マッシモ・フィッカデンティ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Massimo Ficcadenti | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1967年11月6日(52歳) | |||||
出身地 | フェルモ[1][2] | |||||
身長 | 181cm[1][2] | |||||
体重 | 77kg[1][2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF[3] | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1985-1989 |
![]() | 68 | (2) | |||
1989-1992 |
![]() | 90 | (5) | |||
1992-1997 |
![]() | 133 | (9) | |||
1997-2000 |
![]() | 48 | (2) | |||
2000-2001 |
![]() | 2 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2001[2]-2002 |
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2002 |
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2003-2004 |
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2004-2006 |
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2007[4] |
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2009[5]-2010 |
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2010[3]-2011 |
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2011[6] |
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2012[7] |
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2014-2015 |
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2016-2018 |
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2019- |
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1. 国内リーグ戦に限る。2014.01.21現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マッシモ・フィッカデンティ(Massimo Ficcadenti, 1967年11月6日 - )は、イタリア・マルケ州フェルモ県出身の元サッカー選手。J1名古屋グランパス監督。
来歴[編集]
選手時代[編集]
1985年にセリエB(2部リーグ)のUSサンベネデッテーゼでデビュー。同クラブ及び1989年加入のACRメッシーナでは上位進出を果たせずに終わったが、1992年に移籍したヴェローナFCでは、1995-96シーズンにリーグ準優勝に貢献し、翌シーズンからのセリエA(1部リーグ)昇格を果たした。1996-97シーズンはキャリア12年目にして初の国内最上位リーグでのプレーとなったが、昇格チーム故の戦力差は否めず、セリエB降格を喫し、1997年限りで退団。なお、この年にJリーグ・名古屋グランパスエイトからオファーを受けており、これを機に[8] 日本への興味を深め、以後も度々訪日するようになる。
1997年、セリエBのトリノ・カルチョへ移籍し、再び1999-00シーズンのセリエA昇格を掴んだが、主力としての働きが出来ぬままセリエBへ降格。同クラブでのチームメートにはロレンツォ・ミノッティがおり、固い友情を築いた[9]。2000-01シーズンのラヴェンナ・カルチョでのプレーを最後に現役を引退した。
指導者時代[編集]
パルマACでのコーチ研修を経て[10]、33歳の時に[9]指導者としてのキャリアをスタートさせた。セリエC2(4部リーグ)のUSフィオレンツォーラ1922では2001-02シーズン途中からの監督就任であり、チームを完全に立て直すことは出来なかったものの、その手腕を認められ、翌シーズンからはセリエC1(3部リーグ)のUSアヴェッリーノ及びACピストイエーゼで指揮を執った。
2004年にはセリエBの古巣であるエラス・ヴェローナFC監督に就任。果敢な攻撃サッカーを展開し、アンドレア・ドッセーナ、マッティア・カッサーニ、ヴァロン・ベーラミらをブレイクさせて[8]前年辛くも残留を果たしたチームをセリエA昇格争いへと躍進させた。2006年にはパルマ在籍時に知り合った立石敬之をアシスタントコーチとして招聘[10]。2006-07シーズンはカッサーニや得点源のFWアダイウトンの退団によって勝ち点を伸ばせず、シーズン半ばに退任。
2007年7月にはセリエAのレッジーナ・カルチョの監督に就任したが[4]、成績不振により短期間で解任された[3][11]。2009年にはセリエBで低迷していたピアチェンツァ・カルチョ監督に就任し[5]、大きく負け越していたチームを立ち直らせ、リーグ残留に成功[11]。
2010年6月、セリエAに昇格したばかりのACチェゼーナ監督に就任し[12][3] 同クラブのGMを務める旧友ミノッティと共にチーム強化に着手[9]。選手の大半がセリエA未経験者という厳しい陣容ながら[13][11][14]、自らJリーグを観戦し獲得を決めた長友佑都や[10]、マルコ・パローロ、エマヌエレ・ジャッケリーニらを大きく成長させ[8][13][15]、苦しみつつもセリエA残留を決めた。シーズン後に退任。
2011年8月にロベルト・ドナドーニの後任としてカリアリ・カルチョの監督に就任[6][16]。開幕戦ではASローマをアウェーで下すなど序盤は好調だったが、第10節のラツィオ戦、第11節のアタランタ戦で2連敗を喫したことで同年11月に解任されるも[17]、2012年3月に再任され[7]、同シーズンのセリエA残留に成功。2012-13シーズンは第6節を終え未勝利で最下位に低迷したことに加え、スタジアム問題で没収試合になる不運も重なり、ワンマン会長に振り回された格好で[8]、2012年10月に2度目の解任となった。
2014年より、旧知の立石が強化部長を務めるJリーグ・FC東京の監督に就任[18]。イタリア人としては初のJリーグ監督就任となった。勝利への執着と[14]攻撃のための守備の構築を担わされる中[19]、相手の出方を緻密に分析し[20][21]、きめ細かなポジショニングと連動した動きを求める[22] 全員守備・全員攻撃を志向[23]。バランスが良く全体をカバー出来、攻撃の創造性を発揮しやすい布陣と語る[24]「4-3-3」、あるいはダイヤ型の「4-4-2」(4-3-1-2)を採用し、同年アンカーに配された高橋秀人は、選手同士で有機的に助け合うサッカーの美しさを教えてもらったとコメントしている[25]。また、J1経験の浅い選手を積極起用し[11][26][15]、J1第5節清水戦では[27] クラブの目標の一つであった“育成組織出身者5名[注 1] の先発”を果たした。立石はマッシモが監督だったから達成できたことと語った[28]。
2014年は中位に終わったが、2015年には守備に切替わる場面での素早い帰陣の徹底と[29] 試合展開に応じた対応力を高めて[30] 勝ち点を積上げ、FC東京におけるクラブ史上最多の勝ち点を記録[31]。J1優勝を懸けたJリーグチャンピオンシップ出場権獲得圏内である年間3位以内入りを争っていたが、最終節の引分けによって4位となり優勝を逃した。同年末、翌年以降のクラブ運営の方向性に折り合いが付かず[32]、当初結んでいた2年契約を[33] 満了、退任した[34]。
セレッソ大阪や広州富力足球倶楽部からの接触を受けていたが[35][36]、2015年の好成績と堅守速攻の戦術を評価されて[37][38] 2016年よりサガン鳥栖の監督に就任[39]。年俸は推定1億円[40]。東京同様に4-3-1-2を採用。丁寧にボールをつなぐやり方はすぐには奏功せず[41]、同年1stステージは僅差での敗戦が続いて低迷したが[42] 戦術が浸透し始めた2ndステージに復調した。
鳥栖を指揮して3年目となった2018年、開幕後5試合は2勝2分1敗とまずまずのスタートを切ったが[43]、その後は第6節から第12節にかけてのリーグ戦7連敗などもあり、第29節終了時点でJ2自動降格圏内の17位に位置する状況となっていた。10月9日に金明輝(鳥栖トップチームコーチ兼U-18監督)への指揮権交代が一旦リリースされたが、この時点ではフィッカデンティの今後については協議中であった[44]。その後、指揮権交代リリース前の期間も含め2週間の協議を経て10月18日、鳥栖との契約解除が発表された[45]。
2019年9月23日に名古屋グランパスの監督就任が発表された[46]。
エピソード[編集]
- 日本で活動する外国人タレント、パンツェッタ・ジローラモの知人。ジローラモによれば「彼は大の日本好きでJリーグも観戦している」とのこと(フジテレビ『すぽると!』より)。2014年のFC東京新体制発表記者会見においても「(日本食の代表格である)寿司だけでなく、焼き肉やラーメンも好む」と日本通をアピール[47][48][21]。「チーズの代わりにいつも納豆を食べる」と語り[49]、FC東京クラブハウス内の食堂では、フィッカデンティのリクエストによって納豆がメニュー入りした[50]。
- イタリア人のサッカー監督には珍しい落ち着いた人柄で、メディアの前で感情的な姿を見せることも少ない[14]。
- サガン鳥栖は、2015年に翌年以降育成チームをJ3に参加させる旨表明していたが[51]、2016年にはこの方針を修正。同年監督に就任したフィッカデンティも、実質的セカンドチームを作ってJ3に出場するよりも、移籍先の他のクラブで出場した方が選手に資するという考えを示している[52]。
個人成績[編集]
クラブ成績 | リーグ | カップ | 通算 | |||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
イタリア | リーグ | イタリア杯 | 通算 | |||||
1985-86 (en) | サンベネデッテーゼ | セリエB | 2 | 0 | ||||
1986-87 (en) | 16 | 0 | ||||||
1987-88 (en) | 18 | 0 | ||||||
1988-89 (en) | 32 | 2 | ||||||
1989-90 (en) | メッシーナ | 27 | 1 | |||||
1990-91 (en) | 33 | 1 | ||||||
1991-92 (en) | 30 | 3 | ||||||
1992-93 (en) | ヴェローナ | 31 | 0 | 4 | 0 | |||
1993-94 (en) | 26 | 4 | 1 | 0 | ||||
1994-95 (en) | 29 | 3 | 1 | 0 | ||||
1995-96 (en) | 28[注 2] | 2 | 1 | 0 | ||||
1996-97 | セリエA | 19 | 0 | 1 | 0 | |||
1997-98 (en) | トリノ | セリエB | 21 | 2 | ||||
1998-99 (en) | 15 | 0 | ||||||
1999-00 | セリエA | 12 | 0 | |||||
2000-01 (en) | ラヴェンナ | セリエB | 2 | 0 | ||||
通算 | イタリア | セリエA | 31 | 0 | 1 | 0 | 32 | 0 |
イタリア | セリエB | 310 | 18 | 7 | 0 | 317 | 8 | |
総通算 | 341 | 18 | 8 | 0 | 349 | 18 |
監督成績[編集]
年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | イタリア杯 | ||||
2001-02 (it) | フィオレンツォーラ | セリエC2 | 17位[注 3] | |||||||
2002-03 (en) | アヴェッリーノ | セリエC1 | 優勝[注 3] | |||||||
2003-04 (en) | ピストイエーゼ | 10位 | 44 | 34 | 11 | 11 | 12 | |||
2004-05 (en) | ヴェローナ | セリエB | 6位 | 61 | 42 | 15 | 16 | 11 | ||
2005-06 (en) | 15位 | 49 | 42 | 10 | 19 | 13 | ||||
2006-07 (en) | 18位[注 3] | 11 | 18 | 2 | 5 | 11 | ||||
2007-08 | レッジーナ | セリエA | 16位[注 3] | 5 | 10 | 0 | 5 | 5 | ||
2009-10 (en) | ピアチェンツァ | セリエB | 15位[注 3] | 44 | 28 | 11 | 11 | 6 | ||
2010-11 | チェゼーナ | セリエA | 15位 | 43 | 38 | 11 | 10 | 17 | ||
2011-12 | カリアリ | 15位[注 3] | 13 | 10 | 3 | 4 | 3 | |||
2012-13 | 11位[注 3] | 14 | 17 | 3 | 5 | 9 | ||||
年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
2014 | FC東京 | J1 | 9位 | 48 | 34 | 12 | 12 | 10 | グループリーグ | ベスト16 |
2015 | 4位 | 63 | 34 | 19 | 6 | 9 | ベスト8 | ベスト8 | ||
2016 | 鳥栖 | 11位 | 46 | 34 | 12 | 10 | 12 | グループリーグ | ベスト16 | |
2017 | 8位 | 47 | 34 | 13 | 8 | 13 | グループリーグ | 3回戦敗退 | ||
2018 | 17位 | 30 | 29 | 7 | 9 | 13 | グループリーグ | - | ||
通算 | イタリア | セリエA | - | - | 75 | 17 | 24 | 34 | - | - |
イタリア | セリエB | - | - | 130 | 38 | 51 | 41 | - | - | |
イタリア | セリエC1 | - | - | 34 | 11 | 11 | 12 | - | - | |
イタリア | セリエC2 | - | - | - | - | |||||
日本 | J1 | - | - | 131 | 50 | 37 | 44 | - | - | |
総通算 | - | - | 370 | 116 | 123 | 131 | - | - |
脚注[編集]
- 注釈
- 出典
- ^ a b c d “Ficcadenti, Massimo (39 years old)”. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月24日閲覧。 footballplus.com(イタリア語)
- ^ a b c d e Le Schede di HELLASTORY Massimo Ficcadenti HELLASTORY.net(イタリア語)
- ^ a b c d チェゼーナの新監督にフィッカデンティ氏 欧州サッカー連盟 (2010年6月14日)
- ^ a b レッジーナ新監督にフィッカデンティ氏 欧州サッカー連盟 (2007年7月1日)
- ^ a b “Comunicato Stampa”. 2011年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月16日閲覧。 ピアチェンツァ・カルチョ (2009年11月11日)(イタリア語)
- ^ a b Massimo Ficcadenti è da oggi il nuovo allenatore del Cagliari カリアリ・カルチョ (2011年8月16日)(イタリア語)
- ^ a b 不振のカリアリ、バラルディーニ監督を解任 欧州サッカー連盟 (2012年3月11日)
- ^ a b c d 『週刊サッカーダイジェスト No.1258』日本スポーツ企画出版社、2013年、10-11頁。
- ^ a b c 『長友佑都 100人の証言 最強サイドバックの素顔と実力』宝島社、2011年。ISBN 978-4796682954。
- ^ a b c 元伊トップチームコーチが語るセリエA成功への道筋 東京中日スポーツ (2010年8月12日)
- ^ “Massimo Ficcadenti nuovo allenatore del Cesena”. 2010年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月12日閲覧。 ACチェゼーナ (2010年6月12日)(イタリア語)
- ^ a b 『F.C.TOKYO MAGAZINE BR TOKYO 2014年04月号』ユーメイド、2014年、30頁。
- ^ a b c 『365日FC東京 -2014年-』東京中日スポーツ,東京新聞、2015年、3頁。ISBN 978-4-8083-0998-5。
- ^ a b FC東京指揮官“チェゼーナの再現”未来の代表育てる! スポーツニッポン (2014年7月26日)
- ^ カリアリの新監督にフィッカデンティ氏 欧州サッカー連盟 (2011年8月16日)
- ^ カリアリ、フィッカデンティ監督を解任 欧州サッカー連盟 (2011年11月9日)
- ^ マッシモ フィッカデンティ氏 監督就任のお知らせ FC東京 (2013年12月30日)
- ^ 一語一会 第19回 阿久根謙司×小松成美 前半 トレード・トレード
- ^ 本職で結果を出したF東京MF東「トップ下は、すごくやりやすかった」 ゲキサカ (2014年4月26日)
- ^ フィッカデンティ監督の戦術が浸透し始めたFC東京 高橋秀人も「ギリギリの感覚を楽しめるようになった」 SOCCER MAGAZINE ZONE (2014年7月26日)
- ^ 【J1:第18節 F東京 vs 清水】マッシモフィッカデンティ監督(F東京)記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2014年8月2日)
- ^ 『週刊サッカーダイジェスト 2014年2月4日号 No.1268』日本スポーツ企画出版社、2014年、23頁。
- ^ “FC東京NEWS vol114”. サンケイリビング新聞社,FC東京. (2014年10月)
- ^ 【J1:第6節 F東京 vs 鳥栖】レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2014年4月7日)
- ^ 公式記録 2014 Jリーグ ディビジョン1 第5節第2日 Jリーグ (2014年3月29日)
- ^ 『フットボールサミット第23回』カンゼン、2014年、36頁。ISBN 978-4862552631。
- ^ 3連勝で首位浮上のF東京にみなぎる自信 MF米本「1点取ったら勝てる」 ゲキサカ (2015年4月12日)
- ^ 【指揮官インタビュー】マッシモ・フィッカデンティ(FC東京監督)先制した16試合で15勝。抜群の勝率を誇る秘密とは? (2/4) サッカーダイジェスト (2015年8月27日)
- ^ FC東京 完封勝利でクラブ史上最多勝ち点更新! 年間3位も死守 スポーツニッポン (2015年9月27日)
- ^ フィッカデンティ、FC東京退任の理由は「ビジョンの違い」。伊メディアに胸中を明かす フットボールチャンネル (2015年11月28日)
- ^ 【J1:第14節 F東京 vs G大阪】マッシモフィッカデンティ監督(F東京)記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2014年5月17日)
- ^ マッシモ フィッカデンティ監督の退任について FC東京 (2015年11月27日)
- ^ C大阪、フィッカデンティ監督浮上 すでに水面下で接触済み スポーツニッポン (2015年11月28日)
- ^ 広州富力が、フィッカデンティ監督に興味 blogola (2015年11月23日)
- ^ 鳥栖 新監督と1年契約 実績買いスタイル合致 スポーツニッポン (2016年1月5日)
- ^ 鳥栖新監督フィッカデンティ氏、契約は1年で合意 日刊スポーツ (2016年1月6日)
- ^ マッシモ フィッカデンティ氏 監督就任のお知らせ サガン鳥栖 (2016年1月7日)
- ^ 鳥栖監督にフィッカデンティ氏就任決定的 FC東京で昨季年間4位 スポーツニッポン (2016年1月4日)
- ^ 豊田陽平が語る「イタリア人監督の要求とサガン鳥栖の変化」(3/6) web Sportiva (2016年7月3日)
- ^ 鳥栖、フィッカデンティ監督のもとスタイル確立。課題はキム・ミヌ&林の代役探し【2016年Jリーグ通信簿】(2/4) フットボールチャンネル (2016年12月14日)
- ^ “鳥栖が取り戻した「純粋な競争」。監督交代で選手の士気も回復”. 日本スポーツ企画出版社 (2018年10月15日). 2018年10月19日閲覧。
- ^ “トップチームの体制について” (プレスリリース), サガン鳥栖, (2018年10月9日) 2018年10月19日閲覧。
- ^ “マッシモフィッカデンティ監督 契約解除合意のお知らせ” (プレスリリース), サガン鳥栖, (2018年10月18日) 2018年10月19日閲覧。
- ^ “マッシモ フィッカデンティ氏 監督就任のお知らせ”. 名古屋グランパス. 2019年9月23日閲覧。
- ^ 『エルゴラッソ Jリーグプレーヤーズガイド2014』スクワッド、2014年、44頁。ASIN B00ICPZZSW。
- ^ 【2014シーズン始動!】F東京:新体制発表会見での出席者コメント (cache) J's GOAL (2014年1月18日)
- ^ フィッカデンティ監督、酷暑の日本を満喫中 blogola (2014年8月12日)
- ^ 【F東京】フィッカデンティ監督、9日C大阪戦に意欲「組織化された守備を続けて」 スポーツ報知 (2014年8月8日)
- ^ サガンJ3参入意向 ユースの育成目的 佐賀新聞 (2015年10月9日)
- ^ フィッカデンティ監督がJの育成について語る blogola (2016年8月3日)
- ^ Career legaseriea.it(英語)
- ^ FICCADENTI MASSIMO Messinastory(イタリア語)
- ^ Hellas Verona - Cagliari Calcio 2:2 worldfootball.net
外部リンク[編集]
- マッシモ・フィッカデンティ - Soccerway(英語)
- マッシモ・フィッカデンティの監督経歴 - Soccerbase(英語)
- プロフィール - transfermarkt(英語)
- マッシモ・フィッカデンティ - J. League Data Siteによる監督データ (日本語)
- 海外指導者資格審査の件 (PDF) - 日本サッカー協会 (2014年1月16日)
- ザッケローニ監督と一線を画すJ初のイタリア人監督の哲学 Jリーグで萌芽したもう一つの“カルチョ流”(1/4) , (2/4) , (3/4) , (4/4) - SOCCERMAGAZINE ZONE (2014年5月4日)
- 【インタビュー】FC東京 フィッカデンティ監督「全員がぴったりのタイミングで演奏できるようになった」(1/3) , (2/3) , (3/3) - サッカーダイジェストWeb (2014年8月28日)
- フィッカデンティ監督インタビュー第二弾!「日本サッカーについて」(1/2) , (2/2) - サッカーダイジェストWeb (2014年10月3日)
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