浜大学サッカー部監督を6年つとめた。

2004年JFA公認S級コーチライセンスを取得した。2006年8月に日本サッカー協会特任理事に就任し、2008年7月の役員改選で元Jリーガーとしては初めて正式な理事となった。また、フジテレビの『すぽると!』などで解説を務めた。

筑波大学蹴球部監督[編集]

2008年より2012年4月20日まで母校である筑波大学蹴球部の監督、筑波大学体育センター准教授(サッカーコーチング論)を務めた。

川崎フロンターレ監督[編集]

2012年4月23日にJ1・川崎フロンターレ監督に就任。4月28日の監督就任初戦は古巣のサンフレッチェ広島を相手に采配を振ることとなった[9]フジテレビすぽると!』レギュラー出演は4月23日深夜の出演が最後となった[10]。5月8日、Jリーグ理事を退任することが発表された[11]

2016年10月12日、新契約を結ばずに2016年シーズン限りで川崎フロンターレを退団することが発表された。

2017年1月1日、天皇杯決勝を最後に退任。

名古屋グランパスエイト監督[編集]

2017年1月4日、J2に降格した名古屋グランパスエイト監督就任が発表された。

エピソード[編集]

  • マツダSCがJSL2部にいた時代に日本代表入りを打診されたが、チームが1部に復帰するまでと断っていた。
  • フジテレビ解説者を務めた時期が長いが、帰国直後は、スポーツ・アイ ESPNJ sports ESPNの前身)で倉敷保雄とコンビを組んでいたこともあった。このコンビで実況・解説を担当したサッカーゲームもある。ちなみに、倉敷は「アハトacht=ドイツ語で「8」)さん」と呼んでいたこともある。
  • プロサッカー選手の風間宏希風間宏矢は、息子であり2012年と2013年は川崎で一緒だった。

選手歴[編集]

指導者歴・公職[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
西ドイツ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1984-85 レバークーゼンII ブンデス3部
1985-86 レムシャイト
1986-87
1987-88 ブンデス2部 26 0
1988-89 ブラウンシュヴァイク 15 0 1 0 16 0
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1989-90 マツダ JSL2部 27 3 1 0
1990-91 8 21 4 3 0
1991-92 JSL1部 15 0 4 0
1992 広島 - J - 6 0 1 0 7 0
1993 - 35 6 0 0 4 0 39 6
1994 - 43 0 1 0 3 0 47 0
1995 - 25 0 - 1 0 26 0
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
1995-96 レムシャイト 0 0
1996-97 レギオナル 0 0
通算 西ドイツ ブンデス2部 41 0 1 0 42 0
西ドイツ ブンデス3部
ドイツ レギオナル
ドイツ
日本 J 103 6 7 0 9 0 119 0
日本 JSL1部 15 0 4 0
日本 JSL2部 48 7 4 0
総通算
その他の公式戦
出場歴

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 19試合 0得点 (1980-1983)[3]


日本代表 国際Aマッチ その他 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1980 4 0 3 0 7 0
1981 8 0 9 0 17 0
1982 4 0 2 0 6 0
1983 3 0 8 0 11 0
1984 0 0 4 0 4 0
1989 0 0 2 0 2 0
通算 21 0 26 0 45 0

関連情報[編集]

著書[編集]

ゲーム[編集]

参考文献[編集]

  • 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
  • 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
  • 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102323-1
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f スタッフプロフィール”. 川崎フロンターレ. 2014年8月29日閲覧。
  2. ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』p120
  3. ^ a b c “風間八宏”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_ka/yahiro_kazama.html 
  4. ^ 【育将・今西和男】門徒たちが語る師の教え 川崎フロンターレ監督 風間八宏(1) -1”. スポルティーバ (2015年10月28日). 2015年10月30日閲覧。
  5. ^ 【育将・今西和男】門徒たちが語る師の教え 川崎フロンターレ監督 風間八宏(1) -3”. スポルティーバ (2015年10月28日). 2015年10月30日閲覧。
  6. ^ チーム紹介”. 桐蔭横浜大学サッカー部. 2017年7月21日閲覧。
  7. ^ チームに息づく風間哲学――。イズムを継承する桐蔭横浜大が初の関東1部制覇に挑む!”. Soccer Digest Web (2017年4月14日). 2017年7月21日閲覧。
  8. ^ CS-Column no.435 関東大学サッカー1部リーグ 昇格組特集 桐蔭横浜大学 八城修監督&平山玲央、島崎恭平インタビュー”. 大学スポーツ総合サイトCSPark (2013年4月4日). 2017年7月21日閲覧。
  9. ^ 川崎F 風間八宏新監督を発表 28日広島戦で初采配 スポーツニッポン 2012年4月23日閲覧
  10. ^ 【川崎F】風間新監督「すぽると!」卒業-日刊スポーツ2012年4月24日
  11. ^ a b 理事退任・追加選任のお知らせ Jリーグ (2012年5月8日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]